今回は、五十黙示録 第五巻 極め之巻~ 第六巻 至恩之巻のマンデラ・エフェクト、です。
五十黙示録 第五巻 極め之巻では冒頭から、今が九分九厘、神様の道は多く見へても終わりは一つ、その入り口に入っている、と伝えてきています。
どんなことも致してみせるぞ。見事にお目にかける。
ともあり、
悪い癖を治す時、平面的衣を脱ぐ時。
と具体的に伝え、愈々感は、更に増してきています。
また、第六巻 至恩之巻の最後では、岩戸ひらきの後の世について、二二の世についてかなり詳しく記載しています。
その世界は、総ての位置(一)が転ずる、物質も念も総てが変わる
とあります。
また、八方世界の考え方、想念、肉体、では生きて行けず、十方世界でないと、この後岩戸はひらかない、と伝えられています。しきまきや、だけでも難しく、更に平面から立体へ、の動きが求められています。
今度言ふことを聞かねば、大変な気の毒、地(智)の下になる。
と、やはり、必ずと言って良いほど、一度は、このように危機感を伝えています。
それでは順にお伝えしますね。
- 1.マンデラ・エフェクト 気になる文面 五十黙示録 第五巻 極め之巻
- Ⅰ.今現在、世界は九分九厘の所に、御自身が九分九厘に進まないと残り一厘は判らない
- Ⅱ.神の道は多く見へても、終わりは一つ。今が終わりの一本道に入る所
- Ⅲ.陽が中、陰が外。陽と陰が和して始めて新しき陽が産まれる。陽が本質的なもの
- Ⅳ.こ(九、光)の神様には、何一つ判らない、出来ないと申す事ない、どんなことでも致して見せる
- Ⅴ.タテコワシとタテナホシが一時にくる
- Ⅵ.悪いくせを治すのが、御神業。二度目の登場です
- Ⅶ.正とか不正とか申す平面的衣を早うぬいで下されよ。二度目の登場です
- Ⅷ.頭さげて低うなって見なされよ、必ず高い所から流れてくるぞ
- Ⅸ.ヤマに逃げても駄目、カミの御旨の中、山に移りて海に入れよ、の時へ
- Ⅹ.天界の出来事は必ず地上に移る、地上の状態で、早くも遅くもなり、時によっては順序も違う
- ⅩⅠ.新しき世界の宮は土地(神智)(十千)、住所(数真意)(すまい)、下には永遠の腕がある
- 2.マンデラ・エフェクト 気になる文面 五十黙示録 第六巻 至恩之巻
- Ⅰ.岩戸びらきは、それぞれの立場で違ふところがある
- Ⅱ.フトマニについて
- Ⅲ.八では足らない、十、〇でなくてはならない、立体に進む事が求められる
- Ⅳ.初登場、別天津神(ことあまつかみ)五柱
- Ⅴ.総て地(智)にゆかりのある神々様は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐた
- Ⅵ.判らないのは、ナギの命、ナミの命、一面しか見ていない為
- Ⅶ.八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれない
- Ⅷ.総ての位置(一)が転ずる、物質も念も総てが変わる
- Ⅸ.今度言ふことを聞かねば、大変な気の毒、地(智)の下になる
- Ⅹ.大真理が世に出た時の在り方、二二の仕組と一厘の仕組
- ⅩⅠ.大真理が世に出た時の在り方、助かるだけの用意が必要
- 3.まとめ
1.マンデラ・エフェクト 気になる文面 五十黙示録 第五巻 極め之巻
Ⅰ.今現在、世界は九分九厘の所に、御自身が九分九厘に進まないと残り一厘は判らない
第一帖
●世界一家への歩み方、やり方、間違へるでないぞ。九分九厘まで進まねば後の一厘は判らん、今が九分九厘であるぞ、
九分九厘まで進まねば後の一厘は判らん、
とありながら、今が九分九厘、とあります。
もう既に、今現在が九分九厘の所に来ているのですね。
九分九厘に御自身が進んでいないと後の一厘は判りません。
ですから、御自身がまず、その状況に入っている必要があります。
早く、平面から立体に入ってください。
しきまきや、も立体型で進む事が求められているようです。
Ⅱ.神の道は多く見へても、終わりは一つ。今が終わりの一本道に入る所
第二帖
●守護神をよく致せば肉体もよくなるぞ。神の道は一本道であるから、多くに見へても終りは一つになるのぢゃ、今が終りの一本道に入るところ、この道に入れば新しき代は目の前、神も今迄はテンデンバラバラでありたなれど、今に一つにならねばならぬことに、天が命じてゐるのであるぞ。人民の中と外も同様ぞ。今の人民はマコトが足らんから、マコトを申しても耳に入らんなれど、今度は神が人民にうつりて、又 人民となりてマコトの花を咲かす仕組、同じことを百年もづづけてクドウ申すと人民は申すなれど、判らんから申してゐるのであるぞ。
