アメの巻以降を、巻単位で取り上げるのは、ブログでは、この1年間近くありませんでした。
ですが、その間に、アメの巻以降、驚く程の、マンデラ・エフェクトを起こしています。
2024年3月、4月、愈々が始まると見てゐますが、それに合わせて、御神示も大きく内容が変わってきています。
アメの巻は、長文化のマンデラ・エフェクトを2022年後半からずっと継続していますが、更に長文化したように思えます。(笑)
今回は、アメの巻を4回に分けてお伝えする予定です。
(十七帖ある内、今回は、僅か六帖だけですが、結構長いです。)
それでは、順番にお伝えしますね。
- 1.アメの巻① 実現したもの 2024年3月8日現在
- Ⅰ.十二の巻 説いて知らして下さい。マンデラ・エフェクトが起こります。素直に致すのが一番です
- Ⅱ.惟神の道、神道、日本の道は、ここまで、神無くしてきています
- Ⅲ.人民は、神々様を此の世から追い出し、悪神様の言ふこと聞く人民ばかりとなりてゐたのです
- Ⅳ.人民は、鳥居、十字架により、神々様をしめ込んで、この世から追い出してきたのです
- Ⅴ.上中下、三段に分けてある違ふ血統、段々に現れるようになります。びっくり箱あきます
- Ⅵ.何事も、我がしてゐるなら(産み出しているなら)、自由になります
- Ⅶ.天の五三体の大神様、ち、のおつちの先祖様の、今度のお建替は、判ってゐても中々判らないです
- Ⅷ.めんめ、の改め方について
- Ⅸ.御神示読めば、どうしたら、草木動物が喜ぶか判るようになります
- Ⅹ.生物、何んで息してゐるか、その理由は、二二の仕組み、しきまきや、より、新しい世界を産み出す為です
- 2.アメの巻① これから実現していくもの その1 2024年3月8日現在
- Ⅰ.「イスラ」の十二の流れの源泉、判る時来ています
- Ⅱ.金、学、智、で大峠は越せません。知らず知らずに邪魔している事に気付き、改心が求められます
- Ⅲ.いつも神かかれる様に、かかっていられるようでなくてはなりません
- Ⅳ.悪と善と取り違へてゐる人民、守護神、神々様、救ふのは、なかなかの行です
- Ⅴ.人の身(み)神に捧げますと、神の御身(みみ)となります
- Ⅵ.此の道は、先に行く程、広く豊かに光り輝き、嬉し嬉しの誠の惟神の道となります
- Ⅶ.⦿の九二、真中に神国となります。行をした方からそうなっていきます
- Ⅷ.此(九)の先は、御神示に出した事用いませんと、我の考へでは何事も一切成就しません
- Ⅸ.世界の臣民、皆、手引き合って行く時来ています。それは、世界の全ての人々を助ける行をしていく事にあります
- Ⅹ.元のキの神の子と、渡りて来た神の子と、渡りて来る神の子と三つ揃うようになってきます。アとヤとワ、です
- 3.アメの巻① これから実現していくもの その2 2024年3月8日現在
- 4.アメの巻① 今実現したら困る物、手遅れになるもの 2024年3月8日現在
- アメの巻① まとめ
1.アメの巻① 実現したもの 2024年3月8日現在
Ⅰ.十二の巻 説いて知らして下さい。マンデラ・エフェクトが起こります。素直に致すのが一番です
第一帖 (三三五)
●十二の巻 説いて知らすのであるぞ、此の巻アメの巻と申せよ、此の度は昔から無かりた事致すのであるから人民には判らん事であるから素直に致すが一等ざぞ、
十二の巻、丁度、御神示の一巻~十二巻、まで、ここまでこの1年間、説いて知らせる行をしてきました。
ただ、これも、理解に終わりが無い為に、永劫に続ける事も可能です。
また、新たなマンデラ・エフェクトも起こりますし、そういった意味では、終わってゐないとも言えます。
まずは、できる限り、十二の巻を説いて知らせて下さい。
その上で、新たな御神示が生まれます。
此(九)の巻はアメの巻、です。それは、しきまきや(四の行)と合わせて、十三巻となったのです。
この度は、昔から無かった事致しますので、人民には、判らん事になる、と伝えられています。
ですから、素直に行を致すのが一等です。
Ⅱ.惟神の道、神道、日本の道は、ここまで、神無くしてきています
第一帖 (三三五)
●惟神(かんながら)の道とか神道とか日本の道とか今の臣民申してゐるが、それが一等の間違ひざぞと申してあろが、惟神(かんながら)とは神人共に融け合った姿ざぞ。今の臣民 神無くして居るではないか、それで惟神も神道もないぞ、心大きく、深く、広く持ちて下されよ、愈々となるまでは落しておくから見当とれんから、よくこの神示読んでおいて下されよ。
惟神の道、神道、日本の道、と今の臣民申してゐますが、それが一等の間違い、と伝えられています。
惟神の道とは、カミヒト共に、融け合った姿なのです。
今の臣民、神(火水)(十)無くしているのです。
それで、惟神も神道も無いのです。
四の行(しきまきや)、九の行(くにつつみ)、から新たな世界を産み出す事を忘れてきたのです。
心大きく、深く、広く持ちて下さい。
愈々となるまでには、落としておく状態になります。
これも、経験していく事になります。(今の私もその部分があります)
そして、見当は取れません。
ですが、この道に進んでいる人は、経験と共に、一段一段進んでいますから、心配なく進んで行けます。
当初こそ疑いはありますが、此の道一本に絞って、三年の行を継続していけば、改心を進めれば、肚から、見えない神様に向けても確信を抱いて進めるようになっていきます。
