マコトの不動の天国へのマンデラ・エフェクト 秋の巻② 2023年7月7日現在

人類滅亡シナリオ回避の為、御神示をお読みください

今現在、第八巻 磐戸(一八十)の巻の途中まで来ていますが、7月7日も、シチニの神様が現れるタイミングでもあり、また、8日に向け開く動きに入った為か、今回は、秋の巻を急に御伝えする流れになりました。

秋の巻では、マコトの不動の天国が来る、という文面が冒頭に来ており、その後、様々御伝えされています。

この後、旧暦九月八日に向け、開く方が出始めている今現在、重要な文面をお伝えする必要があるのが、今回は秋の巻のようです。

今回は、この事についてお伝えしていきます。

目次

1.第二十九巻 秋の巻 第一帖~第十帖

Ⅰ.悪抱き参らす人の心にマコトの不動の天国がくる

第一帖
大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせてゐるのであるぞ。抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが。今迄の教は今迄の教。

この文面は、以前からあったものですが、マコトの不動の天国、という伝え方も、今回初めてかもしれません。
(天国の段階だけでは、地獄をも含んでいる感じまでの事でしたが)

このように、秋の巻の冒頭から、マコトの不動の天国がくる、とマンデラ・エフェクトを起こしている所がスタートです。

御大神様は、大歓喜ですから、悪をも抱き参らせてゐるのです。

悪とは、外道の悪だけでなく、外道の善も含みます。
和合ができていない方々全てを指しています。

その悪を抱き参らす人の心に、マコト(〇九十)の不動の天国が来ます。

どのような悪であっても、抱き参らせば、悪は悪にはならなくなります。

これまでの教は、戒律食が強く、分け隔て的、場合によっては選民思想的でしたが、これからは、ただ、抱き参らせ、
悪を悪で無くし、理を産み出すものになっていきます。

Ⅱ.外と内と、和して一とする段階に入っている

第二帖
外は外にあり、内は内にあり、外は内を悪と見、内は外を悪として考へるのであるが、それは善と悪でないぞ。内と外であるぞ。外には外のよろこび、内には内のよろこびあるぞ。二つが和して一となるぞ。一が始めぞ、元ぞ。和して動き、動いて和せよ。悪を悪と見るのが悪。

これまでは、外は外。内は内。それぞれ内は外を悪、外は内を悪として考えてきました。

ですが、それは、善と悪ではなく、内と外。です。
外には外のよろこび、内には内のよろこび、があります。

その二つを和する段階に今現在入っています。

それが一となり、一が始めであり、一が元、です。
外と、内との和合が始まっているのです。

外と内と和して動き、動いてまた和していって下さい。

悪を悪と見るのが悪。
を理解する段階にあります。

Ⅲ.三千年計画で、一段ずつ、上ってください

第四帖
何時までも同じであってはならん。三千年一切りぢゃ。今迄の考へ方を変へよと申してあらう。道徳を向上させよ。倫理を新しくせよ。法律を少なくせよ。何れも一段づつ上げねばならん。今迄のやり方、間違ってゐたこと判ったであらう。一足飛びには行かんなれど、一歩々々上って行かなならんぞ。ぢゃと申して土台をすててはならん。土台の上に建物たてるのぢゃ。

何時までも同じではない段階に入りました。

三千年一切りです。

三千年前の世界を浄化する、という意味もありますが、
これからの行が三千年間待っている、とも解釈できそうです。
それは、生き通しの行です。

ただ、恐らくながら、御神示の文面にもある通り、一日が百日、一年、百年、となるので、時間経過が非常に遅い世界へと移行するものと見ています。

ですから、今迄の考へ方を変えて下さい。と申されています。

道徳の向上、新しい倫理、法律を少なくしていくのですが、いずれも一段一段、上がっていく流れになります。

実際、社会でも、そのような風潮が入ってきています。
小さなところから変わってきています。

そして、今迄のやり方、その逆の世界、法律を多くするのは、間違い、
であったと、判ってゐる人には判ってきています。

また、一足飛びもありません。一歩一歩です。

かと言って、土台は常に必要です。
今現在の御自身を土台に、建物を建てて行って下さい。

そして、今の建物を三千年計画で変えていく事を意識して下さい。
その三千年計画の動きは、時間が凝縮され、今現在の周囲の世界に現れてきています。
それがマンデラ・エフェクト、です。

