五十黙示録 第五巻 極め之巻の続きです。
極め之巻の後半は、タテナホシの世界がかなり具体的になって御伝えされています。
その為には、御神業をする事。御自身の悪い癖を治す事が、まず最初に重要です。
次に、少しでも早く、マコトの衣を身に付け、神の御旨を、ヤマからウミだす事が求められています。
今度は、少しでもフトマニと違ってゐてはならないのですが、それは、
ミトノマグハイから、スサナル命を理解していく事が求められます。
ミトノマグハイは、イザナギ大神様とイザナミ大神様によって、日本の島々を産み出したものですが、それが、スサナル命を理解していく鍵を持っているのです。
それでは、極めの巻の後半に進んで行きます。
4.五十黙示録 第五巻 極め之巻 第十一帖~第十三帖
Ⅰ.今現在、タテコワシ、タテナホシが一時に出て来ます
第十一帖
●陽(ひ)あたりのことと、陽かげのことと一時に出て来るのぢゃ、タテコワシとタテナホシが一時にくるのぢゃ、神の申した通りになって居ろうがな、学で説くと学の鬼に囚われるぞ、智で説くと智の、理で解くと理の鬼に囚われる、このままに伝へて下されよ。
今現在、陽(ひ)あたりのことと、陽(ひ)かげのことと一時に出てきます。
この、ひあたり、ひかげ、という対比の使い方は初めてと見ますが、
このようにしてタテコワシ、タテナホシ、が今現在同時に出て来るようになってきています。
グレンカラリ、もそれにあたる部分があります。
ですが、それは、学では到底伝えられないものです。
学で伝えようとしますと、学の鬼に囚われます。
智だけでも、伝えるには限界があります。
智で説くと、智の鬼に囚われます。
理で説いても、理の鬼に囚われます。
これらは、神様に任せきれる段階に早く進むしかありません。
それは、行を続けて、省みる。から、洗濯、掃除、改心、していき、
行とは、グレンカラリを、伴っていくもの、という体験を理解していく以外ありません。
これからは、グレンカラリ、も激しくなっていきます。
世界全体では、グレン、のままカラリ、とならない事も増えていきます。
ですから、神様の申す通り、素直に、行を進めて行く以外ありません。
学、智、理、で説こうとする程に、どうしても、学、智、理、の鬼に囚われることになります。
このような記述も、今回、マンデラ・エフェクトで新たに生まれているようです。
Ⅱ.地上の事は潰さねば建直し六ヶ敷いが、一厘の仕組みで見事なことをお目にかける
第十一帖
●天の世界も潰してはならん、地の世界も潰すわけには参らんが、地上の事は潰さねば建直し六ヶ敷いなれど、見て御座れよ、一厘(理云)(リン)の火水でデングリ返して、見事なことをお目にかけるぞ。
今現在、やはり世界全体では、環境破壊は進んでいます。
特に、地の方面、大地の方は、緑地拡大のマンデラ・エフェクトが起こっても、悪化し続けています。
天の世界も、新たな致死率の高い感染症が、いつ起こっても、というリスクは常にあるのですが、特に地の世界は、農薬汚染、森林伐採は、破壊速度に追い付いていないのが現状です。
ですから、地上の事は、潰さねば立て直し難しい、とあります。
実際、大地震の神様、という単語も御神示で出て来ている以上、この後、大地震がどこかで起こる可能性があります。
それによってかどうか判りませんが、それでも、一厘の仕組みでデングリ返して、見事なコトをお目にかける、とあります。
厘が、(理云)(リン)という表現も初めてと見ています。
理を云ふ、理を産み出す。ということです。
その際には、見事なコト(九十)が現れる、ようです。
それは、カミヒト、以外でもあるかもしれません。
Ⅲ.御自身の悪い癖を無くすのが御神業です。神々様もそれで御苦労されています
第十二帖
●口先ばかりで、その場限りでうまい事申して御座るが、それは悪の花、心と行が伴わんからぢゃ。己(おのれ)自身のいくさが終ってゐないからであるぞ。そなたのもつ悪いくせを直して下されよ、それが御神業ぢゃ。神々様も自分のくせを直すために御苦労なさってゐるぞ、そのために生長する。
