今回は、第六巻 日月の巻です。
日月の巻は四十帖あるのですが、その内容も更に変わってきており、
以前に比べますと、具体的に言わんとしている事が、かなり明確に解って来る事となりました。
そういった意味では、 第六巻 日月の巻は、飛ばせる所が無い位重要であり、今回は日月の巻で何回かに分けてお伝えする事にしました。
それだけに、現れているマンデラ・エフェクトそのものの内容が濃いのです。
今回は、その一回目になります。
1.第六巻 日月の巻 第一帖 (一七四)~第五帖 (一七八)
序盤から全てと言って良い程、重要な内容です。
そして、行じてきた方には、その内容が理解できるようになってきました。
Ⅰ.⦿の読み方の一つ、日月(ひつき)がある
第一帖 (一七四)
●富士は晴れたり日本晴れ。⦿の巻 書き知らすぞ。
⦿の読み方は様々あります。
かみ、ひ、よろこび、にほん、ず、もとつかみ、ひかり、す、おおかみ、てん、もと。
とありましたが、ひつき、は初めてのような気がします。
最近の御神示マンデラ・エフェクトでは、読み方の明記が出始めた為、その都度読み方を別にまとめており、そこには既に載っていたのですが、私の記憶では、⦿が、ひつき、は初めてで、どうもマンデラ・エフェクト、ぽいです。
実際、⦿の巻、ですから、どう考えても、ここでは、ひつき、以外にないでしょう。
そして、⦿が、ひつき、という意味もある、という事なら、また理解が深まっていくと思います。
ちなみに、意外な読み方は、後から後からどんどん出てくると見ています。
これも、御自身の行、に応じて、進む世界に応じてどんどん増えていきます。
Ⅱ.この後の世の展開について。すりばちに入れてこね廻し、ねり直す
第一帖 (一七四)
●今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。我(が)出したら判らなくなるぞ、てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ、臣民 無理と思ふ事も無理でない事 沢山にあるのざぞ、神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。毀(こわ)すのでないぞ、練り直すのざぞ。世界を摺鉢(すりばち)に入れて捏(こ)ね廻し、練り直すのざぞ。日本の中に騒動起るぞ。神の臣民 気つけて呉れよ。日本も神と獣に分れているのざから、いやでも応でも騒動となるのざぞ。小さくしたいなれど。
この文面に関しては、全てをざっくりと理解する方が早いかもしれません。
今の段階、まだまだの一の幕です。
この後の事は、せんぐり(千、裏九、理)(九五、ん、裏六五、八三)、出て来るようになっています。
それは、千人力を九の動きから生み出し、裏九より裏の六の動き、変化を、理(八三)から生み出すのです。
ですから、我(が)出したら判らなくなっていきます。
てんし(・四)様(三真)をおがめよ、はもう判りますよね。
しきまきや、三が道を、お(七二)から我の浄化から生み出すのです。
ですから、まつりてくれよ、とあるのです。
臣民、無理と思ふ事も無理でない事。沢山あるのですが、その一つがマンデラ・エフェクトです。
小さな所では、訃報二回以上がありますし、今現在起こるはずの地震が、愈々、過去の時空に飛び始める事となりました。それは、3.11の履歴、熊本大地震の履歴、で解ると思います。
詳細
・次元上昇のきっかけ174 大規模マンデラ・エフェクト 日本編
4.3.11のマンデラ・エフェクト おさらい
行を進めて行きますと、物品移動現象、時間遡り、記憶違い、マンデラ・エフェクト初め、
どんどん増えていく事となり、グレンカラリの仕組みが体感できるようになります。
神は、いよいよ(一四一四)(二二、二一、二二、二一)の仕組みに掛かられている、
という事も解るようになります。
それは、壊したりするのではなく、日々練り直し、です。
勿論、巷でよくあるアセンションのお話、救世主によって、連れて行って貰う型でもありません。
御自身の行(しきまきや)と共に、周囲の世界が変わって行くのです。
そして、日本の中に騒動が起こる、のも、人とは、神と獣に分かれているから、
