次元上昇のきっかけ205 此の道に進む上で、弊害になる11の我の問題について

次元上昇のきっかけ

前回より日が空きましたが、日々の行(三次元の行)が詰まってきて、中々お伝えできなくなってきています。
この後も、少し日が空くかもしれませんので、何卒ご了承下さい。

今回は、此の道に進む上で、弊害になる10の問題について、です。
(後に1つ足して11の問題となりました)

まず、此の道に進むには、此(九)の道、一本に絞る事が大切です。
ですが、中々、我、によって、此の道一本に絞れない方が殆どです。

そういう私も、此の道一本に絞る事ができるまで、御神示と出会ってから、9年と4か月かかっています。

此の道一本に絞る事が、まず大変なのです。
その上で、三年の行が、求められるのです。

此の道一本に絞った三年でも、最初の一年半が、特にしんどい、です。
ですが、三年目辺りから、徐々に、小さな嬉しきビックリが始まります。
そこで、ようやく次の三年がめだたやなあ、となります。
この流れ、で生き通しになります。

御神示は、私が此の道に入る前、御神示マンデラが起こり始めた2年前に比べますと、随分と希望的文面が増えて来てゐますが、一方で、時間が残されていない事。その時になってからでは手遅れ、である事。
といった文面が増えて来てゐます。

型出しからでよいから始めて下され。と伝えていても、それすらしていない方も非常に多いです。

ですが、何より一番の問題は、我、の囚われにあるのです。
この為に、素直になれず、行に移せていない方が殆どです。

今回は、この、我、の囚われを10個に分けてお伝えしていきます。

(そして、2日後にですが、11個目、人の愛を追加しております)

1.此の道一本に絞る事での誤解について

Ⅰ.仕事は複数あっても大丈夫

一つは、此の道一本に絞るとは、九の道一本に絞る、という事です。

九の行、くにつつみ。それを起こして行くには、四の行、しきまきや、も要ります。
くにつつみ、しきまきや、をまず、起こして行く事が求められるのです。

その上で仕事をしていきます。

ですから、その仕事の質を、九の行に変えていく、もしくは取り込んでいく、もしくは、仕事外でしていく必要があるのです。

この為に、仕事は複数あって大丈夫です。

Ⅱ.我の改心が何よりも大切

ですが、大抵は、囚われた、平面価値が基軸、となってしまいます。
それが、人の我、なのです。
それによって、今の世は成立もしているから当たり前と言えば当たり前です。

ですが、囚われてしまった、新たな世界を産み出せなくなってしまった、御自身の騙された我を、治して行く事。生前からの悪い癖を直す事が何よりも最初の御神業、という事が分かってきます。

ですから、御神示無しでは、此の道に進む事ができない事が分かってきます。

そなたのもつ悪いくせを治して下されよ。そのくせ治すことが御神業ぞ。自分で世界を建直すような大きこと申して御座るが、そなたのくせを治すことが最も大切な御用でないか。これに気がつかねば落第ぞ。

そして、御神示読んでゐない方は、この我、を治せないようになっています。
何故なら、大多数価値観、を普通基軸としてしまっているからです。

我、の改心を進めるのは簡単ではないのです。

Ⅲ.五人分、十人分の仕事を達成するには

その為に、今の仕事を、五人分、十人分をする事が求められます。

神の御用と申して自分の仕事休むやうな心では神の御用にならんぞ、どんな苦しい仕事でも今の仕事十人分もして下されよ。

●今の仕事 五人分も十人分も精出せと申してあろがな、

●人の十倍も今の仕事して其の上で神の御用するのが洗濯ぞ、掃除ぞと申して知らした事忘れたか、

当初、五人分、十人分の行とは、気合でするもの、みたいに思ってゐましたが、
また、レバレッジをかけるような事。ネットでの配信等もそうなのかな。
と思っていましたが、全然違っていました。

五人分、十人分の域に到達するには、思念界を変える行を必ず伴う事が分かってきました。しきまきや、くにつつみ。が入らない事には、五人分、十人分、を超えられないのです。

今の仕事を十倍、もしようと思えば、仕事そのもの、もしくは、仕事以外で、思念界から変えていく行をどこかで入らない事には、達成できないようになっています。

その事で、五人分、十人分の行を達成した後は、更に、神の御用をする流れになります。
この辺りから徐々に、ビックリとして、現れてくる、と見てゐます。

私の場合は、五人分、十人分の行を超えたのは、ズームセッションを開始した時でした。
テキストチャット時代では、リアルなやり取りがない為に、超えられなかったようでした。

