第五巻 地(九二)つ巻では、以前は、(九二)といったフリガナは無かったはずですが、
いつの間にかフリガナが入っている為、今現在、九二の仕組みも愈々の段階に差し掛かっています。
実際、今回は、マンデラ・エフェクトに関しては、びっくり箱の詳細がかなり伝えられており、愈々の様相に向けて記された、大幅なマンデラ・エフェクトが起こっています。
二周目は2022年11月20日、三周目は2023年3月29日、4月3日に読んでいます。
それでは順にお伝えしていきますね。
1.第五巻 地(九二)つ巻 第一帖 (一三八)~第十帖 (一四七)
Ⅰ.世界は一つのみことになる、その意味について
第一帖 (一三八)
●地つ巻 書き知らすぞ、世界は一つの実言(みこと)となるのぞ、それぞれの言の葉はあれど、実言(みこと)は一つとなるのであるぞ。てん詞様の実言(みこと)に従ふのざぞ、命(みこと)の世近づいて来たぞ。
みこと、とは、み、シチニの神様になったコトの事です。
世界は、四カイですから、しきまきや、から四つのカイの仕組み、を起こして行くのです。
それは、御自身のしきまきや、から周囲が変わって行くのです。
その際ですが、言の葉(ことば)が、最後重要になってくるのです。
●言(ことば)こそは誰もがもてる 其(理)のささげものであるぞ、与へても与へても無くならんマコトの宝であるぞ。
当初は文字絶対であっても、どこかの段階に入りますと、言葉で伝えていく段階が来ます。
言葉、で伝えていく段階が、マコトの宝。の段階なのです。
そして、言葉を伝え、浄化していき、思念界から変える、しきまきや、
を起こす事で、周囲の世界はどんどんと変わって行くのです。
コトのハ(九十八)は、個々によって順序、課題も違いますから、道はそれぞれですが、最後はミコトは一つです。
ミコトとは、行を続けて、生みだし続けていった御自身そのもの、の事なのです。
すると、てん詞様(・をウタう三真)に近づく行を、自然と進んでいくようになっていきます。
このように行を進めて行きますと、ミコト(三九十、五三体の大神様)の世(四)が近づいています。
Ⅱ.お〇(かみ)のいふこときかん世、にこの後進む
第二帖(一三九)
●道に外れたものは誰れ彼れはないのざぞ、これまでのやり方スックリと変へねば世は治まらんぞと申してあるが、上の人 苦しくなるぞ、途中の人も苦しくなるぞ、お〇(かみ)のいふこときかん世になるぞ。
道に外れた者は誰れ彼れはありません。
環境破壊に加担していない人が居ないのと同じです。
生前からですと、罪、穢れ、過ち、81の世界に無関係だった人はいないのです。
ですから、これまでのやり方をスックリ変へないと世は治まらない、
のはよく解ると思いますが、それは、まず、できる所から一つ一つ行動に移し、変えていく以外ありません。
上の人が苦しむのは、上様が騙されている為、というのは一つありますし、
上に行く程、罪悪感が強くなったりする段階も経る所があります。
故に苦しいのです。
途中の人も苦しいのは、やはり経験上、最初の一年半、が一番苦しく、最初始めた時ほど、苦しいと思います。
ですから、お〇(かみ)のいふ事を聞かないのは、当初の行に堪えられなくなったり、もありますし、そもそも、社会全体でも、安定、安全、悪大多数を選択する方が多いですし、この後も好転するよりは、むしろ大多数は悪化しやすい世界に移行しやすいのです。
ですが、それは、日々の御自身の思い、行次第なのです。
それが、神の申す通り、素直に行を進めた方は、ある時、変わる時が来るのです。
Ⅲ.この神示いくらでも出て来る、その仕組について
第四帖 (一四一)
●この神示いくらでも出て来るのざぞ、今の事と先の事と、三千世界、何も彼も分るのざから、よく読みて腹に入れておいて呉れよ、この神示 盗まれぬ様になされよ、神示とりに来る人あるから気つけて置くぞ。
前半の文面は初めて生まれた、と見ています。
