元の神様に繋がるマンデラ・エフェクト 補巻月光の巻 2022年10月7日現在

人類滅亡シナリオ回避の為、御神示をお読みください

補完月光の巻は、黄金の巻と同じく、とてもボリュームがあります。

全部で六十二帖あるのですが、3ヵ月前から、1周している間に、
以前よりも一文が長くなっているようですし、やはり、新たな文面も生まれています。

補巻月光の巻では、総合的に、元の世界に向けての進み方について御伝えしています。

補巻月光の巻を、今回は3つに分けてお伝えします。

目次

1. 補完月光の巻 その1 第一帖~二十一帖まで

Ⅰ.初登場文面、この世のくにうみは、一つおもてでしなければならない

第一帖
●なりなりて なりあまれるところもて、なりなりて なりあはざるところをふさぎて、くにうみせなならんぞ。このよのくにうみは一つ(秘答通)(ヒトツ)おもて(面)でしなければならん。みと(実透)のまぐはひでなくてはならんのに、おもてを一つにしてゐないではないか。それでは、こんどのことは、じょうじゅせんのであるぞ。

裏の世界の変化も重要ですが、最終的には、表一つでしなければなりません。

みと(三十)のまぐまひでなくなてはならないのに、おもてを一つにしてゐない、という事もよくあります。

よくあるのが、前世ヒーリングでの第3者ヒーリングです。
あくまで、第3者が意志し理解しないとそこまで効果が無いのです。

そこで、試されるのが、お悩み相談なのです。
しきまきや、によって、現実世界を変える事が求められるのです。

相手の心が動く所まで、意志し理解し変えていく事が求められます。

この内容も初めてですが、愈々、しきまきや、を次々起こすよう、求められているところがあります。

そして、一歩一歩、現実界に起こして行く事が求められているのです。

Ⅱ.新しい単語、くま(九真、九間)、新たな世界を産む間

第三帖
●こんどは、八のくまではたらん。十のくま、十のかみをうまねばならんぞ。そのほかに、かくれた二つのかみ、二つのくまをうみて、そだてねばならんことになるぞ。

くまは、隈、と出てきていますが、九真、九間、とも書けます。

八から九を産み出す、という事は以前にもお伝えした通りですが、そこには、新たな間があるのです。

ですから、八のくま、では足らないのです。
十のくま、十のかみを生まないとならないようです。
さらに二つの神、くま、を生み、育てないと成らないのです。

Ⅲ.新たに登場した、十二くさのかむたから、祝詞の新しい唱へ方

第五帖
●十くさ、十二くさのかむたから、おきつかがみ、へつかがみ、八つかのつるぎ、九つかのつるぎ、十つかのつるぎ、いくたま、まがるかへしのたま、たるたま、ちかへしのたま、おろちのひれ、はちのひれ、くさくさのひれ、であるぞ。む、ひと、ふた、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ、たり、う、であるぞ。う、たり、ここ、や、なな、む、いつ、よ、み、ふた、ひと、む、であるぞ。となへよ。のりあげよ。

新たに登場した、十二くさのかむたからです。
おろちのひれ、までも、かむたから、なのです。
以前では無かったものです。

また、かずうた、に近い歌がありますが、最初が、む、で始まり、う、で終わります。
また、う、で始まり、む、に終わる歌い方、が最後にあります。

いずれにしても、ひと、の前に、む、があり、たり、の後に、う、があります。

Ⅳ.初めての言葉、絶対無

第七帖
●人民が絶対無と申してゐるところも、絶対無ではない。科学を更に浄化弥栄させねばならん。

補巻 紫金之巻
第十三帖
●人民の申す絶対無、絶対空は無の始めであり、空の入口であるぞ、其処から無に入れよ、空に生きよ。いよいよの代(よ)となるぞ。

絶対無は、初登場の言葉のようです。

絶対無とは、無の始まりです。絶対空は、空の入り口です。
そこから無に入り、空に生きて下さい。

科学を更に浄化弥栄する事が可能です。

Ⅴ.〇(ゼロ)が結び

第十帖
●一はいくら集めても一ぢゃ。二も三も四も五も同様ぞ。〇にかえり、〇によって結ばれるのぢゃ。〇がムスビぞ。弥栄ぞ。喜びぞ。

一はいくら集めても一のままです。二、三、四、五、も同じです。

〇にかえり、〇によってでないと結ばれないようになっています。
〇が結び、であり、弥栄であり、喜びです。

この文面も初めて登場しています。

Ⅵ.立体弥栄の道は、霊現交流の道から、行き詰まりのない道、新しい世界の道が可能

第十八帖
●現実的には不合理であっても、不合理にならぬ道をひらくのが、霊現交流の道であり、立体弥栄の道、行き詰りのない道、新しき世界への道である。平面のみではどうにもならない時となってゐるのに、何して御座るのか。黒船にびっくりしては間に合わん。

