第六巻 日月の巻、マンデラ・エフェクトがかなり起こっており、今回は、その4回目、最後です。
その最後には、遂に、伊邪那岐の命、伊邪那美命、千引の磐戸、共にあけなん、
という段階になりました。
また、他にも、天地でそれぞれ、
あまてらすすめ大神様、あまてらす大神様、月読の大神様、素盞鳴の大神様、
御活動を示唆される段階になってきました。
日月(一二)の巻でも遂に、岩戸開きの様相が伝えられてきています。
それでは、日月の巻、4回目について、順にお伝えしていきます。
9.第六巻 日月の巻 第三十一帖 (二〇四)~第三十五帖 (二〇八)
Ⅰ.二二の山動くまでにはどんな事もこらえねばならん
第三十一帖 (二〇四)
●世界中総掛かりで攻めて来るのざから、一度はあるにあられん事になるのぞ。大将ざからとて油断出来ん。富士の山動く迄にはどんな事も耐(こら)えねばならんぞ。上辛いぞ。
世界中総(そ、ウ)掛かり(六七、六七、理)、で攻めてきますと、
一度はあるにあられん事になります。
それにには、御三体の大神様を産み、無(六)からもう一段上の無(七)の理を産み出せばよいのです。
ですから、無の理を産み出さない限りは、大変な事態になるのです。
この為に、その道の大将、と言っても油断できません。
我、少しでも我よしになった時には、その理から外れてしまうのでしょう。
富士山は既に動いているとも言えますが、もう一段動く可能性もあります。
その前に、御自身の二二が動く事が大切と見ています。
どんな(土ん七)事もこら(九〇)えねば、とありますから、
カミヒトが生み出すもう一段上の七、御三体の神様が生み出す七、
九から生み出し得ない事には、成らないようになっています。
ですから、二二の仕組みで、山(八、九二)どんどん産み出して下さい、という事です。
上(ハイヤーセルフさん)も辛い時があるようです。
ですが、ウ得、となりますとつらい(五三、〇、意)、となり、そう辛くないような段階へとなります。
少しでも早く、御自身の二二、を動かして行ってください。
それが、外に現れ、この道に進む事になります。
Ⅱ.その時その時によってどんなにも変化るようになるのが神の魂
第三十一帖 (二〇四)
●どんなことあっても死に急ぐでないぞ。今の大和魂と神の魂と違ふ所あるのざぞ。その時その所によりて、どんなにも変化(へんげ)るのが神の魂ぞ。馬鹿正直ならんと申してあろ。今日(けう)あれし生命勇む時来たぞ。
どんなことあっても、死に急いでしまいますと、裏から五三体の大神様が出ないようになっているので、死に急いではなりません。
今の大和魂と、神の魂とは違う所があるのです。
昔は、死に急ぐが良しとされていたのですが、今は、その時その時によってどんなにも変化るようになる事にあります。
それは、けう(九八、ウ)あれし(一一、〇、四)生命勇む(意、三、六)、事によってのようです。
九の八の仕組みを永劫の過去から生み出し、しきまきやを起こしていく事で、無から三が道を産み出す事にあるのです。
故に馬鹿正直ではならないようになっています。
Ⅲ.表ばかりみては解らない、月(二)の神様、素盞鳴(四三七流)神様をまつらないと解らない
第三十二帖 (二〇五)
●おもてばかり見て居ては何も判りはせんぞ。月の神様まつりて呉れよ。此の世の罪穢れ負ひて夜となく昼となく守り下さる素盞鳴神様あつくまつり呉れよ。
御神示は、確かに表ばかり見て居ては何も解らないようになっています。
それは二二の仕組みを体験していかないと解らないのです。
ですから、月(二)の神様をまつりて呉れよ(九〇四)とあるのです。
苦から、九とし、楽とするしきまきや、を起こしてください、とあるのです。
それは、スサナルの神様も同じです。
こ(九)の世(四)の罪穢れ負ひて(七二、一一、四四)夜と(四、流、十)なく(七、九)昼と(一一、流、十)なく(七、九)守って下さるスサナル(四、三、七、流)神様をあつく(一一、五三、六五)まつり呉れよ(九〇四)、と仰っています。
