神仏習合。の歴史は1000年以上ととても長いのですが、それはどうも日本の浄化には非常に重要だったみたいです。
明治時代中頃には、欧米化の流れで解体され、現代では殆ど知られない事となりましたが、それまでは、比較的日本全国でたくさん見られていました。
実際、現代でも僅かに残っているところもあり、神仏習合は、日本の次元を高く引っ張ってきた経緯があったようです。
2021年は、前世で神仏習合たくさん蘇らせ、そして書き換えを進めていきますと、日本は、自然と浄化し、書き換えが進むようなのです。
神と仏の和合、こういったあらゆる物の和合は、元来日本人は得意でしたし、概ね高次の存在達が過去に実現してきた事のようなのですね。実際、日本の文化が、和洋折衷なのも、実は、とても日本人らしい事なのです。そして、日本人の多くの方には、神仏習合は、前世の記憶としてしっかり刻まれている方も多いと思います。
1.神仏習合とは
神仏習合とは、神道と、仏教が合わさった教えで、明治時代前は、神社や寺、どちらにも存在していました。
また、戦国時代には、儒教やその他多くの教えも合わさり、これらは、天道思想とも呼ばれています。
史実では平安時代~明治時代中頃の1000年の間まで見られた、という事ですが、実際にはもっと前から始まっています。
一方、神仏習合解体の動きは明治中頃に始まったのですが、これは信教の分離、つまり日本の和合思想の解体が目標の為だったようです。つまり、この頃から次元低下が始まりましたし、同時に大日本帝国憲法の制定(1889年)、それは同年、熊野の地の浸水、熊野本宮の3分2が川に流される、という事態を引き起こしたのです。
2.神道は、いつから始まったのか?
Ⅰ.一応は2000年前から
そもそも神道、もしくはその原型ですが、その始まりはいつ頃からか、というのはとても難しいと思っています。
現存している神道については、丁度0年から。2000年前からで良いようです。
Ⅱ.2600年前説は間違い?
また、2600年前説もありますが、ではこちらは間違いか、と言えば、こちらも間違いでは無さそうです。
実は、両方正解になるのが、正しいと思っています。
この謎は、またいずれお伝えします。
Ⅲ.高度文明期には、神道何度も降臨している
ただ、似たような教えは、何度も日本という地には降臨していたようです。
日本は、高度文明が何度も存在しており、特に1万年以上前になりますと、現在よりも高度な文明は何度もあったようです。
見事に形姿を残さず、時空間テレポートした文明もあったようです。
ちなみに縄文中期の高度文明には、神道は無かったようです。
この部分を、詳しく書きますと、また話が終わらなくなるので、今回はここまでにします。
3.仏教は、いつ到来したのか?
現在の歴史上では、538年説、552年説が有力とされています。
ですが、釈迦の誕生より1000年近く経った後に到来しているのは、いくら何でも不自然です。
仏教としての教えらしきものは、それ以前に実際には入ってきています。
Ⅰ.本当は、紀元前から渡来している
実は、仏教の到来は、どうも紀元前からあるようです。
ちなみに中国では、後漢の時代、1世紀頃との事ですが、そもそも仏教は宇宙真理を聖典化したものですから、
教え、内容、という意味では、もっと前、中国には紀元前4世紀頃には入ってきているみたいです。
明確に信仰として書として残されているのが、1世紀後漢の時代の頃という事です。
日本では弥生人、大陸から渡ってきた彼らが既に、仏教の教えそのものを持ち込んでいたようです。
Ⅱ.全国各地の、修験道系がその名残
例えば、紀元3世紀頃には、熊野那智では、修験道系が始まった歴史があるのですが、これは仏教禅宗系の名残と見ています。
このような傾向のある寺や神社らしきものは、全国にもあり、これはまず間違いなく仏教の名残と見ています。
実際には、仏教は、かなり前から渡来していると思って良さそうです。
Ⅲ.6世紀の仏教渡来は、後付け
本格的に全国的に仏教を流行らせたのは、聖徳太子で間違いなさそうです。
それまでは、仏教は、教えとしてはマイナー宗教の1つだったみたいです。
どちらかと言えば、それまでは神道が国教だったみたいですが、聖徳太子の頃より、国の教えに仏教を取り込もうとしていったようです。狙いはどうも神仏習合のようだったのです。
Ⅳ.聖徳太子の神仏習合は失敗し、国教は仏教へ
ただ、その狙いはどうも失敗したようです。
その後は、飛鳥時代、奈良時代へと国教は仏教となっていきます。
実は、これは後から入ってきた渡来人達によるクーデターのようです。
4.神仏習合は、いつから始まったのか
このように一応史実上では、平安時代頃から、と言われています。
奈良時代まで仏教が国教でしたから、それが一般的な説です。
ですが、その始まりは、どうも2世紀頃のようです。
一度目の岩戸開きのようです。
縄文人と弥生人の和合でもあり、神道と、仏教の和合でもあるようなのです。
実際、熊野那智では3世紀頃から修験道があるのも、既に神仏習合をしていたと見ています。
つまり、かなり前に神と仏の和合は始まっていたようなのです。
だから、古墳時代辺りは波動が高いのですね。
5.まとめ
神仏習合は、このようにかなり早い段階から始まっています。
それは、愛の和合でもあり、戦国時代末期(安土桃山時代)には、儒教も合わさった天道思想ともなったようです。
実は、神仏習合は、前世ヒーリングでも度々登場してきたのですが、これはとても重要な型のようなのです。
つまり、和合です。
それは、書き換えの1つの型のようですし、実際には必須のようです。
2021年、現在求められているのは、分離ではなく和合です。
神仏習合を、前世の記憶でお持ちの方は、和合の意識を現代に再現していき、書き換えを起こしていきましょう。