鉛(七真理)のマンデラ・エフェクト 白銀の巻~黒鉄の巻 2022年9月19日現在

人類滅亡シナリオ回避の為、御神示をお読みください

今回の、御神示マンデラ・エフェクトは、第二十五巻白銀(しろがね)の巻、第二十六巻黒鉄(くろがね)の巻、の2つとなりました。白銀(しろがね)の巻、黒鉄(くろがね)の巻、の2つの巻で止まったのにも理由がありそうです。

二つの巻の共通しているマンデラ・エフェクトに、
しろがね、くろがね、と読むはずなのに、
文面内では、しろかね、くろかね、と濁点が抜けている部分がある事です。

我(ガ)が、か(火、水)と変化しているのです。
御神示内では、我(ガ)が、無くなる段階に向けての内容に変わってきているのです。

白と黒とを交ぜ合せると灰色となる常識はもう役にたたんぞ。白黒交ぜると鉛となり鉄となり銅となるぞ、更に銀となり黄金となるぞ、これがミロクの世のあり方ぞ、

元々、白黒合わせて灰色になる常識が役に立たない時が来ている、とは御神示で御伝えされていました。
白黒交ぜると鉛(七真理、金の八の入り口)となり、鉄、銅、銀、黄金、と進んで行く、という意味です。

これが、ミロク(五六七)の世の在り方ですが、三千世界の和合にむけて、実はまだもう一段上に先に進む必要があるのです。先に、三四五の世に全て出して、九十となる事が求められているようです。

この為に、今回は、白銀、黒鉄の巻は止まったようです。

また、他にも、黒鉄の巻の終わりでは、旧九月八日、で締めくくる、という事もあったようです。

故に、この後、旧九月八日、10月3日より、愈々、世が動き出す事を示唆している事もあります。

それでは、白銀の巻、黒鉄の巻を御伝えしていきますね。

目次

1.マンデラ・エフェクト 気になる文面 第二十五巻 白銀の巻(シロガネの巻)

白銀の巻(シロガネの巻)では、以前は八帖ありましたが、現在は七帖です。

このように文面が減少するマンデラ・エフェクトが起こっていますが、その分、一文は長くなったようです。

特に最後七帖目は、霊界の事、が記されています。

前世ヒーリングを受ける、また御自身がする側。でも非常に参考になりますし、普段のお悩み相談、行を進めて行く上でも、とても重要な内容が書いてあります。

Ⅰ.が(我)が、か(火)(水)、と出だしで変化。まことの天地のことわりの時節到来

第一帖
●「天地のことわり書き知らすぞ。」この巻しろかねの巻。天国ぢゃ、霊国ぢゃ、地獄ぢゃ、浄土ぢゃ、穢土ぢゃと申してゐるが、そんな分けへだてはないのであるぞ。時、所、位に応じて色々に説き聞かせてあるのぢゃが、時節到来したので、まことの天地のことわりを書き知らすぞ。

しろがね、の巻のはずが、しろかね、と出だし変わっています。

が(我)が、か(火)(水)、と変わっているのです。
我が無くなり、火水に入っています。

しろかね、とは、四六火根、ですね。
根は、ウシトラコンジン様の岩戸開き、を意味しています。

ですから、愈々の段階に現在入っています。

天国、霊国、地獄、浄土、穢土、そのような分け隔ては無いのです。

これまで、時、所、位に応じて、色々説き聞かせてあったのですが、
時節到来したので、まことの天地のことわりを書き記す事になったようです。

この後、その詳細が沢山書かれています。

Ⅱ.日の光が、七つから十の世界へこの後進む

第一帖
●日の光を七つと思うてゐるが、八であり、九であり、十であるぞ。人民では六つか七つにしか分けられまいが。「イワトがひらけると更に九、十となるぞ。【かくしてある一厘の仕組、九十の経綸、成就した暁には何も彼も判る】」と申してあらうが。

音階でも、新たに産み出す世界は裏で御伝えしましたが、この後、光の七つが十に産まれる世界に進みます。

人民では日の光を六つか七つにしか分けられないのですが、イワトが開きますと、更に、九、十、になります。

隠してある一厘の仕組も、九十の仕組も成就した際には何もかも判るようになります。

ですが、ここまで、御神示のマンデラ・エフェクトをご理解している方、また、新たな御神示を読まれている方には、その詳細も徐々に判ってきているはずです。

Ⅲ.おもひ起って肉動く

第一帖
地の規則、天の規則となることあると申して知らしてあらう。この大切こと忘れるでないぞ。おもひの世界が天ぞ。にくの世界が地ぞ。おもひは肉体と一つぞ。二つぞ。三つぞ。おもひ起って肉体動くぞ。肉体動いておもひ動くこともあるぞ。生れ赤児の心になって聞いて下されよ。何も彼も、ハッキリうつるぞ。

