次元上昇のきっかけ178 御自身の騙しの神様、浄化の順序について

次元上昇のきっかけ

今現在、御神示のマンデラ・エフェクトが起こり、岩戸は既に開いている状態です。

ですが、その為に、御自身の騙しの神様に向き合う時に来ています。
さかさまのものが御自身、また御自身の周囲に現れているのです。

私もこの11月~12月がそうでしたし、岩戸を開いた方々も同じでした。

御自身の騙しの神様は、最後の岩戸開く最後まで、付き合っていく存在です。
そして、騙しの神様の向き合い方も、段階に応じて変わって行きます。

騙しの神様は、最後まで根深く存在しており、中々大変な行です。

ですが、この行を進めて行かない事には、御自身の中で岩戸は開けないようになっていきます。

あまり、ここまで、騙しの神様について、その具体的内容は伝えてきませんでしたが、
今回は、騙しの神様の存在意義。
更には、段階に応じた騙しの神様の向き合い方、について御伝えしていきたいと思います。

目次

1.騙しの神様と同義の神様とは、神一厘

当初は、同じ名の神様が御神示の中で、2つある。という事で、
騙しの神様に対応する神様とは、おろしやの悪神様と思っていました。

ですが、それは善悪の基軸に囚われていますと、このような感じになりがちです。

段階が進んできますと、騙しの神様に対応するのは、神一厘、と見ています。
騙しの神様とは、新たな世界を生みだす存在なのです。

騙しの神様から見ますと、善悪、というのが無いですし、実は、善悪、両方存在しつつ弥栄していく事が可能でもあるのです。

そして、騙しの神様とは、善悪の和合の鍵を握り、新たな世界産み出す鍵を握るのです。

ですから、智の中に悪を取り込む余裕が無ければ、コトに進む事ができないのです。
これは、私も段階が進んでいく事で判ってきた事です。

騙しの神様について、段階に応じて理解を進めていけば、かなり楽になってきます。
ですが、最後まで、
騙しの神様の浄化は高度ですし、中々の行、と御神示にもある通りです。

ですから、今回は、御神示の文面を、浄化の段階に応じて分けてお伝えしてみようと思います。

2.騙しの神様、初期の段階の文面

騙しの神様、序盤の文面です。
ですが、ここに入るまでも、中々できない方、の方が多いと思ってください。

Ⅰ.人類の古来から騙されてきた流れについて

今日(こんにち)までの御教は、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云ふ、これが悪魔の御教(みおしへ)ぞ、この御教に人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことのおろかさよ、三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願ひしも、それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々ふへるのみ、悪殺すてふ其のことが、悪そのものと知らざるや、神の心は弥栄ぞ、本来 悪も善もなし、只み光の栄ゆのみ、

この内容は、何千年も人が騙されて、それが正しいと思い、気付かずに騙し、気付かずに騙され、命を奪ってきた流れを伝えています。

約5000年前、インダスでの次元低下からがきっかけで、その後エジプトを中心にこの価値観が広まっていきました。その後、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来る、という宗教観が確立し、聖戦化が激化したのは3000年位前なのかもしれません。

悪を殺せば、平和がやってくる。
ですが、実際には、それは逆で、悪を殺せば、悪はどんどん増える時空間に変わって行くのです。

その最も小さな型が死刑制度です。
西洋では近年殆どの国で廃止されましたが、今でも日本は続いていますし、東洋の多くの国は継続中です。

そして、長い転生で、この事と無縁の方はいません。
ですから、その浄化も求められて行くのです。

まずは、この流れが何千年も続いてきた事。
無縁の方は居ない事。

この理解が重要ですし、ここが、騙しの神様の浄化の始まりになります。

Ⅱ.悪の仕組に騙されている事に気付いたら、御神示を訪ねてください

悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、もう直ぐ目さめるぞ、目さめたらたづねてござれ、この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。

悪の仕組に騙されている事。気付き始めた方は、近年徐々に増えてきていますが、
まだまだ多くの方は騙されている事に気付いていません。

涌珍接種が顕著でしょう。
ですが、それでも打たない人もそれなりに増えてきています。

様々なプロバガンダ(実は殆どがそう)にも気付いている人も増えてきています。

人欲基軸で、この世、有の世界を如何に人が都合化していたのかが判ると思います。
それは宗教観までも、その影響を受けている、と言ってよいです。

全ては人欲基軸で、気付かずに騙し、騙されていたのです。

この事に気付かれましたら、是非、御神示を読んで下さい。

この段階を通過できる方は、御神示の意味が解っていくでしょう。

(逆に言えば、騙されている間は、中々御神示に入っていく事は難しいかもしれません)