確かに、御自身が、この道に進み出し、行を進めていく事で、
この御神示はいくらでも出て来るようになっているいます。
これは行をしていきますと、解るようになっています。
それは、2022年6月以降から、実際、御神示のマンデラ・エフェクトが起こり始めた頃から思うようになりましたが、確かにこの道に進み始めてから、ズーム型式を始めてから、です。
それは、確かに十人分を超え始めた辺りから始まり、その後、岩戸が開く度に、確かに、御神示は、常々マンデラ・エフェクトが起こっていくのです。
ですが、そのマンデラ・エフェクトが起こっている事にすら気付いていない方も多いと思います。
それは、行じていないから、その人の世界では、御神示が変わっていかないのです。
実際、読んでも一回止まりの方、もとても多いです。ですから、当然変わっていく事にも気付く事はありません。
ですから、正確には、御神示が変わらない世界への移行をその方が選択している、という事です。
それは、この道一本で進んでいなかった私がそうでしたし、次元変化が無い方は同じでしょう。
ですから、読めよ、読めよ、行ぜよ、省みよ。と何度も仰っているのです。
行じていくことで、今の事。先の事。三千世界の事。何もかも分かってくるようになるのです。
腹、の意味も、その人相応に取れるようになっていきます。
この御神示を盗まれぬ様になされよ、とありますが、
行じて行きますと、盗まれようも無くなっていきます。
何故なら、御自身の行と経験、思念の基軸で周囲の世界は変わるからです。
ぬすまれぬ、がそうですね。
あいう、では、五三、す、真、〇、五三、と表せますから、大体の事が解ります。
五三体の大神様、をミミより、真を×〇としないよう、五三体の大神様を生みだすよう、と即されています。
神示取りに来る、というのは、盗む、というのはまだ、行じていない段階であって、
行が進みますと、十理二九流(とりにくる)方となり、世界を変えていく事ができるのです。
それは、行じ、省み、世界を変え続けていく方になるのです。
Ⅳ.神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)について
第七帖 (一四四)
●腹が出来て居ると、腹に神づまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ。海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまん様にして呉れよ、
内の岩戸開き、2023年3月3日より解ってきた事が多々あります。
内の二名、イザナギの大神様、イザナミの大神様と繋がっていく事で、
腹に神づまりますのざぞ、の意味が実感できるのです。
それによって、ミコト(身九十、三九十)となるのです。
確かに、そこから解っていくのでしょう。
腹(八〇)が御自身の中で、まずは騙されていた創造主から、騙されていない、新たな創造主を生みだし、
それが、高天腹、という事です。
もう一段、高い境地の創造主を生みだす事がまず求められます。
たかあまはら、ですから、あま、も永劫の過去より、真、七一。九二。
を生みだす事が求められるのです。
その上で、
海(生み)をみな(三七、一三・二四)船(ふね、一二・根)で埋めねば(ウ、七四、根、ば)成らない、
という事が解って来るのです。
生みを三七、から三が道の二二のしきまきや、から、
二二の根、二二のウシトラコンジン様をシチニの神様の二二の仕組みからも、ウシトラコンジン様を生まないと成らない、とあります。
ですから、生み、を断たれて苦しまない様にしてくれよ。とあるのです。
くれよ、は毎度ですが、九〇四、ですので、九(苦)から四を、しきまきや、によって生みだして下さい。
という事です。
Ⅴ.富士の高嶺からあめつちへのりとする時が来ている
第十帖 (一四七)
