この5月は、丁度、5月5日の能登地震の後からかなり動きがありました。
それまでにも大きな動き、沢山の分岐点があった事は、地図が刻々と変わるようなマンデラ・エフェクトからも
(本年に入ってからもやはりかなり起こっています)、解ってきていますが、この後愈々に向けて、今現在、皆様分岐点に入ってきています。
その分岐点とは、囚われ、分け隔て、を無くしていく事にあります。
これは、直近、特に5月に入ってから動き始めた事です。
そこで、現在気を付けてほしい事について御伝えしたいと思います。
1.セッションで起こった動きにつきまして
この5月に入っては、セッションで動きがあり、新たに入られる方も居れば、ここで離れた方も居ました。
そこで鍵になった事が、2つあります。
Ⅰ.囚われ、を無くしていく事が求められています
1つは、囚われ、です。
今現在、この囚われ、で、この後に進む道に向け、分岐点に入っている方が沢山いそうです。
実際、囚われの無い人は居ないといって良いと思います。
●学で説くと学の鬼に囚われるぞ、智で説くと智の、理で解くと理の鬼に囚われる、このままに伝へて下されよ。
今現在、特に、学、に囚われている方、かなり多いです。
逆に、学に囚われてない方、って中々の段階の方だと思います。
また、この文面には、智で説いても智に囚われる、というような事も書いてあります。
また、理で解くと、理で囚われる、ともあります。
この中では、私は、智に囚われている所があると見ています。
だからこそ、周囲に学、に囚われている方が居たのかもしれません。
どうも、自身の中に何等かの囚われがある事で、周囲には違った囚われがある方が、現れるようなのです。
また、同じ囚われた者同士で集まってしまう、そういった事もあります。
ですが、この囚われを無くしていく事、って、人学ではかなり難解です。
そこで求められるのが理解です。
後述しますが、囚われも、無限立体に進む上には重要なもののようです。
ですが、囚われのままでは、平面世界となり、やはり81の世界に行くようです。
Ⅱ.分け隔て、を無くす事が求められています
もう1つは、分け隔て、です。
理解する、の反対は、分け隔て、で良いように思っています。
実際、囚われ、分け隔て、はセットのところがあります。
囚われてしまうと、概ね分け隔てに進みやすくなりますし、また、分け隔てがある場合、囚われも強いです。
●神に分けへだてなし、へだては人民の心にあるぞ。
ですが、分け隔てが全く無い方。ってこの文面にもある通り、
まずいない、と思っています。
ですが、神様には分けへだてなし、とありますから、
今現在、求められているのは、分けへだてを無くしていく所にあります。
2.囚われ、で気になる文面
Ⅰ.学、理屈に囚われている、方は、どうしても多い
●理屈悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。 理屈すてよ。すててやって見なされ。みなみな気つかん理(ミチ)、気つかん病になってゐるぞ。
囚われで、一般的に一番多いのは、やはり、学、だと思います。
更に、権威、地位、名誉等、が上塗りされている事で、その学に囚われている方が多くなるでしょう。
その上に、金、といった経済との結び付く事で囚われが強まり、また、法律、政治で、更に囚われる流れにもなります。
概ね、学、地位、名誉、金、法律、に囚われる事がとても多いと思います。
ですが、このブログの読者さんで、まず気になるのは、学、の囚われです。
そして、行、の段階が浅い方。
また、行をしていない方、にどうもこの学に囚われている傾向があります。
その結果、理屈、に囚われる方も多いです。
その場合、概ね、みなみな、理に気つかん、ようになり、気つかん病、になっています。
まずは、学、理屈、に囚われないように気付いてください。
学に囚われますと、学に囚われた世界に移行します。
また、学頼りになりますと、理屈、頼りになる傾向になります。
その結果、平面世界に囚われてしまう事になります。
Ⅱ.囚われの悪があればこそ、自由が存在し、生長し、弥栄する
●殊に地上人はこの善悪の平衡の中にあるが故に、地上人たり得るのであって、悪をとり去るならば、地上人としての生命はなく、また善は無くなるのである。この悪を因縁により、また囚われたる感情が生み出す悪だ、と思ってはならない。この悪があればこそ、自由が存在し、生長し、弥栄するのである。
ですが、この囚われに意味がないのかと言えば、
その囚われがあってこそ、自由が存在し、生長し、弥栄する、とあります。
ですから、囚われを理解していく事、囚われている方への理解も大切です。
その上で、囚われを無くす事で、囚われない世界への移行が可能になっていくようです。
囚われの悪がまず重要である事をご理解ください。