その道に進むには、少しでも早く、この道の行を進めて行く必要性があります。

Ⅳ.自己愛を拡げて、他を愛する真愛と合致させて下さい、自己犠牲を変えて下さい

第六帖
他を愛するは真愛ぞ。己のみ愛するのは自己愛ぞ。自己愛を排してはならん。自己愛をひろげて、大きくして真愛と合致させねばならん。そこに新しき理(ミチ)ひらけるのであるぞ。自己愛を悪魔ととくは悪魔ぞ。無き悪魔つくり、生み出すでないぞ。一段昇らねば判らん。

他を愛する真愛なくしては、世界は拡がらなくなっていますが、
己のみ愛する自己愛も、実は排してはならないようになっています。

自己愛も、間違い無く存在している一つの世界ですし、自己愛とも和合していく必要があるのです。

その為には、自己愛を拡げて行く、行が試されます。
前世ヒーリング等で可能です。(ただ、後述もしますが、前世に関するものは、まず必要となっていきます)

そこには、新しき理(ミチ)が開く元があります。

自己愛を悪魔、ととくは悪魔とあり、そのような教えは無いように思われるかもしれませんが、
その現れは、自己犠牲です。自己犠牲を良しとする風潮はまだまだ強くあります。
これが自己愛を悪魔ととく風潮の名残です。

自己犠牲の世界を産み出さないように気を付けて下さい。
その為には、自己愛を拡大させていく事が必要です。

そこには一段昇らないと判らないようになっています。
まず、御自身との和合が何より求められて行きます。

Ⅴ.原因を喜びと変えると、無限の喜びが産まれる

第八帖
何事もよろこびからぞ。結果から又よろこび生れるぞ。この道理わかれば何事もありやか。

結果から、新たな喜びの結果を産み出す事が判りやすいですが、
その原因を喜びとして行けば、そこからでも、よろこびの結果が産まれます。

喜びの思念が、マンデラ・エフェクト、として現れるのです。

原因を喜びとし、変え続けていくだけでも、自然と結果に喜びが産まれるのです。
この道理も、前世を浄化していきますと、判るようになっています。

何事(七二五十)も喜びですから、原因を喜びと変えてみてください。

Ⅵ.みろくの世の在り方は、世界の国々がそれぞれ独立の独自のものとなる

第九帖
みろくの世となれば世界の国々がそれぞれ独立の、独自のものとなるのであるぞ。ぢゃが皆それぞれの国は一つのへそで、大き一つのへそにつながってゐるのであるぞ。地上天国は一国であり、一家であるが、それぞれの、又自づから異なる小天国が出来、民族の独立性もあるぞ。一色にぬりつぶすような一家となると思ふてゐるが、人間のあさはかな考へ方ぞ。考へ違ひぞ。この根本を直さねばならん。霊界の通りになるのぢゃ。

みろくの世界の在り方の詳細、具体的な話は以前はなく、今回初めて生まれたのではないでしょうか。

それは、世界の国々がそれぞれ独立の、独自のものとなっていくのです。
意外にも総て独立国家なのでしょうか。

ですが、それぞれの国は一つのへそで、大きな一つのへそとして繋がるのです。
一つのへそ、というのは、一つの経そ、ですから、御三体の大神様を経るようになります。
(そ、は左三、下五で、御三体の大神様を意味します)

地上天国は、一国でもあり、一家でもあり、自ずから異なる小天国が出来、また民族の独立性もあるのです。

一色に塗りつぶす一家にはならないようです。
ただ、法律は減っていきますから、今ある国の意義は小さなもの、となっていくのではないでしょうか。

判りやすいのは、霊界から意識していけば良いのです。
霊界とは、言語の障壁がありませんし、理解基軸で進みます。
それが、外に現れていくようになります。
(故に、言語の障壁は無くなるかもしれません)

Ⅶ.マコトの喜びは、外内となった喜び

第十帖
外の喜びはその喜びによって悪をまし、内の喜びはその喜びによって善をますなれど、マコトの喜びは外内と一つになり、二つになり、三つになった喜びとならねば、弥栄ないぞ。