地の規則、天の規則となる事があります。
この事は、大切な事です。やがて、この規則の通りになる事が増えていくようです。

おもひの世界が天で、にくの世界が地です。
思念が天(・)で、3次元が地(千)です。

おもひと、肉体は、一つ、二つ、三つ、となります。

一つは、和合としての一。
二つは、二二の仕組、世界。
三つは、新たな第三の世界を産み出す。

他にもあると思いますが、解りやすい所はまずこのような解釈があります。

生れ赤児、とは、⦿(もと)を明るみにする五(変化)、を意味している所もあると思います。

肉体も二九が十一となり、おもひ、も、終わりから、母の元なる過去に向け、火が付く、という意味もあります。

何もかもハッキリとしてくるようになります。

Ⅳ.三が元、⦿(元)の中には⦿(元)が限りなく無限に続く

第一帖
三が道と申してあろう。陰陽二元でないぞ。三元ぞ。三つであるぞ。・なくてはならん。・にもかくれた・と現われた・とがあるぞ。このこと先づ心得て下されよ。(中略)⦿の中に⦿があり、その中に又⦿があり、限りないのざと知らせてあらうが。

三が道が元です。

私達の世界は、三が道を、三我道としてしまい、可能性、を閉ざし続けた結果、縛られた、3次元世界に閉ざされている所があります。

陰陽は、確かに二二、という点で判りやすいのですが、真理は、陰陽二元ではありません。
新たに産み出す、三つ目。三元が元です。

その三元にも隠れた・。
現れた・があるのです。

ですが、隠れてしまっている。
それも、御自身の我から無き事にしている事が殆どです。

そして、現在の3次元世界に捉われてしまう流れになります。

隠れた・、現れた・。
実際には、この繰り返しで、産み出したり、その逆に無き事にしたり。
これが、限り無く続いてきたのです。

ですから、⦿の中に⦿があり、その中にも又⦿があるのです。

元(⦿)の神は、無限に産み出し、永劫弥栄、超完成、超未完成、の意味が判りやすくなってきています。

以前、陰陽二元ではなく三元、とまでの説明はありましたが、今回は、更に詳しくなってきています。

Ⅴ.まことの天国は、喜びのみ

第三帖
●善とか悪とか真とか偽とか愛とか憎とか申すのは相対の天国ぞ。まことの天国には喜びのみが生きてゐるのであるぞ。喜びの中にとけ入って、喜びのものとなってゐるのであるぞ。喜び食し、喜び着、喜びを呼吸し、喜び語り合って、嬉し嬉しとなるのぞ。

善悪、真偽、愛憎、は相対の天国であり、絶対ではありません。

まことの天国には、喜びのみが生きているのです。
喜びの中にとけ入って、喜びのものそのものに成ってゐるのです。

喜び食し、喜び着、喜びを呼吸し、喜び語り合って、嬉し嬉し、となるのも、
段階が進んできますと、体感、経験していく事になります。

喜び、基軸で、無限に弥栄していくのです。

Ⅵ.己にある悪を無きにして、悪から弥栄し、元に帰る、人間の働き

第四帖
●善に向って働いても、善はビクともせんのぢゃ、ビクつくのは、悪に引込まれるのは、己に悪あるからぞ。合せ鏡と申してあらうが。悪の気断ちて下されと申しておらう。心の鏡の凸凹なくなれば悪うつらないのざ。悪はなきものぞ。無きとは力無きことぞ。悪あればこそ向上するのであるぞ。悔い改め得て弥栄するのであるぞ。人間の能(ハタラキ)あるのざぞ。・を忘れてはならん。

善とは、和合する、仲良くする、理解する、です。
その基軸ではビクともしません。

ビクつくのは、御自身に悪が残っている為です。そして、その悪が悪のままの為です。

悪が残っていますと、分離、拒絶、となり、
その結果、恨み、負の想念、となっていきます。
この中には、外道の善も含むでしょう。
そこには、理解が無い為、善(和合)ができないのです。

