九の道で実現した事 29 んめ(ウメ)の巻② 2024年5月29日現在

九の道で実現した事

引き続き、んメ(ウメ)の巻を進めていきます。

今回もですが、希望的な内容の一方で、神様の申す通りにしていかないと、絶望的内容が伝えられているのは相変わらずです。

希望的な内容については、地の岩戸が臣民の手で開かれ、ですが、それは、マコトでないと開かない事。マコトの元の生き神様によって、見事成就する事。神の科学で開く事。神世となれば、天地近くなり、三千世界一度に開く光の御代となる事。を伝えられています。

一方で、肉類禁物、食べ物の騒動、共喰いとなる事。元の生き神様の御息吹きが今度は、どんなに力あるか。ふるえ上がるようになる事。これまでの中つ枝の神々様、所々の氏神様、氏子の扱いでは立ちていかなくなる事。も伝えられています。

2024年も、旧五月五日(6月10日)まで残された所僅かとなりましたが、引き続きお伝えしていきます。

目次

1.んめ(ウメ)の巻② 実現したもの 2024年5月29日現在

Ⅰ.五度の岩戸閉めの、簡単な流れについて

第十一帖
日本の上に立つ者に外国の教伝へて外国魂に致したのは今に始まった事ではないぞ、外国の性根入れたのが岩戸閉めであるぞ、五度ざぞ、判りたか。

日本の上に立つ者に、外国の教伝へて、外国魂に致したのは、今に始まった訳ではありません。
外国の性根入れたのが岩戸閉めです。

元は、我良し、慢心、分け隔て。この3つが大きな原因、と見てゐます。
悪を悪で無くす、苦を苦で無くす事を止めてしまい、神を無き者にした事が原因です。

それが、五度です。

Ⅱ.中つ枝からの神々様には判らない理由について

第十一帖
それを元に戻すのであるから今度の御用中々であるぞ、中つ枝からの神々様には判らん事ざぞと申してあることもガッテン出来るであろがな。

五度の岩戸閉めを、元に戻すので、今度の御用は中々です。

この為、中つ枝からの神々様には判らん事なのです。
当初の岩戸閉めから、元から判っていない為です。
途中からの神々様では、新たに産み出す事ができなくなっており、三次元世界に囚われている事が原因です。

故に神学、を起こせなくなっているのですが、これは、人を助ける行、をしていかなくては、判らないようになっていますし、神学、マンデラ・エフェクトを起こしていかない事には、判らないようになっています。

それは、今日、明日で実現できませんので、日々の行の継続が求められます。

Ⅲ.御神示肚に入れておれば、御神示通りの事を次々体験していきますので、心配ありません

第十一帖
この神示肚に入れて居ればどんなことあっても先に知らしてあるから心配ないのざ、ソレ出たとすぐ判るから胴すわってゐるから何事も結構におかげ頂くのざ。

御神示、を肚に入れて居れば、どんなことあっても、先に知らせてありますので、心配ありません。

大きな事。小さな事。無理なく、今の御自身ができる順に現れてゐるので、心配が無いのです。

仮に肚ヒシヒシ、までになっていなくても、周りに起こる事。それは内にある事。が判ってゐるので、胴が座って進むようになっているのです。

その為に、何事も結構におかげを頂くのです。

それも、段階が進む毎に、良きビックリが起こるようになっていきます。

Ⅳ.遊ぶ時には、遊んでください。嬉し嬉し、です

第十一帖
死ぬ時は死んだがよく、遊ぶ時には遊べ遊べ、嬉し嬉しざぞ。

此の道進む時、無理なく進みますので、途中遊んで大丈夫です。

但し、一人分の行の継続、五人分の行の継続、十人分の行の継続。百人分の行の継続。
今の御自身なりの行を毎日継続して下さい。

また、遊ぶ、と言っても、あそぶ、となり、その遊びに意味を見い出す傾向になっていきます。

最後に、うれしうれし(ウ〇四、ウ〇四)とありますように、しきまきや、から産み出す傾向になっていきます。

この遊ぶ過程も、まずありますし、戒律に進んでいる方には、むしろ、遊ぶ事への理解が大切です。

勿論、遊び放しには、注意です。遊びに囚われてもなりません。

ちなみに、死ぬ時は死んだがよく、は、納得できなくても、一旦心のどこかに入れておいてください。

御神示では、此の道に進みますと、生きてゐる内に、てんし様へと進む事、カミヒトと進むようですが、一方で、一度死んでくれよ。ともありますので、今の最善を進んで下さい。永劫の観点から見ますと、間違ってゐません。