よく(四九)この神示読んでおいて下されよ(三〇四)。として下さい。
Ⅲ.人民は、神々様を此の世から追い出し、悪神様の言ふこと聞く人民ばかりとなりてゐたのです
第二帖 (三三六)
●天の大神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、そこで神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのであるぞ。
天の大神様は、慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れないです。
ずっと、ここまでの人々の悪業をじっと我慢し、最低限の問題で済ませて頂ゐているのです。
地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、とあります。
特に世(四)の元の生き神様と和合していますと、マンデラ・エフェクトを無限に起こして行きそうです。
また、スサナルの大神様のお力は、地の大神様ともご縁が深そうです。
この無限の力をお持ちの大神様は、人の我、では、支配しようとしても、できなかったのです。
ですが、人は、人の我を第一とするようになった為、力のある神々様を此(九)の世(四)から追い出して、悪神様の云ふこと聞く人民ばかり、となったのです。
Ⅳ.人民は、鳥居、十字架により、神々様をしめ込んで、この世から追い出してきたのです
第二帖 (三三六)
●七五三(しめ)は神々様をしめ込んで出さぬ為のものと申してある事これで判るであろがな、鳥居は釘付けの形であるぞ、基督(キリスト)の十字架も同様ぞ、基督信者よ改心致されよ、基督を十字架に釘付けしたのは、そなた達であるぞ、懺悔せよ、〇とは外国の事ぞ、⦿が神国の旗印ぞ、神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ。
この為に、七五三(しめ)は、神々様をしめ込んで、出さぬ為のもの、だったのです。
鳥居は釘付けの形です。
キリストの十字架も同じです。
ですから、キリスト教信者、改心して下さい。とお伝えされています。
それは、生前からのカルマ、何千年、何万転生のカルマなのです。
これは、何も、神道、キリスト教に限らず、仏教、あらゆる教でしてきましたし、生前でしなかった方はいません。
周囲にある、という事は、御自身も生前で関係してきたのです。
〇とは外国の事です。ずっと、〇のままだった為に苦しんできたのです。
⦿が神国の旗印です。神国と外国とのわけへだてが、誤っていると伝えられています。
Ⅴ.上中下、三段に分けてある違ふ血統、段々に現れるようになります。びっくり箱あきます
第二帖 (三三六)
●大き心持てよ、かがみ掃除せよ、上中下三段に分けてある違ふ血統(ちすじ)を段々に現すぞよ、びっくり箱あくぞ、八九の次は十であるぞよ。何事もウラハラと申してあろが、ひとがひとがと思ってゐた事 我の事でありたであろがな、よく神示読んでおらんと、キリキリ舞ひせんならんぞ、日本が日本がと思って居た事 外国でありた事もあるであろがな、上下ひっくり返るのざぞ、判りたか。
大きい心を持ってください。
かがみ(火我身)、を掃除して下さい。
上中下、三段に分けてある違ふ血統(ちすじ)を段々に現わすようになります。
これは、行を進めていきますと判ってきます。
周囲の世界、ありとあらゆるところで、上中下、として現れ始めます。
そして、びっくり箱も、段階が進むにつれ現れ始めます。
また、自分でも驚くようなびっくり、ができるようになります。
八九、の次は+、です。十ではなく、+、と書かれています。
一旦+、の世界後、-、とし、合わせて+、カミヒト、となる、と伝えられています。
どちらも重要な世界です。
ですから、何事もウラハラ、です。
ひとがひとが、と思ってゐた事、我の事、であった事が判ります。
周囲に、現れる人とは、生前の御自身であった事もよく判ってきます。
よく(四九)御神示読んでいませんと、キリキリ舞ひする事になります。
そして、四九が、慾のままですと、悪しきキリキリ舞ひとなりますし、良く(四九)ですと、良きキリキリ(キ理キ理)舞ひ、となります。
日本が日本であったと思っても、外国の事であった事。たくさんあった事も判ります。
このようにして、上下、ひっくり返ります。
Ⅵ.何事も、我がしてゐるなら(産み出しているなら)、自由になります
第三帖 (三三七)
●改心すれば・(たま)の入れかへ致して其の場からよき方に廻してやるぞ、何事も我がしてゐるなら自由になるのであるぞ。我の自由にならんのはさせられてゐるからざぞ、此の位の事判らんで神の臣民と申されんぞ、国々所々に宮柱太敷キ立てよ、たかしれよ。
改心すれば、たまの入れかへ致して、その場からよき方に廻して頂けます。
何事(七二五十)も我がしてゐる(ゐの流れ、産み出す)なら、自由になるのです。
我の自由にならんのは、させられてゐるからです。
我の慢心、鼻高、から平面世界へと苦しめる、我、のままだからです。
それは、我れ良しが原因です。
此のくらいの事判らんで、神の臣民とは申されん、と伝えられています。
国々、所々で、宮(三八)柱、太敷キ(二十四キ)、立てて下さい。
