九の道で実現した事 9 日の出の巻 2024年1月10日現在

九の道で実現した事

2024年最初の、九の道で実現した事、です。

此の道で実現した事の、9番目でもあり、そして、此(九)の歳について、本年2024年を伝えている事もあり、非常に重要な文面です。

日の出の巻では、実現した事は、行から進めて行くものが多いですが、実現していない事については、実現しては困るもの、終末世界、がかなり書かれており、この後の世について、愈々に向けて、マコトのカミカカリ、でないと乗り越えられない。その為には、洗濯、掃除、改心を進めていく事を伝えられています。

そして、節分からは、容赦のない流れになる事も伝えられています。

また、本年2024年は、九歳(ことし)は神、界の紀(もと)の年、でもあり、神世の始まりである事、も伝えられています。

その為に、何をしていけばよいか。その手法の詳細は、記載していない所にも書かれているものは沢山ありますので、是非、日の出の巻も、一旦全て、読み進めて下さい。

それでは、順にお伝えしていきますね。

目次

1.日の出の巻 実現したもの 2024年1月10日現在

Ⅰ.旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は、恐い日であり、結構な日、です

第四帖 (二一七)
旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は幾らでもあるぞと申してあろが、此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、

旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日、
恐い日も経験してきましたが、結構な日も経験してきました。

当初程、恐い日の方が多かったかもしれません。
ですが、行を進めていく程に、結構な日が増えてきています。

昨年は、5月5日にも能登で地震がありましたが、私の記憶では、能登で無かったような気もしています。書き換え、がどんどん起こってきていますし、正直なところ、記憶と、過去の出来事が合致しない事がどんどん増えてきています。

ですが、恐ろしい日、が結構な日、に進むのも、御自身の行、次第になります。
是非、結構な日、を継続できますように、行を進めて下さい。

Ⅱ.三、四月には、毎年気を付けてください

第六帖 (二一九)
三、四月に気つけて呉れよ、どえらい事出来るから何うしても磨いておいて下されよ、それまでに型しておいて呉れよ。

三月、四月、は直近では、どえらい事が徐々に拡大してきています。

2020年はコロナ発生。2021年は湧珍開始。2022年はウクライナ情勢。
2023年は、無難になりましたが、北朝鮮発の軍事仕掛けが何度もありました。

2024年は、ひとまず、地震、津波、噴火。が気になります。
地震、津波、噴火、とは、戦争よりは小難、という事もあり、既に、能登地震が実現しましたので、この後、起こる可能性はかなり高いです。

ですが、人を助けていく行。思念界から助けていく行を、起こして行けば、戦争、地震等。
災厄を回避する事ができます。(正確には、回避した世界に移行させて貰う、のです。)

ただ、どえらい(土得〇一)事できれば、よいと思います。

カミヒトを得始めること。五三体の大神様と共になる事。
これが段階が進んできた方の、どえらい事。となって行くのです。

ですが、実際にも、その世界に進むにしても、小難であっても、相応のどえらい事が起こっていくのです。

できる所からで良いので、型して下さい。

Ⅲ.ひふみの食べ方、病の治し方。について

第八帖 (二二一)
一二三(ひふみ)の食物(たべもの)に病無いと申してあろがな、一二三の食べ方は一二三唱(十七)へながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑むのざぞ、これが一二三の食べ方頂き方ざぞ。神に供へてから此の一二三の食べ方すれば何んな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ。心の病は一二三唱へる事に依りて治り、肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ、心も身も分け隔て無いのであるが会得る様に申して聞かしてゐるのざぞ、取り違い致すでないぞ。

一二三を唱えながら食べるのは、もうかなり継続してきています。

これも、しやすい食べ物があります。やはり、玄米、大豆、生野菜、といったものです。
麺類は悪い訳ではありませんが、四十七回噛むのは、不可能です。(笑)
この事から、一二三の食べ物、ふさわしいもの、というのもどこか判って来ると思います。

