前世療法体験談 vol.16 形よりも思い 応仁の乱京都

前世療法体験談-ゆう斎が受けた前世療法

今回は、応仁の乱の時の前世です。

私の前世の46%程が日本ですが、戦国時代の手前にあたる時の前世です。

戦国時代で一番乱れた時代。
それが応仁の乱です。

西軍と東軍に分かれて戦いましたが、実際の所はもっと酷く、内輪揉めもかなりあった時代です。

1467年~1477年とありますが、実際には1462年辺り~本格的に始まり、1475年位には大体終わったようです。

この前世も、今後の広がりという点では非常に重要なものでした。

1.痛む場所

右肩首の裏側。
この場所は戦いに絡む事が殆どのようです。

転生回数は363回目。
1回目は2019年5月9日、2回目は5月14日に受けています。

2.状況

いざ、戦いが始まるという時に、味方から首を跳ねられ命を落とすという状況です。享年39歳。

戦いでは、敵にやられる前に味方によってやられる事もかなり多いです。

私の場合は、この謀反。
裏切り系は本当に多いですね。

3.実際にした会話

この時、前世の彼は、軍を主導して戦う立場にあったようです。

首を跳ねたのは、戦いの参謀役の人です。
その参謀役は事前に相手と密通していたのでしょう。

前世の彼は、最初はやり方が卑劣だと怒りで一杯でした。

「武士たる者、主君に従うのが絶対的だ。」

という考え方がかなり染みこんでいました。

しかし、私には怒りが全く湧きません。
むしろ、前世の自分が判っていないのでは?と思いました。

Ⅰ.裏切った参謀役は能力が高かった

まず、この話を聞いた時、第一感で思ったのですが、
首を跳ねた相手の人。
能力が前世の彼より全然上だと思ったのです。

ちなみにその方の転生回数は700回越え。
彼も後の転生では、戦国大名として、実は、九州大友氏の家臣として活躍する存在の人ですね。

この時、経験、知恵。戦略。一通り彼の方が上でした。
となると、前世の私に対して、不満を持って当たり前だと思います。

Ⅱ.前世の自分は、形にこだわりすぎた

「彼の能力は高いですか?」
「ああ」

「では、彼無くして戦いを挑む事はできましたか?」
「それは、できない。やっぱり彼の能力は高く、彼なしでは機能しない」

「彼は満足していましたか?」
「できる限りの事は尽くしているし、不満は無いと思う」

「彼は本心を言える雰囲気でしたか」
「主君を裏切るような雰囲気を出すわけにはいかない」

つまり、どうしても彼の中では主君が絶対という価値観があったのです。

良く言えば、忠誠心が厚いのですが、悪く言えば、融通が効かないともいえます。

ただし、日々の行いで、自分があまりにも至らないですとか、酷い事を日々したから、裏切られた感じではありません。

Ⅲ.参謀役の考えは、非常に正しかった

自分達が最後に戦ったその相手とは、器も経験も度量も、心も。
全面的に自分の軍より上でした。

また、この時自軍もいい所まで行っているのですが、途中より敗勢になっており、攻めればお互いの傷がさらに深まるだけ。のようでした。

裏切った彼は相手側の方が有利だから、という事もあるかもしれませんが、それが総合的に、一番良い選択だからそうしたのでは?つまり、

裏切ったのは、結局多くの者を救うため。
彼にはそういった発想があったのでしょう。

もっと後に転生した自分なら、そうも思ったと思いますが、この時はまだこの発想ができていません。

Ⅳ.そこでした提案

「一旦相手を形上は裏切る方が、最終的には救う事にはならないか?」

「主君を本当に守るのであれば、あえて敵側に付き、降伏させる方が結局は守る事にはならないか?しかも多くの者まで」

という事をこの時伝えました。

すると彼は納得したのです。

確かに形にこだわるのではなく、思いの方が先。
というのを、理解したようなのです。

裏切りって一般的に聞こえはよくありませんが、またその全てが良くない事も多いですが、本当に救うなら、形は裏切るというのも全然ありなのです。

それは良い思いが、先にあるからなのです。

形よりまず思い。

また、愛のある裏切り。

それが理解し合えるのであれば、無駄に人を亡くす事も無いですし、戦わずに済むのです。せいぜい戦争ごっこで終わります。(それって裏切りでも何でもなく、単に愛だとも思うんですが)

