サニワのマンデラ・エフェクト 星座之巻~龍音之巻 2022年10月17日現在

人類滅亡シナリオ回避の為、御神示をお読みください

五十黙示録 第四巻 龍音之巻では、サニワについて、詳細に伝えたものとなるマンデラ・エフェクトを起こしていました。

以前、サニワ、の検索でかかる文面は1桁か所程しかありませんでしたが、現在は、御神示全体で、23個所と増えています。その詳細が五十黙示録 第四巻 龍音之巻に集中しています。

また、御神示を歌い読みを始めて、約3ヵ月となりましたが、御神示の中にも、歌が増えて来ているのに驚きます。
特に、五十黙示録内で以前に比べ歌がかなり増えて来ています。

もはや、歌う、事が重要な局面、となってきているようです。

こう伝えますと、歌で世を救えるのか、と思う方も居ると思いますが、どうも、歌う事。それも、かずたま、を意志し理解して歌う事は、マンデラ・エフェクトを起こす重要な要因になっている事は違いない、と見ています。

私が歌を試し始めたのが2022年2月頃からでしたが、現在の世の中の変性、マンデラ・エフェクト、その推移を見ていても、間違いないものと確信しており、特に岩戸を開いた、7月7日、9月5日、10月3日。と段階を追ってその動きが強くなってきているのです。

これは、実際、御自身でやってみて、周囲に起こる変化等体験していかない事には判らないようになっています。

第三巻 星座之巻では、
カミヒトに進む上での御自身との向き合い方。
さらに世相の在り方。について伝えられています。

特に夜明け前は、霊かかり、がウヨウヨとなり、それは、病神の仕組の影響を受けた方々、を指していると見ていますが、その事について書かれています。

その後、第四巻 龍音之巻では、そのサニワの仕方を一巻をかけて伝えています。

御神示は誰でも万人に向け御伝えしている以上、実は、現在、霊との交信が、求められていると見ています。
この後、三千世界和合に進む為です。

あらゆる存在を、意志し理解する事が求められる段階です。
その上での心構えを第四巻 龍音之巻では伝えられています。

なお、その第四巻 龍音之巻の冒頭で、黄金の巻からの七巻は人民に向け伝えており、
五十黙示録の七巻は、カミヒト共に向けて伝えたもの、という明記も新たに登場しています。

それでは、順に伝えて行きますね。

目次

1.マンデラ・エフェクト 気になる文面 五十黙示録 第三巻 星座之巻

Ⅰ.時は、十のキ。神のキと合致させる為の、ミタマ磨きが求められている

第三帖
●時、時、と申してあるが、時間ではないぞ。神(カミ)、幽身(ガミ)にも聞かせているのぞ。地上人には時間が考えられるなれど、神界には時間がなく、神も霊人も時間は知らないのであるぞ。只よろこびがあるのみぞ。神界で時間と申すのは、ものの連続と変化、状態の弥栄の事であるぞ。トキ待てよ。トキ違えるでないぞ。地上人の時間と区別して考えねば このふでは解らんぞ。

ここにおける時、トキ、とは、神(十)のキの事です。

神、霊人、は時間の概念がないのです。

神界では、それは常態の変化、状態の変化であって、よろこびがあるのみなのです。

トキ待てよ。
というのは、御自身は、ミタマ磨きして、トキ(十のキ)と合致させる事が大切です。
神のキと合致しない事には、三四五に進む事はないでしょう。

その為には、行が求められます。相当な体験を踏まえ、理解するのにも、時間、手数がかかるもの、なのです。

Ⅱ.カミヒトに近づく程にも、ものは言えなくなる

第四帖
●人民もの言へんことになると申してありたこと近うなったぞ、手も足も出んこと近づいたぞ、神が致すのでない、人民自身で致すこと判りてくるぞ。人民の学や智では何とも判断出来んことになるぞ。(中略)判らんことがいよいよ判らんことになったであろうが、元の元の元の神の申すことよく聞きわけなされよ、神の学でなければ今度の岩戸はひらけんぞ。

人民もの言へんことになると、申してありたこと近うなったぞ。
は以前よりあったと見ていますが、
神が致すのではない、人民自身で致すこと判りてくるぞ。
は初めてと見ます。

愈々の三四五は、近づいてきているのです。

どのようなシナリオであっても、人民自身でする事で、人民はもの言へん、ようになってきます。

悪い方向では、小さくは涌珍の仕組、大きくは戦争の激化、等でものが言えなくなる。
といった事があると思います。ここは多くの方が判るでしょう。

ですが、良い方向でも、コトに近づくほどに、カミヒトに近づくほどにもの言へなくなってきます。

実際、ズーム型式になってから、誰にでもお伝えできない内容がむしろ増えてきています。
その段階の方に向け、応じた事しか伝えられないのです。
段階が進んでいる方程実感されているでしょう。

