九の道で実現した事 20 アメの巻③ 2024年3月18日現在

九の道で実現した事

続いて、アメの巻③になります。

アメの巻③では、実現した事も比較的多くありましたが、これから実現していく事も、以前に比べ、より具体的に、また重いものとなっています。

また、食物(おしもの)の集団は、以前は、そういった存在がある、という感じでしたが、食物(おしもの)の集団は、作らなならんぞ。と、必ず通る道に変わってきています。

文面、単語も、引き続き、マンデラ・エフェクト、を起こしています。

そして、今度、神様から見放されたら、末代浮かぶ瀬が無い事も伝えています。

アメの巻③でも、実現したら大変な事は沢山書かれています。

愈々、覚悟が求められている段階に来ていますが、それでは順にお伝えしていきます。

目次

1.アメの巻③ 実現したもの その1 2024年3月18日現在

Ⅰ.日の出の神様が登場します

第十一帖 (三四五)
日の出の神様お出ましぞ、日の出はイであるぞ、イの出であるぞ、キの出であるぞ、判りたか。

日の出の神様がお出まし、というのがありますが、一一、の出の神様、という事が一つあります。
永劫の過去を変えていく神様。です。

それだけでなく、日の出の神様のお役割の方が現れる、という事もあります。
これを、実際に、私は経験している事でもあります。

日の出は、イ(一)でもあり、(二二)でもあります。二二はキの出でもあります。
日の出の神様は、ゐ、であり、意、であり、二二、のキ、です。

それが、現れる段階が出て来るようです。

Ⅱ.学や智で、どうにもならんと判りながら、学や智で神の国の事する方、とても多いです

第十一帖 (三四五)
めんめめんめに心改めよと申してあろがな、人民と云ふ者は人に云はれては腹の立つ事あるものぢゃ、腹立つと邪気起るから めんめめんめに改めよと、くどう申すのぢゃぞ、智や学ではどうにもならんと云ふ事よく判りておりながら、未だ智や学でやる積り、神の国の事する積りでゐるのか。判らんと申して余りでないか、

めんめめんめに心改めよ、と申してありますが、人民は、人に云はれては腹の立つ事もありますので、腹立つと邪気起こりますので、めんめめんめ、御自身で、改めて下さい。とくどう(九土ウ)申されているのです。

智や学ではどうにもならんと云ふ事よく判りておりながら、いまだ、智や学でやる積もり、神の国の事するつもりでゐるのか。判らんと申して余りではないか。

・・・としながらも、学や智で神の国の事する方、やはりとても多いです。
私もこの道を通ってきました。

めんめめんめ、は自分自身、という意味もありますが、ひふみ解読なら、無から産み出す、という事もあります。

此の後については、無から産み出す、という事が求められて行くようになります。

それは、カミヒト共に、洗濯、掃除、改心、と共に産み出されるようになっています。

Ⅲ.肚の中から、人民びっくりする声で申す時、二十二日の夜に実地が見せてあります

第十一帖 (三四五)
何事も判った臣民 口に出さずに肚に鎮めておけよ、言ふてよい時は肚の中から人民びっくりする声で申すのざ、神が申さすから心配ないぞ、それまでは気(ケ)も出すなよ。二十二日の夜に実地が見せてあろうがな、一所だけ清いけがれん所残しておかな足場なく、こうなってはならんぞ、カタ出さねばならんぞ、

何事も判った臣民に向けて、口に出さずに肚に鎮めておいてください。と伝えられています。

言ふてよい時は、肚の中から人民びっくりする事で申すようになっています。
それは、自分でも驚く声です。

神が申さすから心配要りません。
それまでは、気(ケ)も出さないようにして下さい。

二十二日の夜に実地が見せてありますが、私の場合は、2021年12月22日、2022年2月22日、に経験しました。
これも、行を進めて行けば、経験していく事になります。
の場合は、此の道に一本に絞って1年以内と、比較的早めに出ました。

一か所だけ、清い、けがれん所残しておかないと、足場がありません。
こうなってはならない、とあります。

カタ、を出さねばならないので、次々、カタ、を出して下さい。

Ⅳ.此の道、は行じて行く事で、理解、経験、で判っていきます。理屈は判りにくくなり、更には悪となります

第十一帖 (三四五)
此の道 難しい道でないから その儘に説いて聞かしてやれよ、難し説くと判らん様になるのぞ。平とう説いてやれよ、難しいのは理屈入るのざぞ、難しい事も臣民にはあるなれど理屈となるなよ、理屈悪ざぞ。

此(九)の道 難しい道ではありません。
ただ、油断できませんし、慢心、取り違え、分け隔て、疑い、は最後まで問われます。

理屈を付けて説明する程によく分らなくなっていきます。
体験、理解、していく以外に、此の道は判らないようになっています。

そして、行していない方程、理屈に走る傾向もあります。

確かに、難しそうに思う事も、此の道にはあります。
ですが、今から思いますと、不思議と無理なく行き詰りを開いてきて、新しい道を産み出し続けてきました。

開く前の行き詰まりは、難しそうに感じる事もありますが、無理なく進みます。
頭で考えますと、理屈となりますので、注意が必要です。

Ⅴ.食ひ物大切に家の中キチンとしておくのがカイの御用です。初めの行です

第十二帖 (三四六)
食ひ物大切に家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ、初めの行ざぞ。

食べ物は、不要と思うものは、無くしていきましょう。

また、肉、魚、他、添加物の入ったもの、農薬のかかった野菜は、段階を追って、無くしていきましょう。

これらは、最初の行です。
ですが、これも、結構時間がかかる行だと思ってゐます。

Ⅵ.神の申す事、マコトと思ひながら出来ないのは、守護神が、未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠です