Ⅲ.多くの方々。殆どは囚われて、騙されている

ウヨウヨしてゐる霊かかりにまだ、だまされて御座る人民多いのう、何と申したら判るのであるか、奇跡を求めたり、われよしのおかげを求めたり、下級な動物のイレモノとなってゐるから、囚われてゐるから、だまされるのぢゃ、霊媒の行ひをよく見ればすぐ判るでないか。

3次元世界が、人欲基軸で、騙されている、と解りますと、
次は、霊的なものに進む事も多いのですが、奇跡主義の宗教観に進んだり、奇跡主義の霊媒に進み騙される方も多いです。

実際、霊かかりとは、霊的なものだけでなく、3次元価値も含みます。
広い意味では全て憑依です。3次元価値観に騙されますと、われよしのおかげになりやすいです。
それだけでなく、宗教、霊媒でも同じです。

この他に、下級な動物のイレモノになっている段階の方もいるでしょう。

それは、霊媒の行いを見ればすぐ判ると思います。
基本は、皆この型なのです。

ですが、多くの方は、この段階でしょうし、この経験をしなかった方もいないでしょう。

囚われ、から外れる事そのものが大変な環境の方も居ますが、
この、囚われ、ですがかなり根深いものですので、段階を追って、1つ1つ、騙しの神様から外れていく事が求められます。

Ⅳ.この方も騙しているが、騙しとは、新たな世界を産み出す元

光現はれると道はハッキリと判りて来るのぞ、この方にだまされたと思うて、言ふ通りにして見なされ、自分でもビックリする様に結構が出来てるのにビックリするぞ。

騙しの神様の初期段階から目覚めますと、光が現れるようになります。
そして道も判って来るようになります。

最初は、御神示の言ふ通りにしてみてください。

実は、広い意味では、御神示そのものも騙している所があります。
良く言えば、サプライズです。

そして、それは、そう簡単には判らないようになっています。
実行していかないと判らないようになっているのです。

そして行じていきますと、自分でもビックリする様に結構が出来ているのです。

この実感を、御神示と共にまずしてみて下さい。
この道に一本に絞り行じて行けば、更にそのビックリもどんどんと体験する事になります。

Ⅴ.多くの方は、御神示はあてならない、騙されてゐたと、申すようになっている

大き声せんでも静かに一言いえば分る臣民、一いへば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ、今にだんだんにせまりて来ると、この方の神示(ふで)あてにならん だまされてゐたと申す人も出て来るぞ、よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世界きよめて呉れよ。分らんと申すのは神示読んでゐないしるしぞ、

ここにもあります通り、一言いえば判る方、一いえば十知る方であれば、まことの御用はできる、という事です。
ですから、御神示にも、そのように解釈をしてみて下さい。

ですが、実際には、愈々が近づいても、この方の申す御神示はあてにならない、
騙されていた、と申す方々。やはり多いです。

それは、行じていないですし、読んでいないからです。
ですから、理解ができないようになっているのです。

行じていき、省みていきますと、心に入っていきますし、経験していきますから、御神示の内容の意味が解って来るのです。

その後はやがて、心に入れて、息吹として、言葉として世界きよめていけるようになっていきます。

御神示は、読むだけでなく、行じ、体験しないと判らないようになっているのは、他にも記述にある通りです。

3.騙しの神様、中盤の段階の文面

行じてきて、中盤に差し掛かってきた時に意識する文面です。

Ⅰ.この世の苦しみは、騙して無理に引っ張り出した為

ダマシタ岩戸からはダマシタ神お出でましぞ、と申してくどう知らしてあろがな、ダマシて無理に引張り出して無理するのが無理ぞと申すのぞ、無理はヤミとなるのざぞ、それでウソの世ヤミの世となって、続いてこの世の苦しみとなって来たのざぞ、こうなることは此の世の始から判ってゐての仕組、心配せずに、此の方に任せおけ任せおけ。