外の喜びはその喜びとなって悪をまし、内のよろこびはその喜びで善をましますが、
マコトの喜びは、外内と一つとなり、二つになり、三つになった喜びになります。

そうならない事には弥栄は無いようです。

外との和合ができる所より進めて行く事が求められます。

2.第二十九巻 秋の巻 第十二帖~第十九帖

Ⅰ.人の本性は神様。神様なればこそ、天国へ自づから行き、住むようになる

第十二帖
神について御座れよ。理屈申さず、ついて御座れよ。地獄ないと申してあろう。人は神の喜びの子と申してあらう。人の本性は神であるぞ。神なればこそ天国へ自づから行くのぢゃ。住むのぢゃ。

神様に付いて下さい。理屈申さず、ついて下さい。
そこには、地獄ありません。

人は神様の喜びの子です。人の本性は神様です。

神様になればこそ、天国へ、自づから行くようになっていて、住むようになるのです。

神なれば、天国に行く。住む。と具体的に書かれたのは初めてと見ています。
もう、自づから行くタイミングであり、住むタイミングともなってきています。

Ⅱ.ウソに騙されないようにして下さい。人民の善は和合にあります

第十三帖
人民、うそが上手になったから中々油断ならんぞ。下々の神さまも、うそ上手になったなぁ。善ぢゃ悪ぢゃと申してゐるが、人民の善はそのまま霊人の善でないぞ。そのまま霊人の悪でないぞ。心して呉れ。

人民は、文明の発展により、うそ、が日々巧妙になってきています。
ですから、下々の神様も、うそが上手になってきています。

人民の善は、そのまま霊人の善でもなく、そのまま霊人の悪でもありません。

和合していく事から、悪を悪で無くしていく事にあります。

心して呉れ。とここは、力強く御伝えされています。

Ⅲ.ジッとしてゐる善は善ではない

第十四帖
グッとしめたり、ゆるめたりして呼吸しなければならん。其処に政治のうごきあるぞ。経済の根本あるぞ。逆にしめる事もあるぞ。善と申し悪の御用と申すことの動き、そこから出るのぢゃ。じっとしてゐてはならん。ジッとしてゐる善は善でないぞ。

グッとしめたり、ゆるめたりして呼吸する処に、政治のうごきがあり、経済の根本もあります。
逆にしめることもあります。

善と申し、悪の御用と申すこと(九十)の動き、そこから出ます。

故に、常に変化があるのです。
永劫の弥栄の元になっています。

ですから、ジッとしてゐる善は善ではないのです。

善は、永劫に、呼吸し、喜びがそこにあるのです。

そこには、様々な喜びの思念が宿っています。
中でも、悪を悪で無くす動きが、鍵を握っています。

ジッとしてゐる善は、善ではありません。

Ⅳ.無限に無くならない自身のものを与へると、無限によくなる仕組み

第十五帖
何程 世界の為ぢゃ、人類の為ぢゃと申しても、その心が、我が強いから、一方しか見えんから、世界のためにならん。人類の為にならんぞ。洗濯ぢゃ洗濯ぢゃ。自分が生んだもの、自分から湧き出るものは、いくら他に与へてもなくならんぞ。与へよ、与へよ、与へてなくなるものは自分のものでないと申してあろう。無くなると思ふのは形のみ見てゐるからぢゃ。カラのみ見るからぢゃぞ。本質は無限に拡がるぞ。与へる程よりよく、神から与へられるぞ。井戸の水のようなもんぢゃ。汲めば汲むほどよくなる仕組。

