第二十七巻 春の巻は六十帖あります。
現在の春の巻は、もはや簡単に外せない文面ばかりになってきました。
以前に比べ、さらに深みが増しているのです。
また、マンデラ・エフェクトを起こした内容も、七月の頃の一周目の時と比べ、更に増えてきています。
最終的には、黄金の巻の時よりもボリューム増となりました。
そして、しきまきや、から周囲に起こる変化、この後の世について、更に詳細になってきています。
外道を無くす、新たな武器。という意味も愈々判って来る段階に入ってきました。
それでは順にお伝えしますね。
- 1. 春の巻 その1 第一帖~二十帖まで
- 2. 春の巻 その2 第二十一帖~四十帖まで
- 3. 春の巻 その3 第四十一帖~六十帖まで
- Ⅰ.外道の善の流れ、が詳細に
- Ⅱ.新しき霊界は神人(カミヒト)共でつくる。外道の武器を活かして、いのち生かす弥栄の武器とかへるように
- Ⅲ.初めての単語、夜明けの御用。外道でない善と悪ととけ合ふこと
- Ⅳ.新しい文面、念(根ん)を入れ替え、新しい世界、霊界へ
- Ⅴ.人民はなくなるところまで行く意味、遅くなる程難しく苦しくなる
- Ⅵ.まことの武器は、念からつくり出す事から始まり、更に更に神と共に進む
- Ⅶ.念は思想ではない
- Ⅷ.これぞ、と思ふ人があったら、その理の人について下さい
- Ⅹ.人民の因縁性来は、我と共に外道となり、苦しんできた神
- ⅩⅠ.ここぞと見極めたら、理解に向かってひたすら進んで下さい
- ⅩⅡ.与えたものだけが自分のもの
- ⅩⅢ.いよいよが一四一四に
- ⅩⅣ.十二年のおくれを取り戻す、これからは目の廻る程忙しくなる
- ⅩⅤ.タテには神と神界、ヨコには人と環境と大和していく世界へ
- ⅩⅥ.類魂の中から次々代りのミタマ使ふ仕組
- ⅩⅦ.自分のもの先ずささげるから弥栄える
- 4.まとめ
1. 春の巻 その1 第一帖~二十帖まで
Ⅰ.ハラは八通りある
第一帖(六五八)
●新しき御代の始めのタツの年。スメ大神の生れ出で給ひぬ。(中略)
ハラで見、ハラできき、ハラで話せよ。ハラには間違ひないのぢゃ。祈りばかりでは祈り地獄、神から光いただけるように理(ミチ)つけねばならん。(中略)ハラが神であ るぞ。
以前にもお伝えしましたが、始めのタツの年。それは、2024年、になるでしょう。
但し、これは、その道に進んだ人になります。
2036年コースの方はかなり地獄だと思います。
そして、その次2048年はありません。
スメ大神、生まれ出でるかどうか、現在、行の在り方、がとても重要です。
ハラで見る、ハラできき、ハラで話すように伝えられています。
実は、この文面を歌い読んだ時、9月20日でしたが、
ハラには間違ひないのですが、そのハラは、八通りあるように思えました。
八ラ、です。ラは、空(そら)からもある様に、空を意味している所があります。
ハラです。八通りの空の存在、とも言えそうです。
その一つが腹であり、肚です。
みぞおち、下腹、もありますが、肚(しきゅう)もあると見ています。
男性には、無いと思われるかもしれませんが、元々、永劫の世界では誰もが、男女双方経験していますし、
男女合一が元(⦿)です。
子宮(しきゅう)は、四つのキ、を小闇(ゅ)から産み出す、という意味があります。
しきまきや、の元になる所があるのです。
肚、という時は、子宮を指しています。
そして、しきゅう、と、ちきゅう、は一行違いです。
しきゅう、と、ちきゅう、がいずれ一体化していくようです。
そして、これが、シチニの神。を意味しているようです。
実は、ハラ(八〇)とは、
7つのチャクラ、+無の1つ。
のようです。
内からの声を聞く器官。(内耳)
内から視える映像の器官。(サードアイ、第6チャクラ)
内から発する声の器官。(喉、第5チャクラ)
上から降りて来る所。(第7チャクラ)
等。
内耳とは、これも様々あり、下腹もあれば、無の1つ、の方もいるようです。
実際、御神示を読んでも、腹に入る時もあるのですが、全部は入らないなあ。
と思っていたのですが、この事で、自身はガッテンした所があります。
そして、その後、複数の方と確認した所、ハラの動きをリアルに実感した方。
特に9月23日。段階が進んでいた方程、実感されていました。
(あの、静岡の洪水と丁度重なっています)
ハラとは、無限に入るようになっていますし、いずれ、御自身の全身が御神示になるでしょう。
祈りだけでは祈り地獄に落ちる、という事もガッテンできる、と思います。
そして、ハラ、が神なのです。
Ⅱ.初めての単語、特別かみかかり、に進むには
第二帖
●誰でも霊かかりであるぞ。石でも木でも土でも霊かかりぞ。これは一般かみかかりであるぞ、特別神かかりは神の御力を強く深く集める行がいるのぢゃ。九分通りしくじるのぢゃ。(中略)世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢゃ。悪かみかかりに迷ふでないぞ。サニワせよ。外はウソが多いぞ。内の声ウソないぞ。旧、元旦、日月神。