死(四)に関しては、大神様にお任せして下さい。

Ⅴ.ダマシタ岩戸開きは、ダマシタ神様がお出ましになります

第十三帖
ダマシタ岩戸開きではダマシタ神様お出ましざぞ、この道理判らんか、取違ひ禁物ぞ、生れ赤子の心になれば分るのぢゃぞ。

ダマシタ岩戸開きは、ダマシタ神様お出ましの体験は、実際に私は体験しています。

我、が入っている間では、改心が終わっていない間では、ダマシタ神様がお出ましになるのです。
今の御自身の改心の度合いに応じた岩戸開き、と必ずなります。

この道理は、判ると思いますし、出来る事なら、体験しない方が良いと思ってゐます。

取違ひ禁物です。
岩戸開き、も段階がありますが、当然、最初程に、騙された度合いも大きいのです。

岩戸は、楽に開きますので、まず、騙された御自身のサニワ、ハイヤーセルフさんのサニワを進めて下さい。

身体に痛みが残ってゐる間や、まだ、改心が終わってゐない、と思える間は、ダマシタ岩戸開きが残ってゐる、と思ってください。

生れ赤子の心になれば、分かります。
ただ、その心になるまで、結構にかかる、と見てゐます。

Ⅵ.泥水を泥水と知らずに喜ぶ方が殆どで、誰もが通る道です

第十四帖
世界の人民 皆泥海の中に住んでゐるのぢゃぞ、元の水流して清めてやらねばならんなり、泥水を泥水と知らずに喜んでゐるので始末に困るぞ、清い水に住めん魚は誠の魚ではないのぢゃぞ。つらい役は因縁のミタマに致さすぞ。心得なされるがよいぞ。

世界の人民 皆泥海の中に住んでゐるのです。
この自覚があるなら、順調だと思います。

元の水(見ず)流して、清めてやらねばならんなり、と伝えられています。

泥水を泥水と知らずに、喜んでゐるので始末に困るぞ、という体験は、此の道進んでいますと、否応なくさせられていきます。

実際、此の道に進む方は、セッションでも、三分でなく二分です。30%と思いきや、最後まで覚悟できてゐる方は、確かに2%位かもしれません。

そこから、徐々に戻りつつ、30%に増えてきている感もありますが、実際には、中々、難しいです。

人は、どうしても、我、我れ良し、慢心、分け隔て。といった所から、金、学、智、権威、地位、名誉、世間体。といった所にすぐ戻ってしまいがちです。いくら導いても、殆どの方は、我、基軸の世界に行くのです。

同時に、確かに、学は要る部分ありますし、金も馬鹿にできん、とありますので、中々難しいのです。

ですが、我を捨てていく行が求められるのは間違いありません。その上で求めていくのです。

清い水に住めん魚は、マコトの魚ではないのです。
ですが、ほぼ全ての方は泥水、好きなのです。それが、人の我、です。

このように、好き好んで81の世界に行く方々を次々見る事、判ってゐると結構辛いです。
つらい役は、因縁のミタマに致さします。とありますし、この事を心得なされるがよい、とあります。

今の所、全ての存在が、救われる世界への移行は、夢のまた夢です。
それでも、何とか、一人でも多く、一人でも早く、救える境地には進みたい、と思います。

いずれにしても、此の道の行をしていく以外ありません。

Ⅶ.血(智)(地)(千)尊んでください

第十五帖
血尊べよ、血は霊であるぞ神であるぞ、血にごしてはならんぞ、血はまぜこぜにしてはならんのぢゃ、黄金(こがね)は黄金の血、白銀(しろがね)は白銀の血、黄金白銀交ぜ交ぜて別の血つくってはならんのぢゃ、

血(千)(地)(智)を尊んでください。
ここまでは、行じていけます。

血は、霊であり、神様であります。

血にごしてはなりません。
血はまぜこぜにしては、ならないのです。

黄金(こがね)は、黄金の血。
白銀(しろがね)は、白銀の血。
黄金白銀、交ぜ交ぜて、別の血を作ってはならないのです。

Ⅷ.学は、元の血乱す様に仕組てゐます。騙されないようにして下さい

第十五帖
外国にはまぜこぜもあるなれど、元をまぜこぜならんのざぞ、交ぜることは乱すことざぞ、学はこの大事な血乱す様に仕組みてゐるのざぞ、それがよく見える様にしたのは悪神ざぞ、人民の目、くらましてゐるのぢゃぞ、

外国には、まぜこぜもありますが、元(母十)をまぜこぜなりません。

交ぜることは、乱すことなのです。

学は、此(九)の大事な血(千)(智)(地)を乱す様に仕組てゐるのです。

学とは、平面世界を強固にしているのです。
一対多数。は、騙しの型として、平面世界への型となってしまっています。

それが、よく見える様にしたのは、悪神様です。

人民の目、くらましてゐるのです。

Ⅸ.神様の科学でないと何も成就しません。分からなくなったら、神様に尋ねて下さい

第十五帖
科学科学と人民申してゐるが人民の科学では何も出来ん、乱すばかりぢゃ、神に尋ねて神の科学でないと何も成就せんぞ、分らなくなったら神に尋ねと申してあること忘れるなよ、一に一たす二ばかりとは限らんのぢゃ、判りたか。