如何に世界の為、人類の為、と言っても、我、が強い段階で、一方しか見えない段階。
平面世界では、世界のためにならないですし、人類の為にもなりません。

ですから、まず洗濯です。

自分が生んだもの、自分から湧き出るものとは、
理解してきた事。
経験。
の二つです。

それは、いくら他に与へても無くなりません。
心・口・行。一致させ、喜びを与へて下さい。

ですが、一致しても、喜びにならない、ものもあります。
永劫性の無いものもあります。

その場合は、与へよ(あ、十、経、四)で、永劫の過去から、しきまきや、を通じ、洗濯を進めて下さい。

与へてなくなるものは自分のものではありません。
無くなる、と思ふのは、形のみ見てゐるから、カラ(〇)のみ見るからです。

思念を見て下さい。
思いを見て下さい。
特に永劫性の働いている、理解、経験、を見て下さい。

すると、その本質は無限に拡がっていきます。

それは、与へる程よりよく、神様から与へられます。
永劫の過去より、与えられますから、喜びが尽きなくなるのです。

それは、丁度井戸の水のようなものです。

汲(九)めば汲む(九、ム)(苦、ム)程、よくなります。

苦を無に帰していくように、永劫の過去の経験から与へて下さい。
無限に神様から与えられるようになります。

Ⅴ.ミタマシズメ、カミシズメ、カミカカリは、やらないと判らない(必ずすることになります)

第十七帖
神示が一度で判る人民にはミタマシズメやカミシズメやカミカカリはいらん。判らんからやらしてゐるのぢゃ。やらせねば判らんし、やらすとわき道におちゐるし、いやはや困ったもんぢゃのう。

やがて、御神示が一度で判る人民が現れ出すのかもしれませんが、
一度で判らない人民には、ミタマシズメ、カミシズメ、カミカカリ、は必要のようです。

判らないからやらしてゐるのです。

そして、やらせねば判らないようになっています。

それが、しきまきや、です。
前世ヒーリングや、前世療法も、大きな鍵を握ります。

ですが、やらしても、わき道におちゐるようになりがちです。

ミタマシズメ、カミシズメ、カミカカリを進めつつ、洗濯、掃除、改心。
他にも、悪いくせ、を治す。等進めて行かないとならないようになっています。

行が進む程に、実感させられるようになります。

Ⅵ.一段二段三段も上の広い深い、ゆとりあるやり方、神様のやり方を進めて下さい

第十九帖
中今(ナカイマ)と申すことは、・今と申すこと。・は無であるぞ。動きなき動きであるぞ。そのことよくわきまへよ。今迄のこと、やり方かえねばならん。一段も二段も三段も上の広い深い、ゆとりのあるやり方に、神のやり方に、規則のない世に、考へ方、やり方、結構であるぞ。

中今(ナカイマ)と申すことは、・今と申すこと、のようです。

心の現れが、今であり、神様の心が今、です。

・はムです。動きなき動きです。

それが、今、にある、という事です。
この事をわきまへて下さい、とあります。

御自身の、・とは、無であり、無限ですから、
日々、のキ、思い、行、から現れる様になります。

一切は、キ、からであり、それが・です。

それは、今すぐ与へられるもの、が原則であり、
そこには、今迄のような、規則のあるもの、法律、戒律、はありません。

それは、無限に拡がり、立体にも進みますから、もう一段二段三段、と上の広い深い、ゆとりあるやり方ですし、考へ方でもあります。

3.第二十九巻 秋の巻 第二十三帖~第二十八帖

Ⅰ.世が乱れてきた原因、神様と人民の主従が逆転した為。トリの年(2029年)が一つのメド

第二十三帖
神が主であり人民が従であると申してあろう。これを逆にしたから世が乱れてゐるのぞ。結果あって原因あるのでないぞ。今の人民、結構すぎて天地の御恩と申すこと忘れてゐるぞ。いよいよとなって泣面せねばならんこと判りてゐるから、くどう気付けてゐるのぢゃ。マコトのことはトリの年。

神様が主であり、人民が従だったのですが、これが逆にしたから、現在の世となってしまったのです。

結果があって原因があるのではなく、原因があるから、結果がある。
という事もありますが、一切はナカイマ、今から生み出す事、生み出せる事、すらも忘れている所があります。

今の結果の世界は、負の想念がかなり減っており、それは、しきまきや、を起こし続けてきた為であり、第二次世界大戦後、それは、人類史上、この上なく結構すぎる世なのですが、結構すぎて、天地の御恩を忘れているのです。

