九の道で実現した事 24 一八(イハ)の巻① 2024年4月17日現在

九の道で実現した事

イワの巻も、愈々、一八(イハ)、という表記のマンデラ・エフェクトになってきました。
以前は、岩の巻だったように思ってゐます。

一八(イハ)の巻では、八の始まり、無限世界の始まり、神々様の新たな世の始まりを意味した内容ですが、今回もまた2回に分けてお伝えしていきたい、と思います。

目次

1.一八(イハ)の巻① 実現したもの 2024年4月17日現在

Ⅰ.人民 悪いこと好きでするのではありません。知らず知らずに致してゐるのです

第一帖 (三六六)
一八(いわ)の巻 書き知らすぞ。一八は弥栄。⦿は・と〇、⦿、(右回りのウズ)が神ざぞ。(左回りのウズ)が神ざと申してあろう。悪の守護となれば、悪よく見えるのざぞ。人民 悪いこと好きでするのでないぞ、知らず知らずに致してゐるのであるぞ。

ここでは、一八(いわ)の巻、となっています。八は、和でもあります。

イワ(一八)は弥栄です。八の始まり、闇の浄化の始め、神々様の浄化の始め、無限、末広がり。全て弥栄です。

⦿は、・と〇、です。

⦿が神様です。

そして、(右回りのウズ)も神様です。
(左回りのウズ)も神様です。

善化、悪化、いずれも神様です。

悪の守護となりますと、悪よく見えるのです。

人民は、悪い事を好きでするのではありません。
知らず知らずの内に致してゐるのです。

肉食もそうですし、環境破壊もそうです。
生涯、全く加担していなかった人はいませんし、実際知らず知らずに致してゐるのです。

ですが、これを変えて行く事が求められます。それが、善です。
それには、時間もかかり、手数も、かかります。

Ⅱ.下々の神々様には、見(み)(三)(身)のあやまり、聞き(危機)のあやまり、あります

第一帖 (三六六)
神にも見(み)のあやまり、聞きのあやまりあるのざぞ。元の神には無いなれど、下々の神にはあるのざぞ。それで見なほし、聞きなほしと申してあるのざぞ。

神様にも見(み)のあやまり、聞きのあやまりあります。
元の神様にはないのですが、下々の神様にはあるのです。

見のあやまり、三のあやまり、身のあやまり、皆あります。
聞きのあやまりもありますし、危機感へのあやまり、も経験していきます。

誤りの段階を、必ず経験していく事になります。

それで見なほし、聞きなほし、が必要なのです。

見なほし、聞きなほし、は、御自身の中での神々様、そして、ハイヤーセルフさん、次々、進めていく事になります。

Ⅲ.かぎ(匂い)には間違いがなく、鼻のあやまりはありません

第一帖 (三六六)
元の神には見直し聞きなほしはないのざぞ、スサナルの大神様 鼻の神様 かぎ直しないぞ、かぎのあやまりはないのざぞ。人民でも、かぎの間違ひないのざぞ。鼻のあやまりないのざぞ。スサナルの大神様この世の大神様ぞと申してあらうがな。

元の神様には、見直し聞きなほしはありません。

また、スサナルの大神様、鼻の神様、かぎ直しありません。

かぎには、臭いには、あやまりはないのです。
人民でも、かぎの間違ひはないのです。

これは、様々な所で体験していくので、また、これまでの体験にも間違ひはない、という事を、一度省みて下さい。

スサナルの大神様は、九(こ)の世の大神様ですが、かぎの神様でもある為に、あやまりはないのです。

Ⅳ.間違ひの神々様、この世の罪けがれを、この神様にきせて、無理やりに北に押込めなされたのです。これが悪の仕組み、です

第一帖 (三六六)
間違ひの神々様、この世の罪けがれを、この神様にきせて、無理やりに北に押込めなされたのざぞ。それでこの地の上を極悪神がわれの好き候(そうろう)に持ちあらしたのざ。それで人皇の世と曇りけがして、つくりかへ、仏の世となりて、さらにまぜこぜにしてしまふて、わからんことになりて、キリストの世にいたして、さらにさらにわからぬことにいたしてしもふて、悪の仕組通りにいたしてゐるのぢゃぞ、わかりたか。