科学科学と人民申してゐても、人民の科学では何も出来んようになっています。
それでは、乱すばかりです。

神様に尋ねて、神様の科学でないと何も成就しないようになっています。

分からなくなったら、神様に尋ねて下さい。
この事を忘れないようにして下さい。

ですが、基本的には、神様の申す通り、素直に行をしていけば、実現していく事になります。

まず、心・口・行。の一致は当然で、行じるだけでなく、更には、省み、生前からの過ちを直していき、それだけでなく、神様の・を入れていく事が求められます。

我、が出たり、我れ良しとなったり、行を止めたり、このような辺りが出ますと、神様の科学は出ないようになっていますし、実際私も、ここまで、その体験をしています。

どうすれば、良いのか。一つは慾が出ないようにする事も大切です。

一に一たす二ばかりとは限りません。
三になったり、一しかない事もあります。

それも、御自身の我次第、行次第、の所があります。

Ⅹ.身魂の掃除の程度で、仕組の進み方が違います

第十八帖
自分で自分のしてゐること判るまいがな、神がさしてゐるのざから、人間の頭では判らん、仕組通りに使はれて、身魂の掃除の程度に使はれて、使ひ分けられてゐるのぢゃぞ、早う人間心捨てて仕舞て神の申す通りに従ひて下されよ、それがお主の徳と申すものぢゃぞ、一家の為ぞ、国のためぞ、世界の民の為ざぞ、天地の御為ざぞ。

段階が進む程に、自分で自分のしてゐること判らないようになっています。
それは、神様がさしてゐるからです。

実際、此の仕組みは、人間の頭では判らんようにされています。仕組通りに使はれて、ミタマの掃除の程度に使はれて、使ひ分けられてゐるのです。

これは、行の進行、御自身の我の改心に応じて、次々、現れてきます。

早う人間心捨てて仕舞て、が一つ、此の道に進む鍵となっています。

そして、神様の申す通りに従ひて下さい。

これも、単発ではなく、何度も何度も複数重なってきますし、今を土台に立体に進み続けて行きますから、正直なところ、一言で言えるものでもないのです。

また、慢心、我良し、分け隔て。をしない、という意識であれば、人の我に向けて、逆に、馬鹿正直になんでも伝える訳にもいかなくなってきます。ですから、一部の方に向け、伝えていく流れとなってきています。今は、セッション時が中心です。

そして、行じ、省み、三年の種を蒔き、花を開かせてください。
段階が進む毎にビックリの規模も莫大な事にビックリしてきます。

この事を体験していきますと、御自身の徳、と申すもの。という事が判ってきます。
一家の為、国の為、世界の民の為、天地の御為、という事も判ってきます。

ⅩⅠ.節分までに、皆の守護神 同じ宮に祀りください

第十九帖
四十九、天明 神示(ふで)書かす御役ぞ。一二三(ひふみ)となる日近づいたぞ、節分迄に皆の守護神 同じ宮に祀りくれよ、まつりまつりてまつり合せ、和合して物事成就するのぞ。

四十九、天明 御神示(ふで)書かす御役です。
一二三(ひふみ)となる日、近づいてきています。

これは、まず七名の方に伝えていく行から大切です。

そして、節分迄に、皆の守護神 同じ宮に祀りて下さい。

まずは、簡単なところで言えば、お札で、神棚にまつりて下さい。
一番簡単な型出しです。今すぐにもできると言えばできます。
そして、それが、一番、行もしやすくなる、という事もあります。

そうしますと、その型が、普段の生活に移されていきます。
神々様が、周囲にヒトとして現れるようになっていきます。
いずれにしても、御自身の思い、行、が大切です。

更に、まつりまつりて、まつり合わせ、和合して、物事成就していきます。
これも、段階を追って、御自身の現在の状況に応じた世界へと移行します。

ⅩⅡ.節分からの誓言(ちかひ)変へさすようになる体験をします

第十九帖
節分からの誓言(ちかひ)変へさすぞ、大神様には御三体の大神様 御三体の大神様と七回くり返せよ、それでよいぞ、神々様には弥栄ましませと五回くり返せよ、霊(タマ)の宮には弥栄ましませと三回繰り返せよ、それでよいぞ、弥栄ざぞ。

節分からの誓言(ちかひ)変へさすような流れになります。

実際、自身の誓言(ちかひ)は、ここまで道中、何度か変わってきています。

更には、
大神様には、御三体の大神様、三体の大神様と七回くり返します。
神々様には弥栄ましませと五回くり返します。
霊(タマ)の宮には弥栄ましませと三回繰り返します。

