前世歴史探訪 その13.羽柴秀吉、明智光秀の関係性

前世歴史探訪

本当の史実を読み解く上で重要な事。

何よりも、その人達の気質。人柄。後は本当の関係性ですね。
まずここが重要です。

その源は何なのか、と言えば感情部分です。
(好き、嫌いに始まり、尊敬する、仲間意識、等)
これらを見抜くのが一番間違い無いと思っています。

誰でもそうなのですが、現世に強く出てくるのは前世の記憶の感情の部分です。
しかも、輪廻転生長く続いているものはなおさら強くなりがちです。

ですから、史実を読み解く時は、やはり感情部分が重要なのですね。

で、戦国時代の謎を解く上で、どこを知れば話がわかりやすくなるかと考えてみたのですが、一番良いと思ったのは、明智光秀と羽柴秀吉の関係性(今回はあえて豊臣でなく羽柴にします、本能寺の変までが重要なので)ですね。

ここを判っておけば、戦国で多くの部分で謎が解けてくると見ています。

1.二人は犬猿の仲

羽柴秀吉、明智光秀はずっと、犬猿の仲でした。

ここが一番のポイントですね。

1576年頃、織田信長はこの2人を重要指揮官の位置付けで京都に置きます。

ですが、明智光秀はこの事にやっぱり、不満を覚えます。
彼からすると、秀吉のスマートさが無く、強引すぎる戦略が嫌いだったようです。

一方、羽柴秀吉は、いつか光秀を隙あらば謀略に嵌めようとしていました。
彼は光秀のスマートなところや、事を上手く運びすぎる事。
前提からひっくり返す所の謀略の上手さが嫌いだったようです。

織田信長は霊的覚醒が一番早く、この2人が全国統一には前世の関係からも、1つ問題になるであろう事を誰よりも早く判っていたようです。

だからこそ、当初はこの2人を同じ場所に置き、そして仲を修復させようとしたのが狙いだったのですね。
(結果、その狙いは、最後まで上手くいきませんでしたが。そこで出た案があの本能寺の変です。)

2.2人の共通点、相違点

2人とも謀略が非常に上手です。

悪く言えば騙すのが上手。
話術は双方引けを取りません。

光秀の方は、そもそも話の創作が上手で、しかもそれが本当のように振る舞うのが天才的なのです。

無い事を有る事に思わせる事が上手。ちょっとこれが真似できるものではありません。

普通、無い事を有るように言ってもばれてしまうものですが、しかしそれらしい話に作るのが本当に上手なのです。多くの者はそれを鵜呑みにするのですね。

ですが、結果、後から見ると、光秀の話は整合性の無い話が多いのです。殆どが創作ですから。

一方、秀吉は、人心掌握が得意。心理の読み解きが得意。
相手の心理を読み取り、そこから反応する話を作っていく感じです。

また、秀吉の場合、創作で終わらず、実際に事実を後付けで、事実化していく事が多いのです。
ですから、後から見てみると話に整合性があったり、理解できる話が多いのですね。

例えで言えば、

光秀は、天才型嘘つき精霊。
秀吉は、人心掌握型妖怪。

という感じです。

実際、光秀はスマートで、智の部分が先行型でしたし、秀吉は泥臭く、愛が先行型でもありました。

同じ謀略家と言ってもタイプは全然違うのです。

3.敵対の型もずっと同じ

彼らも例外なく、動物時代の前世より犬猿の仲が続いていました。

実はこれ、三国史時代でも同じなのです。

三国史と戦国時代、この2人は、生まれの型からも同じです。
光秀は天帝の血を引いていましたし、秀吉は天帝の血が憧れでした。

そして対立する。という型です。

明智光秀は、実は天帝の事をそれ程好きではないし、興味もありません。
天帝の世界が如何にドロドロで、争いの絶えない世界であったかを身を持って知っていた事もあります。
彼曰く、そんなイメージ程、良いもんでは無いですよ。という感じでしょうか。

一方、秀吉にとっては天帝は前世よりずっとあこがれの存在でもあったのです。

三国志時代も、良い所まで行っていますが、長続きしませんでした。
戦国時代では、実際に、本能寺の変後、関白となり、その念願はかなったのです。
しかし、一族の繁栄することは無く、やはり長くは続きませんでした。

4.明智光秀は明智家の子孫ではない

明智光秀の出生地の説は三重、滋賀、岐阜にかけて12程あるそうです。
彼の無い話を作る能力は、その跡がしっかり残されています。

実は、どれも全てダミー話なのです。

斉藤家仕官までの光秀 参考前世療法体験談 vol.10 戦国時代京都 読み解きを求めてきた前世

Ⅰ.出生地がたくさんある理由

何故このような話をたくさん作ったのか。それは、

自身が天帝の血を引いている事を、知られない為。

中でも、特に秀吉には知られたくなかったのですね。

ダミー話をたくさん作った最大の理由がこれなのです。
(ちなみに実は、前世での関係性、三国史の時でも同じようなのです。)