悪の気を絶つには、理解を進め、悪を悪で無くす事が肝要です。

そして、元来は、悪は無かった事に気付きます。
また、悪とは、力が無かった事に気付きます。

ですが、悪があった為に、向上があり、新たに産み出す事が判るのです。
悔い改め得て、そこで弥栄していくのです。

人間の働きはそこにあるのです。
・(いのち)に働きがあるのです。

Ⅶ.マコトのかみかかり、は神界、中界、現界の3つを貫き通している

第六帖
●神界、中界、現界つらぬきて居らねば、マコトの和合して居らねば、マコトの喜びでないから、マコトの喜びが大神であるから、大神の働きは人間によるものであるから、心せねばならんぞ。・せねばならんぞ。(中略)人間は皆、かみかかってゐるのであるぞ。かみかかってゐないもの一人も居らんのぢゃ。かみかからんものは呼吸せんのぢゃ。このこと判りて居らうがな。霊人は人間の心の中に住んでゐるのであるぞ。心を肉体として住んでゐるのぢゃ。その中に又住んでゐるのぢゃ。ひらたう説いて聞かしてゐるのぢゃ。霊人と和合してゐるから、かみかかりであるからこそ、三千世界に働き栄えるのぢゃぞ。神界のことも判る道理ぢゃ。幽界のことも判る道理ぢゃ。人間の云ふかみかかりとは幽界のカミかかりぢゃ。ろくなことないのぢゃ。かみかかりにも、かみかかりと判らんかみかかり結構ぢゃなあ。まことぢゃなあと知らしてあるのに未だ判らんのか。

神界、中界、現在の世界、つらぬいて、御自身がマコトの和合していないと、マコトの喜び出ないのです
心(九九六)しないとならないのです。

また、御神示内に様々登場する「ならんぞ。」
というのは、「コトにならんぞ。」と思ってください。

実は人間は皆、かみかかってゐるのですが、その事に気付いていません。
騙されている、という事も含め、かみかかってゐるのですが、
騙しの神様の部分で、御自身の我に気付けていない段階は、心せねば、進まないようになっています。
その後、行を伴い、体験を通じてのみ、我を磨けるようになっているのです。

ミタマが磨けますと、必ず元(⦿)に帰る事ができるのです。

この事から三千世界に働き、栄える、という事が判ってきますし、神界、幽界の事も判るのです。

そして、我欲で進んだカミかかり、が、実際には圧倒的多数です。

直接、神や、御霊に繋がりますと、その意志に乗られている為に、御自身の意志と、和合したものではない事が殆どです。

それは、多くの方々が、生前より体験してきた一面的世界ではありますが、ろくなことがない、とはっきりと申されています。我欲に騙された御自身の世界、だからです。

こういった意味で、かみがかり、にガードしている方もいますが、ある一面では正しい反応です。
ですが、このような方々に向けても必ず理解基軸で進み、サニワし、浄化していく事が求められる時が必ずきます。

宗教、かみがかり、の影響を生前受けなかった方は居ないのです。

かみかかりと判らないかみかかりがマコトのかみかかりです。
この事につきましては、御自身の行、ミタマ磨きにより、御自身のハイヤーセルフをサニワしていく事で判るようになっていきます。

Ⅷ.霊界は情態の変化が元の為、霊界は無限、絶対、自由自在

第七帖
●(霊界は)時間、空間もあるのであるが、ないのであるぞ。同じ状態にあれば同じ処に住み、変化すれば別の所に住むのであるぞ。見ようと思へば、念の中に出て来て、見ること、語ること出来るのぢゃ。見まいとすれば見えんのぢゃ。自分で見、自分で語るのぢゃぞ。時、所、位、総てが想念の中、想念のままに現はれて来るのであるぞ。判るやうに申すならば、時間も空間も映像であって、情態が変るのみのことであるぞ。情態のもと、本質は限りないから、無限であるから、自由であるから、霊界は無限、絶対、自由自在であるぞ。現界では、時間に順に得たものでも、心の中では時間に関係なく、距離に関係なく、一所へならべられるであらうがな。心の世界で、時間、空間のない道理これでよく判るであらうがな。(五月八日)