これを、実現していく流れになります。
むしろ、していく段階が無い事には、此の道には、進めない、と見てゐます。
覚悟もそこまで決まらない為です。

礼拝も、覚悟が決まり、此の道に進む、強いキがあってこそ、このような事ができるようになります。

2.んめ(ウメ)の巻② これから実現していくもの その1 2024年5月29日現在

Ⅰ.万物の長とは神の臣民です(マンデラ文面です)

第十二帖
万物の長とは神の臣民の事であるぞ、世界の人民も皆万物の長であるが、この世の神は臣民ぢゃぞ、神に次いでの良き身魂(みたま)ぞ、臣民は地(くに)の日月の神様ざぞ。火の粉でやけどするなよ、気付けおくぞ。

世界の人民も、皆万物の長ですが、此の世の神様は、臣民なのです。

神様に次いで、良きミタマなのです。

臣民は、地(くに)の日月の神様なのです。

これらの文面は、新たに現れたと見てゐます。

火の粉でやけどしないようにして下さい。これは、書き換えの現象の一つで、火の災難がどうしても起こりやすくなりますので、日々、五柱の神様に祈り、回避し、気を付けて下さい。

Ⅱ.地(くに)の岩戸 臣民の手で開かねばなりません、マコト一つで開きます

第十三帖
天(あめ)の岩戸ばかりでないぞ、地(くに)の岩戸 臣民の手で開かなならんぞ、誠一つで開くのぢゃ、誠のタチカラオの神、誠のウズメの命殿、御用結構ぞ。

天(あめ)の岩戸ばかりではありません。
地(くに)の岩戸 臣民の手で開かねばなりません。

無から開くのです。
それは、誠(マコト)一つで開くのです。

誠のタチカラオの神様、誠のウズメの命殿、御用結構です。

Ⅲ.見事な世と致してお目にかけます、御神示読みて聞かせて下さい

第十三帖
今の臣民お日様明るいと思ふてゐるが、お日様、マコトの代のマコトのお日様どんなに明るいか見当とれまいがな。見て御座れ、見事な世と致してお目にかけるぞ、神示読みて聞かせてやれよ、

今の臣民 お日様明かるいと思ってゐますが、お日様、マコトの代のマコトのお日様どんなに明るいか見当取れない、とあります。

どれ位、明るいのでしょうね。
ただ、ここまで、私が体験、知ってきました、闇の世界が、晴れ渡るのであれば、それは、見事(三五十)な世(四)なのでしょう。見事は、三つの五十の神々様かもしれません。

顕界、幽界、神界の三つの神々様。
これらが、四の行、しきまきや、から、現れるのかもしれません。
想像付きませんが、ですが、何となく想像付きます(笑)。

それは、御神示読みて聞かせて下さい。

これは、人だけでなく、解る方々なら、人以外でも大丈夫です。
自然、動物、野菜。あらゆる所から聞かせて下さい。

理解が進む方から優先です。

理解しない方。聞かない方、は後廻しにして下さい。
それ程、もう時間は残されていません。

Ⅳ.飛びつく人民には、早う読み聞かすように、御神示より分けておいてください

第十三帖
嫌な顔する人民 後廻しぢゃ、飛び付く人民 縁あるのぢゃ、早う読み聞かす神示より分けておいて下されよ、間に合はんぞ、御無礼ない様に致し下されよ。

と書いていれば、その先には、同じような事が書いてありました。

嫌な顔する人民 後廻しです。
飛びつく人民こそ ご縁があります。

マコトの者、千人に一人です。この方と、もし出会えれば、優先して伝えて下さい。
九百九十九名の方、は、後廻しにして下さい。

早う読み聞かす。
これも、御神示より分けておいて下さい。

ただ、これも、行をしていけば、自然と、そのようになっていきます。
ブログより分けておいたり、セッションで分けておいたり、日常、三次元顕界から、分けておいたりします。

分けておかないと、間に合はんので、大神様、神々様、御無礼ない様に致して下さい。

行を毎日継続しない事が何よりの、御無礼である事は、ここまで読み、行じ続けている方には、もう、解っていると思います。

Ⅴ.日本人には、肉類禁物です

第十四帖
日本には五穀、海のもの、野のもの、山のもの、皆人民の食ひて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ、日本人には肉類禁物ぢゃぞ。

日本には、五穀、海のもの、野のもの、山のもの、皆、人民の食ひて生くべき物。
作らしてあるのです。

一言で言えば、菜食、が大切です。
今や、どの野菜でも、タンパク質豊富な食べ物と書き換わって(ひょっとして、これまでが騙され続けてきたのかもしれませんが)きていますから、無理なく、菜食を進めて下さい。

