御神示もその後、着々とマンデラ・エフェクト(書き換え)が進んでいます。
確かに黙示の内容は、より細かく具体的になり、また、各巻、それぞれシナリオがまとまってきている状況になっています。
御神示のマンデラ・エフェクトは、セッションとの方との間で、2022年7月頃からその確認が始まり、具体的にブログで伝えたのは、2022年8月半ば~10月下旬にかけてでした。
ですが、その後も、マンデラ・エフェクトは留まる事無く変わり続け、私自身は2022年11月辺りから2周目を始め、1月末辺りには読み終えていたのですが、その段階では、2周目の御神示のマンデラ・エフェクトについては、最低限だけで、その全てを中々お伝えするタイミングがありませんでした。
その後、2023年2月から、御神示のひふみ解読を始めましたが、慣れるにも時間がかかり、ある程度の解読は進むようになったものの、文面の量的には中々進まない状況でした。
この為、以前に比べますと、御神示の読む量がさすがに減ってしまった事もあり、そこで、今現在思ったのが、もう一度、御神示を冒頭から並行して普通に読み進めよう、と思ったのです。どうしてもこの思いが強くなったのでした。
そして、3月10日~、3周目を始めました。
早速ですが、上つ巻、下つ巻と読み進めましたが、また、かなりの変化が起こっているのに驚きました。
特に上つ巻は、一文がかなり長編化しているのです。(笑)
そこで、今回は、2周目でお伝えできなかったマンデラ・エフェクト、
3周目で新たに気付いたマンデラ・エフェクト、
その上で、ひふみ解読で気付いた事等。合わせて伝えていきたいと思います。
そして、御神示のマンデラ・エフェクトを伝えていく事で、愈々の三月、四月、は無事平穏に乗り越えられる。
だけでなく、愈々、三四五の世へと移行していく可能性が高くなるようです。
今回は、上つ巻だけ、マンデラ・エフェクトを起こしているものを中心にお伝えしていきます。
2周目は、2022年11月14日に、3周目は2023年3月10日~12日にかけてでしたが、
かなり大きな変化を起こしている為、4つに分けてお伝えしていきます。
- 1.上つ巻② その1 第一帖~第九帖
- Ⅰ.七六かしい。この後の御苦労のない代に移るには、七と六が鍵を握る。
- Ⅱ.てんし様が神と解れば、加実が世界の王となる意味が解る
- Ⅲ.人に知られるのは、程々で
- Ⅳ.今に、こ(九)のおつげが、一二三ばかりになる。ひふみ解読できるようになってください
- Ⅴ.きく様にしてきかす、が冒頭に近づいて伝えている
- Ⅵ.一十(ヒトカミ)では、あてにならない
- Ⅶ.富士を開くとは心に(九九六二)神を満たすこと
- Ⅷ.ひむかとは神を迎えるコト。人の病をなほし、神の方へ向けさすお役割
- Ⅸ.九、十、に、月が無くなった意味。コトになる方、なれる方が出て来ている。コトだった御自身を思い出してください。
- Ⅹ.神示録とは、しるし(四の流れの道)、取り合いになる前に、世界を変えて下さい
- 2.上つ巻② その2 第十一帖~第十九帖
- 3.上つ巻② その3 第二十一帖~第二十九帖
- 4.上つ巻② その4 第三十二帖~第四十二帖
- 5.まとめ
1.上つ巻② その1 第一帖~第九帖
まず、冒頭の文面から、六帖までで、長文化し、また、かなり大きな変化を起こしています。
それは、この後の愈々が目前に迫った事。
を示しています。
まずは、この部分でのマンデラ・エフェクトを中心にお伝えします。
Ⅰ.七六かしい。この後の御苦労のない代に移るには、七と六が鍵を握る。
第一帖(一)
●仏もキリストも何も彼もはっきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るから みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。
冒頭の文面では、元々、難しい、だったとみていますが、どこからか、七六かしい、に変わりました。
これは、ひふみ、いろは、の解読で解ってきましたが、あいう、に無く、ひふみ、いろはにあるものとして、
六段目、七段目、があるのです。
六は無、と書けます。また無は、な、とも読めるので、七でも表す事ができます。
六とは、無、であり、七は、もう一段上の無、です。
ですから、六(無)、七(もう一段上の無)、が、御神示の鍵を握る、というだけでなく、
この後進むにあたっても非常に重要なのです。
Ⅱ.てんし様が神と解れば、加実が世界の王となる意味が解る
第一帖(一)