そして、カミヒト共に御自身でできれば理想です。

だから、人民の学や智では何とも判断できない世がこの後来るのです。

判らない事は判らないままで大丈夫です。
判る所から進む以外ありません。

そこで、元の元の元の神様の申すことよく聞きわけてください。

神の学でないと、今度の岩戸はひらけないのです。

Ⅲ.太神様は、太古、中性、現在、未来、生みつつある。今現在、生まないと手遅れに

第七帖
●この世をつくった太神の神示ぞ、一分一厘違わんことばかり、後になって気がついても、その時ではおそいおそい、この神は現在も尚(なお)、太古を生み、中世を生み、現在を生み、未来を生みつつあるのぞ、この道理判りて下されよ、

太神様は常に、現在から、太古、中世、現在、未来、を生みつつあるのです。

ですから、今、現在、御自身の世界から生まない事には、その時になってからは手遅れなのです。

それは一分一厘も違っていません。

Ⅳ.人民一度死んで、甦る時に

第八帖
●人民一度死んで下されよ、死なねば甦られん時となったのぞ、今迄の衣をぬいで下されと申してあろう、世がかわると申してあろう、地上界の総てが変るのぞ、人民のみこのままと言うわけには参らぬ、死んで生きて下されよ、タテカヘ、タテナホシ、過去と未来と同時に来て、同じところで一先づ交じり合うのであるから、人民にはガテンゆかん、新しき世となる終りのギリギリの仕上げの様相であるぞ。

一度死んで下されよ、は以前あったと見ていますが、
対象を人民全て、に伝え始めたのは初めてと見ています。

地上界の全てが変わる為、人民だけはこのままという訳には行かない為、
一度死んで、それから生きて下されよ。との事です。

一つの文面で二度繰り返していますから、間違いなさそうです。

その上で、タテカヘ、タテナホシ、過去と未来と同時に来て、同じところで一先ず交じりあうのです。

人民にはガテンゆかない、新しい世となる、終わりのギリギリの仕上げの様相のようです。

Ⅴ.何もかも、人民まで変わるのが今度の大立替

第十帖
●世の元は〇であるぞ、世の末も〇であるぞ、〇から〇に弥栄するが、その動きは左廻りと右廻りであるぞ、(中略)、その中心に動かぬ動きあるぞ、何も彼も、人民迄変るのが今度の大立替、食物も、衣類も、住居も皆変るぞと申してゐる時が来ているのぞ、

〇(れい)に始まり、〇(れい)に終わり、その始めと終わりはありません。
弥栄のみです。

その動きは左廻りと右廻りとありますが、その中心に動かない動きがあります。

その後の文面はまた初めてと見ています。

人民迄変わるのが、今度の大立替なのです。

食物も衣類も、住居も皆変わるのです。
一気に変わるのでしょうか。

その世界に移行するかどうかは、御自身次第です。

ですが、その時が近づいているのは間違いありません。

Ⅵ.新しキ人民の住むところは、霊界、現界の両面を持つ所

第十一帖
●自由も共産も共倒れ、岩戸がひらけたのであるから元の元の元のキの道でなくては、タマ(玉)の道でなくては立ちては行かん、動かん二二(普字、富士)の仕組、ひらけて渦巻く鳴門(ナルト)(七流十、成答)ぢゃ。新しき人民の住むところ、霊界と現界の両面をもつ所、この岩戸ひらきて二度とない九十(光透)でひらく仕組。

現在、自由が優勢に見えますが、共産も、共倒れになりつつある時が近づいてきています。
岩戸が開いたのですから、この後、実現していくでしょう。

その為には、元の元の元のキの道でないと、タマの道でなくては立ちていかないのです。

動かない二二の仕組、ひらけると渦巻くナルトの仕組です。

新しき人民の住む所、
それは、新しい、ではなく、新しキ人民であり、
霊界と現界の両面を持つ所のようです。

この岩戸ひらきて二度とない九十でひらく仕組のようです。

新しキ人民の住むところが、霊界、現界の両面を持つところ、という具体的記述も初めてと見ます。

Ⅶ.マイナスの神とは、母(モト、⦿)、地の神

第十三帖
●父のみ拝(おろが)みたたへただけでは足りない、母に抱かれねば、母の乳をいただかねば正しく生長出来ないのであるぞ。一神として拝んでも足りぬ、二(柱)でも一方的、十万柱としても一方的ぞ、マイナスの神を拝(おろが)まねばならん、マイナスの神とは母のことぢゃ、天にまします父のみでは足りないぞ、天にあれば必ず地にもあるぞ、一即多即汎、地即天、天即地から表即裏である、マコトを行じて下されよ。

