半霊半物の様相のマンデラ・エフェクト 星座の巻② 2023年6月14日現在

人類滅亡シナリオ回避の為、御神示をお読みください

前回からかなり空きますが、御神示のマンデラ・エフェクトは着々と進んでいます。

3月中旬より、冒頭の上つ巻から順に、御神示のマンデラ・エフェクトを伝えていきましたが、5月5日の能登地震以降、世の流れも変わり、御神示のマンデラ・エフェクトをお伝えできていない流れになっていました。

今の所、よく行くのが、五十黙示録、二十二巻アホバの巻が中心です。
ここには、岩戸が開くまでの鍵になる話が沢山書かれています。

今回は、順番が飛びますが、五十黙示録 第三巻星座の巻のマンデラ・エフェクトをお伝えします。

星座の巻では、半霊半物の愈々の様相、が詳細に書かれ出すようになりました。

目次

1.五十黙示録 第三巻 星座之巻 第一帖 ~第五帖

序盤では、時節が来たため、岩戸開きの様相も判るであろう、と伝えられています。

Ⅰ.水の中の天、水の中の地、地中の中の火球、あらゆる所にあらゆる存在を見い出して下さい

第一帖
天の水、地の水、水の中の天、水の中の地、空は天のみにあるのではないぞ、地の中にもあるのぞ、天にお日さまある如く地中にも火球があるぞと申してあろう、同じ名の神二つあるぞ、大切ことぢゃ。

天にも水、地にも水があります。

同時に、水の中にも天があり、水の中にも地があります。
空は天のみにある訳ではありません。

水の中にも天はありますし、地もあるのです。
また、地の中にも天があるのです。

あらゆる所に天はあるのですし、・は存在しています。

また、天にお日様があるように、地中にも火球があるのです。
この文面は初めてと見ています。

インナーアースの世界にも、地中の中に火球があるようです。
もしくは、インナーアースの形をしていないかもしれませんが、その上で、地中の中に火球があるのかもしれません。

このようにあらゆるところにあらゆるものを見い出す所に来ているようです。

Ⅱ.富士(二二、普字)と鳴門(ナルト)(七十、成答)の仕組、明らかになる時節到来

第二帖
●ナルの仕組とは【成十】(七十)の経綸であるぞ、八が十になる仕組、岩戸(言答)ひらく仕組、今迄は中々に判らなんだのであるが、時節が来て、岩戸がひらけて来たから、見当つくであろう、富士(二二、普字)と鳴門(ナルト)(七十、成答)の仕組、結構致しくれよ。

八が十になる仕組み、岩戸ひらく仕組、については、行じられている方であれば、毎度八日~十日の開く経験から、
時節が来て、岩戸がひらけてきている事。もう見当が付くようになってきています。

二二の仕組み、鳴門の仕組み、結構致してください。

人を助けていく仕組、しきまきや、を起こせば、自動的に経験している事になっていきます。

Ⅲ.神界、霊人には、時間が無い。理解基軸で、ただ状態が弥栄していく

第三帖
時、時、と申してあるが、時間ではないぞ。神(カミ)、幽身(ガミ)にも聞かせているのぞ。地上人には時間が考えられるなれど、神界には時間がなく、神も霊人も時間は知らないのであるぞ。只よろこびがあるのみぞ。神界で時間と申すのは、ものの連続と変化、状態の弥栄の事であるぞ。トキ待てよ。トキ違えるでないぞ。地上人の時間と区別して考えねば このふでは解らんぞ。

神界、霊界には、時間の概念がありません。
状態の変化、連続、弥栄があるのみです。

神界、霊界とは、理解基軸で永劫に産み出し続け、弥栄し進んで行くのです。
そこには只喜びがあるのみです。

これは、しきまきや、前世ヒーリング等で経験していく事で解っていきます。

私達の世界では、時間の概念があります。
その為、過去が判りやすく存在しているのですが、思念界で、相手を意志し前世達の理解が次々進んで行きますと、その過去もやがて書き換わるようになってきています。