第十二帖 (三四六)
出て来ねば判らん様では、それは神力無いのぞ、軽き輩(やから)ぢゃぞ、それで神示読めとくどう申してゐるのざぞ、神の申す事 誠ざと思ひながら出来んのは守護神が未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠ざぞ、息とは初のキであるぞ、気であるぞ。

出て来ねば、判らん様では、それは神力が無いのです。
これにも段階の早い遅いがあります。

初期の段階で言えば、天変地異が表になってから判らん様では、戦争が表になってから判らんようでは、・・・からあります。

段階が進んできますと、御自身の周囲にビックリが次々起こります。ですが、出て来ねば判らん段階も、まだまだ神力が無い、と言えます。

それでも、まだまだ軽き輩、と見ます。軽き輩、と言っても、前の段階が悪となるので、実は、この軽き輩(八、六七、〇)は、永遠に続くかもしれません。

そこで、御神示を読め、とくどう申されているのです。

神の申す事 誠と思ひながら出来ないのであれば、守護神が未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠なのです。

息とは、はじめのキ、です。気でもあります。

Ⅶ.忙しくなって神示読む間もない様になってきます

第十二帖 (三四六)
未だ未だ忙しくなって神示読む間もない様になって来るのざから くどう申してゐるのざぞ、悪魔に邪魔されて神示読む気力も無くなる臣民 沢山出て来るから気付けておくのざ。

忙しくなるのは、段階が進む程にそうなっていくでしょう。

行じていく事だけで、それだけで精一杯になってくると思います。

私自身も、この1年間程、アメの巻以降は、気になるキーフレーズ以外の文面はそこまで読めていませんでしたが、久しぶりにキーフレーズ検索で、アメの巻以降が、随分とマンデラ・エフェクトを起こしている事に驚きました。
このように、御神示読む間も、確かに無くなってきます。

ですが、我、で進みますと、悪魔に邪魔されて、御神示を全く読まない。
どころか、読む気力も無くなる臣民、沢山出て来るようです。

これも、現在の世を見てゐますと、其の通りなのかもしれません。

ですから、できる限り、御神示を読む間が無くなったと言っても、肚に入れるように、読むようにしていって下さい。今の間でしかできないようになっています。

Ⅷ.妙な事 此(九)の方がさしてゐる事が、次々と起こって来ます

第十二帖 (三四六)
まだまだ人民には見当取れん妙な事が次から次にと湧いて来るから、妙な事 此の方がさしてゐるのざから、神の臣民 心配ないなれど、さうなった神の臣民 未だ未だであろがな、掃除される臣民には掃除する神の心判らんから妙に見えるのも道理ぢゃ。天の様子も変りて来るぞ。

まだまだ、人民には、見当取れない妙な事が次々と湧いてきます。

ですが、その妙な事 此(九)の方がさしてゐるので、神の臣民であれば 無、から産み出すので、心配ないのですが、さう(三ウ)なった(七~十)神民、まだまだであろうがな、という事も改めて判ると思います。

掃除される臣民には、掃除する神の心、判らなんから妙に見えるのも道理ですが、掃除していく行を継続していきますと、掃除する神の心が判っていきます。

そして、天の様子、・の様子、が変わって来ます。

一応、順調に、空は一旦青空が綺麗になるマンデラ・エフェクトを起こしているものの、再度、徐々に汚れつつある空に戻されてきています。

心のまま、空にも現れるようになっています。

Ⅸ.キリキリ、気付けて下さい。人の云ふてもらっての改心は役に立たないことになります

第十二帖 (三四六)
何事にもキリと云ふ事あるぞ、臣民 可哀想と申してもキリあるぞ、キリキリ気付けて下され、人に云ふてもらっての改心では役に立たんぞ、

何事(七二五十)にもキリ(キ理)、と云ふ事あります。
一切は、キの理から始まるのです。

ですが、キ、を無くしたり、我れ良しのキのままですと、可哀想な事が起こっていきます。

ですが、一切はキリ(キ理)、から始まります。
キリキリに気付けて下さい。

人に言ふてもらっての改心は役に立ちません。

私のセッションでも云ふて貰うだけで満足する方、かなり多いのです。
それだけでは、此の道に進むには、役に立たないのです。

御自身から、相手を意志し、心の底から伝えていく事。
それが、御自身の改心へと繋がっていくのです。

御自身で、心の底から改心を進める事。を行じて行って下さい。

Ⅹ.我でやっての鼻ポキン、を経験して、人民得心、できるようになる改心もあります

第十二帖 (三四六)
我と心から改心致されよ、我でやらうと思ってもやれないのざぞ、それでも我でやって鼻ポキンポキンか、さうならねば人民得心出来んから やりたい者はやって見るのもよいぞ、やって見て得心改心致されよ、今度は鬼でも蛇(ぢゃ)でも改心さすのであるぞ。

かと言って、一人だけでも、改心は進まないようになっています。

我と心から、改心を進めて下さい。

ですが、我でやらう思ってもやれないようになっています。

不思議ですが、私自身も一人の時では改心、は難しかったと思います。正確には、限度ありますし、できない、気付けない、と言えます。

御自身の我、を中々改心させる事は非常に難しいものなのです。二人でしていくからこそ、改心が進んできた事があります。

かといって、二人であっても、御自身の我に応じた相手や、状況となっていきますから、慢心する程に、大変になります。改心を進めていくのは、そう簡単ではないところがあるのです。

我でやってみてください。
そして、鼻ポキンを経験して下さい。

そうならねば人民得心、出来ませんから、やりたい者はやってみるのもよい、と伝えられているのです。
やってみて、得心、改心を進めて下さい。

今度は、鬼でも、蛇(ぢゃ)でも改心さすようになっています。

ⅩⅠ.人民が楽に行ける道を作りて教へてやってゐるのに、我出すから苦しんでゐるようになります

第十二帖 (三四六)
人民は其の心通りに写るから、小さく取るから物事判らんのさぞ、間違ひだらけとなるのざ、人民が楽に行ける道作りて教へてやってゐるのに、我出すから苦しんでゐるのざ、神が苦しめてゐるのでないぞ、人民 自分で苦しんでゐるのざと申してあろがな。