マイナスの神は、3ヵ月程前に初登場したと思っていますが、
マイナスの神とは母ですから、母十(モト)、⦿の神とも取れます。
時間的には、無限の過去です。

さらに空間的には、地の神、とも取れます。

一即多即汎、地即天、天即地から表即裏である、マコトを行じて下されよ。
ですから、あらゆる時空間で、マイナスを意識する必要があるでしょう。

Ⅷ.初めての単語、世の元の真清(詞)水

第十四帖
●目から泥を洗ひ去ると見へてくるぞ、右の目ばかりではならん、左の目の泥も落せよ。泥のついてゐない人民一人もないぞ、泥落すには水がよいぞ、世の元からの真清(詞)水で洗ひ落し下されよ、世の元の元の元の真清(詞)水結構。

目から泥を洗ひ落としてください。右、も左も、です。

目は、七四の神様ですが、泥のついていない人民は一人もいないのです。
泥落とすには、世の元からの真清水、で洗ひ落としてください。

真清水は、(ましみず)、(しみず)、どちらの読み方もありそうですが、
四の水で洗ひ落としてください。との事です。

世の元の元の元の真清(詞)水が結構、とまで伝えられていますので、
四の元の元の元の、そこでも、四の水、を意識してください。

世の元からの真清水、詞、もありますから、歌うと判る場合もあると見ています。

Ⅸ.土の成長、地変について

第十七帖
●土のまんぢうと申してあろう、土が食べられると申してあろう、土から人民を生んだと申してあろう、ウシトラコンジンの肉体は日本の土ざと知らしてあろう、土に生きよと申してあろう、地は血(智)であるぞ、素盞鳴命様であるぞ、その土が生長して果ての果てに皮をぬぐ、それが地変であるぞ。

ウシトラコンジンの肉体は、日本の土です。
土、とはカミヒト共になった御三体の大神様です。
ですから、二本の御三体の大神様、でもあります。

地は血であり、智、ですし、千、ですし、スサナルの命様、です。

その土が生長して果ての果てに皮をぬぐ、それが地変になります。

この後の、ビックリ箱が気になります。

このように土の成長、そして、地変について、愈々明確になってきました。

Ⅹ.夜明け前の状況。自分と自分が語り合う。霊かかりウヨウヨに注意

第十八帖
●天人が人民に語る時は、人民の中に来て、その人民のもつ言葉で語り文字を使うのであるぞ、自分と自分と語る如くなるのであるぞ、天人同士の文字は数字が多いぞ。夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言。

天人が人民に語る時は、人民の中に来て、その人民のもつ言葉で語り文字を使います。
それは、自分と自分が語るようになるようです。

このような状況となるようです。

その天人同士の文字は数字が多いようです。

夜明け前になると、霊かかりがウヨウヨになります。
暫くはこのような状況になるようです。

マコトの神かかりになる事が何より求められますが、
日々、行を進め、サニワをしていかないと、どうしても、霊かかりに落ちてしまいます。
油断ならないのです。

日々、行、省みるの繰り返し、そして騙されている御自身。
自身でも気付かない御自身を浄化していく事が求められます。

ⅩⅠ.日本の古語が、マコトの言葉。言霊と、数霊と弥栄ゆく仕組

第十九帖
●人民もの言わなくなると申してあろうが、ものが今迄のようにものを言わなくなり、マコトの世となるぞ、天人の言葉はマコトであるから、只一言で万語を伝へ得るぞ。言葉の生命(いのち)は愛であり、真であるから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉でないぞ。子音と母音と組み組みて父音の気を入れて始めて言葉となるのぢゃ、今の人民のは言葉でないぞ、日本の古(光)語がマコトの言葉ぞ、言霊ぞ、数霊と倶に弥栄ゆく仕組。

天人の言葉は、一言で万語を伝えます。

真愛から発しない言葉は、マコトの言葉ではないのです。

日本の光語がマコトの言葉、なのです。

ここまでは3ヵ月前からあったと見ていますが、
最後に、マコトの言葉が、言霊、数霊、と倶に弥栄ゆく仕組。
というのは初めてと見ます。

ⅩⅡ.初めての文面、始めの言葉の元について

第二十帖
●人民が正しく言葉すれば霊も同時に言霊するぞ、神も応へ給ふのであるぞ。始め言葉の元があるぞ、ムムムムムウウウウウゝゝゝゝゝアと現はれるぞ、神の現はれであるぞ、言葉は神をたたへるものぞ、マコトを伝へるものぞ、倶(トモ)に鳴り、倶に栄えるものぞ。