何度も登場していますが、心と行が伴わないと、口先ばかりになってしまいます。
それは、悪の花が咲くことになります。
その状況になるのは、御自身の中でのいくさが終わってゐないからです。
その際には、御自身のもつ悪い癖を直す事が求められます。
これも、前回御伝えした所ですが、前世ヒーリングだけでは、心のブロックしている所には直接繋がる事はできません。
その際には、心がブロックしている事を、まず普通のやり取りで確認してから、思考で確認してから、進めていく流れが、最近生まれてきています。
心がブロックしている事とは、生前から長く続いてきた、悪い癖が原因、です。
それは、今現在の御自身が、思考で直接自覚する方が有効、効果的に進む事があるのです。
生前から続いてきた悪い癖を治すのは、簡単ではありません。
ですが、自覚を直接的にしていき、治していく以外なさそうです。
むしろ、先に御自身が、思考で自覚する事から、今度は、悪い癖で苦しんできた前世達を救ふ流れとなるのです。
段階が来ますと、直接的に、御自身が前世を救う事が求められます。
御自身の持つ悪い癖を治すには、神々様も、苦労する程のもの、という事はよく分かります。
御自身の持つ悪い癖とは、中々御自身でも自覚できないくらい、大変なものなのです。
ですが、この長い転生で続いてきた悪い癖を治す事ができますと、それが、生長に繋がっていきます。
Ⅳ.お互いにおがみますと、総てが御自身となります
第十二帖
●昨日の自分であってはならんぞ。六十の手習でとまってはならん、死ぬまで、死んでも手習ぢゃ。お互におろがめよ、おがむと総てが自分となる、おがむところへ集まって来て弥栄ぢゃ。
昨日の自分のままでは、コトにはならない、と御伝えされています。
六十の手習でとまっても、コトにはなりません。
死ぬまで、死んでも手習、が基本です。
お互いにおろがむ境地は、まず、御自身の前世、と御自身とです。
まずは、御自身との一体化が求められます。
続いて、周囲の方々です。
まずは、できるところからおろがみてください。
お世話になっている方、ご縁の深いから始めて下さい。
その次に段階を上げ、徐々に、和せなかった方と和していき、おろがむ流れを作ってください。
和し続けていきますと、無敵になります。
(この、無敵、という単語は、黄金の巻に新たに生まれています)
すると、おがむところへ集まって来るようになります。
やがて、それで、弥栄していくようになります。
Ⅴ.これまで申しても、言ふこときかない方の方が多いです。まずは、思うようにやって見て下さい。やらないと判らないようになっています
第十三帖
●これまでに申してきかせても言ふこときかぬ人民多いぞ、きく耳ないならば思ふようにやって見なされ、グルグル廻って又はじめからぞ、人民は神の中にゐるのであるから、いくら頑張っても神の外には出られん。死んでも神の中にゐるのぞ、思ふさまやりて得心改心、われがわれがで苦しむのも薬と申すもの。
私自身もそうでしたが、中々、御神示の全てを信じきることは当初からできるものでもありません。
また、覚悟もそこまで決まるものではありません。
ですから、まずは、御自身の思う通りに進めてみることがお勧めです。
きく耳(御身)ないなら、まず思ふようにやってください。
と御伝えされています。思ふようにやる事は反対されていません。
人、はそういったものだと思います。
ずっと、我欲から、我で生きてきた為。しかも、神様を無き者とし、
神様があったとしても、人欲で都合化した神様が殆どでした。
ですから、人は、どうしても、好きなようにしか動かないものなのです。
ですが、我からですと、グルグル廻ってはじめからやり直しになります。
殆ど進んでいないことも判ります。