特に、人の我は獣ベースになっている事に気付いていない方々が大半ですから、いやでも応でも騒動となる事が解るのです。
今現在、私は、前世ヒーリング、で出て来るテーマ、そして浄化後の世界でそれが解ってきていますし、これまで、当ブログから、お伝えしてきた流れで全てが解って来ると思います。
常々、日々の行と共に、社会の意識、人々の意識、自然界の意識。
交信を継続し、更にしきまきや、を起こし続けていく事で、今、現在、の状況だけでなく、
今後どうしていけば良いかまで、深く解ってくるのです。
それは、御神示の通り、神の申す通りに素直に行じ、省み、一日一日進むだけで良いのです。
そして、御自身の洗濯、掃除、改心、と共に、周囲の世界も、無理なく、進んで行くようになっていくのです。
すりばち(四、理、裏八、千)、
こね(九、根)廻し、
ねり(根、理)直し、で
この世は変わって行くのです。
騒動を小さくするには、思念界止まりにしておくのが一番に思っていますが、
現に、その状況になってきています。
Ⅲ.まことの身魂は、昔の元のおん種
第二帖(一七五)
●三千年三千世界乱れたる、罪やけがれを身において、此の世の裏に隠(か)れしまま、此の世構ひし大神の、みこと畏み此の度の、岩戸開きの御用する、身魂は何れも生きかはり、死にかはりして練りに練り、鍛へに鍛へし神国の、まことの身魂 天駈けり、国駈けります元の種、昔の元のおん種ぞ、今 落ちぶれてゐるとても、軈(やが)ては神の御民とし、天地(あめつち)駈けり神国の、救ひの神と現はれる、時近づきぬ御民等よ。
この中の文面で新たに現れたのは、
●まことの身魂 天駈けり、国駈けります元の種、昔の元のおん種ぞ、
と見ています。
天(・)(四四、ん)駈けり(六七、気、理)、
国(九、二)かけります(六七、気、理、真、四)、
が元(母十)の種(田根、多根)です。
しきまきや、を、無(六)、もう一段上の無(七)、を
気の理から、九二の仕組み、から生み出す事が元の種、なのですね。
田は、四つの時空間を意味し、この文字こそ、しきまきや、そのものですし、
根は、艮コンジン様の岩戸開き(木)、なのです。
それが、行を連続していく内に、過去に現れ、御自身の過去世に産まれ出す仕組みなのです。
それは、日々、行をし続けていく方々から生まれるのですね。
ですから、日々、しきまきや、を起こしてください。
と2022年秋からずっと伝え続けてきているのは、
こ(九)の道に進む為に、並行宇宙に進む為なのです。
一日も早い方が楽ですし、苦しまずに済むのです。
ちなみに、おんたね(七二、ん、十、根)とは、
音から生まれる。ウタからシチニの神様を生みだす、十(神様)の根、なのです。
これも、行をし続けていく内に解ってきます。
救ひの神様とは、御自身の行の連続から、永劫の過去(ひ)に産み出す者であって、
それは、神の申す通り、素直に行じた方だけがその世界に進むのです。
Ⅳ.苦しい過程を行じた先に、まこと神代の礎に
第二帖(一七五)
●今一苦労二苦労、とことん苦しき事あれど、堪へ忍びてぞ次の世の、まこと神代の礎と、磨きて呉れよ神身魂、いやさかつきに栄えなむ。みたまさちはへましまさむ。
今一苦労二苦労、必ずします。
苦労無くして、こ(九)の道に進む事はありません。
ですが、その苦しむ原因は、殆どが、人我、にあります。
我に騙されている事、にあるのです。
ですから、日々、行じて下さい。
無理なく、着実に、九の世に進みます。
そして、想像も付かないような動きになったり、世界に移行していくようになっていきます。
生活そのものに芸術が起こっていくようになります。
既に、マンデラ・エフェクトもその現れでもありますが、まだまだ、一の幕、ですから、
この後、もっと凄い世が待っているかもしれません。
御神示にもある通り、超未完成、超完成、だからです。そして、
始まりも終わりも永劫に無く、いやさか、のみだからです。
最後の、ましまさむ、の六(無)で締めくくっているのが、その答えでもあります。
Ⅴ.行が要らない状況とは
第三帖 (一七六)
●神の国のお土踏み、神国の光いきして、神国から生れる食物(たべもの)頂きて、神国のおん仕事してゐる臣民には行は要らぬのざぞ。此の事よく心得よ。
