次元上昇のきっかけ197 母の急逝から判った事。死んで甦られるようにして下さい

次元上昇のきっかけ

母親が8月25日、急逝しました。87歳でした。

健康上の問題は特に無く、頭もしっかりしており、あまりにも急な事でした。
(実際に死が判明したのは、8月28日早朝の事です)

母方の家系は祖母が100歳まで生きた事もあり、まだ、母の姉二人が生きている事もありましたから、母が先に亡くなるとは、とても思えませんでした。

今回で、まず思った事は、

人はいつ死んでもおかしくない。
それは、明日かもしれない。
今日かもしれない。

という事です。

死期は、ガン等でもない限り、通常、占い等では判らないようにされています。
特に、今回のようなタイプは中々読めない、ようになっています。

ですが、母の死は、今の私にとっては、この後進む上では、かなり重要な意味を持っている事が判ってきました。

今回はこの一連の流れから判ってきた事を御伝えしたいと思います。

目次

1.今回の一連の流れから判ってきた事

Ⅰ.家系に存在している、自身の課題と今後向き合う段階へ

家系の問題とは、即ち、自身の生前からの問題でもあります。

そして、その魂ごとに、その解決の課題も様々違っています。
それが、本年2023年に入り、愈々向き合う事になってきたのでした。

私の右肩痛が始まったのが2023年4月の事でしたが、この時、母は右肩甲骨を打ち、肋骨を骨折したタイミングでもありました。

それは、母が自身の課題に向き合う為、という事もありましたが、この課題の解決ができなかった事が大きな要因でもあります。

そして、それは、私自身の課題でもあります。
更には、残された父親の課題でもありますし、兄弟(兄、姉の2人です)、それぞれが抱えている課題でもあります。

やはり、生前から長く続いてきた悪い癖とは、そう簡単に変わる訳ではありません。

私も、できる限り変えようとはしたものの、生前からの課題、とはそう簡単に変わらない事。
今回は、この事を実感させられました。

そして、母の死と共に、今後、父親、兄、姉、とこの事に向き合う事が求められる事になりました。

Ⅱ.兄、姉との、意志疎通は、思いの他順調に進みました(別時空間の感覚です)

母の死に伴い、今回は、父親の他、兄、姉と、一同集まることになりました。
訃報は、姉から聞き、兄は関東からこちら京都に戻ってきました。

それまで、決して仲が良い訳ではありませんでしたが、今回の件で、様々話が進むことになりました。

まず姉には、私の今の仕事について、母とのここまでの流れ、
いきさつを伝え、しきまきや、マンデラ・エフェクトの話等、様々、伝えていきました。

ですが、それなりに話が進む事には、結構驚きでした。
父親、姉、とは順調に進むことになりました。

更に特に驚きだったのが、兄との会話です。
兄は、典型的な、3次元、ガチガチの思考の方です。

当然、話が合う訳が無いのですが、
事前に姉から一応先に、姉から私の現在の状況を伝えた事もあり、
それでも兄からは、
「●●●(私の名前)教やな。(笑)」
「いや、宗教と違うって。(笑)」
といった、比較的、穏やかなやり取りになるとは思ってもいませんでした。

最初の辺りでは、会社が倒産した頃の話をする事となりました。
いろいろ嫌なことあったけど、された事、厭な事って、やっぱり自分のどこかに原因があるんやろな。
といった話から切り出したら、かなり話が進むことになりました。

その後、マンデラ・エフェクトの話をしてみました。
朝鮮半島の38度線が変わっている話等進めましたが、どこかで、何等かの調停が行われたと思ったらしく、歴史が、今の世界では、38度線は第二次世界大戦後に始まり、朝鮮戦争後は、違った線となった。
と伝えたら、「そうならば、俺の記憶違いやな。
という感じで、最後まで、理屈で返してきたのには、驚きました。
ドラえもんのようなパラレルワールドが起こっている、と言っても、ピンとこないようでした。

理屈思考の方は、理屈でそれなり徹底できるもの。
という、これも貴重な経験でしたが、
それ以上に、話を一旦聞いてくれるだけでも、私の中では驚きでした。

この状況そのものが、別の時空間に移行した、としか思えない位だったのです。

そういった意味では、兄とはできる限りの和合は、今回は、できていた所があったと思います。
それは、ここまでの自身の行、思念の変化が大きかったのだと思います。
まずは、この世界へ移行を進める事が重要だったようです。

姉については、「●●●教の教祖様」とからかわれつつも、一定の理解が進む事になりました。
実際にする話と言っても、3次元的なしきまきや、の方が多かった為です。

案外、3次元的にもしきまきや、は進める事は可能、とも思いました。
(ただ、前世の理解を進めている事もそれなりに重要ですが)

ちなみに、実際、経験もした事があるのですが、前世ヒーリングは、宗教でないのに、宗教と同じ扱いされる事もよくあります。

これが多くの方の価値観でしょう。
一応、この事はどこかの頭の片隅に置いておく必要はあります。

Ⅲ.父親との今後が、当面自身の重要な課題に

父親も母親もですが、生きている間にあった、様々な課題の根底には、愛の欠如があります。

常々、この世には、3次元的なものを追い求める所が強く、
ですが、その原因を突き詰めますと、愛の喪失にあります。

そして、その愛の喪失を突かれ様々な苦しみを受けて来たところがあります。
これは、母親にもあり、父親にもあった問題です。

これが、今現在、私が向き合っている課題です。
それは、自身の課題でもあります。

また、兄、姉、の課題でもあります。

それは生前からずっと続いてきた課題です。
これが、当面自身が向き合う問題になると見ています。

父親は、やはり高齢の為、理解は当然ながら進みにくくあります。その中で、今できる精一杯を進めていく必要があると見ています。

2.明確な次元上昇のきっかけとは、死

Ⅰ.高次の移行の、急逝について

今回の母の死と共に、とある事を思い出さざるを得なくなりました。

それは、母の姉2人の他、妹さんが1名おり、その方は、70歳で急逝した事です。

この方の晩年ですが、デイケアサービスで働いていました。
ですが、そのデイケアサービスの経営が思わしくなく、給与の受取を辞退していたそうです。

経営者の方が晩年の生活が確保できているような時、報酬受取を辞退する事は稀に聞くことはあります。
ですが、従業員の方が、自ら給与の受取を辞退する事はあまり聞いた事がありません。

そのような事を3~4か月程した後に、急逝したのでした。
佳人薄命とは、この事だと思っています。
次の転生では、大きく高次の世界へと進んでいると思います。

死ぬ時の想念がそのままつづくのであるから、その想念のままの世界に住むのであるぞ。この世を天国として暮す人 天国へ行くぞ。

天人に結婚もあれば仕事もあるぞ。死も亦あるのであるぞ。死とは住む段階の違ふ場合に起る現象ぞ。死とは生きることぞ。

御神示にもあります通り、このように、現世の御自身の次元、を大きく超えるような時、
急にやってくる死があるのですが、母の妹様のケースでは、まさしく、住む段階が違ふ場合に起こる現象、と思っています。

できる事なら、このような死を迎えられるのが理想なのだと思います。

長く生きる事よりも、段階が明確に上がるような、そんな死を迎えられる事が理想です。

今回の家族葬を案内した際、妹さんの息子さん(いとこ、にあたります)とこの話をしましたが、どうも、この事が、今後に向け一つ重要な鍵を握っていると思います。

これは一例ですが、高次に進む上で、死、は一つ間違いないものですから、この事を意識してみてください。

普段の行、に応じて、死を迎えた時、その後進む世界は、明確に変わるのです。

Ⅱ.遺言状を書き、いつ死んでも大丈夫なように、準備をする事になりました

普段、ラインはほぼしないのですが、安否確認の為に、グループラインを兄弟間でする事にしました。

急に命を落としますと、その後、遺族達は様々な処理がどうしても大変です。
ちなみに、母親は、別居生活を本年5月から再度始めており、この事から実感をしたのです。

特に、一人暮らしの場合、本人以外、情報を知らない事が多いですから、遺族は、後の処理が大変になります。

今現在、私は、一人暮らしです。
急に死んでしまいますと、周囲に多大な迷惑をかけます。

そこで、私は遺言状を書く事にしました。
これを9月3日、結構時間を取ることとなりました。

遺言だけでなく、自動引き落としの内容等も明確に書いておきました。
これを事前に知らせておく事がとても重要です。

ただ、遺言書を書いてもなお思ったのですが、人は死を迎える時、どうやっても周囲に迷惑をかけてしまいます。
特に一人暮らし程そうだと思います。

どうにか、迷惑をかけずに、とは思っているのですが、昔の方は可能だったようです。

神にまつらふ者には生も死もないのぞ、死のこと、まかると申してあろうがな、生き通しぞ、なきがらは臣民残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであるぞ、それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。

