九の道で実現した事 31 三ラ(ソラ)の巻① 2024年6月5日現在

九の道で実現した事

続いて三ラ(ソラ)の巻へと進みます。

ソラの巻が、三ラの巻という読み方も既にマンデラ・エフェクトです。
三が道から産み出す。御三体の大神様を産み出す。といった意味があります。

そして、その内容にふさわしい感じで、三ラ(ソラ)の巻の内容そのものも、ビックリのマンデラ・エフェクトを起こしてゐます。

愈々の大道、ひらく時来てゐます。

旧五月五日(6月10日)を目前にしていますので、愈々の時が来てゐますので、気を付けて読んで下さい。

それでは、三ラ(ソラ)の巻へと進みます。
今回も二回に分けてお伝えします。

目次

1.三ラ(ソラ)の巻① 実現したもの 2024年6月5日現在

Ⅰ.ひふみゆらゆら、と一回二回三回となへまつれば、蘇(よみがえへ)ります

第二帖
ひふみゆらゆらと一回二回三回となへまつれよ、蘇(よみがえへ)るぞ。

これは、礼拝の時にして頂ければ、と思います。
思われた方から始めて見てください。

実際、蘇るだけでなく、よみ(四三)がえへる(得経る)のです。

この時、面白いのが、よみがえへる、という読み方にされてゐるという事です。

Ⅱ.御神示が判らないのは、我があり、曇りてゐるからです。五人分仕事をすれば、判りて来ます

第七帖
これだけ細かに神示で知らしても未だ判らんか、我があるからぞ、曇りてゐるからぞ、先づ己の仕事せよ、五人分も十人分もせい出せと申してあろ、五人分仕事すれば判りて来るぞ、仕事とはよごとであるぞ、仕事せよ、仕事仕へまつれよ、それが神の御用ざぞ。

御神示で知らしても判らないのは、我、があるからです。
これが大きいと思います。

更には、曇りてゐるからです。

先ず、御自身の仕事を、進めて下さい。
五人分、十人分の仕事をしていけば判ります。

五人分とは、思念界から変える行をしないとできない事が分かってきます。
平面世界では、どうやっても、四人分までなのです。

五人分の仕事すれば判りて来ます。

仕事(四五十)とはよごと(四五十)です。

四の動きの神様となれば判ってきます。

Ⅲ.急がば廻りて下さい。一足飛びに二階には上がれません

第七帖
神の御用ざと申して仕事休んで狂人(きちがい)のまねに落ちるでないぞ、静かに一歩々々進めよ、急がば廻れよ、一足飛びに二階にはあがれんぞ、

神の御用ざと申して、仕事休んで狂人(きちがい)のまねに落ちない事が大切です。

四五十がまず大切なのです。

静かに一歩一歩進んで下さい。

急ぐのであれば、廻りて下さい。これも経験していきます。

一足飛びに二階にはあがれんようになっています。

ですが、立体の入り方も、三年目辺りから、経験から、コツを掴めるようになってきます。

まず、大欲を抱いて、皆の為の欲を抱いて、行じていきます。そして、欲を捨てて行きます。捨てて求め、今の最善を尽くし続け、それを思念界を変える行、しきまきや、くにつつみ、で起こし続けて行く事にあります。

鼻を折られ続けて、10年以上とかなり長く経ちますが、、直近で、大分、この境地が判ってきました。

Ⅳ.今の仕事悪いと知りつつするは尚悪いです

第七帖
今の仕事悪いと知りつつするは尚悪いぞ、

今の仕事、悪いと知りつつするのは、尚悪いです。
ですが、囚われから、中々止められないものかもしれません。私も此の道に入るまではそうでした。

案外、該当する事も多いと思います。
中々心底、100%良い、と言い切れる職業もそこまでないようにも思っていますし、また、今の仕事でも、100%良い、となれるにも中々です。

今の前世ヒーリングは、今のところ最善と思い続けて、今に至ってゐますが、案外、常々当てはまるような感覚もあります。今の最善を尽くして行きますと、既に、過去の最善とは、悪、苦、となっていく為です。