具体的に、始めの言葉の元、についての記載は初めてです。

ムムムムムウウウウウゝゝゝゝゝア、と現はれる、ようです。

神の現はれ、言葉は神をたたへるもの、マコトを伝へるもの。
倶(トモ)に鳴り、倶に栄えるもの、のようです。

ⅩⅢ.初めての文面、天の理が地に現はれる時が岩戸あけ、日本の国が甘露台

第二十三帖
●二二の二の五つの今あけて、よろづゐんねん出づる時来ぬ。天の理が地に現はれる時が岩戸あけぞ、日本の国が甘露台ぢゃ。

ここでは遂に、明確に、天の理が地に現れる時がイワト明け、と書かれる事となりました。

日本の国が、甘露台です。

甘露台とは、生き通しを意味しているようです。

二本の九二が甘露台です。

ⅩⅣ.裁き説く宗教は、いよいよ骨なしフニャフニャ腰に

第二十五帖
●歓喜に裁きのない如く、神には裁きなし。さばき説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となるぞ、戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎん、裁きを説くのは自分で自分をさばいてゐること、人民に罪なし。

このように明確にさばき説く宗教は、いよいよ骨なしフニャフニャ腰に。
と明確に書かれる事となりました。

戒律、裁きは低い段階。とありますから、
法律、司法も、愈々低い段階。フニャフニャ腰になる可能性が高くなってきています。

裁きを説くのは自分を裁いてゐること、と明確な記載も初めてです。

人民に罪無し。
という断定も初めてと見ています。

悪を悪で無くす、悪を抱き参らせるは、もう既に行じていることが前提になってきている、と見ています。

2.マンデラ・エフェクト 気になる文面 五十黙示録 第四巻 龍音之巻

Ⅰ.五十黙示(いせもくじ)の七巻は神、人共に与へたもの

第一帖
●この巻「竜音の巻」、つづく巻五は「極(きわみ)の巻」、巻六は「至恩の巻」、巻七は「五葉の巻」ぞ。この五十黙示(いせもくじ)の七巻は神、人共に与へたもの、一巻からつづいたものぞ。同じ意をもつものが天国にもあるのであるぞ。合せて三十巻、これで岩戸までの神示の終りぞ、前に出した「黄金の巻」からの七巻(日月地聖典下編)は人民に与へたものであるぞ。

この五十黙示(いせもくじ)の七巻は神、人共に与へたもの。カミヒトに向けてのもの。
というのも初めて伝えられたと見ています。

ちなみに「黄金の巻」からの七巻は、人民に与えたものです。

このような明記は以前にはありませんでしたが、第四巻 龍音之巻の冒頭で現れるようになりました。

Ⅱ.サニワの方法について、肉体への感応について

第三帖
●世界中が霊かかりとなると申してあるのは今のことであるぞ、かかりてゐる世界自身わからなくなっているぞ、サニワせねばならん、サニワの方法書き知らすぞ。世界を、日本を、自分をサニワせねばならん。目に見へぬ所からの通信は高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的となるものであるぞ、ドタンバタン、大声でどなり散らすのは下の下。神もフトマニに従わねばならん。順を乱すわけには参らん、高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、それぞれの段階を経て感応するのであることを忘れてはならんぞ、下級霊は現実界と紙一重の所に住んでゐるのであるから、その感応は極めて強く、如何にも尤(もっと)もらしく人民の目にうつるものであるぞ、高度のものは、その人民のミタマの如何(いかん)によって、それと同一波調の神霊に伝達され、その神霊の感応によって表現されるのであるぞ。特別の使命をもつ天使は、最下級の霊界まで降って来て、人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ。また天使の霊が母体に宿り人民として生れてくる事もあるぞ、末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ。

その内容そのものは、以前よりお伝えされていたものはありますが、
サニワの方法、という伝え方は初めてです。
そして、第四巻 龍音之巻一巻が、ほぼ全てサニワについてまとめられている、マンデラ・エフェクトを起こしていました。

既に世界は、霊かかり、となっていますが、かかっている世界自信が判らなくなっています。
ですから、世界、日本、御自身をサニワしていかないとなりません。

下級霊と現実界は紙一重ですから、下級霊程もっともらしくうつるものなので、注意が必要です。
段階が低い程、感応はしやすく、もっともらしく映るのです。

高度なもの程、肉体的には感応が弱く、暗示的となります。
高度な霊が直ちに肉体人に感応する事はなく、段階経て感応するようになっています。

高度なもの程、その人民の如何によって、同一波長の神霊に伝達され、その神霊の感応よって表現されます。
故に、感応よりも、暗示が強いものとなり、それらしくも見えず、非常に判りにくくなります。

