次元上昇のきっかけ199 二〇二四年は、無理なく、カミヒトとして此の道に進んで下さい

次元上昇のきっかけ

前回の記事では、2024年は、カミヒト、として、仕事、お金、出会い、を好転させる。
この事を実現していって欲しい事を御伝えしましたが、続きがありましたので、もう少し、その続きをお伝えしていきます。

基本的には、した事で、される事になります。

まずは、この順です。
先に助けるから、助けて頂ける経験。をしていきますし、
二分預ける行から、二分預ける方が集まって来る経験。等も同じです。

ですが、これは、序の口の話で、実際には、神学として、その因果を超えていく事が求められます。

その為には千人力、と共に、カミヒト、として進む事が求められます。
ですが、その前に、此(九)の道を進むには、無理なく進む事が求められます。

確かに時間はかかります。
此の道に進み、全てを満たして行くには、最低、3年かかります。

そして、マコトの者ほど、お陰遅い、とあります。

ですが、能登地震の発生からも分かるように、神学、であっても、小難化はできても、現状の世界では、完全に回避は、まだできないようになっています。

ただ、それは、現段階であり、最後は完全回避も可能になるのです。
厳密に言えば、過去の書き換え、ができるようになるのですが、それはカミヒト共に、新たな世界を産み出せるようになる必要があります。

いずれにしても、人の我基軸では、この後、81の世界の移行を避ける事はできません。

早ければ、今年起こってもおかしくないのです。
それだけの、天変地異、地震の状況ですし、戦争もいつ世界大戦に進んでおかしくないのです。
そうなってからでは手遅れなのです。
一度81の世界が実現しますと、人学からの回避はできません。

ですが、この道は、無理の無い道なのです。

今回は、その無理なく進む道について、カミヒトに進む為に重要な事について、御神示の文面と共に御伝えしていきたい、と思います。

目次

1.無理なく進む文面 第三巻 富士の巻~第十五巻 一八(イハ)の巻

此の道は、無理のない道です。それがくどい位に書いてあります。
一つ一つ、できる所から進めて頂ければ、と思います。

Ⅰ.神様は無理は言いません、神の道は無理していません。御神示をよく(四九)読んで下さい

第三巻 富士の巻 第十三帖 (九三)
この神示よむことが洗濯や掃除の初めで終りであるぞ、神は無理は言はんぞ、神の道は無理してないぞ、よくこの神示読んで呉れよ。

この御神示を読むことが洗濯や掃除の初めで終わり、です。
これも段階が進んでくる程によく分ってきます。

神様は無理は言いません。神の道は無理していないのです。

よく(四九)この御神示を読んでくれよ(九〇四)と仰っています。

四(しきまきや)、九(苦を苦で無くす行)、をよく読み、行じていき、くれよ(九〇世)、として産み出して下さい。

行と共に、その世界が現れます。

Ⅱ.神様にすがれば、神様にまつはれば、その日からよくなります。難しくありませんし、神様は無理も言いません

第三巻 富士の巻 第二十一帖 (一〇一)
臣民 神にすがれば、神にまつはれば、その日からよくなると申してあろが、何も六ヶ敷いことでないぞ、神は無理言はんぞ、

臣民、神様にすがりますと、神様にまつはれば、その日からよくなります。

まず、五柱の神様。

そして、天の日月の大神様、地の日月の大神様、世の元の生き神様、百々諸々の神々様、です。

朝に1分もあればできます。

何も難しくありません。神様は無理は言いません。

段階が進みますと、すがれば(四我〇、裏八)、となっていきますし、まつはれば(九二、五三、八、〇、裏八)となっていきます。

これも、難しくありませんし、無理でもなんでもないのです。

Ⅲ.臣民、無理と思ふ事も、無理でない事、沢山にあります

第六巻 日月の巻 第一帖 (一七四)
我(が)出したら判らなくなるぞ、てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ、臣民 無理と思ふ事も無理でない事 沢山にあるのざぞ、