また、神様に供えてから食べますと、どんな病でも治ります。
普段から、礼拝から、ひふみ、を唱へていますと、心の病も治ります。

これも、行と共にだから、という事もあるかもしれませんが、少なくとも、病にはかかりませんので、是非とも実行して頂ければ、と思います。

心の病、については、どこから、というのも難しいので、実際には、カミヒトになるまではあるものかもしれませんが、確かに、その病が治る流れ、治る行をさせて頂けるようになっています。

Ⅳ.行を進めて行きますと、神かかりと判らない、マコト(〇九十)の神かかり、となっていきます

第十一帖 (二二四)
江戸に道場作れよ、先づ一二三(ひふみ)唱へさせよ、神示読みて聞かせよ、鎮魂(みたましずめ)せよ、鎮神(かみしずめ)せよ、十回で一通り会得る様にせよ、神祀りて其の前でせよ、神がさすのであるからどしどしと運ぶぞ。誠の益人作るのぞ、此んな事申さんでもやらねばならぬ事ざぞ、神は一人でも多く救ひ度さに夜も昼も総活動してゐる事 会得るであろがな、神かかれる人 早う作るのぞ、身魂せんだくするぞ、神かかりと申しても狐憑きや天狗憑きや行者の様な神憑りでないぞ、誠の神憑りであるぞ、役員 早う取りかかり呉れよ。

江戸(穢土)に道場を作りました。
道場、と言えば、戒律くさく聞こえますが、実際には、道を進めて行く場、です。
此の道に進む人には、無理なく、できるようになっています。

ひふみ、は、当初は、唱えるのが抵抗あると思いますので、ひふみ、をとなへ(十七経)させる行をしてきました

ひふみ、は唱えると効果があるかどうか。これは、御自身が思われた段階から始めて頂ければ、と思いますが、能登地震の状況からも、そんなに猶予は残されていませんので、できましたら、早めに始める事をお勧めします。

神示読みて聞かせること、も度々してきました。

みたま鎮めが、前世ヒーリングの主旨です。
と同時に、神しずめ、もしていくようになります。

御自身の、上様(ハイヤーセルフさん)の浄化、サニワも進めて行くようになるのです。

十回で一通り判るようにしています。直近はその意識でずっと取り組んできています。

そして、実際、神様によってさして頂けるので、どしどし運んで頂いてゐます。

このようににして、マコト(〇九十)の益人、作るようになっていきます。
セッション以外でも、周囲に徐々に現れ出すのです。

こんな(九ん七)事は、申さんでもやらねばならない事なのです。
苦を苦で無くす行から、もう一段上の無、を産み出す事、これをしない事には、御自身の周囲の世界は大きく変わる事はありません。

神様は、一人でも多く、救いたい為に、夜も昼も、総活動してゐるのが判ると思います。
神かかれる、人早く作ることが求められています。その為には、日々の行から、身魂のせんだく、が求められるのです。

神かかり、と申しても、狐つき、天狗つき、行者のような神カカリではありません。
マコトの神かかり、です。それは、神かかっている、と判らない神カカリ、です。
確かに、普通の人、のままです。目に見えて分からないようになっています。

ですが、段階が進みますと、周囲の現象に、様々現れ出し始めますので、それがよく分ってきます。

役員さん、早う取り(十理)かかってください。

Ⅴ.神様は、真上からまっすぐに神を戴いてください

第十三帖 (二二六)
真上(まうへ)に真すぐに神を戴いて呉れよ、斜めに神戴いても光は戴けるのであるが、横からでもお光は戴けるのであるが、道は真すぐに、神は真上に戴くのが神国のまことの御道であるぞ。

天と繋がる時は、真上から頂いて下さい。
ただ、サニワも必要です。

おかしい、と思った時は、上様(ハイヤーセルフさん)と、大神様との意見に相違が無いか確認してみてください。相違がある時は、御自身の上様(ハイヤーセルフさん)が騙されているのです。

最初程、この行をしていく事になります。

横は、臣民エネルギーです。生霊等がそうですが、人の思念も横からです。
横からでも可能ではありますが、基本は、上から繋がってください。

Ⅵ.御自身、周囲合わせて、十柱、となっていきます

第十五帖 (二二八)
十柱の神様 奥山に祀りて呉れよ、九柱でよいぞ、何れの神々様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、この方合はして十柱となるのざぞ。御神体の石 集めさしてあろがな、篤く祀りて、辛酉(かのととり)の日にお祭りして呉れよ。