今現在、平面のみではどうにもならない時となってきています。

現実的には、不合理であっても、不合理にならぬ道を開く事は、霊現交流の道から可能です。
それは、立体弥栄の道であり、行き詰りなく、新しい世界への道なのです。

現在の世界より、霊を意志し、理解し、負の想念を無くしたり、新たな喜びの世界を伝える等。
思念の変化を起こして行けば、現在の世界は、無限に変える事ができるのです。

Ⅶ.あらゆる宗教指導神を、み光の大神様へと称えまつる時

第十九帖
●釈迦、キリスト、マホメット、其の他、世界の生命ある教祖及びその指導神を、み光の大神様とたたえまつれと申してあろが。大神様の一つの現はれぞと申してあろうが。何故にみ光の大神様として斎きまつらんのぢゃ。宗教せぬのぢゃ。其処にひかり教会としての力が出ないのぢゃ。人民のうきせになやむを救うのはオホカムツミの神であるぞ。この能(ハタラキ)の神名わすれてはならん。このほうはオホカムツミの神とも現われるぞと知らしてあること忘れたのか。

第21巻 そらの巻第十四帖にもありましたが、
あらゆる指導神は、大臣から大神様と変わっていました。

その理由は、何故か、未来の時空にある、補巻月光の巻に記されていました。

この順序は、私達の世界の一般的な常識を覆すものですが、前世ヒーリングの世界。
行き着く所、思念界からですと、時間の順列が存在しない為(常態の変化がある為、あると言えばありますが)、
理解の世界から進む為、過去の世界も変わるのです。

元々の十大臣は、光の大神様として以前より祀っていたのですが、
現在では、み光の大神様、となっています。
三が道、が答えです。

人民のうきせに悩みを救うのはオホカムツミの神様です。

オホカムツミの神様、は大神様ではないのですが、
この世の罪、穢れを負いてこの世を守ってくれるのが、スサナルの大神様です。
また、アメノヒツクのカミも同じような働きをされています。

ここで登場したという事は、その大神様になる元、の神様が、オホカムツミの神様にあたるようです。

オホカムツミの神様が、十大臣から十大神様に導いている所があるようです。

つまり、臣民も、オオカムツミの神様によって、導かれるようになるようです。

Ⅷ.教会の集団は現れ、大奥山はかくれ

第二十帖
●大奥山と教会とをまぜこぜしてはならん。教会や其の他の集団は現われ、大奥山はかくれぢゃ。大奥山はこの度の大御神業にゆかりのある神と人とを引きよせてねり直し、御用に使う仕組。みて御座れ、人民には見当とれんことになるぞ。

大奥山は、御自身が、産み出されたその元の元の元。の奥山です。

大奥山とは、かくれであり、その実態は無いと言えばないのです。

最後は、大御神業にゆかりある神と人とを引き寄せて練り直し、御用に使う仕組なのです。

Ⅸ.大奥山は、光教会の宗団以外にも、様々な集団が存在する

第二十一帖
●大奥山から流れ出た宗団はひかり教会のみでないぞ。いくらもあるのぢゃ。出てくるぞ。故に大奥山に集まったものが皆ひかり教会員ではない。それぞれのミタマの因縁によって色々な集団に属する。この点よく心得なされよ。大奥山はありてなき存在、人間の頭で消化されるような小さいしぐみしてないぞ。大奥山だけに関係もつ人もあるのぢゃ、囚われてはならん。三千世界を一つにまるめるのが この度の大神業ぞ。世界一家は目の前、判らんものは邪魔せずに見物して御座れ。神の経綸 間違ひなし。