Ⅲ.小さく囚われていると判らんことになってくる
●一度申したこと何処迄もつらぬくそなた結構ぞ。なれども囚われているぞ。この神はちと大きな、今迄にない大変をいたすのであるから、あまり小さく囚われていると判らんことになってくるぞ。
御自身で決めた事。
何処迄もつらぬくそなた結構ぞ。とあります。
ですが、なれでも囚われているぞ。とあります。
確かに、徹底的に貫くには、囚われずにできないと思います。
また、衣食住は、生きて行く上では欠かせないものです。
この辺りでは、どうしても囚われの部分があって普通です。
ですが、この事も、ひっくり返るようですし、その型の一つが不食であり、やがて、半霊半物の身体になる、とあります。
日々の情報社会の中では、どうしても囚われる事は避けられない所がありますが、
あまり小さく囚われていますと、この道が判らない事になってきます。
3.分け隔てで気になる文面
Ⅰ.分け隔てが、周囲にある、と思ふ間は、我が心にも分け隔てがある
●分け隔てあると思ふは我が心に分け隔てあるからぢゃぞ、
実は、あの人が、分け隔てしているな・・・、と思えば、御自身にも分け隔てはあります。
分け隔ての無い人って、まずいませんし、分け隔てされる事も、確かに日々感じる事も多いでしょう。
ですが、段階が進んで行きますと、分け隔ては確かに減ってきます。
それは、御自身も周囲にも両方に言えます。
分け隔てしているな・・・。
と思う方が周囲からどんどん居なくなっていくのです。
確かに私自身も、この道に入ってから、分け隔てしているな。という人が着実に減ってきています。
なるべく、分け隔ては無くそうとは意識してきましたが、ただ、減ってきて僅かとは言え、まだ周囲に居る以上は、
私にも分け隔てがあるという事だと思っています。
目安は、苦手な方、苦手な人がどれ位いるか。
また、苦手な虫、動物がどれほど御自身にあるかも参考にしてみて下さい。
(私も苦手な虫があります)
ただ、これもやはり減って来るようです。
それは、行が進むことが重要のようです。
行が進んで行く毎に、分け隔ては無くなっていきますし、分け隔てしている人も周囲から居なくなっていきます。
一度、この事を意識してみてください。
Ⅱ.分け隔てを無くし、和合できれば、神世に進む
●わけへだては人間心、何が何だか判らん内に時節めぐりて元に返るぞ、神に分けへだてなし、皆一様にするぞ、お蔭やるぞ、病治してやるぞ、小さい事、大きい事、皆それぞれに御役勇んで仕へまつれよ、分け隔てと云ふ事なく一致和合して神に仕へまつれよ、和合せねば誠のおかげないぞ。先づ自分と自分と和合せよ、それが和合の第一歩、アメツチ心ぢゃぞ、すべてはそこから生れ来るものなのぞ。
この文面を読んでいる限り、何が何だか判らん内に、時節めぐりて元に返る。神様に分けへだてなし。
となるとあります。
ですから、分けへだてある人間心の段階から、分け隔てない心に変わって行く事で、神世に返るようです。
その為には、それぞれ御役勇んで仕へまつれよ、とあります。
ですから、行を進めて下さい。そして、省みて下さい。
行じない事には、分け隔ては無くなりません。
それは、行じない事には、負の想念を無くす事への理解、立体弥栄の道に進む為の理解ができない為です。
また、行をしないと、行じる事で、理解が進まない為に、御自身の深層を省みる事もできません。
御自身の分け隔てに気付かないのです。
このように、行じない、という事は、御自身の和合ができない、という事と同じです。
その為には、人の深層から助けて行く行、しきまきや、を起こして下さい。
しきまきや、を起こしていかない事には、分け隔ては中々無くならないでしょう。
そして、しきまきや、とは、分け隔てを無くしていく事そのものとも言えます。
このようにして、分け隔て無く、あらゆる存在と一致和合していきますと、誠となります。
その為には、先ず御自身と御自身の和合が始まりです。
全てはそこから始まります。
4.現在の局面で気になる文面 補巻 月光の巻 第四十九帖
Ⅰ.人間の御用と神様の御用が和すのが、まことの道
●そなたの用意が足らんぞ。日々の人間の御用を、神の御用と和すように、神の御用が人の御用、人の御用が神の御用となるのがまことの道であり、弥栄の道であり大歓喜であるぞ。
この文面も初めて、と見ています。
日々の人間の御用が、神の御用と和す事で、神の御用、人の御用と一致していく事がまことの道であると御伝えされています。
それが弥栄の道であり、大歓喜です。
Ⅱ.神かかっていても、われにも他にも判らぬようになる境地へ
●いつでも神かかれるように神かかってゐるように、神かかっていても、われにも他にも判らぬようになりて下されよ。鍬とる百性が己をわすれ、大地をわすれ、鍬をわすれてゐる境地が、まことのみたましづめであり、神かかりであるぞ。