我、出したら判らなくなります。
これは、最初程、経験していくでしょう。

てんし(・四)様拝んで下さい。まつりてくれよ。として下さい。

臣民、無理と思ふ事も、無理でない事、沢山にあるのです。
数々のマンデラ・エフェクトが、一番判りやすいですが、それも、終わりが無いのです。

やがて、無理なく、御自身で周囲に実現し、できるようになっていきます。

Ⅳ.御神示読んで、早う洗濯すれば、どんな大峠も楽に越せる段階が来ます

第八巻 磐戸(一八十)の巻 第十七帖 (二五三)
出来あがる迄は誰にも判らんが、出来上がりたら、何とした結構なことかと皆がびっくりするのざぞ、びっくり箱にも悪いびっくり箱と、嬉し嬉しのびっくり箱とあるのざぞ、何も知らん臣民に、知らんこと知らすのざから、疑ふは無理ないなれど、曇りとれば、すぐうつる、もとの種もってゐるのざから、早うこの神示読んで洗濯して呉れよ、どんな大峠でも楽に越せるのざぞ、神の道は無理ない道ざと知らしてあろが。

出来上がる迄には、誰にも判りませんが、出来上がりますと、何とした結構なことかと、皆がびっくりするようになります。

その小さな段階について、今現在、体験中です。家族、一同で、分かっていく事になってきています。
まだまだ最初の段階であって、これも、次々、無限に起こっていくようになります。

ビックリ箱にも、悪いビックリ箱、嬉し嬉しのビックリ箱とあります。
これも、両方体験してきました。(笑)特に悪いビックリ箱は、少なく、程度は小さめで抑えたいですね。
神様に、御神示に逆らう行動を取る程に、悪いビックリ箱が起こるのです。

何も知らない臣民に、知らんこと知らすのですから、疑ふは無理ないのですが、曇りを取れれば、すぐうつる、もとの種持ってゐますので、早うこの神示読んで、洗濯して呉れよ。と仰っています。

何よりも、この後、どんな大峠でも楽に越せるようになります。

神の道は、無理の無い道なのです。

Ⅴ.元の大和魂にかへる、のは今の臣民無理ですが、無理でも、神様に心向ければ出来るようになっています

第八巻 磐戸(一八十)の巻 第二十一帖 (二五七)
元の大和魂にかへれと申すのは、今の臣民には無理ぢゃな、無理でも、神に心向ければ出来るのざぞ、どうしても今度は元のキの儘の魂にかへらんとならんのぞ、

この道一本の行を継続してから、より判って来る事になりますが、
人の我、基軸が99%以上の現在の世界からでは、元の大和魂にかへれ、
と申すのは、確かに今の臣民では、無理、なのです。

ですが、それが無理なのは、まだ、人我基軸の段階だからです。

無理であっても、神様に心向ければ、出来るようになっていきます。
それが、無理なく現れるようになります。御自身の行に応じた、思念、器に応じた、世界を産み出せるようになります。

そして、どうしても、今度は、元のキのままの魂にかへらんとならないようになっています。

Ⅵ.次の四は、これ迄の様に、無理に働かなくても楽に暮らせる嬉し嬉しの世となります

第九巻 キの巻 第五帖 (二六二)
この方クヤム事嫌いぞ。次の世となれば、これ迄の様に無理に働かなくても楽に暮せる嬉し嬉しの世となるのざが、臣民 今は人の手に握ってゐるものでもタタキ落して取る様になりてゐるのざから神も往生ざぞ、神は臣民楽にしてやりたいのに楽になれて、自分でした様に思ふて神をなきものにしたから今度の難儀となって来たのざぞ、其処にまだ気付かんか、キが元ざと申してあろがな、早う気付かんと間に合はんぞ。この神は従ふ者にはおだやかざが、さからふ者には鬼となるのざぞ。

こ(九)の方、クヤム(九八×無)こと嫌い、とあります。
九の行、八(神様)を無き者にした、コト達は、我、から、わざわざ苦しみの世界へと進んでいる為です。

次の世となりますと、これまでのように無理に働かなくても、楽に暮らせる嬉し嬉しの世となるのですが、臣民、今は人の手(八五)に握ってゐるものでも、タタキ落として取る様になってゐるので、神様も往生されています。