神(十)の国(九二)のお土(七二、五三、三四)踏み(二、三)、神国の光(一一、六七、理)いきして(意、二二、四一、八五)、神国(六七、一三、六五、八一)から生れる食物(たべもの)頂きて、神国のおん(七二、ん)仕事(四、五、十)してゐる臣民には行は要らぬのざぞ。
と表せます。
神国のお土踏み、は、
苦を九とした二二の仕組み、おつち、五三体の大神様を、
シチニの二二の仕組み、三が道をしきまきや、によって起こして行く事。
二二の仕組み、三が道の仕組みを、行じ、起こして行く事。
神国の光いきして、は、
十の九二の仕組みの光、永劫の過去から、無、もう一段上の無を理(八三)から生み出す、意気をする、
二二の仕組みからしきまきや、を始め、八の動き、変化を起こして行く事。
神国から生まれる食べ物とは、
永劫の過去から、無、もう一段上の無を、闇(八三)の浄化から生み出して誕生させる事。
それは、過去の時空間に現れるようになり、食べ物の状況が変わるマンデラ・エフェクトがその一つの現れである事。
神国のおん仕事、してゐる臣民。
それは、シチニの神様から生み出す、四の事、四の五十(コト)をして(四十)ゐる(成り成る)臣民。
それは、行は特に要らない、とも言えます。
常々、ゐる(産みだしている)、が鍵です。
ざっくりまとめますと、
しきまきや、を起こす。
それを、心の闇から起こす。
新たな世界を生み出して行く。
事をしていれば、行は要らない、のです。
ですが、その領域になるには、やはり、四人分、五人分の行を日々継続していき、十人分、百人分、千人分の行が求められるようになります。
十人分を超える辺りからは、それはしている、という感覚ではなく、
させて頂く、という感覚になっていきます。
そして、無理なく、進んで行きます。
最後の
●此(九)の事(九十)よく(四九)心(九九六)得よ(得四)。
が、また簡潔にまとめてあります。
しきまきや、から四つの世界を得、和合させ、新たな道に進み、苦を九とし、楽(〇九)を産み出して行くのです。
その元は、人の心にあります。
Ⅵ.三四五、とは、御自身の身にてんし様が出づるコト(九十)
第四帖 (一七七)
●三四五とはてんし様の稜威(みいづ)出づことぞ。
三四五とは、てんし様(・、四、三、真)のみいづ(七二、出づ)、(一三、二二、裏五三)コト、の事です。
シチニの神様を、二二の仕組みより、裏の五三体の大神様を出づる仕組み、です。
それは、てんし様、しきまきやを生みだし、三が道の真の道から生み出すコト、です。
最終的には、てんし様が、御自身の身に出づる事になります。
Ⅶ.神の国の状況、死も生も無く、神心あるのみ
第五帖 (一七八)
●神の国には神も人も無いのざぞ。忠も孝もないのざぞ。神は人であるぞ。山であるぞ。川であるぞ。めである。野である。草である。木である。動物であるぞ。為すこと皆忠となり孝とながれるのぞ。死も無く生も無いのぞ。神心あるのみぞ。やがては降らん雨霰(あめあられ)、役員 気つけて呉れよ。
この文面は以前には無かったと見ています。
特に、忠も孝も無い、というのは、間違い無く、新たに出てきた文面です。
為す事が皆、忠となり、孝、と流れる(七我〇流)のです。
一切の存在は、御自身ですが、特に気になるのが、芽(め)だけが、平仮名という事です。
め、は、あいうでは、七四、ひふみでは、六六、です。
この二つの事が鍵を握る、とも言えます。
故に死も無く、生も無い、とあるのですが。
死も無く(四、母、七、九)、生も無い(四、意、母、七、二二)、という事が解ります。
死も無く、の状況とは、しきまきや、から、元の母なる過去、七、九、が鍵を握り、
生も無い、の状況とは、しきまきや、の意、母なる元は、シチニの神様、七の二二の仕組み。
と伝えているのです。
ですから、神心(十、九、九、六)あるのみなのです。
やがては、降らん雨霰(あめあられ)は、平面シナリオなら、81の世界であり、火の雨が降ったりするのだと思いますが、あめあられ、が、ひふみなら、(一一、六六、一一、三六、九八)になります。
永劫の過去から、無の二二の仕組み。
永劫の過去から、三が道の無から、九の八の仕組み。へと進むのです。
それは、九の二二の仕組みが、立立体、複立体と進む状況になりそうです。
行じていく人がその世界に移行していく事になるのです。