だからこそ、常に、発展、弥栄していくところもあると見てゐます。

Ⅴ.しごとが、四五十となっていきます。祈れ祈れとは、行じ、省みる事です

第七帖
四五十(しごと)、四五十と神に祈れよ、祈れば四五十与えられるぞ、祈れ祈れとくどう申してあろが、よき心よき仕事生むぞ、嘉事(よごと)うむぞ、この道理まだ判らんのか、神にくどう申さすでないぞ。

四五十(しごと)、四五十(しごと)と神様に祈って下さい。
祈れば、四五十与えられます。

祈れ祈れとくどう申してありますが、祈りとは、行じる事。省みる事。
常々忘れないようにして下さい。

よき心は、よき仕事を産み出します。
嘉事(よごと)うみだします。

ですから、よき(四キ)心を持ち、よき(四キ)仕事を産み出して下さい。

此の道理まだ判らんのか、と伝えられてゐますが、
行じていかないと、四人分、五人分の行をしていかない事には、この道理は判らないようになっています

Ⅵ.衣類、食物に困った時は、竜宮の音秘(オトヒメ)様にお願ひ申して下さい

第八帖
衣類、食物に困った時は竜宮の音秘(オトヒメ)様にお願ひ申せよ。

衣類、食物に困った時は、竜宮の音秘(オトヒメ)様にお願ひ申して下さい。

当初は、不足する処からであり、続いて、食べ物では添加物系の問題だったり、衣類でも環境を悪化させる問題だったり。

やがては、無駄な消費、廃棄の問題。これも、無限に続きます。

できる事なら、最終目標は、しきまきや、を起こす、衣類、食物、だと良いと思います。
生前からの記憶に繋がる衣類、食物、です。

御自身の段階が進むにつれ、お願ひ申す内容も変わっていきます。

お願い、から、おねがひ(根がヒ)、となり、ウシトラコンジン様の我、を永劫の過去から産み出して行く事となっていきますので、是非とも、竜宮の音秘様には、今の段階に応じて、お願ひ申して下さい。

農業を始めたりしますと、また、お願ひ申す事は無限に出て来そうです。

Ⅶ.五柱の生神様にお願ひ申せば災難のがらせて下さります

第八帖
五柱の生神様にお願ひ申せば災難のがらせて下さるぞ、ゆわ、あれ、地震、風、雨、の神様なり、いろはに泣く時来るぞ、いろは四十八ぞ、四十九ぞ。

五柱の生き神様には、お願ひ申せば、災難のがさせて頂けます。
ゆわ、あれ、地震、風、雨の神様です。

岩が、ゆわ、となり、荒れは、あれ、とマンデラ・エフェクトを起こしてゐます。

更には、以前は、五柱の神様、でしたが、今では、生神様、とマンデラ・エフェクトが起こったようです。災難をのがさせて頂いたのは、御自身の思念が、生き神様に通じていたかどうかが、大きいようです。

やがて、いろは、に泣く時が来ます。
苦しくて泣くのではなく、嬉しくて泣きたいですね。

いろは、四十八、四十九、ですから、今のいろは四十八が、四十九に変わるかもしれません。四十九は七七の仕組みでもあります。

Ⅷ.御神示は、その時の心に応じて、磨けただけに、我の心通りに取れますので、同じ御神示が、同じでは無くなるのです

第八帖
神示はその時の心にとりて違はん、磨けただけにとれて違はんのであるから、我の心通りにとれるのであるから、同じ神示が同じ神示でないのざぞ。

行が進んできますと、その改心、がどんどん加速度的になっていきます。

此の道一本に進んでからの三年目の私は、改心の連続でしたから、確かに出てくる文面も次々、新たなものを御目にかかりましたし、また、同じ文面も、違った意味に捉えられる事が増えてきました。

