熊野本宮大社から戻った後、一旦朝食を取り、次は玉置神社に向かいました。
玉置神社、実は、私が普段お世話になっている前世ヒーリングの先生にお勧めしてもらった神社なのです。
そう言えば、前世ヒーリングの先生は2019年6月にこの玉置神社に行って来たという事でしたし、熊野本宮大社に過去世でご縁の深い先生も私が行く2週間前に訪れていたのです。何か2週間おきに行く感じだったのです。
お二人とも熊野本宮大社にも寄られましたが、この玉置神社にも寄られたという事で。
熊野大社3社と玉置神社を1日で廻るのは結構しんどい。とも言っておられたので、この玉置神社は少し覚悟していました。
地図だけ見ると大した事なさそうに見えるんですけどね。
しかし・・・高さに関してはこれはナビにも出ないので判らないんですね。いやー大変でした。
1.玉置神社までの道のり
出発してから十津川方面に向う形で出発。昨日夜に通った道でもあります。景色は非常に綺麗。
途中にあった滝です。ここも綺麗です。
さて、川を渡り、玉置神社に向うのですが、標高1000メートル程。
しかも結構、急な坂道です。
滅茶苦茶高い。
車が1台しか通れない場所も。途中ガードレールも無い道も。
出会いがあったらどうしようと思いました。
私は高所恐怖症なので、時速10km程のノロノロ運転で。殆ど車は通りませんが、崖から落ちないよう反対側車線にしっかり入って運転していました。暑い夏なのに凍り付く思いでしたね。
すいません、途中の道の写真も取ればよかったのですが、精神的に写真取る余裕がありません。(笑)
ハンドルを固まりながら手に汗握りふもとから登る事約30分。
ようやく玉置神社に到着です。
2.境内に入る
地図にあるとおりですが、入り口の鳥居から本殿まで歩いて約20分くらい。
かなり距離があります。玉置神社は世界遺産でもあるのですね。
入り口にあった石碑です。
鳥居はこのような感じです。
神域の為、中の撮影はしていません。
詳細はホームページよりどうぞ
玉置神社
実際中に入りますと空間がやはり変わります。
途中樹齢の長い巨大な杉がたくさんあります。
途中、坂があったり、細い道になったりでしたが、恐らく修剣道者が過去通ってきた道に思えます。
車での運転は本当に怖かったのですが、修剣道として歩くのは丁度良いです。
この地は説明にも有ります通り、熊野三社(熊野本宮大社・熊野速玉神社・熊野那智大社)の奥の院の存在のようです。
神武天皇が立ち寄った場所とされていますが、実際に立ち寄っていますし、やはり本格的に神社としてこの地を奉ったのは第十代崇神天皇です。
後、気になったのが、この辺りでどうやって社務所や本殿を建てたのかという事です。
木材運ぶの大変ですし。恐らくこの近くで伐採したと思われますが。ここに社を建てるには、かなりの権力があったのでは?と推測されますが・・・というのが普通の話になるのでしょうけれども、実はちょっと違うみたいですね。
また、ちょっと気になったのが取水所の水が枯れていた事です。
かなり気になります。日本の気を現してるのでは?とも思いました。地震エネルギーが溜まりに溜まっている。
だから水が無くなったのでは?と思ったのです。
その反動もあったのだと思うのですが、実際2019年秋の水害は酷かったですし。
そして、調べている内に記憶が1つ蘇りました。
重要な神域 玉石社
玉石社は本殿の奥を5分程、登った所にあります。
ここが本当の神域なのでしょう。宝が眠っているとされています。
第十代崇神天皇はどうも7次元を操る高次元シャーマンだったようです。天皇でありながら巫女でもあったのです。
時空間を操ることができたのです。どうも百襲姫亡き後、ここに来たようです。また、卑弥呼も来たようですね。
やはりですが、この辺りに社殿を建てようとしますと、現代の力学で考えればかなりの負担になります。崇神天皇はそれなりに権力者でしたが、果たして木材を運ばせてこの地に神社を作ったのでしょうか?
実はどうも時空間テレポートによって、この神社を作ったのでは?と思うのですね。
山の形状からしても、木材を運ばせたりするのは非常に困難。急な傾斜が続くのです。かと言って木材を切って作ったにしては樹齢が2000年以上の杉がそのまま、たくさん残っていますし。何か不自然なのです。
後ひょっとしてですが、山を登ったというより、時空間テレポートでこの地に来たのでは?とも思うのですね。卑弥呼も一緒でしたし。
この神社では、どうも第十代崇神天皇が恐らく日本の混乱を建て直す為、疫病を治める為、様々な意味を込めこの地に神社を建てたようです。
以降、中世の頃を中心にたくさんの天皇がここに立ち寄っていますね。
また、明治時代の廃寺政策の一環で大社教となりましたが、恐らくそれ以降日本の流れが大きく変わったのだと思います。詳しく調べていませんが、この頃、この玉置神社にも何か変化があったかもしれませんね。(推測)
さて、玉置神社はしっかり廻りますとこれだけで1時間はゆうにかかります。私は1時間30分程いました。
3.帰り道
行きは十津川方面から来て、とても怖かったので帰りは違う道を取る事にしました。
その前に玉置山頂上近くの展望台です。
景色は抜群に綺麗です。
反対側の道は行きの道に比べると怖さは少しましでしたが、それでも怖い怖い。
ふもとに来た時は本当にほっこりしました。無事でよかった。
その勢いで瀞峡まで行きました。カヌーしている人がたくさんいます。
記憶が蘇ったのは帰ってからですね。それでもやはり玉置神社。重要な神社には違いありません。
どうも、この一帯を本格的に神道として祀ったのは第十代崇神天皇なんですね。
奈良~熊野にかけ、神道を普及させたようなのです。それも卑弥呼と一緒のようですね。
宿を出発したのは8:30でしたが、ふもとの瀞峡に到着した時は11:40頃。
次は熊野速玉神社です。瀞峡からまた1時間くらいの所です。