人民は、其の心通りに、周囲に写るようになっています。
ですから、大きく心を持ってください。

小さく取る程に、3次元世界に囚われる程に、物事判らなくなります。
間違ひだらけ、となっていきます。

我、のままですと、この経験もしていく事になります。

既に、人民が楽に行ける道い、作りておしへてやってゐるのですが、それが、大マンデラ・エフェクトとして現れています。また、行じていきますと、小マンデラ・エフェクトを起こしていけるようになるのですが、
我、出している間は、苦しんでゐる流れになります。

それは、神様が苦しめてゐるのではなく、人民 自分で苦しんでゐるのです。
それも、我、の慢心から、無き地獄を、態々無から、苦しみの道を産み出してゐるのです。

我、のままですと、返って悪い道、苦しい道を産み出す事を忘れてはなりません。

2.アメの巻③ 実現したもの その2 2024年3月18日現在

Ⅰ.岩戸閉めにも、よき身魂、岩戸開きにも、悪き、があります

第十三帖 (三四七)
岩戸閉めにもよき身魂あるぞ、岩戸開きにも悪きあるぞ、気付け合ってよき御用結構ざぞ、勇んで務め下されよ。

岩戸閉めにも、よき身魂、があります。
岩戸開きにも悪き身魂、があります。

我、のまま、我良しのまま、改心がまだ、と思っての岩戸閉めはよき身魂です。改心をもっての岩戸閉めです。

一方で、我良しのままの、岩戸開きは、悪き、です。

私自身、昨年4月に五十肩が始まりました。
6月の誕生日にはピークになり、ここで、自身の岩戸を閉めました。

今その五十肩は、かなり治ってゐますが、全快まで至っていません。
この為に、岩戸は閉めたまま、にしています。

それは、まだ改心が終わってゐない、我れ良しの自身が残ってゐる。
という事、だからです。

我れ良し、我のまま、であれば、岩戸は開かない方がよいのです。
無理なく、我れ良しを無くし、改心してから、順次、一つ一つ小さな岩戸から開いて行って下さい。

やがて、中規模の岩戸、大きな岩戸を開けるように、無理なくできるようになってきます。

気付け合って、よき御用を致して下さい。勇んで務めて下さい。

Ⅱ.心から勇む仕事は、よき(四キ)事です

第十三帖 (三四七)
心から勇む仕事よき事ぞ、此の方の好く事ざぞ。

心から勇む仕事は、よき事です。
此(九)の方の好く事です。

今の所、私にとって、実現化している、心から勇むよき仕事は、前世ヒーリング、以外にありません。
それ以外は、100%、心から勇む事はありませんでした。そして、その内容もどんどん変わって行っています。

もし、心から勇むよき仕事がありましたら、その仕事に進んで下さい。
その道一本に絞りますと、理、が開けてくるようになります。

しきまきや、が起こっていきます。
思念界から変える仕事になっていきます。

更に、もっと心が勇む仕事へと変わったり、新たに現れるようになっていくでしょう。

Ⅲ.此の道は、欲はなれて、命はなれて、成る様にしておりて下されば大丈夫です

第十四帖 (三四八)
此の道 難しい道でないぞ、欲はなれて、命はなれてなる様にしておりて下されたら それでよいのぢゃ。今が神国の初めぞ、今までのことすっかり用ひられんのに未だ今迄の事云ふて今迄の様な事考えてゐるが、それが盲聾(めくらつんぼ)ざぞ、今迄の事自慢すると鼻ポキンぞ、皆 鼻ポキン許りぢゃなあ。

此(九)の道 難しい道ではありません。

欲はなれて、命はなれて、なる様にしておりて下されたら、それでよいのです。
欲はなれて、命はなれても、死んで甦られるように、成る様にしておりて下されば、それでよいのです。

今が神国(十九二)の初めです。

今までのこと、すっかり用ひられんようになっていきます。
過去は、次々と書き換わっていく為です。

ですから、いまだ、今迄の事云ふて、今迄の様な事考えてゐますと、それが、めくらつんぼ、となってしまうのです。

今迄の事は、其の時は最善でも、段階が進みますと、悪となり、苦となっていくのです。もっとより良いやり方が現れて来る為です。

ですから、今迄の様な事に、囚われますと、慢心、となっていくようになっているのです。

今迄の事、自慢すると、鼻ポキン、となるのは、そういった為です。

今の行の連続から次が産み出されますし、過去は、苦、悪、と進んで行く訳ですから、自慢すると、鼻ポキン、となるのが、道理なのです。

常に今から、新たな世界を産み出され続けて行く事。
その行の連続である事から、世界は無限に変わっていく事、そして、過去まで変わっていく事を忘れてはなりません。

Ⅳ.それぞれの役員殿の住むところが、それぞれの事務所です

第十四帖 (三四八)
事務所作らいでもよいぞ、事務所作るのは表の仕組ぞ、裏の御用 事務所禁物ぞ、それぞれの役員殿の住むとこ皆それぞれの事務所でないか、よく相談してやりて下され、段々判りて来るぞ。

事務所は作らなくてもよいのです。
事務所作るのは、表の仕事です。

裏の御用をされる方 は事務所禁物です。

それぞれの役員殿の住むところ、皆それぞれの事務所です。

今の所、私の事務所らしき事務所は、ズームだけですし、自宅になっています。

裏のお役目、表のお役目。これも、時と場所によって変わっていきますので、よく相談してやりて下さい。これも、段々判ってきます。

Ⅴ.今お役に立たん様に、臣民、役員から見えても、袖にしてはなりません。引寄せる身魂は、天で一度改めて、引寄せます

第十四帖 (三四八)
表と裏とあななひぞ、あななひの道と申してあろ、引寄せる身魂は、天で一度改めて引寄せるのであるぞ、今お役に立たん様に臣民の目から、役員の目から見えても袖にするでないぞ、