ですから、行じていく方とそうでない方とでは、この後、進む道が大きく分かれるのです。
Ⅷ.神の心に叶ふものはどしどしらちが明く
●神の用意は出来てゐるのざぞ。何事からでも早よう始めて呉れよ。神の心に叶ふものは どしどしとらち明くぞ。
このように、神様は、用意は出来てゐると仰られています。
どこからでもよいので、早よう(八八四ウ)始めて呉れよ(九〇四)とあるのです。
早く、しきまきや、から生み出し、八の世界を変え、複立体、立立体の八とし、
それは、苦から九を楽にし、四つの世界を生みだした後の世、
しきまきや、後の世を生んでください。とあるのです。
神の心に叶ふものは、どしどし(土四土四)らち(〇千)が明く(あ、九)のです。
御三体の大神様そのものも、しきまきや、で新たに生み出され続ける流れになるでしょうし、
千人力よりその世界は生みだされ、永劫の過去が変わり、九、苦、から明ける事になるのです。
2.第六巻 日月の巻 第六帖 (一七四)~第十帖 (一七八)
Ⅰ.五三体の大神様が現れる時に
第六帖 (一七九)
●アメツチノトキ、アメミナカヌシノミコト、アノアニナリマシキ、タカアマハラニ ミコトトナリタマヒキ。
日月の巻にあります、九つのカタカナ文面は、昨年夏以降に現れたものです。
(ただ、記憶では秋からだったような気もしていますが)
ただ、そのカタカナ文面も愈々の様相を記され、更にマンデラ・エフェクトを起こしているようです。
アメミナカヌシノミコト、とは五三体の大神様の外側の神様の一つです。
もう、五三体の大神様が、御自身の中で現れておかしくない段階、と言えるのです。
御自身の中の、タカアマハラニ、入っていれば、現れておかしくない状況です。
Ⅱ.次の四(よ)の種は、御自身の中の地(九二)に埋めてある
第六帖 (一七九)
●一度は何もかも天地に引上げと申してあるが、次の四(よ)の種だけは地に埋めておかねばならんのざぞ。それで神がくどう申してゐるのぞ。種は落ちぶれてゐなさる方(かた)で守られてゐるぞ。上下に引繰り返ると申してある事近づいて来たぞ。種は百姓に与へてあるぞ。種蒔くのは百姓ぞ。
次の世の種、は、次の四の種(田根)、です。
それは、地に(九、二、二)埋めておかないとならないのです。
地に、とは、御自身の中の、九二二、という事です。
それは、落ちぶれて(七二、千、裏二、〇、四四)ゐなさる方(ゐ、七、三、流、六七、六三)で守られているようになっています。
多大な苦しみを理解し、体験し、浄化し、しきまきや、を起こせる方です。
それは、多くの喜びを生みだす元を知っている方、とも言えるのです。
ですから、苦しみを背負っている方は、しきまきや、を起こして行く事で、世界が大きく変わります。
大きく落ちぶれてゐる人程、大きな変化を起こすきっかけがあるのです。
上下に引っ繰り返るというのはその事です。
ただ、行じて、しきまきや、を起こさないとその道に進む事はありません。
種は百姓、百姓さんとは、百変化する、何でも対応できる人、という意味があります。
それは、行じていく方には百変化が、可能となっていきます。
種蒔く百姓さんになるには、行じ続ける事にあるのです。
Ⅲ.タカミムスビノミコト、カミムスビノミコト、三柱のミコトが現れる時に
第七帖 (一八〇)
●ツギ、タカミムスビ、ツギ、カミムスビノミコトトナリタマイキ、コノミハシラ スニナリマシテ スミキリタマイキ。
カタカナ文二つ目です。
タカミムスビノミコト、カミムスビノミコト、は、五三体の大神様の内の二つの神様です。
ミコト、ですから、臣民が三が道からコトを生みだした者です。
それが、ス(四)ニナリ(七理)マシテ、スミ(四三)キリ(二二、理)タマ(十真)イキ、となってゐる段階に入っています。
しきまきや、二二の仕組みから、もう一段上の無(七)を三が道から、十真のイキとなっている者に起こるようです。
Ⅳ.岩戸ひらく道の様相。神々様が苦しみ、なりなり(七理七理)てゑむ道
第七帖 (一八〇)
●岩戸ひらく道、神々苦むなり、弥ひらき苦む道ぞ、苦しみてなりなり、なりゑむ道ぞ、神諸々なり、世は勇むなり、新しき道、ことごとなる世、神諸々(もろもろ)四方(よも)にひらく、なる世の道、ことごとくの道、みいづぞ。