十柱の神様、奥(お、九)山に祀りて呉れよ、として下さい。
周囲の方々は、九柱で大丈夫です。

段階が進みますと、周囲に現れる方が、九柱、となっていきます。
そして、最初から継続している人も居れば、入れ替わっていく方もいます。

何れの神々様も、世の元からの肉体持たれた、生き通しの神様です。

この方合して、十柱となります。御自身を含んで十柱です。

御神体の石(意志)、集めさせてあろがな、という事も判ります。
それは、相手の方だけでなく、御自身も、その意志、を求めていく事になるのです。

あつく祀りて、段階が来ましたら、やはり、かのととり、の日にお祭りして下さい。
段階が進んだ二人、で大丈夫です。

Ⅶ.大きな災難ある時は息乱れます。一二三祝詞、祓え祝詞、神の伊吹、息、一つとなれば、災難は逃れます

第十五帖 (二二八)
飛行機の災難も地震罪穢の禍も、大きい災難ある時には息乱れるのざぞ、一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、信ずる者ばかりに知らしてやりて呉れよ。

飛行機の災難や、地震罪穢れの渦も、大きな災難ある時には、息乱れます。

一二三祝詞、祓え祝詞(水の巻に、第三帖にあります)、更には神の伊吹、息と一つになりておれば、災難を逃れることになります。

この事は、信じる者、特に行をしてきた者でないと中々信じれません。

ですが、段階が進んで来ましたら、是非して頂ければ、と思いますし、今の社会の動きからしますと、思われたら、一刻も早く進めていく事をお勧めします。

Ⅷ.神の国は、どうしても助けなならんから、神様が一日一日延ばして頂いてゐます

第二十帖 (二三三)
神の国は何うしても助けなならんから、神が一日一日と延ばしてゐること会得らんか。皆の者がかみを軽くしてゐるからお蔭なくなってゐるのざぞ、世の元の神でも御魂となってゐたのではまことの力出ないのざぞ。今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの神でないと間に合はんのざぞ。

神様の国は、どうしても助けなならないので、神様が一日一日延ばして頂いてゐる事は、行を進めてきますと、判って来る事になります。

今の日本だけでなく、世界を見てゐれば、それがよく分ります。

それは、神を軽くしてゐるから、お陰無くなってゐるのです。
世の元の神様でも、御魂、となってゐたのでは、マコトの力が出ないのです。

今度の経綸(しぐみ)は、世の元の生き通しの神様でないと間に合わないのです。

2.日の出の巻 これから実現していくもの 2024年1月10現在

Ⅰ.意志もの云ふ時です。五度の岩戸開きを、この後していく事になります

第一帖 (二一四)
石もの云ふ時来たぞ、此の道 早く知らして呉れよ、岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、(中略)大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、その五度の岩戸閉めであるから此の度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。愈々きびしく成ってきたが此れからが正念場ざぞ、否でも応でも裸にならなならんぞ、裸程結構なもの無い事 始めて会得(わか)りて来るぞ。

意志、もの云ふ時が来ています。
苦を苦で無くす、九の行。皆を生かす、行。此の道の行の事です。
強い思い、そして、それに基づいた行によって、世界は変わるのです。

岩戸は五度閉められているのですが、大切なのは、須佐之男神様に罪着せした所にあるのです。

人は罪、穢れを他者に向け、犠牲を産み出す事で、その結果、御自身の首を絞めて苦しんできた事。
この事が、長い転生で、臣民が苦しんできた、全ての元、とも言えます。

五度の岩戸閉めですから、この度の岩戸開きはなかなかに大そうなのです。

愈々、きびしくなってきていますが、これからが正念場、です。
否応なしに、裸にならなならん時に来ています。

裸程、結構なもの、無い事、始めて判ってくるようになります。

全て、無、から産み出されてくる事が判ってきますと、この境地に近づけるようになってきます。

Ⅱ.2024年は、神界の紀(もと)の年、神始めの年です

第二帖(二一五)
九歳(とし)は神界の紀(もと)の年ぞ、神始めの年と申せよ。一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)ぞ、五の歳は子の歳ざぞよ。取違ひせん様にせよ。月日の巻 十人と十人の役員に見せてやりて呉れよ、時節到来したのであるぞ。