●加実が世界の王になる、てんし様が神と分らん臣民ばかり、口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)といふぞ。
てんし様とは、・四様です。
また、てん四様、てん詞様、という記述が現れています。
また、不思議と、天使、の記述の際には、様が付きません。
てんし様とは、四より四の二二の仕組を生みだす存在です。
そして、ひふみ、になりますと、八の動きから四を生みだす存在、となり、
いろは、になりますと、八の二二の仕組から、九の四を生みだす存在、になります。
その鍵は、口と心と行、三つ揃うことが求められます。
加実が世界の王になる、のは、御自身が、行から、しきまきや、によって、御自身が新たな世界を生みだしていく事から、神様、生き通し、の存在になっていくのです。
Ⅲ.人に知られるのは、程々で
第二帖 (二)
●人に知れたら帳 引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。
これも、無料の行3年間ちょっと、またこの道一本になって約2年間行じてみたから思うのですが、
人には、必要以上にあまり知られない方が良さそうです。
といっても、まず、七名には知らせ、最初の七柱三柱揃えれば動き、五十名程とは何かの形でご縁を持つ、という記述もありますので、この辺りを意識して頂ければ、と思います。
人に知れんように、そして、人(ひと)の為、国(くに)の為に働いてください。
人は、一十(ヒトカミ)、神様の始まりでもありますが、
ひふみ、では、永劫の過去を楽しみ、二二の仕組を始めていく存在でもあるのです。
国は、九二、九の二二の仕組、を始め、ひふみ、では、無の動きから、
九を八一の世界を二二の仕組によって浄化していく存在になります。
それが、まことの神の神民、と仰っています。
ちなみに、一帖で、
●人の力で何が出来たか、みな神がさしてゐるのざ、
二帖で、
●人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、
人の力、人の智恵と、こう連続して、限度を伝えているような事は無かったと見ています。
文面の位置も変わってきています。
出だしでこのような流れですから、
早く、人我の限界に気付いて下さい。
と今現在は、かなり即されているところ、急いでいる所があります。
Ⅳ.今に、こ(九)のおつげが、一二三ばかりになる。ひふみ解読できるようになってください
●第三帖 (三)
今にこのおつげが一二三(ヒフミ)ばかりになるから、それまでに身魂をみがいて置かんと、身魂の曇った人には何ともよめんから、早く神こころに返りて居りて呉れ、何も一度に出て来る。海が陸になり陸が海になる。
鍵を握る、御自身にとっての、九、ですが、身魂が曇ったままですと、御神示は、何とも読めません。
解釈が一通りで留まったり、理解にも限界があります。
ですが、いずれ、一二三(ヒフミ)ばかりになり、御神示はそこで知らすようになっていきます。
ですが、ひふみ解読ができるようになっていきますと、御神示の意味が解ってきます。
是非、ひふみ解読ができるようになってください。
(裏の仕組では徐々に開始しています)
また、ひふみ解読、と言っても、一部の方を除き、慣れるまでにそれなりに時間がかかると思っています。
(なお、ひふみ解読の詳細は、こちらではあまり詳しく伝えないように、仕組が壊れる原因になる、という事なので、ご了承下さい。)
Ⅴ.きく様にしてきかす、が冒頭に近づいて伝えている
第四帖 (四)
●急ぐなれど、臣民なかなかに言ふこときかぬから、言ふこときかねば、きく様にしてきかす。神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか、
この文面そのものは以前からありました。
ですが、このような出だしの辺りには以前は無かったと見ています。
一刻も早く、この道に進んで下さい。
と訴えている事が解ります。
これを書いています、2023年3月段階で、私達の世界も今後かなり加速していくと見ています。
Ⅵ.一十(ヒトカミ)では、あてにならない
第四帖 (四)
●卍も一十もあてにならぬ、世界中一つになりて⦿の国に寄せて来るぞ。それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか、分らねば神にたづねて政事(まつりごと)せねばならぬと云ふことまだ分らぬか。神と人とが交流(まつり)合はしてこの世のことが、さしてあるのぞ。人がきかねば神ばかりで始めるぞ。