三が道から、神々様を産み、カルマ解消を進めて下さい。
二人で、二二の仕組み、しきまきや、の行を進めて下さい。
たかしれよ(十、六七、四、〇、四)とあります。
神々様、から、無、もう一段上の無、しきまきや、から産み出し続けて下さい。
Ⅶ.天の五三体の大神様、ち、のおつちの先祖様の、今度のお建替は、判ってゐても中々判らないです
第四帖 (三三八)
●天の御三体の大神様と ちのおつちの先祖様でないと今度の根本のお建替出来んのざぞ、判りても中々判らんであろがな。洗濯足らんのであるぞ。
天の御三体の大神様と、無の入った、ち(千、智、地)、のおつちの先祖様でないと、今度の根本のお建替出来ないのです。
判りても、中々判らんであろがな。は、その通りだと思います。
ですが、・の五三体の大神様、千人力、の千ゾ(裏の五三体の大神様)様、で産み出す事は判ってきています。
その産み出す境地は、これも、行を継続していかないと分からないようになっています。
三年経過してきますと、ビックリが普通に起こり、それを普通に行じていくようになります。そして、想定が外れ、想定外のより良いシナリオが生まれて来るようになっています。
その判る程度は、その人の行に応じるのです。
判らない程に、洗濯が足りていない、という事になります。
Ⅷ.めんめ、の改め方について
第四帖 (三三八)
●今度はめんめにめんめの心改めて下されよ、神は改めてあるが、神から改めさすのでは人民可哀想なから めんめめんめで改めて下されよ、改まっただけ おかげあるのざぞ。
今度は、めんめにめんめの心を改めて下さい。
めんめとは、(七四、ん、七四)(六六、無、六六)(九二、九十、九二)と表す事ができます。
順に、あいう、ひふみ、いろは、です。
あいう、の段階では、もう一段上の無、と、しきまきや、の段階。
ひふみ、の段階では、無の二二の仕組みから、無、を経て、無の二二の仕組みと進む、段階。
いろは、では、九の二二の仕組みから、九十、を経て、また、九の二二の仕組み、としていく事にあります。
行を進め、めんめにめんめで、心改めて下さい。
ある段階より上の神々様は、改めているのですが、神から改めさす、とすれば、人民可哀想ですから、それは、81の世界へ行く可能性から高いのですから、めんめにめんめで改めて下されよ。と仰っています。
改まっただけにおかげがあります。
Ⅸ.御神示読めば、どうしたら、草木動物が喜ぶか判るようになります
第四帖 (三三八)
●今度の岩戸開いたら末代の事ざぞ、天地の違ひに何事も違ふのざぞ。信者引張りに行って呉れるなよ、神が引き寄せるから、役員の所へも引き寄せるから、訪ねて来た人民に親切尽くして喜ばしてやれと申してあろが、人民喜べば神嬉しきぞと申してあろが、草木喜ばしてやれよ、神示よく読めばどうしたら草木動物喜ぶかと云ふことも知らしてあるのざぞ、今迄の心 大河に流してしまへば何もかもよく判って嬉し嬉しとなるのざぞ、
今度の岩戸開いたら、末代の事です。
天地の違ひ、に限らず、何事も違ふのです。
平面好きなら、平面好きの世界行きますが、立体に入る体験を自らできるようになっていれば、立体から産み出す世界を、喜んで進むようになっていきます。
信者引っ張らなくて大丈夫です。
神様が引寄せて呉れます。
役員の所へも引寄せるのです。御自身の周囲七名の更に周囲七名、を引き寄せます。
訪ねて来た人民には、親切尽くして、喜ばせて下さい。
この行もできていない方、結構多いです。訪ねて来る、という事は、今現在、御自身に求められているという事ですし、解決の道が存在しているからこそ、訪ねて来るのです。(無理なら、距離を一旦取ってください)
人民喜ぶ事は、神嬉しき、なのです。
草木(九三キ)喜ばして下さい。苦を理解し、三が道を産み出す、キ、で進んで下さい。
御神示よく(四九)読めば、どうしたら、草木動物喜ぶか、と云ふ事も判ってきます。それは、思念界から変えて行く行をすればよいのです。
草木、動物も生前では、人間だった時があり、その世界から助けて行く事で、草木、動物、皆、喜ぶ存在となっていきます。
後は、並行して、食べられて喜ぶ存在ばかり食べ続けて行けばよいのです。つまり菜食、ですが、これも、菜食を進めていく事で、無理なく、その菜食ができる世界へと移行したりしていきます。(ただ、菜食移行については、無理なく段階を追って進めて下さい)
確かに、今迄の心 大河(大我)に流し(七、我、四)てしまへば何もかもよく判って嬉し嬉しとなるのです。
Ⅹ.生物、何んで息してゐるか、その理由は、二二の仕組み、しきまきや、より、新しい世界を産み出す為です
第四帖 (三三八)
●実地のことは実地の誠の生神でないと出来はせんぞ、臣民はお手伝ひぞ、雨風さへどうにもならんであろうが、生物 何んで息してゐるか、それさへ判らいで居て何でも判ってゐると思ってゐるが鼻高ぞと申すのざ、今の内に改心すれば名は現はさずに許してよき方に廻してやるぞ、早う心改めよ。
実地の事は、実地の誠の生神様でないと出来ないようになっています。
臣民は、お手伝い、です。千人力を味方に付けるべく、五人分の行を着実に進めて下さい。
雨風さへどうにもならん事も判ってきます。
それは、千人力に進む事がまず求められます。