●これまでは方便と申して逃げられたが、も早 逃げること出来ないぞ、方便の人々早う心洗ひて呉れよ、方便の世は済みたのざぞ、いまでも仏の世と思うてゐるとびっくりがでるぞ、神の国、元の神がスッカリ現はれて富士の高嶺から天地(あめつち)へのりとするぞ、岩戸しめる御役になるなよ。
これまでは、方便の世でしたが、それは済んだのです。
方便だけでは逃げられないようになってきました。
早う(八八ウ)心(九九六)あらひて(九四、三六、一一、八五)くれよ(九〇四)、と仰っています。
八のしきまきや、騙しの創造主より生みだして、心を九九の二二の仕組み。
無から生み出し、九(苦)のしきまきや、を、三が道を無より、
永劫の過去から生みだして、八の動きとしていくように、九からしきまきやによって四を産んでください、
と伝えています。
また、仏(ほとけ)の世と思われてゐる方も多いです。
ですが、実際の永劫の過去に繋がらず、騙しの仏の世界に留まる方も多いままです。
ですから、びっくり、は、概ね悪い方のびっくり箱になりますし、その事で苦しまれている方も多いです。
81の世界に行く原因となってしまいます。
行じて行きますと、神(十)の国(九二)、元(母十)の神(十)がスッカリ現れます。
この辺りの文面後半は、初めて、と見ます。
二二の高嶺(たかね、十火根)からあめつち、へのりとするようになると、それが解ってきます。
ですから、岩戸をしめるお役には成らないように気を付けて下さい。
2.第五巻 地(九二)つ巻 第十二帖 (一四九)~第二十帖 (一五七)
Ⅰ.この道は教えではない、道なき道、時なき道、この道でみな生き返る
第十二帖 (一四九)
●この道は・ぞ、〇の中に・入れて呉れと申してあろうが。臣民も世界中の臣民も国々もみな同じことぞ、・入れて呉れよ、〇を掃除して居らぬと・はいらんぞ、今度の戦は〇の掃除ぞと申してあらうがな、まつりとは調和(まつり)合はすことと申してあろうがな、この道は教でないと云ふてあらうが、教会やほかの集ひでないと申してあらうがな、人集めて呉れるなと申してあらうがな。世界の臣民みな信者と申してあらうが、この道は道なき道、時なき道ぞ、光ぞ。この道でみな生き返るのざぞ。天明 阿房になりて呉れよ、我(が)すてて呉れよ、神かかるのに苦しいぞ。
前半の文面は以前からあったまま殆ど変わりませんが、
ですが、その詳細が書かれているようになってきています。
この道は、・(てん)、四四から生み出す、八五、から生み出す、八二、から生み出すのです。
〇(型、〇)の中に・(てん、かみ、ふ、たま)を入れて下さい。
それは、臣民も世界(セカイ)中の臣民も国々(九二九二)もみな同じコトです。
・、は、〇を掃除(そウ事)していないと入らないようになっています。
今度(九の土)の戦(一九三)は〇の掃除(そ産事)なのです。
まつり(真通理)とまつり合わす事なのです。
この道は教えではなく、教会や他の教えではないのです。
行じていく事に産み出す道、なのです。
ですから、人は集めてくれるな、とあるのですね。
宗教にしては、理から外れてしまうのです。
常々、二二の仕組みから生み出されますので、やはり、一対一、が基本なのです。
故に世界の臣民は、皆信者なのです。
そして、無から生まれ、もう一段上の無に進む為に、この道はみち(満ち、理、道)なき道なのです。
時なき道、というのも解っていくようになります。
今現在から生み出して行く連続にまた生まれていくので、行が進み出しますと、時が無効化されていく流れに近づいて行くのです。
その現象の一つが、時間遡り現象。マンデラ・エフェクト、として現れます。
前世ヒーリングも段階が進む程に顕著ですし、しきまきや、からいくらでも起こせるようになっていくのです。
それも、体験、と理解、と共に解っていくのです。
光(ひかり、一一、六七、理)という事も、体験、理解と共に解っていくようになるのです。
故に、この道でみな生き返る、というのが解って来ると思います。