卍は仏教と解釈ができそうなので、一十、はキリストでしょうか。
ただ、一十、はヒトカミ、と読めますから、ヒトそのものとも言えると思います。
いずれにしても、どちらも、あてにならないのです。
ちなみに、一十(ヒトカミ)、という書かれ方は、昨年11月頃にはされていましたが、
その前は無かったと見ています。
ここで、求められるのは、まつり、です。
簡単に言えば、和合、です。
今現在、あらゆる存在との、和合が、求められています。
和合、特に合わない者との和合が求められているでしょう。
それは、その手法、だけでなく、進める順番も重要で、無理なく進めていくにも、それは神様につながっていかない事には解らないようになっています。
実際、行じ、省みるの連続から、洗濯、掃除、改心、が常々求められ、今現在より、新たな世界を生み出して行く以外にないのです。
そして、今現在が常に足場です。
この連続から無限に生み出して行く事で、三四五の世界に移行しています。
人がきかねば神ばかりで始めるぞ。とありますが、もう私達の時空間では、既に始まっている段階でもあります。
マンデラ・エフェクトが、その現れであり、並行宇宙では、離れ離れになった人もいるでしょうし、周囲は、常に新たな世界へと移行しています。
そして、戦争、天変地異、疫病、と回避し、大難が小難で、病神の仕組、物価高も、相応で留めて頂いているのが実際の所です。
ですから、一刻も早く、行を始め、新たな世界を生みだして下さい。
Ⅶ.富士を開くとは心に(九九六二)神を満たすこと
第五帖 (五)
●富士とは神の山のことぞ。神の山はみな富士(二二)といふのぞ。見晴らし台とは身を張らすとこぞ、身を張らすとは、身のなかを神にて張ることぞ。臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ。大庭の富士を探して見よ、神の米が出て来るから、それを大切にせよ。富士を開くとは心に神を満たすことぞ。
文面後半、大庭の富士を探して見よ、神の米が出て来るから、それを大切にせよ。・・・以下の文面は、昨年11月には無かったはずで、その後、新たに生まれたと見ています。
(おおにはの二二)は、大きい二八の二二の仕組でもありますが、
ひふみ、になりますと、お、がシチニとなり、シチニの神様の二二の仕組。
それは、もう一段上の無を生みだす二二の仕組です。
すると、神の米が出て来るから、の意味も解ってくると思います。
米、八方向の世界を生みだす、という事があります。
しきまきや、の二の二乗、さらに二乗です。
二二の仕組が、立体の世界に進み出すのです。
富士を開くとは、心に(九九六二)神を満たすコトです。
Ⅷ.ひむかとは神を迎えるコト。人の病をなほし、神の方へ向けさすお役割
第五帖 (五)
●ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかはその使ひぞ。ひむかは神の使ひざから、九の道を早う開ひて呉れよ、早う伝へて呉れよ、ひむかのお役は人の病をなほして神の方へ向けさすお役ぞ、この理をよく心得て間違ひないやうに伝へて呉れよ。
第五帖 (五)のマンデラ・エフェクトは最後まで続きます。
ひむかとは、神を迎えるコトです。
あいう、での、ひむか、は火無加、です。無を始めていく事です。ですが、
ひふみ、になりますと、ひ、は永劫の過去となり、無、六が、二三ですので、三が道を生みだす二二の仕組となり、
か、は六七ですから、新たに無、そしてもう一段上の無。
へと進む事を意味します。
ひむか、とは、永劫の過去から、六が三が道を産む二二の仕組から、六を七へと産み出していくコトです。
ですから、ひむか、の後が、
とは、ですと、永遠の意味もあり、神を迎えるコト、となり、
は、になりますと、八の流れから、その使ひ、となります。
そして、九の道(このみち)を早く開いて、早く伝えて下さい。とあるのです。
ひむか、は、誰もが通る道ですが、それは、しきまきや、を起こして行く事であり、
それは、人の病をなほして(七火四、四四)神の方へ向けさすお役割なのです。
Ⅸ.九、十、に、月が無くなった意味。コトになる方、なれる方が出て来ている。コトだった御自身を思い出してください。
第六帖 (六)
●外国の飛行機が来るとさわいでゐるが、まだまだ花道ぞ、九、十となりたらボツボツはっきりするぞ。臣民は目のさきばかりより見えんから、可哀さうなから気をつけてゐるのに何してゐるのか。大切なことを忘れてゐるのに気がつかんか。この知らせをよく読みて呉れよ。十月まで待て。それまでは、このままで居れよ。