間違ひの神々様、この世の罪けがれを、こ(九)の神様にきせて、無理やりに北に押し込めなされたのです。

間違ひの神々様は、九を抜きにしてしまった、九の行を無くしてしまった神々様です。
その代表が、臣民、人民です。(間違ひの神々様、も新たにマンデラ・エフェクトで生まれた、と見てゐます。)

その事で、この地の上の獄悪神様が、われの好きそうろうに持ちあらしたのです。
元は、臣民、人民の我にあったのです。

更には、人皇の世へと、王統を作り、けがして、つくりかへ、
やがて、仏の世となりて、更にまぜこぜにしてしまふて、わからんことになりて、
更に、キリストの世にいたして、更に更にわからぬことに致して、悪の仕組み通りにいたしてゐるのです。

わかりたか、とありますが、これは、長い間、誰もが、当たり前の価値観として、気付かずに騙し、騙されてきているので、気付けていない方は、とても多いのです。

Ⅴ.同じ神は、今の御自身の行次第で、常に二つとして、あり続けます

第一帖 (三六六)
釈迦もキリストも立派な神で御座るなれど、今の仏教やキリスト教は偽の仏教やキリスト教ざぞ。同じ神二つあると申してあらうがな。・なくなってゐるのざぞ、・ない(左渦)ざぞ、(右渦)でないと、まことできんのざぞ、わかりたか。

釈迦もキリストも立派な神様ですが、今の仏教やキリスト教は、偽の仏教やキリスト教となってしまっています。
このように、偽、とまで、明確に伝えたのは、初めてのように思います。マンデラ・エフェクトでしょう。

それは、しきまきや、を起こさなくなった為に、戒律化、平面化しているのです。
神が助ける教となり、神として行じた方が助かる道を伝えておらず、個々の理解基軸でないのです。

同じ神、二つあると申されていますが、実は、見た目は、一つとも言えます。

それは、常に、前と今、と違ってゐる為です。
思念界から、産み出し続けて行く事で、神々様は変わり続けていきますし、何より、御自身の改心に応じて、神様は変わっていくのです。

しかも、今の世では、人の我が非常に強い基軸ですので、その同じ神が囚われた神のままとして、ずっと一つ。として存在し続けてきたのです。一つしか無いのは、人の我による囚われが原因です。