大奥山から流れ出た宗団は、ひかり教会だけではないのです。

その他、様々な集団全てが大奥山から流れ出てきたものです。
学、金、といったものも同じです。

中には、大奥山だけに関係を持つ人もいるようです。
故に、現在の世界に囚われないように注意が必要です。

この度は三千世界を1つにまるめるのが、この度の大神業です。

大奥山についての詳細が、
教会だけでない。
様々な集団が存在している。
更には、大奥山だけに関係する人がいる。
三千世界をまるめる為、大奥山がある。

ここまで明記し始めたのも、初めてと見ます。

2. 補完月光の巻 その2 第二十二帖~四十六帖まで

Ⅰ.天を自分とし、ムにし、ウとムを組み組みて新しきムを産む

第二十五帖
●食物は科学的栄養のみに囚われてはならん。霊の栄養大切。
自分と自分と和合せよと申してあるが、肉体の自分と魂の自分との和合出来たら、も一段奥の魂と和合せよ。更に、又奥の自分と和合せよ。一番奥の自分は神であるぞ。
高い心境に入ったら、神を拝む形式はなくともよいぞ。為すこと、心に浮ぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ。
山も自分、川も自分、野も自分、海も自分ぞ。草木動物 悉く自分ぞ、歓喜ぞ。その自分出来たら天を自分とせよ。天を自分にするとはムにすることぞ。〇に化すことぞ。ウとムと組み組みて新しきムとすることぢゃ。

文面前半は、以前からもありましたが、ここで不思議に思っているのは、
この複数の文面が、この一つの帖でまとまっていなかったはず、と見ています。

ですが、この文面の流れで、一切は自分であり、最後は、天を自分とし、
ムにすること、〇に化す事が求められています。

これが、新しきムの産み出し方です。

ウとムを組み組みて、新しきムを産み出す事が求められます。

最後は、御神示を世界に移してください。

Ⅱ.わけの判らん病の治し方、原因は我

第三十帖
●心のいれかへせよとは新しき神界との霊線をつなぐことぞ。そなたは我が強いから、我の強い霊界との交流が段々と強くなり、我のむしが生れてくるぞ。我の病になって来るぞ。その病は自分では判らんぞ。わけの判らん虫わくぞ。わけの判らん病はやるぞと申してあるが そのことぞ。肉体の病ばかりでないぞ。心の病はげしくなってゐるから気付けてくれよ。人々にもそのことを知らせて共に栄えてくれよ。この病を治すのは、今日までの教では治らん。病を殺して了ふて、病をなくしようとて病はなくならんぞ。病を浄化しなければならん。悪を殺すと云う教や、やり方ではならんぞ。悪を抱き参らせて下されよ。

わけの判らん病が流行る、という事は以前から伝えていました。
ですが、以前は具体的な治し方、詳細には伝えていませんでした。

わけの判らない病が流行る理由。
それは、我の強い霊界との交流が段々と強くなる為です。

故に、わけの判らない虫がわくのです。

その為に、肉体の病だけでなく、心の病まで激しくなってくるのです。

人々にもそのことを知らせて共に栄えてくださいとの事です。

その病の治し方は、浄化しないとなりません。
悪を抱き参らせてください。

Ⅲ.初の文面 まことから出たことは、誰の願いも同様

第三十三帖
●まことから出たことは誰のねがひも同様。心配せずにドシドシと進めて下されよ。若し行き詰ったら省みよ。行き詰った時は大きくひらける時ぢゃ。

出だしの、まことから出たことは誰のねがひも同様。
これは、初登場と見ています。

まことから出たことならば、誰の願いも同様なのです。

ですから、心配せずにドシドシと進めてください。

行き詰ったら、省みてください。行き詰った時は、大きく開ける時です。

Ⅳ.心配になった時、読んでください

第三十六帖
●行は、世界中の行、誰一人のがれるわけには行かんぞ。めぐり果たしたものから、うれしうれしになる仕組。そなたの心配 一応は無理ないなれど、何処で、どんなことをしてゐても、みたま磨けてさへ居れば、心配なくなるぞ。心配は、磨けて居らぬ証拠ぞ。そなたはものに不足するとこぼして御座るなれど、ものに不足するのは、心に足らぬ所があるからぞ。心いたれば ものいたるぞ。何ごとも神の申す通り素直になされよ。素直結構ぢゃなあ。