生き物、何んで息(二二、四二)してゐるか、それさへ判らないで居て、何でも判ってゐると思ってゐるのであれば、それは鼻高なのですが、イキをしている理由とは、基本的には、二二の仕組み、しきまきや、から、新たな世界を産み出す為なのです。
これは、行を進め、改心をしていく事で判ってきます。
今の内に改心しますと、名は現はさずに、許してよき方に廻して頂けます。
ですから、早う改心、とお伝えされているのです。
2.アメの巻① これから実現していくもの その1 2024年3月8日現在
Ⅰ.「イスラ」の十二の流れの源泉、判る時来ています
第一帖 (三三五)
●世界ぢゅうに面目ない事ないよにせよと申してあろが。足元から鳥立ちてまだ目覚めんのか、神示(ふで)裏の裏までよく読めと申してあろがな。此の道は只の神信心とは根本から違ふと申してあろが、三千世界の大道ざぞ。所の洗濯と身魂の洗濯と一度になる所あるぞ、「イスラ」の十二の流れの源泉(みなもと)判る時来たぞ。
世界中、面目ない事ないようにせよ、と申していますが、足元から、鳥(十理)立ちて、まだ目覚めんのか、と伝えられています。
御神示(ふで)を裏の裏までよく(四九)読め、と申されています。
それは、四の行、九の行を進めていけば判ります。
此(九)の道は只の神信心とは、根本から違います。
三千世界の大道です。三つの世界を千人力で世界を変えていくのです。
この後、所の洗濯と、身魂の洗濯と一度になる処があります。
イスラ(イスラム教含む)、の十二の流れの源、判る時が来ています。
イスラは五十柱の意味もありますし、元々は、高次、シューメルの教えも含め、様々の意味がありますが、ですが、それが様々な所で、判る時が来ています。
Ⅱ.金、学、智、で大峠は越せません。知らず知らずに邪魔している事に気付き、改心が求められます
第一帖 (三三五)
●命がけで御用つとめてゐると思ふて邪魔ばかり致しておろがな、金や学や智では大峠越せんぞ。神はせよと申すことするなと申すこともあるのぞ、裏の裏とはその事ぞ、よく心得て下さりて取違ひいたすでないぞ。
命がけで、御用つとめてゐると思ふて、邪魔ばかりしているのは、行じて行きますと判ってきます。
金や、学、智、に頼っている段階では、大峠は越せません。
そして、案外、金、学、智、に囚われている事も珍しくないのです。
また、神はせよ(急せよ)と申す事も、段階、場合によっては、するな、と申すこともあります。
裏の裏とは、その事です。
今は、してはならない、という事もあるのです。
ですが、段階、順番に応じて、する時がやがて来ます。
よく(四九)心得て下さりて、取違ひいたさないようにして下さい。
結果が重要ではなく、産み出し、あらゆる世界との和合が大切です。
この文面は、段階に応じて、様々な捉え方ができます。
私も、まだ道半ば、に感じています。
Ⅲ.いつも神かかれる様に、かかっていられるようでなくてはなりません
第一帖 (三三五)
●手のひら返すぞ返さすぞ、此の度の岩戸開きは人民使ふて人民助けるなり、人民は神のいれものとなって働くなり、それが御用であるぞ、いつでも神かかれる様に、いつも神かかっていられるようでなくてはならんのざぞ。神の仕組 愈々となったぞ。
手のひら返す、返さす、と伝えられています。
此の度の岩戸開は、人民使ふて、人民を助けて行く行です。
人民は、神のいれものとなって働き、成る行を求められます。
それが御用です。
ですから、いつでも神かかれる様に、いつも神かかっていられるようでなくてはならないのです。
神の仕組みが愈々近づいてきています。
Ⅳ.悪と善と取り違へてゐる人民、守護神、神々様、救ふのは、なかなかの行です
第二帖 (三三六)
●餓鬼までも救はなならんのであるが、餓鬼は食物やれば救はれるが、悪と善と取違へてゐる人民、守護神、神々様 救ふのはなかなかであるぞ、悪を善と取違へ、天を地と信じてゐる臣民人民なかなかに改心六ヶ敷いぞ。
今回は、餓鬼までも救はなならんのですが、餓鬼は食べ物やれば救はれる、とありますが、ここまででも、実際の所、大変な行、と見てゐます。
それ以上に難しいのが、悪と善と取り違へてゐる人民、守護神、神々様、救ふ、事です。
その行は、なかなか、です。
悪を善と取り違へている方々、とても多いですし、そして、最後まで、中々、この境地を取り違えず、終えるのも、難しいです。
実は、直近で、私も、この点で浄化される事がありました。
事実、結果。そこが重要ではなく、あらゆる世界と和合する事が大切なのです。
天を智と信じてゐる臣民人民の改心は難しいです。
そして、天を地と信じてゐる、天地一体と信じてゐる臣民人民は、なかなかに改心難しい、とも取れそうです。
この文面である以上、他に道がある、と見てゐます。
Ⅴ.人の身(み)神に捧げますと、神の御身(みみ)となります
第三帖 (三三七)
●草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのであるぞ。種は残して育ててやらねばならんのざぞ、草木の身が動物虫けらの御身(みみ)となるのざぞ、出世するのざから嬉しいのざぞ、草木から動物虫けら生れると申してあろがな、人の身(み)神に捧げるのざぞ、神の御身(みみ)となること嬉しいであろがな、惟神のミミとはその事ぞ、神示よく読めば判るのざぞ、
草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのです。