それは、・が無くなっている為です。

・の無い、左渦の神様、が原因です。
・のある、右渦の神様でないと、まこと(〇九十)できないようです。

今の御自身次第で、神々様は、無限に変わっていきますから、前の神様、新しく生まれた神様、それは、常に二つある、とも言えます。

Ⅵ.・が無いから囚われの一つの世界しか無いのです。くらがりの世の原因は、・無いからです

第一帖 (三六六)
・なきもの悪ざぞ、・は霊ぞ、火ぞ、一(はじめ)ざぞ。くらがりの世となってゐるのも、・ないからざぞ。この道理わかるであらうがな。

このように、・なきもの、悪なのです。

・は霊です。火(一一)です。一(はじめ)です。

くらがりの世となっているのは、・が無いからです。
この道理(土ウ理)は、行じてきた方には分かると思います。

2022年辺りから、急加速度的に、次々起こる、マンデラ・エフェクトは、その現れでもあるのです。

Ⅶ.神様について行きますと、手引っ張って頂けます

第五帖 (三七〇)
人民 眼の先見えんから疑ふのも無理ないなれど、ミタマ磨けばよく判るのぢゃ、ついて御座れ、手引張ってやるぞ。

ミタマ磨きとは、様々な解釈あると思いますが、まず、間違い事は、改心を進めていく事、と言えると思います。

ミタマ磨けますと、よく(四九)判ってきます。

四の行(しきまきや)、九の行(くにつつみ)の行を進めますと、人の我、が騙されたのも、その元は慾(四九)から始まった事が分かります。

ですが、慾は、聖化、していく事が可能です。
新たな世界を産み出す元です。今の文明発展も、慾の聖化と共に進んでいる所もあるのです。

神様についていきますと、手引っ張って頂けます。

判らない事も、行を進めていけば、判るようになっていきます。

人民は、どうしても、眼の先しか見えないので、疑ふのは無理ないのですが、神様の申す通り、素直に行を進めていけば、これらの事がよく分ります。

Ⅷ.よき(四キ)苦労に花咲きます。神様の道には、無理ありません

第五帖 (三七〇)
苦労、苦労と申しても、悪い苦労 気の毒ざぞ、よき苦労 花咲くぞ。花咲いて実結ぶのざぞ。人民 苦しみさえすればよい様に早合点してゐるなれど、それは大間違ひざぞ。神の道 無理ないと、くどう申してあらうがな。此の道理よく噛み分けて下されよ。

苦労、苦労、と申しても、悪い苦労苦の毒です。

よき(四キ)苦労花咲きます。
花(八七)咲いて、実結ぶのです。

人民は、苦しみさえすればよい様に早合点してゐますが、それは大間違ひ、という事も判ってきます。

新たな世界を、苦を苦で無くす、九の行。しきまきや、の四の行から、御自身の我の改心と共に、生み出して行く、苦労。

をできる所より、一歩一歩進んで行く事が間違いありません。

神様の道 無理ないと、くどう、申されています。
これも、行をしていけば判るようになってきます。

此(九)の道理、よく(四九)噛み分けて下されよ(三〇四)、と仰っています。

三が道、しきまきや、を苦を苦で無くす事も、行じていけば判ります。

体験無くして、この道は判らないようになっています。

Ⅸ.近慾ばかり申してゐるから、渡りてこられんもの渡りてきて、神の国の元のキを無くしてしまったのです

第五帖 (三七〇)
神の国は元のキの国、外国とは、幽界とは生れが違ふのぢゃ。神の国であるのに人民 近慾なから、渡りて来られんものが渡り来て、ワヤにいたしてしまふてゐるのに、まだ近慾ざから近慾ばかり申してゐるから、あまりわからねば、わかる様にいたすぞ。

神様の国とは、元のキの国です。
外国とは、幽界とは、生まれが違ふのです。

ですが、神様の国なのに、人民、近慾となってしまった為に、渡られて来られないものが渡りて来たのです。

そして、ワヤにいたしてしまふてゐるのに、まだ近慾ですから、近慾ばかり申してゐるから、あまりわからねば、わかる様にいたす、と伝えられています。

私に関しては、確かに、節した生活から始まり、更には行じていった事で、始まりは、キ、である事。その思念のエネルギー循環を第一に考えるようになってから、より良い世界へ進む事になったのも事実です。

ただ、近慾なのは、永劫の観点を忘れており、悪を無くしたり、苦を無くす事で、新たな世界を産み出せる事を忘れている事が最大の原因ですが、突き詰めますと、我良しの御自身の我、を如何に改心していくかが、求められるようになっていきます。

Ⅹ.近くは仏魔渡り来て、わからん事にされてゐます

第五帖 (三七〇)
眼の玉 飛び出すぞ。近くは仏魔渡り来て、わからんことにされてゐるであらうがな。

仏魔、も沢山あります。

ですが、その魔とは、行き着く所、我良しであり、分け隔てであり、更に突き詰めますと、慢心から始まった事が判ってきます。

それが、人の我基軸では、無いかのようにされてゐるのですが、この事が判ってきて、我の改心を進め、行に移せば御自身の周囲のビックリを普通に起こして行けるようになってきましたら、眼の玉 飛び出すのかもしれません。(笑)