肉類は禁物です。

肉類を週七回食べている方は、まずは、週六回を目指して下さい。

牛豚、四つ足は徐々に無くして下さい。
また、牛豚よりは、鶏。鶏よりは、魚。といった感じで、徐々に、変えて下さい。

更に、行に応じてですが、牛豚よりは、鶏。鶏よりは魚。魚よりは、野菜。が美味しくなっていくでしょう。

私も元々は週七、肉を食べていた人でしたが、今や、野菜が一番美味しく感じるようになりました。この味覚変化は、自身でも不思議に思ってゐますが、それは、理解、と行に応じて、変わっていくのです。

Ⅵ.共喰いの世界が、必ず来るようです

第十四帖
今に食物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ、今度は共喰となるから、共喰ならんから、今から心鍛へて食物大切にせよ、食物おろがむ所へ食物集まるのぢゃぞ。ひたすらに神にすがりてお詑びせよ、それより他に今は道なし。

今に食物の騒動激しくなると申してあること忘れないようにして下さい。

今度は、共喰となるようです。

これが思念界止まりで治まればよいですが、何もかも、引き上げ状態。
食べ物枯渇状態になりますと、どうしても共喰いになります。

戦争が進んだ世。天変地異が進んだ世では、どうしても、共喰いになります。

ですから、今から心(九九六)鍛へて(キ十経て)、食べ物大切にして下さい。

食べ物おろがむ所に、食べ物集まります。

そして、この食べ物おろがみ、その行も、段階に応じて、変わっていきます。

今は、ひたすらに神様にすがりてお詫びする以外ありません。
それより他に、今は道は無いのです。

生前から、長い間、気付かずに騙されてきた、我れ良し、慢心、分け隔て。
その結果、知らず知らずの内に、蒔いていた罪、穢れ、過ち、に早く気付き、そして、多くの方々に、気付かせられるように、行を進めて行って下さい。

思念界に留まるようになる事を祈ります。

Ⅶ.外国を二本の地面にして下さい

第十四帖
外国を日本の地面にせなならん、日本とにほんと取違ひすな。何事も神第一ぞ、神よそになすこと云ふことスコタンばかりぢゃ。

外国を二本の地面にせななりません。地面と言う読み方は、マンデラ。と見てゐます。

日本というよりは、にほん(二、ホ、ン)、でしょう。
ですから、取違ひすな。と伝えられています。

ニ、ホ、ん、ですので、二つの元から産み出すのです。天地でしょうか。
ですが、今、外国もかなり書き換わってきていますし、実際、思念界の行からは、海外の方が大きな書き換えが起こりやすくもありそうです。

何事(七二五十)も神様、が第一です。

神様、よそになすこと云ふこと、スコタンばかりなのは、我、で進み、御神示を読んで行じて省みる事で、ようやく判ってきますが、いらぬ苦労はせぬが一番ですので、是非とも、一刻も早く、囚われを無くし、神様の申す通り、行を進めて下さい。

Ⅷ.分け隔てあると思ふは、まだ我が心に分け隔てあります

第十四帖
分け隔てあると思ふは我が心に分け隔てあるからぢゃぞ、世界中のそれぞれの国、皆、氏神様、産土様、愈々天の命令通りにかかり下されよ、もう待たれん事に時節参りて居るぞ、

分け隔てある、と思ふは、まだ、我が心に分け隔てあるからです。

一旦距離を置く、というのも、当初は仕方ないとはいえ、実は、広くは、分け隔て、と見てゐます。
ですから、分け隔て、を無くす行とは、結構な行なのです。
簡単ではありませんし、時間もかかります。

ですが、徐々に、分け隔てが周囲から無くなってきてゐれば、順調です。

世界中のそれぞれの国、皆、氏神様(御神示では、マンデラ後初登場です)、産土様、愈々天の命令通りにかかり下されよ。とあります。

ですが、広くは、私もそうかもしれません。
愈々、食の行にとりかかりつつあります。

もう待たれん事に、時節参りて居る事。
忘れてはなりません。

3.んめ(ウメ)の巻② これから実現していくもの その2 2024年5月29日現在

Ⅰ.神代となりましたら、天地近うなります。天も地も一つとなります

第十六帖
神代になりたら天地近うなるぞ、天も地も一つになるのざぞ、今の人民には分るまいなれど、神も人も一つ、上も下も一つとなって自づから区別出来て一列一平上下出来るのぢゃ。