もし、事前のこのことが判っているのであれば、恐らく謀反で命を落とす事もなかったでしょうし、恐らく、多くの人ももっと早い段階で助かっていたでしょう。

この時、首から痛みが抜けたのでした。

4.後から判った事

Ⅰ.自身の流れについて

この前世では出雲出身。
DNA的3次元因果から見ると、この時の前世では味方軍に敵が多いので大変ですが、これも1つ宿命的ですね。

ですから、彼もずっと我慢し続けてきた感じです。

彼の中では、忠誠心が価値観の基軸として1つ重要だったようです。

ですが、どうも思考に柔軟性を無くしてしまっています。
時代背景もありますが、周囲の人達も含め、思考の強要が多かったのでしょう。
これは、前世因果的にもどうしても仕方ないですね。

この辺りは少しかわいそうなのですが、それでも最後には納得したので、良かったと思っています。本当はもっと事前に判っていれば命を落とさずに済んでいますけどね。

Ⅱ.実際の戦いについて

この時は大内正弘家の家臣だったようです。
大内家は応仁の乱の前半では、京都に乗り込み良い線まで行きますが、その後西軍の都合により戦力分散する事になります。

で、その後東軍の細川家が全面的に能力が高いのですね。
途中から大内家含む西軍は敗勢に周ります。

応仁の乱の記述は謎が多いのですが、大雑把にはこのような感じでした。

後、この応仁の乱では、戦い以前に、謀反が本当に多いようでしたね。

Ⅲ.実は、織田信長もこの時代に関わっている

この話は、前世歴史探訪の方がよいかと思いましたが、ここでする事にしました。
流れ的にはここで言った方がよいとの事なので。

織田信長は本能寺の変を実行後、生きている事が豊臣秀吉にばれたのが、千利休事件の時でした。(1591年)
参考:前世歴史探訪 その6.千利休事件1591年 豊臣秀吉を動かした真相

その時に、実は応仁の乱の時代に飛ぶ事になったようです。
時代は1462年。

そして10年後1472年。
元の時代より10年経過した所に戻ります。(1601年)
で、その後、徳川家康、天海上人、等で幕府を創り、愛の書き換えをしていくのですね。

恐らくですが、この1591年~1601年の乱れ=1462年~1472年の乱れと対応しているようなのです。

ポイントは一休さん。(この方の未来世はとある聖人です、前世も有名な作家、哲学者等あります)この方と組んで、足利家に大きな働きをしたそう。そして乱れを抑えたようです。

それから重要な点は南朝ですね。
こちらにも働きかけたようです。
やっぱり熊野は重要なのですね。

この時に織田信長は、応仁の乱を替えていく一方で、戦国末期のサポートもしていたようなのです。

彼は、2重に歴史を書き換えました。
どちらも、愛の書き換えです。

現在、史実に残っている内容より、応仁の乱は、その実態は、とんでもなく乱れていたようです。

ちなみに織田信長は時空間テレポートは狙ってしたものではありません。
超おおがかりな6次元能力だったのです。

5.まとめ

今回は、形よりも思いの方が重要という内容でした。

ちなみに1591年~1601年の乱れの型は歴史ではたくさんあります。

織田信長が飛んだ1462年~1472年の応仁の乱。
もそうですが、遡ると、663年~672年の壬申の乱。
前九年の役後の源平の争い1062年~約10年。(史実にはあんまり残ってませんが)
明治維新の1854年~1868年。(正念場は後半の10年でしょう)

784年~794年の長岡京を巡っての乱れ。
1180年~1192年辺りまでの源平の乱れ。
1591年~1600年辺りの関が原までの乱れ。
1991年~2000年辺りにも乱れがあったのでしょうね。(史実にも僅かに形にありますが、1995年辺りかなり危険でした)

このように、判り易く大体400年周期で起こっています。

そして乱れの期間は約10年。
これも不思議なくらい一律です。

本当に重要なのは、10年単位での向こう30年

法則崩れのようですが、実は1991年~2000年以降を終えた後は、10年サイクルで乱れが続いているようなのです。

釈迦の言う末法の世ですね。

2001年以降、実はこれまでの乱れを象徴化させていく時代のようなのです。

2001年~2010年が第1期
(9.11に始まり、イラク戦争、金融仕組み債蔓延、リーマンショック)

2011年~2020年が第2期
(3.11に始まり、金融緩和で金銭価値低下、天変地異の始まり、内乱増加、国家間も緊張が進む)

2021年~2030年が第3期
(未定)

2031年~2040年が第4期
(未定)

そして、地球を巻き込む最後の正念場が
2041年~2050年。です。

また、これから重要になるのが、

形より思い。

つまり、愛の循環。

いよいよ、本格的に求めれらる時代になると見ています。

この辺りについても、そろそろお伝えしなくてはならない時に来ているようです。

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