運を開くには、
言葉をつつしめばよい。食べ物をつつしめばよい。
と、御神示にはあります。
更に、此の道に進む為に、もう1つ大切な事をつつしむ。
のが良いという事に最近気付きました。
それは、時間、です。
時間の使い方を大切にしますと、時節が来るのです。
それは、此の道が開く、とも言えます。
時節とは、時を節する、と書きます。
時間を節する事で、時節はやってくるようになります。
特に、この九月、十月、重要な時節に差し掛かっている方が増えて来てゐます。
目まぐるしく忙しくなってきているのであれば順調です。
今回はこの事について伝えたいと思います。
1.運のひらき方の文面について
運のひらき方についての詳細は、冬の巻の補帖、にあります。
ですが、これを全て読み続けていきますと、とある事が重要である事に気付いたのです。
直接的には書いていませんが、一聞いたら十判っていく方には当然のように判るのではないかと思います。
Ⅰ.運、ひらく事の、全ては、皆、御自身から始まります
●病、ひらくことも、運、ひらくことも、皆 己からぢゃと申してあろう。誰でも、何でもよくなるのが神の道、神の御心ぢゃ。親心ぢゃ。悪くなると云ふことないのぢゃ。迷ひが迷ひ生むぞ。もともと病も不運もない弥栄のみ、喜びのみぢゃ。神がよろこびぢゃから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。この道理よくわきまえよ。
病、ひらくこと。
運、ひらく事。
皆、御自身から必ず始まります。
御自身の内から変えて下さい。洗濯、掃除、改心、です。
そして、どのような方であっても、何でもよくなるのが神の道で、神様の御心です。
悪くなると云ふことはないのです。
ただ、最初の内、特に此の道に入って1年半程は、苦しい時があります。
ですが、此の道に進んでゐれば、着実に良くなります。
なお、神様の道に背き、我、で進む以上は、悪くなり、苦しみ続けても仕方ないのです。
神様の道から外れているからです。
此の道に進んでゐる間は、悪く進むように思えていても、進んでいる実感があるので判ります。
ですが、ただ、悪くなる、というのは、神の道に外れている、という事です。
迷ひ、がある内は確かに、迷ひ、を生むでしょう。
囚われに囚われている間は、迷ひます。
元々、病も不運もない弥栄のみです。喜びのみです。
神様がよろこびですから、その生んだもの皆よろこびとなります。
Ⅱ.朝寝しますと、不運となり、仕事なくなります
●毎日々々、太陽と共に、太陽について起き上がれよ。その日の仕事、与へられるぞ。仕事いのちと仕へまつれよ。朝寝するからチグハグとなるのぢゃ。不運となるのぢゃ、仕事なくなるのぢゃ。神について行くことが祈りであるぞ。よろこびであるぞ。
毎日毎日、太陽と共に、太陽について起き上がって下さい。
その日の仕事、与へられます。
仕事いのち、と仕へまつりて下さい。
朝寝しますと、チグハグとなり、不運となり、仕事無くなります。
これも、その日の仕事をしていくと判っていきます。
神様について行くことが祈りであり、よろこびです。
祈りは、誓を立て祈り、行じ、省みる、です。
省みるから新たな世界を産み出し、誓、行、省みる、は段階を追って変わっていくのです。
此の道を開くにあたって重要な文面です。
Ⅲ.食べ物、食べ過ぎると、病となり、不運となります。まず神様に捧げてから食べて下さい
●食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。口から出るもの、入るもの気つけよ。いくさ起るのぢゃ。人間の病や、いくさばかりでない、国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病となり、不運となってくるぞ。食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのぢゃぞ。 一椀をとって先づ神に供へよ。親にささげよ。子にささげよ。腹八分の二分はささげよ。食物こそは神から、親から与へられたものであるぞ。神にささげずにむさぶるからメグリつむのぢゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運ひらくのも食物つつしめばよい。言つつしめばよい。腹十分食べてはこぼれる。運はつまってひらけん。この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。
食べ物、食べ過ぎると病になるのです。不運となります。
実は、私自身、この1年間、外出の機会が増え、どうしても、外食の機会が増えていました。
肉食、魚食も、どうしても外す事ができませんでした。
そこは、お詫びしてから食べましたが・・・。
何より深刻だったのは、添加物をどうしても接種する事になってしまっていた事です。
これが、食べ物を沢山食べる原因、となってしまいました。
一時、確かに、順調に不食に向けて進んでゐました。一日一食まで行けました。
ですが、その後、食べ物が増えてしまう理由となった最大の理由は、
まず、81の世界へと繋がる前世と繋がる機会が増えた為です。