種は残して育ててやらねばならないのですが、草木の身が動物虫けらの御身(みみ)、となるのです。
出世するから嬉しいのです。
草木から動物虫けらが生まれるのです。
同じく、人の身(み)神に捧げて下さい。
神の御身(みみ)となるのです。
神の御身(みみ)となりますと、やがて、カミヒトとなります。
惟神のミミとはその事です。御神示読めばよく分ります。
Ⅵ.此の道は、先に行く程、広く豊かに光り輝き、嬉し嬉しの誠の惟神の道となります
第三帖 (三三七)
●此の道は先に行く程 広く豊かに光り輝き嬉し嬉しの誠の惟神の道で御座るぞ、神示よく読めよ、何んな事でも人に教へてやれる様に知らしてあるのざぞ、いろはに戻すぞ、一二三(ひふみ)に返すぞ、一二三(ひふみ)が元ぞ、天からミロク様みづの御守護遊ばすなり、日の大神様は火の御守護なさるなり、此の事 魂までよくしみておらぬと御恩判らんのざぞ。
此(九)の道は、先に行く程に、広く豊かに光り輝き、嬉し嬉しの誠の惟神の道、となっていきます。
御神示をよく(四九)読んで下さい。
何んな事でも、人に教へて(七二、四一、経て)やれる様に、知らしてあるのです。
どんな事でも、教える事ができるかもしれませんが、おしへてやれる様に知らせる事ができる、可能性の方が先かもしれません。今の私はそういった部分があります。
Ⅶ.⦿の九二、真中に神国となります。行をした方からそうなっていきます
第三帖 (三三七)
●悪も善に立ち返りて御用するのざぞ。善も悪もないのざぞと申してあろがな、⦿の国真中に神国になると申してあろがな、日本も外国も神の目からは無いのざと申してあろうが、神の国あるのみざぞ、判りたか。
悪も善に立ち返りて御用するのざぞ。とありますが、悪とは、和合しようとしていない、理解しようとしていない方々ですから、全ての方に当てはまる問題になってきます。
善も悪もない、とはその事です。
悪を悪で無くす行が求められるのです。
ですが、前の段階は、悪となっていきますから、誰もが該当していく所があります。
ですから、それは、臣民、人民の申す善という事も含まれるのです。
⦿の九二、真中に神国になるのです。
九の二二の仕組み、くにつつみ、を起こして行く方は、御自身を中心に、神国となっていくのです。
ですから、日本も、外国も、神の目からは無いのです。
どこまでも神の国があるのみです。
後は、我、の改心を進め、行じていくかどうかになります。
Ⅷ.此(九)の先は、御神示に出した事用いませんと、我の考へでは何事も一切成就しません
第三帖 (三三七)
●此の先は神示に出した事もちいんと、我の考へでは何事も一切成就せんのざぞ、まだ我出して居る臣民ばかりであるぞ。従ふ所には従はなならんぞ、従へばその日から楽になって来るのざぞ、高い所から水流れる様にと申して知らしてあろがな。
此(九)の先は御神示に出した事もちいんと、我の考へでは、何事も一切成就しません。
まだ、我出して居る臣民ばかり、と伝えられています。
ですが、これも、ビックリを起こして行けるからこそ、できる改心もありますので、この、我を直す行とは、非常に時間がかかるのです。
その事で、あらゆる世界への変化を起こしていく事。三つの世界(神界、幽界、顕界)を、千人力で変化させていく事が求められます。
ですから、従ふ所には、従はなならないのです。
従へば、其の日から楽になってくるのです。
高い所から、水流れる様にと申して知らしてあるのです。
無理なく進む道です。
Ⅸ.世界の臣民、皆、手引き合って行く時来ています。それは、世界の全ての人々を助ける行をしていく事にあります
第四帖 (三三八)
●世界の臣民 皆手引き合って行く時来た位 申さいでも判ってゐるであろが、それでもまだまだ一苦労二苦労あるぞ、頭で判っても肚で判らねば、発根(ほっこん)の改心出来ねば、まだまだ辛い目に会ふのざぞ、人民 自分で首くくる様なことになるのざぞ、判りたであろ。
世界の臣民、皆、手引合って行く時来た位、申さいでも判ってゐるであろが、と伝えられています。
それは、世界の臣民、最終的には、一切全て助けて行く行が求められる、という事です。
ですから、まだまだ一苦労二苦労あるのです。頭で判っても、肚で判らないと、ホッコン(発根)の改心出来ないと、まだまだ辛い目に会ふのです。
ちなみに、ほっこん、が、発根、という漢字で現れたのも、マンデラ・エフェクト、と見てゐます。
人民、自分で自分の首くくる様なことになったのは、人を助ける行をしてこなかったから、それも、本当は、世界の人を助けるだけの御自身を産み出せるはずなのに、我、からしてこなかった為に、苦しみ続けてきたのです。
これは、行を継続していく程に、判って来るようになります。
Ⅹ.元のキの神の子と、渡りて来た神の子と、渡りて来る神の子と三つ揃うようになってきます。アとヤとワ、です
第四帖 (三三八)
●まだまだ世界は日に日にせわしくなりて云ふに云はれん事になって来るのざから、表面(うわつら)許り見てゐると判らんから、心大きく世界の民として世界に目とどけてくれよ、元のキの神の子と、渡りて来た神の子と、渡りて来る神の子と三つ揃ってしまはねばならんのぞ、アとヤとワと申してあるが段々に判りて来るのざぞ。
まだまだ世界には、日に日にせわしくなりて、云ふに云われん事になってきます。