霊界は、時間、空間はあっても、無いのと同じです。
状態の変化が、基軸の世界です。

ですが、霊界は思念が基軸の部分もある為、中々、霊界単体からでの改心は難しいのです。

3次元世界でも大多数派、悪多数決に騙されている事が多々ありますが、
霊界の方が、さらに改心、サニワが難しい世界なのです。

ですが、霊界でも、理解基軸で、改心、サニワで浄化を進める事は可能です。
そこでは、相手を意志し理解し、応じて起こる変化は、情態の変化になります。
負の想念の浄化は、このような流れです。

それは、前世ヒーリングだけでなく、お悩み相談からも可能の所があります。

また、霊界も、見る事、語る事は可能であり、見ない、とすれば見えないのです。

私達の世界における、時間、空間は、映像であり、情態の変化があるのみなのです。
ですが、これは霊界も対応する部分がある為、同じ所もあると言えばあるのです。

このように、情態のもと、本質は、限りなく、無限、自由ですから、霊界は、無限、絶対、自由自在です。

心の中では時系列、距離関係無く、自在に並べられますから、心の世界では、時間、空間は無いのと同じになります。

生き通しの世界では、このような感じで、寿命が終わらず、記憶が失われない世界となります。

2.マンデラ・エフェクト 気になる文面 第二十六巻 黒鉄の巻(クロガネの巻)

Ⅰ.第一帖、二帖以降にかけ、時間が逆行している

第一帖は一月二十三日ですが、第二帖~第三十一帖まで一月二十二日です。

愈々時間、が逆行する内容となってきました。
過去から未来の一方で進む時間の世界とは、この後変わって行く可能性があります。

ちなみに、最初の一月二十三日から約1年経過した後の一月二十二日ではないようです。(笑)

Ⅱ.登場する日は、一月二十二日、旧九月八日、が殆ど

また、登場する日は、第二帖~三十一帖まで、一月二十二日。
第三十二帖~三十八帖までが、旧九月八日です。

一月二十二日は、愈々二二の仕組が始まる事。
もう一つは、月日がひつく為、という事もあるようです。

第三十二帖~三十八帖までが、旧九月八日、なのは、愈々が、旧九月八日から進み出す事を伝えています。

ちなみに、黒鉄の巻の書かれた日は、昭和25年1月22日~10月18日となっていますが、丁度この年の10月18日が、旧暦九月八日にあたるようです。

故に、新暦10月18日、更に旧暦10月18日への意識も重要となりそうです。

Ⅲ.時代に応じた乗り物に乗ってください。現代は、インターネット時代

第一帖
●汽車あれば汽車に乗れよ。飛行機あれば飛行機に乗れよ。歩いたり、馬で行くのでは間に合はんことになってゐるぞ。昔のままの宗教のやり方ではならん。根本はよくても中々に目的地にはつかん。飛行機時代には飛行機に乗れよ。乗って進む宗教の道によらねばならん。今は今の姿が真実ぞ。
(中略)この巻くろかねの巻。(一月二十三日)

汽車あれば、汽車。飛行機あれば、飛行機。の時代です。

ですが、現在は、インターネットの時代です。
3次元であれば、汽車、飛行機が必要ですが、インターネットであれば、会う時はズーム、他SNS等で一瞬にして出会えます。

コロナの蔓延からも、愈々、インターネット、中でも特にズームがかなり重要な意味をもたらす、と思っています。
これが、最も早く意志疎通ができますし、三四五に進む上での型出し、と見ている為です。

今は今の姿が真実です。

また、黒鉄の巻でも、第一帖で、くろがね、が、くろかね、になっています。

ガ(我)が、か(火、水)に変わっており、白、黒、それぞれ、我が、か(火、水)に変わっている。
白黒鉛の段階に入っています。

Ⅳ.コトはミコト、ミコトは神の心。コト、オト、イロ、カズ全てがある

第四帖
●【生命はコトぞ。コトはミコトぢゃ】。ミコトは神の心であるぞ。喜びであるぞ。ミコトに生きよと申してあらう。コトあればオトあるぞ。オトあればイロあるぞ。イロあればカズあるぞ。善にも神の心あり。悪にも神の心がある。

命とは、コト(九十)です。コトはミコトです。
ミコトは、三コトでもあり、神の心であり、喜びです。

ミコトに生きますと判る事があります。

コトには、オトがあり、オトがあれば、イロがあり。
イロがあればカズがあります。

オト(音十)については、裏の仕組に書いてある通りとなってきました。

善にも神の心があり、悪にも神の心があります。

双方和合する早道は、いろは、の浄化にありますが、まずは、ひふみ、の浄化を進め、理解し体験していく事が白黒鉛の始めになります。

Ⅴ.三千世界は、全てが一二三(秘文)