この世の罪穢れとは、九を苦とした世の罪穢れです。
それをシチニの神様が、永劫の過去より、しきまきやを起こし続けて下さる。
夜となく昼となく、しきまきや、から神様を七、九の道へ、永劫の過去から神様を七、と九の道へ。
そのように守って下さるスサナルの神様を、しきまきや、三が道、もう一段上の無の流れを
永劫の過去から五三体の大神様、苦を九として、しきまきやによって生み出して下さい。
とあるのです。
Ⅳ.火、水の隠れた動きとは、一二三、その詳細について
第三十二帖 (二〇五)
●火あって水動くぞ。水あって火燃ゆるぞ。火と水と申しておいたが、その他に隠れた火と水あるぞ。それを一二三と云ふぞ、一二三とは一二三と云ふ事ぞ、言波ぞ。言霊(コトタマ)ぞ、祓ひぞ、ぞ。スサナルの仕組ぞ。成り成る言葉ぞ、今の三み一たいは三み三たいぞ。一(ひ)とあらはれて二三(ふみ)かくれよ。月とスサナルのかみ様の御恩忘れるでないぞ。御働き近づいたぞ。
火(一一)あって水(一三)動く(ウ、五、九)ぞ。水(一三)あって火(一一)燃ゆる(母、闇、流)ぞ。
と書きますと、隠れた火と水が解ってきます。
火は、永劫の過去、を意味します。
それがあって、水、三が道が始まり、九の動きを産み出すのです。
また、水は、三が道が始まる事です。
それは、永劫の過去を元から、闇から、裏の五三体の大神様から、浄化していく事で現れます。
これを、一二三と申すのです。
二は、一と三の二つもありますし、二二の仕組みも意味しています。
それが、言波(九、十、七、三)ですし、言霊(コトタマ)(九、十、十、真)ですし、
祓ひ(八、〇、一一)ですし、スサナル(四、三、七、流)の仕組みですし、
なりなる(七、理、七、流)言葉です。
今の三み一たいは三み三たいぞ。
とあります。
み、た、い、(一三、六三、二二)を平仮名にしているのは、その意味を理解してほしい為です。
三位三体とは、不二の仕組み、個々から見た三位一体を全体で現しています。
それは、三が道を無から、二二の仕組みで生み出す事にあるのです。
ですから、一(ひ)とあらはれて二三(ふみ)かくれよ(六七、九、〇、四)。
とあるのです。
永劫の過去とあらはれて、二二の仕組み、三が道、が隠れた状態とは、六七の仕組み。九からしきまきやによって生み出す仕組みです。
このようにして、月(二)とスサナル(四三七流)のかみ様の御恩忘れるでないぞ。
と最後に伝えています。
御(七二、ん)働き近づいたぞ。
はシチニの神様から生み出す事、働かせていく事が大切です。
Ⅴ.宝の山、悪が取ろうと思っても取れない理由について
第三十三帖 (二〇六)
●宝の山に攻め寄せ来ると申してくどう気付けておいたでないか。神の国にはどんな宝でもあるのざぞ、⦿(かみ)の国、昔から宝埋けておいたと申してあろがな。〇(かみ)の国にも埋けておいてあるのざぞ。この宝は神が許さな誰にも自由にはさせんのざぞ。悪が宝取らうと思ったとて、どんなに国に渡り来ても どうにもならん様に神が守ってゐるのざぞ。
宝の山とは、
宝(十、一一、〇)の山(八、九二)、です。
神々様が永劫の過去より産み出す、八、九の二二の仕組みです。
ですから、神の国にはどんな宝でもあるのですね。
⦿の国にも、〇の国にも埋けておいてあるのです。
それは、二二の仕組み、九の二二の仕組み、七二の神様の仕組み、によって現れるのです。
ですから、神が許さない(ゆ、流、三、七、意)と、
闇から、三が道、もう一段上の無(七)の意志が無い事には、誰にも自由にはさせないのです。
この為に、悪が宝を取らうと思っても、どんなに国に渡りて来てもどうにもならない様に、神様が守ってゐる事が解ると思います。
Ⅵ.とことん降参(九ウ三ん)するところまで戦(一九三)するように
●いよいよとなりたら神がまことの神力出して宝取り出して世界のどんな悪神も神の国にはかなはんと申す所まで、とことん心から降参する所まで、今度は戦するのざから臣民余程見当取れんことに、どんな苦労もこばらなならんのざぞ。知らしてありた事、日々(にちにち)どしどしと出て来るぞ。われよしすてて呉れよ。
このように、愈々となったら、神様は、マコト(〇九十)の神力出して、
宝(十、六七、〇)取り出して、悪神様も神の国にはかなはん、と申す(母、ウ、四)ところまで、とことん降参、九を産み、三が道を産み出す所まで、戦(一九三)をするようになります。
それは、九の三が道を始めて行く事です。
その為に、臣民が見当取れない事になりますし、どんな苦労もこ(九)ばらなならないのです。
苦を苦で無くす事が求められ、それはやはり、しきまきや、を起こして行く事です。
このようにして、既に知らしてあった事が、日々どしどしと出て来るようになります。
ですから、我よしを捨てて下さい。とあるのです。
Ⅶ.迷うのは、神示読まぬ(四、九二、五三)から
第三十四帖 (二〇七)
●この神示よく読みてくれよ。早合点してはならんぞ。取違ひが一番怖いぞ。どうしたらお国の為になるのぞ、自分はどうしたら好いのぞと取次にきく人 沢山出て来るなれど、この神示読めば、どうしたらよいか判るのざぞ。その人相当にとれるのぞ。神示読んで読んで腹に入れてもう分らぬと云うことないのざぞ。分らねば神知らすと申してあろうがな。迷うのは神示読まぬからぞ。腹に入れておらぬからぞ。人が悪く思へたり、悪くうつるのは己が曇りてゐるからぞ。
御神示は、読めば(四、六六、裏八)判ります。
読むだけでなく、しきまきや、を裏の八から、無の二二の仕組みを起こしていけば良いのです。
ですから、表ばかり読んでいては解りません。
経験、体験しないと解らないようになっているのです。
此の道は、三千世界の和合を目標としています。
ですから、あらゆる人の理解が求められているので、その人相当に取れるようになっているのです。
この為に、こう、と腑に落ちる事があれば、それはほぼ解釈の一つとして間違っていないです。
(但し、取り違ひには注意して下さい)
迷うのは、御神示読まぬ(四、九二、五三)からです。
しきまきや、九の二二の仕組みから、三が道の動きとしていない為です。
ですが、しきまきや、九の二二の仕組み、三が道を体験、生み出して行けば、解るようになっています。
また、御神示を腹に(八、〇、二)入れておらぬ、からです。
八を二二の仕組みから生み出していない為です。
ですが、二二の仕組みから八を産み出して行けば、それが解るようになります。
ですから、人が悪く思へたり、悪くうつるのは、御自身が曇ってゐる事が解ります。
二二の仕組み、しきまきや、苦を苦でなくす九の二二の仕組みを起こす体験をしていない為です。
ですが、二二の仕組み、しきまきや、苦を苦でなくす九の二二の仕組みを起こす体験をすれば、そのような事にはならなくなります。
もし、解らなけば、神様が知らしてくれますから、次々行を進めて下さい。
Ⅷ.腹(八〇)に入れた(二二、〇、十)人は、これから来る人に話してください
第三十五帖 (二〇八)
●元からの神示 腹に入れた人が、これから来る人によく話してやるのざぞ。この道はじめは辛いなれど楽の道ぞ。
元からの御神示、腹に(八、〇、二)入れた(二二、〇、十)人が、これから来る人によく(四、九)話してください。
二二の仕組みより、八(創造主)を産み出したなら、二二の仕組みより神々様を産み出した人が、これから来る人に、しきまきや、九の二二の仕組みを話してあげて下さい。
それは、体験しないと解らないようになっていますので、体験させてあげられる方は、どんどん体験させてあげて下さい。ここまで行じている方にはそれができるようになってくるでしょう。
この道は、はじめは辛いのですが、楽(〇九)の道です。
苦から、苦で無くし、九を産み出す為です。
Ⅸ.その日その日の仕事をしていれば、心配は要らなくなる
第三十五帖 (二〇八)
●骨折らいでも素直にさへして その日その日の仕事しておりて下されよ。心配要らん道ぞ。手柄立てようと思ふなよ。勝たうと思ふなよ。生きるも死ぬるも神の心のままざぞ。