行を進めている方。これからも忙しくなりすぎて、伝えている時間も無くなってくるようにもなるでしょう。
実際、現在の私がそうです。文字媒体では打ち込んでいるだけの時間すら無くなってきます。
そして、云ふにも云はれん事にもなってくるのです。云ふ時間も無くなってきます。
表面(うわつら)ばかり見てゐますと、判りませんので、心大きく、世界の民として、世界に目、届けて下さい。
元のキの神の事と、渡りて来た神の子、渡りて来る神の子。
三つ揃ってしまはねばならないのです。(この文面もマンデラとみています)
それが、アとヤとワ、なのです。アは永劫の過去、ですから、元のキの神様である事が判ってきます。
渡りて来た神の子が、ヤ、渡りて来る神の子が、ワ、です。
渡りて来た神の子は、闇(八三)、です。理(みち)の元です。
渡りて来る神の子は、ワ(和)、です。和する為のお役割の方です。
ですが、これも、段階に応じて、同じ方が複数回する事もあるでしょうし、改心を迫られる場合、様々な展開があります。
和(ワ)の存在は、一見、悪に見える方もいますが、結果的には、やはり、和、であり、これも経験していく事で判っていきます。
3.アメの巻① これから実現していくもの その2 2024年3月8日現在
Ⅰ.さかさまのオーの世を、元に戻す行、王統なくす行が求められます
第五帖 (三三九)
●神示に書かしたら日月の神(一二)が天明に書かすのであるから其の通りになるのであるぞ、皆仲よう相談して悪き事は気付け合ってやりて下され、それがまつりであるぞ、王(おー)の世が王(さかさまのおー)の世になって居るのを今度は元に戻すのであるから、その事 早う判っておらんと一寸の地の上にもおれん事になるぞ、
御神示に書かされますと、日月の神(一二)が、天明に書かすようになるので、其の通りになるのです。
書いた事を行動に移していく為です。生活に御神示を移していく為です。
皆、仲良く、相談して、悪き事は気付け合ってやりて下さい。
それがまつりです。
王(おー)の世が、王(さかさまのおー)の世になって居るのを、今度は元に戻すので、王統を無くしていくので、その事を早う判っておらんと、一寸の地の上にもおれん事になります。
王で統べる世界はなかった事が元だった事。この事を理解してから、世界を変えていくのです。
Ⅱ.世界一平一列一体になります
第五帖 (三三九)
●今度の戦(いくさ)すみたら世界一平一列一体になると知らしてあるが、一列一平 其の上に神が居ますのざぞ、神なき一平一列は秋の空ぞ、魔の仕組、神の仕組、早う旗印見て悟りて下されよ、神は臣民人民に手柄致さして万劫末代、名残して世界唸らすのざぞ、これ迄の事は一切用ひられん事になるのざと申してあろ、
今度の戦(いくさ)済みますと、世界一平一列一体となると知らしてあるのですが、一列一平、その上に神様が居るのです。
世界一平一列一体。と云う表現も初めてと見てゐます。
(以前は、一平、もしくは、一平一列、だけだったと見てゐます)
ですが、神なき一平一列は秋の空、になってしまいます。
魔の仕組み、神の仕組み、早う旗(はた)印見て、悟りて下さい。
全ては、我、から始まって居るのです。
そして、我を我で無くす事。しきまきや、くにつつみ、を次々起こし、改心を進めて下さい。
神は臣民人民に手柄致さして、万劫末代、名残して世界を唸(うな)らすのです。
これは、カミヒトとなった方々がそうなっていくのです。
これ迄の事は、一切用ひられん事になるのです。
段階が進む毎に、新たな行、ができるようになります。
・・・ですが、この文面そのもの、全般的にもマンデラ・エフェクト、ではないかと見てゐます。
最後は、世界一平一列一体、となります。
Ⅲ.論より実地見て、早うの改心ができるようになってきます
第五帖 (三三九)
●論より実地見て早う改心結構、何事も苦労なしには成就せんのざぞ、苦労なしに誠ないぞ、三十年一切(ひときり)ぞ、ひふみ肚に入れよ、イロハ肚に入れよ、アイウエオ早ようたためよ、皆えらい取違ひして御座るぞ、
論より実地見て、早う改心進めて下さい。
実地からの改心もできますが、行じて、新たに産み出す御自身の世界の、実地からの改心もできるようになってきます。
そこまでには、何事(七二五十)も、苦労なしには成就せんようになっています。
苦労無しに誠ありません。苦労(九六ウ)があってこそマコト(〇九十)が生まれるのです。
感覚的には、三十年間なのかよくわかりませんが、三十年、一切(ひときり)です。
ひふみ、肚に入れて下さい。
イロハ、肚に入れて下さい。
アイウエオは早うたたんで下さい。
Ⅳ.まつりの仕方、スクリと変へさします
第五帖 (三三九)
●宮の跡は草ボウボウとなるぞ、祭典(まつり)の仕方スクリと変へさすぞ、誠の神の道に返さすのざから、今度は誠の生神でないと人民やらうとて出来はせんぞ。
宮(三八)の跡は、草(九三)ボウボウ、となります。
まつりの仕方、スクリと変えへさすぞ、とあります。
これまでの、しきまきや、くにつつみ。そのものから変えていくようになります。
例えば、改心を進めながらの、しきまきや、くにつつみ、になって行ったりします。
まだまだ他にも沢山のパターンがあるでしょう。
誠(〇九十)の神様の道から返さすのですから、今度は、誠(〇九十)の生き神様でないと、人民やらうとて、出来はしないのです。