そして、反省の改心もありますが、囚われが無くなったビックリを普通に起こして行く為の改心もあります。
改心も、悪きを善きへ、だけでなく、ビックリ、神学を楽しんで進んでいる所もあるのです。

ですから、我を磨いていく事が大切です。

それは、人を助ける行を、行じ省みない事には判らないようになっています。
御自身の慢心が、結構である事。進む程に判って来るのです。

Ⅸ.此の中に早くから来てゐて、何も知りませんとは、云はれん時来ます、御神示よく読んでゐて下さい

第九帖
この中に早くから来てゐて何も知りませんとは云はれん時来るぞ、神示よく読んでゐて呉れよ。

この中に早くから来てゐて、何も知りません、とは云はれん時が来ます。

一応は、行ぜずとも、七割方判る処はあるのだと思いますが、それが、全て、なるほどなぁ、と判る時が来ます。

その為にも、御神示よく読んでおく必要がありますが、
御神示の主旨とは、何より、洗濯、掃除、改心。みたま磨きですから、我を直していく事にあります。
それは、行じていかない事には、できないようになっていますから、一刻も早く御神示の通り、神様の申す通り、素直に行を進めていって下さい。

Ⅹ.時来たら、説き出して下さい。潮満ちています。早う目覚めませんと他の御用に廻らなならなくなります

第九帖
時来たら説き出せよ、潮満ちてゐるぞ、潮時誤るなよ。早う目覚めんと、別の御用に廻らなならんぞ、ウシトラコンジン様、何事も聞き下さるぞ、誠もってお願ひせよ、聞かん事は聞かんぞ、聞かれる事は聞いてやるぞ。

時来ましたら、説き出して下さい。
潮は満ちています。

潮時誤ってはなりません。
特に、恐いのは、遅すぎる事で、手遅れになってしまう事です。
また、遅すぎて、より苦しい道を選択せざるを得なくなる事です。

ですから、早う目覚めんと、別の御用に廻らなならなくなります。

ウシトラコンジン様、何事も聞き下さります。

誠もってお願ひして下さい。
聞かん事はききませんが、聞かれる事は聞いて頂けます。

ⅩⅠ.時節は到来しています。愈々の蓋あいてゐます

第九帖
時節到来してゐるに未だ気付かんか、人民の物と云ふ物は何一つないのざぞ、未だ金や学で行けると思ふてゐるのか、愈々の蓋あいてゐるに未だ判らんか。

時節到来してゐるにいまだ気付かない方々が多いです。

人民の物と云ふ物は何一つありません。

更には、未だ金や学で行けると思ふてゐる方も多いです。

このように、多くの方々は、そう簡単に改心は難しいです。

愈々の蓋は開いている事。
この事に気付くのは、御自身の行に応じる所があるでしょう。

2.三ラ(ソラ)の巻① これから実現していくもの その1 2024年6月5日現在

Ⅰ.扶桑(二そウ)のみやことなり、極まる神の大道となります

第一帖
なる世、極まりて扶桑みやこぞ、みち足り足りて、万世のはじめ、息吹き、動き和し、弥栄へ、展き、睦び、結ぶ、扶桑の道 鳴りはじむ道、代々の道ひらき、次に睦び、マコトの道にひかり極む、新しき世、出で、みちつづぎ、道つづき、極みに極まりなる大道、極まる神の大道、

なる世、極まりて扶桑みやこぞ、とあります。

扶桑とは、神なる木、や中国から見た東洋の神の国、といった事があるようです。つまり、日本です。
ふそう、ですから、二そウ、ですので、二つの五三体の大神様が産み出す、そういった国、とも言えるかもしれません。

それは、みち足りたリて、万世のはじめ、となります。

息吹き、動き和し、弥栄へ、展き、睦び(むつび)、むすぶ、扶桑の道、鳴りはじむ道。
代々(四四)の道ひらき、次に睦び、マコトの道にひかり極みます。

新しき世、出でて、みち(三千)つづき、道つづき、極みに極まりなる大道、極まる神の大道となります。

Ⅱ.千人力の世とかわり、元津日の大神様、元津月の大神様、元津地(くに)の大神様が弥栄します

第一帖
ひらく世、弥栄神、かく、千木高く栄ゆ世に、世かわるぞ、太神、大神、神出でまして、道弥栄極む、大道に神みち、極み、栄え、更に極む、元津日の大神、元津月の大神、元津地(くに)の大神弥栄。