この後、いよいよとなって泣面せねばならんこと、判りてゐるから、くどう気付けて頂いているのです。

マコトのことは、トリの年ですが、なるべく2029年をメドとし、2041年に長引かないようにしたいところです。

Ⅱ.今迄の、三千年のやり方違ってゐたと心つくなれば、心付いて神示よむなれば、一切のことありやかに

第二十四帖
上から見ると皆人民ぢゃ。下から見ると皆神ぢゃ。判りたと思ふて御座るなれど、神の経綸が学や、金銀つんで、チョットやソットで判る筈ないぞや。今迄の、三千年のやり方違ってゐたと心つくなれば、心付いて神示よむなれば、一切のことありやかとなるのぢゃ。カンジンぢゃ。

神の経綸は、学や、金銀つんで、チョットやソットでは判らないようになっています。
ミタマシズメ、カミシズメ、カミカカリもしないと判らないようになっています。

その上で、脇道に落ちないように気付けないとなりませんし、鼻高ポキンは常時試されます。

様々な試し、理解が求められます。
そして、経験しないと判らないようになっています。

それから、直近のセルフヒーリングや、セッションでは、三千年前近辺の前世がよく出てきます。
2023年2月辺りまでは、殆どが紀元後の世界のものだったのです。

その三千年前の世界観は、今の世界とは、かなりかけ離れており、地獄の三段目、という表現がピッタリです。
それが今の人類の元の元の姿だった、という事も理解できますと、何もせず、我欲で進みますと、この後81の世界に進んで当たり前なのです。

そもそも、第二次世界大戦直後の世界が、何故あんなにまともな民主主義、戦争放棄の憲法第九条になったのか、この事そのものがマンデラ・エフェクトといって過言ではないのです。

そして、現在に至るまで、度々81の危機のシナリオは起こりつつも、変わってきたのは、
思念界を、ナカイマから変化させてきたから、そういった方々、神々様、大神様、が居た為です。

ですが、それは、人民の手柄と思い込んでいる方が多く、神様と人民の主従関係は逆転し、天地の御恩については、ほぼ完全に忘れ去られています。

●今迄の、三千年のやり方違ってゐたと心つくなれば、心付いて神示よむなれば、一切のことありやかとなるのぢゃ。カンジンぢゃ。

とありますが、これは、前世ヒーリングや、前世療法がなければ、判らないようになっています。
前世の理解、三千年前の世界の理解が必要な為です。
単なる世界史での三千年前の世界も、欧州辺りは、かなり隠していますし、カンジンは伏せられている為です。

また、地獄の三段目すぎて、実際には、心のガードがある内は、中々、その世界観を知る事もできませんし、実際、一段ずつ浄化を進めて行かない事には、抵抗ある方も多いと思います。

それは、受けられる方だけでなく、ヒーラーさんも同じです。この世界に入る迄、心のブロックを外すまでも結構時間がかかるもの、と思います。

ですが、三千年のやり方、違ってゐた、と心つくなれば、心付いて御神示を読んで行きますと、一切のことありやか、となっていきます。

そして、最終的には、三千年前に現れる世界も、また違った世界を産み出す事が可能です。
それは、常に、ナカイマから変えていくのです。

地獄の三段目の浄化は、今日の明日でもすぐできるものではありません。
一段ずつ、和合、理解を進めて行く事が求められます。

Ⅲ.やはり、81の世界は実現するようですので、一刻も早く改心を進めて下さい

第二十五帖
この世は人民と手引かねばならんから、苦しみが長くなるから、千人万人なら一人づつ手引いてやりても やりやすいなれど、世界の人民、動物虫けらまでも助ける仕組であるから、人民 早う改心せねば、気の毒いよいよとなるぞ。

直近のセッションでは、世界の人民、動物虫けら、助ける仕組はかなり詳細に判ってきています。

ですが、それは、個々の思念、行動に全てがかかっています。

この世は人民と手引かねばならないから、苦しみが長くなるから、とあります。
これは、解釈の一つとして、一度は、手引く世界を実現する可能性があるのかも、と思っています。

何故なら、そう簡単に、人は、思念界から助けていく動きをしよう、とは思わないようになっている為です。

ミタマシズメ、カミシズメ、カミカカリは、普通はしないでしょうし、
しても、その道に進めるなんて、普通は思いもしていないでしょう。

言わば、大多数の方々から見ますと、それは阿呆ですよね。(笑)