神代となりましたら、天地近うなります。
天も地も一つになります。

今の人民には、解りませんが、神様も、人も一つ、上も下も一つとなって、自づから、区別出来て、一列一平上下できるのです。

想像付きませんが、そういった段階がやがて来るようです。

Ⅱ.この世は、ほっておいても自然に動いていくもの、と上に立つ逃げている守護神では、まつりごとはできません

第十六帖
●この世はほって置いても自然にどうにか動いて行くものざと上に立つ守護神逃げて居るが、そんな事で祭事(まつりごと)出来ると思ふてか、自然には動かんのぞ、

此の世はほって置いても、自然にどうにか動いて行くものざ、と上に立つ守護神逃げているのですが、そんな事では、まつりごと、出来ると思ふてか。と伝えられています。

確かに上に立つ守護神。
逃げて居る方、多いかもしれません。
三次元基軸の我の方は、殆どがそうでしょう。

ですが、自然には動かないのです。

キ、から、行、から。心・口・行の一致から。
更に、神様の・を入れていかないと、動かないようになっています。

それには、行の継続から、省みる事が求められます。
更に、五人分以上の行を継続し、やがて、千人力に近づけていく事が求められます。

Ⅲ.その奥の奥の奥の々々 々々 々々 々々 のキのイキから動いてゐることは、行じ、体験、理解しないと判りません

第十六帖
●その奥の奥の奥の 々々 々々 々々 々々 のキのイキから動いてゐること判るまい、人民の思ふてゐることは天地の違ひざぞ、・の中に又〇がありその〇に⦿があり 々々 々々 々々 々々 々々 限り無いのざぞ。

そ(五三体の大神様)の奥の奥の奥の 々々 々々 々々 々々 のキのイキから動いてゐること判るまい、と伝えられています。

ですが、これは、神学、此の道を行じ、体験理解していく以外判らないようになっています。

産み出した後の世界から、その先から、今現在に向け、引っ張られてきた事は、行じていく事から、体験によって判って来るのです。

新たに産み出した世界。それは、太古からあった、神様の・であった事。も判ってきますが、自ら、我、から、我良しから、それを拒否してきた事も、行じて行くことで判ってきます。

その・の中に又〇があり、その〇に⦿があり、その⦿に・があり・・・。
限り無く続いて行くのです。

そして、・と〇の和合の⦿を無限に生み出して行く事が求められます。

人民の思ふてゐることは、天地の違ひです。人民は、どうしても、平面で解釈しようとしてしまいがちです。

Ⅳ.我、折りても、分からん事は、神の申す事を聞いて下さい。分からんでも、聞いて下さい

第十六帖
人民の研究もよいなれど研究は神ぞ、道にひたすら仕へまつれよ、おろがめよ、研究では誠のことは分らんのぢゃ、我折りて判らんことは神の申すこと聞くのぢゃ、分らんでも聞いて下されよ、悪い様には致さんぞ。

人民の研究もよいですが、研究は神様です。

神様、の研究も面白いです。
研究が進めば判ってきますが、人学では限界がある。という事があらゆる所から判ってきます。

ですから、道にひたすら仕へまつれよ、おろがめよ、と仰っているのです。

研究では、誠のことは分からないようになっています。

我、折りて、判らんこともありますが、その場合は、神の申す事を聞いて下さい。分からんでも聞いて下さい。
悪い様には致さん、とあります。

Ⅴ.我捨てておろがめば、神のキ通じて何でも分かりますが、我捨てるのが中々です

第十六帖
まつりまつりとくどう申してあらう、我捨てておろがめば神のキ通じて何でも分って来るのぢゃぞ。

まつり、まつり、とくどう申されています。

我、捨てておろがめば、神のキ通じて、何でも分かってきます。

ですが、我、捨てるのが中々大変です。

確かに、金、学、二大囚われですが、これらを無くして、生きるのは中々困難ですが、一方で、その囚われから捨て、我、捨てておろがむ事が求められます。

それは、御神示無しでは、進む事ができなくなっています。

Ⅵ.少しは、御神示判って居らんと恥づかしい事、なさけない事出来てきます

第十七帖
今の人民 少しは神示判って居らんと恥づかしい事出来て来るぞ、なさけない事出来てくるぞ、くやしさ目の前ぞ。

御神示無しで進む方が居ます。

ですが、御神示無しですと、どうしても、我、で進みます。
すると、恥づかしい事、なさけない事、が出来てきます。更にはくやしさ、となります。

我、で進んでいた自身の過去からも、実際、この苦しみは、体験した人しか判らない所もあるのですが、だからこそ、素直に、御神示の通り進む事が求められるのです。

行き詰ったら、その先の答えは、御神示にありますので、分からなくなれば、御神示を読んで下さい。

Ⅶ.お手伝いが弥栄のマコトの元の生神様によって、仕上げ見事成就します

第十七帖
次の世がミロクの世、天の御先祖様なり、地の世界は大国常立の大神様 御先祖様なり、天の御先祖様 此の世の始まりなり、お手伝いが弥栄のマコトの元の生神様なり、仕上げ見事成就致さすぞ、御安心致されよ。