守護神をよく(四九)致せば肉体(二九十ゐ)もよくなります。
守護神、を、しきまきや、の九に致せば、肉体もおのずと、コトに近づき、よくなるようです。
神の道は、一本なので、多くに見えても最後は一つになるようです。
今が終わりの一本道に入る所です。
この道に入れば、新しい代は目の前、です。
神様も今まではテンデンバラバラでしたが、一つになる所に入ってきています。
それは、人民の中、と外、も同じです。
づづけて、は誤字のようです。(書籍は、つづけて、です。)
ですが、意味があるようです。
左四下三の裏側が続いている。
それだけ、裏側が、今現在、重い事を伝えたいようです。
それは、そう簡単ではないようです。
マコトを申しても耳に入らないようになっています。
ですから、同じこと百年もづづけてクドウ申されているのです。
Ⅲ.陽が中、陰が外。陽と陰が和して始めて新しき陽が産まれる。陽が本質的なもの
第六帖
●和すには5と5でなくてはならんが、陽が中、陰が外であるぞ、天が主で地が従ぞ、男が上、女が下、これが正しき和ぞ、さかさまならん、これが公平と申すものぢゃ、陰と陰と、陽と陽と和しても陰ぢゃ、陽と陰と和して始めて新しき陽が生れる、陽が本質的なもの、この和し方がはらひきよめ。
正しい和の順、
天が主、智が従。男が上、女が下。
これは以前からありましたが、陽が中、陰が外、は初めてと見ます。
そして、陽、と陰が基軸の説明となっています。
陰と陰、陽と陽と和しても陰であり、陽と陰と和して始めて新しき陽が産まれます。
新しき陽を生む。
陽が本質的なものであり、この和し方がはらひきよめ、です。
Ⅳ.こ(九、光)の神様には、何一つ判らない、出来ないと申す事ない、どんなことでも致して見せる
第七帖
●今まで世に落ちてゐた神も、世に出てゐた神も皆一つ目ぢゃ、一方しか見へんから、世界のことは、逆の世界のことは判らんから、今度の岩戸ひらきの御用は中々ぢゃ、早う改心して こ(九、光)の神について御座るのが一等であるぞ。外国の方が早う改心するぞ、外(幽)国人とは逆の世界の人民のことであるぞ。神の目からは世界の人民、皆わが子であるぞ。世界中 皆この神の肉体ぞ、この神には何一つ判らん、出来んと申すことないのぢゃ。どんなことでも致して見せるぞ。
一方しか見えない世界。
それは、我によって、可能性を狭くした世界です。
その結果、平面となった世界です。
逆の世界は、しきまきや、より産み出し続ける世界には、存在していますし、実際存在しています。
故に、体験、経験しないと判らない世界です。
この神、が、光の神、九の神、という明示も初めてと思います。
九の神となりますと、八までとは別世界、〇九十(マコト)の意味も判って来ると思います。
外国人とは、逆の世界の人民のコトですが、
これは、御自身から見た外国人、そのコトは中々判りにくくあります。
ですが、ここに、答えがある、という事が判って来ると思います。
ですから、九の神様の目からは、世界の人民、皆わが子となりますし、世界中が、皆この神の肉体、となるのです。
そして、こ(九、光)の神様が何一つ判らない、できない、と申す事は無いのです。
どんなことでも致して見せる、とあります。
ここで気になるのは、致して見せる。という事です。
御自身がする、という事も勿論ありますが、
致して見せる。という事。は、
その世界に移行している世界観も大きくあると見ています。
Ⅴ.タテコワシとタテナホシが一時にくる
第十一帖
●陽(ひ)あたりのことと、陽かげのことと一時に出て来るのぢゃ、タテコワシとタテナホシが一時にくるのぢゃ、神の申した通りになって居ろうがな、学で説くと学の鬼に囚われるぞ、智で説くと智の、理で解くと理の鬼に囚われる、このままに伝へて下されよ。天の世界も潰してはならん、地の世界も潰すわけには参らんが、地上の事は潰さねば建直し六ヶ敷いなれど、見て御座れよ、一厘(理云)(リン)の火水でデングリ返して、見事なことをお目にかけるぞ。
現在、タテコワシとタテナホシが一時に来ています。
陽(ひ)あたりのことと、陽かげのことが、一時に出て来ているのは、社会全体で見ますと判ると思います。
学、智、理、で解くと、囚われるようです。
そのまま、神の申す通り、素直に行じ、進めてください。
天の世界、地の世界、は潰すわけにはいかないのですが、地上の事は潰さないと建直し難しいようです。
ですが、一厘の火水でデングリ返し、見事なこと(コト)をお目にかけるようです。
天の世界、地の世界、潰さずして、地上を潰し、見事にお目にかけるようです。