いつでも神かかれるように神かかってゐるようにして下さい。との事です。
鍬取る(す、キ、十、流)百姓さんが、己をわすれ、大地をわすれ、鍬をわすれてゐる境地が
まことのみたましづめであり、神かかりとあります。
二二の仕組み、ミミの仕組みの十の流れとなった百姓(百の変化をする者)さん、
となる事が求められるようです。
それは、われにも他にも判らぬようになる境地です。
そう言えば、セッションの最中のウタが面白いのです。
それは、その浄化の段階に応じたものとして出て来るのです。
声が通る時もあれば、通らない時もあり、その声の質も様々であり、男性が3~4名、女性が5~6名今のところいますが、その方の心の在り方で、私の声もそれに応じて出て来るようになります。
ウタ以外でも、このような状況になっている方は、岩戸開きをされた方にも居ましたが、何となくこの状況、型は
解ってきました。
それは、その方、相手の段階に応じた現れ方をするのです。
その事を、理解している方。また、理解しようとしている方に現れる、のですね。
ですから、同じウタを聴くにしても、理解の段階で、そのウタは様々変わるのです。
これは、普段の一般的なウタでも同じ事が言えると見ています。
歌い手の理解と、聞き手の理解で、双方捉える世界もまた、それぞれの理解で現れるようになっています。
ですが、それは、我にも他にも判らないようになっています。
行の段階が進んで行きますと、このような状況が現れます。
Ⅲ.二人で気つけ合ってよきに進んで下さい
●そこらでなさる行も、それに到る一つの道ではあるが、それのみではならんぞ。気つけ合ってよきに進んで下されよ。
行も、それに至る一つの道ではあります。
ですが、それのみではなりません。
様々、二人で気つけ合ってみてください。
そこからよきに進むようになります。
Ⅳ.御自身で歩んでください
●そなたが歩むのぢゃ。道は自分で歩まねばならんぞ。他人におんぶしたり、他人が歩かしてくれるのではないぞ。そなたの力で、そなた自身の苦労で人を助けねばならんぞ。
この道は、誰かにさしてもらう訳ではありません。
御自身で歩んでください。
他人におんぶしたり、他人が歩かしてくれるのではありません。
御自身の苦労(九六ウ)で人を助けないとなりません。
Ⅴ.人を助ければ、その人は神様が助ける
●人を助ければその人は神が助けるのであるぞ。この道理なぜに判らんのぢゃ。
人を助けずに我を助けてくれと申しても、それは無理と申すもの。神にも道はまげられんぞ。
人を助ければ、その人は神様が助けます。
それは、どのような方でも良さそうです。
ですが、何でもかんでも助ければ良いという訳でもないと思います。
永劫の観点で、助けて行く事を目指してみてください。
そこで、助けて行きますと、その人は神が助けます。
ここにおける、その人とは、助けた人、もありますし、助けられた人、もあります。
ただ、それは、その助けた人基軸の世界と見ています。
助けられたのみ、では、それだけでは、助けられる世界への移行は無理なのです。
ですから、人を助けずに我を助けてくれ、と申しても、それは無理なのです。
それは神様にも曲げられない道です。
ですから、まず、先に必ず、人を助けてあげて下さい。
しきまきや、を起こして行けば間違い無く、我が助かる道へと一歩ずつ進む事になります。
5.現在の局面で気になる文面 第二十四巻 黄金の巻 第八十七帖
最後に希望的な文面ですね。
この後の世について詳細に書かれている文面もかなり増えてきていますが、改心ベースの文面をお伝えします。
それは奇跡でもなく、確かに誰もができそうな文面でもあります。
そして、我にも他にも判らないように変わって行くと見ています。
Ⅰ.まことに改心できれば、何も心配も無くなる
●まことに改心出来たと、神が見届けたら、今度はこの世はもとより、何の心配もないやうに守って、肉体、顔まで変へてやるぞ。宿命と運命は同じでない。磨けばどんなにでも光るぞ。
まことに改心出来た、と神様が見届けたら、この世はもとより何の心配もないように守って、
肉体、顔まで変へてやる。とあります。
宿命と運命は同じではない、とありますが、宿命は、元々宿されたもの、とあり、どこか固定的な意味がありますが、それでも、囚われなければ、無限に変わって行くのでしょう。ですから、磨けばどんなにでも光るのです。
ですから、まずは、まことに改心できれば、良いのです。
Ⅱ.神の御意志に背くものは自滅していき、従ふものは弥栄していく
●放っておいても神に背くものは自滅して行き、従ふものは弥栄えて行くぞ。其処に神の能(ハタラキ)、よくさとりて下されよ。
周囲の方々に苦しめられている方は、まだまだ多いと思います。
そして、思い通りにも中々ならないものです。