誰もが霊かかりです。石でも木でも土でも霊かかりです。
これは、一般に呼ばれる霊かかりです。
霊かかりでない者はいません。
そして、それは、一般かみかかりです。
また、霊媒師さん、霊能者さん、の多くの方も一般かみかかり、サニワの途中の方が殆どです。
特別神かかり、には、神の御力(ミちから、道か〇)を強く、集める行が必要です。
ですが、その殆どは、サニワをしておらず、我、から一般霊かかり止まりなのです。
ですから、九分通りしくじるのです。
特別神かかり、一般かみかかり。
見分け、サニワしていく事が求められます。
2022年、ウクライナ情勢、パキスタン洪水、大地震、が頻発している中、
実際に出て来るのは、霊かかり、一般かみかかり、ばかりなのです。
一般かみかかり、に迷わないようにしてください。
外はウソが多いですし、何より間違いないのは、内の声(九エ)です。
それが、ハラ(八〇)、です。
そして、旧元旦、日月神、という伝え方も初めてです。
節分ですね。節目を分けるタイミングに現在来ている、という事です。
今を基軸に、日月神、と進んで下さい。
Ⅲ.神様でも大神様は判らない
第五帖
●神様でも大神様は判らんのであるぞ。只、よろこびに向ってひたすらに進んで行けばよいのであるぞ。正しき喜びを先づ見極めよ。見きわめてひたすらに進めばよいのぢゃ。食物を食べるのも喜びであるぞ。正しき食物 正しく食べよ。更に喜びふへて弥栄へるのぢゃ。自分の喜びを進め進めて天国へ入ること出来るのぢゃ。悪い食物 悪く食べるから悪くなるのぢゃ。目に見へる食物ばかりでないぞ。何も彼も同様ぞ。
神様でも、大神様は判らないようになっています。
無、の中にゐる為です。
ですから、只、喜びに向かって進めばよいのです。
正しキ喜びをまず見きわめて下さい。
見きわめてひたすらに進んでください。
食べ物を食べる時も、正しき食べ物を正しく食べてください。
更に喜びが増える事になります。(無農薬玄米、がやっぱりお勧めです。)
悪い食べ物、悪く食べると、悪くなります。
段階が進む程に、身体で実感する事になっていきます。
それは、食べ物だけではなく、何もかも同じです。
人の悪想念も、悪く食べると悪くなり、良く食べると、弥栄していきます。
Ⅳ.人は、あの世を⦿(モト)としている
第六帖
●喜びの本体はあの世、現はれはこの世、あの世とこの世合せて真実の世となるのぞ。あの世ばかりでも片輪、この世ばかりでも片輪、まこと成就せんぞ。あの世とこの世と合せ鏡。神はこの世に足をつけ衣とし、人はあの世を⦿として、心として生命しているのぢゃ。神人と申してあろうがな。この十理(ドーリ)よくわきまへよ。この世にあるものの生命はあの世のもの、あの世の生命の衣はこの世のもの。くどいようなれど このこと肚の中に、得心なされよ。これが得心出来ねば どんなによいことをしても、まこと申しても なにもならん、ウタカタぢゃぞ。時節来たのぢゃから、今迄のように一方だけではならんぞよ。
喜びの本体はあの世、現れは、この世です。
(本体、という呼び方も初めてとみます)
あの世と、この世と合わせて真実の世となります。
あの世とこの世、合わせ鏡なのです。
神はこの世に足を付け、衣としています。
人は、あの世を⦿(モト)として、心として生命しています。
人は、全て神人が元なのです。
この世にあるものの生命は、あの世のもの。
あの世の生命の衣はこの世のもの。
この事を、ハラの中に、得心してください。
得心できないと、どんなによい事をしても、まこと申しても何もなりません。
時節が来てゐるので、今までの一方だけではならないようになっています。
Ⅴ.初めての文面。六ヶ敷いことない。今の裏のやり方、ひっくり返して表のやり方にすれば、それで良い
第八帖
●始めからの神示よんで、よく読んで見なされ。何も彼もハッキリしてくるぞ。神示うつして下されよ。世界にうつすことよろこびぞ。地に天国うつすことぞ。六ヶ敷いことないぞ。今の裏のやり方、ひっくり返して表のやり方すれば、それでよいのぢゃ。裏は裏として生きるのぢゃぞ。
六ヶ敷いことない。今の裏のやり方、ひっくり返して表のやり方すれば、それで良い。
というのは新たな文面です。
世界の負の想念の浄化、ひふみ、いろは、の浄化をすれば良いのです。
裏は裏として生きるようになるので、できる所からで大丈夫です。
始めから、御神示をよく読めば、何もかもハッキリします。
御神示を、世界(四カイ)に移せば、地に天国移す事になります。
世界にうつす、コトは喜びです。
Ⅵ.省みねば、生まれた時より悪くなる
第九帖
●省みねば生れた時より悪くなると申してあろうが。慾、浄化して喜びとせよ。喜び何からでも生れるぞ。(中略)よいものつくるには大き手数かかるのぢゃ。ふところ手でいては出来ん。手出せ、足出せよ。
生まれた時より悪くなることあるぞ。
というのは以前ありましたが、今回は、「省みねば」が追加されました。
省みる。それは、過去を浄化する事です。
