私は普段テレビを滅多に見ないのですが、たまたまテレビを付けたら、NHKで絶妙の番組を放送していました。
2021年4月1日の0時、丁度、4月に切り替わった瞬間でしたので、これも何か意味があったのかもしれません。寝ようと思ってたのですが、寝れませんでした。ですから半分はうとうとしていたのですが。
全部見た訳では無いのですが、途中から最後の辺りは、なる程、なる程の連続でした。
誕生 ヤマト王権~いま前方後円墳が語り出す~
放送から1週間は、無料で見れるそうですので、時間のある方は、一度ご覧になってください。
(最初の放送が3月27日にあったそうで、4月3日までのようです。)
そして、この放送で気付いた事をお伝えしたいと思います。
私はたくさんの前世の記憶が蘇り、繋がっていく事になりました。
1.前方後円墳は、昔程、精度が高い
Ⅰ.前方後円墳は、250年頃、僅か数年で一気に広まる
前方後円墳は、A.D250年前後から数年程で、一気に日本に普及したとの事でした。
北は東北、南は九州辺りまで、かなりの数になります。
しかも凄いのが、この前方後円墳は、高さ、幅、奥行き。
全て相似形の形状で、殆ど、狂いが無かったのだそうです。
しかも、箸墓古墳は280メートル。
全国には、この当時100メートル級のものもたくさんあるのです。
それが狂いが殆ど無いのです。
この当時、筆記用具、紙、測量機器等も無い時代。建築技術がそれ程高度な訳がありません。
実際、極めて原始的な文明のはずなのですが、何故こうも正確に作れたのでしょうか。
Ⅱ.宇宙の叡智、そして時空間テレポート
これは以前にもお伝えしたのですが、瞬間的に宇宙の叡智で造っています。
また、崇神天皇、卑弥呼達は、時空間テレポートで移動した可能性が大なのです。
以前は、崇神天皇の神社の事についてお伝えしたのですが、
建築技術は宇宙の叡智、材木等は、全て時空間テレポートです。
あの時代、全国にあった様々な国々、前方後円墳も同じ要領で、瞬間的に作ったのです。
当時の、建設技術力がそんなに高い訳がなく、そこまで、遠方までの情報の移動、技術提供、実際の建設。
ここまでを僅か数年で、伝える事はできませんし、そんな国力を持っている所はありません。
また、それまでは、全国で小国家が争っていた事も事実です。
それが僅か数年で全国で前方後円墳が広まったのは、時空間テレポートで移動、宇宙の叡智を使ったからなのです。こうして、大和国と、地方国家と交流を深めたようなのですね。
参考:
前世の旅 奈良 熊野 ⑤ 箸墓古墳 卑弥呼の墓は本当なのか
前世の旅 奈良 熊野 ⑥ 大神神社、「日本書記」崇神天皇の謎に迫る
前世の旅 奈良 熊野 ⑪ 玉置神社 古代皇室の重要な奥の院
Ⅲ.箸墓古墳に全国の土器が出土した理由
不思議なのは、全国の土器が箸墓古墳に出土した事です。
果たして、どうやって全国の土器が奈良の地の箸墓古墳に集まったのか。
これも、先述した時空間テレポートで思い出したのですが、
どうも、前方後円墳を造った事と引き換えに、土器の提供をお願いしたのです。
これが交流の始まりです。
また、数年程の差があるのは、当時、王様が適齢年齢を迎えている必要があった為、多少の年数のずれがあると見ています。ちなみに魏志倭人伝が239年の際、卑弥呼の事についての記述がありますが、かなり過去に遡っていたと思います。
ですから、この当時、大和を中心に各地の大王と、交流を深め、統一したような感じになったのだと思います。
正確には統一ではなく、連携に近いです。
実際、地方にはかなり大きな国家も存在しましたし、出雲、九州地方は、かなり大きな国が存在しました。
邪馬台国説は様々ありますが、引き続き根強くあるのはこういった経緯からです。
大和国は、先に様々な事を提供したから、全国にある諸国家も中央と交流したのでしょう。
Ⅳ.ピラミッドと同じく、古いもの程精巧
ピラミッドは古いもの程精巧という事はお伝えしました。
それは、その前にもっと高度な文明があったからです。
それがシュメール文明です。
前方後円墳も同じで、形、高さ、微妙な条件が必要だったようです。
その代表が箸墓古墳です。
・・・実際似たような時期で同じものを造っているのですから、どれが先、後は無いですが。
以降全国にある、同時期の前方後円墳はエネルギーが高めです。
日本最大の仁徳天皇陵は、その後200年程経過してからですが、勿論これは、当時の権力者が造ったものです。
時空間テレポートではありません。
250年~前後10年以外の前方後円墳、つまり後からできたものは、時の権力者によって造られています。
Ⅴ.前方後円墳前の方墳、円墳は、3次元で造られているものが殆ど
但し、それ以前にある、方墳、円墳は普通に3次元で造られています。
実際、これは、造るにあたってそれ程、技術は要しません。
また、サイズも平均的に小さく、殆どが50メートル以下で、造るのが難しくありません。
ですが、前方後円墳は、かなり技術を要します。
しかも、石造りの部分のものもあるので、明らかに技術力もその時代だけ突出しているのです。
そういう点では、縄文時代の縄文土器と同じで、中期だけやたら高度なものになっているのですが、箸墓古墳の時代の前方後円墳は、古墳という意味では、間違いなく同じ流れです。
2.邪馬台国諸国家は、敵対型から和合型に書き換わっている
昔の学説では、邪馬台国の時代は、全国の諸国家は敵対関係にあったという事で、
最近の学説では、和合の関係だった、という説が主流になってきているようです。
実は、これは書き換えが起こっているのでは?と思うのです。
どちらの世界も並行宇宙に存在しているのですが、現在は和合型に変わっているという事なのでしょう。
私が知っているあの時代は、やっぱり卑弥呼が現れるまでは諸国家は争いが続いていたのですが、卑弥呼の登場(卑弥呼は宇宙人の技術をお持ちですね)によって、時空間テレポートを使い、一気に、全国に、崇神天皇を拝する神社を造ったり、前方後円墳の提供と引き換えに土器を頂く事で、諸国家と和合していったようなのです。
この他にも、様々な宝を諸国家に提供もしていたようですし、様々な事を各国家に提供していく事で、和合していったのです。
となると、やっぱり中央は箸墓古墳、奈良ですね。
全国の土器が出土されるのは、箸墓古墳近辺だけだそうです。
間違いないでしょう。
3.まとめ
今回、箸墓古墳のテレビ放送で思ったのは、やはり時空間テレポートが大きな影響力を持っていて、前方後円墳は、一瞬で宇宙の叡智で造った、そして、諸国家大名と和合の流れを作った。
という事です。
また、どうも、直近のマンデラ・エフェクトの増加によって、和合国家の数が増えているような感じがします。
この後、さらに書き換えが進みますと、あの時代の和合国家がもっと増えるかもしれません。