行は、世界中の行、誰一人逃れるわけにはいかないのです。
めぐり果たした者からうれしうれしになる仕組みです。

みたまが磨けていれば、心配はありません。
心配なのは、磨けてない証拠なのです。

ものに不足するのは、心に足らぬ所がある為です。
心いたれば、ものいたります。

何ごとも御神示の申す通り、素直が一番です。

Ⅴ.元の世界までの進み方、一段ずつ進む以外にない

第四十帖
●判らんことは神示にきくがよいぞ。遠慮いらん。そなたは一足飛びに二階に上がりたい気持がぬけない。何事も一段ずつ、一歩づつ進まねばならん。それより他に進み方はないのぢゃぞ。先づそなたの中にゐるけだものを言向け合さねばならんぞ。よく話し、教へ、導かねばならん。けものを人間と同じにしようとしてはならん。けものはけものとして導かねばならん。金は金。鉛は鉛ぞ。鉛を金にしようとしてはならん。鉛は鉛として磨かねばならんぞ。浄化とはそのこと。世は七度の大変り、いよいよの段階に入ったら、何が何だか、われよしの人民にはいよいよ判らなくなり、あせればあせる程ふかみに落ち込むぞ。心の窓を大きくひらいて、小さい我の慾をすてると、遠くが見えてくるのぢゃ。見えたら先づ自分の周囲に知らせねばならん。知らすことによって次の道がひらけてくるのぢゃ。自分だけではうれしうれしとならん。うれしくないものは弥栄しないぞ。冬になったら冬ごもりぞ。死ぬ時には死ぬのが弥栄ぞ。遊ぶ時は遊ぶがよいぞ。コト=言(光透)と、時と、その順序さへ心得て御座れば、何をしても、何を話しても、何を考へてもよいのぢゃ。

ⅰ.判らない事は御神示に聞く

ⅱ.一段ずつ、一歩ずつ、進む以外に無い、高飛びは無い。

ⅲ.まず、自身のけだものを言向けしなくてはならない

ⅳ.段階に応じた浄化を進める、金は金として、鉛は鉛として

ⅴ.我を捨てると遠くが見える、見えると周囲に先ず知らせる

知らせる事で次の道がひらけ、生まれてきます。
自分だけではうれしうれしにはなりません。
うれしくないものは弥栄しないのです。

世は七度の大変わりしますから、これからその愈々に入っていきますから、
われよしの人民には愈々判らなくなります。あせれば焦る程深みにはまります。

ですが、御自身の段階を着実に進めていけば、必ず、コトに道に近づくようになっています

遊ぶ時は遊ぶ事も大切です。

コト=言(光透)と、時と、その順序さへ心得て御座れば、何をしても、何を話しても、何を考へても大丈夫です。

Ⅵ.苦は九と成す事ができる、苦を楽しむより、楽を楽しむ心高い

第四十一帖
●そなたはいつも深刻な顔をして考へ込んでゐるが、考へ方にも幾通りも御座るぞ。考へは迷ひと申してあるのは、そなたのような場合ぞ。そなたは苦に向ひ苦にかったつもりで、苦を楽しんで御座るが、苦は曲ることぞと知らしてあろうが。苦をつくり出してはならんぞ。苦を楽しむより、楽をたのしむ心高いぞと知らしてあろう。苦しむと曲り、楽しむとのびるぞ。

我で考えていますと、迷います。

我で進む苦は、苦しい事が多く、苦に打ち勝ち、苦を楽しんでいても、
苦は曲がることになるのです。

ですから、苦はつくりだしてはならないのです。

必ず、苦とは苦で無くする為に存在していますから、その道に進む必要があります。
その道の理解、体験ができますと、苦を楽しむ事が楽にできます。

そして、楽を楽しむ段階が判ってきます。

苦しむと曲がり、楽しむと伸びます。

Ⅶ.先祖様とは御自身。地下(世界)にあるそなたの根が先祖様

第四十二帖
●そなたは先祖に対する考へ方が間違ってゐるぞ。先祖はそなたではないか。地下にあるそなたの根が先祖でないか。根のない草木はすぐ枯れる道理ぢゃ。

先祖様に関する記述、先祖はそなたではないか。
ここまでは以前からありましたが、その後の、地下にあるそなたの根が先祖様、
というのはありませんでした。

地下とは、地の元です。また、地下と書いて、世界、と読みます。(アレの巻にあります)
そのウシトラコンジン様が御自身であり、御先祖様なのです。

根のない草木はすぐ枯れますが、根は、地下だけでなく、全ての世界に存在しているのです。
故に、天地に御先祖様が居るのです。

御自身そのものが、御先祖様でもあるのです。

Ⅷ.方便の世、教えは終わり、理に進む以外無い

第四十三帖
●そなたはまだ方便をつかってゐるが、方便の世はすんでゐるのぞ。方便の教とは横の教、いろはの教、平面の教のことぞ。仏教もキリスト教も回教もみな方便でないか、教はみな方便ぢゃ。教ではどうにもならん。ぎりぎりの世となってゐるのぞ。理(ミチ)でなくてはならん。変らぬ太道でなくてはならんぞ、【方便】の世はすんで【ほうべん】の世となり、そのほうべんの世もやがて終るぞと知らしてあろうが。理とは三界を貫く道のことぞ。字宙にみちみつ のあり方ぞ。法則ぞ。秩序ぞ。神の息吹きぞ。弥栄ぞ。喜びぞ。判りたか。