第九帖
●神心には始めも終りも無いのぢゃ。総てがあるのであるぞ。世界見よ。三千世界よく見よ。総てが秘文ぢゃ。他力の中に自力あるのぞ。自分ばかりでは成就せんぞ。

神心には始めも終わりも無く、全てがあります。

ですから、世界(四カイ)をみて(三、四四)下さい。

さらには、三千世界(三のチの四カイ)をよくみて(四九ミ、四四)下さい。

全てが、一二三であり、秘文です。
(ですから、段階が進んで行きますとこの他の解釈もどんどん、と進んで行く事になります。)

他力の中に自力がある事が判ります。
そして、御自身ばかりでも成就しない事も判ります。

Ⅵ.愈々、表の守護と相成った、只喜びの世界が近づいている

第十六帖
●いよいよ表の守護と相成ったぞ。表の守護とは、よいものもなく悪いものもなく、只喜びのみの守護となることぢゃ。悪いもの悪くなるのは表の守護でないぞ。心得なされよ。

表の守護とは、良いものもなく悪いものもなく、只喜びのみの守護となることです。
それは、喜び基軸の守護の世となってきているのです。

悪いものが悪くなるのは、まだ表の守護ではありません。

ですが、今の所、環境破壊の悪化、戦争、病神の仕組等、まだまだ世の多数を占めています。

このような状況ですが、愈々、表の守護と成る時、三四五の世が近づいている時が来ているのです。

Ⅶ.神界を理解するにはイキしないと判らない。その理解を簡単にするには

第十九帖
●人間の智で判らんことは迷信ぢゃと申してゐるが、神界のことは神界で呼吸(イキ)せねば判らんのぢゃ。判らん人間ざから何と申しても神を求めるより、愈々になりたら道ないことぞ。

しきまきや、の世界を体験するのが一番判りやすいです。

簡単に言えば、負の想念の浄化。
御自身の前世で起こすと神界の事が、一番、神界のことが判ってきます。

自身の前世が、悪が悪で無くなる時。
また、生前の自身から受けていた恨みの思念が無くなる時。

それが、身体に現れている時、痛みがある時は、痛みが無くなったりするので、特に判りやすいのですが、これは体験しないと判らないようになっています。

それも、できる限り、御自身で浄化を進めて下さい。

このように、神界のことは神界で呼吸せねば判らないようになっています。

ですから、早く、負の想念を無くす行をしてください。
それは、神を求めればできるようになるのです。

経験しないまま、愈々になったら道が無くなってしまうので、その時では遅いですから、早く体験し、行動に移してください。

そして、多くの方々に、しきまきや、の体験を、あなたから周囲の方々に拡げてください。

数を沢山経験していく毎に、起こす浄化の度合いが大きくなる程に、周囲の世界も、どんどんと変わって行く事になります。

それが、コトに進む最短の道です。

Ⅷ.御自身が自由にならないのは、カミヒトの御自身が自由にしている為

第二十三帖
●何事も体験結構。今の人民の迷信と思ふものの中に正信あるぞ。正信と思ふものの中に迷信多いぞ。理解は正信。神の気通うたら、その気を人間にうつす御役、救ひの御役を結構につとめあげて呉れよ。自分の自由にならんことは大き自分が自由にしてゐるのであるぞ。神となれば、神人となれば何事も心のまま。神とは神、大神とは⦿一十(カミヒト)のこと。

理解は正信、ですが、体験を通した理解が最も確かなものです。

負の想念の浄化、御自身の前世に起こり、身体が楽になる経験は、とても分かりやすいです。
今の人民の迷信と思うものの中の1つでしょう。

負の想念の浄化。
その経験をすれば、その体験、神の気を人間にうつしていってください。

ですが、その救ひの御役は、中々、御自身の我の自由思う通りにならない感じです。
神と共に、させて頂く感じです。

ですが、その自由ならんことは、大きい自分が自由にしているのです。
それが、神人(⦿一十)(カミヒト)となった御自身ですし、大神様の御自身なのです。

Ⅸ.人間の智には、悪も善も入る為、カミヒトに進む元となっている

第二十五帖
●・の中の・に悪は入れんのであるぞ。外の・の中に、外の智の中に悪が入るのぢゃ。人間の智の中には悪も善も入るぞ。入るからこそ、これは善ぢゃ、これは悪ぢゃと判るのぢゃ。人間の自由は其処にあるのぢゃ。自由なければ発展ないぞ。弥栄ないぞ。