そして、残る心、確かに獣(ケダモノ)という事を直面させられる流れになってきています。
ですが、この事が、天国に通じる裏側、というのも判ってきています。
この中で、食べ物つつしむ、のはかなり大変です。
ですが、確かに、食べ物を抑えられなくなってきますと、不運、という一面、
に直面する事になります。
今現在、この状況に向き合っています。
そして、つつしむ、事を求められます。
此の道に進んでも、これが、簡単で簡単でない所があります。
ですから、食べる時は神様に捧げてから食べて下さい。
Ⅳ.ささげると、頂けるようになります。衣類、家、土地は、あづけられてゐます
● ささげるからこそ頂けるのぢゃ。頂けたらささげると今の人民申してゐるが、それがウラハラと申すもの。衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。あづけられてゐるのであるぞ。人民に与へられてゐるものは食物だけぢゃ。日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ。
ささげるからこそ頂けます。
頂けたらささげる、と今の人民申してゐますが、それがウラハラです。
衣類も家も土地も、みな神様から頂いたのではありません。
あづけられてゐます。
あづけられてゐる、と考えれば、楽になる方も居ると思います。
人民に与へられてゐるものは、食物だけです。
日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけです。
Ⅴ.食べ物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけます。病治ります。
●その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。人民ひぼしにはならん。心配無用。食物、今の半分で足りると申してあらうが。遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。そんなこと位で、病治ったり、運ひらける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの。理屈悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。 理屈すてよ。すててやって見なされ。みなみな気つかん理(ミチ)、気つかん病になってゐるぞ。ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。
食べ物節する事で、ささげてこそ、運ひらけます。
病治ります。
人民、ひぼしにはなりません。
心配は要りません。食べ物、今の半分で足ります。
遠くて近いもの、ヒフミ、の食べ方してみてください。
判りやすいのは、地産地消の野菜ですが、普段、周囲にあります、キ、もそうです。
大気そのものを、食べて頂ければよいのです。
ですから、ひふみ祝詞を上げる時、周囲、世界と一体になって食べて、唄ってみてください。運ひらけ、病治ります。
うれしうれし、と輝きます。
そんな事で、運ひらける位なら、人民はこんなに苦しまない、と申す方、多いと思いますが、それが理屈、です。確かに理屈で考えているだけなら、悪、となり、囚われになります。そして、自らその道を選ぶ方が圧倒的多数です。その悪多数決の理屈の世になっている事に気付いてゐる方、中々いません。
みなみな気つかん理(ミチ)、気つかん病になってゐます。
ツキモノが、たらふく食べているのですが、食べ物節すれば、ツキモノ改心していきます。
Ⅵ.まず百日、次は一年、そして、三年つづけたら、開運間違ひありません
●先づ百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年つづけたら開運間違ひなし。病もなくなってうれしうれしとなるぞ。三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア。
まず、百日をめあてに進めて下さい。
大体遅くても、80~90日で結果でます。早ければ50日です。
その百日過ぎれば、次は一年継続して下さい。ここでも、次の段階へと進みます。
三年つづけたら、開運間違ひありません。
病もなくなってうれしうれし、となります。
三年目、五年目、七年目、です。
2.時間を節しないと、此の度の時節は来ない
食べ物を節する次は、時間を節する事が求められます。
このつつしむ、節する、という所から、「節」で検索しますと、殆どが時節なのです。
食べ物を節すれば運開けますが、時を節する事で、時節がやって来ます。
ビックリ、を起こして行くには非常に重要な事なのです。
Ⅰ.此の道に進むと、遊び、が遊びで無くなっていく
●死ぬ時は死んだがよく、遊ぶ時には遊べ遊べ、嬉し嬉しざぞ。
●死ぬ時には死ぬのが弥栄ぞ。遊ぶ時は遊ぶがよいぞ。コト=言(光透)と、時と、その順序さへ心得て御座れば、何をしても、何を話しても、何を考へてもよいのぢゃ。
実際には、遊んではならない、という訳ではありません。