そして、その1か月後に、御神示もマンデラ・エフェクトを起こし始めたのです。
(御神示マンデラ・エフェクトは、今も尚、継続しています。)

やがて、御神示マンデラ・エフェクトだけでなく、普段の日常生活でも、想定外、で善き出来事が次々起こっていく流れとなっていきます。

二年目のビックリは、それなりの苦を伴いましたが、三年目辺りから、改心と共に、嬉しきビックリ箱が開くようになっていきました。

2.此の道一本に絞れない、10の囚われについて

ですが、中々、此の道一本に絞るまで、時間がかかります。

それは、我の囚われが原因です。

まずは、その多くの方々が、此の道一本に絞れない、原因となっています問題を10程、挙げていきたいと思います。

Ⅰ.お金

お金の囚われは、何といってもまず筆頭と言ってよいです。
実際には、お金と無縁の人は居ない為です。

同時に、お金が無い事には、今の平面世界で、生活をしていく上ではやっていけない一面もあります。
どんなに切り詰めても、ある一定は必要な方が殆どです。

また、お金があればある程に、この3次元世界では、生活への心配も減っていく一面もあります。但し、それは、物価高がなく、インフレも泣く、平穏が保たれた場合に限ります。それは、いつまでも続かない事は、御神示にも示唆されている所があります。

金もの云ふ時から、物もの云ふ時。更には、まこと(〇九十)ものいふ時。いし、もの云ふ時、が来る為です。

まこと(〇九十)、いし(一四)もの云ふとありますから、まことの行、いし、の行を進めて下さい。

また、御神示では、お金は、要らぬのぞ。とありますが、無くなるとは書いていませんので、案外、お金が無くならない世へ移行する可能性もあります。

一方で、
神の理(ミチ)を進むものは嫌でも金がたまるのぢゃ。金がたまらねば深く省みよ。理に外れて御座るぞ。

とありますので、お金が減っていても、神の理(ミチ)から外れていますので、特に金がたまらない場合は、深く省みて下さい。

なお、勿論の事ですが、たまれば良いと言うものでもありません。

汚れた金 御用にならんから、一厘も受取ることならんぞ。汚れた金 邪魔になるから、
●どんなめぐりある金でも持って居ればよいやうに思うて御座るなれど、めぐりある金はめぐりそのものと判らんか。

とあります。

普段からの受取ったお金、支払ったお金。
そのエネルギーの質が問われます。

メグリある金は、受け取らない行も試される事ありますし、場合によっては、清算させられる流れにもなります。此の道に進みますと、一々始末する流れになるようです。

ですから、日々の生活のやり取りから、改心を進めていく事になっていきますし、実際、そのようになっていきます。

この事にも気を付けておく必要があります。

Ⅱ.学

学の囚われは、お金に次いで、二大囚われの一つです。

学は、理屈、とも同意、と言っていいです。

平たく言いますと、人学、です。

学と言っても幅広くあります。
地球科学、力学、もっと言えば、これまでに培われた常識もそれに当てはまります。

ですが、神学の前には、全てが、あまり役に立ちません。
前提が次々変わっていくからです。

マンデラ・エフェクトのメカニズムは、人学では解明できないでしょうし、実際、ギザのピラミッドを今の科学で建造できるかと言えば、無理のようです。

医学についても、西洋医学もそうですが、場合によっては、東洋医学も、前提が変わっていく為に、役に立たなくなってくるケースもあります。

それまでの経験は役に立つのですが、学で全て解決はできない、という事も判って来ます。

神学は、思念界から変わっていきます。
御神示的には、マコト(〇九十)がもの云ふ、という事が分かってきます。

Ⅲ.智恵(人によるもの)

智恵でも、人によるものは、役に立たなくなってきます。

例えば、三方よし、という言葉があります。近江商人の古き言葉です。
売り手良し、買い手良し、世間良し、というものがあります。

一見真理のように見えますが、実際には、従業員に向けての良し、がここにありません。
その為に、自己犠牲を良し、としてしまった日本文化が長い為に、従業員の自己犠牲を伴ってきた事が、ここまでの日本にありました。