過去を浄化しますと、過去は、意味合いから変わり、場合によっては、因果の変化より、
3次元ごと、新たな世界と変わって行くのです。それがマンデラ・エフェクトです。
慾を浄化して、喜びとしてください。
喜び、何からでも生まれます。
慾があるのは、実は、喜びと替え、無限の可能性を産み出す為なのです。
よいものつくるには、大き手数かかります。
ふところ手。
見ているだけ、では何も出来ないようになっていますし、何も得られなくなっています。
手(四四)を出してください。
足(あ四)を出してください。
Ⅶ.新しい単語、無くて七癖、七七四十九癖
第十二帖
●無くて七癖、七七四十九癖、悪い癖 直して下されよ。天国へ行く鍵ぞ。直せば直しただけ外へひびくものが、かわって来るぞ。よくなってくるぞ。かわって来れば、外からくるもの、自分に来るもの、かわってくるぞ。よくなってくるぞ。幸となるぞ。よろこび満ち満つぞ。神みちみちて天国ぢゃ。(中略)一歩づつ絶えず進めよ。それより他に道はないのぢゃ。
無くて七癖は以前からあったと思いますが、悪い癖が、七七四十九癖、
もあるのは今回、初めて知らされました。そんなにあったんですね。と初めて思いました。(笑)
これも、サニワです。
気付いた所より、どんどんと悪い癖を治しましょう。
天国へ行く鍵だそうです。
(ここで言う天国とは、御自身で築き上げる、三千世界和合、無限弥栄世界、を指しています)
こうして、直せば直しただけ外にひびくものが、変わってきますし、良くなってきます。
外から変わってきますし、自分に来るものが変わって来るのです。
喜びが満ち満つるようになります。
その為には、一歩づつ絶えず進む以外に道はありません。
この時、絶やさない事が重要です。
ですから、必ず一日最低でも1人分。
四五十、行を絶やさずに進める事が求められます。
Ⅷ.新しい文面 真の神を理解すれば、一切の幸福得られる
第十三帖
●真の神を理解すれば、一切の幸福 得られるのぢゃ。世を呪ふことは自分を呪ふこと、世間や他人を恨むことは自分を恨むこと。このこと悟れば一切はそこからひらけくるぞ。十のもの受けるには十の努力。
以前には無かった文面です。
真の神を理解すれば、一切の幸福が得られます。
真(四ん)の神、も初めてですし、一切の幸福(九産二九)、といった表現も初めてです。
幸福、という単語は、早くに出すと宗教化する危険性があったので無かったのだと思いますが、愈々が始まる段階なので、登場したのだと見ています。
世を呪ふは、自分を呪ふこと。
世間や他人を恨む事は、自分を恨むこと。
このこと悟れば、一切はそこからひらけ(ヒ〇気)が来ます。
十のもの受けるには、十の努力が必要です。
段階に応じて進む以外、ありません。
Ⅸ.新しい文面、神様のなされるマネから始めてください
第十四帖
●悪の祈りには悪の神。善の祈りには善の神。始めの間は中々判らんものぢゃ。神様のなされるマネから始めて下されよ。
神様のなされるマネから始めてください。
というのも初めてだと思います。
ですが、もうマネをし始めている方々が増えて来ている段階です。
(それでも、全体で見ますと、極めて僅かの方のみですが)
真のネ、が判ってきますと、悪の祈り、善の祈り、も判ってきます。
それは、行を通して、絶えず続けないと判らないようになっています。
Ⅹ.御自身が命(意の千)。努力した上(ハイヤーセルフ)もせなならない
第十八帖
●使命がいのち。上から、神から命ぜられたことがいのちぞ。使命はつくられた時に与えられる。使命なくてものは生れんぞ。自分の使命は内にききつつ外にきけよ。使命果たすがよろこびぞ。使命果たすには生命がけでなくてはならん。生命ぢゃからのう。努力した上にもせなならんぞ。努力には苦もあるぞ。苦のない努力ないぞ。右を動かせば左もうごくぞ。果たせば苦は楽。果たさねば楽も苦。重荷あるからこそ、苦あるからこそ、風にも倒れんのぢゃ。神が主であるぞ。
使命(四め意)がいのち(ゐの千)(一の地)です。
上(ハイヤーセルフ)から、神(十)から命ぜられたことがいのち(意の千)です。
使命はつくられた時に与えられます。
行をし、産み出し続けた先に現れるようになっています。
使命(四、七四、意)なくて、ものは生まれないようになっています。
御自身の使命は、内にききつつ、外にきいてください。
行を進め、サニワし、洗濯、掃除、改心が進みますと、次々、外に現れるようになってきます。
使命果たす(八、十、三三)がよろこび(四六九火)です。
ですから、使命果たすには生命がけでなくては、コトにはなりません。
御自身が生命(いのち)(意の千)だからです。
ですから、努力した上にもせなならないようになっています。
それは、上(ハイヤーセルフ)さんも、努力した、存在になっています。
苦の無い努力はありません。
果たせば苦は楽。果たさないと楽も苦になります。
重荷があるからこそ、苦があるからこそ、風に倒れないようになっています。
その殆どは元々あった文ですが、
最後に神が主であるぞ。は、
新たに増えた文面のようです。