2.一八(イハ)の巻① これから実現していくもの 2024年4月17日現在

Ⅰ.三千年前の昔に返します

第二帖 (三六七)
三千年の昔に返すと申してあらうがな。よい御用いたす身霊(みたま)ほど苦労さしてあるのぢゃ。他から見ては、わからんなれど、苦労に苦労さして、生き変り、死に変り、鍛へに鍛へてあるのぢゃぞ。

三千年の昔に返すと申してあります。
これは、これから、三千年の行を通じて、三千年の昔に返す、のかもしれません。

実際、今現在の私からしますと、九の道に進み、最後に行くまでなら、高飛びなく、一段一段進むのであれば、三千年程の期間を要するようにしか思えないのです。

ですから、よい御用いたす身霊(みたま)程、苦労さしてあるのです。

他から見ては、判らないようになっていますが、苦労に苦労さして、生き変わり、死に変わり、鍛へに鍛へてあります。

既に、御自身が、この感覚があるのであれば、此の道に進むご縁があるのだと思います。

ですが、苦労の無い身魂は、此の世には無いと思っています。
ですから、どのような方での、ご縁がある、と見ています。

Ⅱ.どんな事あっても、びくともせん、ミタマでないと今度の御用は難しいのです。まずは、三年の行を早く進めて下さい

第二帖 (三六七)
肉体の苦労も霊の苦労も、どちらの苦労にも、まけん人民臣民でないと、眼先のことで、グレングレンと引繰りかへりて、あわてふためく様なことでは、どんな事あっても、びくともせん、ミタマでないと、御用六ヶ敷いぞ。

肉体の苦労も、霊の苦労も、どちらの苦労にも、まけん人民でないと、今回の御用は難しいのです。

肉体の苦労、霊の苦労。
共に、突き詰めますと、生前からの、我欲、我良し、慢心、に原因があります。

永劫の観点からしますと、どちらも、何千、何万転生。長い間、気付かずに、騙されてきていますし、騙してもいます。ですから、ヒックリ返る事は、いつ起こってもおかしくないのです。

そこで、目先のことで、グレングレン、ヒックリ返りて、あわてふためく様なことでは、今回の御用は難しいのです。

どんな事があっても、びくともせん、ミタマでないと、今度の御用は難しいのですが、だからこそ、行じ、省み、まずは、三年の行をしていく事が求められます。

その間には、どんどん腹が座っていきますし、実際、御神示で知らせてあった事が実現していきますから、びっくりもしなくなっていくのです。

そして、良きビックリが次々、普通に起こっていくのです。

Ⅲ.九の花咲けば、此の世に出来ん事無くなります。まことの神(右渦)かかりです

第二帖 (三六七)
こんどの苦の花は真理(ふじ)に咲くのみざぞ。不二に九(こ)の花咲くや媛(ひめ)まつれと申してあるが、九(こ)の花、おのもおのもの心の富士にも咲くのざぞ。九(こ)の花咲けば、此の世に出来んことないぞ。まことのカミ(右渦)かかりぞ。

今度の苦の花は、ふじ(真理)、に咲くのみです。

不二、とは、二二を起こさない平面世界、もあると見てゐます。
ですから、我欲、人我の世界を意志し理解し、その世界から、九(こ)の花さくやひめ、まつりて下さい。

九(こ)の花、おのもおのも、心の富士(不二)にも咲くのです。

九の花咲けば、此の世で、できん事ないのです。

それがマコトの神(右渦)かかりです。

右渦を進めて下さい。

Ⅳ.愈々の建替は、もとの神代よりも、も一つキの光輝く世となります

第二帖 (三六七)
この先もう建替出来んギリギリの今度の大建替ぢゃ。愈々の建替ざから、もとの神代よりも、も一つキの光輝く世とするのぢゃから、中々に大層ざぞ。人民 苦しからうが、先楽しみに御用見事つとめ上げて下されよ。