岩戸をひらく道は、神々様が苦しむ。とあります。
苦しみを体験しない事には、楽に導く事ができないのです。
そして、苦しみてなりなり(七理七理)、なりゑむ道(七理ゑ無ミチ)、です。
世(四)は勇(五三無)なり、新しき道が、ことごと(五十五十)なる世(四)、
もろもろ(母六母六)よも(四母)に(二)開く、なる世の道(七る四の三チ)、
ことごとく(五十五十、九)の道、身出づるのです。
世は、五三体の大神様が、理によって無より七と現れ、新しき道が、ことごと、コトとなる世(四)と、なるのです。
もろもろの母なる永劫の無から、四の元に二二開き、七る四の道となり、悉く、身に出づるようになっていくのです。
それは、行じていく方からそうなっていくのです。
Ⅴ.ウマシアシカビヒコヂノカミ、縦に開く神様。この後、ひふみ、いろは、が鍵を握る
第八帖 (一八一)
●ツギ、ウマシアシカビヒコヂノカミ、ミコトトナリナリテ アレイデタマイキ。
この答えは、補巻 紫金之巻 第十二帖
●ヨコの十の動きがクラゲナスタダヨヘルであり、タテの十の動きがウマシアシカビヒコジであるぞ、十と十と交わり和して百となり九十九と動くのぞ。
にあります。
タテの十の動きを開くことが出来れば、アレ出でるのです。
実は、あいう、では、五十音が縦五、横十の為、縦十、横十、となっても、
表裏、がそれぞれ、五十、五十、となるので力が出ないのです。
ひふみ、いろは、では、三五七、が基本ですから、無の世界に七五三、が生まれると見ます。
表裏が、三五七、に対し、七五三で対応するのです。
だから、ひふみ、いろは、が鍵を握るのですね。
そして、いろは、の最後、九行目十段目が、ん、ですから、これが、神一厘を意味している所もあると見ています。
どうも、十と十と交わり和して百となるには、ひふみ、いろは、が鍵を握ると見ています。
まずは、早く、ひふみ、の段階に進んで下さい。
いろは、はその後です。
Ⅵ.全てにまつろうコト(九十)の様相
●瓜(うり)の蔓(つる)に茄子(なす)ならすでないぞ。茄子には茄子と申してあろがな。味噌も糞も一つにするでないぞ。皆がそれぞれに息する道あろがな。野見よ森見よ。神の経済よく見よ。神の政治よく見て、まことの政治つかへて呉れよ。すべてにまつろう事と申してあろがな。上に立つ番頭殿 目開いて下されよ。間に合はん事出来ても神は知らんぞ。神急(せ)けるぞ。役員も気配れよ。
ウリは、ウ理、ですね。
理を生んで下さい。です。
その、つる(五三、流)に、なす(無四)ならさないように、と伝えています。
なすにはなす、というのは、
しきまきや、が無い世界は、しきまきやは起こらない、と仰っているのです。
その為には、みそ(三、五三体の大神様)、くそ(九、五三体の大神様)も一つにしないように、と仰っているのです。皆がそれぞれに息(イキ)(二二、四二)する道があるのです。
野(五五)(九一)(ぬ、五三体の大神様)を見よ(三四)。
森(母理)(三三、八三)を見よ(三四)。
と仰っています。
神の経済(九九、二二、裏八二、二二)、政治(九五、二二、裏四一)
を見よ、と仰っています。
そこで、まこと(〇九十)の政治、つかへて呉れよ(九〇四)、とあるのです。
神の政治、経済、とは、全てにまつろうコト(九十)です。
上に立つ番頭殿も、目(七四)(六六)を開いて下されよ(三〇四)、と仰っています。
こ(九)の道、コト(九十)への行を始めますと、一日一日必ず一人分の行をしていきますから、無理なく進みますが、早く九の道に入らないと、遅くなる程に苦しむ元になります。
間に合わない事になってから、その時になってからでは手遅れです。
ですから、神様は急けるのです。
Ⅶ.こ(九)のお道(七二、三、千)。あなないの道。について
第九帖 (一八二)
●何事も持ちつ持たれつであるぞ。神ばかりではならず、人ばかりではならずと申してあろが、善一筋の世と申しても今の臣民の言ふてゐる様な善ばかりの世ではないぞ。悪(ア九)でない悪とあなないてゐるのざぞ。此のお道は、あなないの道ぞ、上ばかりよい道でも、下ばかりよい道でもないのざぞ。まつりとはまつはる事で、まつり合はす事ざぞ。まつり合はすとは草は草として、木は木として、それぞれのまつり合はせぞ。草も木も同じまつり合せでないのざぞ。