表と裏と、あななひ、です。

あいう、の段階でも、永劫の過去から、七の二二の仕組み、を始める事となるのですが、ひふみ、となりますと、九四の行、二二、しきまきや、永劫の過去に向けての行をしていく事になります。それが、未来に向けても進む事になります。

表と裏、とあります。
あななひ、の道です。
過去と未来。有と無。男と女。様々あります。

引寄せる身魂は、天で一度、改めて引寄せる事になります。
一旦離れますと、変わって現れるようになっています。

これも、ここまで何度も経験してきました。

ですから、今、御役に立たん様に臣民の目から、役員の目から見えても、袖にしてはなりません。

ここは、された経験もありましたので(笑)、しないようにずっと意識してきました。
分け隔てが何より、最大の慢心、という経験をしてきた為です。

分け隔てしない行、は、誰しも、結構に求められる事になります。

分け隔てが、無理なら、最初は距離を置く所から。
そして、御自身ができる所から変えて行きますと、分け隔て無理な人が、無理で無くなっていくのです。

そして、御自身の我を、行と共に改心を進めて下さい。

Ⅵ.神示は出ません、と無理なく言える段階へと、早く進んで下さい

第十四帖 (三四八)
此の神示 無闇(むやみ)に見せるでないぞ、神示は出ませんと申せよと申してある事 忘れるでないぞ。

此の神示 むやみに見せてはなりません。

神示は出ません、と申せよ、と申してある事忘れないようにして下さい。

実際、行をしない方には、神示は出ないようになっています。
それは、ここまでのセッションからも判ってきています。
こうして、御神示マンデラ・エフェクトをブログで共有していても、いざ会ってみますと、読んだはずが知らない、なんて現象も起こるのです。

御神示のマンデラ・エフェクトは、御自身の思念、行に伴って変わっていくのです。

早く、この事を、御自身の経験から、周囲へ言える段階へと、無理なく言える段階へと進めて下さい。

3.アメの巻③ これから実現していくもの その1 2024年3月18日現在

Ⅰ.末代のとどめの建替が始まります。神様の申すこと聞く臣民まだまだです

第十一帖 (三四五)
神国、神の子は元の神の生神が守ってゐるから、愈々となりたら一寸の火水で うでくり返してやる仕組ざぞ、末代の止(とど)めの建替であるから、よう腰抜かさん様 見て御座れ、長くかかりては一もとらず二もとらさず、国は潰れ、道は滅びてしもうから早う早うと気もない時から気つけてゐるのぢゃが、神の申すこと聞く臣民人民まだまだぞ。

神国、神の子は、元の神の生神様が守ってゐます。

愈々となりましたら、一寸の火水で うでくり返してやる仕組みです。
これは、腕、というより、無と有で繰り返す、と読むように思えます。

末代のとどめの建替ですから、よう腰抜かさん様、見て御座れとあります。

長くかかりては、一もとらず、二もとらさず、国は潰れ、道は滅びてしもうから、早う早うと気もない時から気つけてゐるのですが、神様の申すこと聞く臣民人民はまだまだです。

一刻も早く、行を始め、早く三年の行を終えて下さい。

Ⅱ.霊術、霊霊(ことだま)もよいですが、三分位でよいです。中行く、行をしていく事が求められます

第十一帖 (三四五)
霊術も言霊(ことだま)もよいなれど程々に、三分位でよいぞ、中行かな行かれんのざぞ、銭儲けて口さへすごして行けばよい様に今の臣民まだ思ってゐるが、それは四つ足の四つの悪の守護である位 判りておろがな。

霊術、言霊(ことだま)もよいのですが、三分位でよいのです。

中行かないと行かれんようになっています。

銭儲けて、口さへすごして行けばよい様に今の臣民まだ思ってゐますが、
それは、四つ足の四つの悪の守護である位は、判ってゐると思います。

銭儲けて、口さへすごして行けば良いと思う方。
まだまだ多いのですが、この道進むには、中行かないことには、新たな世界を産み出さない琴には、この後は進まないようになっています。

Ⅲ.外国とは、我良しの国であり、我良しのままでは、日本の国も大丈夫ではありません

第十一帖 (三四五)
悪とは他を退ける事であるぞ、まつりまつりとくどう申してあること未だ判らんのか、今 外国よいと申してゐる臣民は外国へ行っても嫌はれるぞ、外国にも住むところ無くなるぞ、外国も日本もないのざぞ、外国とは我よしの国の事ぞ、神国は大丈夫ざが、外国や日本の国 大丈夫とは申されんぞ、と事分けて申してあろがな、

悪とは、他を退ける事です。分け隔て、です。

まつりまつりとくどう申してある事、未だ判らないのか。
とくどく伝えられています。無理なく、今できるところからでよいのです。

今、外国よいと申してゐる臣民は、外国に行っても嫌はれます。
外国に行っても、住む(澄む)ところ無くなってきます。

外国も日本もありません。外国とは我よしの国(九二)の事です。
それは、御自身の思念、に応じるのです。

行を継続していきますと、御自身の内が、まつりを進めていけば、我を改心進めれば、我よしの国は無くなっていくのです。それは、日本も、外国も、といった事になっていきます。

ですから、神国は大丈夫ですが、外国、日本の国、 大丈夫とは申されない、と言分けて申してゐるのです。

Ⅳ.・入れた集団を作っていく事になります

第十一帖 (三四五)
日月の集団作り、境界作ってもならんが・入れた集団作らなならんぞ、〇も作らず・も入らずに力出ない位 判りておろがな、馬鹿正直ならんと申してあること忘れたのか、集団のつくり方知らしてあろが、盲(めくら)には困る困る。