ですが、これだけ、神様を従とし、人民が主となってしまっている現在の世界では、
どうやっても、動物、虫けら、助かる仕組みにはならないのです。

これも、行を進めて行きますと、嫌でも実感させられます。

せめて、全人類が、菜食に進めれば、その可能性が出て来るのですが、マンデラ・エフェクトを起こした先の世界でも、その世界の実現には、結構かかるもの、と思っています。

一方で、人民早う改心せねば、気の毒いよいよとなるぞ。と言っても、もう時間はそれ程残されていません。

その為には、なんとしてでも、大神様の御心に沿い奉り、総ての方々を助ける道をあきらめず、できる所から一つ一つ行じて、一段一段上がっていく以外ありません。

そして、自ら、時間異常を起こして行く段階に入ってきていますし、そこから、何としてでも多くの方々を助けていく世界へと、移行していくのだと見ています。

行を進めて行く人から、その世界は現れますし、一人でも多く、一日でも早く、行じ、助けていき、御自身を省み、洗濯、掃除、改心、を進める事で、マコトの不動の天国が現れるようになっています。

ですが、人を助けずに助かる事は無い事。これは神様でも曲げられない道理ですから、その場合は81の世界から逃れられなくなります。

このように、いずれにしても、81の世界とは対峙する事になる、と見ています。
ですが、行を進めて行きますと、81の世界も、ひとまず、囲碁、将棋の戦程度で終わる可能性はあります。

実際、この道に進んで行っても、81の世界に最後は対峙し、助けていくと見ていますし、まずは、その世界に進んでも任せきれる段階になれるまで、行を進めて下さい。

一刻も早くこの道に進んで下さい。

Ⅳ.最後の一厘は知らなくても、安心して御用できる段階に早く進んで下さい

第二十八帖
これほどマコト申しても、残る一厘はいよいよのギリギリでないと申さんから、うたがふのも無理ないなれど、見て御座れよ。神の仕組 見事成就いたすぞ。一厘のことは知らされんぞと申してあろう。申すと仕組成就せんなり。知らさんので、改心おくれるなり、心の心で取りて下されよ。

一厘の仕組みは、行じていく事で、判って来るようになります。
新たな三が道を産み出して行く。これ以外にありません。

ですが、最後の残る一厘は、いよいよのギリギリまで申されない、とあります。
ですから、疑うのは無理ないですが、行じて行く事で、安心して、どのような事態を迎えても、まかせきれる段階に早く進んで下さい。

それには、御自身の、洗濯、掃除、改心、が必ず求められます。
そして、行じ続け、産み出した世界に進まないと、安心して、任しきれません。

最速で三年はかかります。

最初程苦しいですが、徐々に楽に進めるようになっていきますし、確信を得られるようになっていきます。

最後の残る一厘は、知らさないので、改心はおくれがちですが、心の心で取りて下さい。

4.まとめ

秋の巻では、悪抱き参らす人の心にマコトの不動の天国がくる、事について御伝えしていましたが、
これは、この秋に向けて、段階が進んでいる方にお伝えしている内容へと変わってきています。

外と内と、和していき、三千年計画で一段ずつ進めて行く事。

自己愛を拡げ、真愛と合致させていく事。

原因を喜びと変えていき、無限の喜びを生み出して行く事。

みろくの世とは、それぞれ独立の世界である一方で、それぞれ、へそ、で繋がっている事。

人民の善とは、和合にある事。
ジッとしている善は善でない事。

無限に無くならない自分のもの(理解、経験)を与へると、無限によくなっていく事。

ミタマシズメ、カミシズメ、カミカカリ、をやらないと判らないようになっている事。

世が乱れてきたのは、神様と人民の主従が逆転した為である事。

今迄の三千年のやり方が違ってゐたと心つくなれば、心付いて神示よむなれば、一切のことありやかになっていく事。それには、三千年の世界の理解が必要である事。

この世は人民と手引かねばならんから、とある以上、81の世界の実現は、基本避けられない事。
避けるには、行を進め、神一厘の仕組みを自ら起こす以外無さそうな事。

秋の巻では、マコトの不動の天国について記されている反面、人民と手引く以上、81の世界への移行も背中合わせである事。

その世界を回避していくには、自ら行じ、大神様の御心を意志し理解し、悪を悪で無くす、行を進めて行く必要があるようです。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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