この文面も、新たにマンデラ・エフェクト文面と見ます。

この先、もう建替出来ん、ギリギリの今度の大建替です。
一旦は、建替出来ん、そんな状況も来るようです。

愈々の建替えは、もとの神代よりも、も一つキの光輝く世としますので、中々に大層です。

もとの神代より、も一つキの光輝くのは、どのような状況なのか、イマイチ想像付きませんが、も一つ輝く、とありますので、想定を超えていく事には違いなさそうです。

人民 の間は、どうしても苦しいです。

ですが、先楽しみに御用、見事つとめ上げて下さい。

三年の行を継続しますと、その方に応じて、楽しい事も出て来るようになります。

Ⅴ.二つづつある神様を一つにしますので、少しでも嘘偽(うそいつわり)あったら、曇りあれば、神の国住めなくなります

第二帖 (三六七)
二つづつある神様を一つにするのであるから、嘘偽(うそいつわり)ちっともならんのぢゃ。少しでも嘘偽あったら、曇りあったら、神の国に住めんことになるのざぞ。

今度は、二つづつある神様を一つにするようです。

それは、前の段階と、今の段階の神様を、一つにする事になるようです。

この為に、嘘偽(うそいつわり)ちっともならん、という事が一つあるとみています。

少しでも嘘偽(うそいつわり)、曇りありましたら、神の国に住めんことになるのです。

その為に、御神示、行と共に、御自身の我の洗濯、掃除、改心を進めていく事が求められます。

Ⅵ.今度は、根本からの建直しで末代続きます

第二帖 (三六七)
途中から出来た道では今度と云ふ今度は間に合はんのざぞ。根本からの道でないと、今度は根本からの建直しで末代続くのぢゃから間に合はん道理わかるであらうがな。

途中から出来た道では、今度と云ふ今度は間に合いません。

根本からの道でないと、今度は根本からの建直しで、末代続きますから、途中から出来た道では、間に合わん道理わかるであろがな、と伝えられています。

ですから、根本からの道は、嘘偽りない道なのです。

Ⅶ.友喰ひする人民。此の方が、天地自由にしていきます。元のキの道にして、あたらしき、キの光の道をつくります

第二帖 (三六七)
われの国同士の戦 始まるのぢゃ。この戦、神は眼あけて見ておれんなれど、これも道筋ぢゃから、人民にも見て居られんのぢゃが、友喰ひと申して知らしてあらうが。この方等が天地自由にするのぢゃ。元のキの道にして、あたらしき、キの光の道つくるのぢゃ。

われの国(九二)同士の戦 始まるのです。

これは、我れ良しの方同士もありますが、何よりも、御自身の、我(われ)、との戦です。

この戦、神は眼あけて見ておれないのですが、これも道筋ですから、人民にも見ておれないのですが、友食ひと申して知らしてあります。

共喰いではなく、友喰ひ、ですから、友を食べるのですが、それは、キ、から食べていく事になるのです。

共喰いは、御自身そのものを食べていく、という事もありますから、御自身との和合でもあり、それは、われの九二同士の戦なのです。

Ⅷ.あらたぬし、世にするのは愈々です

第二帖 (三六七)
あらたぬし、世にするのぢゃと申してあること愈々ざ、人民、臣民 勇んでやりて下され。神々様 守護神どの、勇め勇め。

あらたぬし(新た主)、世にするのぢゃ、と申してあること、愈々になってきます。

人民、臣民、勇んでやりて下さい。

神々様、守護神殿、勇んで下さい。

Ⅸ.元は、十と四十七と四十八あはせて、百と五、九十五柱です

第四帖 (三六九)
元は十と四十七と四十八とあはせて百と五ぞ、九十五柱ざぞ。

九十五柱、という単語そのものも、2023年辺りから生まれた、マンデラ・エフェクトの単語、だと見ていますが、普通にとりますと、十は、かずうた。四十七は、ひふみ祝詞。四十八は、いろは祝詞、です。