このお道、という伝え方は初めて、と見ています。
あなない、とは、(九四、二四、二四、二二)と表せます、
永劫の過去より九のしきまきや、を起こし、七より、二のしきまきや、四のしきまきや、を起こし、
それを二回繰り返して行く事。意が二二の仕組みを起こして行く事。です。
ですから、悪でない悪とあなないて、とは、
悪でない悪と、永劫の過去からしきまきやを起こし、苦を九とし、七、もう一段上の無を、二二の仕組みを起こし、しきまきや、を起こして行く事、にあるのです。
上ばかりよい道でも、下ばかりよい道でもありません。
それは、今の臣民の言ふてゐる(立体ではなく、段階が平面に下がっている)ような善ばかりの世では無いのです。
それは、まつり合わせる以外にありません。
和合のみです。
草は草として、木は木としてそれぞれにまつる事が求められます。
Ⅷ.初登場、アメノトコタチのミコト、スミキリタマヒキ
第十帖 (一八三)
●ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコトトナリナリテ、アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ。
クニノトコタチノミコト、
トヨクモヌノミコト、
これは、以前からあります大神様です。
ですが、アメノトコタチノミコト、
は、存在していない大神様です。
また、三つのミコトがここにはあり、三つの型出しがここにあるようです。
その後、なりなりて、アレ(永劫の過去、〇)出でたまい、
三つのコトがスミキリ(四、三、二二、理)タマヒキ(十、真、一一、二二)、
となるようです。
Ⅸ.早く改心すれば、型が小さくなり、掃除が大きくなる仕組み
第十帖 (一八三)
●今は型であるぞ。改心すれは型小(ち)さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。猫に気付けよ、犬来るぞ。臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。神が表に出ておん働きなされてゐること今度はよく判りたであろがな。
今は、まだまだ型で済んでいます。
改心すれば、つまり、行じ、省み、洗濯、掃除、改心すれば、型は小さくて済むようになります。
代わって掃除は大きくなるのですが、
その掃除(そウ事)こそが、御自身の五三体の大神様を生み出す仕組みなのです。
猫、は(四四、九)(三七、三一)、と表せます。
しきまきや、の連続の九の変化や、三が道ともう一段上の無(七)の関係性、
全ては三が道を始める事から、生まれていく事。です。
その事に気付いてください。とあります。
犬、は(意、五三体の大神様)(二二、五三体の大神様)と表せます。
二二、意志していく事で、五三体の大神様が来る(九流)事。
この事を理解して下さい、とあるのです。
ですから、臣民の掃除遅れると、型が段々と大きくなるのです。
故に、今現在のマンデラ・エフェクトで、型が小さくなっている事。
大難が小難になっている事。
神々様が表に出ておん働きになってゐること、今度(九ん土)から、
よく(四九)判りた(和、六七、理、十)であろがな、と仰っているのです。
第六巻 日月の巻②-1 まとめ
日月の巻では、解ってきた事が沢山出てきましたので、それも最初の十帖でかなり詳しく判る状況になってきています。
今回は、最初の十帖で区切りますが、もう日月の巻の最初の十帖だけでも読んで頂ければ、行じ段階の進んでいる方は、この後の様相。この後の展開。全て分かるのではないかと思います。
逆に言えば、ここまで具体的に判ってきていますから、行じない方と離れてしまわないか、だけ心配です。
実際、昨年2022年7月辺りから離れ出した方々は、次々出て来ています。
それは、御神示のマンデラ・エフェクト。
社会のマンデラ・エフェクトと共に解りやすく変化してきているのです。
是非、一刻も早く、解る所から行じて下さい。
例の4つの行です。
詳細;今すぐしてほしい事
また、ここまで協力して頂いてゐます、修業守護の神々様、役員守護の神々様。
大神様、五柱の神様。生き神様。
日々、大難を小難にまつりかへて頂き、無事この道に進めさせて頂きありがとうございます。