ひらく世、弥栄神様、かく、千木(ちぎ)高く栄ゆ世に、世かわります。

千木(ちぎ)とは、神殿の上側にある、十字にクロスする木です。
ですが、実際には、千人力のキ、で栄える世になるでのはと見てゐます。

太神様、大神様、神様出でまして、道弥栄極み、大道に神様が満ちます。

極み、栄え、更に極み、元津日の大神様、元津月の大神様、元津地(くに)大神様が弥栄します。

Ⅲ.次に、人は、道を真中としてワとなり、集まりてお互いに拝みます。中心は、道です

第二帖
次に人は道真中にしてワとなり、皆の者 集まりてお互に拝み、中心にまつりまつり結構ぞ、節分からでよいぞ。

次に人は、道真中にしてワとなるのです。

皆の者 集まりてお互いに拝みます。

ですから、道が真ん中にあって、その周囲に人があるのです。
このように、人はチリチリバラバラと言えば、常々チリチリバラバラ、です。

やがて、千理千理、から、裏八、〇、裏八、〇となり、裏から無限に生み出して行く事になると見ています。

そして、拝むのは、中心の道を挟んで、お互いに拝んでいくようです。

ですから、中心にまつりまつり、結構、となります。

それは、節分からで大丈夫、とありますが、今すぐにからでも始めて頂ければ、と思います。

Ⅳ.このお道の導きの親 尊び、どんな事あっても、上に立てて下さい。順みだしては神様の働きが無くなります

第二帖
このお道の導きの親 尊べよ、どんな事あっても上に立てねばならんぞ、順乱しては神の働きないと申してあろがな。

このお道の導きの親 尊んで下さい。
どんな事あっても、上に立てねばなりません。

常に御導きの親、上に立てて進めて下さい。

順乱しては神様の働きが無いのです。

ですが、このように、神様の働きに関しても、かなり具体的に伝え始めています。
このお道のお導きの親、といった言い方は以前にはありませんでしたし、この文面全てが、マンデラ・エフェクトが起こってゐるものとみています。

Ⅴ.直会(なほらい)の際には、神の座 上につくらな、ならなくなります

第二帖
直会(なほらい)には神の座 上につくらなならんのざぞ、神人共にと申してあろがな、末だ判らんのか、順正しく礼儀正しく神にも人にも仕へまつれよ。

直会(なほらい)には、神の座 上につくらななりません。

実際、私も直近では、直会(なほらい)が出て来てゐますので、その為に、神の座 上につくる行があるようです。

今度の引っ越しには、神棚を上につくる事予定ですので、其の通りになっている所はあります。

そうでなくとも、神の座は上に作ってください。
思念界から、常々その意識が求められます。
直会(なほらい)の段階の方は是非意識して下さい。

神人共にと申してあるのです。

末だ判らんのか、とあります。

未だ、が、末だ、と書かれていますので、もう愈々が近づいているのが、この文面からも判って来ると思います。
世の末、は近づいていると見てゐます。この後、旧五月五日(6月10日)から、更には、旧九月八日から、更に更に進んで行きます。

順正しく、礼儀正しく、神様にも人にも仕へまつりて下さい。

Ⅵ.たばねの神様、たばねの人は、後から出ます

第二帖
たばねの神は、束(たばね)の人は後からぢゃ、後から出るぞ。

今まで、前世ヒーリングが中心でしたので、チリチリバラバラに動いてきた事が多かったのですが、今度は、集団(まどゐ)が私の前に現れたのです。それは、5月30日の事でした。ですから、この文面も絶妙なタイミング、です。

