結論から言いますと、次元上昇には、戒律は不要です。
むしろ、戒律はあった方が次元上昇を阻害する可能性が高いと見ています。
何故なら、戒律の存在自体が有限的な事が多く、それは無限の可能性を奪う事になるからです。
ただし、戒律のような形の中にも、愛の循環が働いているという事もあります。
例えば、滝行等は、戒律的な意味と言うより、自然からのエネルギーを頂いたり、その結果宇宙と繋がる事で、次元上昇のきっかけになる可能性はあると見ています。しかし、戒律的側面が強すぎますと、無限の可能性を奪う元になるので、次元上昇という意味では逆効果ですので、注意が必要です。
このように、愛の循環が、次元上昇ではまず重要なのですね。
ただし、そうは言っても戒律はずっと存在してきましたし、転生上で経験してきていない人はいないと思います。
戒律は善的側面もあれば、悪的側面もあるのが実際のところです。
1.戒律は何故必要だったのか
動物から転生して間なしの魂が多い時空間では、どうしても必要のようでした。
悪的行動に歯止めが利かない魂を正す為です。
確かに戒律がある事によって、一定の規律を多くの人が守る事にはなりましたし、そのお陰で、多くの人は一定以上の悪をしないようにもなりました。この点では善の部分はあります。
それは、八正道や、十戒等、を初め、多くの宗教でも地球上には長らく存在していました。
2.戒律は善か悪か
しかし、私の前世の記憶からは、八正道については、釈尊がまとめるように指示した訳でもなく、それは釈尊の弟子がまとめたものなのです。
釈尊と一緒にいた前世をお持ちの方はかなり多いと思いますので、この点に関しては同調する方は多いのではないでしょうか?ですから、例えば、手塚治虫さんの「ブッダ」の世界観はかなり事実に近いと見ています。
八正道はそれなりに良い事は言っているのですが、100%の真理にはあたりませんし、実際釈尊は戒律はしてはならないとも言っていました。釈尊は諭すような事はしていますが、聖典等を手がけてはいないのです。
釈尊は限界的な戒律的修行を自身に課した結果、戒律は間違いだと悟りました。
釈尊の前世が、実はとある日本の有名な僧なのですが、その当時では禅宗が全盛を誇っていた時代でもありましたので、戒律を招いた釈尊の事を否定しています。
実は戒律を作る事とは、型を強要することにより、ある段階までは善であっても、最終的には有限の地獄を作る事、それを容認する事が判っていたのです。
それは、繁栄弥栄を奪う可能性だけに留まらず、階層をつくってしまうという、有限世界を作ってしまう事にもなります。それは、結局、次元の高い魂の成長を止めてしまう一因となるのです。
このように、戒律とはある次元に達するまでの者としては一面的には善ですが、ある次元に達している者からは一面的には悪となってくるのです。
3.聖人が現世に転生してこない意味とは
宇宙に繋がっている方は、もう判っていると思いますが、この3000年間にいた聖人は現世には転生してきていません。(ただし戒律を要した聖人は転生していると思います)
この事がまさしくそうなのですが、次元上昇を必要とするこれからの時代、戒律は不要という事なのです。
ですから、現代21世紀には、偉大だった聖人達は転生してきていません。
恐らくで言えば、サティア・サイババが最後の存在のようにも思っています。
(ただ、彼は広くは宗教の範疇では無いと思っていますが)
彼は2011年にお亡くなりになりました。
このように、宗教の創始者は概ね20世紀までで転生を終わらしている事が殆どなのですね。
それは、21世紀は宗教を必要とする時代では無いという事なのです。
つまり戒律が不要の時代に突入しているという事です。
4.法律にも同じ事が言える
法律も同じで、一定の歯止めをかけるという点では善ですが、諸刃的な事もあったり、全てを法律で解決できないという意味では悪になりうる事もあります。
例えば、賞味期限の法律では、食品の安全を満たすという点では善ですが、それが故、大量の食品を廃棄する元になっているという点では悪だと思う人も多いと思います。
また、法律に守られていない範囲では何をしても良いのかという問題があります。
例えば、自然保護に関しての法律はそこまで働いている訳でもありませんから、森林伐採や山を切り開いたりは現状、結果的にはかなり無制限に許容しているところが実際のところです。
現在の地球上では、環境破壊について、法律上、そこまで悪とはされていませんが、宇宙の法から見ますと、地球上の多くの生命のみならず、人の命を奪う元になる訳ですし、さらには、未来の地球での転生先を奪う事にもなる為、多くの所で愛の循環を奪い、極悪この上無いのです。
むしろ宇宙の法を理解しているのは、現在の地球上では、人間よりも動物の方が多いと見ています。
21世紀現在、現状、法律の効力は強いのですが、一方で存在しているが故悪的部分が大きくなったり、法律が存在していないが故、悪的部分が肥大化する事があります。
このように、現在の地球上の法律も、宇宙の法の見地や、次元上昇という意味ではむしろ弊害になる事の方が多いように思えます。
5.愛の循環がある時、戒律、法律の必要が無い
ちょっと考えてみてほしいのですが、仲の良い家族には、法律が必要でしょうか。
ですが、必要ある場合は、多くは揉めている時です。
相続。離婚時がそうですね。
つまり、愛の循環が働いていない時なのですね。
仲の良い配偶者の間で、法律が必要でしょうか。
ですが、必要のある時は、訴訟が絡む時で、それは揉めている時です。
ですから、愛の循環で満たされている時程、法律という概念が不要になっていく傾向があるのです。
(但し、地球上では、魂の次元差が激しい環境の為、法律は無くならないとは思っていますが)
Ⅰ.戒律が働く時は、無限の可能性を奪っている事が多い
実は、教育の局面では戒律が働いている事は本当によくあります。
古来より、母親が子供に「勉強しなさい」と叱るケースは非常に多いですが、これは戒律が働いている為、案外成績は伸びにくくなります。愛の循環が途切れるからです。(この他に前世の関係性もありますが)
また、いざ勉強をしようとするタイミングで母親が叱るケースも多いですよね。これは、前世の関係、戒律カルマから発生しているのです。無意識の内に母親は判っているのです。それは、子供の成長を阻害している事が大半です。
例えば、親から「勉強しなさい」と叱られて育ったケース。よりも、褒めて伸ばすケースの方が良い大学に進学するケースが多いですし、それは、スポーツ選手でもよく見られている傾向です。
褒めて伸ばす、というのは愛の循環がよく働くからです。
現在、スタンダードになりつつありますよね。
Ⅱ.戒律が少ない程、愛の循環が働いている
また、この流れと同時に戒律も少ない程、揉め事が少なくなります。
それは愛の循環が働いているからですね。
仲の良い家族。
仲の良い夫婦。
仲の良い友達。
理解ある人達。
このような状況になる程、戒律的なもの、簡単に言えばルールですが、それは少なくなっていく傾向があります。
愛の循環が働いている世界程、不思議と法律や戒律が働かないようになっているのです。
6.まとめ
実は、現代という時代は、戒律が不要の時代になってきています。
戒律が必要だったのは、5次元までで人類、地球が耐えられた時代までで、一面的善が必要だった時代までの事なのです。
現在、その結果もあるのですが、地球の壊滅、人類滅亡の直前にまで近づいています。
この状況を回避すべく、いち早く次元上昇をするには、戒律は不要だと思ってください。
ひたすら愛の循環のみ必要なのです。
次回は、高次元文明では、どのようなあり方だったのかについて、お話をしたいと思います。