実際、に訃報2回が起こったり、生き返ったりしていますが、これがどんどん増えていくようになります。
そこで、天明さんは、阿呆に成ってください。
我捨てて下さい。
とあるのです。
我、捨てては、すてて(三三、四四、四四)としてください。という事です。
我を、ミミの二二の仕組みより、しきまきや、を連続させて下さい。という事です。
こうして、御自身の人の我も、我を理解した上で、あらたな我として生みだされていくのです。
それは、神の我、神我、にどんどん近づきます。
我が生みだされないままですと、神かかりにくいのです。
Ⅱ.富士は晴れたり、神国(十九二)の始めの様相について
第十九帖 (一五六)
●世成り、神国の太陽足り満ちて、皆みち足り、神国の月神、世をひらき足り、弥栄にひらき、月光、総てはみち、結び出づ、道は極みに極む、一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)、弥栄々々ぞ、神、仏、耶ことごと和し、和して足り、太道ひらく永遠(とわ)、富士は晴れたり、太神は光り出づ、神国のはじめ。
この文面そのものも初めて、と見ます。
世成り(四七理)、神国(十九二)の太陽(ヒ)足り(十理)満ちて(七二、千、四四)、皆(三七)みち(三千)足り(十理)、神国(十九二)の月神(二十)、世(四)をひらき足り(十理)、弥栄(やさか、八三火)に(二)ひらき、月光(二、一一、六七、理)総てはみち、結(六四)び出づ、道(三千)は極み(二二、和、七二)に(二)極む(二二、和、六)、一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)、弥栄々々ぞ、神、仏、耶ことごと和し、和して足り、太道ひらく永遠(とわ)、富士は晴れたり、太神は光り出づ、神国のはじめ。
といった感じになります。
後半は、あえて訳していませんが、前半の訳から、後半の流れになる事は、
もう概ねご理解頂ける、と思います。
行じ続けると開かれていくようになっています。
Ⅲ.ぜんぶり苦いぞ、は、全て、九(苦)から理を生みだす、という意味
第二十帖 (一五七)
●世界に変りたこと出来たら、それは神々様の渡られる橋ぞ。本清めねば末は清まらんぞ、根絶ちて葉しげらんぞ、元の田根(たね)が大切ざぞ、種はもとから択(よ)り分けてあるのざぞ、ぜんぶり苦(にが)いぞ。
こちらも、一番最後を除き、新たな文面と見ます。
世界に変わりたこと出来たら、それは、神々様の和足られる橋(八四)なのです。
本(母十、岩戸開き)清め(キ読め)ねば末(逆、岩戸開き)は清まらん(キ四真〇ん)のです。
根(ウシトラコンジン様の岩戸開き)絶ちては葉(八、三四の岩戸開き)しげらないのです。
元(母十)の田根(たね、十根、多根)が大切なのです。
種はもとからより(四理)分けて(八、二四、四四)あるのです。
ぜんぶ理にが(二我)い(意)ぞ。
は、ぜんぶ、理には、苦、我、から生まれる、という事です。
全て、二二の仕組みから我を意していく事。
苦から生み出す事が基本になるのです。
3.第五巻 地(九二)つ巻 第二十一帖 (一五八)~第二十七帖 (一六四)
Ⅰ.あんな(一一、ん、七)者がこんな(九、ん、七)手柄を立てる仕組について
第二十一帖 (一五八)
●神界のことは顕界ではなかなかに分るものでないと云ふこと分りたら、神界のこと分るのであるぞ。一に一足すと二となると云ふソロバンや物差しでは見当取れんのざぞ。今までの戦でも、神が蔭から守ってゐること分るであらうがな、あんな者がこんな手柄立てたと申すことあらうが、臣民からは阿房に見えても、素直な人には神がかかり易いのであるから、早う素直に致して呉れよ。
神界のことは顕界ではなかなか分からないのです。
その基本が、しきまきや、から新たに生みだす為です。
更に、また生みだした足場からまた生みだす為に、このように複数立体に入ったら、もはやよく解らなくなるのです。
一例が、過去の無限変化。マンデラ・エフェクトです。
前提が次々に変わる現象を体験しますと、それが神学であり、神界、が分かるようになるのです。
それは、行によっての、理解、体験、でしか解らないようになっているのです。
ですから、一に一足すと二となるソロバン、物差しでは見当取れる訳がないのです。
この為、今迄の戦でも、神様が陰から守って、ゐる(ひっくり返る)という事が分かると思います。
あんな(一一、ん、七)者がこんな(九ん七)手柄たてた、というのも、
その仕組、を行じて理解できますと、七る十の仕組みが解ってきますし、それは、臣民から阿房に見える事もよくあるのです。
素直(すなほ)な人には神がかかりやすくなるので、早う(八八ウ)素直に致して(意十四、四四)くれよ(九〇四)、と仰られているのです。
Ⅱ.・と〇のまつりについて
第二十二帖 (一五九)
●われが助かろと思ふたら助からぬのざぞ、その心われよしざぞ。身魂みがけた人から救ふてやるのざぞ、神うつるのざぞ、⦿のうつりた人と〇のかかりた人との大戦ぞ、・と〇とが戦して、やがては・を中にして〇がおさまるのぞ。その時は〇でなく、・も・でないのざぞ、⦿となるのざぞ、・と〇のまつりぞと申してあらうがな。
これも、初めての文面と見ます。
・、〇、⦿、について、かなり詳しく書いています。
基本は、われが助かろうと思ったら助からない仕組です。
先に助けていくからこそ、助かるのです。
神様にも曲げられん道理は、何度もお伝えしてきた通りです。
身魂みがけた人から救ふて、神うつるようになっているのです。
常々そうですが、⦿うつりた人と、〇かかりた人との大戦です。
・と〇が戦(一九三)して、苦から三が道を生みだして、やがて(八我、四四)は・を中にして、〇がおさまるのです。
その時は、もう〇ではなく、・も・ではなく、⦿、となっているのです。
・と〇のまつり(真通理)、それは、ぞ(裏三五)、と(十)申して(母産四、四四)あろうがな(一一、六、産、我、七)とあるのです。
Ⅲ.びっくり箱あけたら、臣民みな思ひが違ってゐること分かる、その真意について
第二十七帖 (一六四)
●天地には天地の、国には国の、びっくり箱あくのざぞ、びっくり箱あけたら臣民みな思ひが違ってゐること分るのぞ、早う洗濯した人から分るのぞ、びっくり箱あくと、神の規則通りに何もかもせねばならんのぞ、目あけて居れん人出来るぞ、
天地には(あめつち二八)天地の、国には(九二二八)国の、びっくり箱(裏一一、小五三、八三、裏六四、三一)があく(あ九)のです。
びっくり箱があけたら臣民みな思ひが違ってゐることが分かるのです。
それは、生みだした先にまた生みだしたものが有る為です。
それは、その足場に立たないと解らないようになっているのです。
原因の原因が中々解らないのと同じで、生みだし続け行った先の世界は解らないようになっているのです。
立体でも分かりにくくなりますが、複立体、立立体になると、殆ど分からなくなるのです。
それは、早う(八八産)洗濯(千十九)した(四十)人(一一、十)から解るのです。
びっくり箱があきますと、神の規則通りに何もかも(七、二、母、六七、母)せねばならないようになります。
目(七四、六六)あけて居れん人が出来ます。
Ⅳ.日に日に神力があらはれると、一息入れる間も無くなる
第二十七帖 (一六四)
●学の世はもう済みたのぞ、日に日に神力あらはれるぞ、一息入れる間もないのぞ。ドシドシ事を運ぶから遅れんやうに、取違ひせんやうに、慌てぬやうにして呉れよ。
学(我苦)の世はもう済んでいるのです。
日に日に神力があらはれるようになってきています。
それは、一息入れる間もなくなる世界になっていくのです。
ドシドシ(土四土四)事(九十)を運ぶから、遅れないように、
取(十理)違ひせんやうに、慌てぬやうにして呉れよ。
とあります。