神々様の動き、神々様のキ、そのものから奪い取ってしまっているのです。

神様は、臣民に楽にしてやりたいのに、この方々が生み出した楽に慣れてしまい、自分でした様に思ふて神様を無きものにしたから、今度の難儀、となって来たのです。

そこにまだ気付かないのか、と仰っています。

キ、が全て元です。
苦しむ世界を産み出したのは、実は人の我、なのです。

この事に早う気付かないと、間に合わないようになります。

この神様は、従う者には、おだやかですが、さからふ者には、鬼となります。
この事も、私は、両方経験してきています。(笑)
是非、素直に、神様の申す通りして下さい。

まずは、大難が小難となり、やがて、次々、神様の思ふ通りの世界が産み出されていくようになります。
3年間、行を毎日継続して下さい。無理なく進むようになっています。

Ⅶ.神様がしますので、此の世に、足場を作ってください。神様は無理申しません

第十三巻 アメの巻 第十五帖 (三四九)
役員多くなくても心揃へて胴(十)すへて居りて下されよ、神がするのであるから此の世に足場作りて居りて下されよ、神無理申さんぞと申してあろがな、けれどもちっとも気許しならんのざぞ。身魂相当に皆させてあろがな、掃除早うせよ、己の戦まだすんでゐないであろが、洗濯掃除 早う結構ぞ、此の方の神示元と判り乍ら他の教で此の道開かうとて開けはせんのざぞ、鏡曇ってゐるから曲って写るのざぞ、一人の改心ではまだまだぞ、一家揃って皆改心して手引き合ってやれよ、外国人も日本人もないのざぞ、外国々々と隔て心悪ぢゃぞ。

役員は多くなくて、大丈夫です。

(九九六)揃へて、胴(十)すへて、折りて下されよ。とあります。
我を折り、腰低くして下さい。神様のキ、が流れてきます。

神様がするのですから、此(九)の世(四)に足場、つくりて居りて下さい。
神様は、無理は申さないのです。

ですが、ちっとも気許しはなれません。
現在の御自身の、身魂相当に、させて頂くことになります。

ですから、掃除早よう、して下さい。
己の戦い、まだすんでゐない、と判ってゐるはずです。

洗濯、掃除、早う結構、です。

此の方の神示(フデ)元と判りながら、他の教で、此の道開こうとしても、開く事はできないのです。

鏡曇ってゐるから、曲がって写るのです。

一人の改心でも、まだまだ、です。
一家揃って皆改心して、手引き合って下さい。
(私は、昨年9月から、この行をしている所です。これも段階が来ましたら、するようになっています。)

外国人も日本人も無いのです。

外国外国と隔て心は悪です。気を付けて下さい。

Ⅷ.我儘は無理ではありません。逆行く事が無理、です。無理は曲がり、神様のミコトが聞こえなくなります

第十四巻 カゼの巻 第一帖 (三五二)
大きなれば旅にも出すぞ、旅の苦 楽しめよ、楽しいものざぞ。眠くなったら眠れよ、それが神の道ぞ。神のこときく道ざぞ。無理することは曲ることざぞ。無理と申して我儘無理ではないぞ、逆行くこと無理と申すのざ。無理することは曲ることざ、曲っては神のミコト聞こへんぞ。

段階が進んできますと、大きくなりますと、旅にも出すようになります。
その段階では、旅の苦にも楽しめるようになってきます。
実際、旅の苦も、御神示と共にですと、楽しいものです。

眠くなれば、眠ってください。
これも、行をしていけば、分かります。
莫大な負の想念の浄化を進めていく経験をしていくからです。
それが神様の道です。神様のこときく道です。

無理することは曲がることです。

ですが、無理と申して、我儘、は無理ではありません。
逆行くことが、無理、なのです。

無理しますと、曲がることになります。
曲がっては、神様のミコト聞こへ(キ、九、経)なくなります。

九の道を経るキ、が聞こえなくなるので、大変になっていきます。

Ⅸ.無理して急ぐと、仕組壊れます

第十四巻 カゼの巻 第六帖 (三五七)
江戸の仕組 江戸で結ばんぞ。この道開くに急いではならんぞ、無理して下さるなよ、無理急ぐと仕組壊れるぞ。まだまだ敵出て来るなれど、神心になれば敵、敵でなくなるぞ、敵憎んではならんぞ、敵も神の働きぞ。神は六ヶ敷いこと云はんぞ、神に心皆任せてしまうて、肉体慾 捨ててしまふて、それで嬉し嬉しぞ。神が限りなき光り、よろこび与へるのざぞ。いやならいやでそなたのすきにしてやりてござれ、一旦天地へ引上げと申してある通りになるぞ。