この三方よし、は、自己犠牲を当たり前にしている、日本文化で、400年以上、根付いてきていますが、従業員良し、が入っていない点では、神の理から外れていると見てゐます。

このように、良かれ、成程。と思えるものにも、神の理から外れているものも結構見受けられます。神の理は、無理ない道なのです。

実際には、三方よし、は、一切良し、にすれば、問題が無いものと見ています。
そして、徐々にですが、現社会も、そのようになってきている流れ、書き換えも生まれているとは見てゐます。

同じように、ことわざ、慣用句でも、真理のものと、人の知恵の物と分かれています。
人の知恵は、此の道では役に立たない事が分かってきます。

どれが、真理なのか、そして、人の我で曲げられているのはどういったものか。

一度、じっくり確認してみてください。
分からなければ、御神示に聞いて、進めて下さい。

Ⅳ.地位

地位は、多かれ、少なかれ、どのような方も関係しています。

普段の職業、から、経歴。に始まり、学歴もあります。
もっと細かく言えば、戸籍、もありますし、配偶者の存在もあります。

これらは、実際には、あっても無くても、此の道に進む上では、殆ど関係ありません。

ですが、これらの地位があるが為に、囚われざるを得ない方は非常に多いです。

配偶者やお子様が居る程に、囚われざるを得ない流れになりやすいですし、これが原因で神の道を断念する方も多いです。

ここでも、神様の試しがありますが、この地位の囚われ問題は、結構に根が深いものですので、特に、配偶者、お子様が居る場合、かなりの覚悟が求められますから、是非ともこの部分での囚われに囚われないように、気を付けて進んで下さい。

地位の囚われを無くすというのは、結構に難しい問題です。
ですが、此の道に進みますと、無理なく、囚われずに済む世界へと進むようになっていきます。
但し、覚悟や、苦労は伴うかもしれません。

Ⅴ.名誉、名声

それまでの功績、名誉、名声等を上げますと、周囲から中々離してもらえなくなります。
この場合、ご家族からも、離して貰えない事も沢山あります。

この為に、功績、名誉、名声が伴う程に、神の道には進みにくいのは実際のところです。

名誉、から離れられないのは、御自身だけの問題だけではありません。
周囲によって、離れられなくなりやすいのです。

その結果、四つの行はしなくなっていき、結果的に平面世界への移行を選ばざるを得なくなりやすいでしょう。

ですが、此の道に進みますと、この囚われから外れやすくなります。正確にはその機会がやってくる感じでしょうか。神様の試しがそこであるでしょう。

その結果、無理なく、一段一段進みますので、是非、四つの行は継続して下さい。

Ⅵ.権威

名誉、名声が、御自身の事についてを中心にお伝えしましたが、
権威は、御自身の周囲にある例えにさせて頂きました。

権威は、例えば、会社なら上司。学校なら先生。
また、役職が上の方になるほど、どうしても、その方の価値観に合わせざるを得ません。

この他に、インフルエンサーの方の意見も、どうしても、力を持つでしょう。

その権威は、囚われの元になりますし、場合によっては、囚われざるを得ない。
という事があります。

ですが、今の世は、20世紀までとは違い、人権があり、職業選択の自由もあります。

そういった意味では、権威からの囚われから脱しやすい環境ではありますが、それでも、権威に囚われざるを得ない、のは人類史長くずっと続いてきていますので、環境的に、この囚われを無くす事は、簡単ではない方もいるでしょう。

