今回も奈良、熊野に2020年3月27日ー29日にかけて出かけてきました。
1つは、前世の彼に温泉に行っておいで、と言っていましたし。
参考:前世療法体験談 vol.9 江戸時代香川 今世の時空と共に歩む前世
彼については、現在の時空と共に変化する、変わった前世でしたので、
次回熊野から帰ってから変化が起こると思っていたのです。
ですから、この春は何としてでも行かなくてはならなかったのですね。
また、前回に行こうと思っていた、明日香村。
今回はここを中心に廻る事にしました。
この明日香村は、謎の石が本当に多いのです。
花崗岩を使ったものが多く、石文明があったようなんですね。
1.吉備姫王墓の猿石
吉備姫王墓の場所は、近鉄飛鳥駅より、北東500メートル程のところにあります。
【吉備姫王墓の説明】
猿石は、吉備姫王墓の傍に置かれています。
吉備姫とは、斎明天皇の母親という事ですので、大化の改新より前辺りでしょうか。
【吉備姫王墓】
そして、そのお墓の中に猿石が設置されていました。
【猿石左側】
【猿石右側】
【こんな感じで設置】
発掘された猿石は江戸時代に発掘されたもののようです。
梅山古墳の近くの田んぼから発掘され、その梅山古墳は、現代では欽明天皇稜とされています。
かなり大きな古墳です。ただどうも別の人の古墳のようですが。
【欽明天皇稜】
欽明天皇稜は、丁度吉備姫古墳の隣にあります。
【欽明天皇稜の説明】
140メートルとありましたが、もっと広く敷地は取っているように思いました。
欽明天皇ではないにせよ、サイズ的にはかなりの権力者のお墓には違いありません。
時代的には400年前後に活躍された方のようです。
ちなみに、この石達は、魔人です。
空想の産物でもなんでもなく、実在したものを石に残したのだと思います。
作った年代もかなり古く、間違いなく、欽明天皇在位よりもっと前。
ちなみに妖怪とも違うし、妖精でも無い。
また、地球の者でも無いのです。
やっぱりモチーフは250年頃、卑弥呼の時代と見ています。
初代卑弥呼は、一言で言えば宇宙人だったのですね。
2年程で、日本の乱れを無くしたのです。
ただ魏志倭人伝では、239年に書かれているので、途中時空間テレポートも使っているようですけどね。
その中、彼女は12名程の魔人を連れてきたのです。
で、ここにある4体はその中に居た者の達の一部ではないかと思うのですね。
ですから、この猿石シリーズ。
後8体はどこかで埋もれている可能性がありそうです。
場所はやっぱり欽明天皇稜内部か周辺のようですが。
2.鬼の雪隠(せっちん)、鬼の俎(まないた)
猿石より、欽明天皇稜の南側を東に400メートル程行きますと、やがて、鬼のせっちん、鬼のまないた。というものがあります。
せっちんはトイレの事ですね。
道の上にまないたがあり、下にトイレがあります。
鬼がまないたで料理し、せっちんで用を足したとの事なのです。
【鬼の雪隠、俎の説明】
【鬼のせっちん(雪隠)】
鬼のせっちんです。
トイレとするなら、サイズ的には、3メートル位の者になりますね。
そう、宇宙から来た魔人達のトイレなのです。
エネルギーを読み取れる人ならもう判ると思いますが、用を足しているのが見えるでしょう?
【鬼の俎・雪隠の説明】
こちらは鬼のまないたです。
【鬼のまないた】
魔人達は通行人を料理して食べたとの事ですが、そんな酷い事している訳がありません。(笑)
ですが、どうも動物を捕まえて確かに料理をしたようです。
俗に言われる害獣。鹿、猪辺りですね。
この辺りは霧がそれなり出るようで、恐らく子供に早く家に帰らせる為に伝説化したのでは?と見ています。
3.天武天皇稜、持統天皇稜
【天武天皇・持統天皇稜】
さらにもうちょっと東200メートル程まで行きますと天武天皇・持統天皇稜があります。
うーん。前世でも関係がありましたので、まあ型的には敵にあたる人達なんですけども。
でも、仲の良いお二人ですね。
この時代の主要人物ですね。
彼らは壬申の乱で大変な目に遭っていますし、その後政権を擁立し立て直しは大変だったと思います。
天武天皇・持統天皇、本当にご苦労されたと思います。
合掌。
ただ、彼ら達については、ちょっと藤原京の謎が気になっているんですけどね。
平城京の前に存在したと言われる都です。
焼失ではなく、時空間テレポート?
これは、また次回にします。
4.亀石
さらに東に行く事600メートル位のところに亀石があります。
【亀石の説明】
これも魔人12人衆の内の1人だと見ています。
【亀石】
かわいい娘さんのようにも見えますが、後頭部長すぎです。(笑)
さすがにこんな人類はいないだろうと。
北京原人でも見たら逃げると思います。
人に見えなくも無いですが、やっぱり違います。
魔人の中の1人のようです。
猿石に比べますと、サイズはかなり大きく、作り手や年代は違う感じですね。
しかも、これ魔人の等身大のようです。
どうしても、等身大で作ってみたかったんでしょうね。
さらに、これはどうも記憶呼び起こしによって作っているようです。
ですから、魔人達が居た時からかなり後年という事になるようです。(400年~500年頃?)
後、この石が真西に向くと水に沈むという伝説があるのですが、本当にそうなるのでしょうか?
西と言えば魏のあった方向。
中国や九州がある方向です。
ちょっとこの伝説気になります。
5.石舞台古墳
さて、前から言っていました、魔人のベットです。
丁度3メートルサイズです。
【石舞台古墳の説明】
下側には4コマ漫画でこうして作られた。とありますが。
魔人のベットですので、簡単にテレポーテションで作っています。
人が作ったという事なら、もっと石に彫り物をしたり、石のサイズももっと小さくなりそうですし、こういう、ちょっとある意味センスが無い感じにはならないと思いますけどね。
【石舞台古墳】
魔人曰く、
「寝れたらそれでえーねん。後、景色が良ければそれでえーねん。」
そんな所だと思いますけどね。
で、後年、ちょっと変わり者の権力者が、古墳として使った。というだけだと見ています。
中の石室は後から掘っただけ、と見ていますね。
【石舞台古墳、もうちょっとアップ】
【石舞台古墳、違う角度で】
【石舞台古墳、石室入り口】
丁度、石室より上側が魔人作、石室より下側が時の権力者作。
上の石は巨大。下の石は小さめです。
なる程、景色も良さそうですな。
【石室内】
だから、石室の中はこじんまりした石ばかりです。
こちらは人力で運ぶ事も可能ですね。
魔人は12人居たようですので、石舞台古墳のようなものが全部で12個ありそうな感じもしますが、あえて痕として残す為、1つだけ作ったようです。(魔人は別にベットが必要な訳ではなさそうです)
1個あれば、後年誰か読み取る事が誰かできるだろうと。
そんな所かもしれません。
ちょっと長くなりましたので、後編はまた次回。