それは、我基軸だった私が、この道一本に絞る迄、10年間、グルグル廻ってやり直した経験からもよく判ってゐます。ですが、極力、このような、時間の浪費、それに伴う苦労はしない方が良いのです。
ですが、人は、神様の中にゐる、という事もこれでようやく判ってきます。
いくら頑張っても神様の外に出る事はできないのです。
それは、死んでも、神様の中にゐる、という事もわかります。
思ふさまやりて、得心して下さい。
それで、ようやく、改心できるところもあります。
われがわれがで苦しむのも薬です。
真剣で求めますと、早く気付けます。
ですが、一番問題なのは、その行すらしない。
いつまで経っても、行動を起こさない方、です。
懐出の方です。
御神示では、何も思案投首 一番罪深い。
とまで言われています。
また、御神示も読まない方、また、読まなくなる。これもかなり多いです。
一度読んで終わる。これでも、後戻り、グルグル廻って一からやり直し、になります。
時間はそれ程、残されていない所に来ています。
この文面があるから、と言っても、ぐづぐづしないようにして下さい。
遅れる程に苦しむことになっていきます。
5.五十黙示録 第五巻 極め之巻 第十四帖~第十七帖
Ⅰ.正、不正の平面的衣を脱ぎ、マコトを衣としてください
第十四帖
●正しくないものが正しい方に従はねばならんと人民申して御座るなれど、正とか不正とか申す平面的衣を早うぬいで下されよ。マコトを衣として下されよ、マコトを衣にするには心がマコトとなりなりて、マコトの肉体とならねばならん、
正しくないものが正しい方に従はねばならん、と申される方はとても多いですが、
正、不正、という段階は、平面的衣です。
これまでは、善、悪、という伝え方のみだったと思いますが、正、不正、という表現もまた、新たにマンデラ・エフェクトで生まれたようです。
マコト(〇九十)を衣として下さい。
コトを産み出す事を衣として下さい。
マコトを衣にするには、心が、まずマコトにならないとなりません。
神様の心が判り、心・口・行、が一致することが求められるのです。
更に、その行を繰り返して行く事で、やがて、マコトの肉体となる事が求められます。
Ⅱ.マコトとは、かず、こと、いろ、その配列、順序、法則から、生み出して下さい
第十四帖
●マコトとは数(かず)ぢゃ、言(こと)ぢゃ、色ぢゃ、その配列、順序、法則ぞ。
マコトとは、様々な表現がありますが、ここでは、かず、こと、いろ、から伝えられています。
かず、は全ての元です。言葉の元も、かず、です。
ですから、高次の霊人は、かず、で話します。
万語の意味を持ち合わせる為です。
そして、高次の者程、一言で、多くの意味を伝え、段階が進みますと、万語を伝えていきます。
その上での、コト、です。
コトの段階になりますと、有の色合いが強まってきますが、
それも、行、理解、に応じたものに変わって行きます。
いろ、は、最後の段階で、無限に弥栄していく元になります。
配列、順序、法則を意識して下さい。
特に順序、は常々大きいです。
浄化の際、進む際でも、順序誤りますと、簡単に悪、となってしまいます。
Ⅲ.打たれるのは、無抵抗ではない。打てないものが、無抵抗
第十五帖
●右の頬をうたれたら左の頬を出せよ、それが無抵抗で平和の元ぢゃと申してゐるが、その心根をよく洗って見つめよ、それは無抵抗ではないぞ、打たれるようなものを心の中にもっているから打たれるのぞ。マコトに居れば相手が手をふり上げても打つことは出来ん、よくききわけて下されよ。笑って来る赤子の無邪気は打たれんであろうが、これが無抵抗ぞ。世界一家天下泰平ぢゃ、左の頬を出すおろかさをやめて下されよ。
右の頬をうたれたら、左の頬を差し出しなさい。
は自己犠牲です。自己犠牲は悪です。
有名な聖典に乗っている話ですから、それが故、自己犠牲とは、無抵抗で平和の元、と今現在は、多くの方が思われています。
ですが、それは無抵抗ではないのです。
心の中に打たれる原因が御自身にあるから打たれるのです。
