前世の旅 奈良 熊野 ② 明日香村、石の謎巡り(後編)

前世の旅 奈良 熊野 2020年3月27日-29日

明日香村の石巡り後編です。

6.橘寺

聖徳太子が生まれたとされる寺です。

聖徳太子って、その生まれ方自体、イエス・キリストと似ている訳ですが・・・。

ちなみに今回の目標はその生誕に関する事が目的ではなく、ここにある石について調べてみたかったのです。

【橘寺入口正面】

正面口になります。

【橘寺】

お寺の手前には馬の像がありました。

聖徳太子ゆかりの地という事ですね。

で、行く前から気になっていた石についてはお寺の左奥にありました。

【二面石】

右が善面、左が悪面と呼ばれいるという2つの面を持った石でした。

【二面石、右側より】

【二面石、正面より】

【二面石、左側より】

ただ、この石については飛鳥時代に作った用で、明日香村での石文化の中での1つの石という感じです。

特にその昔を呼び起こしたという訳でもありません。純粋に石彫刻と見ています。

ひょっとして、古墳時代より以前と関連したものか気にはなっていたのですが、実際に見て違ったと思いました。

それでも、明日香村は古代より石文化がかなり盛んだったようですね。

7.キトラ古墳に行こうとしましたが

白虎・青龍・朱雀・玄武。
といった四神の壁画が発掘された古墳。

ちょっと興味がある場所でもありました。

で、ここに寄ってから熊野に向おうと思ったのですが・・・残念ながら臨時休館でした。

ですが、ここでちょっと地図を見たところ気になり場所があったのですね。

【謎の人面石】

謎の人面石という記載がありますよね。
急遽ここに行こうと思ったのです。

後、もう1つ、石舞台古墳の南にもマラ石という場所がありました。
せっかくここまで来たので、気になる所は全部廻ろうと思いました。

8.マラ石

【マラ石の説明】

石舞台古墳から南に数百メートル行った所にありました。

行く順としては明らかに逆方向だったんですが。

【マラ石】

子孫繁栄を願ったもののようです。

説明にはありませんが、どうも作られた時代は古墳時代のよう。

向かいにあるフグリ山はどうも後年、後付けで付けられたようです。

9.謎の人面石

その後に向ったのが謎の人面石でした。

道のどこかにあるのでは?と思いましたが見つかりません。

そこで道行く人に聞いてみた所。
お寺の中にあるという事で。

【謎の人面石が保管されている、光永寺】

ちなみに向かいには駐車場があり、そこに止め、見させて頂きました。

実は、奥には人の顔が浮かんでいる石がありましたが、その石ではなかったようです。
(ちなみにそれは、後から人の顔が浮かんできた石でした)

【謎の人面石】

見せて頂いた石がこの謎の人面石です。

【謎の人面石】

ですが、半分に割られています。
半分はどこかに行ったのだろうと思います。

作られた時代は飛鳥時代です。

お寺の方にお話を聞いた所、ペルシャ人をモデルにしたのではないかという事です。
当時渡来人はもう、日本に来ていましたから、そのお話も全くおかしくはないのですが、やっぱりモアイ像の顔をしています。

実はテレビにも出ておられたそうで(番組名はすいません、忘れました)、その時にもモアイ像と言われていたそうです。

その他にも様々な明日香村の石の話で盛り上がりましたが(15分位喋っていたと思います)、この石はちょっと意味があれこれありそうです。

飛鳥時代には、この明日香村でモアイの概念が存在した。
後、半分に割られた石のもう1つは誰かが持っている?

もう1つ気になったのが、この像天頂が窪んでいるんですね。

祭祀用、置物。いろんな事が考えられるのですが、これやっぱりモアイの意味がかなり強いと思ったのです。

モアイの概念は伝わってきたものなのか、元々この明日香村にあったものなのか。

読み取って見た所

私の中では、どうも明日香村に居た誰かが、過去の時空間を読み取って再現してのでは?と思ったのです。

明日香村や、古代日本にあった所から読み取った訳ではないのようんです。

何の為?

それは飛鳥王朝の戦いを治める為。飛鳥朝平和の為。
これが元々にありそうなのです。

そして、それがあのイースター島のモアイに繋がったのでは?と思うのです。

この石が半分が割られてしまったのは、それは陰謀では無いのだろうか?と思ったのです。
平和ではまずかったのです。

そこで切り取って持って行ってしまった。
そんな感じなのでは?と思うのです。

伝承系であれば、この石がもう複数存在している可能性が高そうですが、それは無さそうですね。

誰かが、過去の時空間読み取りでそれがイースター島だった。
と言っても本格的に政治的に祭祀に用いられていた感じでもなく、恐らくこの1体(後の半分)だけと見ています。

ただ、噂が広まり、時の権力者が妨害した。
そこで半分に割り、もう1つはどこかに持って行った。
もしくは埋めた。
そんな所なのでは。と思うのですね。

後、ついでながら言いますと、時の権力者が渡来人だった。
と見ているのですね。

だから、モアイに渡来人を重ねたのでは?と思うのです。
そして王朝の平和を祈った。

これは前世の記憶と繋がると本当にそう思うのです。

私が繋がったところでは大体このような所です。

飛鳥朝。
恐らく大化の改新~壬申の乱。の乱れていた時に作ったのでは?と思うのですね。

10.十津川、十二滝

熊野に向う途中ですが、この日は小雨状態。

ですが、それでも美しいのは十津川です。

前にも撮った場所。その時は晴れていましたが、霧も綺麗です。

【十津川】

それにしても十津川や熊野川。
あのエメラルドグリーンの色になるのは本当に不思議です。

京都ではあの色をした川って見た事ないですし。

本当になごむのです。

【十二滝】

後、私が好きな所が国道沿いにある十二滝です。
その高さは80メートル以上あるそうです。

場所はもう本宮に近い所ですね。

某占い師さんに、「あなたは滝を見なさい。滝にご縁があるから」

という事で、本宮向う時には車を止めて、一度は立ち寄っている場所です。

ボーっと見ているだけで癒されます。

ただ、駐車スペースがそんなに無いので、注意が必要です。

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