ですが、これも後年ばれてしまいます。
それが、本能寺の変の頃なのです。

もし光秀が、天帝の血を引いていた事が判っていたら、前世の関係から見ると、恨みと嫉妬で、早々に謀反をたて命を奪いにかかったと見ています。

長年、明智姓で秀吉の前には居ましたが、遂に自分の元々の姓が天帝と関係ある事がばれてしまった。
(何かの機会で、京都で母親と会ったからのようです)

この事も、あの本能寺の変を起こした要因の1つでもあるようです。タイミングという点ですね。
もうこの頃、明智光秀と羽柴秀吉の敵対関係はピークだったかもしれません。

また、出生の地がたくさんある理由2つ目は。

責任を集中させない為という事もありますね。もし謀略とばれてしまったら、その地、その一族にも迷惑がかかるからです。

ですから、様々な伝説があちらこちらにあるのです。
そして、それは、全て創作なのです。

Ⅱ.明智姓を選んだ理由

斉藤道山に仕えていた頃、皇室絡みである事を隠す為、姓名を変える必要性がありました。

その当時仲の良かった家臣。そこから明智姓を拝借したようです。

後、光秀にとって、実際のご先祖様も共通するようでした。

明智家のご先祖様は、土岐家、その昔は賀茂家なのですが、明智家と実際の光秀のご先祖様は土岐家より以前は共通するのです。

明智家は土岐家の支族になります。

また、明智家の者とは、光秀だけでなく、後年、秀吉にとっても仲が良かったようです。

秀吉は、若い頃より明智家とはそれなりにずっと仲が良かったのです。(光秀を除いて)
秀吉は明智家が支族が故の苦渋を知っていますから、肩入れしている部分もあったように思います。

若い頃、合わない2人を明智家の家臣が仲介してくれていた感じです。

Ⅲ.明智光秀、本当の姓とは

ですから、実は明智光秀の生まれの姓の一族は、本能寺の変後、落ち武者一族として散り散りになりました。

生き延びた者の多くは、丹後~山陰にかけて逃れたのです。
(その姓の者は現在でも1500名程存在しているようです)

こういった事も事前に計画していたので、光秀は山科の方に居た(山陰と逆方向)とか、そういった話になっているのです。

多くは丹後~山陰にかけ逃れましたが、一部の者は、山崎の戦いの時に秀吉に投降したのです。
ですが、投降した者は、戦いの後、全て打ち首になっています。

そうなのです。

本当に生まれ持って明智光秀が明智姓であれば、本能寺の変後、明智家は秀吉によって滅亡させられているはずなのです。

秀吉の気質が判っていれば、このような事は当たり前なのですね。

しかし、実際には明智家はそうにはならなかった。
むしろどちらかと言えば、裏切り者の一族のはずなのに、現実的には厚遇だった部類のはずなのですね。

また光秀の生まれを知った時、秀吉にとっては、何か腑に落ちたのではないでしょうか。
光秀だけが明智家とは関係がなかったことを。

あれだけの人物でありながら、出生地が複数ある、出生が不明。
整合性が無い事自体にも実はこういった理由があるのです。

ちなみに光秀の本当の生まれの姓の者達は、戦国期にはそれなりに有力な力を持っていたのですが、本能寺の変後、表から一切名を消します。

完全な落ち武者です。

しかも、秀吉が生きている間は全国指名手配のような感じですから、その時は別姓を名乗っていたとか、それは違う流れの●●だから関係無いとか。もう必死だったようです。

また、皇族の傍にいた彼らも、本能寺の変後一斉に打ち首になったようです。
表向き、位がそれなりにあった者はどうも全滅のようでした。

相当大変な思いをしたようですね。

このようにして、実際の一族は表向き滅亡したのです。

戦国時代では消された姓だったのですね。

光秀もこの事だけが心残りだったと思いますが、全ての真相を言ってしまっては、全国統一の悲願も実現できません。

このように、彼なりには本能寺の変の際、最善を尽くしているのですが、全国統一の為には仕方が無かったと見ています。

5.まとめ

このように、明智光秀と羽柴秀吉はずっと犬猿の仲でした。

それはやっぱり史実にも形として出てくるのですね。

特に明智光秀が必要以上に謎が多い点。

表向き不都合だったからという事もありますが、秀吉との関係性が一番影響を与えていたのだと思っております。

もし、この二人が本能寺の変より前に、打ち解け合っていれば、戦国時代も平和な終わり方をしたと思うのですが・・・。

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