前世歴史探訪 その7.本能寺の変1582年 願いは愛の日本統一(前編)

前世歴史探訪

本能寺の変の真相は謎が多いですね。
諸説でも43説あるとか。

いや、どう考えても不可思議な所だらけなのです。

主な矛盾点を挙げてみますと、

織田信長と明智光秀とはそんなに不仲だったのか?
織田信長は明智光秀が謀反を起こす事を読めなかったのか?
明智光秀も謀反を起こした後の事を考えていなかったのか?⇒これが一番の疑問。
豊臣秀吉は広島近辺から、毛利家と停戦してから1週間程で戻り、戦いに備える事ができたのか。
⇒毛利家とすんなり停戦ができた事と、1週間で帰るのは物理的にかなり厳しい。

本能寺の変。
それは最短で、最善の日本統一の方法を模索した結果だったのですね。

実は、愛の日本統一を目指していたのです。

その為に仕掛けた出来事だったのです。

1.本能寺の変まで概略

1573年の段階で織田信長は上洛し、実はこの段階では、北条家、上杉家を除く、東日本は殆ど支配下圏にあったのが実際の所です。

残すは近畿周辺の諸大名。西日本の諸大名でした。

近畿では本願寺家が最もやっかいでした。ボワーンと間接支配していたからです。
その支配圏は、ほぼ中部~近畿全域でしたから。

通常、一般民は戦争に参加しませんが、彼の支配圏では、一揆や、間接協力等、本当にやっかいだったのです。
(正確に言えば、織田家当主の頃よりずっとやっかいな存在でした)

ようやく停戦が実現したのが、1580年の事です。
これは話し合いで終わりました。
ここである意味一段落なのです。

この頃には、近畿より東側は北条家を除き、ほぼ傘下にしている状態です。

2.織田信長、明智光秀、サイキック能力が飛躍的に高まる。

細川幽斎は最初信長公に上洛後、ひふみの法を教えます。

これは、火・水・風の役割で循環を起こすと力が増すというもの。何にでもあてはまる法なのです。

一例で言えば、火・水・風の占術師と交流を図ると、自分のサイキック能力が伸びるというものです。

Ⅰ.信長公は先読み術から、過去・未来ほぼ全てを見通せるように

そもそも信長公は、先読み術に優れていました。
ですから、普段は2,3名の従者さえ居れば十分だったのです。
普段から、丸腰で居る事は珍しくありませんでした。

彼はひふみの法を独自で、応用したのでした。
彼は、何と12名の占星術師を使って能力を上げたのですね。

信長公は当初、せいぜい1日分の先読みしかできませんでしたが、この時にはほぼ全ての過去・未来を見通すことができていました。過去の高度文明や、未来の世紀末まで見通せていたのです。

Ⅱ.明智光秀は透視能力とテレパシー能力が伸びる

一方、明智光秀は透視能力と、テレパシー能力が優れていました。
彼も信長公に次いでその能力を高めていました。

足も付かず、情報も漏れる危険性が少なく状況が許せば、非常に便利だったのです。忍者部隊よりもある意味都合が良いのです。

一部の大名とその後テレパシーを使い、交信する事が増えます。
特に島津義弘、義久、徳川家康にはこの手法でのやり取りが増えていく事になります。

Ⅲ.他に知っている者

また、この12人を使って能力を上げる手法、後年伝えたのは、徳川家康、島津義久、島津義弘でした。
彼らは本能寺の変より前に伝えています。

しかし、能力が格段に高まったのはやはり織田信長、明智光秀の2名でした。

細川幽斎も、この応用した手法は本能寺の変後に教えてもらいました。
(細川幽斎はずっとひふみの法で十分と思っていたようです、力はそれなりに付きましたし)

ですから、本能寺の変は織田信長と明智光秀によって計画されていたのです。

2人だけの計画だったのですね。

周囲の者は、誰もそのような計画を立てているとは知らなかったのですね。
細川幽斎も、事前に一切知らされていませんでしたし。

3.日本統一に向けての問題

1580年頃、この段階で日本統一に向けての重要な問題が、2つありました。

Ⅰ.西日本諸大名国と戦えば大きな被害が出る

元々西日本の諸大名は強力な国家が圧倒的多数です。
九州には島津家、龍造寺家、大友家、四国には長宗我部氏、中国には毛利等。

彼らと普通に戦いますと、多大な被害が出るのは判りきったことです。

これが、最難関の問題です。

実は、日本では、過去東から西に攻めて成功した試しって殆ど無いのです。
日本の歴史はずっとそうでした。大体は西から東に攻め込む事が多いのです。

実は、上洛についても、ほぼ戦わずして入ったという所が重要な点です。

ですから、彼ら強力な諸大名を前に、全国統一するには、話し合いによる方法をずっと考えていたのです。

Ⅱ.秀吉がどのようなシナリオでも、謀反を起こす

秀吉は若い頃から共に歩んできた武将でしたが、彼は野心が強すぎたのです。
いずれ、どこかで裏切るのが目に見えていたのです。

それこそ、組織が大きくなる程、問題は大きくなるのが判っていました。
できれば、早い段階でどうにかしなくてはならないと思っていたようです。

秀吉は、信長が油断すれば、その立場を奪う事は日々考えていたようですし、また傍にいた明智光秀も邪魔に思っていたようです。

彼から見るとこの2名がどうしても邪魔者だったのです。

それは前世の関係からでも同じだったのですが。

これだけはどうしても変える事のできない未来だったのです。

織田信長によって彼の前世は全て判っていました。

Ⅲ.前世との関係

実はこの時代に生まれた武将、大名は、中国三国史とも関係がある者が多いのです。
織田信長は、三国史時代の前世と今世の関係を全て網羅していたのです。

ですが、どの者も、結局は中国の統一できなかった。
その原因は戦いを先行し、疲弊させ、最終的に滅亡した。という事がありました。

ここを再現してはならないという事もありました。
ポイントの1つが、戦わないという事なのです。

そして、愛によって統一したかったのです。

またもう1つ、三国史時代のいきさつから考えてみても。

織田信長、明智光秀、徳川家康、島津家の二人。
そして他の大名、武将達。

この中では、総合的には豊臣秀吉が一番良いとの結論になったようです。

4.あえて秀吉の思いに乗じる事。を選択

仮に日本統一した後も、いつかどこかで秀吉が謀反を起こす可能性が極めて高いのは避けられません。

そこで、一番良いと思ったのが、秀吉の思いに乗じる方法なのです。

ですから、信長公と明智光秀が戦い、共に命を落とすというイベントを決行する。
次に、彼ら2人は死んだ事にし、その後、彼を後継者にする。(普通なら信長の子が後継者になるはずですが)
そして、
影から秀吉の日本統一に協力すれば、良いと思ったのです。

既定路線はこのような所です。

後、もう1つ重要なのは西の諸大名との話合いでした。

ここである程度、話合いができ、統一目前の準備が整えることができれば、本能寺の変を実行できると見たのです。
(後編に続く)

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