やがて、たばねの神様。たばねの人が出て来るようです。

それは、後から出るようになっているようです。

たばねの神様、たばねの人が出て来る段階が、いずれやって来るようです。

ちなみですが、集団(まどゐ)は必要ですが、個々は、一段一段、一人で進んで行く事は常々大切のようです。
べったり、集団(まどゐ)にならない事には注意が必要です。しきまきや、くにつつみ、が起こしにくくなる為です。

Ⅶ.ひふみ四十九柱、五十九柱、神代の元です、天地(あめつち)のはじめ、です

第三帖
ひふみ四十九柱、五十九柱、神代の元ざぞ。あめつち御中ムしの神、あめつち御中ムしの神、あめつちの御中ムしの神、あめつち御中ウしの神、あめつち御中ウしの神、あめつち御中あめつち御中ウしの神、あめつち御中あめつち御中ウしの神、あめつち御中ウしの神、あめつち御中ウしの神、あめつち御中あめつち御中天地(アメツチ)御中ムしの神、天地(アメツチ)御中ヌしの神。天地(アメツチ)のはじめ。

ひふみ四十九柱、五十九柱。神代の元、です。

あめつち御中ムしの神、
あめつち御中ムしの神、
あめつちの御中ムしの神、
あめつち御中ウしの神、
あめつち御中ウしの神、
あめつち御中あめつち御中ウしの神、
あめつち御中あめつち御中ウしの神、
あめつち御中ウしの神、
あめつち御中ウしの神、
あめつち御中あめつち御中天地(アメツチ)御中ムしの神、
天地(アメツチ)御中ヌしの神。
天地(アメツチ)のはじめ。

ムし(六四)の神様、ウし(ウ四)の神様、と続き、最後の最後で、ヌし(ヌ四)の神様、です。

これが天地(アメツチ)のはじめ、です。

ムし(六四)の神様、ウし(ウ四)の神様、は分かりますし、ヌし(ヌ四)の神様、も判ります。
ですが、この並び方の意味については、その時になって判るようになっていると見てゐます。

3.三ラ(ソラ)の巻① これから実現していくもの その2 2024年6月5日現在

Ⅰ.建直しの道は、全てのものが、一二三(ひふみ)、新事(あらごと)として生まれ、元津神様は、真理、真愛、大歓喜の大道として、動いて行きます

第四帖
建直しの道つづき、結び、展く、日月出で、よろづのもの、一二三(ひふみ)とみち、つづき鳴り成り、ひらく大道、真理の出でそむ中心に、マコト動きて、元津神 栄ゆ、元津神は真理、真愛、大歓喜の大道ぞ、うづぞ、神々のうづぞ、ナルトぞ、人のよろこびぞ、代々の大道ぞ、

建直しの道はつづきます。

結び、展く(ひらく)、日月出で、よろづのもの、一二三(ひふみ)とみち、
とありますから、全てのものが、一二三(ひふみ)と満ちていくようになります。

つづき鳴り成り、ひらく大道、真理の出でそむ中心に、マコト動きて、元津神 栄ゆ、
とありますから、ひらく大道は、真理の出でそむ中心に、マコト動きて、元津神が栄える流れにあります。

元津神様は、真理、真愛、大歓喜の大道です。
それは、うづ、であり、神々様のうづ、です。
うづは、螺旋に世界が産み出されていく様子を一つ意味しています。

それが、ナルト(七る十)の仕組でもあります。

人のよろこびであり、代々の大道です

Ⅱ.大道は日神の中心にかへり、また出でて、大道いよいよ満ちます

第四帖
真理、真愛、大歓喜は、中心にひかり、ひらき極まる道ぞ、展き極まる世ぞ、鳴り極み、ひらき、うごく大道、うごき、和し、なり、大歓喜、足りに足り足る世、生れ出づる世、うごき更にひらき、次々に栄え極みて、新しきはたらきの湧く次の大御代の六合つづく道、つづき睦びて、富士晴れ極み、鳴門は殊にひかり出でて、大道は日神の中心にかへり、亦出でて、ひらき、大道いよいよ満つ、焼く神々、早くせよ。

真理、真愛、大歓喜、中心にひかります。
それが、ひらき極まる道です。展き極まる世です。

鳴り極み、ひらき、うごく大道、うごき、和し、なり、大歓喜。
足りに足り足る世。生れ出づる世。

うごき更にひらき、次々に栄え極みる流れ、となります。

新しきはたらきの湧く次の大御代の六合つづく道、
つづき、睦びて、二二が晴れ極み、七る十は、まことにひかり出でて、
大道は、日神の中心にかへり、また出でて、ひらき、大道いよいよ満つる流れとなり、
焼く神々様、早くせよ、と伝えられています。

大道とは、常に、日神の中心にかへりますし、中心に向けて拝むのです。

やがて、ひらき、大道、愈々満つる流れとなります。

焼く(八九)神々様、早くせよ、というのは、
神々様を無き者とした神々様、も勿論ありますし、八の行、九の行をしていく神々様もあります。
八は、カルマ解消。九は此の道、くにつつみです。

つまり、行じていかれる神々様、修業守護の神々様、役員守護の神々様、です。

Ⅲ.尻出される経験をしている方は順調です

第五帖

この絵の意味ですが、地には無限の魂、天にも無限の魂があり、その間に、⦿、渦(神)、月の大神様、があります。

天から見ますと、そこに向かうまでに山がありません。つまり、天(・)は、もう、岩戸は開いている、と見てゐます。

ですが、地から見ますと、その道中に、山があり、その大奥山が、⦿、渦(神)、月の大神様、なのです。

一方、⦿、渦(神)、月の大神様、から地を見ますと、地からは、尻を出されている状況が判るかと思います。

実は、大奥山に向かう事の裏とは、尻出されることなのです。

ここまで、此の道に入り、尻出される経験をしていると、それは、順調、という事です。
そして、その尻出された経験とは、生前の御自身のしてきた事でもあり、それを無くしていく行、が求められるのです。

私自身は、ここまで、結構出され続けて来てゐます。(笑)
ですが、その事によって、メグリを取ってもらい、更には、新たな世界を産み出して頂いてゐるのです。

この絵の意味は、その都度、捉え方があると見てゐますので、是非、行を進め、体験して、それから見て下さい。

Ⅳ.天(アメ)之ひつ九⦿守り、九二のひつ九⦿守り、アメの神様、カチの⦿、ゆわの神様、アレの神様が守ってゐます

第六帖
天(アメ)之ひつ九⦿守る。天之ひつ九⦿守る。九二のひつ九⦿守る。九二のひつ九⦿守る。アメの神、カチの⦿、ゆわの神、アレの神守る。(天明白す。第五、第六帖共、一月六日の神示)

ですから、天(アメ)之ひつ九⦿守る。天之ひつ九⦿守る。
とあります。

九二のひつ九⦿守る。九二のひつ九⦿守る。
とあります。

アメの神様、カチの⦿、ゆわの神様、アレの神様、守る。
とあるのです。

地震の神様が無いのは、気になります。
ひょっとして、地震の神様は、此の道の境地に入りますと、もはや、出て来なくなる可能性もあるかもしれません。

また、風の神様は、カチの⦿、となってゐますし、イワの神様は、ゆわの神様、闇(ゆ)を和する神様へと変わっています。

アレ(渦)の神様の、レは、実際には渦になっていますので、無限にらせん状に守られている神様、にもなる可能性があります。

これらを、先述した第五帖の絵、第六帖、として、天明さんは、知らしています。

ここまで知らしたら、もう、この後の世の事が分かって来るでしょう。

その直後の文面をもう一度書いておきます。

第七帖
これだけ細かに神示で知らしても未だ判らんか、我があるからぞ、曇りてゐるからぞ、先づ己の仕事せよ、五人分も十人分もせい出せと申してあろ、五人分仕事すれば判りて来るぞ、仕事とはよごとであるぞ、仕事せよ、仕事仕へまつれよ、それが神の御用ざぞ。