Ⅵ.悪いくせを治すのが、御神業。二度目の登場です
第十二帖
●口先ばかりで、その場限りでうまい事申して御座るが、それは悪の花、心と行が伴わんからぢゃ。己(おのれ)自身のいくさが終ってゐないからであるぞ。そなたのもつ悪いくせを直して下されよ、それが御神業ぢゃ。神々様も自分のくせを直すために御苦労なさってゐるぞ、そのために生長する。昨日の自分であってはならんぞ。六十の手習でとまってはならん、死ぬまで、死んでも手習ぢゃ。お互におろがめよ、おがむと総てが自分となる、おがむところへ集まって来て弥栄ぢゃ。
この文は、この一周の間に以前読んだ事があると思っています。
前回は、以前からあった文なので、あえて取り上げなかったのですが、
二度目なので、今回は、御伝えします。
悪いくせを直すのが、御神業です。
心と行が伴わないとならないのです。
口先ばかりではならないのです。
神々様も、自分のくせを直すために御苦労されていますし、その為に生長するのです。
昨日の御自身であってはなりません。
六十の手習いで止まってはなりません。
死ぬまで、死んでも手習いです。
お互いにおろがんでください。
おがむと総てが御自身となります。
おがむところへ集まってきて、最後は弥栄するようになります。
Ⅶ.正とか不正とか申す平面的衣を早うぬいで下されよ。二度目の登場です
第十四帖
●正しくないものが正しい方に従はねばならんと人民申して御座るなれど、正とか不正とか申す平面的衣を早うぬいで下されよ。マコトを衣として下されよ、マコトを衣にするには心がマコトとなりなりて、マコトの肉体とならねばならん、マコトとは数(かず)ぢゃ、言(こと)ぢゃ、色ぢゃ、その配列、順序、法則ぞ。
正とか不正とか申す平面的衣。
早うぬいで下されよ。
こちらも、この三か月で、読んでいて二度目の文面です。
何度も遭遇する文面はやはり重要、とみています。(笑)
平面的衣は脱ぐところにきています。
平面的衣のままでは、より苦しむ流れとなります。
マコトを衣としてください。
その為には、心がマコトとなり、マコトの肉体とならねばなりません。
マコトとは、かず、こと、いろ、その配列、順序、が法則です。
この文面に近い内容は、黄金の巻にもあります。
再度、繰り返しで、新たに増えたと見ています。
Ⅷ.頭さげて低うなって見なされよ、必ず高い所から流れてくるぞ
第十六帖
●頭さげて低うなって見なされよ、必ず高い所から流れてくるぞ。高くとまっているから流れて来んのぢゃ、神のめぐみは水のように淡々として低きに流れて来るぞ、自分が自分にだまされんように心して下されよ、善悪をきめて苦しんで御座るぞ。世界の片端浜辺から いよいよが起って来たぞ、夜明け近づいたぞ。
以前よりあった文面ではありますが、重要な文面、と見ていますので改めて記載します。
高くとまっていると流れないのですが、頭さげて低ううなると、必ず高い所から流れてきます。
神様のめぐみは、水のように淡々として低きに流れてきます。
御自身が御自身に騙されないように心してください。
どうしても、善悪を決めて苦しんでいる所があります。
表をみる程に善悪に苦しみますので、元に心を向けて下さい。
世界の片端浜辺からいよいよが起こってきます。
夜明けが近づいています。
Ⅸ.ヤマに逃げても駄目、カミの御旨の中、山に移りて海に入れよ、の時へ
第十七帖
●今迄の、のがれ場所はヤマであったが、今度はヤマに逃げても駄目、カミの御旨の中であるぞ、山に移りて海に入れよと申してあろう、今度のことぞ。
今回初めての文面と見ます。
今迄ののがれ場所はヤマでした。
ですが、今度はヤマに逃げても駄目です。
カミの御旨の中に進む以外にありません。
御自身の中、元、神の御旨の中に進んで下さい。
山に移りて、とは、御三体の大神様として、二二の仕組に移ってください、という事です。
海に入れよ、とは、ウ三二、入れよ、との事です。
今度(九ん土)のコト(九十)、の事なのです。
Ⅹ.天界の出来事は必ず地上に移る、地上の状態で、早くも遅くもなり、時によっては順序も違う
第十八帖
●この神示は、神と竜神と天人天使と人民たちに与へてあるのぢゃ。天界での出来事は必ず地上に移りて来るのであるが、それを受け入れる、その時の地上の状態によって早くもなればおそくもなり、時によっては順序も違ふのであるぞ、人民は近目であるから色々と申すなれど、広い高い立場で永遠の目でよく見極めて下されよ。寸分の間違ひもないのであるぞ、これが間違ったら宇宙はコナミジン、神はないのであるぞ。
御神示は、神様、竜神様、天人様、天使様、人民達、に与えています。
この文面も初めてと見ています。