人民の特別な通信をなし、指示することもあります。
直接母体に宿り人民として生まれてくる事もあるようです。

末世にはこの種の降誕人が沢山あるようです。

Ⅲ.たとへ神の言葉でも、尚サニワしてください

第五帖
●幽界は人間界と最も深い関係にあり、初期の霊かかりの殆どは この幽界からの感応によることを忘れるでないぞ。霊かかりの動作をよく見極めればすぐ判る。高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものは必ず下級霊であるぞ、インチキ霊であるぞ、インチキ霊にかかるなよ、たとへ神の言葉でも尚サニワせよと申してあろう。迷信であってもそれを信ずる人が多くなれば、信ずる想念によって実体化し、有力な幽界の一部をつくり出すことがあるから気付けておくぞ。無き筈(はず)のものを生み出し それが又地上界に反影してくるのであるから心して下されよ。今の人民 九分九厘は幽界とのつながりをもつ、胸に手をあててよくよく自分をサニワせよ。

インチキ霊の所作については、以前よりありました。

ここで重要なのは、例え神の言葉でも、尚サニワせよ、とある事です。

そもそも幽界は、人間界と最も深い関係があります。
現在の人民、九分九厘は幽界とのつながりをもちますから、よくよく御自身をサニワしていく必要があります。

迷信でも、それを信じる方が多くなれば、想念が実態化し、有力な幽界の一部をつくり出すのです。

ですから、核兵器を持ち込もう、という思念が増える程、その世界が実現し、核戦争の世界の実現がしやすくなる、という事もありますし、戦争思念が強まりますと、やはり天変地異も加速し、致命的天変地異が日本に実現化する、という流れになるのです。

常にサニワをしていく必要があります。

Ⅳ.高度な幽界の霊のサニワについて、中々サニワは難しく注意がいる

第六帖
●霊的良識は、神示や神典類によって、又体験によって養はれ、又高度な科学書も参考となるものぞ、科学を馬鹿にしてはならん。幽界の霊であっても高度のものともなれば、神界の高級神霊と区別することが六ヶ敷いぞ。初歩のサニワの誤り易いところであり、又霊眼するものの誤り易いところ、注意しなければならん、例へば霊光の如きものも強く大きくて中々にサニワ出来ないぞ。

霊的良識は、神示や神典類によって、体験で養われます。
また、高度な科学書も参考となる為、科学も馬鹿にはできないのです。

幽界の霊であっても高度となれば、神界の高級神霊と区別は難しいのです。

初歩のサニワの誤りやすい所です。
又霊眼するものの誤りやすい所です。

高度なもののサニワは難しくありますが、それでもサニワをしていく必要があります。

ですから、最後の最後まで、マコトになるまで。
御自身は騙されている。その心がけで取り組む必要があります。

そして、そのマコトも魔人のワナに掛かっている事もまた忘れてはなりません。

Ⅴ.憑依は、ほぼ全ての方が受けている

第九帖
●人霊以外の霊で人民に憑依するのは、日本では天狗風(てき)、神風(てき)、仙人風(てき)、狐風(てき)、狸風(てき)、猫風(てき)などが大部分であるから気つけおくぞ。

猫風(てき)が、新たに加わったように思います。

天狗風(てき)は、やはり天狗になっている方ですが、
鼻ポキン、と、くどい位に度々伝えられている通り、多くの方々が、関係しているでしょう。
そして、サニワしても、知らず知らずに、御自身がなっている所もあると思います。(笑)

天狗風(てき)は、誰もが通る憑依現象です。
普段より注意が必要です。

神風(てき)、多いと思います。
御自身を神様、高級神霊的に伝える方々。
スピリチュアル関係では相当多いでしょう。

仙人風(てき)、も多いです。
戒律好きな方は、それは、する側だけでなく、される側も多く、
宗教面だけでなく、社会全般、校則、社則、に限らず、家庭も含め、男性、女性、問わずかなり多いです。
現在の社会の構成基軸が、自己犠牲の部分は強い為、どうしても、仙人風(てき)、に騙されてしまう方も多いです。