この文面そのものは以前からありましたが、恐らくながら、
以前は、九、十月、だった所が、月、が無くなることとなりました。
それは、九、となり、十、となるコトが、もうそろそろ、あちらこちらに登場していく、という時空間に入ってきている、という事です。
そして、十月まで待て、といっても、何もせず待っていては、再度、九、十、に月、が戻るかもしれません。
それでは、コトから遠のくのです。
大切なコトを忘れてゐるのに、の、ゐる、は成り下がっている現在、を理解して頂ければ、と思います。
それは、生前は、元々九、十、(コト)だった事。
を思い出してください。という意味があります。
Ⅹ.神示録とは、しるし(四の流れの道)、取り合いになる前に、世界を変えて下さい
第九帖 (九)
●この世のやり方、わからなくなったら、この神示録(しるし)をよまして呉れと云うて、この知らせを取り合ふから、その時になりて慌てん様にして呉れよ。日本の国は一度つぶれた様になるのざぞ。一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。その時にお蔭を落さぬやう、シッカリと神の申すこと腹に入れて置いて呉れよ。
以前は、神示(ふで)だったと思いますが、今現在では、神示録(しるし)となっています。
しるし、は、あいう、でも、四の流れ、についてですし、
それは、即ち、しきまきや、です。
ひふみ、でも、四一、四三、四一、と書けますので、
しるし、とは、四の仕組そのものなのです。
ちなみに、いろは、では、九四、三三、九四、となりますので、
九の四の仕組であり、その流れは、ミミ、三の二二の仕組から始まるのです。
もう、しるし、について、ここまで具体的に解るようになってきましたから、
一刻も早く、行じ、御自身の世界を生みだし、進めて行ってください。
2.上つ巻② その2 第十一帖~第十九帖
Ⅰ.東京は元の土に一時はかへる
第十一帖 (一一)
●いづくも土にかへると申してあろうが、東京も元の土に一ときはかえるから、その積りでゐて呉れよ。神の申したこと違はんぞ。東京は元の土に一時はかへるぞ、その積りで用意して呉れよ。
東京、という文言は、2022年11月段階で産まれた単語で、それ以前は、江戸、しかありませんでした。
81の世界になりますと、元の土にかえる、については、泥海に戻す事が想像つくかと思いますが、
元の土とは、五三体の大神様の事であり、住む場所というよりは、
周囲の世界が、五三体の大神様へと変わる可能性があると見ています。
既に東京は北に移動しているマンデラ・エフェクトを起こしている事もありますが、
土にかへるのは、文面冒頭にもあります通り、いづくも、土にかへる、のです。
一切の存在が、土、カミヒト、そして御三体の大神様、に変わって行くのです。
東京は、現段階では、(とうきょう)、という読み方だと思いますが、
御自身の行が進むに応じて、(みやこ)、だったり、(えど)、という読み方になるかもしれません。
そのつもりで用意して呉れよ。とありますが、
用意(ようい)は、四を生む意、でもあるのです。
是非、しきまきや、を進めて下さい。
Ⅱ.大将を誰も行かれん所に連れて行かれんやうに、その深い意味とは
第十二帖 (一二)
●大将を誰も行かれん所へ連れて行かれんやうに、上の人、気をつけて呉れよ。この道はちっとも心ゆるせんまことの神の道ぞ。油断すると神は代りの身魂使うぞ。
この文面も、段階が低いと、大将は、刑務所にでも連れて行かれるのかな、と思ったりするでしょう。(笑)
ですが、段階が進むごとに、それぞれの世界は別々に分かれていきます。
ですから、ある日、忽然と消えたり、時空間ごと別となり、もう会えなくなる危険性が出て来ると見ています。
今すでに、私もセッションを受けられていた方でも、初期の方とはお会いできなくなった方も居ますし、現在、セッション受けた方々、岩戸開いた方々も、既に、同じ現象を経験している方も居ます。
と思えば、同じ人が、全く別人のようになって、出会うケースもあったりします。
このように、御自身の、行、そして、理解の深さ、進捗、に応じて、進む時空間も全く別のものとなるのです。
特に段階が進んでいる人程、いつどこに時空間テレポートするか解らない。
と思っています。
ある日、忽然と会えなくなる可能性。
インターネット上でも見つからなくなったりする可能性があるのです。