マコト、に居れば、相手が手をふりあげても打つことはできないのです。
笑ってくる赤子の無邪気さは、打つことができません。
これが、無抵抗、です。
生まれ赤子になりてくだされよ。
は他の文面でもありますが、実際、神の申す通り、素直になっている境地でもあるようです。
それは、御自身の我の改心が求められます。
確かに、元は、生まれ赤子だったのですが、我から、曲がり、騙され、騙し続け行く転生へと、長い間、変わってしまったのです。
ですから、元の御自身を、行じ省みることから生み出して行けばよいのです。
ただ、そう簡単に、この境地にはなれないのです。
時間がかかります。
御自身で御自身を監視もできないとならないのです。
ですから、単に左の頬を出す、というのはもう避けて下さい。とあります。
自己犠牲の段階は、もう終わりに近づいているようです。
Ⅳ.頭下げると、必ず高い所から流れてきます
第十六帖
●頭さげて低うなって見なされよ、必ず高い所から流れてくるぞ。高くとまっているから流れて来んのぢゃ、神のめぐみは水のように淡々として低きに流れて来るぞ、自分が自分にだまされんように心して下されよ、善悪をきめて苦しんで御座るぞ。
頭さげて、低うなって見てください。
確かに高い所から流れて来るようになります。
高くとまっていますと、流れて来なくなります。
神様のめぐみは、水のように淡々として低きに流れてきます。
これは、確かにそのようになっています。
自身の人生振り返ってもそうですし、周囲を見ていてもその通りでしょう。
行き詰っている時、流れて来なくなった時、今一度、省みて下さい。
慢心というよりは、高くとまっている、から、という所に気付いてください。
ただ、御自身が御自身に騙されないようにして下さい。
そこでも、善悪、です。
善悪を決めてしまいますと、苦しむ元となります。
悪、が現れたなら、是非とも、悪で無くしていく事を意識して下さい。
その事を試されています。今現在、悪を悪で無くす事が求められているのです。
その先にあります、和合、喜びを意識して下さい。
Ⅴ.世界の片端浜辺から、浄化が断続的に迫ってきたら、いよいよ、夜明けが近づいてきています
第十六帖
●世界の片端浜辺から いよいよが起って来たぞ、夜明け近づいたぞ。
セカイの片端(火十八四)浜辺から、いよいよが起こって来ましたら、夜明けが近づいてきています。
しきまきや、を起こして行きますと、四の世界を変え、生み出し、新たな神様(十)(八)を産み出す段階があるのです。
その事が求められます。グレン、からカラリとする為に御自身に起こるようになります。
次々、神様を産み出してほしい、十を産み出してほしい、八を産み出してほしい。
と御自身の身に迫ってきたら、愈々が始まります。
今現在、断続的な、セルフヒーリングや、浄化が御自身に迫ってきているのであれば、
夜明けが近づいてきている段階に入ってきています。
これが、まず御自身の小さな型です。
ですが、社会にも、大難が小難とは言え、2023年夏は、世界中での熱波が深刻ですし、かなり長引いていますから、いよいよが起こってきている、と言えます。
大きな型でもこのような動きになっています。
このようにして、一気に動き出す状況が産まれてきましたら、愈々が近づいています。
いずれにしても、世が一気に動き出す時が来ます。
ですから、少しでも早う、致して呉れよ。とクドウ申されているのです。
Ⅵ.これまでの逃げ場所のヤマでは駄目。今度の逃げ場所は、カミの御旨以外にない
第十七帖
●今迄の、のがれ場所はヤマであったが、今度はヤマに逃げても駄目、カミの御旨の中であるぞ、山に移りて海に入れよと申してあろう、今度のことぞ。
これまで、津波等の逃げ場所は、ヤマ、でしたが、今度は、ヤマに逃げても駄目です。
もはや、この地球上、どこに逃げても駄目です。
八真(ヤマ)を産み出さないとならないのです。
それは、カミ(火水)様の御旨にあります。
