前世コラム その21. 京都の前世の記憶を呼び起こそう① 京都御所編

前世コラム

京都は、長い日本の歴史でも、当時の人口が一番多いという時代は平安時代~江戸時代の始まりまで、約800年近くありました。

それゆえ、京都の前世がある人は結構多いのです。

京都の観光客が多いのは、歴史の長さもあるのですが、
京都の前世があるから。という事が、結構大きな要因としてあると思います。

それは、日本人だけでなく外国人にもかなり多くあると見ています。

だから行きたくなるのですね。

日本人の前世がある場合、まず京都の前世は経験していますので(つまり殆どの日本人)、今回は、ちょっと記憶呼び起こしをしてみたいと思います。

1.前世の記憶が呼び起こりやすい場所:京都御所

京都御所では、古来より様々なイベントがよくありました。
ですから、多くの人が必ず足を運んだ場所だったのです。

実は、京都3大祭りは、元々全て、京都御所からスタートしていました。
ですから、前世の記憶にも繋がりやすいはずです。

この他にも、様々なイベントで、京都御所には、全国から集まってきた人も結構いると思います。

Ⅰ.祇園祭

祇園祭りは、日本3大祭りの1つで、毎年7月14日~7月17日に行われます。

起源は、早良親王の時代から続いてた呪詛争いの災厄回避として、神仏習合時代の八坂神社、それから比叡山、双方の協力によって始まったようです。

また庶民に山鉾を作らせ、一旦御所に納めてから、巡行に使っていったようです。

現在の巡行ルートは京都御所を通りませんが、平安時代の頃は、京都御所を通るのが慣わしのようだったようです。(当時の京都御所は、現在の京都御所と場所が違いますが、当時現在の京都御所の場所も通ったようです。)

祇園祭りは、現在でも一番人が集まりますが、それは庶民の人達が総出で参加したお祭りだったからだと思います。

元々は、後述の葵祭りによって京都の災厄回避をしていたのですが、それによる効果が殆どなく(最もそれは、賀茂家対朝廷、貴族との対立があった事も一因ですが)、もう京都の庶民総出でないと治まらないと考えたのだと見ています。

ですから、祇園祭りに行く事で、前世の記憶が蘇る人もかなり多いと思います。

Ⅱ.葵祭

京都3大祭りの1つ葵祭りは、毎年5月15日に行われます。

元は、賀茂祭と呼ばれ、地元の豊穣祈願、災厄祈願から、毎年お祭りをしていたようです。

賀茂氏は神武天皇の血縁関係もあり、古来より天皇家の直属の神官という事もありました。
天皇家直属の神官、賀茂氏による豊穣祈願、災厄祈願。
これが葵祭、賀茂祭の起源なのですね。

その後、起源400年頃に上賀茂神社と下賀茂(下鴨)神社の2社ができる事となり、その頃から、賀茂祭と呼ばれるようになりました。

この頃は天皇家と賀茂氏は一体の関係性でした。
ですが、大化の改新後から、どうも賀茂氏は朝廷との関係性が一旦途切れる事になります。

794年の平安京遷都後は、藤原氏貴族が権力を持つようになります。

そして貴族主導によって、賀茂祭を朝廷行事にしたようなのです。
朝廷行事としては祇園祭りより先なのですね。

その後、武家社会に入ってからは、城南流鏑馬行事が加わります。

また、現在の葵祭りと呼ばれるようになったのは、江戸時代に入ってからのようです。

葵祭りの起源から、貴族社会、武家社会となりその有り方も大いに変わったのです。

ですから、この葵祭は2000年の歴史があるのです。

それは、時の権力者によって姿形が変わっていったのですね。

葵祭りの歴史は平安京遷都の前から、2000年と長いですから、この事から、前世の記憶が蘇る人も結構多いのでは?と思います。

Ⅲ.時代祭

京都3大祭りの1つ、時代祭りは毎年10月22日に行われるお祭りです。

明治時代に入り東京遷都に伴い、それまでの京都の1000年近い、都の歴史を各時代毎に、最初は江戸時代から、最後は平安初期まで遡り、巡行するお祭りです。

その為、歴史はまだ浅く明治時代から始まったものです。

このお祭りは、京都御所から始まり平安神宮まで巡行します。

このような起源のお祭りですので、このお祭りを見ているだけで、前世の記憶が蘇る人もいるかもしれません。

前世の記憶呼び起こしには、非常に良いお祭りです。

ちなみに2019年、何故だかこのお祭りにご縁があり、時代祭に参加させてもらう事となりました。
この事により、私は多大なる前世の記憶が蘇る事となりました。

このお祭りそのものが、私にとっては前世ヒーリングになったのです。

Ⅳ.3大祭りは、多くの人が参加している

この京都3大祭りは、多くの人が古来より参加しているお祭り、もしくは前世の記憶に繋がりやすいお祭りなのです。

ですから、京都の前世がある人であれば、このお祭りに参加する事で、前世の記憶が蘇るかもしれません。

コロナが沈静化した後に、一度機会があれば、来て欲しいと思います。

Ⅴ.江戸時代の参勤交代時、西日本大名は必ず立ち寄った場

江戸時代には、江戸幕府まで参勤交代の慣わしがありました。
妻、子を江戸に預り、各大名を支配する事が目的でした。

この時、西日本大名は必ず京都に立ち寄っていました。

この参勤交代はかなり大掛かりで、1大名の移動につき、千人を越える人数で移動する事もあったようです。

ですから、この参勤交代によって、京都御所に関わっている人も多いので、何らかの記憶が蘇るかもしれません。

余談ですが、戦国の時代の流れもあり、西日本の大名の中でも島津家は特別扱いされていました。

2.まとめ

今回は、多くの人が前世の記憶に繋がりやすい場所、まずは、京都御所について書いて見たのですが、その文量が予想以上に多くなりました。

やはり前世の記憶、情報がたくさんある場所なのです。

今年は、コロナの感染拡大化によって、お祭りが中止になりましたし、本日は五山の送り火も大幅に小規模化したものとなってしまいました。

ですが、前世の記憶、情報がたくさんある場所ですので、動画や、本、インターネットの情報もどんどん触れてみてください。

また、コロナが沈静化した後は、是非来てみてください。

前世の記憶が蘇るかもしれません。

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