実際、ネットニュースや、ネット上での過去の歴史、情報が、書き換わっている事が、何よりその証左かもしれません。(笑)
ですから、マンデラ・エフェクトによって離れないようして下さい。
がかなり強いと思っています。
その為にも、今できる事は着実に。
油断する事なく、行を進めて行ってください。
Ⅲ.神様は、心、身魂、分け隔てない
第十四帖 (一四)
●この神示(ふで)よく読みて呉れよ、読めば読むほど何もかも分りて来るぞ、心とは神民の申す心でないぞ、身魂とは神民の申す身魂でないぞ、身たまとは身と魂と一つになってゐるもの云ふぞ、神の神民身と魂のわけ隔てないぞ、身は魂、魂は身ぞ、外国は身ばかりの所あり魂ばかりの所あり、神は身魂の別ないぞ、この事分りたら神の仕組みがぼつぼつ分るぞ、身魂の洗濯とは心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ、よく気をつけて呉れ、神の申すことちがはんぞよ。
心、身魂についても、更に詳しく書かれているようになっています。
神様には、分け隔てないのです。
外国は、身ばかり、魂ばかりの所がありますが、神様は、身魂の別はありません。
また、身魂の洗濯、心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でもありません。
普段の、3次元的な行。
食事や、行い。の洗濯、選択。もあるようです。
Ⅳ.世ひらく仕組について
第十六帖 (一六)
●ひふみの火水とは結ぞ、中心の神、表面に世に満つことぞ、ひらき睦び、中心に火集ひ、ひらく水。神の名二つ、カミと神世に出づ。早く鳴り成り、世、新しき世と、国々の新しき世と栄へ結び、成り展く秋来る。弥栄に神、世にみちみち、中心にまつろひ展き結ぶぞ。月出でて月なり、月ひらき弥栄え成り、神世ことごと栄ゆ。早く道ひらき、月と水のひらく大道、月の仕組、月神と日神二つ展き、地上弥栄みちみち、世の初め悉くの神も世と共に勇みに勇むぞ。世はことごとに統一し、神世の礎極まる時代来る、神世の秘密と云ふ。
ひふみの火水(ひみつ)とは、結(むすび)ぞ。です。
その後の詳しい文面は、以前ここまでは無かったのですが、今現在はかなり出て来ています。
中心の神様とは、元の神様、世の元の神様。七二の神様。
表面に世に(四二)三つコトぞ。です。
世(四)はことごとに統一し、はしきまきや、四つの世界が和合し、新たに一つの世界を生みだす。
という事です。
前世ヒーリングに限らず、しきまきや、は全てこの流れですが、
これも、ここまでお伝えしてあった事。しきまきや、を起こし、行を進めていく事。
その事がここに書いてある通りにもなってきています。
Ⅴ.よきこと悪く映る、わるきことよく映る事、まだまだ多い
第十八帖 (一八)
●臣民の心の鏡凹(くぼ)んでゐるから、よきことわるく映り、わるきことよく映るぞ。
例えば、死、を迎えても、その迎え方が重要です。
死とは、次元が変わる時に起こる現象でもありますので、案外、死、は悪いものでもないケースがあります。
同様に、忽然と消えた、というのも、その方にとっては、良い次元に進んでいる可能性があります。
この世での悪いこと、それ程悪いことばかりではないのかもしれません。
ただ、この文面、この記述の仕方は初めて、と見ます。
Ⅵ.まつるには、まず掃除から
第十九帖 (一九)
●神の国⦿の山に⦿祭りて呉れよ、祭るとは神にまつらふことぞ、土にまつらふことぞ、人にまつらふことぞ、祭り祭りて嬉し嬉しの世となるのぞ、祭るには先づ掃除せねばならんぞ、掃除すれば誰にでも神かかるやうに、日本の臣民なりて居るぞ、神州清潔の民とは掃除してキレイになった臣民のことぞ。
まつるには、まず掃除せねばならん、という具体的記述も初めてとみます。
そして、掃除すれば、誰にでも神かかるやうに、日本の臣民はなっている事もここでは伝えています。
3.上つ巻② その3 第二十一帖~第二十九帖
Ⅰ.富士は愈々動く
第二十一帖 (二一)
●富士から三十里四里離れた所へ祀りて呉れよ、富士にも祀りて呉れよ、富士はいよいよ動くから、それが済むまでは三十里離れた所へ、仮に祀りて置いて呉れよ。富士は神の山ざ、いつ火を噴くか分らんぞ、神は噴かん積りでも、いよいよとなれば噴かなならんことがあるから、それまでは離れた所へ祀りて呉れよ、神はかまはねど、臣民の肉体大切なから、肉体もなくてはならんから、さうして祀りて呉れ。
実際に、富士山も移動するマンデラ・エフェクトが起こっています。
愈々動いている段階です。