ですから、山に逃げるのではなく、山(八真)に移りて下さい。とあるのです。
そして、海(ウミ)(ウ見)(ウ身)(ウ未)に入れよ、と申されているのです。
新たな世界を見い出して下さい。
新たな身体を産み出して下さい。
新たな未来を生み出して下さい。
このようにして、これまでの山から、ヤマに移るのです。
それは、今度(九ん土)のこと(九十)です。
九から生み出された御三体の大神様。苦を苦で無くす事からです。
このようにして産み出して下さい。
6.五十黙示録 第五巻 極め之巻 第十九帖~第二十帖
Ⅰ.それぞれ、天界のうつり方は違ってゐる
第十九帖
●天人天使の行為が人民にうつるのであるなれど、人民の自由、能力の範囲に於ける行為は又逆に、天界に反影するのであるぞ、日本とカラ(支那中国)と土地が違ふように、日本人とカラ人とは違ふ、天界のうつり方も違ふのであるぞ。
天人天使の行為が人民にうつる一方で、人民の自由、能力の範囲における行為は、又逆に、天界に反映します。
実際、天人天使の行為は、人民だけでなく、この地球全体にも起こっており、
それがマンデラ・エフェクトでもあります。
一方で、人民の行為は、天界に反映されるのですが、それは、個々の世界でバラバラ、それぞれ違っていくようになっています。
一人一人視えてゐる世界こそが絶対で、それは一人一人違うのです。
理解と経験が一人一人違う為です。
日本と中国とでは土地が違います。
それと同じく、天界のうつり方もまた違います。
Ⅱ.同じものでも、違ってうつるのがマコト
第十九帖
●同じ日本人でも時と所によって違ふ。肌のこまかい絹と荒壁にうつる映画は同じでも少しづつ違ふようなもの、違ってうつるのがマコトであるぞ、同じ数でも123と一二三は違ふのであるぞ、判りて下されよ。新しき世界に進む大切ことぢゃ。
同じ日本人であっても、時と所によって違います。
全く別人になる事も珍しくありません。
肌のこまかい絹と、荒壁にうつる映画は、同じであっても少しづつ違ってゐます。
違ってうつるのが、マコト、です。
同じ数でも、123と一二三は違います。
伝わるエネルギーが別だからです。
そこに至るまでの、思念も違ってゐるのです。
ですから、同じであって、同じでない、という事を体験理解、を次々しなくてはなりません。
一番、間違いないのが、御自身です。
昨日と今日、とでも違ってゐますが、
先程と今、とでも違ってゐます。
理解しなかった、理解した、とでも全然違います。
それは、日々の行、から起こる出来事によって、理解を伴って判るものなのです。
新しき世界に進む上では、同じもの、同じ場所、同じ存在、同じ地球。
でも、違ふ、事を理解していく事が大切です。
Ⅲ.今度の岩戸ひらきは、少しでもフトマニ、に違ってもならない
第二十帖
●今の学者には今の学しか判らん、それでは今度の岩戸ひらきの役にはたたん、三千世界の岩戸ひらきであるから、少しでもフトマニに違ってはならんぞ。
今の学、では今の学しか判らないようになっています。
今度の岩戸ひらきは、三千世界の岩戸ひらきですから、少しでもフトマニ(二十真二)に違ってはならないようになっています。
二つの神様、更に真の二を生み出して行く事が求められます。
イザナギ大神様、イザナミ大神様です。
それは、一つ一つ、行を進めていき、省み、御自身の我を、洗濯、掃除、改心、を進め、新たな土台を作り、生み出して行く以外ありません。
新たな世界の理解、体験、を産み出し続けていく事、三が道の連続が基軸です。
Ⅳ.ミトノマグハイから、スサナル命を理解できないと、今度の岩戸は開きません
第二十帖
●廻りくどいようなれど【とつぎ】の道から改めなされよ、出舟の港は夫婦からぢゃと申してあろう、ミトノマグハヒでなければ正しき秩序は生れんぞ、素盞鳴命が、荒ぶる神、悪神ではなく、人民の罪を背負って下さる救ひ主の大神であることが判らねば、岩戸はひらけんぞ。