そして、上(ハイヤーセルフ)さんも変わって行く段階が来ています。
ⅩⅠ.小の神から掴んでください
第十九帖
●神は順であるぞ。先づ小の神から進んで行けよ。ほんとのこと知るには、ほんとの鍛練いるのぢゃ。たなからボタモチ食っていては段々やせ細るのみ。鍛えよ鍛えよ。鍛えればこそ光出て来るのぢゃ。
神の順、小の神様から進んで行ってください。
ほんとのコト知るには、ほんと(火ん十)の鍛錬(十ん流ん)いるのです。
鍛(キ十)えれば(得れば)こそ、光出て来るのです。
その為には、まず小の神様から進むしかありません。
小の神から進んでいけよ、ほんとの鍛錬、も初めて出てきましたが、
こちらも、その事が判る方が沢山いる段階に入ってきています。
ⅩⅡ.新しい文面、まつりは常住坐臥にあるぞ
第二十帖
●他力の中の自力ぢゃ。ぢゃと申して、まかせきったと申して、ふところ手ならん。自力大切ぢゃ。まつりは常住坐臥にあるぞ。(中略)恩、知らねばならん。恩に報ひなければならんぞ。人民、天地の恩 忘れているから、喜び少ないのぢゃ。ものの順序わきまえねばならん。悪平等ならん。政治や経済は裏、二義的のもの。
確かに、常々、他力の中の自力です。
ですがまかせきったと言っても、ふところ手(自身は何もしない)ではなりません。
自力が大切です。
まつりは、常住坐臥(じょうじゅうざが)にある、とあります。
じょうじゅうざが、と云う難しい単語も、御神示には初めて登場しましたが、
座っている時でも寝ている時でも四六時中、という意味です。
まつりは、常々、四六時中あるのです。
神様は、朝も夜も寝ている時、常々活動している。
この事を意識する文面が、常住坐臥、と増えてきました。
恩、知らねばならない、恩に報ひなければならない時に来ています。
人民天地の恩忘れているから、喜び少ないのです。
ものの順序わきまえねば、成らないようになっています。
政治経済は裏、二義的なもの、という文面も初めてですが、
愈々、政治、経済は、裏、二義的な存在。
として明示し始めました。
政治、経済、の基軸は、愈々終わる方向、に向かってきています。
個々(九九)の意識、行、基軸に変わりつつあります。
2. 春の巻 その2 第二十一帖~四十帖まで
Ⅰ.あの世まで持ち続ける、永遠性基軸、の意識を前提に
第二十九帖
●気長にやれと申してあろう。長い苦心なければ よいもの出来ん。この世で出来終らねば、あの世までもちつづけても やりつづけてもよいのぢゃ。そなた達はあまりにも気が短いぞ。それではならんのう。マコトの生活は永遠性もってゐるぞ。これないものは宗道でないぞ。
この文面は前から存在していて、内容も変わった訳ではありませんが、
元々、気になっていたのが、何千年も生きる前提の文、として感じていたのです。
ですが、愈々三千年を元とした神世への移行がこの後待っています。
マコトの生活となりますと、生き通しですから、永遠性を持っているのです。
そして、僅か数十年程度、で生前の記憶を失う、という事もありません。
実際、長い苦心なければ、良いものできないようです。
この世で出来終わらねば、あの世までもちつづけても、やり続けても良いのです。
ですが、何度も御伝えしている通り、神世の世界、ひふみ、いろは、の世界とはとても楽しいものです。
それは理解基軸で、産み出し続けていくと判るようになってきます。
Ⅱ.二度三度話をきいたり、おろがんだりくらいで理は判らない。神は体験せねば、コトにはならない
第三十帖
●理(リ)に向ってゐると、いつの間にか神の気いただくぞ。神の光がいただけるのぢゃ。二度三度、話きいたり、おろがんだりくらいで理は判らん。神は解らん。体験せねばならん。一方的では何事も成就せん。もちつもたれつであると申してあろう。
理に向かっていますと、いつの間にか神の気をいただくようになります。
二度三度話を聞いたり、おろがんだくらいでは理は判らないようになっています。
神も判らないようになっています。
それは、体験しないと判らないようになっています。
一方的では何事も成就しません。
カミヒト共に、もちつもたれつでないと判らないのです。
Ⅲ.逃げ道つくれば、迷いの道に入る
第三十一帖
●今の自分の環境がどんなであろうと、それは事実であるぞ。境遇に不足申すなよ。現在を足場として境遇を美化し、善化してすすめ。其処にこそ神の光、よろこび現れるのぢゃ。逃げ道つくれば迷ひの道に入るぞ。楽に得たもの、楽に失う。
現在の境遇がどんな状況であっても、それは事実です。
境遇に不食申さず、現在を足場として、美化、善化を進んでください。
進め、ですので、四四を産み出してください。
ですから、苦の境遇は、ひかり、を見い出す元なのです。
逃げ道をつくれば、迷いの道に入ります。
楽に得たものは、楽に失うようになっています。
私の場合は、神の理一本に入るまで、二股膏薬で、約10年程苦しみましたが、
神の理一本に入りますと、一気に進むようになりました。
Ⅳ.窮屈ではならない、笑ひの道、喜びの道に神のハタラキがある