その結果、自身でも、驚くようなビックリをしだすようになります。
Ⅴ.素直になれば、其の場其の場で、何事も神に教へて頂き、力つけて導いてくださります
第六帖 (三四〇)
●神示よく読めと、神示よく肚に入れと申してあるが、神示肚に入れると胴すわるのざぞ、世界から何んな偉い人が出て来て何んな事尋ねても教へてやれる様になるのざぞ、神示胴に入れて頭下げて天地に働いて下されよ、まつりて下されよ、素直になれば其の場から其の場其の場で何事も神が教へてやるから、力つけて導いてやるから、何んな神力でも授けてやるぞ。
御神示よく(四九)読めと、御神示よく(四九)、肚(八〇)に入れ、と申されているのですが、御神示、肚に入れると、胴(土ウ)座るようになります。
御自身に、カミヒト、五三体の大神様を産み出し、その為、覚悟が決まるようになります。
すると、世界から何んな偉い人が出て来て、何んな事尋ねてきても、教へてやれる様になるのです。それだけでなく、七の二二の仕組み、しきまきや、を経るようになる、という事もあります。
御神示、胴に入れて、頭下げて、天地(あめつち)に働いて下されよ、として下さい。
まつりて下されよ、として下さい。
素直になれば、其の場から其の場から、何事も、神様が教へて頂けます。
力つけて導いて頂けます、何んな神力でも授けて頂けます。
Ⅵ.かずうた、も段階に応じて、意味が変わり、最後は、授け申してカミヒトとなります
第六帖 (三四〇)
●一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず)授け申して神人となるぞ。
ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず。
これも、段階に応じて、行に応じて、理解に応じて、意味が変わっていきます。
かずたまは、無限に続く為です。ですから、無限に生み出して行くのです。
そして、授け申してカミヒトとなります。
授けるのは、カミから授かるだけではなく、御自身がカミとして、周囲に授けていくようになります。
この段階を経てカミヒトへと進んで行きます。
これも、行じていきますと、判っていくようになります。
Ⅶ.カミヒト、共に、でないと生きて行けない事が判ってきます
第六帖 (三四〇)
●我さえよけらよいとまだ思って御座る臣民まだで御座るぞ、自分一人で生きてゆけんぞ、神許りでも生きてゆけんぞ、爪の垢でもだてについてゐるのではないのざぞ、判らんと申しても余りで御座るぞ、
我さえよけらよい、とまだ思って御座る臣民は、我、からですと、どうしてもそうなっていきますし、まだまだ、です。
自分一人でも生きていけませんし、神様ばかりでも生きていけないようになっています。
カミヒト共にでないと生きていけなくなるのです。
爪の垢でもだてについてゐるのではないのです。
爪に垢が残ってゐるのは、まだ、掃除が終わっていない、その証でもあります。
現在の状況とは、全て理由があります。
それが、判らない、と申すのは、余りであるぞ、と伝えられています。
Ⅷ.神拝むばかりがまつりではありません、一切にまつろへよ、として下さい
第六帖 (三四〇)
●まつりせよ、地(つち)にまつろへよ、天(あめ)にまつろへよ、人にまつろへよ、草木動物にまつろへよ、と、くどう知らしてあるのに未だ判らんのか、神拝む許りがまつりでないぞ。
まつり、をして下さい。
つち(つ千)、にまつろへよ、として下さい。
人(ひと)、にまつろへよ、として下さい。
草木動物、にまつろへよ、として下さい。
全て、相手を、意志し理解しよう、とする所から始めて下さい。
そして、行をできるところから進めて下さい。
すると、九土ウ、とする事ができます。
新たに三次元で生まれる、マンデラ・エフェクトを起こして行く事になります。
神拝むばかりがまつりではありません。
一切、あらゆる存在とまつろってください。
Ⅸ.日の出の御代となります。ひふみ、いろは、の世になります
第六帖 (三四〇)
●待ちに待ちし日の出の御代となりにけり、一二三(ひふみ)いろはの世はたちにけり。
待ちに待ちし、日の出の御代となりにけり、です。
ひふみ、いろは、の世は立ちにけり、となります。
ひふみ、いろは、で新たな世を生み出し続けて行く事になります。
その時が近づいてゐます。
Ⅹ.鼻高の鼻折る事で、カミヒト和合の流れになります
第六帖 (三四〇)
●あら楽し、黒雲一つ払ひけり、次の一つも払ふ日近し。淋しくなりたら神示尋ねて御座れ、神示読まねば益々判らん事になったであろうが、天国に底ない様に地獄にも底ないぞ、何処までも落ちるぞ、鼻高の鼻折らな人民何んと申しても神承知出来ん。
あらたぬし(新た、ぬ、四)、としますと、黒雲一つ払う事になります。
新たなな、五三体の大神様、しきまきや、を進めて下さい。
次の一つも払ふ日が近くなります。
淋しくなりましたら、御神示尋ねて下さい。
御神示読まないと、益々判らんことになります。
これも、行を進めていく程に、そうなっていきます。
人学の世界から、神学の世界に進み出し始める為です。
天国に底ない様に、地獄にも底がありません。何処迄も落ちるのです。
鼻高の鼻を折らない事には、人民、何と申しても神様は承知できん、のです。
ですが、これも、行を進めて行きますと、鼻高の鼻を次々折るようになっていきます。