狐風(てき)は、利欲的なもの、全般に多いと思います。
ですから、影響を受けている方はどうしても多いですし、全く無縁だった方はこの世に居ません。

狸風(てき)は、騙す事に関係している方が多いです。
ですが、騙しの神様に関係していない人はいません。
故に、狸風(てき)も誰もが関係しているものです。

猫風(てき)は、猫はそもそも人間らしい所があります。
マイペース、自分ペース、の所もあれば、寂しくなった寄って来る所もあります。
性格的には、人間と猫はかなり近い所がありますから、これも影響を受けている方は多いでしょう。

そして、猫風(てき)は今回、初めてと見ていますが、
愈々、御自身の人の部分、と向き合ってください。
それは、幽界と多分に関係していますから。
と伝えて来ているように思います。

ねこ、とは、根の九、でもあります。
御自身の根、と向き合いますと、御三体の大神様の道がひらけてきます。

Ⅵ.動物霊は、人間よりも、思念を察知する能力が優れている傾向がある

第十一帖
●霊には物質は感覚の対象とはならない、霊には、人間の肉体は無いのと同じである。祖先霊に化けて何かを企てる動物霊が多いから注意せよ。動物霊が何故祖先のことを知るかと申せば、その憑依の対象となる人間の肉体霊の知ってゐることを、直ちに知り得るからである。

動物は、実は、人間の肉体霊の知っていることを、直ちに知り得る存在があります。

代表は、蛇です。
蛇は、大地と接する事から、人類史まで、知っている所があります。

その中で、個々の思念を知るのも、一瞬で判るようです。
ですから、その方々の御先祖様の事から判るようです。

個々の思念を知るレベルなら、犬、猫、はかなり多くの者ができます。
それが、霊体ともなれば、時空間問わない世界ですから、より容易に察知できるようになるのです。

動物霊の思念のやり取りは、人間よりも優れているところがあります。

Ⅶ.高度な動物霊とは、実は、生前の御自身

第十三帖
●時に、例外として人間の魂と動物の魂と入れ替ってゐることもあるぞ、この場合は肉体に入り込んだと考へてよいぞ。こう言ふ場合、例へばそれが狐ならば狐の様相を露呈するから、誰にでもすぐ判るなれど、悪行を積んだ霊ともなれば巧みに、その時代々々の流れに合せて化けているから、中々見破ること六ヶ敷いぞ、心得なされよ。或る種の霊は、自分自身は高度な神界に住んでゐると誤信してゐるものもあるが、こうした霊が感応した場合は自信を以って断言する場合が多い、人間が知らぬ世界のことを、自信を以って強く告げられると、多くのサニワは参って了ふぞ。

動物霊に取りつかれた事は無い。だから、そういった話もある。
御自身と無関係に思われる方が多いと思います。

ですが、悪行を積んだ霊ともなれば巧みに、その時代時代の流れに合わせて化けている。
中々見破ること難しい。心得なされよ。
とあるのですが、実はこの存在こそ、御自身そのもの、生前から御自身でもあるのです。

そして、高度な神界に住んでゐるからと誤信してしまうものでもあるのです。
それが、実は現在の人類の一面でもあります。
こうした霊が感応した場合、自信を持って断言したりするようです。
人間が知らない世界を自信を持って強く告げられると、多くのサニワは参ってしまいます。

実際、豚辺りは、人間と思念は殆ど変わりません。
犬、猫もそうです。

ですから、高度な動物霊。巧みに化ける動物霊。
実は、関係していない人はほぼ居ないと思ってください。

先述した、天狗風(てき)、神風(てき)、仙人風(てき)、狐風(てき)、狸風(てき)、猫風(てき)、全く関係していない人は殆どいないことと同じなのです。

Ⅷ.霊に向かっては、常に愛を持って接しなければならない

第十五帖
●サニワは、場合によって霊媒を誘導してもよいぞ、又霊に向って常に愛を持って接しなければならんぞ。誰でも絶へず霊界とのつながりがあり、霊界からの呼びかけがあるから、サニワはそれを助け、導くように努力しなければならんぞ。

霊には、常に愛を持って接しなければなりません。
似たような文面は以前にもありましたが、愛を持って、という表現は初めてと見ます。

霊は、誰でも絶へず霊界との繋がりがあり、霊界からの呼びかけもあります。
霊界の呼びかけは、身体に現れるだけでなく、周囲の変化を起こす事もあります。

場合によっては、生前界からの訴えがある事もあります。

サニワはそれを助けるよう、導くよう努力が必要です。

第十六帖
●はじめに出て来る霊は殆ど下級霊であるぞ、玄関に先づ出て来るのは玄関番であるぞ。祖霊の出る場合は、何か頼みたい場合が多いぞ、浄化した高級霊ともなれば、人民に判るような感応は殆どないぞ。