そして、二二から悟り知り、離れた(八七〇十)所へ祀ってください。
八からナルトの仕組の所です。七から十を生みだすのです。
さらに富士、二二、不治、は動きますから、それが済むまでは、悟り離れた所にも、
つまり、悟れていない所にも、仮に祀ってください。
Ⅱ.天地の元の・(てん)の大神様、くに(九二)の大神様、をよく祀って下さい
第二十五帖 (二五)
●この道に縁ある人には、神からそれぞれの神を守りにつけるから、天地の元の・(てん)の大神、くにの大神と共に、よく祀りて呉れよ。
この文面も初めて出て来ていると見ています。
天地の元の・(てん)の大神様、くに(九二)の大神様、
共によく祀ってください。
・(てん)の大神様は、元の神様、四四から生み出す大神様、です。
ひふみ、では、八の変化を起こし生み出す大神様、
いろは、では、八の二二の大神様から九の二二の立体に進む大神様、となります。
くに(九二)の大神様は、九の二二の大神様ですが、
ひふみ、では、九が、六の変化から、81を八一にまつり変へる大神様、であり
いろは、では、九が、六の変化から、二二の仕組を始める大神様、です。
Ⅲ.ひつくのかみの道ひらけがあるには
第二十六帖 (二六)
●神にまつらふには洗濯せなならんぞ、洗濯すれば神かかるぞ、神かかれば何もかも見通しぞ、それで洗濯洗濯と、臣民 耳にたこ出来るほど申してゐるのざ。七月の一日、ひつくのかみの道ひらけあるぞ。
日付の後に、ひつくのかみの道ひらけあるぞ。
は初めての文面と見ます。
その為には、神にまつらひ、洗濯して下さい。
洗濯しますと、神かかり、何もかも見通しになります。
段階が進むと、実感していく事になります。
Ⅳ.ウシトラ悟り知りの仕組について
第二十七帖 (二七)
●何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。元の仕組は富士(二二)ぞ、次の仕組はウシトラ三十里四里、次の仕組の山に行きて開いて呉れよ、今は分るまいが、やがて結構なことになるのざから、行きて神祀りて開いて呉れよ、
世の元の仕組は二二の仕組、です。
その次は、ウシトラ(北東)悟り知り、です。
裏の仕組では、宝の秘密、北南東西が解ってきているので、この意味の事もかなり解ってきていると思います。
北(キタ)、東(ヒムカシ、ヒガシ)、が鍵になります。
それは、御神示、ひふみ解読。特に、宝。を解読すれば解るようになっているようです。
そして、山は、八マです。
ま、は、あいうは、七一ですが、
ひふみでは、九二です。
次の山は、八が、七一から九二、へと変わっていくのです。
ひふみ、では、山は、二五、九二、になります。
八が、二二の動きとして、九二の二二の仕組、となるのです。
ちなみに、いろは、における山は、六六、六七、です。
山とは、最終的に、無の二二の仕組からもう一段上の無を生みだす仕組みになるのです。
ウシトラサトリシリ、もかなり解ってきたのではないでしょうか。
Ⅴ.最後のことは、この神にならないと解らないようになっている
第二十九帖 (二九)
●この世が元の神の世になると云ふことは、何んなかみにも分って居れど、何うしたら元の世になるかといふこと分らんぞ、かみにも分らんこと人にはなほ分らんのに、自分が何でもする様に思ふてゐるが、サッパリ取り違ひぞ。やって見よれ、あちへ外れ こちへ外れ、いよいよ何うもならんことになるぞ、最後のことは この神でないと分らんぞ。いよいよとなりて教へて呉れと申しても間に合はんぞ。
この世が元の世になる事。
それは、どのような神様にも解ってはいるのですが、
どうしたら元の世になるか、というのは分かっていないようです。
ですから、様々な思考で捉えようとしても、外れるようになっているようです。
ただ、はっきりしているのは、こ(九)の神でないと分からない、とあります。
逆に言えば、九の神様なら解るとも言えます。
ですから、御自身が、九の神様になれるように、日々、行じていく以外ないようです。
その為に、愈々になりて教へて呉れと申しても間に合わないのです。
九の神様、コトになるには、行じ省み、しきまきや、を起こし、新たな世界を生みだした先に、御自身の中に現れるようになっているようです。
4.上つ巻② その4 第三十二帖~第四十二帖
Ⅰ.岩戸の開け方とは、一二三(ヒフミ)を唱(十七)へる
第三十二帖 (三二)
●一二三唱へて岩戸あくぞ。神から見た世界の民と、人の見た世界の人とは、さっぱりアベコベであるから、間違はん様にして呉れよ。ひみつの仕組とは一二三の仕組ざ、早う一二三唱へて呉れよ、一二三唱へると岩戸あくぞ。