天界の出来事は必ず地上に移って来るのですが、それを受け入れる、その時の地上の状態によって早くも遅くもなり、時によっては順序も変わります。
広い高い立場で永遠の目で見極めて下さい。との事です。
寸分の間違いもありません。
これが間違ったら宇宙はコナミジン、神はないのと同じになります。
ⅩⅠ.新しき世界の宮は土地(神智)(十千)、住所(数真意)(すまい)、下には永遠の腕がある
第二十帖
●新しき世界の宮は土地(神智)(十千)であるぞ、住所(数真意)(すまい)であるぞ、永遠に在(おわ)す神は住む(澄む、数務)土地(十千)であるぞ、下には永遠の腕(宇丁)(うで)があるぞ。
文面の最後、下には永遠の腕がある、は初めてと見ています。
新しき世界の宮は、
土地(神智)(十千)であるぞ、住所(数真意)(すまい)であるぞ、
とあります。
十千、数の真の意を理解しなくては進めないようになっています。
永遠に住す神様は、澄む土地(十千)です。
下には永遠の腕(うで)があります。
うで、とは、裏の四四の仕組です。
そこから永遠に産み出し続ける事ができます。
2.マンデラ・エフェクト 気になる文面 五十黙示録 第六巻 至恩之巻
Ⅰ.岩戸びらきは、それぞれの立場で違ふところがある
第一帖
●岩戸(言答)びらきと申してあるが、天は天の、地は地の、人民は人民の、動植物は動植物の、それぞれの岩戸をひらくのであるから、その立場々々によって違ふところがあるぞ、それを自分のものさしで計って、岩戸ひらきとはこんなものぞと定めてゐると、いよいよ判らん時代となってくるぞ、気つけおくぞ。
岩戸びらきは、天は天、地は地、人民は人民、動植物は動植物。
それぞれの岩戸をひらく為、その立場々々によって違ふところがあります。
ですから、岩戸ひらきとは、こんなものと定めていますと、いよいよ判らない時代になります。
それぞれのお役割はどのような可能性もありそうです。
一切は、千変万化していきますから、どのように変わるか楽しみにしておきましょう。(笑)
Ⅱ.フトマニについて
第二帖
●フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ、神示では012345678910と示し、その裏に109876543210があるぞ、〇九十(マコト)の誠であるぞ、合せて二十二、富士(普字、不二)(フジ)であるぞ。神示の始めに示してあろう。二二(富士)は晴れたり日本晴れぞ。
第三帖
●判るように説いて聞かすから、今迄の智を一先づすてて、生れ赤児となりて聞いて下されよ。天之鈿女(あめのうづめ)の命が天照大神に奉った巻物には12345678910と書いてあったのぞ。その時はそれで一応よかったのであるなれど、それは限られた時と所でのことで永遠のものではないぞ。
第四帖
●この時代には一二三四五六七八九十の数と言葉で、死者も甦る程の力があったのであるなれど段々と曇りが出て来て、これだけでは役にたたんことになって来たのぞ。岩戸開きの鍵であったが、今度の岩戸ひらきには役にたたんようになったのであるぞ。始めに⦿がなくてはならん、⦿は神ぞ。
こちらの文面もその多くは、以前より伝えてあった内容と同じです。
ですが、今回、綺麗に判りやすい順に並んだと見ています。
また、最後に、始めに⦿がなくてはならん、⦿は神ぞ。が新たに加わったと見ています。
フトマニは、大宇宙の法則であり秩序です。
御神示では012345678910と示し、その裏に109876543210があり、
〇九十(マコト)がマコトの誠です。
合せて二十二、これが富士です。冒頭から伝えていた二二の仕組です。
アメノウズメのミコトが、天照大神様に奉った巻物は、〇、が無いようです。
その時は、それで良かったようですが、やはり永遠のものではありません。
この時代には、一二三四五六七八九十の数と言葉で、〇が無くとも、死者は甦ったようですが、段々曇って来て、これだけでは役にたたないようになったのです。
この時の、岩戸開きの鍵でもあったのですが、今度のイワトひらきには、役に立たないようです。
始めに⦿が無いとならないようです。⦿は神様です。
産み出す事が求められるようです。
Ⅲ.八では足らない、十、〇でなくてはならない、立体に進む事が求められる
第六帖
●四と八によってなされたのであるから、森羅万象の悉(ことごと)くがその気をうけてゐるのであるぞ。原子の世界でもそうであろうが、これが今の行き詰りの原因であるぞ、八では足らん、十でなくてはならん、〇でなくてはならんぞ。岩戸ひらきの原因はこれで判ったであろうがな。