・の中の・に悪は入れないようになっています。
外の・の中に外の智の中に悪が入るのです。

出だしの所で、以前はこのような書き方は無かったと見ています。
この後は、以前から書いてある通りで、智の中には悪も善も入る為、善悪の判断が出来るというものです。

智の中に悪を取り込むだけの余裕がない事には、今度の岩戸開きの御用はできないようになっています。

ですが、それができるのは、やはり人間なのです。
霊界に進んでからは難しくあります。

カミヒトに進む元は、人間にあるのです。
早く、行動に移してください。

Ⅹ.心して、幽界からの負の想念のキ断つ事が求められている解く事が求められる

第二十七帖
●神は人間の想念の中に入ってゐるのぢゃ。想念が一致するから神の想念が人間に伝はるのぞ。人間の言葉となって人間に現はれる。言は神であるが人間でもあるぞ。自分が自分に語るのであるぞ。この道理、よく心得なされよ。時まちて起き出て下されよ。恨みの霊は中々にとけんぞ。思ひは能(ハタラ)き、実在と申してあらうが、間違ひでも恨まれると、恨みがまとひつくぞ。心して神を求め、心して幽界からのキ断ちて下されよ。判ったと思うたら天狗ぞ。かへりみるとよくなる仕組。

恨みの霊は中々解けないという内容は以前から書いていましたが、
後半の、心して神を求め、以下が以前より詳しく書かれています。

判った、と思うたら天狗ぞ。とあるのですが、
恨みという念、働きはどうしても次から次へと、出て来るもの、という事のようです。

何故なら、人とは、どうしても我基軸で進むから、です。
どうしても、ひふみの浄化、ではできないものがあるのです。
段階が進み、いろはの浄化、までする必要が出てきます。
それも、相当高度なものです。

これも、終わりなき働き、悪の働き、のようです。

ですが、省みるとよくなる仕組みなのです。
御自身の過去も含めてになりますし、必ず、御自身の過去を省みる時。
何度も来る事になります。

そして、過去とは、固定されず、無限に変わって行く事が判ってきます。

現在でも、かなりマンデラ・エフェクトが起こっていますが、やがて、人類史そのものの意味から変わり、地球上の歴史も全く想定外のものに変わる可能性もあり、その世界へと御自身によって、御自身の居る世界から変えていく必要があるのです。

ⅩⅠ.愛と真、喜びを体感してください

第二十八帖
●喜びにとけ入るから嬉しいのぞ。喜びから遠ざかるから悲しいのぞ。そんなこと分ってゐると申してゐるが、ほんとに身体に分ってゐまいぞ。喜びに入る門は愛からぢゃ。真からじゃ。二道あるなれど愛から入るのが入り易いが、愛からでは誤り易い。生れてすぐ歩けるものでないぞ。始めから何も彼も出来るものでない。気長に進んで行けよ。

負の想念の浄化のは、
愛から入る方法、真から入る方法とありますが、
間違い無く進みやすいのは、真の方です。

因果、ひふみの浄化は概ね真です。

勿論、愛基軸の入り方もあります。
ですが、初期段階では、実際あまり出てこない事が多いです。
(但し、愛基軸が必要なケースもあります。)

むしろ、愛は、段階が進んだ、いろは、の方が多くなってきます。
ですが、いろはに進むには、真の浄化を進めて行く段階が先になります。

いろは、に進むまでが、苦しいのですが、そこまでは、日々行です。
気長に進んで下さい。

当初、身体の痛み等ある場合は、ひふみ、の浄化(主に真)、より負の想念が無くなる事から、身体が楽になりますが、いろはの、段階が進んできますと、喜びと、身体の一致、また違った喜びを経験していく事になります。