この世の苦しみは、ダマシタ岩戸から、ダマシタ神を引っ張り出したところから始まりました。

それは、人の我欲から始まったのです。
突き詰めますと、人愛です。

そこには、無理に引っ張り出した事も原因でした。

そして、無理するのは無理、となるのです。
無理はヤミとなり、ウソの世ヤミの世となって、続き繰り返され、現在のこの世の苦しみとなってきたのです。

こうなる事は、この世の始めから判っていての仕組です。

ダマシテいなかった方はこの世では居ないのです。
ですから、ダマシタ岩戸を開いても、心配せずにこの方に任せておいてください。

Ⅱ.己のためのみの騙しの神様も、己の為なら死し、善の為、和合すると弥栄する

己が己にだまされて、己のためのみに為してゐることに気づかんのか。それが善であっても、己のためのみならば死し、善のための善ならば弥栄えるぞ。

中々、自身で自身を騙している神様には気付かないようになっています。

そして、気が付けば、己のためのみに為しているものですし、
実際、己のためのみに成している御自身が、存在が居る事も判ります。

それが、善であっても、己のためのみなら死になりますが、
一方で、善の為の善ならば弥栄するのです。

御自身の騙しの神様と和合しようとし、和合できれば、弥栄していくのです。

Ⅲ.ダマシタ岩戸開きでは、ダマシタ神様がお出ましに

ダマシタ岩戸開きではダマシタ神様お出ましざぞ、この道理判らんか、取違ひ禁物ぞ、生れ赤子の心になれば分るのぢゃぞ。

ダマシタ岩戸開きの話は何度も出てきますが、実は、それだけ重要なのです。

ですから、騙されている、と気付いた岩戸開きはやはりしない方が良いですし、無理に開いた岩戸も騙しの神様を出すので、止めた方が良いようです。

この事は生まれ赤子の心となれば判ります。

Ⅳ.善悪決めている内は騙されている、頭さげると神のめぐみが流れて来る

頭さげて低うなって見なされよ、必ず高い所から流れてくるぞ。高くとまっているから流れて来んのぢゃ、神のめぐみは水のように淡々として低きに流れて来るぞ、自分が自分にだまされんように心して下されよ、善悪をきめて苦しんで御座るぞ。

善悪を決めて、悪を排除している内は、自分が自分に騙されている状況です。

これは、常々試されてますし、誰もが通る道です。

気が付けば、知らない間に、善悪を決めて、悪と和合せず、理解を示さない事もあります。
ですから、心して下さい、とあります。

頭さげて低くなると、必ず高い所から流れてきます。
高くとまっていると流れてこないようになっています。

神のめぐみは水のように淡々として低きに流れてきます。

Ⅴ.悪に食われないように、悪を食ふて下さい。悪も大神様の中に産まれた為です。

悪を食ふて暮さなならん時近づいたぞ、悪に食われんように、悪を噛んで、よく消化し、浄化して下されよ、悪は善の仮面をかぶってゐること多いぞ、だが悪も大神の中に生れたものであることを知らねばならん。ダマシたいものには一先づダマサレてやれよ、ダマサレまいとするからダマサレるのであるぞ。

悪を食べて暮さな成らん時が近づいてきています。

悪に食べられないように、悪を噛んで、よく消化して、浄化してください

悪は、善の仮面をかぶっている事が多いです。
善悪を決めたり、分けているままの事が多く、悪の理解が新たな世界を産み出す元である事に気付いていない為です。

最初の段階にあった、悪を殺したり、分離させる事が、善き世が来ると心底信じている、騙されている、聞き分けの悪い神様は、沢山います。実際、大多数かもしれません。

それも、大神様の中に産まれてきたのです。

この場合、悪(理解しない存在、和合しない存在)は、騙すしか無いようですが、ひとまずは騙されてあげて下さい。それがサプライズを起こす元、神一厘の元になります。

ダマサレまいとしますと、御自身の我にダマサレる流れになるようです。

Ⅵ.さかさまの存在との和合は中々の行、これができないと岩戸は開けない

気の合う者のみで和して御座るなれど、それでは和にならんと知らしてあろうがな、今度は合わんものと合せるのぢゃ、岩戸がひらけたから、さかさまのものが出て来てゐるのぢゃ、この行(ぎょう)、中々であるなれど、これが出来ねば岩戸はひらけんのぢゃ、マコトの神さえ魔神のワナにかかって御座るのぢゃ、人民がだまされるのも無理ないようなれど、だまされてゐては今度の御用は成就せんぞ。自分自身にだまされてゐる人民も多いのであるが、ついて御座れよ、少しは苦しき行もあるなれど見事なことを致して御目にかけるぞ、自分でもビックリぢゃ、はじめからの神示よく読んで下されよ、霊かかりよろしくないぞ、やめて下されと申してあろう。