江戸(穢土)の仕組みは、江戸では結ばないようになってゐるようです。
最終的には、東京から離れる、という事でしょうか。
(という事は、東京に行く行もあるような気もしていますが。)

この道、開くには、急いではなりません。
無理しないようにして下さい。

無理し、急ぎますと、仕組壊れます。

この道進んで行きますと、敵が出てきますが、神心になりますと、敵、敵で無くなります。敵憎んではなりません。この行も試されていく事になります。敵も神様の働き、という事も、段階が進むと解ってきます。(私の場合、7年かけてやっと判り、腹がその時からヒシヒシ伝わる経験を始めることとなりました。)

神様は、難しいことは言いません。
神様に心、皆任せてしまうて、肉体慾、捨ててしもうて、それで嬉し嬉し、なのです。

肉体慾(四九)も捨ててしまふて(四、四四、四四、四、母、真、二)て、とは、肉体慾を捨てるのは、これも無理なく、段階が進むとできるようになっていきます。ですが、一方で、肉体慾は、理解、必要なものでもあるのです。
案外、しきまきや、から、無理なく、肉体慾を捨てられるようになっていくのかもしれません。

その為には、神様として、限りなき光、よろこび、与へることから始まります。

いやならいやで、御自身の好きして下さい。
一旦天地へ引き上げ、という事になります。
これは、御自身の応じた引き上げ方になりますが、人の我、ですと81の世界になるでしょう。

Ⅹ.神様の道、無理ありませんが、行は誰によらずせななりません。楽な道ではなく、もうこれでよいと云ふこともありません

第十四巻 カゼの巻 第八帖 (三五九)
行なしではまことのことわからんぞ、出来はせんぞ、神の道 無理ないなれど、行は誰によらずせなならんぞ。この方さへ三千年の行したぞ、人民にはひと日も、ようせん行の三千年、相当のものざぞ。海にはどんな宝でも竜宮の音秘(オトヒメ)殿 持ちなされてゐるのざぞ、この世の宝 皆この方つくりたのざぞ、神の道 無理ないと申して楽な道でないぞ、もうこれでよいと云ふことない道ざぞ。

行なしでは、まことのこと判らないです。
まことが出来ないです。

これは、行を継続してきてようやく判るのです。

神様の道、無理ないですが、行は誰によらずせななりません。

こ(九)の方さへ三千年の行したぞ。とありますが、恐らくながら、此の道に進みますと、実際に三千年の行をすると見ています。

その為には、生き通しにならないと無理ですが、神様の申す通り素直に行を進め、生き返られるように死ぬ段階が来るようです。

それは、人民にはひと日も、ようせん行、です。
確かに、神様と共に、カミヒト共ににさせて頂くことでできるのです。
それが三千年、相当なものです。

ですが、生前の記憶も無くし、一から、また、この有限世界、限りある愛基軸の世界でやり直し、81の世界の連鎖で永劫に苦しむ世界、より、各段に楽で、善いのではないのでしょうか。