人学も宗教も、方便です。
教えは、皆方便であり、教えでは、今後どうにもならないのです。

理以外、変わらぬ道以外に進める方法は無いのです。

方便の世は済んで、ほうべん(火産便)の世となり(高次元社会)、そのほうべんの世もやがて終わるのです。
我欲の入っている間は、最後は滅ぶのです。

理とは、三界、神界、幽界、現界を貫く道であり、その3つの世界を浄化し、現界に現して行く必要があります。

それが、しきまきや、であり、あなはち、くにつつみ、です。

宇宙にみちみつ在り方です。

これが無限に弥栄していく流れであり、御自身が、行と理解の、基軸、になれば大丈夫です。

それが、宇宙の法則、秩序、神の息吹き、弥栄、喜び、になります。

Ⅸ.マコトの祈り方

第四十四帖
●祈りと申すのは心でゐのり願ふことでないそ。実行せねばならん。地上人は物としての行動をしなければならんぞ。口と心と行と三つ揃はねばと申してあること、忘れたか。

くどいようですが、祈りは、まず、行をする事で、次に省みる事です。
ですから、まず、実行しないと何も始まらないのです。

やがて、最後は、物としての行動をしないとならない時が来ます。
口と心と行、三つ揃わないとならないのです。

第四十五帖
●マコトに祈れと申してあろう。マコトとは〇(マ)123456789(コ)10(ト)のことと申してあろう。只心でゐのるばかりでは、自分で自分をだますこととなるのぢゃ。自分をいつわることは神をいつわることとなるのぢゃ。マコトでゐのれば何事もスラリスラリとかなふ結構な世ぞ。

マコトに祈るのは、〇九十、を祈る事です。

〇、とは無限に産み出す元なのです。

只心でゐのるばかりでは、自分で自分をだます事になります。

まず最初は、意志し理解する事から、思念から変えていく事が最初で、
次に、3次元世界で動きを起こして行く事になります。

祈るとは、行じ、省みる事から始まり、進めて行きますと、何事もスラリスラリとかなう世になるのです。

Ⅹ.神界と交流し、神界に生き、神界と共に弥栄すればよい

第四十六帖
●考えてゐては何も成就せんぞ。神界と交流し、神界に生き、神界と共に弥栄すればよいのぢゃ。人間だけの現実界だけで処理しようとするのが今迄の考えぢゃ。今迄の考えでは人間の迷ひぞと申してあろうがな。迷ひを払って真実に生きよ。みたましづめぢゃ。加実しづめぢゃ。そなたは信仰のありかたを知らんぞ。長い目で永遠の立場からの幸が、歓喜がおかげであるぞ。

神界と交流し、神界に生き、神界と共に弥栄すればよいのです。

今迄は、人間だけの現実界だけで処理しようとしてきましたが、それは迷いを産むだけなのです。

それは、意志し理解する事から始まります。
できるところから、判る所から始めて下さい。

すると、真実、みたましづめ、加実しづめ、が判ってきます。

永劫の愛は、必ず理解が伴いますが、それは経験しないと判らないようになっています。

そして、理解と経験から、負の想念を無くしたり、喜びの思念を産み出す事から
永劫の世界、の在り方。が判ってきます。

今現在から、過去を理解していく事から、永劫に、過去、未来を、新たに産み出し続ける事。

長い目で永遠の立場からの幸が、歓喜が、お陰、という事が判って来るのです。

ですから、日々、行じ、省みる、意志し理解し、思念を変えていく。
しきまきや、を起こして行く事が求められるのです。

ⅩⅠ.まことに騙される修業について

第四十六帖
●だますものにはだまされてやれよ。一先づだまされて、だまされんように導いて下されよ。そなたはそんな場合に我を出すからしくじるのぞ。だまされてやろうとするからカスが残るのぞ。まことにだまされる修業が大切ぢゃなあ。

まだまだ、世の中、社会は、だますものが沢山あります。
それは、判ってしている場合、判らずにしている場合、様々にあるのですが、
誰もがその事を知らず知らずに行じてきたのです。