今現在は、岩戸が開いている為、御自身の岩戸が最後まで開いていないとさかさまのものが出て来るようです。

この行は中々のもので、最後まで大変のようです。
そして、これが出来ない事には、岩戸は開けないようです。

それは、合わないものと合わせる事にあります。

マコトの神様さえ、魔神のマナにかかっている。
どのような状況かと言えば、一つは、先ず騙されてあげているようです。

それが、魔神への理解でもあるからです。
ですが、それで大局的には騙されないように導く事が求められるようです。

それは、大変な行です。
また、苦しき行もあるでしょう。

マコトの神様も魔神のワナにかかっていますから、自分自身に騙されているのも仕方が無い所がありますが、
それでも、先ず騙されてあげて、騙されないように導く事が求められます。

ちなみに、霊かかりがよく無いのは、霊が既に騙されている所もある為です。

Ⅶ.自分の中の善の仮面を被った悪、に騙されないようにして下さい

神の御用と申してまだまだ自分の目的立てる用意してゐるぞ。自分に自分がだまされんやうに致しくれよ。自分の中に善の仮面を被った悪が住んでゐるに気つかんか。はらひ清めの神がスサナルの神様なり。サニワの神はウシトラのコンジン様なり。それぞれにお願ひしてから、それぞれのこと行ぜよ。この道に入って始の間は、却って損したり馬鹿みたりするぞ。それはめぐり取って戴いてゐるのぞ。それがすめば苦しくても何処かに光見出すぞ。おかげのはじめ。次に自信ついて来るぞ。胴がすわって来るぞ。心が勇んで来たら、おかげ大きく光り出したのぢゃ。悪の霊はみぞおちに止まりかちぞ。霊の形は肉体の形、肉体は霊の形に従ふもの。このこと判れば、この世のこと、この世とあの世の関係がはっきりするぞ。

神の御用として進んでいても、気付かない間に自分の目的立てる用意しているもののようです。

自分に自分がだまされないようにして下さい。

自分の中には、善の仮面を被った悪が済んでゐます。
中々これは、気付けないようになっています。

はらひ清めは、善ばらひ、悪はらひ双方は、スサナルの神様。
サニワの神様は、ウシトラのコンジン様、です。

そして、行じてください。

この道に入って始めの間は、返って損したり、馬鹿見たりします。
それは、めぐり取って頂いてゐるのです。

それが済みますと、苦しんでいても何処かに光見い出します。

3年は覚悟してください。
段階が進んでも、騙しの神様は、相応のものが出てきます。

お陰の始めは、常々すぐに出てきますので、よく解ります。

ですから、自信が付きます。
胴も座ってきます。

心が勇んできたらおかげが大きく光り出した状況になります。

悪の霊はみぞおちにとまりがちです。
そして、はらひ、サニワ、中々大変かもしれません。

霊の形は肉体の形、肉体は霊の形に従ふもの、です。
このこと判れば、この世のこと、この世とあの世の関係がはっきりするので、是非常々意識してみて下さい。

Ⅷ.今の世は、ニセ神様、騙した神様総出から、五度の岩戸閉めへ

だました岩戸からはだました神が出て、ウソの世となったのぢゃ、この道理判るであろう、ニセ神やら、だました神やら、次々に五度の岩戸閉めと申してあろが、

このように騙しの神様は、かなり最後まで根深く存在しています。

ですから、だました岩戸からは騙した神様が出てきて、現在のウソの世になったのです。
この道理はよく判ると思います。

今の世は、ニセ神様、だました神様、多大に存在しており、部分的には、必ず、どのような方にも御自身の中に存在している、と思ってください。

このようにして、この世は五度の岩戸閉めとなったのです。

Ⅸ.祝詞がきたなく映るのは、悪や学にだまされ骨抜きにされているから

あなはち、しきまきや、くにつ罪、みな抜けて読んでゐるではないか、臣民の心にはきたなく映るであろうが、それは心の鏡くもってゐるからぞ。悪や学にだまされて肝心の祝詞まで骨抜きにしてゐるでないか、これでは世界はきよまらんぞ。祝詞はよむものではないぞ、神前で読めばそれでよいと思うてゐるが、それ丈では何にもならんぞ。宣るのざぞ、いのるのざぞ、なりきるのざぞ、とけきるのざぞ、神主ばかりでないぞ、皆心得ておけよ、神のことは神主に、仏は坊主にと申してゐること根本の大間違ひぞ。

