前世コラム その16. ムー、レムリアの自然を思い出してみた

前世コラム

現代でも自然への愛を持っている人はとても多いのですが、
その昔、6000年以上前であれば、ほぼ全ての人が自然への愛を持っていました。(一部の時空間を除く)

今回は、古代文明人、の中でもムーやレムリア文明時代の前世の記憶を辿り、その時代の自然を見てみました。

1.自然崇拝の名残はあっても、殆どは消滅

約5000年程前、自然崇拝と一体化だった8次元文明が終わった後、地球上の多くの文明は次元低下し、自然崇拝の慣習が徐々に消えていきます。

その後、一部は自然崇拝の宗教として残りましたが、現代に至っては殆ど消滅しています。

八百万(やおろず)の神の神道がまだ近いかな、とも思いますが、多くの人の中では案外そうとは捉えていない人も多いと思います。実際に自然崇拝の重要性が宗教には殆どのケースで残されていません。

最も、これだけ自然が荒れ果てた地球というのはここ100年位ですし。
しかも、自浄作用ができないくらいになった地球。
過去にはありませんでしたし、地球史上初めての事だから仕方が無いのかもしれませんが。

実は、自然って現代と比べ200年くらい前でもかなり美しいのですが、6000年以上前ともなりますと、さらに格段に美しいのです。

2.8次元時代の自然崇拝の世界

今から6000年以上前では、自然崇拝は、宗教でも無く、自然な事でした。
自然と一体化が普通の事だったのです。

その殆どの者は、直接、動物とも話す事ができていました。

中には虫とも話す事ができた人もかなりいましたし、草木、花とも会話ができる人もたくさんいました。

もっと高次元ともなると、大気や海、大地とも直接話せる人もいましたし、天体、宇宙との交信をしていた人も普通に居たのです。

ムー、レムリアは概ね高次元でしたし、自然との交流がそれは盛んだったのです。

この時代では、自然とは自身と一体であるという事は皆理解はしていました。

ですから、一頭一頭の動物自体には役割があり、それは虫一匹でもそうですし、草木、花、1本1本にもそれぞれの役割があるという事も判っていたのです。

それは空気、大地、月、太陽、多くの惑星達。

全て役割があるという事が判っていました。

また、全ては転生の一環という事も判っていたのです。

自分の前世とは、動植物、大地、空気、水、それはあらゆる所に存在している事も判っていて、それは全ての人が同じである事も判っていました。

一切は自分という事は、現代の人達と比べても、もっとリアルに体感していたのです。

Ⅰ.ムー、レムリアの自然への概念

この時には雑草という概念がありません。
害虫という概念がありません。
害獣という概念もありません。

1つは多くの者が半霊半物質だったからかもしれませんが、ですが、この時あった感覚では、全ての存在1つ1つがお役割を果す存在しかなかったという事です。

Ⅱ.ムー、レムリアの雑草達

現在で言うところの雑草は存在していましたが、それ程その数は多い訳ではなく、また、その姿形も非常に柔らかいものなのです。

雑草の存在であっても愛で満ちているのです。

恐らく雑草と向き合った時、現代では敵対的感情を持つ事の方が多いのだと思いますが、それが無いのです。

話を戻しますが、ムー、レムリア、の頃の雑草は生き生きとしています。

それこそ、全生命の循環を支えているという役割もありますし、彼らは誇りに思っています。

太陽に向ってのその生え方も現在の雑草とは違い、美しく華やかさまで兼ね備えています。

最も、この時代の植物は美しいものばかりで覆われていました。

Ⅲ.ムー、レムリアの虫達

虫を見てみましょう。

まず、現代で見ても場所による差はかなりあります。

都会の虫。やっぱり殺伐としている虫が多いです。鳴き方がキツイ鳴き方をしています。
田舎の虫。生き生きとして柔らかい感情の虫が多いです。鳴き方もやわらかいです。

6000年以上前の虫達。

本当に全身全霊生き生きとしています。
現代の秋の虫も良い声を出しますが、この時の秋の虫達の合唱はもはや芸術です。全ての存在が喜びそのものです。
現代では再現は不可能でしょう。