九歳(ことし)は神界の紀(もと)の年です。
神始めの年、です。

噛み(十)始め、の方も次々増えていく年です。
ですが、厳密に言えば、行を進めていく方の周囲に現れるのです。

ひふみ、みよいづ、みろく、と進めて下さい。

五の歳は子の歳。実際、2020年は、子の歳でしたが、ですから、九の歳が丁度2024年に辺り、辰の歳、でもあります。

恐らくながら、現存しています、御神示の内容では、やはり2024年が、神界の紀(もと)の歳になるでしょう。

次の子の歳、九の歳でいきますと、やはり2036年になりますが、この時では、今の御神示では間に合わなくなる、と見ています。仮に持ったとしても、相当大変な世が待っている事になります。

ですから、一刻も早く行をして欲しいのです。

月日の巻、日月の裏、逆さ、となった巻は、十人と十人の役人に見せてやりて下さい。
時節が到来しているのです。

Ⅲ.十柱揃ふたら、祀り呉れい、と申されています。神は急いでいます

第三帖 (二一六)
次の世とは通基(月)の世の事ざぞ、一二(ひつき)の通基(二)の世ぞ、(中略)智や学がありては邪魔になるぞ、無くてもならぬ六ヶ敷い仕組ぞ、月の神様 祀りて呉れよ、素盞鳴(すさなる)の神様 祀りて呉れよ、今に会得(わか)る事ぞ、日暮よくなるぞ、日暮(一九れ)に祀り呉れよ、十柱揃ふたら祀り呉れいと申してあらうがな、神せけるのざぞ。

次の四とは、通キ(二)の世の事です。
ひつき(一二)の通基(二)の世(四)です。

智や学は、我、から行きますと邪魔になりますが、ですが、導くに辺り、智、学が無くても、二の世、四の世へと進む事ができません。ですから、難しい仕組です。
それは、六(無)が、基軸の仕組みなのです。

月(二)の神様、祀りて呉れよ、と仰っています。
すさなる(四三七る)の神様、祀りて呉れよ、と仰っています。

今にわかって来るようになります。
日呉れ(一一、九、〇)、よくなってきます。
永劫の過去からよくなるので、過去も書き換わって、今も変わるのです。
ですが、それは、常に今(一、真)、の世界からです。

日暮れ(一、九、〇)に祀りて下さい。

行を進めて行きますと、やがて、十柱揃ふ段階が来るようになります。
神様は急がれています。

Ⅳ.神心となれば、神とまつはれば、神とあななへば、臣民にも結構な日となります

第四帖 (二一七)
神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ。其の時は五六七(みろく)の世となるのざぞ。桜花(さくらばな)一度にどっと開く世となるのざぞ、神激しく臣民静かな御代となるのざぞ、日日(ひにち)毎日富士晴れるのざぞ、臣民の心の富士も晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、心晴れたり日本晴れぞ。

神心となれば、神様とまつはれば、神様とあななへば、臣民にも結構の日となってきます。

その時には、弥勒(五六七)の世、となるのです。

桜花(さくらばな)(三九〇八七)一度にどっと、開く世となるのです。

それは、神様が烈しく、臣民が静かな、御代となるのです。

日日(ひにち)、毎日、富士が晴れる段階となってきます。

臣民の心の富士も、晴れ晴れ、となってきます。
富士は晴れたり、日本晴れ、の流れとなります。

Ⅴ.愈々、と成りた時には、神様がマコトの神の力出して、天地ゆすぶって、トコトン降参と申す所まで改心する処までゆすぶります

第七帖 (二二〇)
何処から攻めて来ても神の国には悪神には分らん仕組致してあるから、心配ないのざぞ、愈々と成りた時には神が誠の神力出して、天地ゆすぶってトコトン降参ざと申す処までギュウギュウと締めつけて、万劫末代いふ事聞きますと改心する処までゆすぶるから、神の国、神の臣民 心配致すでないぞ、心大きく御用して呉れよ、何処に居ても御用してゐる臣民助けてやるぞ。