このように、一二三(ヒフミ)を唱へると、岩戸があく、という文面も初めてと見ます。
一二三を唱(十七)経ると、岩戸があく、というのは何となく判ると思いますが、
とな、は、ひふみでは、三二、二四、ですので、
三の二二の仕組から、二のしきまきや、を起こす、という意味があります。
ひみつの仕組とは、あいうでは、六二、七二、四三、の仕組ですが、
それは、ひふみ、では、一一、一三、五三、の仕組になります。
当初は、無の二二の仕組から、もう一段上の無、シチニの神様の仕組。
それが、段階が進みますと、しきまきや、から三が道を生みだすには、永劫の過去(一一)から、
三が道を始める事から、五三体の大神様に進む、という意味があるのです。
そして、一二三を唱へますと、岩戸があく段階がいずれやって来るようになります。
Ⅱ.(たたよへるくに)の修理固成(かため)の終りの四あけ、が一番大切の役
第三十四帖 (三四)
●何事も天地に二度とないことで、やり損ひしてならん多陀用幣流天地(たたよへるくに)の修理固成(かため)の終りの四あけであるから、これが一番大切の役であるから、しくじられんから、神がくどう申してゐるのざ、神々さま、臣民みなきいて呉れよ。(中略)一日(ひとひ)に十万の人死ぬ時来たぞ、世界中のことざから、気を大きく持ちてゐて呉れよ。
たたよへるくにの修理かための終りの四あけ、は明らかに初めて出て来る文面です。
そして、これが一番大切の役とも記されています。
たたよへるくに(十十四へる九二)
とは、十の二二、そして十のしきまきや、を経て、九の二二の仕組に進むことです。
終わり、は、ひふみ、では、七二の神様の和の理、です。
また、七二、五四、八三、とも現わせます。
ですから、闇からシチニの神様によって、動きをしきまきや、としていくのです。
その夜明け、四あけ、とは、
あいう、では、永劫の過去に向けてのしきまきや、の気です。
ひふみ、では、よ、四、が、九のしきまきや、となり、九の立体の二二の仕組と進む事を意味します。
ですから、神々様の四、しきまきや、を経た九の二二の終わり、
それは七二の神様から闇から和して、理を生みだすのです。
そして、永劫の過去に向けて、九の立体二二に進むようになるのです。
Ⅲ.死んで生きる人と、生きながら死んだ人が出来る状況について
第三十五帖 (三五)
●死んで生きる人と、生きながら死んだ人と出来るぞ。
そもそも、死とは、段階が変わる状態ですから、死んで、生きる人とは、既に、時空間テレポートで移行している方になる可能性があります。
一方で、生きていながら、時空間テレポートしていく事で離れていく方は
死んだ、とも言えなくないでしょう。
ですから、消えて生きる人と、生きながら消える人と出来るぞ。
と置き換えする事ができそうです。
この他にも、生き通しの状況から、この事に類似する様々な現象が
生まれて来る可能性があります。
訃報二回、また生き返ったりする現象は、よくあるマンデラ・エフェクトですが、これも含まれているでしょう。
Ⅳ.カミカカリ沢山、の状況が上つ巻にも登場
第三十九帖 (三九)
●地震かみなり火の雨降らして大洗濯するぞ。よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。カミカカリが沢山出来て来て、わけの分らんことになるから、早く此の理(みち)をひらいて呉れよ。神界ではもう戦の見通しついてゐるなれど、今はまだ臣民には申されんのぞ。改心すれば分りて来るぞ、改心第一ぞ、早く改心第一ざ。
カミカカリが沢山出て来る、わけの分からないことになる事について、
上つ巻では、このような文面が登場したのは、初めてではないかと見ています。
ですから、もう早くこ(九)の理を開いてください。
もう神界では戦の見通しついているようですが、まだ、臣民には申されない、とありますが、
九の理を開いたなら、それは、もう見通せる段階になります。
その為には、改心が、第一のようです。
繰り返し伝えられているように、改心を続けて行かないとなりません。
その為には、行じていく以外ないのです。
Ⅴ.如何なる時でも、臣民の洗濯第一
第四十帖 (四〇)
●北も南も東も西もみな敵ぞ、敵の中にも味方あり、味方の中にも敵あるのぞ。きんの国へみなが攻めて来るぞ。神の力をいよいよ現はして、どこまで強いか、神の力を現わして見せてやるから、攻めて来て見よ、臣民の洗濯第一と言って居ること忘れるなよ。
四方が全て皆敵状態になる時はあるようですが、
