次元上昇のきっかけ176 2023年、我の洗濯、掃除、改心が求められる1年間へ

次元上昇のきっかけ

謹んで新春のお慶び申し上げます。

2023年は、三四五に進む上で重要な年になりますが、
本年のテーマは、

洗濯、掃除、改心。
特に、我、の浄化、が求められるようです。

更に、慢心、の浄化、も出来る限り進める事も求められるようです。

それが、三四五に進む為に、ヒトに求められるようです。
故に、2023年は、病神の仕組と共に進む1年になるようです。

カミ様には我が無く、ヒトは我がある、と御神示にあります。
ですが、そのヒトの我の在り方を変える事が三四五に進む鍵であり、
我の洗濯、掃除、改心が、コトになる上で必ず通る道のようです。

昨年11月頃からその事に向き合う事になり、12月には、私自身、セルフヒーリングが連続し始めましたが、
2023年、年始に入り、今朝から更に一層その動きが顕著になりました。

今年、2023年は、愈々、個々が個々の世界に進む年とも思っていますが、それは、御自身の我の在り方が求められているようです。

今回は、この事について御伝えしたいと思います。

1.2023年、新年、早々求められた事

Ⅰ.年始の祈りから出てきた内容は、我の洗濯、掃除、改心

通常大晦日には、その年の大掃除。
新年は新たな門出、心機一転、そして初詣でといった流れが多いと思いますが、
私は長くこの動きとは逆の事をしていました。

ここ数年来、大晦日に必ず参拝し、一年の感謝を伝え、未来への弥栄を祈る型を継続してきました。
(そして、年始には、初詣は行きません)

ただ、本年は少し違った事がありました。
新年早々、朝の祈りの最中から、自身の我の洗濯、掃除、改心、の事が頭に入り続ける事でした。

これまでは、単に初詣の年末年始の型のみが逆と思っていましたが、
年始から思う事、意識する事まで、多くの人と逆になりました。

洗濯、掃除、改心。
自身の、我、と向き合う事。

これが、2023年の1年間、三四五に進む為には、大きなテーマ、となりそうです。

Ⅱ.新年に見た初夢の意味するところ、急ぐ一方で、無理は禁物

また、珍しく今年は初夢を見ました。

私自身、元々は夢を見るタイプでは無かった為、初夢なんて見た事は記憶にも余り無いのですが、
2022年辺りから、それなりに夢を見る機会が増え、その多くは、この後の警告や、象徴夢です。

年始に見た夢とは、好きな人との夢でした。(笑)

その方との関係は、夢の中では、様々アドバイスを受け、またこちらからも伝えたり、相手の方は心を開いている状況です。

その交流状況は、非常に良いものでしたから、実際、本年1年は、上手く進む可能性が高い、という意味合いのようです。(逆夢では無さそうです)

ですが、この時、一つだけ警告がありました。

無理はしないこと、という事です。

これは、自身だけでなく、相手の方も同じです。
どんな人、どんな状況であっても、絶対に無理は禁物、という事なのです。

時節も取違いして、あせって急いで押しまくると、失敗、怪我の元になるのです。

無理なく、現段階のその人の我に応じて、そして、洗濯、掃除、改心を進めていく、という事が求められているものと見ています。

御神示には、急ぐ、という表現も増えてきていますし、勿論、2023年、は急ぐ、という事も勿論ありますが、
無理なく、進める事が求められているようです。

2.そもそも人が苦しむ原因は、金(キン)の前世に、我が出ていた為

これも、1月1日、今朝になってどうしても伝えておかないと思った事です。
直近12月の出来事と関係しており、改めて伝えていきます。

Ⅰ.様々な悪の前世に共通する原因の前世とは

12月中旬辺りからは、自身の前世でも様々な存在と向き合う事になりました。
妖怪、高次の存在、下々の神様、様々です。

それは、自身の我と向き合う事が求められていたのです。

例えば、とある前世で、豊かさの神様では、多くの方々を喜ばせる為に、あらゆる物質を豊かに与えたのです。
衣食住、自然界の恵みから全てです。

ですが、過度に与えても争いを産んでしまう。
それは、繁栄(弥栄)する為の学びを奪ってしまったから。
その為に、人々の我欲が増長してしまった事。
それが争いの元になったのでした。