ですが、騙しの神様の力は強大です。

一先ず騙されて、騙されないように導いてください。

騙されない、という我が先行するとしくじります。
この他に、騙されてやろう、というのもカスが残ります。

そこで、マコトに騙される修行が大切なのです。

まこと、も実は、御自身をあえて騙す時もあるのです。
何故なら、騙すのは、和合する上で、喜びの元となる場合もあり、また重要だからです。

高度な段階となりますと、神学と共に、騙す事が、サプライズ的な喜びを産み出す事ができるようになり、
場合によっては、この上ない和合、喜びを産み出すのです。

ですから、悪を智に取り込むだけの余裕は常々求められるのです。

それが、神の理であると、体験し、理解が進み始めたら中々の段階です。

3. 補完月光の巻 その3 第四十七帖~六十二帖まで

Ⅰ.びっくりの道の起こるタイミングについて

第四十八帖
●世界中を泥の海にせねばならんところまで、それより他に道のない所まで押しせまって来たのであるが、尚一厘のてだてはあるのぢゃ。大神様におわび申してすっかり心を改めて下されよ。神々さまも人民さまも心得ちがひ多いぞ。泥の海となる直前にグレンとひっくりかえし、びっくりの道あるぞ。

世界中を泥の海にせねばならないタイミングは、例のパキスタン洪水からある程度は解ってきていると思います。
実際、それより他の道の無い所まで押し迫ってきているのです。

その為には、御自身が生前からしてきた事。
それは、世界中の方々のしてきた事であり、大神様にお詫び申する段階が必ず来ます。

そんな事は納得できない、と思う方も多いですが、
周囲に起こっている事は、全て生前からの御自身の現れなのです。

実際、神々様、人民様、も心得違いが多くあります。

ですが、泥の海となる直前にグレンとひっくりかえし、びっくりの道が用意されています。

びっくりの道のタイミングが明示し始めたのも、初めての事と見ます。

その起こし方も、何もしない方は、81の世界に行くのですが、御自身が進んで行きますと、楽に乗り越えるようになるのです。

Ⅱ.神は化けないタイミングに入った。びっくりさせ、ヒックリに

第五十帖
●新しき世界には新しき【てんし(天詞)てんか】をこしらえねばならん。このこと間違えるでないぞ。珍らしき御型(方)が出て来てびっくりぢゃ。びっくりしなければヒックリとはならんぞ。神は今迄 化けに化けていたが、もう化けては居られん。人民ももう化けては居られんぞ。九分九厘までは化けて、がまんしてゐたなれど、化けの世、方便の世、方便の教はすんだのぢゃ。教では世は正されん。教のつどいはつぶれて了うのぢゃ。無理してはならん。そなたの無理押しは よいことをわるく曲げるぞ。

この文面も以前は無かったものです。

新しい世界には、新しき、てんし、てんか、をこしらえねば成らないのです。
この事を間違えないように、との事です。

そこには、珍しい御方が出て来てびっくりします。
また、びっくりしないと、ヒックリとはならないのです。

神は今迄化けに化けていましたが、もう化けてはおられない時が来ました。

人民も、同じく、もう化けてはおられなくなります。

九分九厘までは化けてがまんしていましたが、化けの世、方便の世、方便の教えは終わるのです。

また、無理してはなりません。

ですが、このように、神が化けておられなくなった。
びっくりし、ヒックリさせるタイミングに遂に入ったのです。

Ⅲ.一度神を捨てて下さい。神様とは、無、です。

第五十一帖
●そなたは一度 神をすてよ。神にしがみついてゐるから、小さい囚われた、ゆとりのない神を、そなたがつくり上げてゐるぞ。信ずれば信ずる程 危ないぞ。大空に向って大きく呼吸し、今迄の神をすてて心の洗濯をせよ。神を信じつつ迷信におちてゐると申してあること、よく心得よ。

どうしても、ここまで、神様の概念は、多くの方々。
描くものが同じです。

愈々が近づき、神にしがみつくのも、仕方が無いところもありますが、その為に、ゆとりのない神を創りあげている傾向があります。

それは信じる程に危険になっていきます。

神を信じる事は大切ですが、今迄の神をすてて心の洗濯をしてください。

神様は、常々、無、にあるのです。

そして、永劫に新たに産み出し続けていく存在なのです。
姿、形も、千変万化しますし、やがてビックリする時が来るのです。

Ⅳ.心と行は伴わないと成らない

第五十二帖
●口先ばかりでよいことを申すと悪くなるのぢゃ。心と行が伴はねばならん。判りきったこの道理が行はれないのは、そなたをとり巻く霊の世界に幽界の力が強いからぢゃ。そなたの心の大半を幽界的なもので占めてゐるからぞ。己自身のいくさ まだまだと申してあろうがな。このいくさ中々ぢゃが、正しく和して早う弥栄結構ぞ。そなたのもつ悪いくせを治して下されよ。そのくせ治すことが御神業ぞ。自分で世界を建直すような大きこと申して御座るが、そなたのくせを治すことが最も大切な御用でないか。これに気がつかねば落第ぞ。