現在、私が勧めています、しきまきや、
一面的な、しきまきや、だけでは足らないようです。
それでは、四であり、八、に留まるようです。
十、〇、となるには、平面、から立体、に進む必要があります。
これまで、岩戸が閉ざされていたのは、四、八止まりだった為です。
現在の森羅万象、悉くが、その気を受けてゐるのです。
岩戸開きは、八で留まらず、十、〇に進む必要があります。
Ⅳ.初登場、別天津神(ことあまつかみ)五柱
第七帖
●根本の元の元の元の神は〇から一に、二に、三に、四に、五に弥栄したのであるぞ、別天津神(ことあまつかみ)五柱と申してあろうがな、五が天であるぞ。五は数であるぞ、転じて十となるなれど、動き栄へるには+と-の神が現われねばならん、これが中を取り持つ二柱の神ぞ。
根本の元の元の元の神様は、〇から一に、二に、三に、四に、五に、二二の仕組で弥栄したようです。
それが、別天津神(ことあまつかみ)五柱、と呼ぶようです。
別天津神(ことあまつかみ)五柱、は初めての登場と見ています。
五が天であり、五が数です。
転(・)じて十となるのですが、動き栄へるには、+(プラス、かみ)、-(マイナス、ひ)の神様が現れなければならないようです。
これが、中(なか、無火)を取り持つ二柱の神様です。
Ⅴ.総て地(智)にゆかりのある神々様は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐた
第十帖
●国常立神も素盞鳴命も大国主命も、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、地は智の神が治(し)らすのぞと知らしてあろうが、天運 正にめぐり来て、千(智)引の岩戸(言答)はひらかれて、これら地(智)にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、これが岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵であるぞ。
国常立神様も素盞鳴命様も大国主命様、全て地(智、千)にゆかりある神々様は、
九(光)と十(透)の世界に居られて、時が来るのをおまちになってゐたのです。
今回の、お待ちになってゐた、という状況は初めてと見ます。
地は智の神様が知らす流れなのです。
天運、千(智)引の岩戸(言答)はひらかれ、地(智)にゆかりのある大神様が現れるのです。
この事が岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵です。
Ⅵ.判らないのは、ナギの命、ナミの命、一面しか見ていない為
第十一帖
●いよいよ判らんことが更に判らんことになるぞと申してあるが、ナギの命の治らす国もナミの命の治らす国も、双方からお互に逆の力が押し寄せて交わりに交わるから、いよいよ判らんことになるのであるぞ。
この後、いよいよ判らないことが更に判らない事になってきます。
ナギの命の治らす国、ナミの命の治らす国。
双方から、お互いに逆の力が押し寄せて交わりに交わるから、いよいよ判らない事になってくるのです。
第十二帖
●判らんと申すのは一面しか見えぬことであるぞ、双方を見る目に、早う改心致してくれよ。この白黒まだらな時は長くつづかん、最も苦しいのは一年と半年、半年と一年であるぞ、死んでから又甦られるように死んで下されよ、マコトを心に刻みつけておりて下されよ。
判らないのはその一面しか見えてないことなのです。
双方を見る目に、早く改心いたしてくれよ、と仰っています。
その為には、平面から早く立体に進み、立体弥栄の道に入っていく事が求められるようです。
その為には、平面に留まらず、立体のしきまきや、を起こして行く事が、やがて求められるようです。
この白黒まだらな時、
その多くは、夫婦、親子、兄弟一族の問題。
その他、合わない方との問題。
様々な、人間関係の型で、合わない方との関係性で現れます。
その苦しい時期は、一年と半年、半年と一年、です。
それは、誰もが経験するようです。
御神示は、誰に向けても書いていますから、やがて必ず実現するようです。
一年と半年、半年と一年、は、御神示の中では、以前は一か所だけ、だったと思っていますが、
今現在は二か所に増えています。
故に、一年と半年、半年と一年、の問題は、まず一番最初に重要な期間、意識する期間になるようです。
そして、誰もが重要な問題として、向き合うタイミングに入ってきていると見ています。
死んでからまた甦られるように死んでくだされよ。
という事は、実は、