ですが、知らず知らずにしている楽しみ、喜びの中には、実は、いろは、が入っている事も多々あります。

ですから、遊ぶ時は、遊べ、とあるのはこういった事が理由なのです。

以外と、遊ぶ中に、その答えが入っている時があるのです。

ⅩⅡ.霊界との関係で、この世は動いている、何事も天(・)から出て来る

第二十九帖
●運命は自由自在のものではあるが、又強ひるものでもあるぞ。大きくも、小さくも、薄くも、厚くも、その人の心次第に変るぞ。もとは霊界にあるからぞ。嬉し嬉しで運命を迎へる気、結構ぞ。この世のことだけで この世のこと動かんぞ。霊界との関係によって、この世が動いてゐる道理判らねばならん。早う神の心に、神意さとれよ。遠慮いらん。何事も天から出て来るのぢゃ。天からとは心からのことぢゃ。

強いるのは、神の御意志ではないのですが、
運命は、自由自在のものではある一方で、又強いるものでもあります。

それは、生前からずっと続いてきた、御自身の我によって強いているのです。
生涯で多大に強いられてきた場合、その事に気付くまでに時間がかかります。

ですが、大きくも、小さくも、薄くも、厚くも、その人の心次第で変わります。

その元は、常々霊界にあります。
霊界との関係でこの世は常々動いている為です。

しきまきや、より、負の想念の浄化を進めて行きますと、運命も大きく変わる元となります。

早く神の心、神の意を悟ってください。

何事も天(・)から出て来るのです。
それは、心(九九六、九九無)から出て来るのです。

ⅩⅢ.慾は弥栄に必要。慾の成果より、無限の弥栄をし、無限の生命へ

第三十四帖
●禁慾は神の御旨でないぞ。慾を浄化して、生めよ。産めよ。今の人民、慾の聖化を忘れて御座るぞ。慾は無限に拡がり、次々に新しきもの生み出すぞ。慾を導けよ。自分だけならば五尺の身体、五十年の生命であるが、霊を知り、宇宙の意志を知り、神にとけ入ったならば、無限大の身体、無限の生命となるぞ。マコトの嬉し嬉しのよろこびとなるのであるぞ。(旧九月八日)

禁慾は、神の御旨ではありません。

慾を浄化して、新たなに産み続けていけばよいのです。
生み続けていく先には、必ず、浄化の元があります。

ですから、慾そのものは、むしろ、新たな世界を産み出す元なのです。

慾の聖化、とは、四九の四意か(火、水)です。
新たなに産み出す所に答えがあるのです。

そのように導く事が、神の御意志です。

やがて、(〇)を知り、宇宙(産千ゅ産)の意志(意四)を知り(四理)神に(十二)とけ入った(十、二四、ゐ、十)ならば、無限大の身体、無限の生命。マコトの嬉し嬉しの喜びとなります。

ⅩⅣ.まず最初は、目標(メアテ)を作り、次に元(⦿)の神のキ、心(・)を求める

第五帖
●はじめは目標(メアテ)つくって進まんと、行ったり来たり同じ道をドウドウめぐりぢゃ。

第三十五帖
●キが到ればモノが到る。モノを求める前にキを求めよ。めあてなしに歩いたとて、くたびれもうけばかり。人生のめあて、行く先の見当つけずに、その日暮しの、われよしの世となり下がってゐるぞ。めあては⦿の・でないか。・に向かないでウロウロ。草木より、なり下がってゐるでないか。為すとはイノること。人の為にイノるは、己の為にイノること。今の人民、イノり足らん。(旧九月八日)

最初は、小さい所からメアテを作ってください。

3ヵ月、100日、を目標です。
その時が到来しますと、更に新たな目標が出て来るようになってきます。
最初は、神が導いて下さるでしょう。
そして、半年、1年間、と伸ばしてください。

ですが、常々重要なのは、神様の基(⦿)のキ、です。
メアテを⦿(母十)の・(心)にしますと、この後進む方向が判ってきます。

その為には、まずモノ求める前に神のキ、心を頂いてください。

求めないと、同じところウロウロする可能性高いです。
その日暮らし、という方は、少ないですが、実は、その日暮らしだった、という事は後々気付く事になります。
また、われよしの世と成り下がってゐた事にも、後から気付く事になります。