日月の集団作り、境界(教会)作ってもならないのですが、・入れた集団作らななりません。

〇も作らず、・も入らずで力出ない位は、行じていきますと、誰でも解ってきます。

馬鹿正直はならん、と申してある事忘れてはなりません。

集団のつくり方、御神示を読み、行じていれば、判ってゐると思います。

一対一で、伝わる方伝わる順に、・を入れていき、新たな世界を産み出し続けていくのです。
それが、神の御心です。

多くは、めくら(六六、九、×〇)となっています。

無から二二の仕組みを作る事。九の行をしていない事が殆どです。

これらは、実現している部分もあるのですが、まだまだ規模が大きくなっていく可能性がある、と見てゐます。

Ⅴ.永遠にしぼまんマコトの花咲く世、来ています

第十一帖 (三四五)
人の苦労あてにして我が進んで苦労せん様な人民では神の気感(きかん)に適はんから、今度は苦労のかたまりの花咲くのざ、苦の花咲くのざぞ、二二に 九(コ)の花咲耶姫の神 祀りて呉れと申してあろがな、永遠にしぼまん誠の花咲く世来たぞ。

人の苦労をあてにして、我が進んで苦労せん様な人民では、神の気感(きかん)に適はん、とあります。
九の行をしなかった方は、最終的には、苦労のかたまりのはな、となりますし、苦の花となってしまいます。

ですから、二二に九(コ)の花(八七)さくや(三九八)ひめ(秘)の神様、祀りて呉れと伝えているのです。

九の行から、八(神々様)を産み、もう一段上の無(七)とし、三が道から、九の世界から、八(神々様)を産み出して下さい。

この事で、永遠にしぼまんマコトの花咲く世(四)が、今現在、やって来ているのです。

永遠にしぼまんマコトの花咲くか、苦労のかたまりの花咲くかは、御自身の我が、神の気感と合致しているか、で大きく分かれていくのです。

Ⅵ.今度、神様から見放されたら、末代浮かぶ瀬がありません

第十二帖 (三四六)
上面(うわっつら)洗へばよくなるなれど、肚の掃除なかなか出来んぞ、道広める者から早う掃除まだまだであるぞ、今度 神から見放されたら末代浮ぶ瀬ないぞ。

上面(うわっつら)洗へばよくなりますが、肚の掃除なかなかできません。

道広める者から早う掃除して下さい。まだまだ、と伝えられています。

今度 神様から見放されたら、末代浮かぶ瀬ありません。
ですが、それを決めるのは、常に、今の御自身以外にありません。

Ⅶ.今の内に御神示じっくりと読んで肚に入れて、タカアマハラ、となっておりて下さい

第十二帖 (三四六)
悪神は如何様にでも変化(へんげ)るから、悪に玩具にされてゐる臣民人民 可哀想なから、此の神示読んで言霊高く読み上げて悪のキ絶ちて下されよ、今の内に神示じっくりと読んで肚に入れて高天原となっておりて下されよ。

悪神様は、如何様にでも変化(へんげ)ていますから、悪に玩具にされてゐる臣民人民 可哀想なですから、此(九)の御神示読んで、言霊(ことたま)高く読み上げて、悪のキ絶ちて下さい。

今の内に御神示、じっくりと読んで、肚に入れて、タカアマハラ、となっておりて下さい。

Ⅷ.愈々、日の出の守護となったので、物事誤魔化しききません。裏の裏とは新たに産み出した表であり、永劫の過去、です

第十二帖 (三四六)
これまでは夜の守護であったが、愈々日の出の守護と相成ったから物事誤魔化しきかんのぞ、まことの人よ、よく神示見て下され、裏の裏まで見て下され、神国の誠の因縁判らいで、三千年や五千年の近目ではスコタンぞ、と申してあろがな、

これまでは、夜の守護でしたが、愈々、日の出の守護と相成った為に、物事、誤魔化しきかなくなってきたのです。

まことの人、よく(四九)御神示を見て下さい。
裏の裏まで見て下され、として下さい。

四の行(しきまきや)、から九の行(くにつつみ)から、新たな世界が次々産み出されていきます。
そして、それは、行じた御本人しか判らないようになっています。

ですから、三千年や五千年の近目ではスコタン、なのです。

神国の誠の因縁は、人を助けて、新たな世界を産み出し続けていかない事には判らないようになっています。

Ⅸ.天使(・四)、天下平らげて、マコトの神国に、世界神国に致します

第十二帖 (三四六)
天四天下平げて、誠の神国に、世界神国に致すのざぞ、世界は神の国、神の国 真中の国は十万や二十万年の昔からでないぞ、世の元からの誠一つの神の事判らな益人とは申されんぞ、神の申すこと一言半句も間違ひないのざぞ。

天四(てんし)、天下平げて、マコトの神国に、世界神国に致して下さい。
一切の国が、マコトの神国、なのです。

世界は神の国、神の国 真中の国は、十万や二十万年前からの昔からではないのです。

世の元からの誠一つの神の事、判らない事には益人とは申されないのです。

それは、一切をマコトの神国と産み出して行く行をしていく人、です。
それがカミヒト、です。

神の申すこと、一言半句も間違ひないのです。

4.アメの巻③ これから実現していくもの その2 2024年3月18日現在

Ⅰ.因縁あるミタマでも、曇りひどいと、御用難しいことあります

第十三帖 (三四七)
因縁あるミタマでも曇りひどいと、御用六ヶ敷い事あるぞ、神示頂いたとて役員面(やくいんづら)すると鼻ポキンぞ、と気付けてあろがな、五十九柱いくらでもあるのざぞ、かへミタマあると申してあろがな、務めた上にも務めなならんぞ、因縁深い程 罪も借銭も深いのざぞ、