それは、思念界のみで容易に実現可能です。
ですから、敵の中にも味方はありますし、味方の中にも、敵がある状態になります。
ですが、敵は、(てき)となりますと、あいう、では、四四、二二、ですから、次々しきまきやから生みだして行く存在ですし、ひふみでは、八五、四二、ですから、八の動き、から、更にしきまきや、が二二の仕組となっていくのです。和合の元の存在なのです。
きんの国へみなが攻めるのは、段階が低いと、81の世界のようになりますが、
きんのくに、は、あいう解読では、二二が産み出す九二、ですし、
ひふみ解読では、しきまきやの二二の仕組から産み出し、九の始まりが、九二となり、
六の動き、変化、から、81が八一へと変わる動きとなっていくのです。
ですから、攻めて来て見よ、とは、
実は、敵ではなく、御自身がする段階がやがて来るのです。
いずれにしても、臣民の洗濯が第一なのです。
Ⅵ.我欲で進むと、助けやうもなくなる
第四十一帖 (四一)
●人の知らん行かれん所で何してゐるのぞ。神にはよう分って居るから、いよいよといふ時が来たら助けやうもないから、気をつけてあるのにまだ目さめぬか。闇のあとが夜明けばかりと限らんぞ。闇がつづくかも知れんぞ。何もかも捨てる神民、さひはひぞ、捨てるとつかめるぞ。
人の知らん行かれん所。
それは、現在の平面世界、のままの未来です。
どうしても、我欲で進みますと、81の世界に行く事になります。
その場合は、闇のあとは夜明けではなく、闇が続くかもしれません。
その為には、捨てると掴めるようになっています。
捨てるは、あいう、では、三三、四四、流。です。
ミミから四のしきまきや、です。
ひふみ、では、九三、八五、四三、です。
九の三が道から、八の動きが、しきまきやの三が道を生みだすのです。
捨てると、新たな道、特に三、に進むようになっています。
是非、御神示と共に進んで下さい。
Ⅶ.お山開いてください
第四十二帖 (四二)
●初めの御用はこれで済みたから、早うお山開いて呉れよ。お山開いたら、次の世の仕組書かすぞ、一月の間に書いて呉れた神示(ふで)は「上つ巻」として後の世に残して呉れよ、これから一月の間に書かす神示は次の世の、神の世の仕組の神示ざから、それは「下つ巻」として後の世に残さすぞ、その積りで気をつけて呉れよ。御苦労なれども世界の臣民の為ざから、何事も神の申すこと、すなをに聞いて下されよ。七月の九日、ひつくのか三かく。
お山を開いてほしい、という文面は、上つ巻では何度も出てきます。
お山(おやま)とは、あいう、では、終わりの八の真です。
それを開きますと、次は、ひふみのお山が待っています。
ひふみ、では、七二、二五、九二、です。
シチニの神様、七の二二の仕組より、二つの動き、変化より、
九の二二の仕組を生みだす、のです。
さらに、いろは、では、六四、六六、六七、です。
六のしきまきや、より、六の二二の仕組から、もう一段上の無、七を開くのです。
上つ巻では、お山を開く事がまず求められていますが、
これも、段階が進んで行く事にその詳細が解っていくようになっています。
5.まとめ
2022年11月辺りまでの段階では、主にあいう、の解読でしたが、
2023年3月段階ではひふみ、の解読も入ってきています。
そして、数字、ひふみ、として、文面そのものの変化も出て来ており、自身のしてきた解読の流れに応じて、御神示もマンデラ・エフェクトを起こしています。
御神示のマンデラ・エフェクトも、人によってその起こり方、変化の仕方は、違ってゐると見ていますが、それも、その方の理解、行、に応じて変わるようです。
●酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、
冒頭の一帖目~六帖目まで、主に警告的な内容が連続していますが、それでも、最初からあったこの文面。
二帖目にあるこの文面も、かなり具体的に描けられるようになってきています。
ですが、実際には、行をしていかないとそれは、実現しませんし、九の世に進む事はありません。
それは、しきまきや、より、日々、世界を生みだす以外ないようです。
そして、御神示の解読も進むようになっています。
それは、普段の行と共に、解るようになっているのです。
この流れで、ひふみ、の解読も進むようになります。
今回、上つ巻のみでしたが、それでもかなり膨大な変化が起こっています。
今一度、読み返してください。
そして、新たな世界への移行を、一日でも早く、御神示の通り、行を進めて頂ければと思います。