この他に、81の世に行く原因となる前世。
例えば、共喰い系の前世。
それは、一度食べると、中毒的に止められなくなり、ひたすら食べ続けている前世。

また、戦いを楽しんでしまい、そのままその思念に憑依され、永遠に戦い続ける前世。
(丁度、仏教の修羅界と似ています。)

その前世達には浄化は進んだものの、
最終的に気になったのは、何故、そのような世界に進んだのか。

その原因になる前世でした。

これを、それぞれ、前世達に伝えていったのですが、

それは、高次元前世、金(キン)の前世だったのです。
簡単に言えば、高次の指導者的存在の前世でした。

これは、豊かさの神様も同じでした。

Ⅱ.天の教えのみでの宗教の型では、我によって、81を産みだす元

そもそも、高次元前世とは、宗教を産みだそうとしている訳ではありませんでした。

単により良くしたい、高次に導きたい、という思いから、伝えていただけなのです。

ですが、一対多数となりますと、自然と宗教の型に進むようになってしまいます。
自然と、宗教化してしまうのです。

そして、人とは我がありますから、最後は、戦ってしまい、最後は、全ての人を巻き込むのです。

今現在(というより旧来からですが)、人をアセンションに導こう、と我から進めようとしますと、それは、全て失敗に終わる、という事を象徴している前世です。

カミヒト共に、は、宗教の型からでは無理なのです。

そもそも、負の思念、負のカルマで苦しみ続けるのは、結局、人の我、が原因であり、
それが行き着くところ、一対多数の型であり、やがて宗教的なものと変わり、
最終的には、人の我によって、宗教は争いと変貌していくだけだったのです。

この事でヒトは、長い転生で苦しんできました。

Ⅲ.地の教えのみでの、学、金、地位、名誉、等は、81を産みだす元

こう言えば、宗教にだけにそれを感じるかもしれませんが、

地の教え。人の智、学、金、地位、名誉、でも同じです。

人の智、学、名誉、地位、お金、と言ったところでも、我がベースになっていますと、宗教と同じになります。

偽(にせ)の愛、偽(にせ)の智と申すのは、神を信じない人民の愛と智であることを知れよ、(中略)今の人民よ学者よ金持よ、早う考へ方を変へねば間に合わん、心の窓 早うひらけよ。

智、学、名誉、地位、お金、といった辺りは、神を信じなくても成立するものですし、実際、そういった方も多いでしょう。

地の教えに関しても、長い輪廻転生で苦しむ元は、人がそもそも持っている我にあるのです。

Ⅳ.天の教え、地の教え、和合するには、我の、洗濯、掃除、改心が求められている

人の我、はどうしても、突き詰めますと、我良しになってしまう所があります。
そこには、自身でも気付かない、我、というものがあるのです。

そして、岩戸を開いた後は、2022年11月~12月にかけて、御自身の課題、という事に気付き合う流れとなったのです。

そして、岩戸を開いた方々は、今現在、御自身の我と向き合う段階になっています。

この事からも判ってきましたが、あらゆる存在との和合が今現在求められているのです。

天の教え、智の教え、それは、ヒトの長い転生にとって重要な意味を持ち続けましたが、これまでは、片側だけの平面的教えが長く続いてきたのです。

その為には、天の教えの元の存在。金(キン)。そして人愛。
地の教えの元の存在。人智、学、名誉、地位、金等。

双方の利欲、我の元の理解、そして和合させる事が求められており、
その為には、御自身の我の、洗濯、掃除、改心、が現在求められているのです。

3.我について気になる文面

年始で気になった文面は次の3つです。
いずれも我に関係するものです。

そして裏の仕組でも、実は、最初の段階では、我に関する文面ばかりを解読していったのですが、
どうも、我、と向き合う事がまず重要な問題のようです。

Ⅰ.我がなくてもならない、我があってもならない

人間心には我(が)があるぞ。神心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならず、あってはならん道理分りたか。神にとけ入れよ。てんし様にとけ入れよ。我なくせ、我出せよ。建替と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。