土四土四、五三体の大神様をしきまきや、を起こし続ける、コト(九十)達を運ぶ(八、九、裏二)とあります。
遅れないように、
十理を違わないように、
あわてぬ(一一、和、四四、五三体の大神様)やうに(八産二)して(四、四四)呉れよ(九〇四)とあります。
永劫の過去から和し、四四の仕組みから、五三体の大神様を、八を産み、しきまきや、から、さらに、しきまきや、を起こし、九(苦)から四(しきまきや)を生みだしてください。とあります。
4.第五巻 地(九二)つ巻 第三十二帖 (一六九)~第三十六帖 (一七三)
Ⅰ.泥海回避を意識した文面
第三十二帖 (一六九)
●仕組通りに出て来るのざが大難を小難にすること出来るのざぞ。神も泥海は真っ平ぞ、臣民喜ぶほど神うれしきことないのざぞ、曇りて居れど元は神の息入れた臣民ぞ、うづであるのぞ。番頭どの、役員どのフンドシ締めよ。
この文面も初めて、と見ますが、泥海は真っ平ぞ、とあります。
どうも、泥海が無くなる時空間を生みだす事は可能のようですし、そう意識されています。
仕組み通りに次々、行を進めて行きますと、確かに、大難が小難で済んでゐます。
世界中の天変地異、の回避、マンデラ・エフェクト、からその様相が解ってきています。
曇りて居れど、元は神のイキ(意、二二)入れた臣民(しんみん、四ん三ん)です。
うづ(産、裏五三)なのです。五三体の大神様を裏から生み出す存在なのです。
番頭どの(裏八、ん、十、ウ、土、九一)、役員どの(八、九、一、ん、土、九一)、
フンドシ(二ん土四)締めよ(四、七四、四)とあります。
番頭どのは、裏八から産み出す、十を産み出す、五三体の大神様を九(苦)から始めていく者です。
役員どのは、八、九、から始めて、五三体の大神様を生みだす、九(苦)から始めていく者です。
フンドシ締める、は、二二、しきまきや、五三体の大神様を生みだす為に、しきまきや、シチニの神様を二二の仕組みで進める世(四)にしていく事です。
Ⅱ.意を裏の五三体の大神様より産み出せば、アメのヒツクの神様、御かかりになる
第三十六帖 (一七三)
●いづれは天(アメ)の日つくの神様 御かかりになるぞ、おそし早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、早う身魂みがかねば御かかりおそいのざぞ、よくとことん掃除せねば御かかり六ヶしいぞ、役員も気つけて呉れよ、御役ご苦労ぞ、その代り御役すみたら二二晴れるぞ。十月十一日、一二か三。
この文面も初めてと見ます。
いづれは(意、裏五三、〇、八)アメのヒツクの神様、御かかりになります。
それは、この道に進んだ方全てです。
おそし早しはありますが、この神様の御神示は烈しくあります。
早う身魂みがかねば、御かかりおそいのです。
よく(四九)とことん(十九十ん)掃除せねば、御かかり難しいのです。
ですから、役員(八九一ん)も気(二二)つけて呉れよ(九〇四)とあるのです。
御役(七二、八九)御苦労(五九六ウ)と仰っています。
その代わり、御役すみたら二二晴れる、と仰っています。
5.まとめ
第五巻 地(九二)つ巻では、
世界は、ミコト(三九十)と一つになる事について。
御神示がいくらでも出て来る、その仕組について。
九(苦)の二二の仕組みから生み出されていく神国(十九二)について。
皆が生き返る様相について、それは行じていく事から解る事。
びっくり箱が明けたら、皆、思ひ違いがする、という状況について。
そして、泥海回避ができる局面。
アメのヒツクの神様は、意を裏の五三体の大神様から生み出す事で御かかりになる事。
まで伝えていました。
第五巻 地(九二)つ巻では、
かなり希望が持てる様相にまで変わってきています。
是非、日々の行を九二の仕組みより、産み出し続けて下さい。
そして、びっくり箱が空けるように、思ひが違うようになる為にも、行を次々進め、新たな世界を生みだし続けて下さい。