因縁あるミタマでも、曇りひどいと、御用難しい事があります。

御神示頂いたと言っても役員面(やくいんづら)しますと鼻ポキン、となる事。
気付けてある、と伝えられています。

五十九柱、いくらでもあります。かへミタマ、いくらでもあるのです。

務めた上にも務めないとならないようになっています。

因縁深い程、罪も借銭も深くなっています。

ですから、慢心、分け隔て、取違ひ、に気を付け、改心を進めて下さい。

Ⅱ.他で判らん、根本のキのこと知らす此(九)の御神示では、三千世界のこと一切の事 説いて聞かして得心させて頂けます

第十三帖 (三四七)
木の葉落ちて冬となれば淋しかろがな、紅葉(もみじ)ある内にと気付けおいたが紅葉の山も落ちたであろがな、他で判らん根本のキのこと知らす此の方の神示ぢゃ、三千世界のこと一切の事 説いて聞かして得心させて上げますぞや。

木(九)の葉(八)落ちて冬(負ゆ)となれれば、淋しいと思います。
九の道、八の道が落ちて、ゆ(理)が無くなってしまうと、淋しいでしょう。

紅葉(もみじ)ある内に気付けておきましたが、紅葉の山も、随分と落ちてしまいました。これは2019年辺りからずっとです。

他で判らん根本のキの事は、四の行、九の行から判ります。

此の御神示、から、三千世界の事。三つの千人力による世界の事。
一切の事、説いて(解いて)聞かして、得心させて頂けます。

Ⅲ.三千世界一度にひらいて、世界一列一平、一つのてん詞(四)様で治めます。それが御自身になります

第十三帖 (三四七)
落ち付いて聞き落しのない様になされよ、悔しさ目に見へておろがな、どぶつぼに我と落ち込む人民許り出て来て、神の国 臭くて足の踏場もないぞ、なれども見て御座れ、三千世界一度にひらいて世界一列一平一つのてん詞(四)で治めるぞ。

落ち着いて、聞き落としのない様にして下さい。
聞き落とししますと、悔しさ目に見へていると思います。

どぶつぼに我と落ち込む人民ばかり出て来て、神の国、臭くて足の踏み場もない、と伝えられています。

ですが、三千世界一度にひらいて世界一列一平一つのてん詞(四)様で治めるようになります。

それが、段階が進んだ御自身、なのです。

ですから、まずは、御自身が・四様へと、その行を進めて行って下さい。

Ⅳ.これからは、マコトの深し浅しの戦(いくさ)です。コト、に気付いて下さい

第十三帖 (三四七)
地の世界に大将なくなって五大州引繰り返りてゐると申すことまだ判らんのか、目に見せても耳に聞かしても、まだ判らんか、尻の毛まで悪魔に抜かれてゐて まだ判らんのか、あんまりな事ぢゃなあ。是までは高し低しの戦でありたが、是からは誠の深し浅しの戦(いくさ)ざぞ、誠とはコトざぞ 口でないぞ、筆でないぞ コトざぞ、コト気付けと申してあろがな。コト、コト、コト、ざぞ。

地の世界には、大将なくなって、五大州ひっくり返りてゐると申す事まだ判らんのか、と伝えられています。
目に見せても、耳(御身)に聞かしていても、まだ判らんのか、と伝えられています。

更には、尻(四理)の気まで悪魔に抜かれてゐて、まだ判らんのか、あんまりな事ぢゃなあ。
と伝えられています。しきまきや、から道を産み出すキ、まで悪魔に抜かれているので、あんまりな事ぢゃなあ、と伝えられているのです。

これまでは、高し低しの戦でしたが、ここからは、マコトの深し浅しの戦(いくさ)です。

マコトとは、コト(行動)(九十)(五十)(言透)です。
口ではなく、筆ではなく、コト(九十)、
です。
コトに気付いて下さい。

コト(行動)コト(九十)(五十)、コト(言透)、です。

Ⅴ.ウタ(歌、ウ多、ウ十)の集ひとして下さい

第十三帖 (三四七)
始めウタあったぞ、終もウタぞ、今も昔もウタざぞ、人民も動物もウタ唄ふのざぞ、終の御用の始はウタぞ、ウタの集団(つどひ)とせよ。此の神示ウタとして知らす集団とせよ、ウタの集団 始ざぞ、表ざぞ、裏の裏ざぞ、表の表ぞ、道開く表の終の御用ぞ、江戸の御用すみたから、尾張の御用と申してあろがな、カイの御用も忘れてならんのざぞ。

始め、ウタがありました。終わりもウタです。
今も昔もウタです。

やがて、人民も動物ウタ、唄ふのです。
終わりの御用の始めは、ウタ、です。ですからウタから全て始まります。

ウタの集団(つどひ)として下さい。

此の御神示、ウタとして知らす集団として下さい。
それは、歌、だけでなく、ウ多、ウ十、として知らしてください。

いずれにしても、ウタの集団が始めです。

それが、表、に現れます。
裏の裏として現れるのです。
それは表の表でもありますし、表の表、ともなっていきます。

道開く表の終わりの御用です。

穢土(江戸)の御用済みたから、尾張(オワリ)の御用、を進めて下さい。
終わりの御用とは、道開く表の御用です。

カイの御用も忘れてはなりません。カイの御用は、食べ物、の御用です。

Ⅵ.食物(おしもの)の集団も作らななりません。時に応じて変化するのが、まことの神の集団です

第十三帖 (三四七)
食物(おしもの)の集団も作らなならんぞ、カイの御用の事ぞ、此の集団も表に出してよいのざぞ、時に応じてどうにでも変化(へんげ)られるのがまことの神の集団ざぞ。