第三十三帖
●窮屈であってはならん。しかつめらしく固くなってゐてはならんぞ。笑ひの道、喜びの道にこそ神のハタラキあるのぢゃ。宿命は宿されたもの。一つのワクに入ってゐるのであるぞ。運命は自分で切りひらくこと出来るぞ。磨け磨け、ミタマ磨き結構。信念だけでは行き詰るぞ。
段階が進みますと、笑ひ、喜び、が出て来るようになります。
(実際、段階が進むには、笑ひ、喜び、が無くては進まないようになっているようです)
それは、生前からの理解が進んで行く為です。
宿命は宿されたものですが、それは、一つのワクに入ってゐるものなので、
人学から進みますと、宿命を替える事には限界があります。
ですが、コトになると、そのワクを替える事ができます。
無限の可能性に繋がる事になります。
宿命も運命として替える事ができるようになるのです。
運命は、自分で切りひらく事ができますので、ミタマ磨きをどんどん進めてください。
信念だけでは行き詰るようになっています。
Ⅴ.初めての歌、人の人なる、人ぞ人なる歌
第三十五帖
●よきことは 人にゆづりて 人をほめ 人たてるこそ 人の人なる。
敬愛の まこと心に まことのり まこと行ふ 人ぞ人なる。
(春立つ日、ひつく神)
このように、人にゆづる、人をほめ、人たてる、
といった内容が歌で、登場したのは初めてです。
敬愛、まこと心に、まことのり、まこと行ふ、人が人となる。
といった歌も初めてです。
この辺りは日常でもよくあるような内容にも思えますが、
まこと心に(九九六二)、まこと乗り、まこと、行ふ。
マコトは、心に載って、行ふ事。
やはり行を第一に伝えている所が、よくある宗教とは違っている所でしょう。
Ⅵ.立体の、受け入れの数字が、十から百の基軸に変わった
第三十七帖
●相手八と出たら二と受けよ。人民と申すものはモノに囚われるから何事も判らんから、十二と出、二十と出、三十六と出たらポカンとして判らんことになるぞ。十二と出たら一段ケタ上げて八十八と受けよ。又十二と受けるテもあるぞ。二十と出たら八十と和せよ。立体になれば それだけ自由になるのざ。世界広くなるのぞ。早う立体さとりくれよ。
以前は、九と出たら一、八と出たら二、という受け方はありましたが、
十二と八十八、二十と八十、の受け方は初めてです。
三十六は、書いていませんが、六十四ですね。
百の基軸に変わってきました。
十の段階から、現在では、百の段階です。
やがて、百が千の段階、千人力の段階に変わって行くでしょう。
その型出しは、既に岩戸開き(二〇二二年九月五日、かのととりの日)でありましたが、
この後、更に御神示は変わって行くと予想します。
これが、立体の道の進み方、無限弥栄の進み方です。
Ⅶ.悪の気、断たないとネン、にはならない
第四十帖
●思想と申すのは広い意味で、太神から出てゐるのではあるが、幽界からの力が強く加わってゐるのぢゃ。ネンと申すのは神界からの直々であるぞ。悪の気、断たねばネンとはならんぞ。
ここにおけるネンは、根ン、ですね。ネが産み出すものです。
以前にもお伝えした通りですが、根、とは、ボタン押しますと、
ウシトラコンジン様の岩戸開き、となります。
ネンは、ウシトラコンジン様の岩戸開きを産み出す事です。
それは、悪の気断たないとネンにはならないようになっています。
3. 春の巻 その3 第四十一帖~六十帖まで
Ⅰ.外道の善の流れ、が詳細に
第四十一帖
●悪にくむは外道の善、外道とは上からの光が一度人民界にうつり、人民界の自由の範囲に於ける凸凹にうつり、それが再び霊界にうつる。それが幽界と申してあらう。その幽界から更に人民界にうつったものが外道の善となり、外道の悪となるのざ。善にも外道あるぞ。心得よ。
誰もが、必ず通る道が外道の善です。
悪をにくむ道です。
外道とは、上からの光が一度人民界にうつり、その後、人民界の心、凸凹にうつり、それが再び霊界に移る。
それが幽界です。
その幽界から更に人民界に移ったのが、外道の善です。
外道の善から更に進みますと、外道の悪、となるのです。
このように、善と思い、実はしてきた事は、外道の善、外道の悪。
は多くの方々がしています。
例えば、ウクライナ情勢の、ウクライナ側や、西側諸国の在り方。
最終的には、核を持ち込むという、我れ良しの意識。
その事にも気付いていない。
実は、気付かない間に行き着いているのが、外道の悪です。
外道の悪に進んできた為、多くの方々は苦しんできたのです。
善にも外道はあります。
ですが外道の善は、最終的には外道の悪、となるもの。
という事を心得て下さい。
Ⅱ.新しき霊界は神人(カミヒト)共でつくる。外道の武器を活かして、いのち生かす弥栄の武器とかへるように
第四十二帖