生きていく世界もずっと無事進める事ができるようにして下さい。
という事でもあります。
マコトを心に刻みつけてください。
Ⅶ.八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれない
第十三帖
●死ぬか生きるかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉くが同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。八の世界から十の世界になるのであるから、今迄の八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。
死ぬか生きるかは、人民ばかりではありません。
神々様も、森羅万象の悉くが同様です。
ですから、しばらくは、生みの苦しみが続くようです。
八の世界から十の世界になりますから、今迄の八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれなくなるのです。十方的想念と肉体でなくてはならないようになっています。
それは、日々絶えず、しきまきや、を起こし続けていく事にあります。
さらに、平面から立体で起こす事が求められます。
Ⅷ.総ての位置(一)が転ずる、物質も念も総てが変わる
第十四帖
●八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変るのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ、今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今迄の岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸(言答)ひらきぢゃ。
八方的地上が、十方的地上になるのは、総ての位置(一)が転ずるのです。
ですから、始まりから変わるようです。
故に、終わりまで変わるようです。
過去、未来、男性、女性、陰、陽。物質、念。
総て変わるのです。
これが元の元の元の大神様の御神策です。
今迄は時が来なかったので、知らすことが出来なかったのですが、愈々が来たので、皆に知らす時が来たのです。
百年も前から洗濯、掃除、と伝えてきたのは、今日の為、岩戸ひらきの為です。
今迄の岩戸ひらき、と同様ではない、末代に一度の大岩戸ひらきになります。
Ⅸ.今度言ふことを聞かねば、大変な気の毒、地(智)の下になる
第十五帖
●神の申すことは一分一厘違はんのであるぞ、今度言ふことを聞かねば大変な気の毒となるぞ、地(智)の下になって了ふのであるぞ、12345678の世界が12345678910の世となりて、012345678910の世となるのぢゃ、012345678910が【マコト】と申してあろうがな。裏表で二十二ぢゃ、二二の五ぢゃ、二二(ふじ)は晴れたり日本晴れぞ、判りたか。
神の申されることは一分一厘違いはないのです。
今度、言ふことを聞かないと、大変な気の毒、地(智)の下になって了ふ、とあります。
地(智)の下ですから、地(千、智)の下の存在となるのです。
それは、地の肥料となるようです。81の世界として、それは実現するようです。
12345678では、そのまま現在の世界のです。今と変わらず、81の世界に進みます。
ですが、神の申す通り素直に進み、12345678910の世と進み、012345678910とマコトとなりますと、二二が晴れるのです。
表裏の二十二が晴れるのです。
二二の五は、一つは、別天津神(ことあまつかみ)五柱を意味しているでしょう。
〇一二三四五、です。
それで、二二が晴れたり日本晴れ、となるのです。
Ⅹ.大真理が世に出た時の在り方、二二の仕組と一厘の仕組
第十六帖
●太陽は十の星を従へるぞ、原子も同様であるぞ。物質が変るのであるぞ、人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ、二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝に・(テン)を入れることであるぞ、これが一厘の仕組。二二となるであろう、これが富士の仕組、七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、なりなりあまるナルトの仕組。富士(不二)と鳴門(ナルト)(成答)の仕組いよいよぞ、これが判りたならば、どんな人民も腰をぬかすぞ。