ですが、御自身のできる所から、人を助けて行きますと、
周囲の方々が、神様に背いている方々、それは、人を助けない、理解をしない、分け隔てする、囚われている方々。
自然と自滅していきます。
そして、神様に従っていれば、周囲から、神様の道に背くものは、訳わからない内に、居なくなったり、もしくは、同じ人が、どこか変わってゐたりします。
そこに神様のハタラキ(八、十、〇、キ)があります。
よく(四、九)さとり(三、十、理)て下されよ(九、裏十、三、〇、四)。ですから、
しきまきや、苦を苦で無くす、三が道の神様の理を、騙された、裏十の神様から、また新たに三が道を産み出し、しきまきや、を起こし続けて下さい。と御伝えされています。
Ⅲ.人間の処理方法、神様の処理方法との融和が求められている
●人間の処理方法と神の処理方法と融和せねばならん。急がねばならず、急いでは谷底に落ちて出来損なふぞ。
そこで、最後は人間の処理方法と神様の処理方法の融和が求められます。
これが、三次元と、高次元の和合になると見ています。
そして、最後は、神は隠身に人民表に立ちて、この世が治まるのです。
6.理屈、学で分からない体験をどんどん増やしてください
最後に、理屈、学で分からない体験を増やす為に、御伝えしたい事になります。
Ⅰ.与えていく事とは頂く事
人を助ける行の一つに、与えていく。与へていく。という事があります。
この事で、御自身は、無限に頂く事ができるようになります。
思念界を変えていくには、しきまきや、をできる所から起こしてください。
無限に変え続ける事が可能です。
Ⅱ.自分のものは何一つない、事が解って来る
与える事で、頂き、与えられる事を体験し、解ってきますと、
実は、自分のものとは、何一つない事が解ってきます。
それは、喜びそのものです。
ですが、それは与えて行く事から生まれて行くのです。
この喜びは、三が道を産み出し、苦を苦で無くす事が鍵を握ります。
ですから、喜びの思念。また、それが3次元化したものが、周囲にある状況になります。
そして、自分のものは、何一つない、という事が解って来るのです。
Ⅲ.結果に囚われない。結果への理解を拡げて下さい
囚われの一つに、結果を求めている方はとても多いです。
確かに結果は参考になる部分がありますが、結果からその理解を拡げて行く事が重要です。
何故、その結果になるのか。行を進めて行く毎に判ってきます。
前世の世界を理解していきますと、正直な所、第2次世界大戦後、世界はいつ81の世界になってもおかしく無かったのです。
ですが、何故、第二次世界大戦後、ここまで平和を保ち、文面を産み続けてきたのか。
そして、一面的事実として、いつも外国から改心があった事。
それは、誰かが、しきまきや、を起こし続けてくれた事にあります。
丁度、御神示が産まれた昭和19年以降、誰かが、最悪の事態を回避し続けてくれたのです。
このように、今現在が、大難が小難である、という結果、に囚われるのではなく、その結果の原因への理解。
を進めてみてください。
この事が理解できますと、新たに生みだす事は普通にできる段階に入っていきます。
このようにして、無限の喜びの流れとなっていきます。
Ⅳ.見守る、が助けている事もあります
直接、助けないと、助からない事も世にはあります。
その場合、確かに、手助けしないとならないケースもあります。
ですが、助けてしまうと、その人の学びを奪ってしまう事もあります。
その場合、見守ってあげる方が助けている事になる場合があるのです。
どこまで助ける、という問題はかなり難しいです。
ですが、どちらもありますし、どちらの事も試されます。
直接助ける方が良い場合、また、見守る方が良い場合。
両方ありますので、是非、意識して、また行じてみて下さい。
7.まとめ
この5月は、能登地震以降、愈々の動きを起こしていますが、直近では、囚われ、分け隔て、を無くす事が求められています。
囚われますと、囚われの世界へ、また、分け隔て、があるままですと、分け隔てのある世界に移行します。
それは、神様の御意志に背き、御自身で御自身を苦しめる世界へと移行します。
その為には、日々の行、が求められます。
人を助けて行く行をして下さい。そして、省みて下さい。
この事が無いと、この後の神世の世界へ移行はできません。
そして、助かる事もないようです。
現在、2023年5月26日ですが、また、この後28日にかけて開いて行く動きになると見ています。
この後、も油断せずに、御自身の行を進めて下さい。
そして、省みて下さい。
理解を無限に拡げて下さい。
最後は、なんだか訳わからない内に、神世に移行していくようです。
修業守護の神様、役員守護の神様、五柱の神様、世の元の生き神様、大神様、いつも御守護頂きありがとうございます。