何処から攻めて来ても、神の国には、悪神様には分からん仕組み(四九三)ですから、心配はないのです。

愈々と成りた時には神様が、マコトの神力だして、天地ゆすぶって、トコトン降参、と申すところまで、ギュウギュウと締めつけて、万劫、末代、いふ事聞きますと、改心する処までゆすぶるのです。

それは、実は、御自身、でもあるのです。
私が、実際、その経験をしてきました。

だから、こそ、我、で進むと大変な事になるのです。
ですが、殆どの方々、は、御神示無しでは、我で進んでいますし、あっても、当初は、我、から進んでいます。

神の国、神の臣民、心配致さなくて大丈夫です。

心大きく御用して下さい。何処に居ても、御用してゐる臣民は、助けて頂けます。

Ⅵ.神の御用なら、いつでも、どんなものでも与へて頂けます

第八帖 (二二一)
神の御用なら、何時でも、何んなものでも与へるのざぞ、心大きく持ちてどしどしやりて呉れよ。集団(まどい)作るなと申せば、ばらばらでゐるが裏には裏あると申してあろが、心配(こころくば)れよ。

神の御用であるなら、いつでも、どんなものでも与へるのです。
永劫の過去から産み出して、経るようになっています。

時間かかる事もありますので、ですから、心大きく持ちて、どしどしやりて呉れよ。
として下さい。

現れない、とするなら、我、が原因です。
神を無きものとした、我、なのです。

集団(まどい)作るな、と申せば、バラバラでゐますが、裏には、裏あります。
心配りは、忘れないようにして下さい。

バラバラ、であっても、見えない所で動いているのです。

Ⅶ.此の節分からは、愈々神の規則通りになりますので、容赦ないので、気付けてください。それまでに型して下さい

第十六帖 (二二九)
悪の衣(ころも)着せられて節分に押込められし神々様御出でましぞ。此の節分からは愈々神の規則通りになるのざから気つけておくぞ、容赦(ようしゃ)は無いのざぞ、それまでに型さしておくぞ、御苦労なれど型してくれよ。ヤの身魂 御苦労、石なぜもの言はぬのぞ、愈々となりてゐるではないか、春になりたら何んな事あるか分らんから今年中に心の洗濯せよ、身辺(みのまわり)洗濯せよ、神の規則 臣民には堪(こば)れんことあるも知れんぞ、気つけておくぞ。

悪の衣(ころも)着せられて、節分に押し込められし、神々様、御出でましの時になりました。

此(九)の節分からは、愈々、神の規則通りになるので、気付けて下さい。
つまり、2024年です。
容赦(ようしゃ)はないのです。

それまでに型しておいてください。
特に節分まで、にです。
御苦労ですが、型して下さい。

ヤの身魂の方、御苦労様です。

意志(一四)なぜ、もの言はないのか、と伝えてられます。
意志、が求められているのです。

愈々となりてゐるのです。

春になりたら、どんな事あるか判らないので、今年中に心の洗濯、身の周りの洗濯、をして下さい。

神様の規則、臣民には、堪れんことあるかもしれません。

ですから、一刻も早く、神様の行を進めて下さい。
楽に進むには、神様の申す通り素直に行を進めるのが一番なのです。

Ⅷ.何もかもひっくるめての建て直しなので、何処から何が出て来るか分かりません

第十七帖 (二三〇)
何もかもひっくるめて建直しするのであるから、何処から何が出て来るか分らんぞ、御用はそれぞれの役員殿 手分けて努めて呉れよ、皆のものに手柄さし度いのぞ、一ヶ処(ひとところ)の御用 二人宛(づつ)でやりて呉れよ、結構な御用であるぞ、いづこも仮であるぞ、世が変りたら結構に真通理(まつり)呉れよ、今は型であるぞ、祀れと申してあること忘れるなよ、まつはらねばならぬのざぞ、神がついてゐるのざから神の申す通りにやれば箱指した様に行くのざぞ。産土神(うぶすなさま)忘れずにな。