廻りくどい(九、土、意)ようなれど(四、ウ、七、〇、土)、【とつぎ】(十、二)の道から改めて下さい。
九、御三体の大神様の意志から、しきまきや、からもう一段上の無を産み出し、
御三体の大神様を生み出して行く事にあります。
それは、とつぎ、神様を二二の仕組み、不二の仕組みで生み出して行くのです。
それが、また、嫁ぎ、になるようです。神様との結婚です。
出船の港(三七十)は、夫婦(二二)からです。
ミトノマグハイ、とは、イザナギ様とイザナミ様が、まぐわう事で、二人で日本の島々を産み出したことですが、
三との真ぐ八一、
三が道から、真の八一を、裏九から生み出して行くことです。
それが、スサナル(四三ナル)の命でもあるのです。
苦を無くす事で三が道から、新た世界を産み出して頂く、人民の罪を背負って下さる、救ひ主の大神様なのです。
ですから、苦を苦で無くし、新たな九を産み出す三が道を理解していく事が求められます。
スサナル命様とは、荒ぶる神、それは、あらぶる(一一、〇、裏二、流)神様、
永劫の過去を富士の仕組みを閉ざした神様ではない事もわかってきますし、
悪神(一一、我、身)、永劫の過去から、我の身とした存在ではない事もわかってきます。
Ⅴ.新しき世界の宮は、土地(神智)(十千)、住所(数真意)(すまい)、下には永遠の腕
第二十帖
●新しき世界の宮は土地(神智)(十千)であるぞ、住所(数真意)(すまい)であるぞ、永遠に在(おわ)す神は住む(澄む、数務)土地(十千)であるぞ、下には永遠の腕(宇丁)(うで)があるぞ。
新しい世界の宮は、
土地、神様の智、十の千人力です。
また、住所は、数真意、すまい(四、真、意)です。
千人力を起こし、しきまきや、を起こすが基本です。
それは、神の智でもあります。
ちなみに、神智で、とち、は初めての登場と見ています。
永遠におわす神は住む土地です。
一方で、下には、永遠の腕があります。
腕、とは、裏四四から、ウみだしますから、そこには、悪、我、の世界があると見ています。
悪を悪で無くす、型が一つあるようです。
ただ、どうも、それだけでは無いようですが、それも行を続けていく内に判って来るようです)
まとめ 五十黙示録 第五巻 極め之巻 ②-2
五十黙示録 第五巻 極め之巻の後半は、ミトノマグハイから、スサナルの命を理解する段階までの事が伝えられていました。
そこまで、でも沢山の事が求められます。
今現在、タテコワシ、タテナホシ、が同時に起こっていますが、
それは、個々でも、グレンカラリ、とも現れている所もあります。
地上は元来潰さないと建て直し難しいのですが、一厘の仕組みで、見事なコトが現れるようですが、それも、行を進めていかないとなりません。
まずは、悪い癖を治す所からです。神々様でもこの事で苦労されます。
ですが、この事が御神業です。
今現在は、正、不正、善悪の平面的衣を脱ぐ段階です。
マコトを衣とし、かず、こと、いろ、と配列、順序、法則をご理解下さい。
世界の片端浜辺から、浄化が断続的に迫ってきていれば、夜明けが近づいています。
それは、世界中の天変地異、熱波や水害が、それに現れてゐます。
逃げ場所は、これまでのヤマではなく、ヤマ(八真)に移りて、ウミだして下さい。
今度の逃げ場所は、カミの御旨以外にないのです。
同じものでも違ってうつるのがマコトです。
今度の岩戸ひらきは、少しでも、フトマニと違ってはならないのですが、ミトノマグハイから、スサナルの命をご理解できれば、新しき世界の宮が生れ、土土地(神智)(十千)、住所(数真意)(すまい)、にすむようになります。
また、関連している部分として、黄金の巻も合わせてお読みください。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元の生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂きありがとうございます。