夜明けの巻の続きを進めていきます。
マンデラ・エフェクト、は、引き続き、御神示内で、絶えず起こっています。
中でも、今回は、ひふみのりと、が以前と違ってゐたのには驚きました。
それが、夜明けを意味しているとも言えそうです。
愈々の方にとっては愈々に入ります。
そして、その方に応じて、その愈々も様々あるのです。
それでは、夜明けの巻、二つ目をお伝えしていきます。
3.第十二巻 夜明けの巻 第八帖 (三二八)~第九帖 (三二九)
Ⅰ.直会(なをらひ)、人民の食事、もまつりの中です。仕事も皆まつりです
第八帖 (三二八)
●直会(なをらひ)も祭典(まつり)の中ぞ。朝の、夕の、日々の人民の食事 皆 直会ぞ。日々の仕事 皆まつりぞ。息すること此の世の初めのまつりぞ。まつれまつれと申してあろが。
直会(なをらひ)も祭典(まつり)の中にあります。
なをらひ、は日々の生活で、人と接する出来事、全てと言って良いです。
ですから、朝の、夕の、日々の人民の食事は、皆直会です。
そこで、まつり、をしていく事が重要です。
日々の仕事も、皆まつりです。
息することが、此の世の初めのまつりです。
全て、まつり、和合にあります。
まつり、をしていく事から、周囲の世界が変わって行くのです。
Ⅱ.宮の作り始めについて、オワリノ十ノヤマへのまつり
第八帖 (三二八)
●おはりの御用は はじめの御用ぞ。まつりの御用ぞ。オワリノ十ノヤマにまつり呉れよ。世につげて呉れよ。役員 皆 宮つくれよ。宮とは人民の申す宮でなくてもよいのざぞ。
おはりの御用は、はじめの御用です。
おはり、は、81の世界に進む原因となるものです。負の想念です。
ですが、それが、まつり、の御用でもあります。
ですが、おはり、の御用をまず進めてください。
オワリノ十ノヤマ、は以前無かった文面です。
オワリ(七二、和、八三)十のヤマ、は、シチニの神様、闇の浄化、和する事から始まり、
それは、十柱もありそうですし、真の神様もありそうです。
オワリノ十ノヤマ(八真)にまつりて下さい。
ひとふたみよいづむゆななやここのたり。
そこから、くれよ(九〇四)、九からしきまきやを起こして下さい。
四につげてくれよ(九〇四)と仰っています。
役員は、皆、宮(三八)を作ってください。
三が道より、新たな神々様を産み出して下さい。
ですから、宮とは、人民の申すような宮、神社、でなくとも良いのです。
御自身の中から、宮(三八)をつくればよいのです。
その型出しの一つとしては、部屋に神棚をまつる、という事もあります。
Ⅲ.宮と道場を次々作ってください。更に、御神示読んで、まつり、を進めてください
第八帖 (三二八)
●一の宮、二の宮、三の宮と次々につくり呉れよ。道場も幾らつくってもよいぞ。神の申した事、なさば成るのざぞ。宮と道場つくり神示読んでまつれまつれ、まつり結構ぞ。
一(意千)の宮(三八)、二(二二)の宮(三八)、三(み⦿)の宮(三八)次々に作ってください。
道場は幾らつくっても大丈夫です。
道を産み出す場、です。
私のような、ズームでのセッションは、その一例です。
ネット上では、無限に産み出す事ができますし、誰もができるものです。
勿論、この他に、道を産み出す場はいくらつくっても良いのです。
神様の申した事、なさば成るようになっていきます。
宮と道場、つくって、御神示読んでまつってください。
道に進みますと、必ずその段階が来ます。御神示通りになっていきます。
まつれ(〇)まつれ(〇)、ですので、まつって、産み出して下さい。
宮と道場、と共に、御神示を読み、御自身の我の、洗濯、掃除、改心を進めて下さい。
Ⅳ.オホカムツミの神様をまつってください
第八帖 (三二八)
●奥山にはオホカムツミの神様もまつり呉れよ。守りは供へてから皆に下げて取らせよ。五柱、七柱、八柱、十柱、十六柱、二十五柱、三十三柱、三十六柱、四十七柱、四十八柱、四十九柱、五十柱、五十八柱、五十九柱、世の元ぞ。
奥山には、オホカムツミの神様もまつってください。
その段階に入っている方は、是非進めて下さい。
奥山は、おくやま(七二、九、八、真)、ですので、シチニの神様より、九の行を進めて行き、真の八に進みますと、オホカムツミの神様とまつることになるようです。
オホカムツミの神様とは、元に繋がりますと、必ず、行き着く神様になります。
生前からの御自身の、罪・穢れ・過ちと向き合い、浄化し、行に移して行き、人を助けていく流れになります。
守りは、供へてから皆に下げて取らせて下さい。
五柱、七柱、八柱、十柱、十六柱、二十五柱、三十三柱、三十六柱、四十七柱、四十八柱、四十九柱、五十柱、五十八柱、五十九柱、が、世の元です。
その段階、段階で、世の元、となっていく柱の数も変わって行きます。
(故に、あまり数に囚われないようにしてください)
Ⅴ.天詞様、天津日嗣皇尊大神様、のまつり方について
第九帖 (三二九)
●天詞様まつれと申してあろが。天津日嗣皇尊大神様(あまつひつぎすめらみことおほかみさま)とまつり奉れ。奥山には御社(みやしろ)造りて、いつき奉(まつ)れ。皆のうちにも祀れ。天津日嗣皇尊 弥栄ましませ、弥栄ましませとおろがめよ。
天詞(・四)様まつって下さい。
それは、天津日嗣皇尊大神様(あまつひつぎすめらみことおほかみさま)、とまつって奉って下さい。
天津日嗣皇尊大神様、とは、天詞(・四)様です。
奥山には、御社(みやしろ)造って、いつき奉(まつ)って下さい。
出づるキ、をまつってください。
皆のうちにも、まつってください。
天津日嗣皇尊、弥栄ましませ、弥栄ましませとまつってください。
Ⅵ.まつる神々様、タマの宮につきまして
第九帖 (三二九)
●おろがみ奉れ、天照皇大神様、天照大神様、月の大神様、すさなるの大神様、大国主の大神様もあつくまつりたたえよ。奥山の前の富士に産土の大神様 祀れよ、宮いるぞ。清めて祭れよ、タマの宮はその前横に移せよ。
さらには、天照皇大神様、天照大神様、月の大神様、すさなるの大神様、大国主の大神様、
も祀ってください。
奥山の前の二二に、産土の大神様をまつってください。
ですから、宮が必要です。
神棚に、全て奉ってください。
三社社(さんしゃやしろ)ですと、全てまつれるようになっています。
お札は手書きで大丈夫です。
行を進めて行きますと、一切は神様、そして、御自身が神様、と意識できるようになります。
それは、御神示と共に進めて行く事でしか、そう思えないようになっています。
御神示にあります神々様は、神社で売っていないものが殆どですが、実は、御自身が行を進めない事には、このような意識にはなれないようになっているのです。
ですから、むしろ、お札は手書きで作れる段階に早く進んで下さい。
ですから、清めて祀ってください。
タマの宮はその前横に移して下さい。
ただ、礼拝は、まつりの巻、ソ〇の巻、と次々に変わっていきますので、一通り読んで、御自身の行と共に進めて下さい。
Ⅶ.宮の扉あけておいてください
第九帖 (三二九)
●奥の富士に国常立大神、豊雲野大神 祀る日 近うなりたぞ。宮の扉あけておけよ。臣民の住居(すまい)も同様ぞ。
奥の二二には、国常立大神、豊雲野大神 様、まつる時が近うなってきています。
宮の扉あけてください。
臣民の住居(すまい)も同様です。
つまり、御自身の住居(すまい)、も、段階が進んできますと、そのようなになる時がやってくるようです。
Ⅷ.取違ひ、お詫び申してください。楽にして頂けます
第九帖 (三二九)
●大難小難にまつりかへて下されとお願ひするのざぞ。取違ひ、お詫び申せよ、楽にしてやるぞ。天の異変 気付けよ。
大難小難にまつりかへて下され、とお願ひしてください。
取違ひしてきた事はお詫びして下さい。
これが、今現在、重要なことになってきている方いると思いますが、
この後、進んでいく上でも非常に重要のようです。
取違い、誰しもがあります。
私も、直近気付いた事があったのが、ここまで申しても、行をしても、どうやっても、助けることができない人がいる。この事をようやく悟れる、ようになりました。
それでも、地球は、無事平和、大難が小難にして頂いているのです。
通常であれば、とっくに世界は泥海の中のはずですが、大神様、段階の進んだ神々様によって、日々、大難を小難にまつりへて頂いた事も判ると思います。
取違ひを理解し、お詫び、が出来るようになってきますと、楽になってきます。
それには、行じ、省み、洗濯、掃除、改心、を御神示と共に、ただ、継続していく事で、新たな世界が産み出し続け、自身の慢心に気付く事で、取り違えてきた事が判ってきます。
ですから、行を進めて下さい。
御自身の慢心、取違いは、簡単に取る事ができませんし、中々気付けないのです。
この道に進む上で、最も邪魔になるのは、慢心、取違い、我欲、疑い、です。
天の異変に気付いてください。
天気の時空間切り替えを体験している方は順調です。
日々、グレンカラリ、を体験している方は順調です。
4.第十二巻 夜明けの巻 第十帖 (三三〇)~第十二帖 (三三二)
Ⅰ.元津大神様、を奉る順について
第十帖 (三三〇)
●元津大神、心の中で唱へ奉り、スメラミコト唱へ、次に声高く天津日嗣皇ミコト大神唱へ、天のひつくの大神と唱へ奉れ。
これも以前は無かった文言だったと見ています。
元津大神様を奉る順番についてです。
元津大神様は、まず、心の中で唱へ奉り、スメラミコトを唱へて下さい。
次に声高く、天津日嗣皇ミコト大神様を唱へて下さい。
その次に、天のひつくの大神様、と唱へ奉って下さい。
(ちなみに、私は朝の礼拝は、この順から始まっています)
Ⅱ.かむながら祝詞について
第十帖 (三三〇)
●タマの宮は、かむながら祝詞でよいぞ。一二三(ひふみ)のりともよいぞ、
タマの宮には、かむながら祝詞でよいぞ。とあります。
かむながら祝詞、というものも、マンデラ・エフェクトで新たに現れてゐると見ています。
以前は、御先祖様の拝詞、と受け取れる内容だったはずです。
かむながら祝詞とは、その意味もあると思いますが、もっと全体を指した祝詞といってもよいでしょう。
タマの宮は、十真の宮、ですから、旧五月五日からの礼拝、や、旧九月八日からの礼拝、全体そのものの可能性もあります。
あめつちのかずうた、ひふみ祝詞、いろは祝詞、を含むかもしれません。
祓ひ祝詞、大祓へ祝詞、うけひの言葉、ちかひの言葉、イワト開きのウタ、節分祝詞、この辺りも全て含んでの事かもしれません。
全て、御神示の中に掲載されています。最後は、タマの宮には、かむながら祝詞をウタってください。
Ⅲ.シメの張り方について。三五七、ひふみ、いろは、の律です
第十帖 (三三〇)
●シメは当分造りめぐらしてもよいぞ。今までのシメは此の方等しめて、悪の自由にする逆のシメざから、シメ張るなら、元のシメ、誠のシメ張れよ。七五三は逆ざぞ。三五七ざぞ。天地のいぶきぞ。波の律ぞ。風の律ぞ。神々様のおんいぶきの律(なみ)ざぞ。
シメ(四一、六六)は当分造りめぐらしてください。
今迄のシメは此(九)の方等しめて、悪の自由にする逆のシメだったのです。
シメ張るなら、元のシメ、誠のシメを張ってください。
しきまきや、無の二二の仕組みを起こして下さい。
七五三は逆のようです。
三五七の順です。
ひふみ祝詞、いろは祝詞、の律になります。
それが、天地のいぶきです。
波(七三)の律です。
風(カチ)の律です。
神々様のおんいぶきの律(なみ)です。
この事を意識して、ひふみ祝詞、いろは祝詞を歌ってください。
そして、シメ(四一、六六)、しきまきやを始め、無の二二の仕組みを始めて下さい。
Ⅳ.岩戸ひらきのはじめの幕、開いたばかりです。みづ(三⦿)逆さに戻ります
第十一帖 (三三一)
●岩戸開きのはじめの幕 開いたばかりぞ。今度はみづ逆さにもどるのざから、人民の力ばかりでは成就せんぞ。
岩戸開きのはじめの幕、開いたばかり、です。
今度は、みづ逆さにもどっていきます。
みづ、とは、三⦿です。三が道から元に返るのです。
それは、人民ばかりでは成就できないようになっています。
Ⅴ.奥の神界は済んでおり、中の神界は今最中です。段階に進んでいる方は、時待ってください
第十一帖 (三三一)
●奥の神界では済みてゐるが、中の神界では今最中ざ。時待てと申してあろが。人民 大変な取違ひしてゐるぞ。次の世の型 急ぐ急ぐ。
この文面も初めて現れたのではないか、と見ています。
奥の神界では、岩戸開きは、済んでゐます。
ですが、中の神界では、今最中です。
時、待って下さい。
人民 大変な取り違ひしてゐます。
中程いきますと、判らなくなる時が来るのですが、それは、時待てば、判るようになっています。
それは、行を続けていかない事には判らないようになっています。
その事を体験していく事で、次の四の型を産み出すようです。
次の世の型、急ぎます。
Ⅵ.おそろしいのは、慢心です。御神示読まないで、学や智では判りません
第十一帖 (三三一)
●神示読まないで智や学でやろうとて、何も、九分九厘で、終局(りんどまり)ぞ。我(われ)が我(われ)ががとれたら判って来るぞ。慢心おそろしいぞ。
神示読まずに、智や学でやろうとしても、何も、九分九厘で、止まるようになっています。
それは、我が、我ががとれたら判ってきます。
行じ、道中、厭な事、しんどい事もありますが、そこを通って、初めて判るようになっています。
生前からの過ちは、そんな少ないものでもなく、それは周囲の世界を見渡せば判ります。
どうやっても、天変地異止まりませんし、戦争も止まらない。生前、どれほどの事をしてきたのかが判ってきます。
御自身が、そんな酷いことした覚えがない、というのが最初の段階だと思いますが、生前からの事をご理解されますと、今現在の地球の状況を作り出したのは、御自身という事も判ってきますし、段階が進む程に、御自身の慢心が一番やっかい、である事も判ってきます。
これは、行を進めていく事で、判ってきます。
慢心が一番恐ろしいのです。
また、慢心から、取違ひ、に繋がっている事も多々ある、という事も判ってきます。
Ⅶ.誠の御代は、言葉止めて、大御光に寄り集ひます
第十二帖 (三三二)
●あら楽(たぬ)し、あなさやけ、元津御神の御光の、輝く御代ぞ近づけり。岩戸開けたり野も山も、草の片葉(かきは)も言(こと)止(や)めて、大御光に寄り集ふ、誠の御代ぞ楽しけれ。
あら(一一、〇)楽し(十、五三、、四)、永劫の過去から産み出し続けると、楽しい事が起こります。
それは神々様、五三体の大神様、をしきまきや、から生み出して行くのです。
元津御神様の御光の、輝く御代が近づいてきています。
岩戸開けたり、野も山も、草の片葉(かきは)も言(こと)止(や)める時がきます。
言(こと)止(や)めるので、思念で伝えあう世界でしょうか。
この事は他の所でも記されています。
段階が進む程に、確かに口数が少なくなっていきます。
それは、行をしていけば判ります。
大御光に寄り集ふ、誠の御代、がやがて来ます。
それは、楽しいものです。
Ⅷ.一二三の裏の御用する身魂、今に引き寄せるので、覚悟ができた方から、この秋を進んで下さい
第十二帖 (三三二)
●今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど、楽しき苦労ぞ目出度けれ。申、酉すぎて戌の年、亥の年、子の年 目出度けれ。一二三(ひふみ)の裏の御用する身魂も今に引き寄せるから、その覚悟せよ。覚悟よいか。待ちに待ちにし秋来たぞ。
