前世の旅 奈良 熊野 ⑤ 箸墓古墳 卑弥呼の墓は本当なのか

箸墓古墳2前世の旅 奈良 熊野 2019年7月28日-30日

さて法隆寺に行った次は箸墓古墳です。

その前に景行天皇稜にも寄りました。法隆寺よりここまで、車、下道で約30分程。
また箸墓古墳の西側周辺2km圏には纒向古墳群、たくさんの古墳群があります。

その関係性もかなり判ってきました。

京都-熊野の地図5

1.景行天皇稜 (渋谷向山古墳)

まず最初に行ったところが景行天皇稜。(別名:渋谷向山古墳、しぶたにむかいやまこふん)

ここでは、思い出が出てくるのですが、頭が痛いのです。

【景行天皇稜】

良い事ならいくらでも書けるのですが、ちょっとここでは止めておきます。
天皇さんですし。

さて、景行天皇は現在の史実では12代天皇です。
卑弥呼の時代に比べますとそれよりやや後になりますね。

景行天皇は古事記に出てきております。
子にはヤマトタケルノミコトがいます
側室は70名とも言われ、その子は80名という記載があります。
これは古事記にある記載ですが、実際におおむねその通りですね。

古事記は、時の霊能者さんが過去の記憶を呼び起こしたり、過去にアクセスしたりで記載した歴史書だと思っていますが、直接その過去の人達にご縁があった訳でもないのに相当正確です。すごい。

古事記を編纂した人。恐らくながらその時代の大霊能者、もしくは高位陰陽師でしょうね。
(恐らく、蔵人所陰陽師、※天皇直属の最高位陰陽師のことです)

この景行天皇稜、位置的には箸墓古墳のほぼ真北。僅か3km程位のところにあります。
実は箸墓古墳と景行天皇は関係性がありそうな雰囲気ですね。

2.纒向古墳群(まきむくこふんぐん、箸墓古墳に行くまで)

景行天皇稜から箸墓古墳まで、距離にして3km無いところにありますが、その周辺にはたくさんの古墳群があります。
箸墓古墳から見ますと、西北側になりますが、どうも卑弥呼の秘密を解くには重要のようです。

全部で3箇所行ってきました。

Ⅰ.纒向勝山古墳(まきむくかつやまこふん)

まず1つ目が纒向勝山古墳です。

纒向勝山古墳1

南に小学校がありますが、その北側です。

纒向勝山古墳2【纒向勝山古墳】

もう形状は崩れていますが、前方後円墳です。全長は115メートルと大きいですね。

ここで面白いのですが、板材部分が西暦210年頃、土器が300年頃です。
卑弥呼が居たのは実際には250年よりちょっと前です。

この関係性をちょっと述べてみましょう。

実は、箸墓古墳とは、卑弥呼が居た地です。
そこには、元々、お宮がありました。
そこを本拠にしていたようです。

ところが、250年頃とある事件が起きます。
それは卑弥呼神隠し事件です。
ある日突然、消えてしまったのです。

それが原因でその後、お宮のあった場所が箸墓古墳となるのです。

卑弥呼は当時、多大なる畏敬の念は持たれていました。ですからそのまま、そのお宮がお墓になってもおかしくはないのです。ですが、その事件の経緯は多くの人は知っていましたし、時の権力者も知っています。

実はこの木材はその時のお宮のものです。
お亡くなりになった訳でもなく、神隠しだから、そのお宮の木材は移動してもよいという所でしょう。

時の権力者は喜んで箸墓古墳の場所にあったお宮の部材を使い、この地に運んできたのでした。
それが纒向勝山古墳なのですね。

ちなみに埋葬者は景行天皇の母親の兄弟ですね。

Ⅱ.纒向矢塚古墳(まきむくやづかこふん)

2つ目に回ったのが纒向矢塚古墳です。
3つある古墳でも一番小さいですね。と言っても全長96メートル。

纒向矢塚古墳1
丁度、先述した小学校の西側になります。

纒向矢塚古墳2【纒向矢塚古墳】

これがその古墳です。竹やぶ化しています。
ただし、この古墳は、卑弥呼神かくし事件とほぼ同時期に作られたものですね。
卑弥呼とは直接関係性が薄いと見てます。

埋葬者は景行天皇の母の母のようです。

Ⅲ.東田大塚古墳(ひがいだおおつかこふん)

3つ目は東田大塚古墳です。全長120mと大きいです。

東田大塚古墳1

先述した小学校からちょっと南に行きます。

東田大塚古墳2【東田大塚古墳】

これも勝山古墳と関係ありそうです。
埋葬者は景行天皇の母の兄弟ですね。

この3つの古墳の成立順は

1.纒向矢塚古墳
2.東田大塚古墳
3.纒向勝山古墳

意外にも勝山古墳が一番新しい。

このようにこの当時の権力者は景行天皇の母です。

垂仁天皇(11代天皇)の皇后のようですが、私的には何か景行天皇の母の方がしっくりくるので、こう書きました。
また実質的に権限があったのもこの人のようですね。

さて、この3つのお墓の後に箸墓古墳に行きました。

3.箸墓古墳

さて、最後に向ったのが、箸墓古墳です。
遠方からでもとても綺麗です。
やっぱり波動高いですね。

箸墓古墳1【遠方からの箸墓古墳】

続いて近くまで行ってみました。

箸墓古墳2【箸墓古墳 北側より】

うーん、近くに来ますとさらに綺麗です。

箸墓古墳3【箸墓古墳 北東より】

これは北東からの箸墓古墳ですね。

実際に行ってみると判ると思いますが、この古墳群の中でもダントツにパワーがあります。
この後行く大神神社も良いですが、この界隈ではno.1パワースポットでは?とも思います。
(2019年8月段階では)

それでは、実際に入れる場所、正面口はどこ?という感じで周ってみました。

すると、南側にその入り口があります。

箸墓古墳4

実際に入って行きますと、宮内庁の管轄の看板がありました。

箸墓古墳5【箸墓古墳、宮内庁管轄】

ここで行き止まりでした。残念。中には入れず。(当たり前か)

それにしても気の良い所ですね。

そもそもこの場所を卑弥呼は本拠(と言ってもそんな長居していない)としてお宮があったようなのです。(と言ってもそれ程大きなお宮という訳でもなさそう)

その後、神隠し事件が起こり、この地が空白地になった。

で、そのままその後、時の権力者が自然とこの地の責任者になったよう。
その後この場所をお墓に変えたようです。
それが景行天皇の母なのですね。結果的には皇室領です。ですから宮内庁管轄は正しいですね。

この真北3km弱の所に景行天皇稜があるのです。
この箸墓古墳を作った後の話ですね。

周辺の古墳もそうです。
この流れはある意味自然なんですね。

この界隈の古墳群のスタートは景行天皇の母と見ています。

しかし、卑弥呼の墓がどこか明確に書いている書が無い事は非常に正しいですね。
神隠しが正しいので。
地球上で探してみてもどこにも無いでしょう。

さて、この次に行ったのは大神神社です。

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