●新しき御代が到来しても いくさはなくならん。いくさも歩みぞ。弥栄ぞ。ぢゃと申して今のような外道のいくさでないぞ。人殺し、生命殺すようないくさは外道。やればやる程はげしくなるぞ。正道のいくさは人を生かすいくさ、やればやるほど進むのぢゃ。(中略)人民の云ふ今のいくさ、今の武器は、人殺す外道の道、それではならんのう。外道なくして下されよ。外道はないのであるから、外道 抱き参らせて、正道に引き入れて下されよ。新しき霊界は神人(カミヒト)共でつくり出されるのざ。(中略)それは大いなる喜びであるからぞ。神のみ旨であるからぞ。新しき世はあけてゐるぞ。夜明ければヤミはなくなるぞ。新しきカタはこの中からぞ。日本からぞ。日本よくならねば世界はよくならん。外道の武器すてよ。外道の武器生かして、活かして、いのちを生かす弥栄の武器とせよ。かへられるでないか。
以前から、その多くは書かれていた内容です。
ですが、現在では、明確に、外道の武器を生かして、活かして、いのちを生かす弥栄の武器、と変へる、時期に来ているのです。
文末の様に、かへられる、という断言調も初めてです。
外道を抱き参らせるのは、思念界から意識を変えていく、しきまきや、以外にありません。
しきまきや、から、思念界から意識を変えていきますと、
周囲にマンデラ・エフェクトを起こす元になるのです。
そこで、外道の武器を生かして、活かして、いのちを生かす弥栄の武器に替えて欲しいのです。
一旦、外道の武器から産み出す悪想念。
思念界から、その事に気付かせる事も、外道の武器があって、の部分もあるのです。
その思念から、皆を生かすように、理解が進む方より、伝え、世界を変えて下さい。
Ⅲ.初めての単語、夜明けの御用。外道でない善と悪ととけ合ふこと
第四十三帖
●生れ赤児になれば判るぞ。(中略)神人共にとけ合ふことぞ。外道でない善と悪ととけ合ふのぞ。善のみで善ならず。悪のみで悪ならず。外道は夜明けくれば消えて了ふぞ。夜明けの御用大切と申してあろうが。外道の悪 殺すでないぞ。抱き参らすから消えるのであるぞ。
夜明けの御用、という単語が初めて登場しました。
実際、夜明けが近づいてきているからです。
カミヒト共に、外道でない善と悪ととけ合ふ、事です。
善のみでは善にならないですし、悪のみでは悪にはなりません。
(この文面も初めて見ると思います)
外道の悪を抱き参らすには、意志し理解し思念から変える、ひふみの浄化、いろはの浄化。
様々手法があります。
現在、できるところより一歩一歩進めて下さい。
Ⅳ.新しい文面、念(根ん)を入れ替え、新しい世界、霊界へ
第四十四帖
●念入れかへるぞ。念入れかへるとは、新しき霊界つくることぞ。新しき霊界つくるとは、太神の真中にとけ入ることぞ。
念入れかへるとは、新しき霊界つくる事。
新しき霊界つくるとは、太神の真中にとけ入るコトの事です。
それには、根ん、を入れ替える事です。
文面ごと、新しく登場しています。
Ⅴ.人民はなくなるところまで行く意味、遅くなる程難しく苦しくなる
第四十五帖
●一時は人民なくなるところまで行くと申してあらうが。人民なくしても人民なくならん。洗濯して掃除して、新しき道 早う進めよ。おそくなる程 六ヶ敷く苦しくなるぞ。近目で見るから判らん。日本の、世界あけたり。(中略)邪気入ってはならん。
人民なくなるところまで行く、というのは、人民は七九成るところまで行く。という事です。
七の段階までの人類達(ただしコトの方のみ)は、九に成る所まで行く、という事です。
ですから、人民なくしても(七、九、四、四四、母)、人民なくならんのです。
洗濯して、新しき道を早く進んで下さい。
遅くなる程、難しくなり、苦しくなっていきます。
段階が進んでいく人の世界でも、実際の3次元世界では、苦しい世界に進んで行く事になります。
ですが、その苦しい世界に、悪があるからこそ、外道があるからこそ、
悪想念、外道を元に、しきまきや、という新たな武器と共に、三四五に進めるようになるのです。
但し、念は、我欲、ミタマが磨かれていない念のままですと邪気が入ります。
外道に巻き込まれないよう、騙されないように進んで下さい。
日々、行から、洗濯、掃除、改心を進め、ミタマを磨いてください。
Ⅵ.まことの武器は、念からつくり出す事から始まり、更に更に神と共に進む
第四十六帖
●今の武器は幽界の裏打ちあるぞ。神界の裏打ちある武器でなくてはならん。まことの武器ぞ。ヒックリであるぞ。念からつくり出せよ。その念のもとをつくれば、神から力を与へるから、この世の力と現はれるぞ。
全ては念から生まれます。
そして、ネン(根ん)が、まことの武器です。
まことの武器は、日々の行の中から、経験より生まれるようになっています。
その念の元(⦿)を作って行けば、更に更に神と共に進みます。
第四十七帖
●念が新しき武器であるぞ。それでは人民まわりくどいと申すであろうなれど。ものごとには順と時あるぞ。もとのキから改めて下されよ。尊き御役。
念が新しい武器です。
悪想念も念ですし、外道の悪の念も念です。
ですが、その念は、根ん、から三四五の世に進むようになっています
元(⦿)のキから改めてください。
Ⅶ.念は思想ではない
第四十八帖
●念なりと、今の人民申す思想はマコトの念でないぞ。思想は思想ぞ。念とは力であるぞ。実在であるぞ。喜びであるぞ。喜びは神ぞ。弥栄。(二月十二日、ひつく神)