高次の世界であれば、このように、体も残さず死を迎えられたようですが、できる事なら、この段階に早く進みたいという思いがあります。

Ⅲ.死ぬ時は、死ぬのが弥栄

今の所、私は、不食を目指すこと約2年5か月。
完全菜食継続から約1年を迎えようとしていますが、体調は良く、健康の数値も非常に良い状態です。

ですが、母の死を持って、いつ死が訪れるかは判らないと思いました。

母は、持病ですとか、ガンといった感じで、長期に渡って苦しむ訳でもなく、
ポックリと命を落としたので、それ程苦しんで亡くならなかったところは幸い、と思いました。

御神示の文面には

そがためこの身この霊(タマ)はいか様にでも御使ひ下さいませ

とは、既に声に出して何度も読んでいますが、
ですが、愈々の段階となりますと、いつ死を迎えてもおかしくないのだな。
と思うようになりました。

死ぬ時には死ぬのが弥栄ぞ。

死んでも神の中にゐるのであるぞ。

こういった文面もありますし、死んだ想念のまま次の世界に行きますから、
是非、それにふさわしい死に方ができるように進んでいきたい、と思っています。

死ぬ時には、死ぬのが弥栄、というのは、恐らく、最終的には、どのような地獄の世界でも、弥栄に導く事ができるから、と見てゐます。

Ⅳ.母の死の実感がまだ湧かない中、思った事

このように母が急逝したものですから、まだ死の実感が湧かないのが実際の所です。

ですが、マンデラ・エフェクトのように、訃報二回、三回、といった事がある以上、ひょっとして、という思いもあります。

苦しんで亡くなった訳ではない上、思考もしっかりしているので、何か条件的には、起こりそうな気もどこかでするのです。

後、もう一つ、理想ですが、マンデラ・エフェクトの際、死んだ時の記憶があれば、と思います。

このような、マンデラ・エフェクトが起これば、本当の意味での改心が進みやすくなる、と思うのです。

この時代には一二三四五六七八九十の数と言葉で、死者も甦る程の力があったのであるなれど段々と曇りが出て来て、これだけでは役にたたんことになって来たのぞ。岩戸開きの鍵であったが、今度の岩戸ひらきには役にたたんようになったのであるぞ。始めに⦿がなくてはならん、⦿は神ぞ。

元々、祝詞では、死者も甦る程の力があり、イワト開きの鍵でもあったのですが、
今度の三千世界の岩戸ひらきには、役に立たないようです。

始めに⦿がないとならないようです。

神の世とは神の心のままの世ぞ、今でも臣民 神ごころになりたら、何でも思ふ通りになるぞ。

この道に進むにあたり、最終的に重要なのは、マコトの改心。
まことのほっこんの改心です。

それが、しやすくなるような世界に移行できれば、と思うのです。

それは愈々とならないとできないもの、とありますが、これも、個々、できる方から、覚悟ができている方から進んで行くのだと思っています。

告別式の際、母に心の中で伝えた事とは、
必ず助けにいくからね。
でした。

今はできなくとも、必ず、その道があるのは間違いないからです。
これが、この道一本に入ってから判ってきた事です。

しきまきや、三が道、は永遠に続く為です。

4.御神示で気になる文面について 死の世界について

このような一連の動きから、御神示の中でも、死に関係する文面が気になりました。

Ⅰ.生命あるうちに神の国のこと知らずに、死んでから神の国に行くことはできない

生命あるうちに神の国のこと知らずに死んでから神の国に行くことは出来んぞ、神の力でないと、もう世の中は何うにも動かんやうになってゐること、上の番頭どの分かりて居らうがな、何うにもならんと知りつつ まだ智や学にすがりてゐるやうでは上の人とは申されんぞ、智や学越えて神の力にまつはれよ、お土拝みて米作る百姓さんが神のまことの民ぞ、神おろがみて神示取れよ、神のない世とだんだんなりておろがな。