過去とは、どのようなものでも既に終わった事です。
ですが、何故過去が存在しているのか、と言えば、
理解、経験より、新しい世界を産み出す為なのです。

トキとは、十キ、の事を意味している事があると思います。
それは、理解基軸でその世界を変えていく事があるでしょう。

地上人の時間とは、区別して考えて下さい。

そうでないと、このふで(御神示)は解りませんし、神学、も判らないようになっています。

Ⅳ.人民もの言へんこと(意へん九十)になる時は近づいている

第四帖
人民もの言へんことになると申してありたこと近うなったぞ、手も足も出んこと近づいたぞ、神が致すのでない、人民自身で致すこと判りてくるぞ。人民の学や智では何とも判断出来んことになるぞ。

人民は、もの(母、九一)いへんこと(意、経、ん、九十)になる時が近づいています。
九十、から生み出す意志から、元の世界を産み出す段階に近づいているのです。

その時には、あまりもの言わないようになっているようです。
そして、手も足も出んこと(九十)にも近づいています。
実際、手も足も使わないようになっていくのだと思います。(笑)

神様が致すのではありません。
行じた人民だけが判っていく仕組です。

ですから、人民の学や智では何とも判断はできないのです。

Ⅴ.日本の国を産み出す段階へ

第四帖
右往左往しても、世界中かけ廻っても何もならんぞ、判らんでも判りた顔せねばならん時が来たぞ、ウソの上ぬり御苦労ぞ、人民がいよいよお手上げと言うことに、世界が行き詰りて神のハタラキが現れるのであるぞ、日本人びっくりぢゃ、日本人はいくらでも生み出されるが日本の国は出来まいがな、

右往左往しても、世界中かけ廻っても何もなりません。

判らんでも判りた顔せねばならん時が来ています。
実際、この大規模マンデラ・エフェクトも思念界から働いている、という以外はよく解らないと思います。

行をせず、理屈で行きますと、ウソの上ぬりになりますが、
段階が進みますと、ウそ、と御三体の大神様を上から生み出し続ける流れになります。

世界が行き詰る事で神様のハタラキが現れるようになっていきます。

日本人びっくりするようです。
日本人はいくらでも生み出されるが、日本の国は出来まいがな、は新たな文面です。

愈々、新しい日本の国が生み出される段階が来る、という事を示唆し始めています。
新しい島が誕生したりする段階が近づいているかもしれません。

最も、もう日本の国はかなりのマンデラ・エフェクトを起こし続けていますので、
もう何が起きても驚かない状況になってきていますが・・・・。

Ⅵ.国常立大神のこの世の肉体の影が日本列島、今の科学では判らない

第四帖
身体中、黄金(こがね)に光ってゐるのが国常立大神の、ある活動の時の御姿ぞ、白金(しろがね)は豊雲野大神であるぞ、今の科学では判らん。一万年や三万年の人間の地上的学では判らんこと、国常立大神のこの世の肉体の影が日本列島であるぞ、

やがて、身体中、黄金に光る時、国常立大神の、ある活動の時の御姿、の時が来ます。
また、白金(しろがね)に光る時は、豊雲野大神の、ある活動の御姿、の時が来ます。

行じていきますと、両方体験していく事になります。

それは、今の科学では解りません。
記載である通りであれば、少なくとも、一万年、三万年の人間の地上的学では判らないようになっているものです。

国常立大神様のこの世の肉体の影が日本列島です。

ですから、国常立大神様が御活動しているからこそ、日本列島の形が次々と変わって行っているのです。

日々御活動されています、修行守護の神々様、役員守護の神々様は、御神示と共に、行じ、省み、洗濯、掃除、改心、していきますと、気付かぬ内に、国常立大神様の御活動をしていく事になるようです。

