前世の旅 奈良 熊野 ⑬ 熊野那智大社 神仏習合が昔からあった地

前世の旅 奈良 熊野 2019年7月28日-30日

熊野速玉大社に参拝した後、昼食を取り、その後熊野那智大社に向かいます。

熊野速玉大社より1時間弱程かかりました。

熊野地図3

ちょっと山の中に入ります。

この地には神武天皇も立ち寄った場所の1つであります。
また、その後修剣道者が聖地としたという事です。

熊野那智大社は、那智の滝からまだかなり奥の方にあります。

800円で、車で入る事ができすぐ本殿に行けますが、麓に車を止めて歩くとかなりの距離になります。修剣道をちょっと体感できる感じですね。

面白いので麓に止め本殿に向かいました。

1.熊野那智大社

車を坂の麓に止め、とにかく、坂を上がります。

坂を登るとまた坂。
さすが修剣道で栄えた所です。

石の階段は何度も続きます。
そして、鳥居の向こうには、熊野那智大社があります。

【熊野那智大社本殿】

熊野那智大社の境内です。
建物は新しいですね。

 

【御縣彦社(みあがたひこしゃ)】

本殿左手に御縣彦社があります。ここでは、八咫烏が祀られています。どちらかと言えば、私はこちらに力を感じました。

神武天皇は八咫烏に導かれてここに来ましたが、どうもそれは那智の滝の方ですね。

実は、この大社よりその隣にあったお寺の方が気になったのです。

2.青岸渡寺

【青岸渡寺】

そのすぐ隣に古いお寺があります。青岸渡寺と呼ばれていますが、その歴史はとても長いようです。

一応、豊臣秀吉の時代に再建したものという事でしたが、このお寺の木材自体相当古く、前にあったものをそのまま使っているのでは?と思いました。

看板を見てみますと、仁徳天皇の頃(313-399年)、インドより、裸形上人より、熊野の地に開基したとされる。とあります。

話としては伝承の話だそうですが、どうも、このお寺がかなり古い歴史があるのは間違いありません。繋がったところでも、確かにその頃にここで開基した事には間違いなさそうです。

仏教はもっと前から伝来していた?

それより、ここに来て私が驚いた事。
これって、仏教では?と思ったのですね。

そもそもこの寺自体、修剣道系なのは間違いなく、これってどう考えても禅宗系仏教にしか思えなかったのです。

という事は仏教伝来はもっと前からあった。

という事がここから判ったのです。

実は、このような感じで、日本ではこの地以外にも、開基した仏教の教えはあったようなのです。

当時の日本の宗教と言えば、八百万の神の自然信仰が元で、その後神武天皇以降、神道と和合したのだと思っていますが、仏教も紀元後300年~400年頃。この段階では、もう既に日本には入ってきたようなのです。

ですが、当時恐らく仏教はマイナーな宗教だったのだと思います。

実は、仏教伝来って538年説や552年説がありますがそれは公になったという時期のようですね。
その後、既存にあった宗教を聖徳大志、蘇我氏達によって広めたという流れになったようなのです。

しかも、彼らは神仏習合意識が高かったのだと見ています。

で、その後、国家神道派の物部氏や中臣氏によって反対され、大化の改新に繋がるのですね。

ちょっと期間を空けて、前世の旅を書く事になったのは、神仏習合、それから大化の改新への流れを理解する為だったようです。

ちなみに、青岸渡寺からは、那智の滝が見えました。
この後には那智の滝を目指します。

3.那智の滝

那智の滝です。

神武天皇が、その昔、この滝を神と祀られ、ご神体とされたそうです。

直下133メートル。
幅は13メートル。
滝つぼの深さは10メートルだそうです。

熊野御幸では、宇多天皇初め、多くの方がここに来られたようです。

修剣道の道場ともなったようです。


確かに壮大ですね。
滝の傍にも神社があります。

清清しい気持ちになります。

ここに神武天皇が来たのも間違いなさそうです。

4.帰り道

 

帰り道です。
緑が綺麗。

ちなみに沿岸を通って帰りました。
海が綺麗。

昔の人々も、山、海、川と自然を見ながら巡っていたのだと思います。

5.まとめ

この日はこれで終わりました。

もし間に合えば、熊野本宮大社の宝物殿に行こうと思いましたが、到着が丁度閉まった後で、結局翌朝にすることにしました。

1日で熊野本宮大社、玉置神社、熊野速玉神社、熊野那智大社を廻るのは、早朝出発してもかなりギリギリですので、2回に分けて廻ってもよいかもしれません。

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