もしくは、現行のひふみ四十七音、から、一段上の、四十八音としての、ひふみ、かもしれません。

元は、十と四十七と四十八を合わせて、百五、とありますが、
かずたま、ことたま、いろたま、の宇宙法則そのものを現しているかもしれません。

また、十柱から見ての、ひふみ、いろは。もしくは、ひふみ、と新たなひふみ。になるかもしれません。

Ⅹ.誠の道行くだけでは、まだ足りません。心に誠一杯つめて、空っぽにして進んで下さい

第五帖 (三七〇)
誠の道行くだけではまだ足らんぞ。心に誠一杯につめて空っぽにして進みてくれよ、このことわからんと神の仕組おくれると申してあろうがな、早くなったところもあるなれど、おくれがちぢゃぞ。

誠の道行くだけでは、まだ足りません。
心に誠一杯につめて、空っぽにして進んで下さい。

この事わからんと、神の仕組み遅れます。

これは、此の道の行を経験していきますと判って来るのですが、無心で、その行に集中していますと、その境地に近くなります。

マコトとして進むには、我の洗濯、掃除、改心を進めていく以外ないのですが、この時、悪への理解、苦への理解、がやはり必要で、心に誠(〇九十)一杯詰めて、とは、九から十を産み出す事を一杯に詰めて、その上で、我を無くして、空っぽ、無の境地で進むような感じではないか、と見てゐます。

更に、まだ上の境地があるようにも思ってゐますが、まずは、この事から始めてみてください。それには、霊媒。特に前世ヒーリングは、まず必要と見ています。

早くなったところもありますが、全体的には遅れがちです。

ⅩⅠ.五度の岩戸開き、一度にせななりません

第五帖 (三七〇)
五度の岩戸開き一度にせなならんと申してあらうが、生れ赤児の心で神示読めと申してあらうがな。

今回は、五度の岩戸開き、一度にせなならないようになっています。

生れ赤児の心で、御神示読んで下さい。

無心で、目の前に集中するのは、一つあると見てゐますが、昔の境地、それは、我良しに囚われる以前の御自身の心で、読んで下さい。という事もあると見ています。

3.一八(イハ)の巻① 今実現したら困る物、手遅れになるもの 2024年4月17日現在

Ⅰ.大建替(天地のビックリ箱)できてからでは、後へは返れません。此の方でもどうにもならん元のキの道です

第三帖 (三六八)
天地引くるめて大建替いたすのぢゃ。天地のビックリ箱とはそのことざぞ。間違ひ出来んうちに、間違はん様 気つけて下されよ。出来てからは、いくら泣いても詫びしても後へは返せん。この方でもどうにもならん元のキの道ぢゃぞ。くどう気付けておくぞ。