以前から御伝えしている通り、神(火水)の国(九二)の事(九十)、知らずには、神の国には行けないのです。

それは、苦を苦で無くす、九の二二の仕組みを起こして行かない事には判らないようになっています。
神(火水)の力でないと、どうにもならないのです。

それは、上の番頭どの、ハイヤーセルフ初め、段階の進んでいる方には判ってゐるはずです。
しきまきや、そして、新たに産み出す三が道以外、方法が無いのです。

どうにもならんんと知りつつ、人の智、人の学にすがりついてゐるようでは、上の人とは申されません。

智や学超えて、神の力にまつはれよ、とあります。
それは、日々、しきまきや、から、三が道を起こして行く事にあります。

そして、生前からの我の洗濯、掃除、改心も合わせて進めて下さい。
長い転生で騙され続けてきた御自身は、相当根深いものなのです。一日で簡単に終わるものではありません。

お土は、御三体の大神様、カミヒトの事です。米は、しきまきや、から八方向に進む道です。
その百姓さんが、神のまことの民です。

今現在、マンデラ・エフェクトを起こしても、まだまだ神の無い世となっています。
神様をおろがみて御神示を受け取ってください。

Ⅱ.どんなことあっても死に急がないようにしてください

どんなことあっても死に急ぐでないぞ。

今回の文面では、死をかなり肯定的には書いていますが、
かと言って、死に急がないようにして下さい。

死は、自然と無理なくやってくるようにしてください。
神様の思うがまま、行を進め、自然に受け入れられるのが一番です。

無理なく、行を進めていきながら、御自身の周囲に天国を産み出しつつ、その後、自然と無理なくやってくるのが一番です。

Ⅲ.生きるも死ぬるも神の心のまま、です。神の御用ある臣民、安心して仕事致してください

手柄立てようと思ふなよ。勝たうと思ふなよ。生きるも死ぬるも神の心のままざぞ。どこにどんな事して居ても助ける人は助けるのざぞ。神の御用ある臣民 安心して仕事致しておりて下されよ。