(産み)には、どんな(土ん七)宝でも、竜宮の音秘殿、持ちなされてゐるのです。
この世の宝、皆、この方つくりたのです。

それは、りゅうぐう(理、小闇、ウ、裏九、ウ)の音秘(お十ヒめ)様によって、作りたのですが、それは、どのような方も、そういった段階に進む時が来るのです。

全て、無、から、キ、から産み出しているのです。
闇、から、理、から産み出しているのです。
苦を苦で無くす行から産み出しているのです。

ですから、神様の道とは、無理ない、のですが、楽な道でも決して無いのです。

更には、これで終わり、という事も無い道です。

ⅩⅠ.マコトの道行くだけでなく、心に誠一杯につめて空っぽにして進んで下さい。カミヒトの境地です

第十五巻 一八(イハ)の巻 第五帖 (三七〇)
人民 眼の先見えんから疑ふのも無理ないなれど、ミタマ磨けばよく判るのぢゃ、ついて御座れ、手引張ってやるぞ。誠の道行くだけではまだ足らんぞ。心に誠一杯につめて空っぽにして進みてくれよ、このことわからんと神の仕組おくれると申してあろうがな、早くなったところもあるなれど、おくれがちぢゃぞ。苦労、苦労と申しても、悪い苦労 気の毒ざぞ、よき苦労 花咲くぞ。花咲いて実結ぶのざぞ。人民 苦しみさえすればよい様に早合点してゐるなれど、それは大間違ひざぞ。神の道 無理ないと、くどう申してあらうがな。此の道理よく噛み分けて下されよ。

人民、眼の先、見えないですから、疑ふのも無理ありませんが、ミタマ磨きますと、よく分ってきます。
九の神様、大神様に、ついて行って下さい。手引張ってやるぞ。と仰っています。

マコトの道行くだけではまだ足りません。
神様に任せきる、その上での行が求められます。
任せきるにも、時間、経験が必要です。

心にマコト精一杯につめて、空っぽにして進んで下さい。
この神様に任せきる、そこで、していく体験が、必要です。
そして、ある程度の結果として、何かしら体験していく事になります。

ですが、明確に判って来るのが、新たな世を生み出す経験です。

このこと判りませんと、神様の仕組みおくれる、のです。
ですから、時間、かかります。今の私で、此の道に進み、2年9か月です。

早くなったところもありますが、おくれがちです。
一つ一つ着実に進んで下さい。

苦労、苦労、と申しても、悪い苦労、は気の毒です。
よき苦労に、花咲きます。
花(八七)咲いて、実(三)結ぶのです。

人民苦しみさえすればよい様に早合点してゐますが、それは、大間違いです。

神様の道は無理ないと、くどう(九土ウ)申されています。

九の道、土(カミヒト)(五三体の大神様)を産み出して下さい。
この道理(土ウ理)をよく噛み分けて下さい。

2.無理なく進む文面 第二十二巻 ア火ハの巻(アホバの巻)~五十黙示録 第七巻 五葉之巻

Ⅰ.神示で知らしただけで、得心、改心できれば、大難が小難になり、無理と思ふことも貫いてください

第二十二巻 ア火ハの巻(アホバの巻)第十六帖
神示で知らしただけで得心して改心出来れば大難は小難となるのぢゃ、やらねばならん、戦は碁、将棋、位の戦ですむのぢゃ、人民の心次第、行ひ次第で空まで変ると申してあろがな、この道理よく心得なさりて、神の申すこと判らいでも、無理と思ふ事も貫きて下されよ、これがマコトぢゃ。

神示(フデ)で知らしただけで、得心して、改心できれば、大難は小難となります。
すると、囲碁、将棋、位の戦いで済みます。

人民の心次第、行ひ次第で、空迄変わります。
中国の北京の空が判りやすいかと思います。
黄砂、PM2.5が以前程で無くなっています。

この道理(土ウ理)、よく(四九)心得なさりて、神様の申すこと判らなくても、無理と思ふ事も貫いてください。

これがマコトです。
そして、マコトが判ってきます。

そして、その結果も、徐々に出始めるようになります。

Ⅱ.宗教連合、世界連合、全て破れてしまいます

第二十二巻 ア火ハの巻(アホバの巻) 第二十帖
今は世間では何事も分らんから、疑ふのも無理ないなれど、神の仕組は何事もキチリキチリと間違ひないのざぞ。宗教連合会も世界連合も破れて了ふと申してあらうがな、

今は、まだ、世界では、何事(七二五十)も判りませんから、疑うのは無理ありませんが、神様の仕組みは何事もキチリキチリ(キ千理、キ千理)、と間違ひありません。

宗教連合会、世界連合会。宗教の世界も、世界連合会(普通に政治、経済)、と見ていますが、最後は破れてもらう流れ、となります。

神様の政治、経済、とは、弥栄実践、祓ひ実践、まつり実践、をしていくだけで良いのです。
普段の生活と、政治、経済の分け隔てが無いのです。

Ⅲ.も少し、人民に解りて来ないと、助かる人一分も無いので、早う知らせてください

第二十三巻 |三の巻(ウミの巻) 第九帖
マコトの改心は愈々とならねば出来んものぢゃが、出来んことも無理もきかねば この峠越せんこともあるのざぞ。天も近うなるぞ、地も近うなるぞ、田舎に都、都に田舎が出来ると申してあろが、も少し人民に判りて来んと、今びっくり箱をあけたら助かる人民一分もないぞ、早う知らしてくれよ。