何もかも、ひっくるめて建直ししますので、何処から何が出て来るか分からないようになっています。

御用は、それぞれの役員さんが手分けて努めて下さい。
皆のものに手柄させたいのです。

一か所(ひとところ)の御用、二人づつでやりて呉れよ。と仰っています。
結構な御用なのです。

いづこも、仮、です。
世が変わりましたら、結構にまつりて下さい。
今は、型です。

祀れと申してあること、忘れないようにして下さい。
まつはらねばならぬのです。

神様がついてゐるのですから、神様の申す通りにやれば、箱指した様に行くのです。
この事については、もう既に経験していますし、直近ではずっとそうなのですが、この事が普通、となっていくのです。

産土様は忘れないようにして下さい。

Ⅸ.海の御用とは、海の鳴門と、海の諏訪、海のマアカタ、三か所への祀りです

第十八帖 (二三一)
富士の御用は奥山に祀り呉れよ、カイの御用も続け呉れよ、江戸一の宮作りて呉れよ、道場も同じぞ、海の御用とは海の鳴門(なると)と海の諏訪と海のマアカタと三所へ祀りて呉れよ。

これも、新たなマンデラの文面と見ています。
海(ウミ)の御用とは、産みの鳴門(七流十)、産みの諏訪(すわ)、産みのマアカタ(真あ火十)、と三所へと祀る事なのです。これは、これから、本年、廻っていく予定です。昨年は、実現ができなかったのですが、本年に実現していくようです。

富士(二二)の御用は奥山に祀りて下さい。
カイの御用も続けて呉れよ。と仰っています。

富士の御用は、二二の仕組みの御用です。しきまきや、です。
カイの御用は、改心を進めていく御用、カイ(二一、一二)ですので、日月の御用でもあります。

江戸、一の宮作りて下さい。

道場も同じです。

これら無しには、この道に進む事はない、と見ています。

Ⅹ.十柱は、祀る処に行けば、分かるようにしてあります

第十九帖 (二三二)
海には神の石鎮め祀り呉れよ、山には神の石立てて樹植えて呉れよ、石は神の印つけて祀る処に置いてあるぞ、祀り結構ぞ、富士奥山には十柱の石あるぞ、十柱祀りて呉れよ、祀る処に行けば分る様にしてあるぞ。

海(産み)には、神の意志鎮め、祀り呉れよ、とあります。
山(八真)には、神の意志立てて、キ植えて呉れよ。とあります。

意志は神の印つけて祀る処に置いてあります。
近々、その場所を巡っていきますので、そこでも判るかもしれません。

二二奥山には、十柱の意志があります。
十柱祀りて呉れよ、と仰っています。

祀る処に行けば、分かるようにしてあります。

ⅩⅠ.今度は世に落ちておいでなされた神々様、臣民も、あげねばなりません

第二十帖 (二三三)
今度は世に落ちておいでなされた神々様をあげねばならぬのであるぞ、臣民も其の通りざぞ、神の申す通りにすれば何事も思ふ通りにすらすらと進むと申してあろがな。此れからは神に逆らふものは一つも埓あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でぐれんざぞ。

これも、新たなマンデラ文面です。

今度は、世に落ちておいでなされた神々様をあげねばならないのです。
臣民もその通りです。

神様の申す通りにすれば、何事も思ふ通りにすらすら進むのです。

此れからは、神様に逆らふものは、一つも埒あかんようになります。
やってみても、九分九厘でぐれん、となっていくのです。

ⅩⅡ.十年先は、五六七(みろく)の世です、早うの改心が求められます

第二十帖 (二三三)
十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間 鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、神は日夜の苦労ぞ。

十年先は、五六七(みろく)の世、となります。
ただ、これも、行をしていった人からそうなっていく事。
を忘れてはなりません。行をしない人は、更に十二年先となるでしょう。