こうして、我基軸で進みますと、5年、10年位はあっという間に経つでしょう。

イノリたらん、と言われているのは、行じ、省みる事が足らない、と仰られています。

そして、旧九月八日は近づいていますし、何度もありますが、持っても2041年。
遅れる程苦しくなり、コトに進む上では、数える程しか残っていない事もご理解ください。

そして、パキスタン洪水で1日10万人亡くなりましたから、愈々がこの後加速度的に進む事もご理解ください。

ⅩⅤ.宇宙は未完成、弥栄、不変の中に千変万化、自由自在の存在を与へてある

第三十七帖
●宇宙は人間の心のままと申してあらうが。宇宙は未完成のものと申してあらうが。永遠に未完成であり、弥栄であるぞ。そこに生命あり、喜びあるのぢゃ。大神の中で、宇宙はなりなりてゐるのであるから、ナリ、永遠になるのであるぞ。不変の中に千変万化、自由自在の存在を与へてあるのぢゃ。(旧九月八日)

以前では、宇宙についての説明はあまりありませんでした。
超未完成、超完成、辺りまででした。

ですが、この文面には、宇宙の在り方、そのものを書いています。

宇宙は、人間の心のままです。
宇宙は、永遠に未完成であり、弥栄であり、そこに生命があり、喜びがあります。

大神様の中で、宇宙はなりなりてゐるのです。
そして、七理(無の理)、永遠に成るのです。

不変の中に千変万化、自由自在の存在が与えられてゐます。

ⅩⅥ.死後は、自身の思い行動に応じた状態に置かれる

第三十八帖
●人間の死後、自分の命(イノチ)の最も相応(フサワ)しい状態におかれるのであるそ。悪好きなら悪の、善好きなら善の状態におかれるのであるぞ。皆々、極楽行きぢゃ。極楽にもピンからキリまであるぞ。神の旨に添ふ極楽を天国と云ひ、添はぬ極楽を幽界と申すのぢゃ。心の世界を整理せよ。そこには無限のものが、無限にあるのであるぞ。神の理(ミチ)が判れば、判っただけ自分がわかる。

死後の世界も同様です。
亡くなった時の思念、それまでの行に応じた世界にそのまま移行していきます。

ですから、誰もが、皆々極楽行きには違いありません。

ですが、その極楽もピンからキリまであり、神の旨に添う極楽を天国と、添わない極楽が幽界、です。
そして、通常、我基軸と進み、幽界を極楽として進む方が殆どなのです。

そこで、心(九九六)の整理(理を整える)、が求められるのです。

それは、無限にありますし、神の理が判る程に御自身の事が判ってきます。

段階が進む程に、御自身でも驚くような存在が御自身である事が判ってきます。

ⅩⅥ.九のしぐみ、とけて(十、気、四四)、流れて世界一つの時が近づいています

第三十八帖
めでたさの九月八日の九のしぐみ、とけて流れて世界一つぢゃ。白銀(しろがね)、鉄(くろがね)、これで終り。(旧九月八日)

めでたさの九月八日のしぐみ、このしぐみ、が解けて、四九三と成りますと、十の気から四四の仕組、二二の仕組が更に二二の仕組と乗じる世界へ、と進み始めます。

そして、世界一つの時が近づいているのです。

白銀(しろがね)、鉄(くろがね)、これで終わり、
黒鉄の巻の最後に2巻まとめて伝えているのも新たな変化です。

それが、旧九月八日、です。

旧九月八日まで、どんどんと、御自身の行を進めてください。
そして、少しでも早く、御自身の中の岩戸を開いてください。

3.まとめ

白銀(しろがね)、黒鉄(くろがね)の巻も、しろかね、くろかね、と始まった所から、
しろがね、くろがね、で終わりましたから、愈々、過去、へ逆行し始まる時期。

それは、元(⦿)の世界へ、進む時が来たようです。

灰色(81の世界)にはならず、鉛(七真理)に進む時が来たのです。

宇宙の無限弥栄の詳細、その時の御自身の行の進め方、⦿(神、モト)の・(こころ、キ)を求める事が、何よりも重要である事を伝えられています。

しきまきや、それは、負の想念の浄化等から、思念界より新たな世界を産み出す事、二二の仕組ですが、
その体験を御自身だけでなく、周囲の方々に向けても、次々起こすようにして行ってください。

それは、前世ヒーリング、そのものですし、普段のお悩み相談でも、必ず取り込んで、周囲の次元を変える。
しきまきや、の実践をして行ってください。

そして、旧九月八日(10月3日)に向けて、愈々動きます。

更には、十月十八日、旧十月十八日(11月11日)に向けて、加速していくでしょう。

一刻も早く、御自身の世界を、三四五に向け、進めて下さい。

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