マコトの改心は、愈々とならないと出来ないようになっています。
その出来んことでも、無理も、きかねば、この峠越せんこともあります。
(と言っても、此の道に進みますと、無理なく、進む、と見ています。)

天も近うなり、地も近い状況です。

田舎に都。都に田舎ができます。
田舎に都、はまだ想像つきますが、都に田舎ができる、状況とはどのような状況か想像付かないところあります。
ですが、いずれ実現していくのでしょう。

もう少し人民に判りてきませんと、今びっくり箱、あけたら助かる人民、一分も無いのです。
ですから、ここまでの事を早う知らせて下さい。

ただ、今のところ、僅かですが、この道に向けて進んでいる方が、増えてきています。

Ⅳ.暮らし向きも無理なく結構にヤサカ、弥栄します

第二十四巻 黄金の巻(コガネの巻)第二十三帖
この神示読むとミタマ磨けるぞ、ミガケルぞ。神示読むと改心出来るぞ。暮し向きも無理なく結構にヤサカ、弥栄えるぞ。まだ判らんのか。苦しいのは神示読まんからぢゃ。金の世すみて、キンの世来るぞ。三年目、五年目、七年目ぢゃ、心得なされよ。

この神示読みますと、ミタマ磨けます。
ミガケル(身我消流)流れとなります。

御神示読みますと、改心出来ます。
暮らし向きも無理なく結構にヤサカします。
弥栄します。

これも、徐々に実現していきます。
まだ判らんのか。と伝えられています。

判らない。苦しいとするならば、御神示読んでいないからです。

金の世すみて、キンの世が来ます。

一応は体はキンに輝く時が来ますが、菌の世でもあります。そして、キ、から産み出す世、です。
苦の菌を、九の行により、九の菌とし、キ、から産み出して下さい。

三年目、五年目、七年目。
ここでは、様々な事を経験、体験していきますが、何度も繰り返します。

三年苦しみ、五年もがき、七年経ってようやく判る。
という事も何度も繰り返して行きます。

この事を意識して下さい。

Ⅴ.立体の御自身に成る為には、他のために、先ず行じて下さい。神様は無理は申しません

第二十四巻 黄金の巻(コガネの巻)第九十三帖
そなたが神つかめば、神はそなたを抱くぞ。神に抱かれたそなたは、平面から立体のそなたになるぞ。そなたが有限から無限になるぞ。神人となるのぢゃ。永遠の自分になるのであるぞ。他のために行ぜよ。神は無理申さん。始めは子の為でもよい。親の為でもよい。自分以外の者の為に、先ず行ぜよ。奉仕せよ。嬉し嬉しの光さしそめるぞ。はじめの世界ひらけるぞ。一本足では立てん。二本足がよいぞ。

御自身が神様をつかめば、神様はそなたを抱いて頂けます。

神様に抱かれた御自身は、平面から立体の御自身となります。

御自身が、有限から無限になります。

この流れからカミヒトとなります。
永遠の御自身となるのです。

神様は無理は申されません。
始めは、子の為、親の為で大丈夫です。勿論それ以外の方々でも大丈夫です。
自然や、動物、植物、でも大丈夫です。

自分以外の者の為に、先ず行じて下さい。奉仕して下さい。
嬉し嬉しの光が差しそめます。

始めの世がひらけます。
一本足では立たないので、二本足で進んで下さい。
(つまり、二人の世界で産み出して下さい。一対一、です)

Ⅵ.始めから全体を掴もうとするのは無理です。どこからでも良いので、掴めるところから掴んで下さい。段々判ってきます

第二十七巻 春の巻 第二十一帖
始めから全体を掴もうとしても、それは無理と申すもの。手でも足でもよい、何処でもよいから掴める所からつかんで御座れよ。だんだん判ってくるぞ。全体をつかむには全体と同じにならねばならん。その人民々々のつかめるところから掴んで参れよ。