鼻高のままですと、カミヒトになる事は無さそうです。
4.アメの巻① 今実現したら困る物、手遅れになるもの 2024年3月8日現在
Ⅰ.我と改心できねば、今度は止むを得ん事になります(81の世界に行きます)
第二帖 (三三六)
●我と改心出来ねば今度は止むを得ん事出来るぞ、我程偉い者ないと天狗になりてゐるから気を付ける程 悪ふとりてゐるから、こんな身魂は今度は灰ざぞ、もう待たれん事になったぞ。
我と改心出来なければ、今度は止むを得ん事が出来るようです。
我程、偉い者ないと天狗になりてゐるから、気を付ける程に、悪ふとりていますから、こんな身魂は、今度は、灰(81)になります。
ですが、実際の所、人の我、基軸で進みますと、どうしても天狗となりてしまいます。
もう待たれない所に来ています。
その時になってからでは手遅れですから、我と改心を次々進めて下さい。
Ⅱ.身慾信心してゐる臣民人民、今に神示聞けぬ様に、いれものつんぼになります
第六帖 (三四〇)
●身慾信心してゐる臣民人民、今に神示聞けぬ様に いれものつんぼになるのざぞ、きびしくなって来るぞ、毒にも薬にもならん人民、今度は役に立たんのざぞ、悪気ない許りでは一二(ひつき)の御民とは申されんぞ。
身慾信心してゐる臣民人民、今に神示聞けぬ様に、いれものつんぼになります。
きびしい世に、なってきます。
遅れる程にきびしく、大変になります。ですから、早くの行を進めて下さい。
毒(土九)にも薬(九四理)にもならん人民、今度は役に立たないのです。
悪気ないばかりでは、ひつきの御民とは申されない、と伝えられています。
是非、九の行から、カミヒトを産み出し、九の行、しきまきや、から、理を産み出して下さい。
アメの巻① まとめ
アメの巻①で、実現した事では、
十二の巻を説いて知らせた事。
ここまで、人民は、惟神の道、神道、日本の道を、神無くしてきた事。
ここまで、人民は、神々様を此の世から追い出し、悪神様の言ふこと聞くばかりとなりてゐた事。
ここまで、人民は、鳥居、十字架により、神々様をしめ込んで、この世から追い出してきた事。
上中下、三段に分けてある違ふ血統、段々に現れるようになって来る事。
その後、びっくり箱あく段階が来る事。
何事も、我がしてゐるなら(産み出しているなら)、自由になる事。
天の五三体の大神様、ち、のおつちの先祖様の、今度のお建替は、判ってゐても中々判らない事。
めんめにめんめで改める時が来ている事。
草木動物が喜ぶ行は、御神示読めば判るようになっている事。
生物、何んで息してゐるか、その理由が判る時に来ている事。
これから実現していく事では、
「イスラ」の十二の流れの源泉、判る時来ている事。
金、学、智、で大峠は越せないのに、知らず知らずに邪魔している事に気付き、改心が求められる事。
いつも神かかれる様に、かかっていられるようでなくてはならない事。
悪と善と取り違へてゐる人民、守護神、神々様、救ふのは、なかなかの行である事。
人の身(み)神に捧げますと、神の御身(みみ)となる事。
此の道は、先に行く程、広く豊かに光り輝き、嬉し嬉しの誠の惟神の道となる事。
行をすると、⦿の九二、真中に神国となっていく事。
此(九)の先は、御神示に出した事用いないと、我の考へでは何事も一切成就しない事。
世界の臣民、皆、手引き合って行く時来ており、全ての人々を助ける行をしていく事になる事。
元のキの神の子と、渡りて来た神の子と、渡りて来る神の子と三つ揃うようになっている事。
さかさまのオーの世を、元に戻す行、王統なくす行が求められている事。
世界一平一列一体になる事。
論より実地見て、早うの改心ができるようになっている事。
まつりの仕方、スクリと変へさせる時に来ている事。
素直になれば、其の場其の場で、何事も神に教へて頂き、力つけて導いてくださる事。
かずうた、も段階に応じて、意味が変わり、最後は、授け申してカミヒトとなる事。カミヒト、共に、でないと生きていけない事が判って来る事。
神拝むばかりでなく、一切とまつろう時が来ている事。
日の出の御代となる事。
鼻高の鼻折る事で、カミヒト和合の流れになる事。
今実現したら困る物、手遅れになるものは、
我と改心できねば、今度は止むを得ん事になる事。(81の世界に行きます)
身慾信心してゐる臣民人民、今に神示聞けぬ様に、いれものつんぼになる事。
その為には、改心を進めて行き、カミヒト共の境地に早く進んで行く事が求められます。
毎年、3月、4月は、気を付ける月ですが、大難が小難になりますよう、また、良きタツの年になりますよう、一刻も早く段階を進めて下さい。
私にとっては、3月4月は、辛い、しんどい時期が、2020年、2021年、2022年、と続きましたが、2023年から小ましになってきており、2024年は、今のところ、そこまでではありません。
これも、行の段階によって、徐々に好転して行きます。
また、
●結構な花、三年、その後三年であるぞ。二(ツギ)の三年めでたやなあ めでたやなあ、
と、丁度、この道一本に絞り、三年が経過しましたから、ここからの三年が楽しみにしています。
先に行く程、楽しくなってきますので、是非、一刻も早く行を進めて下さい。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。