今日は、ちょっと重要な事を思い出しました。
昔の祭りは個々の喜び、楽しみが基本で、自然発生的だったという事です。
型も特に決まっていた訳でもありません。
日本では、大化の改新以前では殆どがそうなのです。
その中でも、稀に規模が大きくなったりする事がありました。
現代の祭りは、豊穣祈願、災厄回等がそこにくっついた流れにあったようなのですね。
ですから、元来祭りって、形式ばってもいなかったのです。
祭り、祀りの多くは、個々が、喜ぶ、楽しむ、事から始まっていたのです。
1.祭りって、平たく言えば愛
その多くは、個々ないし2人くらいで、楽しんでいるところから始まっています。
現代で言えば、趣味に近いかもしれません。
ですから、愛の要因が大きいのです。
Ⅰ.自然愛的なケース
例えば、古墳時代以前であれば、
綺麗なお花を見つけた。
それがたくさんあった場所を見つけた。
そして、人を呼ぶ事で、お花見になった。
さらに食事もそこでする事になった。
と、こんな感じです。
この他にも、
たくさんの果物がある場所を見つけた。
それはいちじくだったり、栗だったり、柿だったり。
で、とても美味しかった。
さらに多くの人を呼んで、果物狩りになった。
そのまま、お祭りになった。
と、このような感じで元々自然発生的なイベントなのです。
Ⅱ.芸術愛的なケース
個々の喜び、楽しみが芸術の場合もあります。
日本の歴史で言えば、楽市楽座が近いと思います。
個々が文芸品を展示、芸術を披露しようとなったのが始まり。
それが集まり、大規模になった、と言った方がよいかもしれません。
現代で言えば、陶器市が近いと思います。
さらに、陶器だけでなく、食べ物の売買、等が加わった。
さらに夜店も加わった。
こうして、楽市楽座という大規模な市になっていったのです。
このように、お祭りとは、そもそも楽しむ事から始まっているのようです。
Ⅲ.豊穣祈願、災厄回避は後からくっ付いた
豊穣祈願は、またこのイベントができればいいね。
と、どうも後付けだと見ています。
同様に、災厄回避祈願も、このイベントができればいいね。
という事で、後付けでくっ付いた事が多いと思います。
また、場所が決まってきたり、規模が大きくなると、毎年恒例的なものとなっていくようです。
そこに、政治が入ってきて、豊穣祈願や、災厄回避を加えたものとなったのです。政(まつりごと)は堅いイメージがありますが、そもそもは愛の集まりに、政治の行事を加えたものだったのです。
ここで、重要なのは、型が最初にあった訳ではなく、個々の喜び、楽しみから始まったという事なのです。
2.祭り、祀りとは個々の喜び、楽しみが集積した場
ですから、祭り、祀りとは、個々の喜び、楽しみが集積した場なのです。
たくさん人が集まるという型になったのは、後付けなんですね。
ここで、現在重要な事があるのですが。
個々が、本当に自分にとっての、喜び、楽しみを見つける。
事が求められていると思います。
もうちょっと正確に言えば、
個々が、本当に自分にとっての、喜び、楽しみを思いだす。
事が求められているのだと思うのですね。
実は、個々の喜び、楽しみは、自身の魂は知っていますし、現代の波動の低下によって忘れてしまっているだけの事が多いと思うのです。
コロナウイルスの拡散によって、現在どうしても、集団活動がしにくいと思うのですが 、実は
個々が、自分自身に向き合うという事が求められているのだと思うのです。
今年は、コロナウイルスによって全国のお祭りの多くが中止になりましたが、
これは、古代の祭りの有り方。
原型を思い出す為。
という事もあるように思いました。
3.まとめ
このように、お祭りとは個々の喜び、楽しみから始まっているのです。
平たく言えば、愛の循環です。
そして、それは、自身だけでなく、現代の次元を上昇させる為にも、必要なのだと思っております。
現在、この個々の喜び、楽しみを思い出す時期に来ているように思っています。
それは創造主の願いでもあるようなのです。