さて、前世の旅、奈良・熊野は3日目。
朝に熊野本宮大社の宝物殿に寄ってから、帰る事にしました。
この時、宝物殿の受付の方とお話した事については既に記載してあります。
参考:前世の旅 奈良 熊野 ⑩ 熊野本宮大社 古代からの重要神社
3日目はもう身体がクタクタ、頭も働かない事は予想していましたので、当初から観光をメインに考えていました。
1.瀞峡
行きに来た道と違うルートで帰る事にしました。
とにかく、熊野川沿いはどこも綺麗でした。
写真に治めたいところはたくさんありました。
水の色がエメラルドグリーンなのですね。
と、このような景色がずっと続きます。
たまに車とすれ違う位。
ずっと川沿いで、絶景が続き、本当になごみました。
2.天河村に向おうとしましたが
時間に余裕があれば、天河村に寄ろうとしました。
ただ・・・。
カーナビで見ると、標高1800メートル位の山を両サイドに映っていました。
いきなり、落石の看板があったり。
雰囲気的にも坂道が続きそう。
あの玉置神社の道の再現かも・・・。
これは、時間がかかりそうという事で行くのは今回は止めました。
行くとするなら、行きに通った道の方が速かったようです。
前世では縁があった感じだったのですが。
今度からは行きも帰りも谷瀬ルートにする事にします。(笑)
3.蜻蛉(せいれい)の滝
紀伊の山道を出たところ、吉野の手前辺り川上村。
そこにあるのが、蜻蛉(せいれい)の滝です。
国道よりちょっと中に入った所にあります。
21代雄略天皇がここで狩猟をしていた際、虻(アブ)が肘に食いつき、それを救った蜻蛉(トンボ)を気に入り、この地を蜻蛉の滝と命名したそうです。
高さ約50メートル程です。
ここの滝は上・中・下から見る事ができました。
上から見た所です。
次は中ほどから上を見た所。
中程から下を見た所。
自然公園の端の方にこの滝がありました。
とても綺麗でした。
4.京都に向う途中
この後、京都に向って帰る道中ですが、謎の頭痛に襲われました。
その頭痛の度合いでピーンと来たのですね。
前世でも同じ事している。
奈良から京都に向って進んでいる。
これはどうも壬申の乱の時の前世だったようです。
この時は漠然とだけですが、詳細は後から判る事になります。
参考:前世歴史探訪 その3.壬申の乱672年(前編)始まりは兄弟の対立
飛鳥の方向から京都へ向った前世があったのです。
この時、自身は天河村にいたようです。
どうも朝廷側軍に戦いを挑んだようで、30歳位で亡くなっています。
この時には、そこまで具体性が判りませんでしたが、壬申の乱を解いていた時にこの意味が判ったのでした。
5.奈良・熊野の旅(2019年7月28日ー30日) まとめ
この時の旅は、僅か3日でしたが、前世が4つも判り、またそれぞれの地で、前世の歴史背景が判ったり、場所によってはデジャブもありましたね。
内容が濃すぎる旅行でした。
行基の墓から行基さんの事が判ってきたり、法隆寺ではそこで前世があった事が判ったり、箸墓古墳、大神神社では景行天皇の母の事が判ったり、崇神天皇、ヒミコの関係が判ったり。
熊野本宮大社は自身の前世が2つもあったり、奈良~紀伊の神社ではあちこちで、崇神天皇が関わっている事もよく判りました。
後、自然がとても綺麗で癒されましたね。
普段街中に住んでいますので、自然から受取るエネルギーは本当に貴重です。
また、機会があれば行きたいと思っています。
今回の旅行は、結構直前2週間程前に急に行きたくなり、計画を立て行きました。
もし、急に行きたくなった場合。
そういった場合には是非、行ってみてくださいね。
自身の謎解きが待っているかもしれません。