前世コラム その22. 京都の前世の記憶を呼び起こそう② 河合神社編

前世コラム

京都の前世の記憶を呼び起こそう、その②は河合神社です。

河合神社とは下鴨神社の摂社です。

ですが、実際に何かと主になっていた存在は摂社の河合神社になると見ています。

そして、この界隈で多くの人が行き来していたのですね。

前回でも記載しましたが、下鴨神社の歴史は長く、既に崇神天皇の頃には歴史の存在が確認されています。実際には、神武天皇来約2000年の歴史があります。

また、この場所の近辺から縄文式、弥生時代の住居が見られている事より、神武天皇の生誕の前から、ネイティブな人達もずっと住んできた地には違いないようです。

平安時代以降では、賀茂祭(後の葵祭)の祭祀する神社として、皇室とは深い関係性になっていますし、何かと天皇家と深い結び付きもある神社です。

現在、初詣でも賑わっている神社ですが、この地に何らかのご縁があった人は非常に多いと見ています。

特に京都の前世がある場合、河合神社、下鴨神社は、ご縁がある神社になっている可能性が非常に高いです。

1.敷地の不思議

敷地内での本殿は下鴨神社で、河合神社とは、下鴨神社の摂社にあたります。

このように河合神社は本殿では無いのですが、エネルギーバランス、そして前世の記憶からも、本来は本殿の役割を果していたのではないかと見ています。

【河合神社】

後、この下鴨神社の東側には糺の森(ただすのもり)というパワースポットがあります。

【糺の森】

丁度、これは本殿下鴨神社の周辺にある訳ではなく、南側にある河合神社の丁度東に行く事100メートル位の所にあります。

実際、この下鴨神社内でもエネルギーが一番強いのがこの糺の森で、河合神社はこの森の力を大きく受けています。

2.河合神社とは、パワースポットライン交錯地点

実は、この河合神社は、パワースポットラインが交錯する地にあるのです。

出雲大社(島根県)、出雲大神宮(京都府)、下鴨神社。

これらは一直線上に存在しています。
これは出雲系の神社が多いです。

一方で、京丹後にあります、元伊勢とも言われている籠神社、
そして上賀茂神社、下鴨神社。

こちらも一直線上にあります。
こちらは伊勢系の神社が多くなると見ています。

この他にも、この河合神社を通るパワースポットラインは複数ありますが、ちょっとここでは言えないようなものもあり割愛します。

このように、この河合神社は、様々なパワースポットライン上にあります。

例えば、グーグルマップ等を使ってみても判ると思いますが。
そのラインは下鴨神社本殿ではなく、河合神社に来るのです。

実際、エネルギーも本殿と河合神社を比べて見ますと、どちらにエネルギーが強く集まっているかよく判るかと思います。

3.古来では市場的な役割も

実は、この下鴨神社は、祭祀の中心の場でもありましたので、古来より多くの人が集まる場所でした。

また地形的に、高野川、賀茂川の合流地点でもあった為、川の物流に適している事もあり、市場の活動も活発でした。

川向こうには、出町柳商店街があり、現在でも非常に活気のある商店街です。
古来から市場として発達してきた場所だったのですし、パワースポットラインでもありますから、現在でもこの商店街の活気が衰えないのだと見ています。

そこには、前世の記憶が多くの人の中に眠っている場所と見ています。

ですから、この河合神社、下鴨神社周辺は、多くの人が集まり賑わっていた地域なのですね。

4.陰陽師、占術師達が集まった場所

このような流れで、高名な陰陽師、占術師達も集まる場となります。

現代では、繁華街の河原町、新京極といった場所に集まってきている傾向が強いですが、古来では、下鴨神社周辺が1つのステータスだったようです。

時の文化が全て集中した場所が下鴨神社。
現在の出町柳界隈になってくるのです。

昔の神仏習合時代では、出町商店街辺りからさらに、南に向って寺町通りにズラっと寺社が並びます。

ちなみに出町商店街からすぐのお寺は、京都御所沿いという事もあり、皇室系の寺が多く存在しています。

つまり下鴨神社は、寺町通り沿いの寺社の始点、総本山的な意味合いもあったようです。

5.鴨長明、史実に無い話はたくさんある

「方丈記」で有名な鴨長明のゆかりの地としても、この河合神社は知られています。

鴨長明は、下鴨神社の禰宜として、活動していましたが、禰宜継承権を巡り謀略に嵌められ禰宜の道をあきらめます。

これは史実には掲載されていない話ですが、禰宜継承権に敗れた後、その後彼は占術師として活動し、主な活動は禰宜ではなく、占術師になります。歌人がメインでもありませんし、「方丈記」といった随筆がメインでもありません。

その後、源平の戦いでは、平家の軍師的立場に就く事により、一旦は冷遇される運命となります。

実は、その後これも史実にもありませんが、承久の乱(1221年)の際には、反朝廷軍との軍師として、どうも平和になる流れに導いたようです。

鴨長明は、それまでそれ程有名ではなかったのですが、この反朝廷軍の軍師の功績により一躍有名になったようです。

鴨長明は禰宜、歌人、作家として有名ですが、本業は占術師であり、裏の役割として、軍師もしていたのです。

彼は、鎌倉幕府、源氏の滅亡~承久の乱の謎を解く上ではキーマンでもあり、河合神社を中心に活動していた事も、まんざら偶然の事では無いようです。

6.まとめ

下鴨神社、特に南側にあります摂社、河合神社は何かとエネルギーの交わる場所であり、パワースポットでもあります。

下鴨神社とは、古代~近世では、当時の文化が集積した場所でもあったのです。

下鴨神社から川を渡って出町商店街に向って歩いて頂きますと、京都に前世がある方は記憶が蘇る人は多いかもしれません。

また、そのまま寺町通りを下がりますと、寺社に関してご縁の有る方は、前世の記憶が蘇る人も多いと思います。

少なくともこの下鴨神社界隈の歴史は2000年以上ありますから、この地に来る事で前世の記憶が蘇る人はたくさんいると思います。

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