12月から本日にかけて、この文面の意味がよく解ってきました。

神様には我は無いのですが、人間(ヒト)には、我があるものなのです。
そしては、人の我は完全に無くする事もできません。

そこでですが、ヒトがカミヒトになるには、それぞれが和合し、ヒトは、神様にとけ入れる、しか無いようです。
我をなくして、我を出すようにするのです。

その為には、御自身の我の洗濯、掃除、改心、が何より求められるのです。

建替えとは、神界、幽界、顕界、今まで前世にあった事。
きれいに塵一つ残らないように洗濯するコトなのです。

そして、この立替を、御自身が、御自身に向け洗濯していく事が求められています。

Ⅱ.誰もが我でしくじった前世がある。その前世との浄化、和合が求められる

我(が)はぢっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出されんぞ、我の無い様な事では、我で失敗(しくじ)た此の方の御用出来ないのざぞ、毒にも薬にもならん人民 草木にかへしてしまふぞ。

カミヒトの最終的な型とは、
我はぢっと奥に鎮めて、うわべには気を出す事もできない。
ですが、我は無くなった訳では無い、そのような状態のようです。

我が無い様な事では、我で失敗した九の方の御用ができないのです。

ですから、我で失敗した九の方の御用は、やはり、御自身の我でないと御用ができません。

その為には、我で失敗した九の方を理解し、浄化していく事、
やはり、我の洗濯、掃除、改心、が求められます。

そこで、私がどうしても、頭から離れなかったのが、金(キン)、の存在です。
金(キン)とは、9次元高次元の存在ですが、金(キン)は要らないのです。

御神示でも、金(キン)はいらない、とくどいように出てきます。

きん、で検索してみて下さい。31個あります。
(すると、鼻ポキン、も合わせて出てくるのが、また、キンは要らない、と象徴している所もあるようです)

悪の総大将も其の事知って居て、金で、きんで世をつぶす計画ざぞ、

実は、お金で世をつぶす計画もありますが、何よりも、金(キン)によって世をつぶす計画なのです。

ですから、我のまま、金(キン)になっては、世は潰れ、81となり、この世の苦しみが、また長い転生で苦しみ続ける事になるのです。

Ⅲ.慢心、取違ひ、疑い、我、がこの道の大き邪魔となる

慢心取違ひ疑ひと、我(が)が此の道の大き邪魔となるぞ、くどい様なれど繰り返し繰り返し気付けおくぞ。

慢心、取違ひ、疑い、我、がこの道の大きな邪魔になります。

この他に、慢心と鼻ポキン、が類似していて、
我は、悪い癖。が類似しています。

そして、御自身の中の騙しの神様に騙されない事、が求められます。

この道に進む上では、この事と向き合い、一つずつ治して行く事が求められます。

2023年は、御自身の我と向き合う所に来ています。

4.まとめ

今現在、驚く程に、日本は平和の世界を進んでいると思いますが、
81の世界とは引き続き常々背中合わせです。

油断はできませんし、やはり急ぐ段階に入ってきています。

実際に、2023年に入った事で、新しき御代の始め、2024年、辰(タツ)の年まで、遂に1年間を割り始めました。

この後の三四五に進む為には、御自身の我の洗濯、掃除、改心、と向き合う事が求められています。

そして、それは、無理なく進むようになっています。

更には、未来、永劫の愛、とは、常々、無。です。
そして、決まっていません。

常々、現在の御自身が足場となり、この後を進んで行くのです。

同じく、私の、この後の予定、はその都度決まっていきますので、例えば、表の仕組、裏の仕組、岩戸開き、はどの順で、どのように進むか決まっておりませんので、何卒ご理解頂きたいと思います。
(どの分野も、集中する時は一気に進む傾向があるように思っています。)

2024年、新しき御代の始めのタツの年、までもう1年を切りました。
急ぎますが、2023年も、御自身の行、4つの行を着実に無理なく、進めていってください。

 

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