骨折る苦労は、最初の時はあるかもしれませんが、
素直にして、その日その日の仕事をしていれば、心配はありません。
手柄を立てようと思ったり、勝とう、と思わないようにしましょう。
我よしについなりがちです。
生きる、死ぬるも神様の心(九九六)のままです。
御自身において、九の二二の仕組みを、無から生み出す事が大切なのです。
Ⅹ.助けられる人を助ける事で、御自身も助かるようになる
第三十五帖 (二〇八)
●どこにどんな事して居ても助ける人は助けるのざぞ。神の御用ある臣民 安心して仕事致しておりて下されよ。火降りても槍降りてもびくともせんぞ。心安心ぞ。くよくよするでないぞ。神に頼りて神祀りてまつわりておれよ。神救ふぞ。
どこにどんな事して居ても助ける人は助けてあげて下さい。
それによって、御自身がどこにどんな事しても助かる流れとなります。
最初の文面はこの両方の意味があります。
神様の御用のある臣民は、安心して仕事致(二二、十)して下さい。
二二の仕組みから十(神)様を産み出してください。
すると、火降っても、やりが降ってもびくともしません。
心も安心です。
くよくよせずにいましょう。
神様に頼りて、神様まつわりていれば、神様によって救われます。
それは、助ける事で、御自身が助かるようになる、という事なのです。
10.第六巻 日月の巻 第三十六帖 (二〇九)~第三十九帖 (二一二)
Ⅰ.大神様を悪く申す者が出て来る理由について
第三十六帖 (二〇九)
●世が愈々のとことんとなったから、今に大神様迄 悪く申すもの出て来るぞ。
産土様(うぶすなさま)何んぞあるものかと、悪神ばかりぞと申す者 沢山出てくるぞ。
二二の仕組みを次々起こして行きますと、大神様まで悪く申すもの出てきます。
それは、しきまきやによって、新たな世界を産み出していないからです。
新しい世界を産み出していない方は、産土様(うぶすなさま)(ウ、二、四、七、三、真)何ぞあるものか、と申すのです。
二二の仕組み、しきまきや、もう一段上の無(七)、三が道、を産み出していない為に、
真(九二)を起こせていないからです。
二二の仕組み、しきまきや、によってもう一段上の無(七)を生み出していないと
悪神様ばかりと、大神様まで悪く言うようになります。
Ⅱ.天と地の大神様の在り方について
第三十七帖 (二一〇)
●天にも あまてらすすめ大神様、あまてらす大神様ある様に、地にも あまてらすすめ大神様、あまてらす大神様あるのざぞ。地にも月読の大神様 隠れて御座るのざぞ。素盞鳴の大神様 罪穢れ祓ひて隠れて御座るのざぞ。
このような書かれ方は初めてと見ます。
天にも、あまてらすすめ大神様(天照皇大神様)、あまてらす大神様、がある様に
地にも、あまてらすすめ大神様、あまてらす大神様、があります。
地にも月読の大神様 隠れて御座る、という事は、天にも月読の大神様がある、とも取れます。
素盞鳴の大神様も天と地とそれぞれいらっしゃるのですが、罪穢れ祓ひて御座るのです。
このように、天と地、それぞれ大神様が居るのです。
あまてらすすめ大神様、あまてらす大神様、月読の大神様、素盞鳴の大神様、については、天と地とあることを、この後の日の出の巻でも伝えられています。
Ⅲ.神々様にまつりて、まつはりて下さい
第三十七帖 (二一〇)
●結構な尊い神様の御働きで、何不自由なく暮して居りながら、その神様あることさへ知らぬ臣民ばかり。これで此の世が治まると思ふか。神々まつりて神々にまつはりて神国のまつりごといたして呉れよ。詰らぬ事申してゐると愈々詰らぬ事になりて来るぞ。
似たような内容はあったと思いますが、その神様あることさへ知らぬ臣民ばかり。
という記述も初めてと見ます。
段階が進んできますと、様々な神々様によって、結構な尊い神様の御働きで、
何不自由なく暮らして居る事が解ってきます。
ですから、神々様をまつりて(九二、五三、八三、八五)、まつはりて(九二、五三、六四、八三、八五)、神国(かみくに)(十、九、二)のまつりごと、をいたして(意、十、四、四四)呉れよ(九〇四)、と仰っています。
