痛む場所は、サウジの前世と同じ場所、右肩の裏側でした。
サウジの浄化時に少なくとも数名、恐らくは10名以上この場所に存在していた感がありましたので、当初その内の1名だと思っていましたが、その通りでした。
テーマも同じと踏んでいました。愛の喪失・・・。と思い受けたのです。
2019年3月21日。前回より約5ヶ月ぶりです。
1.生い立ち
大名の家臣の子として神戸に生まれる。
仕えている大名には男の子が生まれず、戦国時代という背景もあり、やはり男の子がどうしても欲しいのだった。
自分の親は大名の家臣(部下)だった。
立場的な事もあるが、子供を大名に養子として差し出された。それは7歳頃。
家臣という立場上、生みの両親は反抗しにくい事情もあった。
ただ、戦国時代の価値観であれば、皆が良かったとも思った。
しかし、そこは大人の価値観、親の都合。
子供はそうだとも思っていない。
やがて成長し、17歳くらいの頃。大名の元、家臣の指揮を執る立場になる。
自分の親を部下として指揮を執らなくてはならない事にも苦しむ。
2.生みの親と育ての親のそれぞれの思い
実の母親は複雑な思い。
子供を大名の子として本音は差し出したくはなかったが、時代の流れとして最終的には案外納得して差し出している。
父親はもう従うしかないと思っていたので、そのまま従う。
むしろ差し出せる事が光栄にも思っているくらい。
大名(君主)は生き残りをかけているので、跡取り問題がどうしても最重要。
また、他にも養子を設けており、自身は複数の養子の内の1名という位置付け。
あくまで家督相続者候補の1名であって、その事以外にはあんまり頭に無い。
会話は勿論、大名の跡取候補としての内容が殆ど。
側室はそもそも子供が宿らなかった。
それなりにかわいがってはもらったものの、自分の体裁がやはり第一。
また他の養子に最も気に入っていた者がいた。
実はその子を跡取にしたかったようだった。それは自分も薄々判っていた。
(実際には、彼が跡取りになったようです)
3.実際の対話内容
当初、繋がった瞬間、いきなり
「私の苦しみが判るか!」
というきつい口調から始まりました。
最初、状況を聴いている限り、4名の親が居たので、それ程不自由感が無いと思ったのです。前回のサウジの時から比べますと、4名の親が居るだけましだと思っていたのです。
ですから、最初はその苦しみの原因がイマイチ判らなかったのですね。
親がいる以上、まだ突破口がありそうですし。
しかし、親がいても必ず良い関係を築けているかは別問題なのです。
生みの親、育ての親がどのように思っていたのか。
そして、彼がどう理解して欲しかったのか。
一旦、帰宅してから気付いたのですね。
「私の心と、本音で向き合って欲しかった」
これが彼が一番伝えたかった事だったのです。
確かに身元は誰かに見てもらっていましたが、心から会話できた人が居なかった。
これが一番辛かった事だったのです。それは7歳からずっとです。
特に17歳以降、実の親に命令しなくてはならない状況は本当につらく、年を取るに従いどんどん本音で語れなくなるのです。この事を死ぬまで抱えていた事が本当に苦しかったのですね。
4名の親。
また、君主と家臣。
それぞれの立場を考えた上で話をしなくてはならなかった。
この事を、その後も立場上誰にも言えず、ずっと死ぬまで抱えていなければならなかった。
自分を理解している人がいなかった事に対する苦しみ。
これを理解してほしかったのです。
この事を理解した事を伝えると、最後は、彼はニコニコしてくれました。
この日の肩の痛みはここで抜ける事になります。
4.その後判った事
彼は、525回目の転生。1521年神戸生まれ。
21歳の時に大名の元から書置きしてだまって跡にする。
その後、島津家の家臣に仕官。晩年は島津家の軍師に。
北条家との戦いで、豊臣軍に付くことになる。この時は主に北条家との交渉役。
名前も何回か変わっているが(この時代は珍しくない)、豊臣秀吉に何故か気に入られ、最終的な名前もその影響があるよう。ウィキペディアにも載っている名ですが、別の人の手柄を取っているようで、載っている内容とは全然違うのです。戦いの世にはよくある事ですけどね。勝った側の都合で書き換わっているのです。
但し、恩義は島津家にあるという事で、最終的には島津家に帰る事に。(豊臣家から見ると島津家の監視役という意味もあったようです)
1600年没。享年79歳。
ちなみに生まれた神戸の大名はその後、別の大名に吸収されているようです。どうも神戸時代の大名は名が消えているようですね。
これらは、オーリングによって判った事です。
これはその日の内、1日で解消された前世でした。
(一旦帰ろうとしていますが、原因が判りその日の内に解消しました)
私の前世は男女通じて戦国日本で10人近く存在していますが、その内の1人の前世でした。
5.まとめ
ここで重要だと思った事。
親が子供に対する接し方ですね。
時代によっては子は親の所有物的存在。親の都合としての存在。こういった価値観は珍しい訳ではありませんでしたが、その程度、状況、接し方次第では、子供は心に傷を背負う事になります。
誰でも幼少の時の辛い思い出は忘れられないものです。因果応報という点でもした事はされますので、自身が子供の時に苦しかった事はやはり親の時には繰返さないようにしたいですね。子供と言っても、何万と輪廻転生した結果の存在ですから、子供であっても、心と向き合う事が本当に重要なのだと思います。
また、自分の子供は自身のご先祖様という事もよくあります。
親子関係のカルマ。その因果は繰返している事も多いです。その子との関係において、前世からのカルマ解消や使命、親子関係ごとに様々な意味がありますので、念頭に入れて接してみてください。
その答えは、やはり子供の心と向き合う事にあると思います。