念は、思想とは違います。
力ある、心動かす、神のキです。
行じていきますと、この事が判ってきますし、行じ体験する以外判らないようになっています。
その事が判ると、念とは、力であり、実在であり、喜びあるもの、と判ります。
念は、神である事が判り、やがて御自身、周囲へと、実在化してくるようになります。
これが、マンデラ・エフェクトの元でもあります。
Ⅷ.これぞ、と思ふ人があったら、その理の人について下さい
第四十九帖
●これぞと思ふ人があったら、その理(ミチ)の人について御座れよ。一寸先見へん人民ぢゃ。先達の後からついて御座れ。それが一番よいことぢゃ。人、見出すこと六ヶ敷いのう。十年、二十年行じても、目あて違ってゐたら何にもならんぞ。このほうの道へ御座れ。正しき光の道によれよ。十日で、一月で見ちがへる程になるぞ。
これぞ、と思う人があったら、その理の人について行ってください。
私も、これぞ、と思う人を探し続けたのですが、霊能力が凄い方は沢山いても、マコトの可能性の人はあっても、その理(ミチ)の人とは出会う事はありませんでした。その理の人に付いていければ、どれだけ楽、と思ったかもしれません。
ですが、私も、愈々、その方と会う時が来ているかもしれません。
何故なら、お客様がその可能性に変わりそうな方々が、愈々この後、出て来そうだからです。
当初の目標は、コトを1名、産み出す事でしたが、この事がリアルに描けられるようになったのは、嬉しい事です。
このように、行を進め、段階が進んで行きますと、その理の人が現れるようになっているものかもしれません。
そして、昨日の御自身、今日の御自身。常に変わって行きます。
周囲の方々、もどんどん変わって行きますし、それは、現在の御自身に応じて現れるようになっているようです。
これが神様の何よりの宝でしょう。
現在の御自身と共に、見えなかった所から与えて頂けるのです。
それは、御自身の体験、理解と共に現れるのです。
そして、段階が来ますと、愈々の世界に進み出すのです。
現在、二〇二二年アイカギの年となり、ウクライナ情勢が始まり、
6月下旬辺りから御神示が書き換わり始め、一日十万人亡くなるパキスタン洪水が起こり、
更に更に、御神示は、書き換えが進みだしている段階ですので、その理の人。
世には出て来ていると思います。
ですが、その人、見出すことは難しいと思います。
そう簡単には、出会えないようになっています。
十年、二十年、行じても、目当て違ってゐますと何もなりません。
それは、私が御神示に出会って、当初十年間程。
目当て違って進んできた事から実感しています。
ですが、神の理一本に入ってから、約一年半程経過しましたが、急激に進み出す事になったのです。
実際、お客様も十日、一月で、覚醒していく方。
段階が進んで行く方は、見違えるように変わって行っています。
概ね共通しているのは、若返っていく事です。
これは、魂に光が芽生えてきている為、身体にその反応が現れる為です。
そして、笑いと喜びと共に、うれしうれし、で進むようになっています。
これも段階が進んできますと判る仕組みです。
Ⅹ.人民の因縁性来は、我と共に外道となり、苦しんできた神
第五十一帖
●人民の因縁性来はみな神示にかかしてあるぞ。そなたのこと何も彼も一目ぢゃ。因縁判ってうれしうれしで御用結構。うれしおそろしくなる仕組。
人民の因縁性来は、みな御神示に書いてあります。
そして、行じていきますと、その因縁判って来るようになります。
我から苦しみ、外道に進み、その事を、転生と共に忘れてしまい、
それも御自身の我と向き合わない為、ご自身で決めてしまい、
そして、皆何千年、と気付かずに騙し、騙されてしまった。
長い転生の多くで、その苦しみを受け続け、同時に蒔き続けてきた存在です。
ですが、元は、⦿、よろこびであった事が段階が進んで行きますと判ってきます。
因縁が判って、うれしうれしで判り、うれしおそろしくなる、仕組なのです。
ⅩⅠ.ここぞと見極めたら、理解に向かってひたすら進んで下さい
第五十二帖
●まことの光の道に行き、進めよ。ここぞと見極めたら、理解に向ってひたすらに進まねばならん。理屈いらん。宇宙はこの方の中にあるのぢゃ。このほうぢゃ。世が段々せまって悪くなるように申してゐるが、それは局部的のこと。大局から見れば、よきに向って弥栄えてゐるぞ。
まことの光の道。
ここぞ、と見極めたら、理解に向かってひたすらに進んで下さい。
理屈は要りません。
世は確かに段々せまって悪くなるように見えていますが、それは局部的な事です。
大局から見ますと、よきに向かって弥栄している事が判ります。
それは、行じていないと判らないようになっています。
ⅩⅡ.与えたものだけが自分のもの
第五十三帖
●どうしたらよいのぢゃ、神の云ふこときくから助けてくれと申すもの沢山でてくるが、何も六ヶ敷いこと神は申さん。現在を足場として一歩づつ進めばよいのぢゃ。それでは食って行けんと申すものあるが、神はあり余るほど与へてあるでないか。何故、手出さんのぢゃ。与へたもののみが自分のものぞ。