手柄立てようと思わないようにして下さい。
むしろ、手柄は立てさせてあげよう、と思ってください。

勝たう、と思わないようにして下さい。
むしろ、御自身は負け、相手を勝たせてあげて下さい。

すると、御自身は着実に神の道へと進むことになります。

生きるも死ぬるも神様の心のままです。

それは、九九六のままです。
九の二二の仕組みから無を産み出すままなのです。

どこにどんな事して居ても、助ける人は、神様は助けるのです。

神の御用ある臣民、安心して仕事して下さい。

ですが、神の御用が無い段階であれば、一刻も早く、神の御用を進めて下さい。

Ⅳ.小我、は一旦、死を迎えてください

早く早くと申せども、立体の真道に入るは、小我(われ)死なねば、大我(われ)もなき道ぞ、

日々の御自身の我、しきまきや、三が道を産み出して行く事とは、以前の御自身は、死、となったとも言えます。それが小我とも言えます。

産み出す連続とは、死ぬる連続とも言えるのです。

この仕組が判り、体験できれば、大我を常々産み出し続けていく仕組も判っていきます。

Ⅴ.イワト開きのウタにある、死の秘密

かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。

イワト開きのウタは、黄金の巻第四十四帖にありますが、
その中の死について記載されている所があります。

かへりごと、は、省みる事です。

省ごと、高ら白さんとしますと、今日も死を行くコトになります。
それは、四を意九、なのです。

かへりみ、しきまきや、を起こして行けば、それは、死を進んで行くことになるのです。

ですが、それは弥栄なのです。

Ⅵ.大きな生命を通じ続ける世界には死はない

大きな生命に通ずるものには死はないぞ。通じなければ死あるぞ。

大きな生命に通ずるものには死はなくなります。

これは、日々、しきまきや、を起こし続け、より大きな生命に通じ続けることを、一つ意味していると見てゐます。その場合には、死は無いようです。

ですが、大きな生命に通じない、つまり、しきまきや、から、三が道を起こさなければ、やがて、必ず死があります。

Ⅶ.最終的な目標は、ほっこんの改心

まことの改心は、中の中の⦿のキいただいて、ほっこんの改心出来ねばならん。

最終的な目標とは、中の中の⦿のキいただき、ほっこんの改心。
これができないとならないのです。

これが、できれば、マコト(〇九十)となり、半霊半物の段階に進むことになります。

5.御神示で気になる文面について 死を一度迎える状況について

死んで生き返る、甦る文面が、御神示には、それなりにあります。
その文面についてです。

Ⅰ.一度は死ぬことがあり、死んでからまた生き返る

残る者の身も一度は死ぬことあるぞ、死んでからまた生き返るぞ、三分の一の臣民になるぞ、これからがいよいよの時ざぞ。

残る者の身も一度は死ぬことがあります。
必ず、一度は死ぬようです。

その後、死んでから生き返ることがあります。

その時には、三分の一の臣民となっているようです。
これからがいよいよの時です。

Ⅱ.死んでからも、頑張る段階が存在している

この神の申すことよく肚に入れて、もうかなはんと申す所こらへて、またかなはんと申す所こらへて愈々どうにもならんといふ所こらへて、頑張りて下されよ、神には何も彼もよくわかりて帳面に書きとめてあるから、何処までも、死んでも頑張りて下されよ、其処迄 見届けねば、この方の役目果たせんのざ、可哀さうなれど神の臣民殿、こらえこらえてマコト何処迄も貫きて下されよ、

もうかなはん、と申す所こらへて、またかなはん、と申す所こらへて、
更に、愈々どうにもならん、といふ所もこらへて、頑張って下さい。

神様は何も彼もよく分かって帳面付けられています。

そして、死んでも、その後も頑張ってくだされよ。
死んだ後の世界も生きていく事を前提としています。

そこまで見届けねば、この方の役目は果たせないのです。

こらえこらえてマコト何処までも貫き通して下さい。

それは、死後でも続きます。

Ⅲ.一度、死なねば甦られない時となっています。死んで生きてください

人民一度死んで下されよ、死なねば甦られん時となったのぞ、今迄の衣をぬいで下されと申してあろう、世がかわると申してあろう、地上界の総てが変るのぞ、人民のみこのままと言うわけには参らぬ、死んで生きて下されよ、

人民、一度死んで下さい。とあります。
死なねば、甦られん時となっています。

ですから、一度は必ず、死ぬ段階が来ます。

今迄の衣ぬいで下され、と申しています。

世が変わるのです。

地上界の総てが変わります。
人民のみ、このままと言うわけにはならないのです。

ですから、死んで、生きてください。とあります。

Ⅳ.死んでから、又甦られるように死んでください。マコトを心に刻みつけて、人を甦る世界へ移行してください

判らんと申すのは一面しか見えぬことであるぞ、双方を見る目に、早う改心致してくれよ。この白黒まだらな時は長くつづかん、最も苦しいのは一年と半年、半年と一年であるぞ、死んでから又甦られるように死んで下されよ、マコトを心に刻みつけておりて下されよ。

判らん、というのも、それなりにあるものですが、
それは一面で捉えている事が多いようです。

確かに双方見る目で見ますと、大抵は判って来る事が多いです。

過去未来。裏表。男女。有無。
この両面を見る事で様々な事の理解が進みます。
そして、改心が進むようになります。

今現在は、白黒。まだら。善悪基軸の所がありますが、それも、長く続かないようです。

最も苦しいのは、一年と半年、半年と一年の三年間です。
まずはここを乗り越えて下さい。

私は、ひとまず、この3年も、残り7か月程となってきました。

その際、死んでから又甦られるように死んで下さい。とあります。
それは、まことのほっこんの改心ができた時です。

ですから、マコトを心(九九六)に刻み付けてください。
日々の行を一日一日進めて行き、産み出し続け、洗濯、掃除、改心を進めて行く以外、その道に到達する事はないのです。