Ⅶ.神学でないと今度の岩戸は開かない

第四帖
判らんことがいよいよ判らんことになったであろうが、元の元の元の神の申すことよく聞きわけなされよ、神の学でなければ今度の岩戸はひらけんぞ。

このように、判らないことがいよいよ判らないようになってきています。

マンデラ・エフェクトが起こる程に、前提が次々変わる為です。

そこで重要なのは、元の元の元の神様の申すことよく聞き分けてください。

神学でなければ、今度の岩戸はひらかないようになっています。

Ⅷ.悪の働きは、表に出ないようになっていく

第五帖
悪の仕組通り、悪平等、悪公平の選挙でえらび出すのざから、出るものは悪にきまっているでないか、悪もよいなれど、悪も神の用(ハタラ)きであるなれど、悪が表に出ること相成らん。

文面そのものは以前からありましたが、最後の
悪が表に出ること相成らん。
は初めてと見ています。

悪が表に出る九十は、愛成らん、のですし、
実際、悪が表に出るコトは、次々と無くなっていくようです。

2.五十黙示録 第三巻 星座之巻 第七帖 ~第十四帖

星座の巻、中盤では現在のギリギリの様相を詳細に伝えています。
そして、新しき住む所についても詳細を伝え始めています。

Ⅰ.この神様は、太古を生み、中性を生み、現在を生み、未来を生みつつある

第七帖
この世をつくった太神の神示ぞ、一分一厘違わんことばかり、後になって気がついても、その時ではおそいおそい、この神は現在も尚(なお)、太古を生み、中世を生み、現在を生み、未来を生みつつあるのぞ、この道理判りて下されよ、世界は進歩し、文明するのでないぞ、呼吸するのみぞ、脈拍するのみぞ、変化するのみぞ、ぐるぐる廻るのみぞ、歓喜弥栄とはこのことぞ。

3次元世界の平面世界から見ますと、今という世界は、進歩、文明発展していく、と思われています。

ですが、思念界からしきまきや、を次々起こしますと、
呼吸するのみ、脈拍するのみ、変化するのみ、ぐるぐる廻るのみ。
歓喜弥栄が連続し続ける事が解ってきます。

このぐるぐる廻るのみ、も、輪廻転生そのものから、その性質が変わって行く為に、
御自身の理解が進むほどに、より訳わからなくなっていく部分はあります。

ですが、一切を産み出し続けていく、思念界と三次元世界が双方弥栄発展していくというう実感だけが、得られるのです。

気が付きますと、周囲の世界が大きく変わって行く。という流れになります。

それが、歓喜弥栄です。

行を進めて行き、特に思念界から、前世界から、思念を変えていきますと、
文面通り、太古(十、意、九)を生み、中世(中、四、意)を生み、現在を生み、
未来(三〇ゐ)を生みつつある、という事が解ります。

この道理をご理解下さい。
その為には、理解の拡大、そして、実際の経験あるのみです。

Ⅱ.人民一度は死ぬ時がある、そうでないと甦られない

第八帖
人民一度死んで下されよ、死なねば甦られん時となったのぞ、今迄の衣をぬいで下されと申してあろう、世がかわると申してあろう、地上界の総てが変るのぞ、人民のみこのままと言うわけには参らぬ、死んで生きて下されよ、タテカヘ、タテナホシ、過去と未来と同時に来て、同じところで一先づ交じり合うのであるから、人民にはガテンゆかん、新しき世となる終りのギリギリの仕上げの様相であるぞ。

人民が死ぬ時は一度はあるようです。

そうでなければ、甦られないようです。
地上界の総てが変わる為です。

人民のみこのまま、という訳にはいかないようです。

過去と未来と同時に来て、同じところで一先ず交じり合うのです。
そこで、タテカヘ、タテナホシ、が起こります。

人民にはガテンできない、新しき世となる終わりのギリギリの仕上げの様相に今現在入っています。

ですから、行をしっかりと進めて下さい。

Ⅲ.新しき人民の住むところとは、霊界、現界、両面を持つところ

第十一帖
自由も共産も共倒れ、岩戸がひらけたのであるから元の元の元のキの道でなくては、タマ(玉)の道でなくては立ちては行かん、動かん二二(普字、富士)の仕組、ひらけて渦巻く鳴門(ナルト)(七十、成答)ぢゃ。新しき人民の住むところ、霊界と現界の両面をもつ所、この岩戸ひらきて二度とない九十(光透)でひらく仕組。