ですが、その中で、囚われを無くしていく事が求められます。
これも、此の道に進みますと、順次、囚われの無い道へと、神様の試しと共に、進む事になります。

Ⅶ.世間体

世間体は、どうしても、ご家族ご一緒の方は、関係する問題です。

此の道への理解ある方、は、実際には、中々居ません。
ですから、ご家族ご一緒の方は、世間体が、かなり大きな障壁となる事が多いです。

そうでなくとも、御自身が、世間体と切っても切れない、
そういった方も多いと思います。

ですが、世間体とは、大多数価値観が元になっている所がありますので、平面世界、囚われの世界へと移行する元、筆頭と言ってもいいくらいです。

世間体は、御自身だけの問題だけでなく、周囲の方々の問題がかなり大きく影響します。

ですから、世間体は、かなりの覚悟を求められる所があります。

Ⅷ.王統

王統は、権威とも似ている所がありますが、判りやすく言いますと、
「王によって統べる」価値観、がそうです。

大峠とは王統消(わうとうけ)すのざぞ。(中略)誠とはマとコトざぞ、神と人民 同じになれば神代ざぞ、神は隠身(かくりみ)に、人民 表に立ちて此の世治まるのざぞ。

次の大峠では、王統が、消えます。
これは、当初無かった、マンデラ・エフェクト文面の一つです。

神と人民 同じになりて、神代となります。
更には、神様は、かくりみに、人民表に立ちて、此の世が治まる。とあります。

王統囚われは、人類史では非常に長いです。

実際、政治で何とかなる、も、広くはこれに含まれるでしょう。

ですが、実際には、その方のマコトが、もの云ふようになるのです。

王統囚われは、多くの方が案外無いようにも思いますが、囚われている方も多いので、王統囚われがある方は無くしていく事が求められて行きます。

Ⅸ.宗教

宗教では、神様が助けてくれる。という価値観が非常に多いです。
これは、三次元世界の結果、人欲によって、そのような価値観にしていった所があります。そうでなければ、人は宗教に対して納得しない事もあったのでしょう。

また、救世主、や、主たる神様によって、助けて頂ける点では、王統に近い所があります。
ですが、

どこにゐても助ける臣民 行って助けるぞ、
神が助けるのでないぞ、神助かるのぞ、臣民も神も一緒に助かるのぞ、

神様が助けるのではなく、実際には、カミヒト共に進んだ臣民、それも、神として、人を助ける方から、囚われで最も難しい人を助けていく方から、助かるのです。

ですが、宗教とは、自己完結しやすい世界観もありますので、囚われの点では、王統より上の所があります。

また、御神示を宗教と同じに考えている方も非常に多いですが、弥栄実践、祓実践、まつり実践。の、実践主義、であり、行じ、省みる事が、基軸です。

実践した方からでないと、助かる道には進めないようになっていますし、此の道一本に絞って、三年しますと、実際、御自身のしてきた事が、御神示のマンデラ・エフェクトで現れたり、と、こういった経験をさせて頂けます。

経験、理解から、判るようになっている書なのです。だから、道、とも言えます。

当初は、マンデラ・エフェクトを周囲に起こして頂く所から始まり、やがては、御自身が主となって、起こして行く側へと変わっていくでしょう。

そして、御神示に書かれてある事と、御自身の体験の合致率が、どんどん上がっていく事となります。

ちなみに、御神示のマンデラ・エフェクトは、絶望的文面が徐々に消えていき、希望的文面が現れるようになっているのは面白い所です。日々の行もどんどんと楽しいものへとなってきます。ですが、これは、御神示の通り、神様の申す通り、素直に行をしていった方に現れると見てゐます。

このように、神様の申す通り、素直に行じれば、その世界は変わっていく体験をしていきますが、残念ながら、宗教書止まりの扱いをされている方もまた多く、しきまきや、くにつつみ、といった思念界を変える行をしない場合は、御神示マンデラも起こらないものとなっていくでしょう。(不思議な事に、御神示マンデラ・エフェクトは、行の進捗に応じて、個々目にしている内容が違っているようです)

ただ、気を付けて欲しい事は、希望的文面は増えている一方で、早うしないと間に合わない、という文面も合わせて増加している事です。

絶望的文面は、完全に無くなった訳ではなく、恐らく、最後まで消えないものと見てゐますので(だからこそ、次々、新たな善き世界を産み出せるからです)、是非とも、一刻も早く、神様の申す通り、行を進めて下さい。