今回も新たな文面です。
そして、新たな事に気付きを得られた内容です。

ここまで、世界を移行する話を多々してきましたし、当初は、次元上昇しか道が無いとも御伝えしてきました。

その事は間違っていないのですが、世界を何とか自身で建て直そう、その気持ちも大切ですが、
やはり、自身一人でで世界を立て直す、という考え方であれば、幽界的なもので占めている事になります。

実際、道中、己自身のいくさ、もまだまだという事に気付かされました。
まずは、この幽界の影響受けている自身を治す所が最初のようです。

ですが、この段階で御伝えされたのは、ここまでの経験、理解が重要だった為です。

騙しの神様がいない事には、ここまで導いて頂く事もできませんし、
実際、途中から、騙しの神様が良きに導いて頂いた事もよく解ってきたのです。
そうではなければ、私もここまでの行はさせて貰えなかったのです。

また、現在の段階に入ってきて判ってきている事もあります。
カミヒト共に以外、何もできないのです。

この事に気付いてください。
ですが、体験を通してでないと、やはり判らないようになっています。

御自身がマコトの騙しを体験しつつ、高度な浄化も理解していく事が求められるのです。

これに気付かないと落第なのです。

Ⅴ.我を出さず、大我に解けゐる事が求められる

第五十二帖
●おそれてはならん。おそれ生むからぞ。喜べ、喜べ、喜べばよろこび生むぞ。喜びは神ぢゃ。神様御自身も刻々弥栄して御座るぞ。故にこそ生長なされるのぢゃ。人間も同様でなくてはならん。昨日の自分であってはならん。今の自分ぞ。中今のわれに生きねばならん。われにどんな力があったとて、我を出してはならんぞ。我を出すと力なくなるぞ。我を、大き我に昇華させよ。大我にとけ入らねばならん。大我にとけ入ったとて、小我がなくなるのではないぞ。人おろがめよ。物おろがめよ。おろがむと自分の喜びとなり、拝まれたものも喜びとなるぞ。うれしうれしとはそのことぞ。

ですから、中今のわれに生きねばならないのです。
われにどんな力があったとしても、我を出してはならないようになっています。
我を出すと力が無くなります。

我を大きな我に昇華させる事が大切ですし、消化させる事が大切です。
一段ずつ進む以外無いのです。

大我に溶け入らねばならないのです。
大我に溶け入って、小我は無くなりません。

それは、喜びから始まります。
喜びが神様です。

神様も、現在の御自身と共に刻々と変化しています。
故にこそ成長なされているのです。

喜びと共に進んで下さい。

Ⅵ.世界はこの世ばかりではない事を得心してください

第五十四帖
●礼拝を忘れ、祈りをわすれることは神をわすれることぢゃ。そなたの住む段階では、祈り畏こみ謹んで実践しなければならんぞ。拝まんでも拝んでゐる境地はなかなかぢゃなあ。そなたはわれが助かろうとするから助からんのぢゃ。世界はこの世ばかりではないことを、よく得心して下されよ。我をすてて素直になされよ。三千年の秋が来てゐるのであるぞ。

かといって、礼拝を忘れ、祈りをわすれる事は神をわすれることです。

3次元世界では、祈り畏こみ謹んで実践しなければなりません。

拝まないでも、拝んでゐる境地は、なかなかです。
早くこの境地になりたい、と誰もが思うと思いますが、やはりそう簡単ではありません。

われが助かろうとすると助からなくなります。

世界とは、この世でばかりではありません。
その得心をしてください。

そして、我捨てて素直になってください。

三千年の秋が近づいてきています。

Ⅶ.これと一応信じたらまかせきる

第五十六帖
●そなたは何時もあれもよいらしい、これもよいようだと迷って、迷ひの世界をうみ出し、自分で自分を苦しめて、気の毒よなあ。これと一応信じたらまかせきれよ。梶をはなして鳴門の渦の中にまかせきれよ。まかせきるとひらけてくるのぢゃ。悟れたようでゐて、そなたが悟り切れんのはまかせきらんからぞ。