新しき人民の住むところについても、愈々明確に明記されるようになりました。
自由、共産は共倒れします。

元の元の元のキの道、タマの道でないとこの後は進みません。
二二の仕組み、ナルトの仕組みを次々進めて下さい。

行じ、省み、洗濯、掃除、改心し、理解、と体験をしない事には解らないようになっています。

新しき人民の住むところとは、霊界と現界の両面を持つところ、
と明示されました。以前には無かった文面です。

Ⅳ.半霊半物世界の詳細について 地上人と霊人の和合が基本

第十二帖
地上界に山や川もあるから霊界に山や川があるのでない、霊界の山川がマコトぞ、地上はそのマコトの写しであり、コトであるぞ、マが霊界ぢゃ、地上人は、半分は霊界で思想し、霊人は地上界を足場としてゐる、互に入りかわって交はってゐるのぞ、このこと判れば来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世であるから、人民も浄化行せねばならん、大元の道にかへり、歩まねばならん、今迄のような物質でない物質の世となるのであるぞ。

この文面にもあるように、地上人は、半分は霊界で思想しています。

一方、霊人は、地上界を足場としており、互いに入れ替わって交わっています。

この事が判れば、半霊半物、四次元高度の、影ないうれしうれしの世となります。

その為には、人民も浄化、行しないとならないのです。
大元の道にかへり、歩まないとなりません。

その事で今迄のような物質でない物質の世となるのです。

Ⅴ.目から泥(土六)を洗ひ去って下さい

第十四帖
目から泥を洗ひ去ると見へてくるぞ、右の目ばかりではならん、左の目の泥も落せよ。泥のついてゐない人民一人もないぞ、泥落すには水がよいぞ、世の元からの真清(詞)水(ましみづ)で洗ひ落し下されよ、世の元の元の元の真清(詞)水結構。

この例えの文面も初めてと見ます。

目から泥(土六)を洗ひ去ってください。

右の目(七四)ばかりでなく、左の目(七四)もです。

泥のついていない人民は居ません。
水(みづ)がよい、とあります。

ましみづ(九二、四一、一三、裏五三)で洗ひ落としてください。

世の元の元の元の、ましみづ、で洗ひますと、
九二の仕組み、しきまきや、三が道、全て裏の五三体の大神様から産み出されてきた事が判ってきます。

3.五十黙示録 第三巻 星座之巻 第十六帖 ~第二十五帖

文面後半では、土のまんぢう、天人との語る状況、父音、喜びの芸術、等、様々な現象について御伝えしています。

Ⅰ.偽の愛、偽の智の段階では、間に合わない

第十六帖
偽(にせ)の愛、偽(にせ)の智と申すのは、神を信じない人民の愛と智であることを知れよ、この人民たちは神の声を聞いても聞こへず、神の現れを見ても見へないのであるぞ、目をとぢ耳にふたしてゐるからぞ、今の人民よ学者よ金持よ、早う考へ方を変へねば間に合わん、心の窓 早うひらけよ。

偽の愛、偽の智とは、神を信じない人民の愛と智の事のようです。

ですから、神様の声を聞いても聞こえません。
神の現れを見ても、見えないのです。

多くの方々は、行をしなかったり、省みなかったり、御神示を読まなかったりで、どうしてもこの段階です。

実はこの体験は、私も度々体験してきていました。
それは、行じていない段階。我欲の段階。の時です。

ですから、これも、この道一本として、行じないと、明確に判らないようになっています。

一切は、理解、経験、しきまきや、を起こして行く。のみです。
行じ、省み、御神示と共に、洗濯、掃除、改心、を繰り返し、そして生み出して行くだけです。
ですが、人学、金、で行きますと、肝腎の部分の芽をとぢ、ミミに蓋をしてしまっている事になります。