次の世がミロクの世、天の御先祖様が成るようです。

地の世界は、大国常立の大神様 がご先祖様となるようです。

天の御先祖様 此の世の始まりのようです。
そのお手伝いが弥栄のマコトの元の生き神様のようです。

マコトの元の生き神様、仕上げ見事成就するようです。

ご安心致されよ。という文面も僅かですが、見られるようになってきています。
ですが、行を進めていく以外、そのような事が起こらない事も忘れてはなりません。

Ⅷ.天も晴れ、地も輝き、三千世界一度に開く光の御代となります、何もかも引寄せます

第十七帖
天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一つとなってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽(さや)け、あなすがすがし、あな面白や、いよいよ何も彼も引寄せるから その覚悟よいか、覚悟せよ、あな爽け、あなすがすがし、四十七と四十八と四十九ぢゃ。

天も晴れます、地も輝きます。
天地一つとなって、マコトの天となりなり、マコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代、楽しくなるようです。

あなさやけ、あなすがすがし、あな面白や、いよいよ何も彼も引き寄せますので、その覚悟して下さい。

実際、あなさやけ、あなすがすがし、あな面白や、全て経験していきます。
その小さな型を少しずつ、体験していっているのであれば、順調です。

あなさやけ、あなすがすがし、四十七と四十八と四十九です。
ひふみ、いろは、七七四十九の仕組と見てゐます。

これも、行じていきますと、実現していきますので、楽しみにして下さい。

Ⅸ.今迄になかったこと今度します。今度の岩戸はあけっぱなしとなります

第十八帖
今迄になかったこと今度はするのぢゃから合点出来んも道理ぢゃ道理ぢゃ、始めは戦(たたかい)で、争(いくさ)で世の建替する積りであったが、あまりに曇りひどいから、イクサばかりでは、すみずみまでは掃除出来んから、世界の家々の隅まで掃除するのぢゃから、その掃除中々ぢゃから、戦(イクサ)許りでないぞ、家の中キチンと食物大切がカイの御用と申してあろがな、今度の岩戸は、あけっぱなしぢゃ、褌いらんと申してあろう。

今迄になかったこと、今度はしますので、合点出来ないのも道理です。
実際、この直近で起こってゐます、ビックリは予想できなかったものばかりです。

始めは戦(たたかい)で、争(いくさ)で、世の建替する積もりでしたが、あまりに曇りひどいから、イクサ(一九三)ばかりでは、すみずみまで掃除できませんから、世界の家々の隅まで掃除するのですから、その掃除中々ですから、戦(イクサ)ばかりではありません。

家の中、キチンと食物大切にして下さい。
それが、カイの御用です。

普段の食事からが大切です。

今度の岩戸はあけっぱなしです。
フンドシいりません。

Ⅹ.まつる心なき者 マコト判りません

第十九帖
まつる心なき者 誠ないぞ、マコト判らんぞ。靖国のミタマもそれ迄に奥山に祀りくれよ、まつり替へてやりてくれよ。世界の神々様、守護神様、人民のみたま、祀りくれよ、まつり結構ぞ。

まつる心なき者 誠ありません。
マコト判らないようになっています。

まつる心が常に必要なのです。

靖国のミタマもそれ迄に奥山に祀り下さい。
まつり替へてやりて下さい。

これは、生前から、まつり替へていけばよいと思います。
恐らくながら、靖国のミタマ、奥山に祀りくれよ、とありますから、書き換えを先にしていくのではないでしょうか。

第二次世界大戦が無かった事に。そのように行を進めていく。
その可能性が高いと見てゐます。

ですから、世界の神々様、守護神様、人民のみたま、祀りくれよ、と伝えられています。
まつり、結構です。

どこからでもよいので、できるところより、まつりて下さい。

4.んめ(ウメ)の巻② 今実現したら困る物、手遅れになるもの 2024年5月29日現在

Ⅰ.元の生神様、御一方、御力出しなされたら、手も足も出んことになります

第十二帖
世に出てゐる守護神のする事知れてゐるぞ。元の生神様 御一方(おんひとかた)御力出しなされたら手も足も出んことになるのぢゃ、神力と学力とのいよいよの力くらべぢゃ、

世に出てゐる守護神様のする事は、知れてゐます。

基本的には、平面世界での理解、出来事までになりがち、の為です。

元の生き神様は、 御一方(おんひとかた)御力出しなされますと、手も足も出なくなります。

マンデラ・エフェクト、神学、だからです。

神力と、学力とのいよいよの力くらべですが、もう、此の道に進み始め、行を三年も経過しますと、神力、がどのようなものか、愈々体験していますから、覚悟はできていますし、どのようにすればよいかは、御神示に書いてあります。

そして、行に応じて、その方から現れる事を忘れてはなりません。

Ⅱ.元の生き神様の御息吹き、どんなにお力あるものか、今度は目にもの見せねばならんことになります

第十二帖
元の生神様の御息吹きどんなにお力あるものか、今度は目にもの見せねばならんことになったぞ、肉体ばかりか、魂までのうにならふやも知れんぞ、震へ上がるぞ。理が神ぞ。理が神の御用ざと申してあろがな。

元の生神様の御息吹き、どんなにお力あるものか、今度は目にもの見せねばならんことになっています。

肉体ばかりか、魂までのうにならふやも知れんぞ。
震へ上がるぞ。とあります。

それは、大体判ってきています。それぞれ、別の時空間に行くのです。
その結果、肉体なくなる世界。魂までのうになる世界。81の世界は判りやすいでしょう。

それが、無くなった訳ではなく、その世界を、御自身の中で、のう、にしていく事が求められるのです。ですから、助けていった方々から、助かるのですね。神様が助けるのではなく、神様として行じ方が助かるのです。くどいようですが、この事は忘れてはなりません。

ですから、理(みち)が神様、という事が判ってきます。
日々、産み出される、その日その日の一切が神様であり、御神示を生活に移せば、そのまま、生活が御神示となっていくのです。

ですから、理(みち)が神様の御用、と申されています。

Ⅲ.所々の氏神様、今迄の様な氏子の扱ひでは立ちて行きません

第十五帖
この儘では世持ちて行かんと云ふこと判って居らうが、所々の氏神様、今迄の様な氏子の扱ひでは立ちて行かんぞ、天の規則通りにやり方変へて下されよ、間に合はんことあるぞ。

このままでは、四持ちて行かん、と云ふこと判っていると思います。
世が持たない、というだけでなく、四の行、しない方ばかり、という事も判っているでしょう。

所々の氏神様、今迄の様な氏子の扱ひでは立ちいかなくなっています。
これも、マンデラ文面と見てゐますが、ですが、もう、今迄のような氏子の扱ひでは、立ちていかない、とはっきり伝えられています。

天の規則通りにやり方変へて下さい。

その時になってからでは、間に合はんことあるのです。

まとめ んめ(ウメ)の巻②

実現したものでは、

これまで、五度の岩戸閉めがあった事。
それを元に戻す為に、中つ枝からの神々様には判らない事。

御神示肚に入れておれば、御神示通りの事を次々体験していきますので、心配がない事。

遊ぶ時には、遊ぶのが、嬉し、嬉しとなる事。

ダマシタ岩戸開きは、ダマシタ神様がお出ましになる事。

泥水を泥水と知らずに喜ぶ方が殆どであり、誰もが通る道である事。

学は、元の血を乱す様に仕組てあるので、騙されないように気を付ける事が大切である事。

神様の科学でないと何も成就しない事。

身魂の掃除の程度で、仕組の進み方が違う事。

節分までに、皆の守護神 同じ宮に祀るようになる事。

此の道進めば、節分からの誓言(ちかひ)変へさすようになる体験をする事。

これから実現していく事では、

万物の長とは、神の臣民である事。

地(くに)の岩戸 臣民の手で開いていく事。

見事な世と致してお目にかける事。

飛びつく人民には、早う読み聞かす様に御神示より分けて伝えるタイミングが来る事。

日本人には肉類禁物である事。

やがて、食べ物の騒動激しくなり、共喰いの世界が必ず来る事。
(思念界で留めたいところです)

外国を二本の地面としていく事。
(既になっているところもあります)

分け隔てあると思ふは、まだ我の心に、分け隔てがある、という事。

神世となれば、天地一つとなり、天地が近くなる事。

此の世は、ほっておいても動くものではなく、自然には動かないものである事。

その奥の奥の奥の々々 々々 々々 々々 のキのイキから動いてゐることは、行じ、体験、理解しないと判らない事。

我、折りても、分からん事は、神の申す事を聞き、分からんでも、聞く事が大切である事。

我捨てておろがめば、神のキ通じて何でも分かりますが、我捨てるのが中々である事。

少しは、御神示判って居らんと恥づかしい事、なさけない事出来てくる事。

お手伝いが弥栄のマコトの元の生神様によって、仕上げ見事成就する事。

天も晴れ、地も輝き、三千世界一度に開く光の御代となり、何もかも引寄せる事。

今迄になかったこと今度し、今度の岩戸はあけっぱなしとなる事。

まつる心なき者 マコト判らないようになっている事。

今実現したら困る物、手遅れになるものでは、

元の生神様、御一方、御力出しなされたら、手も足も出んことになる事。

元の生き神様の御息吹き、どんなにお力あるものか、今度は目にもの見せねばならんことになり、それは、ふるえあがる事。

所々の氏神様、今迄の様な氏子の扱ひでは立ちて行かなくなる事。

といった事がありました。

希望的文面も増えている一方で、絶望的文面も相変わらず残っており、時間が無い。もう愈々、に入る事。も合わせて伝えられています。

できる所より、行を進めていき、型出しは必ず毎日継続していって下さい。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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