また、遅れる程に苦しむ事になりますので、少しでも早く始めて下さい。

今にイワトひらいてあきらかになったら、宗教いらんぞ。政治いらんぞ。

そして、最後は、宗教、政治は、要らなくなるようです。

Ⅹ.戒律

戒律、の囚われも、依然根強いです。

自己犠牲、を良しとするのも、この戒律に含まれます。
また、要らぬ苦労をするのを良し、とするのも戒律に含まれます。
無駄な苦労が良い、というのは、戒律です。

苦労、苦労と申しても、悪い苦労 気の毒ざぞ、よき苦労 花咲くぞ。
●身につかんもの、身につかん行は、いくらしても何もならん。いらん苦労はいらんと申してあろう。

苦労無くして此の道を進む事はないのですが、いらん苦労は、いらん、という事も忘れてはなりません。
囚われの元となり、より苦しむ事となります。

戒律に合わせて、近いものとしては、法律もその場合があります。

ですが、此の道に進みますと、戒律、法律、は、むしろ囚われになります。
新たな世界を産み出す上では、むしろ弊害となるのです。

下の世界に落ちない為には、戒律、法律は、良い働きをしている一面がありますが、上に進む為には、囚われとなり、弊害となるのです。

此の道は、無理なく、また、御神示と共にですと、楽に進みますので、是非とも、戒律(特に自己犠牲、無駄な苦労)の囚われを無くして下さい。

ⅩⅠ.人愛

翌日に、もう1つ重要な囚われ、人愛を追加します。

真愛が永劫性の愛、に対して、人の愛は永劫性がありません。有限の愛、と言ってもいいです。

正確に言えば、人の愛の中にも、真愛が入っている可能性はありますが、真愛が入っていない愛、の事をひとまず人愛、と呼びます。

人愛は、永劫性が無い為に、有限の愛となります。
突き詰めますと、限りある愛になります。

突き詰めますと、ここまで10個の物は、死んでもっていけないものです。
人愛は、例えば、これらに向けての愛、が一つそれにあたります。

更には、理解無くしても成立するのが、人愛です。
更には、理解無くしても、持つ事は可能ですし、むしろ、厭が応でも持たされている事も多々あります。

ですが、永劫性は基本的にはありません。

人が人を支配したい、独占したい愛も同じです。
永劫性がありません。

そもそも、人が持つ愛、そのものから、永劫性が無い所もあると思います。

そして、その永劫性無いものに対して、執着、してしまうのも、また、人の愛です。

ですが、その永劫の愛が、間違いなく存在しているのは、
大神様の愛、無限の神様の愛。
という事が、御神示通り、行を進めていきますと分かってきます。

永劫の愛には、必ずどこかに理解が入りますが、永劫の愛は、どうも、理解、体験からしか判らないようにされているようです。

行を継続していく事で、永劫の愛、大神様の愛、という事が実感できるようになります。
ですが、カミヒト共にでないと、人の愛は、永劫の愛として継続できない、という事も判ってきます。

その為には、一切に永劫性を産み出す事が求められそうです。

それと、これも、間違いなさそうですが、永劫の愛とは、その方の、理解、体験に伴って、順次判るように、周囲に現れるようです。ですから、同じ世界に居ても、その方その方で、理解、体験に、差がありますし、現れ方も違います。。

そして、永劫の愛とは、そんなに簡単には判らないようになっているかもしれません。理解、体験を伴わない事には、判らないようです。

3.御自身の囚われをこの内で吟味し、そして、囚われを無くして下さい

ここには10程、囚われを挙げてみましたが、やはり筆頭に来るのは、金、と、学。です。
これは、二大囚われと言っても良い位、ですし、また、誰もが関係しているものです。。

その他のもの、
智恵(人によるもの)、地位、名誉、名声、権威、世間体、も結構大変です。
これも囚われがあって普通ですし、完全に切り離す事ができる人の方が稀です。

更には、
王統、宗教、戒律。
この囚われも多いです。

ですが、まず、これらの囚われを無くして行って下さい。
その上で、此の道一本基軸へと進んで下さい。そこからの三年の行、です。
特に三年でも、後半から、此の道一本に進んでいる実感が湧きます。

その三年が終えたら、次の三年がめでたなやあ、となります。

4.此の道は難しくない

此の道は、油断なりませんが、難しい道ではありません。

Ⅰ.理屈となると、前の段階に戻されていきます

此の道 難しい道でないから その儘に説いて聞かしてやれよ、難し説くと判らん様になるのぞ。平とう説いてやれよ、難しいのは理屈入るのざぞ、難しい事も臣民にはあるなれど理屈となるなよ、理屈悪ざぞ。霊術も言霊(ことだま)もよいなれど程々に、三分位でよいぞ、