始めから、全体を掴もうとしても、それは無理、です。

手でも、足でも良いので、何処からでもよいので。掴める所から掴んで下さい。
段々と判ってきます。

全体をつかむには全体と同じにならねばなりませんし、
全体の理解、全体の経験も、これも、行を通じで分かるようになっていきます。

その人その人の掴めるところから掴んで下さい。

Ⅶ.心配は、一応無理ないですが、どこでどんなことしてゐても、みたま磨けてさへいれば、心配は無くなります

補巻 月光の巻 第三十六帖
行は、世界中の行、誰一人のがれるわけには行かんぞ。めぐり果たしたものから、うれしうれしになる仕組。そなたの心配 一応は無理ないなれど、何処で、どんなことをしてゐても、みたま磨けてさへ居れば、心配なくなるぞ。心配は、磨けて居らぬ証拠ぞ。そなたはものに不足するとこぼして御座るなれど、ものに不足するのは、心に足らぬ所があるからぞ。心いたれば ものいたるぞ。何ごとも神の申す通り素直になされよ。素直結構ぢゃなあ。

行は、世界中の行です。
誰一人のがれるわけには行かないのです。

めぐり果たした者から、うれしうれしになる仕組み、です。

心配するのは、一応無理はないのですが、
どこで、どんなことしてゐても、みたま磨けてさへ居れば、心配なくなります。

心配するのは、磨けていない証拠、と仰っています。

不足する、とこぼしていても、もの不足するのは、心に足らぬところがあるからです。

心いたれば、ものいたります。

何ごとも神様の申す通りに素直にして下さい。

素直、結構です。

Ⅷ.人を助けずに、我を助けてくれ、と申しても無理です。神様にも道はまげる事できません

補巻 月光の巻 第四十九帖
道は自分で歩まねばならんぞ。他人におんぶしたり、他人が歩かしてくれるのではないぞ。そなたの力で、そなた自身の苦労で人を助けねばならんぞ。人を助ければその人は神が助けるのであるぞ。この道理なぜに判らんのぢゃ。人を助けずに我を助けてくれと申しても、それは無理と申すもの。神にも道はまげられんぞ。

神様には、我を助けてもらう為に存在している、という教え。宗教。
また、宗教に関係していなくても、神様とは、我を助けてもらうもの。
そう思われている方は圧倒的多数と思います。

ですが、人を助けていく事で、御自身が助かるようになるのです。
神様の行をする方から助かっていくのです。

人を助けずに、我を助けてくれ、と申しても、それは無理なのです。
神様にも、道を曲げる事ができません。

ですが、この事をはっきりと伝える方、宗教では、殆ど聞いた事ありません。
故に、宗教関係者が、最も遅れている、と、御神示にあるのもこの通りです。

かと言って世界連合でも聞いた事ありません。
人を助ければ、我が助けるような話も、政治、経済、から聞いた事ありません。

道は御自身で歩まないとなりません。

他人におんぶしたり、他人が歩かしてくれるのではありません。御自身の力で、御自身の苦労で、人を助けないとならないのです。

実は、この、御自身の苦労で、人を助けていくと、我が助かる。といった話そのものが、産み出されている所があると見ています。

Ⅸ.教は無理を産み出す元です。無理押しは、よいことをわるく曲げます

補巻 月光の巻 第五十帖
教では世は正されん。教のつどいはつぶれて了うのぢゃ。無理してはならん。そなたの無理押しは よいことをわるく曲げるぞ。

このように教えでは、世は正されないのです。
教えのつどいはつぶれてしまうのです。

それは、宗教だけではありません。
学校教育、社員教育。
教えのつどいでは、世は正されず、最後はつぶれます。

それは、理解基軸、ではないからです。
団体の共有概念基軸だからです。善悪論となってしまいがちです。

永劫の愛には理解が必ず入りますが、教えは、理解基軸ではありません。
合わせる事が基軸、になりがちです。
場合によっては、戒律です。すると、平面世界に留まるのです。