ですから、五人分の行をしないと、大奥山は判りませんし、真ん中の、⦿、ナルトの仕組、月の大神様、が判らないのです。

ですから、仕事を四五十、として、行じていく事が求められます。

Ⅴ.大智大理交はり、道はあきらか、大愛、大真出でひらく道、ひらきて大智、大愛、和し、交はりて、ひふみの極み、弥栄、弥栄の大道、となります

第七帖
大智大理交はり、道はあきらか、大愛、大真出でひらく道、ひらきて大智、大愛、和し、交はりて、ひふみの極み、弥栄、弥栄の大道ぞ。

大智大理交はり、道は明らかになります。

大愛、大真出でてひらく道となります。

ひらきて大智、大愛、和して、交はりて、ひふみの極み、弥栄弥栄の大未知となります。

Ⅵ.悪の御用するミタマをつくりておかないと、善では動き取れません。悪を悪で無くす行が求められます

第八帖
悪の世が廻りて来た時には、悪の御用する身魂をつくりておかねば、善では動きとれんのざぞ、悪も元ただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ、天地にごりて来るぞ、世界一つに成った時は憎むこと先づさらりと捨てねばならんのぞ、この道理 腹の底から判りて、ガッテンガッテンして下されよ。

悪の世が廻りて来た時には、悪の御用する身魂をつくりておかねば、善では動き取れないのです。

悪を悪で無くす、御用は非常に大切ですし、何よりも分け隔てを無くす行が、道中求められます。

そういえば、分け隔て(わけ隔て)(わけへだて)(分けへだて)という単語は、2023年5月の頃には、35個程ありましたが、2024年6月現在では15個に減ってきています。

行が進みますと、御神示内の、分け隔ても、減って来るかもしれません。

ですから、善では動きとれんのです。悪の御用が必要なのは、その事なのです。

悪も元をただせば、善なのです。
その働きの御用が悪です。

悪は、御苦労の御役ですので、悪憎まない事が求められます。

憎むと善で無くなります。悪に戻るのです。天地にごりて来るようになります。
憎むのは、理解しようとする事と止めてしまっているのです。
今の世界で憎むケースがあるのであれば、生前の御自身も、理解しようとする事を止めています。
その結果、今現在の平面の世界を選んでしまっています。

それが、現在もなお続きますと、天地がにごり、悪に戻っていきます。
無限に、悪に進む事も、あり得ますし、生まれてきた時より悪くなるのは、この境地です。

ですから、世界一つに成った時は憎むこと先づさらりと捨てねばならんのぞ、
とある通りです。

憎むとは、にくむ(二九無)となったからです。苦を苦で無くす、くにつつみの行を止めてしまった事が始まりです。

この道理 腹の底から判りて、ガッテンガッテンして下されよ。
といったのは、そういった事なのです。

ですから、苦を苦で無くす行が求められます。

Ⅶ.ミロク世に出づるには、神様の人民 お手柄せなならんようになっています。お手柄とは、ビックリの事で、三年の行が求められます

第九帖
ミロク世に出づには神の人民お手柄致さなならんぞ、お手柄 結構々々、神の人民 世界中に居るぞ。

ミロク様が、世に出づるには、神様の人民、お手柄致さななりません。

ですが、此の道進みますと、御自身がする、というよりは、見えない周囲によって、させて頂けるようになります。

それが、ビックリです。規模が大きなもの程、千人力が働いて行きます。
ビックリが、起こり続けている方は順調です。

お手柄、結構結構、なのです。是非、早くこの境地に来てください。
此の道一本に入り、三年目辺りになりますと、結構頻繁にビックリが起こり始めますが、まだ、これは、序の口です。