神々様をまつりて、九の二二の仕組みから、御三体の大神様を闇から、八の三が道とし、動きとし、また、無のしきまきや、を更に起こして行き、神国のまつりごと、九の二二の仕組みの神様のまつりごと、神様を意志し、しきまきやを次々、九から四つの世界を産み出して下さい。
と仰っています。
詰まらないこと申してゐると、愈々つまらない事になってきます。
Ⅳ.懐手してゐるから苦しむ、我れよしと云ふ悪魔と学が常に邪魔してゐる
第三十九帖 (二一二)
●神が道つけて楽にゆける様に嬉し嬉しでどんな戦も切抜ける様にしてあるのに、臣民 逃げて眼塞いで、懐手してゐるから苦しむのぞ。我れよしと云ふ悪魔と学が邪魔してゐる事にまだ気付かぬか。嬉し嬉しで暮らせるのざぞ。
この道に進みますと、楽にゆける様に嬉し嬉しでどんな戦であっても切り抜ける様にしてあるのですが、臣民逃げて眼塞いで、懐手しているので苦しみ続けてしまいます。
それは、我れよし、と云ふ悪魔と学が邪魔してゐるのです。
これは段階が進んでくるとより解ってくるようになります。
ですから、まずは、懐手せずに、とにかく行に移して行く事が肝心です。
そして、百日続ける事、次いで半年、一年と続けていく事が重要です。
やがて、必ず嬉し嬉しで暮らせるようになっているのです。
Ⅴ.言葉とこの神示と心と行と時の動きと五つ揃たら誠の神の御子に
第三十九帖 (二一二)
●日本の臣民は何事も見えすく身魂授けてあるのざぞ、神の御子ざぞ。掃除すれば何事もハッキリとうつるのぞ。早よ判らねば口惜しい事出来るぞ。言葉とこの神示と心と行と時の動きと五つ揃たら誠の神の御子ぞ、神ぞ。
日本(二ほん)(八一、九七、ん)の臣民は何事も見え透く身魂授けてあるのです。
81を八一とし、九、七を産み出す事ができるのです。
すると、何でも見え透くようになります。
それが神の御子です。
掃除(そウ事)すれば、何事もはっきりとうつるようになります。
ですから、早く判らねば、口惜しい事が出来ます。
心・口・行の三つが揃えば力が発揮する、というのは他にもありましたが、
後二つが、御神示と、時の動きです。
言葉とこの神示と心と行と時の動きと五つが揃ったら、誠の神の御子(おんこ)(七二、ん、九)です。
11.第六巻 日月の巻 第四十帖 (二一三)
最後の文面は、これもマンデラ・エフェクトを起こしていると見ています。
そして、千引の岩戸開きについて記されています。
長文になりますので、詳細については各自で捉えてみて下さい。
Ⅰ.八のイカツチについて
第四十帖 (二一三)
●ここに伊邪那美の命 語らひつらく、あれみましとつくれる国、末だつくりおへねど、時まちてつくるへに、よいよ待ちてよと宣り給ひき。ここに伊邪那岐命、みましつくらはねば吾とつくらめ、と宣り給ひて、帰らむと申しき。ここに伊邪那美命 九(こ)聞き給ひて、
御頭(みかしら)に
大雷(おおいかつち)、
オホイカツチ、
胸に
火の雷(ホのいかつち)、
ホノイカツチ、
御腹には
黒雷(くろいかつち)、
黒雷(クロイカツチ)、
かくれに
折雷(さくいかつち)、
サクイカツチ、
左の御手に
若雷(わきいかつち)、
ワキ井カツチ、
右の御手に
土雷(つちいかつち)、
ツチイカツチ、
左の御足に
鳴雷(なるゐかつち)、
ナルイカツチ。
右の御足に
伏雷(ふしいかつち)、
フシ井カツチ、
なり給ひき。
伊邪那美の命が、あれみまし、と作れる国、時待ちていました。
ここに伊邪那岐命、が吾とつくらめ、帰らむ、と申されました。
そこで、伊邪那美命は、聞き給ひて、
頭、胸、腹、隠れ、左手、右手、左足、右足、
に八のいかつちと、なり給わったのです。
Ⅱ.オオカムツミノ命となるまで