今、一苦労、二苦労、とことんの苦労があります。
ですが、楽しき苦労は目出度い流れになります。
申、酉、すぎて戌の年、亥の年、子の年、めでたくなります。
2028年、2029年、2030年、2031年、2032年、です。
一二三(ひふみ)の裏の御用する身魂も今に引き寄せます。
ですが、その段階も今現在来ている方もいるでしょう。
行を進めていきますと、必ず出会います。
更に、覚悟ができているか現在問われています。
ですが、その覚悟は、行を進めていかない事には中々できません。
覚悟が出来た方から、次々に進んで下さい。
待ちに待ちにし秋が来ています。
Ⅸ.ひふみ祝詞、のマンデラ・エフェクト。お、を、が逆転、ゑが消え、え、が二つに
第十二帖 (三三二)
●ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そおたはくめか、うをえ、にさりへて、のます、あせえほれけ、八月八日、秋立つ日、アメの一二のおほかみ。
ひふみのりと、は、今のところ、御神示内では3か所ありますが、
夜明けの巻だけ、順番が違ってゐます。
そをたはくめか、は、そおたはくめか、となっており、
うおえ、は、うをえ、となっています。
また、え、が二回登場しており、あせゑほれけ、が、あせえほれけ。となっています。
夜明けの巻の、ひふみのりと、は、以前にはなかったと見ています。
この事が何を意味しているのか。かなり、謎です。
一つ、間違いないと思われるのが、お、と、を、のお役割が入れ替わるのでしょう。
そして、お、を、双方並行して存在しあうのかもしれません。裏表です。
この他に、ゑ、が消えて、え、が二回登場するのは、ウム組み組みて、なのでしょうか。
二回、登場するのは、二二の仕組みなのでしょうか。
かなり謎です。
ですが、ひふみのりと、も変わる時が来るようです。
御自身でも、何故、夜明けの巻だけ、ひふみのりと、が他と違ってゐるのか。
一度考えてみてください。
ですが、夜明けが近づいているから、という事は間違いないのでしょう。
まとめ 第十二巻 夜明けの巻 ②-2
夜明けの巻の二つ目でも、かなりのマンデラ・エフェクトを起こしてゐました。
なおらひ、食事、仕事、全て、まつり、である事。
おはりの御用は、はじめの御用である事。
宮、道場、次々作り始める段階である事。
奥山には、オホカムツミの神様をまつる段階である事。
天詞様、天津日嗣皇尊大神様をまつり、その他神々様、タマの宮をまつる段階に来ている事。
大難を小難にまつりかへて下され、とお願ひし、取違いしてきた事はお詫びする段階に来ている事。
かむながら祝詞。段階に応じて、祝詞をウタう段階に来ている事。
シメの張り方は、三五七の律である事。
岩戸ひらきのはじめの幕が開いており、奥の神界では済んでゐて、中の神界は最中である事。
みづ逆さに戻る為、人民の力ばかりでは成就しない事。
そこで恐ろしいのは、慢心、である事。御神示読まずして、智や学では判らない事。
御自身の、慢心、取違い、我、疑いを行を進め無くしていく事。
一二三の裏の御用する身魂、と出会うタイミングになっている事。
ひふみ祝詞そのものが、マンデラ・エフェクトを起こしている事。
今現在、このような事が求められています。
10月に入ってから、鳥島近辺の地震だけでなく、アフガニスタンの地震といった、天変地異だけでなく、イスラエルの紛争も始まり、グレンの様相をかなり現していますが、この後、旧歴九月八日(10月22日)まで、できる限り掃除を進めてください。
今現在、時空間は非常に揺れています。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。