遊ぶ時には遊べ、とあります。
ですが、此の道に入りますと、遊びのつもりが遊びで無くなっていく感じです。
例えば、三次元世界でお話をするだけ、言わば遊びのような感覚で接していても、実際には、前世鑑定的な事をしていたり、しきまきや、思念界を変える事をしていたり、結局は、生前からの記憶を呼び起こすような事をしていたりします。
これが普通、となっていきます。
本を読む、漫画を読む、動画を見る。
これも、此の道に進んでいるのであれば、新たな世界を産み出す為のものであれば、それは必要性があるので、よいのです。
ただ、だからと言って、時間を気にせず、本を読む、漫画を読む、動画を見る。
となりますと、特に、行をせず、となりますと、これは、囚われの世界となり、平面の世界に戻ってしまう原因となるので、注意が必要です。
結果の所ではなく、その遊びについて、思念界から産み出せているか、どうか、かなり大きな分岐点です。
Ⅱ.真剣なければ、後戻りになります
●真剣なければ百年たっても同じ所ウヨウヨぢゃ。一歩も進まん。進まんことはおくれていることぞ。真剣なれば失敗してもよいと申してあろうが。省みることによって更に数倍することが得られるのであるぞ。いい加減が一旦成功しても土台ないからウタカタぢゃ。下座の行、大切。
真剣なければ、百年たっても同じ所ウヨウヨです。
一歩も進まないのです。
進まないのは、おくれていることになります。
ですから、遊び、と言っても、結構、真剣に遊ぶ、という流れになります。(笑)
時間の使い方は、非常に大切なのです。
Ⅲ.時節ほど、結構なこわいものありません
●時節ほど結構なこわいものないぞ、時節来たぞ、あはてずに急いで下されよ。
時節の文面だけで言えば、かなりありますが、その中でも厳選してお伝えしていきます。
時節は、結構であり、こわいものです。
我、慢心で進めば、こわいですし、神心となれば、結構となります。
ですが、行を進めていけば、結構、こわい、が判って来るでしょう。
あはてずに進めて下さい。ですが、時を節して、進めて下さい。
Ⅳ.物事遅れますと、気の毒になります
●口と心と行と三つ揃った行い、マコトと申して知らしてあろが。時節来てゐるなれど、わからん人民多い故 物事遅くなりて気の毒なるぞ、今暫くの辛抱なるぞ、神は人民に手柄立てさしたいのぢゃ、
心・口・行、三つ揃った行い、マコト、です。
時節は来てゐるのですが、わからん人民は多いので、物事遅くなりて気の毒になります。
此の道は、行じ、省み、我の洗濯、掃除、改心を進めていかないと判らないようになっています。
此の道進んでいる方は、今暫くの辛抱です。
神様は、人民に手柄をさせたいのです。
Ⅴ.時節にはかないません。御神示通りになってきます
●愈々時節来たのであるから、何と申しても時節にはかなわんから、神示通りになって来るから、心さっぱり洗ひ晴らしてしまふて、持ち物さっぱり洗ひかへしてしまふて、神のみことに生きて呉れよ、みことになるぞ、タマぞ、ミコト結構ぞ。
愈々時節来てゐますので、何としても、時節にはかなわいのです。
御神示通りに既に結構になってきていますから、心さっぱり洗ひ晴らして、持ち物さっぱり洗ひかへしてしまふて、神様のみことに生きて下さい。
みこと(三九十)になります。
みこととは、御三体の大神様の型にもなりそうです。
タマ、ミコト、結構です。
御神示通りに、大きな事、小さな事、次々実現していけば、順調です。
Ⅵ.いずれも我折って一つに集まる仕組みです
●時節には従って下されよ、逆らはず、後の立つ様致されよ、後のやり方、神示で知らしてあろがな。何れも我(が)折って一つに集まる仕組ぢゃ、天狗禁物、いづれもそれぞれに尊い仕組ぞ、又とない集団(まどひ)ざぞ。
時節には従って下さい。
逆らはず、後の立つ様に致して下さい。
後のやり方、御神示でも知らしてある通りです。
何れも、我、折って、一つに集まる仕組みです。
天狗が禁物です。いづれも、それぞれに尊い仕組です。又とない集団(まどひ)です。
Ⅶ.負けが勝ちになります
●時節に従って負けて勝つのざぞ、負けが勝ちぞ、判りたか。
時節に従って、負けて勝ちます。
負けが勝ちです。メグリが取れて行きます。
この局面は、結構ありますし、双方更にお互いが我を折って、心の底からのお詫びができていれば、勝ちです。
まとめ
今現在、新たな道が進み出し、分岐点が凄い事になってきていると思います。
この為、もう目まぐるしく忙しくなってきている方も多いと思います。
それだけ、時間を節していかないと、時節が来るはずが、来ない、といった事にもなりかねません。
物事遅れる程に苦しくなっていきます。
運を開くには、まず、食べ物を節するがありますが、時間を節して下さい。
そして、行じて下さい。省みて下さい。我の洗濯、掃除、改心を進めて下さい。
更に、心・口・行を一致させて下さい。その上で、神様の・を入れて行って下さい。
すると時節が来ます。此の道が開くのです。
旧九月八日(10月10日)まで、油断なく、一段一段、進めて行って下さい。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。