ですから、今の世の多くの場面で、平面基軸、なのです。
教の色が強いのです。

もし、教えのつどいの中で、大きな変化を起こしている、とすれば、一対一、で、意志し理解しようとする所から始まっている、しきまきや、が起こっているのです。

教になりますと、無理の色が強くなるのです。

ですから、無理しないでください。
無理押しは、よいことを悪く曲げることになります。

Ⅹ.天地の波にのれば、楽し楽しで大峠越せます。やればやれる時です。無理なく進めてください

第七巻 五葉之巻第十二帖
八のつく日に気つけてあろうが、八とはひらくことぞ。今が八から九に入る時ぞ、天も地も大岩戸ひらき、人民の岩戸ひらきに最も都合のよい時ぞ、天地の波にのればよいのぢゃ、楽し楽しで大峠越せるぞ、神は無理申さん、やればやれる時ぞ、ヘタをすると世界は泥の海、神々様も人民様も心の目ひらいて下されよ、新しき太陽は昇ってゐるでないか。

八のつく日に気付けて下さい。
八とはひらくことです。その前後は動きが開く流れになりやすいです。

今が、八から九に入る時です。

天も地も大岩戸ひらき、人民の岩戸ひらき、に最も都合よい時です。

天地の波にのれば、楽し楽しで大峠越せます。

神様は無理は申しません。

やればやれる時です。
ヘタしますと、世界は泥の海、常に背中合わせです。

神々様も、人民様も、心の眼、ひらいて下されよ、と仰っています。

新しき太陽(ヒ)は昇ってゐるのです。

3.無理、の文面のまとめ

2024年、この後、カミヒト、として進んで行くには、無理なく、行を進めていく事が求められます。

御神示をよく(四九)読んで下さい。
神様にすがれば、神様にまつはれば、その日から良くなります。
難しくありませんし、神様は無理は言わないのです。

臣民、無理と思ふことも、無理でない事、沢山あります。
マンデラ・エフェクトがそうですが、周囲にも起こせるようになっていくのです。

御神示を読み、洗濯すれば、どんな大峠、も楽に越せる段階が来ます。

元の大和魂にかへる、のは、今の臣民では無理ですが、無理でも、神様に心向けると出来るようになっています。

次の世では、これ迄の様に、無理に働かなくても、楽に越せる、嬉し嬉しの世となります。今度の難儀は、こ(九)の方々が生み出した楽に慣れてしまい、神様を無き者にしてきたからなのです。

神様がしますので、此の世に、足場を作ってください。
神様は無理申しません。

我儘は無理ではなく、逆行く事が無理です。
無理しますと、曲がり、神様のミコトが聞こえなくなります。

無理して急ぐと仕組壊れます。

神様の道、無理ないですが、行は誰によらずせななりません。
楽な道ではなく、もうこれで終わり、という事もありません。
生き通しとなり、三千年の行をしていく事になりますが、前世の記憶を失ったり、永劫の有限の世界で苦しむことが無くなります。81の世界の苦しみ、が無くなります。

最後には、マコトの道行くだけでなく、心に誠一杯つめて空っぽにしていく段階が来ます。カミヒトの境地です。

御神示で知らしただけで、得心して、改心出来れば、大難は小難となります。
無理と思ふ事も、貫けるようになり、マコトが判ってきます。

宗教連合、世界連合(政治、経済基軸連合)、は破れてしまいます。

このままですと、一分も助かりませんので、もう少し、これらの事を人民に知らして下さい。

こ(九)の神示読むと、ミタマが磨け、改心、が進み、暮らし向きも無理なく結構にヤサカ、弥栄します。

立体の御自身に成る為には、他のために、先ず行じて下さい。
神様は無理は申しません。

始めから全体は掴めません。掴めるところから掴んで下さい。段々分かります。

みたま磨けてさへいれば、心配は無くなります。

人を助けずに、我を助けてくれ、と申しても無理です。神様にも道はまげる事できません。

教は無理を産み出す元です。無理押しは、よいことをわるく曲げます。

天地の波にのれば、楽し楽しで大峠越せます。やればやれる時です。無理なく御神示と共に、行を進めてください。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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