文面そのものも、ある程度は以前からありましたが、
複合的に合わさり、より大真理の世界観が詳細になってきました。
太陽は十の星(火四、一四)を従え、原子も同様です。物質が変わるのです。
人民の学や智では判らない事ですから、改心が第一です。
やがて、脳の構造まで変わって行くでしょう。
十種の神宝に・(テン)を入れる(一〇流)コト、これが(九〇我)一厘の仕組(四九三)、です。
二二となる事が判るでしょう。
七から八から成り成りて(七理七理て)十(カミ)となる仕組み。
ナリナリ(無リ無リ)あまる(永劫の過去への真の流れ)ナルトの流れ、です。
これが、二二とナルトの仕組です。
ⅩⅠ.大真理が世に出た時の在り方、助かるだけの用意が必要
第十六帖
●一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、それでは終りは完う出来ん、九分九厘で【リンドマリ】ぞ、神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、卍(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助けると申してあろうがな、助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。用意はよいか。このこと大切ごと、気つけおくぞ。なりなりなりて十とひらき、二十二となるぞ、富士(普字)晴れるぞ、大真理世に出るぞ、新しき太陽が生れるのであるぞ。
一方的に一神でものを生みだす事。
この事は、人類史では、これまで何度もしてきました。
神道も仏教もキリスト教も同じです。
ですが、それは平面のままだった為です。
ですから、良い所、高次元世界まで。
我のある世界では、高次の教祖達は、大臣止まりとなり、81の世界となって終わり、高次になる程、多大なカルマを蒔く元となり、その結果、多くの方々が苦しむ世界から、一からやり直し、となるのです。
卍(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助ける、には、立体弥栄の道に進む以外ないようです。
その直後に、
助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。用意はよいか。このこと大切ごと、気つけおくぞ。
とありますが、その後、していく事も、察する事が出来る方は、なんとなく判って来るでしょう。
私が以前からセッション内でもお伝えしてきた事ですし、裏の仕組でもお伝えしてきた事です。
助かるだけの準備は、助かるだけの用意が必要なのです。
そこで、まずは、しきまきや、を起こし続けていく以外ないのです。
さらに、立体のしきまきや、と進んで行く事です。
悪い癖を治し、平面的頃を脱いでいく事も求められます。
洗濯、掃除、改心、が求められます。
なりなりて、十とひらき、二十二となります。
その先には、新しき太陽が産まれます。
岩戸ひらきの後の世界が、二帖続けて、明確に記されるようになってきました。
至恩之巻、ですから、至恩の先に行く世界が十とひらき、二十二、となる世界なのです。
3.まとめ
岩戸ひらきの開く世界が、かなり判ってきたと思います。
今が九分九厘。
神の道は沢山あっても、終わりは一つ、今が終わりの一本道に入る所。
どんなことも、致して見せるぞ。
天の世界、地の世界、潰さずして、地上を潰し、見事なことをお目にかけるぞ。
悪い癖を治す時。
平面的衣を脱ぐ時。
八では足らない、八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれない。
十、〇でなくてはならず、立体に進む事が求められる。
別天津神(ことあまつかみ)五柱が初登場。
総て地(智)にゆかりのある神々様は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐた。
総ての位置(一)が転ずる、物質も念も総てが変わる
今度言ふことを聞かねば、大変な気の毒、地(智)の下になる
大真理が世に出た時の在り方
二二の仕組と一厘の仕組、
助かるだけの用意が必要。
といった事が伝えられていました。
ですが、愈々、岩戸開きの後の世の事については、かなり具体的に伝えられるようになってきました。
総ての位置(一)が変わるのですから、ちょっと想像はつきにくい世界です。
ですが、その為には、助かるだけの用意が必要です。
しきまきや、を平面から、立体に、どんどんと進めてください。