その神の人民 世界中に居ます。

ですから、安心して、どこからでも、迎えられるようにして下さい。

場合によっては、神界や、幽界、から直接的な動きも起こって来るかもしれません。

Ⅷ.神、仏、キリスト、ことごとく人民の世話もして頂ける時にきています

第九帖
神、仏、キリスト、ことごとく人民の世話もしてやるぞ。

神様、仏様、キリスト様、ことごとく、人民の世話、までして頂けます。
この文面も以前は無かったと見てゐますが、全ての方々の世話をして頂ける段階に来てゐます。
凄いマンデラ・エフェクトが起こり始めています。

Ⅸ.奥山に参りてこねば判らん事になってきます

第九帖
奥山に参りて来ねば判らんことになって来るぞ。奥山、おく山ぞ、同じ奥山が、その時々により変って来るぞ、身魂磨けば磨いただけ光りできておかげあるぞ、この道理判るであろがな。

奥山に参りて来ねば、判らん事になってきます。

奥山、おく山。です。同じ奥山が、その時々により変わって来ます。

身魂磨けば、磨いただけ光できて、おかげがあるのです。

此の道理は、体験していくと判るようになります。

まとめ 三ラ(ソラ)の巻①

三ラ(ソラ)の巻で、実現した事では、

ひふみゆらゆら、と一回二回三回となへまつれば、蘇(よみがえへ)る事。

御神示が判らないのは、我があり、曇りてゐるからである事。
五人分仕事をすれば、判りて来る事。

急がば廻る時がある事。一足飛びに二階には行けない事。

今の仕事悪いと知りつつするは尚悪い事。

しごとが、四五十となっていく事。
祈れ祈れとは、行じ、省みる事。

衣類、食物に困った時は、竜宮の音秘(オトヒメ)様にお願ひ申していれば、助かる道が生まれる事。

五柱の生神様にお願ひ申せば災難のがらせて下さる事。

御神示は、その時の心に応じて、磨けただけに、我の心通りに取れますので、同じ御神示が、同じでは無くなる事。

此の中に早くから来てゐて、何も知りませんとは、云はれん時が来る事。
早くからの行の方が楽に進む事。

時来たら、説き出す事が求められる事。

時節は到来している事。
愈々の蓋はあいてゐる事。

これから実現していく事は、

扶桑(二そウ)のみやことなり、極まる神の大道となる事。

千人力の世とかわり、元津日の大神様、元津月の大神様、元津地(くに)の大神様が弥栄していく事。

次に、人は、道を真中としてワとなり、集まりてお互いに拝む段階が来る事。
中心は、道である事。

このお道の導きの親 尊び どんな事あっても上に立てていく事。
順みだしては、神様の働きが無くなってしまう事。

直会(なほらい)の際には、神の座 上につくらな、ならなくなる事。

たばねの神様、たばねの人は、後から出る事。

ひふみ四十九柱、五十九柱、神代の元である事。
天地(あめつち)のはじめ、である事。

建直しの道は、全てのものが、一二三(ひふみ)、新事(あらごと)として生まれる事。
元津神様は、真理、真愛、大歓喜の大道として、動いて行く事。

大道は日神の中心にかへり、また出でて、大道いよいよ満ちる事。

尻出される経験をしている方は順調である事。

天(アメ)之ひつ九⦿守り、九二のひつ九⦿守り、アメの神様、カチの⦿、ゆわの神様、アレの神様が守ってゐる事。

大智大理交はり、道はあきらか、大愛、大真出でひらく道、ひらきて大智、大愛、和し、交はりて、ひふみの極み、弥栄、弥栄の大道、となる事。

悪の御用するミタマをつくりておかないと、善では動き取れない事。
悪を悪で無くす行が求められる事。

ミロク世に出づるには、神様の人民 お手柄せなならんようになっている事。
お手柄はビックリであり、三年の行が求められる事。

神、仏、キリスト、ことごとく人民の世話もして頂ける時にきている事。

奥山に参りてこねば判らん事になってきている事。

とありました。

今現在、時節は到来しており、愈々の蓋は開いています。
この後、旧五月五日より、愈々は加速していきます。

是非、一刻も早く、此の道へと進んで下さい。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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