最初に出て来る霊は、殆ど下級霊です。
最も人間界とは、幽界と深い関係性がありますから、下級霊が殆どです。
高級霊と接する事はまずない、と思ってください。

祖霊の出る場合は、何か頼み事が多くあります。
身体に出て来る事もよくあります。

浄化した高級霊となりますと、人民に判るような感応は殆どないようになります。

Ⅸ.浄化の際、悪をきらふ心があってはならない、悪抱き参らせが基本

第十七帖
●霊の要求ぢゃと申して、そのまま受け入れてはならんぞ、よく判断した上で処理せねばならん。下級霊、動物霊の場合は酔ひどれのように箸にも棒にもかからんことを申すものぞ。殊にその霊が病気に関連をもってゐる場合は微妙であるから、よく心得なされよ。悪い企て、悪い行為ぢゃとて、直ちにキメつけてはならん、やんわりともちかけて善きに導かねばならんぞ、悪をきらふ心があってはならん、悪抱き参らせと申してあろうがな。邪道的要求を容れて一時的に病気を治すと、それに倍してブリ返すぞ、この呼吸大切。

前世ヒーリングでは、霊の要求は、殆どありませんが、
それでも、恨んだり、恨まれたり、思念で苦しんでいる事。が殆どです。

そして、よく判断した上での浄化が、求められます。
判りやすく言えば、元の思念、喜び、を目標に、納得して頂き、改心していく事。
こちらが主旨になるのです。

悪を抱き参らせ、が基本です。
悪をきらふ心があれば、中々浄化は進みません。

中々心を開かない前世も稀にありますが、やんわり持ち掛けての導きは、求められる事もよくあります。

そして、重要なのは、浄化が進む度に段階があり、その時、その時、通じる話があるのです。

この順がかなり大切です。呼吸が大切なのです。

今の所、邪道的要求をしてくる霊。
下級霊、動物霊が、酔いどれのように、箸にも棒にもかからんことを申された経験はないのですが、
やがて段階が進むと、体験する可能性があります。

その際、邪道的要求を受け入れては倍になってブリ返すようです。

ですが、悪を抱き参らせる、悪と向き合い、順に進めていけば、このような事は無いと見ています。

それは、日々のお悩み相談でも同じです。
前世ヒーリングだけの話だけではありません。

その為にも、順に行を進めて行く事が求められます。

Ⅹ.霊覚者、行者の奇跡、非常識な行動に騙されないように

第十八帖
●霊に⦿(ひつぐ)神示をよんで聞かせて見よ、その偉大さがハッキリ判るぞ。どんな下級霊であっても、その霊を馬鹿にしてはいけない、馬鹿にすると反射的にサニワを馬鹿にして始末におへんことになるぞ。霊覚者や行者の中には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくあるぞ、一般の人民はそれにだまかされることがよくあるぞ、何れも下級霊のしわざであるぞ、正神には奇跡はない、奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ、奇跡するものは亡びる。高級霊は態度が立派であるぞ、わかりたか。

前世ヒーリングの際には、中々⦿(ひつぐ)神示、その内容をストレートに伝える事は滅多にありません。
伝わる霊もありますが、例えば、西洋の前世であれば、伝わらない者が殆どです。

