さて、安倍文殊院の後に行ったのは、予定変更して行った神武天皇稜のお話です。
神武天皇稜は、安倍文殊院より車で15分くらいの所です。
大神神社に行った時、カーナビに移っていて気になった所がありました。
それが神武天皇稜なんですね
通り道にもありましたので、是非行ってみようと。
時間もそんなに取るわけでもなさそうですし。
実は、当初余裕があれば、石舞台古墳、飛鳥村に行きたかったのですが、ここを本格的に周りだすと時間が足りません。
そういう事もあって、神武天皇稜に予定変更したのでした。
うーん。というより、カーナビで神武天皇稜を見た時に思ったのが、
絶対に行かなくては!ですね。
そして、やっぱり。今回の旅では重要な所なんですね。
前世の旅ですから。奈良・熊野では外せない所なのです。
1.史実上の神武天皇
神武天皇について簡単に説明したいと思います。
神武天皇とは「古事記」「日本書紀」等、日本神話に名を載せる伝説上の天皇といわれています。
享年127歳といわれていますので、現代の常識で言えば、ちょっと信じられない話でもあります。
故に多くの人にとっては、伝説としての話という事になっているようです。
日向(宮崎県)に生まれ、45歳の時に宇佐(大分県)より兄弟、その他多くの人を集め東征を始める。筑紫国、安芸国、吉備国、難波国(大阪府)に入り、戦いを向けたが、この時は戦いに敗れ、南側(和歌山県)に逃れる。この後、八咫烏に導かれ紀伊国、熊野を経由し奈良に入り、大和国を制す。畝傍山の東南に都を開き、その翌年辛酉年(紀元前660年)2月11日に即位する。(この時52歳)
神武76年に崩御、127歳でお亡くなりという事です。
都とされた場所の畝傍山の北側が神武天皇稜になります。
2.実際の所は?
その後、第2代~9代天皇の「日本書記」「古事記」等、書には一切載っておらず、欠史8代と言われています。ようやく第10代天皇が崇神天皇から「日本書紀」「古事記」に記載されますが、これが推定年代で丁度西暦200年~250年頃とされています。大神神社からの記憶では、西暦258年まで生きました。
そうなると、その間の8代はかなり長生きした?という話になります。神武天皇の即位が紀元前660年としますと、約800年を8人で回したという事になってきます。寿命も平均で言えば100歳をゆうに生きたという事になりますが、これはいくらなんでも伝説すぎると思います。
ちなみにここでは直接的な記憶が蘇らない為、恐らく神武天皇とは全く接していなかったと思っていますが、実在はした事自体は何か間違いない自信があります。どうもその時代に前世の私は生きていたようではあるのですね。だから何となく判るといったところでしょうか?
妥当な話で言えば、即位は紀元前660年ではなく、紀元前60年なのでは?と推定します。また、丁度紀元0年辺りでお亡くなりになったのでは?と推定します。それでも112歳まで生きた事になりますので、かなりの長寿です。なお、即位が辛酉(かのととり)年に即位したのは間違いないとみています。有名なとある御神事では「かのととり」年は極めて重要ですからね。
で、その後欠史8代の天皇は実在。丁度10代崇神天皇が200年ちょっと先に即位するのが、実際にはつじつまが合って来る感じです。
しかし、この感覚なんか当っているような気もしているんですけどね。
ちなみに、この神武天皇崩御の年が最初の岩戸閉めの年とも見ています。
(勿論、書からの根拠は一切ありません、私の蘇っている範囲内の記憶から記載しています)
3.神武天皇稜とは
畝傍山の東南が現在の橿原神宮に辺り、その北側に神武天皇稜があります。
橿原神宮がその庁舎、北側が神武天皇稜です。その位置は様々な歴史書とほぼ同一の関係になっています。
【神武天皇稜】
駐車場の前です。
中は撮影禁止でした。(中には入れます)
気付いたこと。サイズは京都御所とあんまり変わらないことですね。
中は非常に広いです。
後、中はかなり整備されていました。外周は木々がたくさんあり、まさかそんなに中が整備されているとは思いませんでした。
こちらの方が元の御所なのでしょうね。ちなみに場所は橿原市ですが、近くに御所市という市があります。
何か関係ありそうですね。
何故か、前が渋滞に。そもそも渋滞スポットのようです。
うーん。滞っている型になっていそうな。今の日本が?いろいろ考えてしまいます。
4.神武天皇稜に立ち寄ったその理由
この後、いよいよ熊野に入る事になるのですが、やっぱりこの地を訪れておくことが重要な事だったのです。
何故なら、この後訪れる場所、特に神社ですが、神武天皇がどうも全て立ち寄った地だからのようです。
丁度史実を遡るような動きをしているのですね。
過去から未来にしか進まないはずの世界で、未来から過去へ遡る旅。
この感覚を1つ身に付ける為という事もあったのです。
この型がまたかなり重要な事だったのです。
しかし、今回橿原神宮には立ち寄りませんでした。
次回、一度ゆっくりと立ち寄ってみたいと思っています。