食物(おしもの)の集団については、以前は、必要、という感じでしたが、集団を作らなならん、段階に入ってきているようです。これもマンデラ・エフェクト、と見てゐます。

カイの御用、初めは、家の食べ物をキチリ、とする所からですが、段階が進みますと、食べ物の集団を作るようになるようです。

此(九)の集団も表に出してよいのです。
裏の裏から、表を産み出して下さい。

また、時に応じて変化してください。

これも、段階が来ますと、しだすようです。

時に応じて、どうにでも、変化られるのが、マコトの神の集団なのです。

Ⅶ.世に落ちて御座る守護神と、世に落ちてゐる神々様、世に出てゐる神々様、世に落ちて出てゐる守護神殿、和合なさりて物事するようになります

第十三帖 (三四七)
不動明王殿も力あるに、あそこ迄落してあるは神に都合ある事ぞ。世に落ちて御座る守護神と 世に落ちてゐる神々様と 世に出てゐる神々様と 世に落ちて出てゐる守護神殿と 和合なさりて物事やって下されよ、二人でしてくれと申してあろがな、判りたか。

不動明王殿も力あるのに、あそこ迄落としてあるのは、神様に都合あるのです。
世に落ちて御座る守護神と、世に落ちてゐる神々様、世に出てゐる神々様、世に落ちて出てゐる守護神殿、和合なさりて物事やって下さい。

このように、世に落ちて御座る守護神と、世に落ちてゐる神々様、世に出てゐる神々様、世に落ちて出てゐる守護神殿、と記載され始めたのも、新たなマンデラ・エフェクト、と見てゐます。

その際、二人でして下さい。

二人が常に鍵を握ります。

Ⅷ.落した上に落して、もう落す所無い様にして、上下引っくり返ります

第十四帖 (三四八)
一番尊い所 一番落してあるのぢゃ、此の事判りて来て天晴れ世界唸(うな)るのぢゃ、落した上に落して もう落す所無い様にして上下引繰り返るのぢゃ、引繰り返すのでないぞ、引繰り返るのぢゃぞ、此の事 間違へるでないぞ。

一番尊い所、一番落としてあります。

此(九)の事判りて来て、天晴れ、世界唸(うな)るのです。

落した上に落して、もう落す所無い様にして、上下引繰り返ります。

引繰り返すのではありません。引繰り返るのです。
この事、間違へないように、と伝えられています。

我れ良しを改心させ、神の御心のまま、カミヒト、共に進む事が求められます。

Ⅸ.神の国は誰が見ても、どう考へても、二度と立ち上がれない、人民 皆外国に就く様になってから、始めて神力現れます

第十四帖 (三四八)
神の国は誰が見ても、どう考へても、二度と立ち上がられん、人民 皆外国につく様になって、此の方の申した事、神示に書かした事、皆 嘘(うそ)ざと申す所まで世が落ちてしまうてから始めて神力現れるのざぞ、人民臣民 早合点して御座るが九分九分九厘と申してあろがな、

神の国は、誰が見ても、どう考へても、二度と立ち上がられん、人民 皆外国につく様になって、此の方の申した事、御神示に書かした事、皆 嘘(うそ)ざと申す所まで、世が落ちてしまうてから始めて神力が現れます。

人民臣民、早合点していますが、九分九分九厘となってから、神力が現れるようです。

この境地になっても耐えられるには、行を進め、カミヒトと進む以外にはなさそうです。

Ⅹ.まだまだ曇り取らななりません

第十四帖 (三四八)
地でも改めしてまだまだ曇り取らなならんぞ、磨けば皆結構な身魂許りぢゃぞ、人民の肚さへたら天もさへるぞ、心鎮(しづ)もれば天も鎮もるぞ、神勇むぞ。

地でも、改めして、まだまだ曇り取らないとなりません。

磨けば、皆、結構な身魂ばかりです。

人民の肚さ(三)へたら天もさ(三)へるようになります。

心しづもれば、天もしづもります。

神も勇むようになります。

5.アメの巻③ 今実現したら困る物、手遅れになるもの 2024年3月18日現在

Ⅰ.我、張りてゐますと、81にするより方法(ほか)ありません

第十三帖 (三四七)
世界中から神示通りに出て来て足元から火が付いても、まだ我張りてゐる様では今度は灰にするより方法(ほか)ないぞ。恐しなっての改心では御役六ヶ敷いぞ。

世界中から、御神示通りに出て来て、足元から火が付いても(今、半分はそうなってきていますが)、
まだ我張りてゐる様では、今度は灰(81)にするよりほかありません。

ですが、行じて行きますと、周囲が、八一、あらゆる神々様が始まるようになっていきます。

ですから、恐しなっての改心では御用難しいのです。
その時では、81になってしまうのです。

手遅れにならないように、81を八一へと進められるようになるように、我の改心を進める事、そして行じて行く事が求められます。

我がある内は、進む世界は、灰になります。
灰(81)では、末代浮かばれない事になるのです。

そして、此の道一本の覚悟までが遅い方程、恐し、の道に進む事も忘れてはなりません。

Ⅱ.今度のとりこは、元に帰って盛り返すものの、また繰り返し、捕らえられ、次がひどくなります

第十四帖 (三四八)
まだまだ俘虜(とりこ)になる者 沢山あるなれど、今度の俘虜(とりこ)まだまだぞ、何れ元に帰って来るから、元に帰って又盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ、次に又捕へられる者 出て来るのざぞ、次はひどいのざぞ、是も因縁ざぞ。

まだまだ、とりこ、になる者、沢山ありますが、今度のとりこ、はまだまだです。

いずれ、元に帰って来ますが、元に帰ってまた、盛り返しますが、またまた繰り返し、とりこ、となるのです。

次にまた捕へられるもの、はとてもひどいのです。
此れも因縁なのです。

捕われるは、囚われる、もありそうです。

Ⅲ.我があってもならず、無くてもなりません。毒にも薬にもならん人民、草木にかへしてしまいます

第十四帖 (三四八)
我(が)はぢっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出されんぞ、我の無い様な事では、我で失敗(しくじ)た此の方の御用出来ないのざぞ、毒にも薬にもならん人民 草木にかへしてしまふぞ。