実際、今の人間、鬼より蛇より、邪見です。
蛇の方が早う改心するようになっています。

早う改心せねば、泥海にせななりませんので、神様は日夜の苦労をされています。
この事を忘れずに、日々の行を進めていく事が求められます。

ⅩⅢ.これからは、神カカリでないと何も分からなくなります

第二十一帖 (二三四)
これからは神カカリでないと何も分らん事になるのざぞ、早う神カカリになる様 掃除して呉れよ、神の息吹に合ふと神カカリになれるのぞ。一二三唱へよ、祓えのれよ、神称へよ、人称へよ、神は人誉め 人は神称へてまつり呉れよ、まつはり呉れよ、あななひ呉れよ。

これからは、神カカリでないと何も分からなくなります。

狐、天狗、行者のような神カカリでは、分からないようになっています。
神がかかっていると分からない神カカリです。

それは、掃除を進めて行く以外に無いのです。

神様の息吹、に合いますと、カミカカリになれるのです。

その為には、
ひふみを唱へて下さい。
祓え、にのってください。
神様を称えて下さい。
人を称えて下さい。

神様は人を誉め、人は神様称へて、まつり呉れよ(九〇四)、として下さい。

まつはり呉れよ、あななひ呉れよ。として下さい。

3.日の出の巻 今実現したら困る物、手遅れになるもの 2024年1月10日現在

Ⅰ.おろしやにあがりておりた極悪の悪神様、愈々神の国に攻め寄せてきます

第七帖 (二二〇)
おろしやにあがりておりた極悪の悪神、愈々神の国に攻め寄せて来るぞ。北に気つけと、北が愈々のキリギリざと申して執念(くどう)気つけてありた事近ふなりたぞ。神に縁深い者には、深いだけに見せしめあるのざぞ。国々もその通りざぞ、神には依怙(えこ)無いのざぞ。ろしあの悪神の御活動と申すものは神々様にもこれは到底かなはんと思ふ様に激しき御力ぞ。

おろしやにあがりておりた極悪の悪神様、愈々神の国に攻め寄せて来る事になります。

北(キ多)に気つけ、と、北が、愈々のキリギリ、と申して、くどう気つけてありた事、
近ふことになっています。

神様に縁深い者には、深いだけに見せしめあるのです。

国々もその通りです。
神様には依怙(えこ)はないのです。

ろしあの悪神様の御活動は、神々様にもこれは到底かなはんと、思ふ様に激しき御力、です。

Ⅱ.日に日に厳しく、激しくなり、頼る処、着るもの、住む家、食ふ物も無くなる世が迫ってきています

第十二帖 (二二五)
日に日に厳しくなりて来ると申してありた事 始まってゐるのであるぞ、まだまだ激しくなって何うしたらよいか分らなくなり、あちらへうろうろ、こちらへうろうろ、頼る処も着るものも住む家も食ふ物も無くなる世に迫って来るのざぞ。それぞれにめぐりだけの事はせなならんのであるぞ、早い改心はその日から持ちきれない程の神徳与へて喜悦(うれ)し喜悦(うれ)しにしてやるぞ、寂しくなりたら訪ねて御座れと申してあろがな、洗濯次第で何んな神徳でもやるぞ、神は御蔭やりたくてうづうづしてゐるのざぞ、今の世の様見ても未だ会得らんか。神と獣とに分けると申してあろが、早う此の神示(ふで)読み聞かせて一人でも多く救けて呉れよ。

日に日に厳しくなりて来る、と申してある事、始まってゐるのです。
コロナから始まり、ウクライナ情勢、ガザ問題。地震。

これらは、まだまだ激しくなって、どうしたらよいか分からなくなり、あちらへうろうろ、こちらへうろうろ、頼る処、着るもの、住む家、食べ物、無くなる世に迫ってきているのです。