今度は、天地引くるめての大建替をいたします。

天地のビックリ箱とは、その事です。
この単語も、初めてと見てゐます。

天地引くるめての大建替とは、天地のビックリ箱なのです。

間違ひ出来んうちに、間違はん様 気つけて下さい。

出来てからでは、いくら泣いてもお詫びしても、後へは返せないのです。

それは、こ(九)の方でもどうにもならん、元のキの道です。
くどう、気付けておきます。と伝えられています。

天地のビックリ箱が起こる迄に、行を進めていく事が求められます。

Ⅱ.これからの道は、善一筋になります

第三帖 (三六八)
これまでは道はいくらもあったのぢゃが、これからの道は善一筋ざぞ。インチキ神の前には通らんのざぞ、心せよと知らしてあらうがな。

これまでは、道はいくらでもありましたが、これからの道は、善一筋です。

善とは、和合から新たな世界を産み出す事です。
そして、前の段階が悪、苦となり、常に今が最善としていきますから、無限に弥栄発展していくようになっていきます。

それは、インチキ神の前には通らないのです。

心せよ、と申されていますが、慢心、分け隔て、慢心、を改心する行を進めなければ、その時になってからでは、手遅れですので、心せよ、と伝えられています。

Ⅲ.まことの集まりが神徳です。人に神がうつりて、成就します

第三帖 (三六八)
三千年で世一キリといたすのぢゃぞ。まことの集まりが神徳ぢゃ、神徳つむと、世界中 見えすくのざぞ。神だけではこの世の事は成就せんと申してあらうがな。神がうつりて成就さすと申してあろうがな。こんなこと これまでにはなかりたぞ。

三千年で、世一キリ、といたすのです。

まこと(〇九十)の集まりが神徳ですが、これも、段階が進むと実現していく流れになります。

入れ替わり、立ち替わりで、まことの集まり、となっていきます。

そのまことの集まりが、神徳です。

神徳つむと、世界中見え透くようになります。

神だけでは、此の世の事は成就しないのです。

神様がうつりて成就するようになっています。

こんなこと これまでには無かったのですが、これが、実現をしてしまってからでは、型出しすらしてなければ、手遅れとなってしまうのです。

今の世界が、ハルマゲドン、国難級天変地異(特に地震、噴火)と、常に背中合わせですが、これが起こってからでは、手遅れで、その前に、まことの集まりから、神徳を積んで下さい。

一八(イハ)の巻① まとめ

実現した事では、

人民、悪い事好きでするのではなく、知らず知らずの内にしている事。

下々の神々様には、見のあやまり、聞きのあやまり、がある事。

かぎ(匂い)には、間違いがなく、鼻のあやまりはない事。

間違ひの神々様は、この世の罪けがれを、こ(九)の神様にきせて、無理やりに北に押込めなされ、これが悪の仕組み、である事。(その代表が臣民、人民、である事)

同じ神様は、二つあり、・ない神様と、・ある神様とある事。

・無くした為に、くらがりの世となってしまった事。

神様について行きますと、手引っ張って頂ける事。

よき苦労に花咲く事。

近慾ばかり申してゐるから、渡りてこられんもの渡らして、神の国の元のキを無くしてしまった事。

近くまで、仏魔渡りてきて、わからん事にされてゐる事。

これから実現していく事では、

三千年の前に返す、事。その行をしていく流れとなる事。

肉体の苦労、霊の苦労、どちらの苦労にもまけん人民臣民でないと、此の後の御用は難しい事。

九の花咲けば、此の世に出来ん事無くなる事。

愈々の建替は、もとの神代よりも、も一つキの光が輝く事。

二つづつある神様を一つにする事。その為に嘘いつわりがあったら、曇りあれば、神の国に住めなくなる事。

今度は、根本からの建直しで末代続く事。

友喰ひする人民。此の方が天地自由にしていく事。
元のキの道にして、あたらしき、キの光の道を作る事。

あらたぬし、世に愈々近づいている事。

元は、十と四十七と四十八あはせて、百と五、九十五柱、である事。

誠の道行くだけでは、まだ足りず、心に誠一杯つめて、空っぽにして進む事が求められる事。

五度の岩戸開き一度にする事。

今実現したら困る物、手遅れになるもの では、

大建替(天地のビックリ箱)できてからでは、後へは返れない事。
此の方でもどうにもならん元のキの道である事。

これからの道は、善一筋になる事。

まことの集まりが神徳となる事。

とありました。

イハの巻①では、大建替について、天地のビックリ箱について伝えられていましたが、その段階になりますと、後へは返れなくなりますので、此の方でもどうにもならん元のキの道となっていきます。

そして、五度の岩戸開きを一度にする時に入ってきています。

更には、三千年で世、一キリなとります。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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