●伊邪那岐の命、是見(こみ)、畏みてとく帰り給へば、妹伊邪那美命は、よもつしこめを追はしめき、ここに伊邪那岐命 黒髪かつら取り、また湯津々間櫛(ゆつつまぐし)引きかきて、なげ棄(う)て給ひき。伊邪那美命 二(つき)の八くさの雷神(いかつちかみ)に黄泉軍(よもついくさ)副(そ)へて追ひ給ひき。ここに伊邪那岐命 十挙剣(とづかのつるぎ)抜きて後手(しりへて)にふきつつさり、三度 黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到り給ひき。坂本なる桃の実一二三(ひふみ)取りて待ち受け給ひしかば、ことごとに逃げ給ひき。ここに伊邪那岐命 桃の実に宣り給はく、汝(みまし)吾助けし如、あらゆる青人草の苦瀬(うきせ)になやむことあらば、助けてよと宣り給ひて、また葦原の中津国にあらゆる、うつしき青人草の苦瀬に落ちて苦しまん時に助けてよとのり給ひて、
おほかむつみの命、
オオカムツミノ命
と名付け給ひき。
この文面も初めてと見ます。
妹(妻の愛称)伊邪那美命と呼び始めており、また、伊邪那岐命 黒髪かつら取る段階に入ってきています。
その後、伊邪那美命は、二(つき)の八くさの雷神(いかつちかみ)に黄泉軍(よもついくさ)副(そ)へて追ひます。
その後、伊邪那岐命は十挙剣(とづかのつるぎ)抜きて後手(しりへて)にふきつつさり、三度 黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到ります。
坂本なる桃の実一二三(ひふみ)取りて待ち受けても、ことごとに逃げられてしまいます。
ここに伊邪那岐命 は、あらゆる青人草の苦瀬(うきせ)になやむことあらば、助けてよと宣り、また葦原の中津国にあらゆる、うつしき青人草の苦瀬に落ちて苦しまん時に助けてよとのり、
おほかむつみの命、
オオカムツミノ命
と名付けたのです。
Ⅲ.千引の磐戸、共にあけなん時へ
●ここに伊邪那美命 息吹き給ひて千引岩(ちびきいわ)を黄泉比良坂に引き塞(そ)へて、その石なかにして合ひ向ひ立たして つつしみ申し給ひつらく、うつくしき吾が那勢命(なせのみこと)、時廻り来る時あれば、この千引の磐戸、共にあけなんと宣り給へり、ここに伊邪那岐命しかよけむと宣り給ひき。ここに妹(いも)伊邪那美の命、汝(みまし)の国の人草、日にちひと死(まけ)と申し給ひき。伊邪那岐命 宣り給はく、吾は一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)生まなむと申し給ひき。この巻二つ合して日月の巻とせよ。
その後、時巡り来る時あれば、千引の磐戸、共にあけなん、と仰られています。
妹(いも)伊邪那美の命は、日に千人(ちひと)死(まけ)と申されており、
伊邪那岐命は、一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)生まなむ。と申されました。
この巻二つ合わして日月の巻としてください。
と仰っています。
日月の巻の最後 第四十帖では、岩戸開きの様相の中でも、伊邪那岐命、伊邪那岐命の様相が詳しく書かれているマンデラ・エフェクトを起こしています。
第六巻 日月の巻②-4 まとめ
日月の巻の4つ目でも、多大なマンデラ・エフェクトを起こしています。
天照皇大神様、天照大神様、月読の大神様、スサナルの大神様、の岩戸開きの様相。
最後には、伊邪那岐命、伊邪那岐命による、千引の岩戸開きの様相について伝えられています。
そして、神の宝にもついて伝えており、解らないのは、しきまきや、二二の仕組みを起こしていない事。
もう一段上の無(七)、三が道を産み出していない為です。
ですが、御神示を読み、行じて行きますとそれが解るようになっていますし、また行じない事には解らないようになっているのです。
心・口・行の三つが一致し、更に、御神示を読み、時の動きが一致しますと、誠の神の御子、神様と伝えています。
是非、日々行を進めて行ってください。
そして、日々、大難を小難にして頂いております、修行守護の神々様、役員守護の神々様、五柱の神様、世の元の生き神様、産土様、大神様、百々諸々の神々様、いつも御守護、弥栄にして頂きありがとうございます。