それぞれにめぐりだけの事はせなならないのです。

早い改心は、その日から持ちきれない程の神徳与へて、うれしうれしにして頂けるのです。

寂しくなったら、神様に訪ねて下さい。

洗濯次第で、どんな神徳でも頂けるのです。
神様は、お陰やりたくてうづうづしてゐるのです。

それは、しきまきや、行を継続していると周囲に起こってくる事から判って来るようになります。

今の世の様を見れば分かると思います。
この後、どうやっても、神様と獣とに分かれていくのです。

早う此の御神示、読み(黄泉)聞かせて、この後人の我で進む黄泉の世界を聞かせて、
一人でも多くの人助けて、呉れよ(九〇四)として下さい。

Ⅲ.臣民、愈々苦しまな、ならん時に来ています。泥海ののたうちは堪られないので、早うの掃除を進めてください

第十三帖 (二二六)
神の経綸(しぐみ)には狂ひ無いなれど、臣民 愈々苦しまなならんのざぞ、泥海に臣民のたうち廻らなならんのざぞ、神も泥海にのたうつのざぞ、甲斐ある御苦労なら幾らでも苦労甲斐あるなれど、泥海のたうちは臣民には堪(こば)られんから早う掃除して神の申す事真すぐに肚に入れて呉れよ。

神の経綸(しぐみ)には、狂ひは無いのですが、臣民、愈々苦しまなならんようになっていきます。

泥海に臣民のたうち廻らな、ならんようになるのです。

神様も泥海にのたうつのです。

ですが、どろうみ(土六産み)にのたうち(の十ウ千)廻るようになっていくのです。

甲斐ある御苦労なら、幾らでも苦労甲斐ありますが、泥海ののたうちのままですと、臣民には、堪られませんので、早う掃除して、神様の申す事。真っすぐに肚に入れて呉れよ(九〇四)として下さい。

4.日の出の巻 まとめ

本年、二〇二四年は、九歳(ことし)であり、神界の紀(もと)の年、神始めの年、です。

旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は、恐い日であり、結構な日、です。
三、四月、には、本年も気を付けて下さい。

そして、此の節分から愈々、神の規則通りに動くこととなります。
容赦のない、動きとなっていきます。ですから、まずは、型出しから始めて下さい。

行を進めますと、神カカリと判らないカミカカリとなっていきます。
そして、カミカカリでないと、この後の事は、全く解らないようになっていきます。

その為には、ミタマシズメ、カミシズメ、の行が求められます。
その行と共に、洗濯、掃除、改心、を進めて行かないとならないのです。

やがて、行を進めて行きますと、御自身、周囲合わせて十柱となります。九柱が周囲に現れます。十柱揃いましたら、まつりくれい、として下さい。十柱は、祀る処に行けば、分かるようになっています。

一二三祝詞、祓え祝詞(水の巻に、第三帖にあります)、更には神の伊吹、息と一つになりておれば、災難を逃れることになります。

今現在、神の国は、どうしても助けなならないので、神様が一日一日と延ばしてゐる事が判って来るようになってきます。

意志もの云ふ時です。五度の岩戸閉め、から岩戸を開く時になってきています。

愈々となりましたら、神様がマコトの神の力出して、天地ゆすぶって、トコトン降参と申す所まで改心する処までゆすぶります。ですが、それが、実は御自身である事も忘れてはいけません。
ですから、カミカカリ、となるだけの段階に進まないとならないのです。

神の御用なら、いつでも、どんなものでも与へて頂けます。ですが、与へられていないのであれば、まだまだ行、が足りていません。我の掃除もまだまだ、です。

今度の大建替は、何もかもひっくるめての建て直しですから、何処から何が出て来るか、判りません。

おろしやにあがりておりた、悪神様が、愈々攻め寄せる時になっています。
日に日に厳しくなってきています。頼る処、着るもの、住む家、食べ物、無くなる世に迫ってきているのです。

そして、臣民、愈々、苦しまな、成らん時にきています。
泥海ののたうちは、堪れんので、早ようの改心が求められています。

ですが、神心となれば、神とまつはれば、神とあななへば、臣民にも結構な日となるのです。

我出すなよ、慢心と取違ひが一等気ざはりざぞ。
この文面は、今回は伝えていませんが、この事は常に意識して、行を進めて下さい。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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