この後、神の云ふこときくから助けてくれ、と申す方が沢山出てきます。
ですが、神様は、何も難しい事を申していません。
御自身が行じ、常々、現在を足場として、一歩ずつ進めばよいのです。
行じ続けた、現在以外、足場はないのです。
それで食っていけない、とは言っても、神はあり余るほどに与へています。
そして、御自身が与へたもののみが自分のものとなるのです。
ⅩⅢ.いよいよが一四一四に
第五十四帖
●いよいよが一四一四となるぞ。
愈々が、意四意四に、
しきまきや、ですね。
その、しきまきや、が、一四一四になるのです。
行じてきた方は判りますし、行じないとそれは判らないようになっています。
ⅩⅣ.十二年のおくれを取り戻す、これからは目の廻る程忙しくなる
第五十五帖
●十二年おくれてゐるのを取り戻すのであるから、これからは目の廻る程 急しくなってくるぞ。
十二年の遅れを取り戻す仕組みです。
十二年のおくれ、というのは以前はありませんでした。
これからは、目の廻る程忙しくなってきます。
ⅩⅤ.タテには神と神界、ヨコには人と環境と大和していく世界へ
第五十六帖
●タテには神と神界と和し、ヨコには人と環境と大和して行くところにこそ、生きの生命のウレシウレシあるのであるぞ。
タテには、神と神界と和し、ヨコには人と環境と大和して行くところに、生きの生命のウレシウレシあるのです。
ヨコには、人と環境と大和して行くところ、
この文面も初めてに思います。
7月の時、一周目では、まだ無かった文面に思います。
愈々、人と環境が大和して行くところに差し掛かっています。
五柱の神様も、五柱の生き神様と共に、の段階に入らないと、大和していく事ができません。
日々の行と共に進んで下さい。
ⅩⅥ.類魂の中から次々代りのミタマ使ふ仕組
第五十七帖
●同じ筋のミタマ沢山にあるのぢゃ。類魂と人民申してゐるもの。いくら因縁あっても曇りひどいと、その類魂の中から次々に代りのミタマ使ふ仕組。兎や角申さずに素直について御座れ。
これも、段階が進んできて判ってきています。
私のお客様も、三分の一がマコトの者ですが、残りの三分の一の方は迷い、残りの三分の一の方は離れていきます。
いくら因縁があっても、曇りひどいと、離れていくのです。
そして、その三分の一の方の中で、新しい魂の方が現れるようになっています。
このように、行が進んでいきますと、どうしても、
その人基軸では、代わりのミタマが次々現れる流れになっていきます。
まずは、七人に伝えていく所からですが、次には、マコトの者が三名、やがて七名。
合計十名となり、その数はどんどん増えていき、やがて五十名になる仕組みのようです。
まず、七名に伝え、マコトの者三名と出会う。
御自身がこの段階に来るまでは、結構な、行、時間、が求められます。
行が進んでいる間は、次々に代わりのミタマが現れるようになっています。
そして、一旦会わなくなっていく方、この他に、当面会えなくなる方。
必ず居るのですが、行が進んで行きますと、
必ず、段階が進んだ方と出会えるようになっていますので、ご安心ください。
ですから、どんどんと御自身の行を進めていってください。
ⅩⅦ.自分のもの先ずささげるから弥栄える
第五十八帖
●神にささげるには、自分に与へられたものの中から ささげねばならんぞ。むさぶり取ったり横取りしたり、自分のものでないもの、もうけたカスを神にささげて威張ってゐるが、それはささげ物にならん。神は受け給わんぞ。泥棒のお残りちょうだいは真平ぢゃ。自分のもの先づささげるから弥栄えるのぞ。おかげ万倍間違ひなし。
神にささげるには、自分に与えられたものの中から、ささげねばならないようになっています。
自分のもの先ずささげるから弥栄えるのです。
この場合は、おかげ万倍間違いありません。
4.まとめ
今回は、特に春の巻の後半でが、自身で読みながら思った事を書いていきますと、
その思った事が、その後に、その内容が次々現れていく事に驚きました。
自身で降りて来る事が、書き換わった御神示に現れるようになってくるのです。
行じた事が、御神示となっていくのです。
ハラに入れよ、の意味も、ようやく分ってきました。
ハ〇、それは、七つのチャクラ+1つの無の世界。に入れる(意〇流)事、なのです。
立体の基軸が、十から百に変わるマンデラ・エフェクトも起こり、やがて来る千人力を示唆しています。
そして、外道の世界を替える、夜明けの御用、その武器とは、理解、経験から霊界を替える、しきまきや、である事。も判って来る事になってきました。
また、これぞ、と思ふ人とも出会う段階に入ってきました。
また、同じ類魂から、次々に違う魂を使う仕組も、段階が進んでいる人程入ってきています。
そして、タテには、神と神界との和、ヨコには、人と環境の大和、の段階に入ってきています。
春の巻のマンデラ・エフェクトは、愈々が、意四意四、しきまきや、から一四一四という表記ともなり、この後、愈々が始まっていく所を示唆した内容となっています。