早う考え方を変えないと間に合わないところに来ています。

早く、心(九九六)の窓(真、土)を開いてください。

Ⅱ.土のまんぢう、が産まれる段階へ

第十七帖
土のまんぢうと申してあろう、土が食べられると申してあろう、土から人民を生んだと申してあろう、ウシトラコンジンの肉体は日本の土ざと知らしてあろう、土に生きよと申してあろう、地は血(智)であるぞ、素盞鳴命様であるぞ、その土が生長して果ての果てに皮をぬぐ、それが地変であるぞ。

土のまんぢうが産まれる段階に来てゐる様です。
食べられるようです。(笑)

先述の通り、国常立大神様の影が日本ですから、国常立大神様とウシトラコンジン様が和合し始める段階がやがて来るようです。

地は、智であり、血です。それは素盞鳴命様です。

その土が生長して果ての果てに皮(火、ワ)をぬぐ、それが地変です。
その段階が今現在近づいています。

Ⅲ.天人が人民に語る時は、自分と自分と語る如くなる

第十八帖
天人が人民に語る時は、人民の中に来て、その人民のもつ言葉で語り文字を使うのであるぞ、自分と自分と語る如くなるのであるぞ、天人同士の文字は数字が多いぞ。夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言。

この文面も初めてと見ます。

天人が人民に語る時は、人民の中に来て、その人民のもつ言葉で語り、文字を使うようになります。

それは、自分と自分が語る如くのようになります。

既に、この体験をされている方も増えてきているのではないでしょうか。
御神示と共に行じていきますと、必ず体験していく事になります。

そして、確かに天人同士の文字は数字が多いと思います。
早く、沢山、伝わらるからです。

実際、私がこのブログで御伝えしているのは、数字の意味でもその一部でしか御伝えしていません。
ですが、沢山の意味を捉えられている人は、更に深い理解をされているでしょう。

それも、行じていきますと解るようになっていきます。

頭で考えていては、解りません。経験と共に解るようになっていきます。
気付いたのですが、あらゆる知らせが、頭に浮かぶようになってきます。

これが、どんどんと増えていくようになります。

夜明け前は、霊かかりがウヨウヨです。
今、現在、その段階に入っている方も居ます。
ですが、それもしばらくの狂言として終える事ができます。

行じ省み、改心する事で、霊かかりを浄化していく事が可能になっていきます。

ですが、これも、今日の明日ですぐ治るものではありません。
日々の行と共にです。

騙されていない人はいません。泥をましみづ、で洗ひ落としてください。

これも、段階と共に解っていく事になります。

Ⅳ.父音のキが愈々求められる段階へ

第十九帖
人民もの言わなくなると申してあろうが、ものが今迄のようにものを言わなくなり、マコトの世となるぞ、天人の言葉はマコトであるから、只一言で万語を伝へ得るぞ。言葉の生命(いのち)は愛であり、真であるから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉でないぞ。子音と母音と組み組みて父音の気を入れて始めて言葉となるのぢゃ、今の人民のは言葉でないぞ、日本の古(光)語がマコトの言葉ぞ、言霊ぞ、数霊と倶に弥栄ゆく仕組。