祝詞もこのようにして、悪や学に騙され、骨抜きにされてきたのです。
騙しの神様に騙されている間は、肝心の祝詞も力が出ないようになっています。

ですから、今の祝詞は、臣民の心にはきたなく映るのです。
心の鏡が双方曇ってゐる為です。

ですが、ここにもあるように、肝心は、祝詞、でもあるようです。
この事は忘れないようにしてください。

あなはち、しきまきや、くにつ罪、を祝詞に入れて下さい。
これも段階、経験を通してでないと判らないようになっています。

祝詞とはよむものではありません。
宣ってください。
いのってください。
なりきってください。
とけきってください。

それは、神主だけではなく、皆様、どのような方も心得ないとならないものです。

そもそも、神のことは神主に、仏は坊主にとある事自体が根本の大間違ひなのです。

4.騙しの神様、立体に入ってきた段階の文面

Ⅰ.マコトの天照大神様、天照皇大神様、日の大神様が揃う時は近づいている

次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。

五度の岩戸閉めの中でも2つ目。
天照大神様の時、ダマシタ岩戸となったのです。

愈々となり、マコトの天照大神様、天照皇大神様、日の大神様が揃ってお出ましとなる時が現在近づいています。

それは、御自身の岩戸を開いた先に、存在しています。

Ⅱ.まことに騙される修行が大切。一先づだまされて、だまされないように導いて下さい

天地を信じ、自分を知り、人を理解する所にこそ まことの弥栄あるぞ。だますものにはだまされてやれよ。一先づだまされて、だまされんように導いて下されよ。そなたはそんな場合に我を出すからしくじるのぞ。だまされてやろうとするからカスが残るのぞ。まことにだまされる修業が大切ぢゃなあ。

どこまでも、天地を信じ、御自身を知り、人を理解する処にこそまことの弥栄があります。

一先づだまされて、だまされないように導いてください。
だますものには、一先づ、だまされてください。

この時、我を出すと失敗します。

また、だまされてやろう、としてもカスが残ります。

まことに騙される修行は非常に難しいです。
最後の最後まで求められる行です。

Ⅲ.この神様がだまされたればこそ、太神様の目的となる。御自身で、りゅうりゅう仕上げてください。

遠くからでは判らんし、近づくと迷うし、理屈すてて神にほれ参らせよ。よくこの神をだましてくれたぞ、この神がだまされたればこそ、太神の目的なってくるのぢゃ。細工はりゅうりゅう仕上げ見て下されよ。

遠くからでは判りませんし、近づくと迷います。
まず、理屈すてて神様にほれ参らせてください。

この神様をだましてくれた、と申されていますが、
ですが、この神様がだまさればこそ、太神様の目的、となってくるのです。

最後、細工は御自身でりゅうりゅう仕上げてみて下さい。

御神示と共に、行じ、省み、洗濯、掃除、改心していきますと、必ず岩戸を開く時が来ます。

5.まとめ

騙しの神様に騙されていない方はいません。

それも段階は人それぞれです。

岩戸を2人で開く意味とは、御自身の騙しの神様に気付くため、という事もありますし、騙しの岩戸開きも、今の世がニセ神、だました神で一杯である以上、御自身の前世もまた、ニセ神、だました神があるのです。

御自身の善の仮面を被った悪に気付いてください。はらひ、サニワをどんどんと進めてください。
2人でしても大丈夫です。

御自身の騙しの神様にも気付いた後は、騙しの神様には一先づ騙されて、騙されないようにして下さい。

だますものにはだまされてあげ、また、だましたい場合にも先にだまされてあげてください。
ですが、我を出しますと、そこで失敗しますし、だまされてやろう、と思いますとカスが残ります。

マコトの神様でも魔神のワナにかかっていますし、マコトに騙される修行とは、非常に難しいものですが、その行の先には、騙しの神様によって、騙されたからこそ、太神様の目的となり、岩戸が開ける時が来るのです。

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