此の道が、難しいと思われている原因は、理屈、となっているからです。

基本は、行じ、省みる、だけです。
更には、生前から騙され続けている、我の洗濯、掃除、改心、をしていく事にあります。
この連続です。

生前から騙されきた、御自身の我、の結果は、今現在、周囲の世界そのものから、それが判ってきます。

もし、御自身の我に問題が無ければ、世界における諸問題は起こっていません。
天変地異、戦争問題が、此の世には起こっていないのです。

ですが、改心を進めていきますと、徐々に周囲の世界が好転していきます。
戦争問題、天変地異も徐々に治まっていく流れとなります。

そして、心・口・行、一致させた上で、更に、神の・を入れていく事が求められます。

霊術、言霊(ことだま)も程々、というのは、我の改心が御神示の主旨、でもあるからです。

それには、時間がかかり、手数もかかる。努力も必要です。
お金も、人によってかかる度合いも違うでしょう。
実際には、命がけにもなっていきます。

ですが、それにより、より良いものができてきます。

Ⅱ.欲はなれて、命はなれてなる様にしておりたら、それで大丈夫です

一番尊い所 一番落してあるのぢゃ、此の事判りて来て天晴れ世界唸(うな)るのぢゃ、落した上に落して もう落す所無い様にして上下引繰り返るのぢゃ、引繰り返すのでないぞ、引繰り返るのぢゃぞ、此の事 間違へるでないぞ。此の道 難しい道でないぞ、欲はなれて、命はなれてなる様にしておりて下されたら それでよいのぢゃ。

一番尊い所 一番落としてあります。
此の事判りて来て、天晴れ世界と、うなります。
これも、行をしていくと判って来るようです。

落した上に落して もう落す所無い様にして、上下引っくり返るとあります。
引っ繰り返すのではなく、引っ繰り返るのです。

そういった時がやがて来る様です。

ここでも、ある通りですが、此の道 難しい道ではないとあります。

欲はなれて、命はなれてなる様にしておりて下されたら、それでよい、とあります。

5.まとめ

もう岩戸は開いています。
岩戸が開いている文面は、マンデラ・エフェクトで現れています。
今現在、為せば成るようになっているのです。

ですが、多くの方は、此の道をわざわざ外し、我で進んでおり、結果、平面止まりを選択している方が殆どです。

中々、此の道一本、に到達していない方も多いです。

ですが、その苦しむ原因は、我、の囚われです。

金、学、智恵(人によるもの)、地位、名誉、名声、権威、世間体、王統、宗教、戒律。

この囚われと無縁の人はいませんし、ですが、これらの囚われの苦しみを理解、体験をした上で、囚われを無くし、此の道一本の行へと進めて下さい。

このようにして、新たな世界を生まれ、マンデラ・エフェクトを生み出して行きます。

そして、この囚われを無くすまでも、御神示と共にでないとまずできないと思います。
是非とも、御神示と共に、日々行を進めて行って下さい。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

追伸1 半年に1回の祈りは、各自で、最善で進めて下さい

半年に1回の祈りは、7月頭頃、1月年始辺りにお伝えしてきましたが、
今現在、これまで伝えてきた事と、今もなお、それ程大きく変わってきていません。

一切と繋がり、書き換え次元上昇を起こす祝詞

ですが、日々の行で、自然と関わる機会が増えて来てゐますので、徐々に祈っていた内容が、実現の流れに来てゐます。

その為には、しきまきや、くにつつみ、と言った行をし続けていく事で、マンデラ・エフェクトを起こし続けて行く以外ありません。

最終的には、五人分、十人分で留まらず、千人力が求められますが、それは、御神示と共にでないとできないようになっています。人の我、とは、囚われているものだからです。

また、個々の世界での、マンデラ・エフェクトは、結構バラツキが出て来ており、御自身の思念、行、基軸の世へと愈々になってきているようです。

上記にあります祝詞は、徐々に、段階を追って変わってきていますが、御自身で、共感できるもので進めて行ってください。できましたら、最新のものを参考にして頂ければと思いますし、祝詞は、御自身で納得したものを作って唱えて頂くのが一番と思ってゐます。

追伸2 囚われの11個目に、人愛を追加しております。2024年7月3日21時30分頃

囚われの11個目として、人愛を追加しました。
本来は、此の事を入れてからアップする方が望ましかったようです。

ですが、それが判る体験を7月2日~3日にかけてしましたので、追加しております。

人愛は、簡単に言いますと、永劫性の無い愛です。
永劫性のある愛は、必ず理解が伴い、それを真愛と言いますが、カミヒト共にでないと、人愛は永劫性(3次元、思念界共に)を伴わないようです。

<<前に戻る
>>次に進む
カテゴリートップへ戻る
前世の法則トップに戻る