このように同じ虫でありながらも、その姿、感情。
その場、その場に応じたものなのです。

それは実は自身の心。
人間の心も同じなのですね。

Ⅳ.ムー、レムリアの動物達

動物達も同じです。

生態系の問題も実は、その時代の人の心がほぼそのまま反映されます。

ですから、猛獣、毒蛇の数が少ないのです。
実際には確かにいるのですが、現代の動物と比べ気性もおとなしいのです。
ですから、猛獣、毒蛇もとてもかわいいのですね。

現代の猛獣であれば、それこそ戦い合う時には熾烈ですが、この時代では、そこまで熾烈な関係性が少ないのです。

生態系も確かに違うのですが、一番の違いは動物達の気性です。

現代よりも明らかにおとなしい動物が圧倒的多数でした。

Ⅴ.天変地異とどう向き合っていたのか

この時代は天変地異というものが殆どありません。

むしろ天候をコントロールしていた所があるようなのです。

好きな時に風を吹かせ、雨を降らせ、晴れさせ、雪を降らせ。地震も適度に発していて。

全てが感謝の存在でしたし、全ては愛の循環の存在。
そして、全てが美しかったのです。
これは、自然と会話し、調和し、共生が図れていたからできていたのでしょう。

また、疫病もありませんでした。
これも、細菌、風、空気といった存在とも交流が図れていたからなのです。
ですから全ては愛の循環と言ってもよいと思います。

また、そもそも少食でしたので、食べ物は不自由しませんでしたし、お金といった我欲の源になる存在もありません。ですから、戦争は勿論ありませんでした。

Ⅵ.幼少の頃よく見た夢は実は前世の記憶

実は小さい頃、美しい自然の景色を何度も夢で見たのですが、あれは、間違いなく前世の記憶だと確信しました。

何故、毎日のようにあの美しい自然の景色を見たのか。

これは、前世の記憶を忘れさせない為だけでなく、現代にも再現して欲しいから、という事のようなのです。

3.自然の動きとは、人の心のあり方をそのまま反映する

現代では、自然とは、共生の関係でなく、もはや戦いの対象となっている所があります。

ですが、それは自身の心のあり方がそのまま反映しているのです。

例えば、植物に対しては、除草剤を蒔き、その後は雑草の生え方も人間に対する反発心的な生え方をするようになりました。雑草も怒りに満ちたものが増えました。そのような生え方をするようになります。

虫も殺虫剤を乗り越えた虫が現れました。
その気性はやはり粗いです。

日本の海洋生物も温暖化により、気性の粗い魚類が増えてきています。

これらの変化も、現代の人間の心の現れの1つなのです。

4.それでもまだ自然は愛で満ちた存在が多数派

2020年はコロナが発生し、それは自然の怒りと共に強毒に変異していきました。

ですが、愛の循環が起こりますと、特に自然への愛に目覚めた人達が実は結構多かったからだとも思っているのですが、やはりそれは弱毒化していく流れにもなります。

全ては心の現れなのです。

このような時代であっても、99%以上の自然は人に対しては淡々と愛の循環を続けているのです。
自然の殆どは人に対して愛で一杯なのです。

5.まとめ

今回は前世の記憶でも、自然に満ち溢れた記憶に繋がってみてほしいと思いました。

6000年以上前の自然は本当に美しいのですが、200年以上前でも大丈夫です。
現代と比べ、自然は本当に美しいはずです。

そう、自然って人間に対して殆ど裏切らないのですよ。

私の前世でも、人間不信だった自身を救ってくれたのは自然という事もあったのです。

そういえば、現代の虫、動物って人を見ると大体逃げる事が多いのですが、昔はそうでもないんですよね。
よく漫画で指に蝶々が止まったりするシーンって、あれって漫画だから、でもなく、その昔は普通の光景だったのです。

前世の記憶で自然に繋がれる人は是非繋がってみてください。
そうでなくとも・・・。
現代の植物、自然を見て、そこから過去の大自然に繋がってみてもよいかもしれません。

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