2020-02

前世歴史探訪

前世歴史探訪 その11.西日本統一1588年 足利義昭、影の協力者

足利義昭は京を追放後、毛利家の元備後、鞆で幕府を起こします。和睦や停戦、上洛と様々な命を出しますが、全て織田信長と組んだ上の事だったのです。こうして、西日本最難関、毛利家を制し、西日本統一を無事平和に果たす事になります。
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前世歴史探訪 その10.信長上洛1573年 協力、演技で平和へ導く

1568年信長が上洛してから、近畿の争いが無くなるまでの5年間の話。この時、史実とは違い、足利義昭は間接的に大きな影響を与えています。信長包囲網は実は浅井包囲網だったのです。この時以降、近畿は平和の流れになっていきます。
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前世歴史探訪 その9.信長上洛1568年 無血での上洛

1565年、足利義輝亡き後、京都は混乱に陥ります。その際、足利義昭は織田信長を頼る事となります。実際に上洛は浅井長政と共にする事で無血で成功する事となります。その後、浅井長政と織田信長は敵対しますが、足利義昭はうまくとりまとめます。
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前世歴史探訪 その8.本能寺の変1582年 願いは愛の日本統一(後編)

織田信長・明智光秀は本能寺の変を起こす前に西日本諸大名と、鉄砲の提供を元に傘下・協力を要請していきます。そして、タイミングが揃ったのが1582年なのです。信長公は自身で本能寺に火を点け船から逃げ、光秀は逃亡前提で山陰に軍を進めます。
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前世歴史探訪 その7.本能寺の変1582年 願いは愛の日本統一(前編)

本能寺の変の真相は未だに明らかにされていません。織田信長、明智光秀はサイキック能力を伸ばし、未来を予測した結果。どうしても変えられないのが、秀吉の謀反でした。日本統一までの最善の方法、それは秀吉の思いに乗じる事だったのです。
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前世歴史探訪 その6.千利休事件1591年 豊臣秀吉を動かした真相

豊臣秀吉は、本能寺の変後、着々と日本統一を進めます。そして、謎の事件。千利休事件が起きます。その真相は、千利休の予知が変わってしまった。その原因が、生きていた織田信長、明智光秀。が関係していた。という事が判ったからなのです。
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前世歴史探訪 その5.関が原の戦い1600年 壬申の乱と型は同じ、歴史は繰返す

関が原の戦いと壬申の乱は型も原因も殆ど同じなのです。年数経過まで同じなのは驚きです。歴史は繰返すと言いますが、違いがある所が1点、敵対で終わったのか、愛の和合で終わったのかです。 ですから、その後の結果も大きく違うのです。
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前世歴史探訪 その4.壬申の乱672年(後編)被害者同士の戦い

壬申の乱の本質とは被害者同士の戦いだったのです。その後日本であらゆる場面でこの型が現れる事になります。それは、個々も同じで、結局負の感情連鎖を止める事が重要なのです。日本の岩戸を開けるのは、実は個々の思いに懸かっているのです。
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前世歴史探訪 その3.壬申の乱672年(前編)始まりは兄弟の対立

壬申の乱は日本最大の内乱と言われています。通説では大友皇子と大海皇子の対立となっていますが、実は、中大兄皇子と大海人皇子の対立だったのです。大友皇子は出家し、近江京は衰退、大海人皇子は5年間で広大な範囲に権力を伸ばしていたのです。