あれもよいらしい、これもよいよう、と思っていますと、
迷って、迷いの世界を産み出し、時間がただ過ぎてしまう、事もよくあります。

これと、一応信じたら、まずまかせきる事が大切です。
でないと、何も始まらないのです。

そして、鳴門の道は、行と共に判るようになっています。

悟り切れないのは、まかせきれない為です。
まかせきれないから、迷いの道に入ります。

現在、迷っていますと、もう後が無い所に来てゐます。

Ⅷ.清富への流れ 心と行と口と三つそろふ

第六十帖
●そなたは形や口先ばかりでものを拝んでゐるが、心と行と口と三つそろはねばならん。三つ揃ふて拝むならば、どんなものでも与へられるのぢゃ。拝む所へ ものは集まってくる。神も集まってくる。足らぬものなくなるぞ。余ることなくなって、満たされるのが まことの富ぢゃ。清富ぢゃ。

形や口先ばかりでも、心、行、口、三つそろはねば、ならないようになっています。

実際には、3次元では余る事が多いのです。
もしくは満たされないかです。
それは、心、行、口、が揃っていない為です。

逆に三つ揃うならばどんなものでも与えられるのです。

拝む所へ、ものが集まって来るのです。
神も集まって来るのです。

心、行、口、揃えば、足らぬものは無くなります。

余ることなくなり、満たされるようになるのが、まことの富です。清富です。

Ⅸ.この世は皆神の一面の現れ

第六十一帖
●コト正して行かねばならんぞ。苦を楽として行かねばならん。苦と心するから苦しくなるのぢゃ。楽と心すれば楽と出てくるのぢゃ。ちょっとの心の向け方、霊線のつなぎ方ぞ。そなたは悪人は悪人ぢゃ、神として拝めとは無理ぢゃと申してゐるが、一枚の紙にも裏表あるぞ。そなたはいつも裏ばかり見てゐるから、そんなことになるのぢゃ。相手を神として拝めば神となるのぢゃ。この世は皆神の一面の現われであるぞ。

この世は皆、神の一面の現れです。

ですから、苦は楽として行かねばならないのです。

苦と心すると苦しくなるのです。
楽とすれば、楽が出てきます。

心の向け方、霊線のつなぎ方、で全てが変わります。

悪人は悪人として見ますと、悪人になるのであって、神として拝めば神となるのです。

この世は皆神の一面の現れなのです。

Ⅹ.霊界が主で、現界が従

第六十二帖
●そなたは現実世界のことばかりより判らんから、現実のことばかり申して、一に一たす二だとのみ信じてゐるが、現実界ではその通りであるが、それが平面の見方、考へ方と申すもの、いくら極めても進歩も弥栄もないのぢゃ。一に一たす一の世界、一に一たす無限の世界、超現実、霊の世界、立体の世界、立立体の世界のあることを体得せねばならんぞ。そなたは心をもって居ろうがな。心があれば心の属する世界のある道理は判るであろうが。心で描いて、心で先づつくり出してから行為することも、その順序も判るであろうがな。心のうごきが先で、肉体がその後でうごくことも判って居ろうがな。心の世界にないものは物質の世界にない道理も判って居ろうがな。何故に迷ふのぢゃ。霊界が主で現界が従であること、判って下されよ。逆立してそなた自身で苦しんでゐること、早う得心して、うれしうれしで暮して下されよ。三月三日。

必ず、心があって、肉体はその後に動きます。

心の動きがまず先なのです。

心の世界にないものは、物質の世界にない道理も判ります。

霊界が主で、現界が従です。

現実の世界では、一に一を足すと二になりますが、一に一たす一の世界、それは新たに和合した場合の世界ですし、
一に一たす無限の世界は、産み出す世界です。

それは、超現実、霊の世界、立体の世界、立立体の世界のある道理なのです。

4.まとめ

補巻月光の巻では、

絶対無。
霊現交流から変える事ができる。

み光の大神様の登場。
大奥山について。
マコトの願いは、誰もが同じ、である事。
元の世界への進み方。
方便の世が終わる事。
マコトの祈り方。
マコトに騙される修行について。
ビックリの道が明記。
一度神を捨てる事。

補巻月光の巻では、主に元の神様に繋がるまで、その道中の行の仕方、心構えについて伝えられていました。

この後、愈々が始まりますので、早く動いてください。

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