我は、ぢっと奥に鎮めて、表面(うわべ)には気(け)も出されません。

我の無い様な事(九十)では、我で失敗した此の方の御用が出来ないのです。
我はあってもなりませんし、なくてもならないのです。

だからこそ、我の洗濯、掃除、改心、が次々求められて行くのです。

(土九)にも薬(九四理)にもならん人民は、草木にかへしてしまう、とありますが、それは、神の気感に沿っていない為です。

我でしくじった者達を皆、助けていく事が求められています。
そうでない事には、この後の世界、大峠を、三千世界を、無事乗り越える事はできないのです。

Ⅳ.今度、千人力でない、我のままであれば、規則破りたら、末代浮かばれんきつい事になります

第十四帖 (三四八)
天の規則 千でやる事になってゐるのざぞ、今度 規則破りたら暗い所へ落ち込んで末代浮ばれんきつい事になるのざから、神くどう気付けておくぞ。

天の規則、千でやる事になってゐるのです。
千、は、千人力、という事が一つあるでしょう。

千人力以外、自身と神様と共に、千人以上の力と共にでないと、此の後の世、大峠は無事越せないのです。

その為には、我の洗濯、掃除、改心、が求められ、神かかれるように、素直になっていく事。が求められます。

今度、規則破りたら、御自身の我で進めてしまったら、暗い所へ落ち込んで、末代浮かばれんきつい事になりますので、神くどう、気付けておく、と伝えられています。

まだまだ、我、で進んでいる方の方が圧倒的に多いので、一刻も早く、できる所より行を進めて行ってください。

アメの巻③ まとめ

アメの巻③で、実現したものでは、

日の出の神様が、愈々お出ましになっている事。

学や智でどうにもならんと判ってゐて、学や智で進む方、とても多い状況は変わっていない事。

肚の中から、人民びっくりする声で申す時。二十二日の夜に、実地で見せてある事。

此の道は、難しくないのですが、行じないと理屈となり、悪となっていく事。

食ひ物大切に、家の中キチンとしておくのがカイの御用。初めの行である事。

神の申す事、マコトと思ひながら出来ないのは、守護神が、未だ悪神の息から放れてゐない段階である事。

忙しくなって、御神示読む間も無くなって来る事。
実際には、読む気力無くなる臣民が沢山出て来る事。

妙な事。此の方がさしてゐる事が、次々起こる事。
掃除が進めば、天(・)の様子も変わってくる事。

人の云ふてもらっての改心は役に立たない事。

我でやっての鼻ポキン、を経験して、得心する改心もある事。

既に、人民が楽に行ける道、作りて、教えてもいるのに、我、出すから苦しむ元になっている事。

岩戸閉めにも、改心すると、よき岩戸閉めがある事。
改心できない、悪き岩戸開きがある事。

心から勇む仕事は、よ(四)き事である事。

此の道は、欲はなれて、命はなれて、成るようにしておれば大丈夫である事。

それぞれの役員殿の住む処が事務所である事。

今お役に立たん様に、臣民、役員から見えても、袖にしてはならない事。(分け隔てはしない事)。引寄せる身魂は、天で一度改めて、引寄せる事。

神示は出ません、と無理なく言える段階へと、進む事。

これから実現していく事については、

末代のとどめの建替が始まる事。

中行く、行をしていく事が求められる事。

御自身の内が、我良しの改心次第で、外国、神の国と分かれて行く事。
(日本、海外、は関係ない。実際には、外国からの改心が早い。)

・を入れた集団を作っていく事になる事。

永遠にしぼまんマコトの花咲く世、が来ている事。

今度、神様から見放されたら、末代浮かぶ瀬が無くなる事。

今の内に御神示じっくり読みて、タカアマハラ、になっていく事。

愈々、日の出の守護となり、誤魔化しが利かなくなってきている事。

天使(・四)、天下平らげて、マコトの神国に、世界神国に致す時が来ている事。

因縁あるミタマでも、曇りひどいと、御用難しいことある事。

三千世界のこと一切の事 説いて聞かして得心させて頂けるようになっていく事。

三千世界一度にひらいて、世界一列一平、一つのてん詞(四)様で治め、それが御自身になっていく事。

これからは、マコトの深し浅しの戦(いくさ)となる事。

ウタ(歌、ウ多、ウ十)の集ひが、始めであり、表であり、裏の裏であり、表の表である事。

食物(おしもの)の集団も作らなならない事。
時に応じて、変化るのが、まことの神の集団である事。

和合は二人でしていく事。

最後は、落した上に落して、もう落す所無い様にして、上下引っくり返る事。(九分九分九厘)

神の国は誰が見ても、どう考へても、二度と立ち上がれない、人民 皆外国に就く様になってから、始めて神力現れる事。

実現したら困るものでは、

我、張りてゐますと、81にするより仕方がない事。
恐しになっての改心では、御役難しい事。

まだまだ虜(とりこ)が出て来る事。盛り返して、その次が酷い事。

我でしくじった、此の方の御用をするには、我があってもならず、無くてもならない事。改心した我が必要で、毒(土九)にも薬(九四理)にもならん人民は草木に変わる事。

今度、千人力でない、我のままであれば、規則破りたら、末代浮かばれんきつい事になる事。

を伝えていきました。

千人力になっていない方。我のまま、の方はまだまだ沢山います。
ですが、もう残すところ、かのととりの2041年まで17年となっています。

此の道は、進むには、時間がかかります。
早くて三年ですが、十五年かかる覚悟を持ってください。

ですから、一刻も早く行じ、多くの方々を助けて行く。思念界から変えて行く。
しきまきや、くにつつみ、を起こして行く事が求められるのです。

是非、此の道に早く、しっかりと、進んで下さい。
一人ではできないようになってゐる行ですし、二人で進めて行って下さい。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

<<前に戻る
>>次に進む
カテゴリートップへ戻る
前世の法則トップに戻る