殆どのケースでは、その霊に判りやすくなるように、
反応する内容に置き換えたり、例を交える事が多いです。

その際、智を悪の中に取り込む余裕もかなり求められます。
悪の共感が無い事には、始まらない事が殆どなのです。

ですが、悪を意志し理解し、伝えて行きますと、理解が進んだ段階に応じて、相手の理解が進み、
その結果、負の想念が無くなるのです。

私は、前世ヒーリングの師匠は常々、⦿(ひつぐ)神示でしたが、その偉大さは体験をしていくと、確かによく解りました。

無理なく、御自身の理解と経験と共に、段階が進むようになっているのです。
受ける側でも、する側でもそこは同じなのです。

霊覚者や行者の中の中には奇跡的な施しをしたり、非常識な行動をする者もよくあります。

特に下級霊を馬鹿にした態度で接すると、手に負えないような事になる事がよくあります。

これは、現代に至るまでも、多々起こってきた事です。
そして、この因果で苦しむ方もやはり沢山います。
このケースでは、関係する者全て、下級霊に騙されているのです。

そして、奇跡を見せるタイプの方も、実は同じです。

直接、その場で治す方もそれなりにいますが、それは、原因なっている霊の意志を無視している事がよくあります。

霊を意志し理解する過程が無い事には、霊側も肝心の思い、意志を馬鹿にされた、と捉える者も中には居るのです。

そして、肝心が変わっていない為に、結局は元に戻ってしまう事が通常であり、場合によっては倍になってブリ返すのです。

正神には奇跡はありません。奇跡が無い事が大きな奇跡なのです。
これは、経験を伴わないと判らないようになっています。

奇跡するものは例外なく滅んできたのです。
実際、奇跡の度合いが強い程に、宗教戦争等の深みに嵌る因果を産み出してきました。

そして、此の事に生前から苦しんでいない方もいないのです。

段階が進んで行きますと、奇跡を起こす事で苦しんできた前世と向き合う時が来るようになります。

着実に、霊の理解を一歩一歩進めていき、霊の負の思念(恨み、苦しみ、怒り)を無くしていく以外に道は無いのです。

前世ヒーリングに限らず、普段のお悩み相談でも同じです。

ⅩⅠ.霊の発動をとめて静かにする方法

第十九帖
●霊の発動をとめて、静かにする法は「国常立大神 守り給へ幸(さき)はへ給へ」と三回くり返すこと。又「素盞鳴大神 守り給へ幸はへ給へ」と三回くり返すこと、又は「太日月地大神 守り給へ幸はへ給へ」と三回くり返すこと。世界そのものの霊かかり、日本の霊かかり、早うしづめんと手におえん事となるが、見て御座れよ、見事な事を致してお目にかけるぞ。

霊の発動をとめて、静かにするには、

「国常立大神 守り給へ幸(さき)はへ給へ」
「素盞鳴大神 守り給へ幸はへ給へ」
「太日月地大神 守り給へ幸はへ給へ」

いずれかを三回繰り返してください。

ですが、行、省みる、その理解、経験に応じたもの、御自身の段階に応じてそれは変わってきます。

日本の霊かかりは、既に大変なものですし、早く鎮めないと手に負えない事になりますが、回避策は、カミヒト共に早く進み、その為には、行、を少しでも早く、していく事が求められるのです。

3.まとめ

第三巻 星座之巻、第四巻 龍音之巻、では、愈々霊かかりとなっている日本。
その霊かかりを無くする為のサニワの方法について、その詳細について伝えられていました。

第三巻 星座之巻、では、

カミヒトに近づいても物はいへなくなる。
今現在、生む以外方法は無い。生まないと手遅れ。
一度死んで下されよ、が全員が対象に。
その中心が動かず、人民、食物も、衣類も、住居も全てが変わる。
新しい世界は、霊界、現界、両面をもつ所。
岩戸あけ、日本の国が甘露台(生き通し)。

と、愈々の三四五の世界を具体的に伝えています。

その夜明け前の状況。
自身と自身が語り合う事、つまり、御自身のサニワが増え、日本、世界も、霊かかりウヨウヨの時代が到来するのです。(既に、日本、世界も、そうなっているとも言えますが、まだ加速し、2023年、新たな病が発生する可能性高めです)

ですから、御自身の中の霊かかりからサニワを始め、続いて日本(二ホン)、世界(セカイ)、とサニワを続けて行く事が求められています。

そのサニワを詳細に伝えていたのが、第四巻 龍音之巻です。

憑依を受けていない方は居ません。
高度な動物霊とは、生前の御自身の事なのです。

更に、高度な幽界の霊のサニワが今後求められて行くのです。

天狗風(てき)、神風(てき)、仙人風(てき)、狐風(てき)、狸風(てき)、猫風(てき)、
無縁の方は居ません。

そして、悪を抱き参らせる行、が今後求められるのです。

是非、この後、カミヒトに進む上で、五十黙示録にあります事を、実践していってください。

追伸1 10月15日(土)~16日(日)にかけての睡魔は過去最大級でした

今回、10月15日~16日にかけての睡魔は過去最大級のものだったと思います。

一日10時間以上寝て普通ではなかったでしょうか。

(同時に、空腹感も凄かったと思います。ですが、食べても、太らない、胃もたれもなく、不思議な現象が起こります)

ですが、それは、行が順調に進んでいる証拠です。

特に御神示を読み進めるのは、大変だったと思います。多大なマンデラ・エフェクトが起こっている為、簡単には読み進められないようになっています。(時節、のタイミングを図っている所もあるようです)

ですが、それは正常な事なので、ご安心ください。

現在、世界の軍事情勢、国難級天変地異は不穏な位置にありますが、この後、どう移行するかは、御自身の行にかかっています。

御自身のできる所より、着実に行を進めてください。
また、御自身のサニワ、は、まだまだ求められるでしょう。

三四五に向けて、しきまきやを意識したお悩み相談、0次感情を意識し、前世鑑定から前世ヒーリング。

平面から立体へ、とどんどん進めてください。

この後、三四五に向けての動きが起こっていきます。

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