このように、只一言で万語を伝へる段階に近づいています。

真愛から発する言葉の世界になっていきます。
それは、御自身の行と共に変わって行くのです。

それは、子音と母音と組むだけでなく、父(フ)音のキが入る段階が来ます。

ですから、今の人民のは、言葉ではありません。
父音(フイン)が、まだ入っていない段階です。

日本の古語、とは、大化の改心前を指しますが、できる事なら、高次元、シュメール文明と同じ神代文字までで遡り、生み出して行かないとなりません。

ことたま、かずたま、と共に弥栄ゆく仕組は、行じていくと判っていく事になります。

Ⅴ.喜びの芸術の詳細

第二十一帖
言葉は生れ出るものぢゃ。先づ言葉され、歌となり、文章となり、又絵画となり、彫刻となり、建築となり、又音楽となり、舞踊となり、あらゆる芸術の元となるのであるぞ。神に通ずればこそ、愛であり、真であり、善であり、美であり、喜びであるぞ、喜びなきものは芸術でないぞ。今の芸術は死の芸術、魔の芸術。

喜びの芸術は以前からも御伝えしていましたが、
より詳細に、その種類が増えたマンデラ・エフェクトを起こしています。

芸術とは、神様に通じるからこそ、愛、真、善、美、喜びとなるのです。
生活から、一切が芸術となっていきます。

それは、喜びが元になります。

今の芸術は、死の芸術、魔の芸術が多いですが、
四の芸術、真の芸術と、しきまきや、を起こして行き、それを変えていく事は可能です。

この行に進む方もやがて増えていく段階が来ると見ています。

Ⅵ.天の理が、地に現はれる時が岩戸あけ

第二十三帖
二二の二の五つの今あけて、よろづゐんねん出づる時来ぬ。天の理が地に現はれる時が岩戸あけぞ、日本の国が甘露台ぢゃ。

この文面も初めてとみます。

天の理が地に現はれる時が岩戸あけです。

日本(二ほん)の国(九二)が甘露台です。

日本もこの後、まだまだ、マンデラ・エフェクトを起こします。
それは、国常立大神様の御活動によってです。

Ⅶ.人民に罪無し、を理解、体験していくには、裁きを無くしていく事が求められる

第二十五帖
歓喜に裁きのない如く、神には裁きなし。さばき説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となるぞ、戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎん、裁きを説くのは自分で自分をさばいてゐること、人民に罪なし。

裁きは、まだまだ私達の世界にはあります。

ですが、裁き解く宗教、法律、社会では、フニャフニャ腰になってしまいます。

戒律、裁きは、低い段階です。
裁きを説きますと、自分で自分を裁くことになります。

歓喜には裁きはありません。

その為には、悪を悪で無くす行。苦を苦で無くす行を進めて下さい。

生前から、全く裁きをしなかった人はいません。

人民に罪無し、というのは、最後まで中々納得できない部分もあるかもしれません。
ですが、行じ、段階を進めていくことで、それが解って来るようになってきます。

4.まとめ

愈々の総活動、国常立大神様が、日本に現れ、ウシトラコンジン様が日本の土に現れる段階に来ています。

日本列島も既に大きなマンデラ・エフェクトを起こしていますが、国常立大神様、突き詰めますと、修行守護の神々様、役員守護の神々様の御活動によるものです。

そして、それは、御神示を共に、行じ、経験した方でないと理解ができないようになっています。

実は6月13日をもって、五十歳になったのですが、五十歳になった途端、右肩痛が次々始まりました。
僅か2日間で、早速セルフヒーリングを2度もする流れとなっています。
急速に新たな展開が始まっています。

これは、私に起こった型ですが、今現在、多くの方々が、愈々の段階に入ってきているようです。

この3~5月、非常に重かったと思います。
それも、4月、5月と進むにつれより重くなっていったと思いますが、更に重い6月を体験できている方は、順調に進んでいると見ています。

愈々の様相は星座の巻ではかなり具体的に書かれてきています。
新しき住む所は、霊界と現界双方を持つ所。半霊半物の世界。
また、土のまんぢう、天人との語る状況、父音、喜びの芸術、等、かなり具体的に伝えられています。

是非、この後も気を抜かず、着実に行をこなし、新たな世界を生み出して下さい。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、五柱十柱の神々様、世の元の生き神様、
大神様、日々、御守護弥栄にありがとうございます。

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