また、死んでから又、甦られる時とは、マンデラ・エフェクトを起こし、人を甦られるよう、実現できるような段階を指している可能性もあると見てゐます。

Ⅴ.仮死の意味について

今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ、一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民としてよみがへらす仕組、心得なされよ、神様でさへ、この事判らん御方あるぞ、大地も転位、天も転位するぞ。

今の肉体のままでは、人民は生きて行けないようになっています。

一度は仮死とありますが、仮死とは、一旦死んだ方、を意味している所もあると見てゐます。
その後、マンデラ・エフェクトで甦るのでは、と見てゐます。

また、仮死とは、歌詞(ウタ)、火四、でもあります。
しきまきや、を起こし、それは、ウタ(ウ十)でもあります。

そして、甦る方とは、確かに、以前より段階が進んでいる事が多いです。
長寿になっている為です。同じ人が同じ人ではないのです。

このようにして、やがて、甦る方が、ミロクの世の人民である可能性も出て来るようです。

それは、御自身がミロクに近づいていく行を進めていけばよいのです。
ただ、それを繰り返して行くのみです。

この仕組を心得てください。

最初は、小さな型から始め、やがて、大きなものとなりますと、甦る者が、神々様、カミヒト、となっていくのではと見てゐます。この流れについては、神様でも判っていない方もいます。

やがて、大地も転位、天も転位する時が来るようです。

Ⅵ.生きることは、死(四)に向かって進むこと

現実の事のみで処してはならん、常に永遠の立場に立って処理せよと申してあろうがな、生きることは死に向って進むこと、マコトに生きる大道に目ざめてくれよ、神示を始めから読めば何事もありやかぞ。

御神示の最後の文面でもあります。

現実の事のみで処してはなりません。
常に、永遠の立場に立って処理せよ、と申されています。

生きることは死に向かって進むことです。
それは、四に向かって進むことであり、しきまきや、を起こし続けていく事です。

そこから、マコト(〇九十)に生きる大道に目覚めて下さい。

新たな、九、十、を産み出し続けて下さい。

御神示を始めから読めば、何事(七二五十)もありやかです。

6.まとめ

今回、母が急逝する事から、自身の死を意識する段階となり、昨日9月3日は、遺言書を書く事にもなりました。
いつ死んでも大丈夫な準備を、愈々進めることとなりました。

死は、いつ訪れるか判りません。
ですが、段階が大きく変わりますと、死が訪れる事は、御神示に書かれています。
それが次の段階に進む、最も判りやすい次元上昇、とも言えます。

この道に進むに辺り、一度は、やはり、死を迎える事はある事は間違いなさそうですが、それは甦られるように、死なないとならないようです。

その為には、マコトの改心、まことのほっこんの改心が求められます。
ですが、それは、そう簡単ではありません。

まずは、最初の三年は苦しいのです。
ですが、その三年が無いことには、この道に進むことはありません。

この8月と9月の境目で今後の在り方が変わる、とセッションの中でも御伝えしてきたのですが、9月以降については、いつ死んでも甦られるように、その意識で望んで下さい。という事のようです。

まずは、御神示の通り、旧九月八日(10月22日)までにはできる限り改心を進めて下さい。

一応、セッションもこの後継続はしますが、いつまでできるか私にも判りません。
それは、今回の出来事が象徴しています。

本年、9月18日には、前世ヒーリング開始より丸三年。
来年2024年4月には、この道一本に絞って丸三年になります。

最も苦しいのは一年と半年、半年と一年であるぞ、死んでから又甦られるように死んで下されよ

この文面読む限りですが、丸三年を過ぎた後に、又甦られるように死ぬような気もしています。
ですから、残り7か月程で、死を迎えるかもしれません。

この道に進む方には、死が訪れた際には、明確に、次元変化が起こっていると見ています。

覚悟を決められた方、まことのほっこんの改心をしたい、と思っている方。
コトの道に進みたい方は、是非とも、セッションを受けてにきてください。

私が、確実にセッションを続けられる。というのも、残り7か月位に思っています。
その後は判りません。

その時になってからでは間に合わない。という事も、かなり現実味を帯びてきています。

この後、旧九月八日(10月22日)に向け、また、その後も2024年、タツの年に向け更に更に進んで行くでしょう。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、
地の日月の大神様、世の元からの生き神様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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