5.織田信長公達の願い

1.ゆう斎は細川幽斎の前世と同じことをしている

ゆう斎は戦国時代に生きた前世です。

細川幽斎。若い時の名は細川藤孝。本当はその前にも別の名があるのですが。
ですが、歴史的に一番重要なのは、細川幽斎の時(1584年)になって以降ですので、この時の名を命名しました。

時代は、戦国乱世~安土桃山時代。最後は徳川幕府が始まった後1610年まで生きました。
場所の殆どが京都です。

この時代の前世で一番面白い所。

彼もまた、今世と同じで、自分の前世を紐解いていったようなのです。

また、周囲にもたくさんの占術師さんがたくさんいました。

で自身の霊力を上げつつ、占術師さんの霊力を上げつつ、さらに自身の霊力を上げる、また占術師さん達の霊力を上げる。・・・このようにしてお互いの霊力を上げる循環作用を使っていたのです。

これは乱世を生き抜く上では非常に重要な事だったのですね。
感性で見抜く能力は命が懸かった戦いでは非常に重要だったのです。
武芸も重要ですが、このような霊力を上げる事も重要だったのです。
(但し、この技を使ったのはほんの一部の者に限定されます。)

細川藤孝が若い頃は足利幕府の元に居たのですが、幕府の財政は困窮しており、13代将軍足利義輝亡き後、一気に幕府は弱体化します。1565年のことです。

当時は本当にお金が無い状態で、通常の大名であれば、攻め込まれるか降伏するかでもう終わりのような段階でしたが、天皇のお膝元という事で何とか戦乱から免れていました。

後、もう1つは実は明智光秀の影響もあったのですね。実際の所は織田家が足利家周辺大名に睨みを効かしていたのです。

2.明智光秀と織田信長

史実と違いますが、この頃織田軍は地元尾張よりも東側にかなり広範に勢力を広げていました。

また、これも史実からほぼ消されていますが、明智光秀公は織田軍の中では外様でありながら鉄騎隊、並びに軍師参謀役として大活躍の時期で、この段階では織田軍の重要な戦力となっていました。実は織田軍と足利家とは足利義輝が亡くなる前からかなり密な関係でもあったのです。ですから、足利家が滅亡寸前でも生きながらえていたのですね。

明智光秀は京都の出で、元々若い頃より足利家に仕官していましたが、足利家の苦境を避ける事ができないと見るやかなり早い段階で京都を跡にし、地元から立て直すよりは有力大名を味方に付ける方が得策と見て、当初は美濃の斉藤家に仕官したのでした。近辺の大名達の背後に就く事で牽制したのです(特に浅井家)。その後1556年斉藤道山が亡き後、美濃は大混乱。これも史実のどこにも無いと思いますが、その後1558年、実質的に織田家が美濃を攻略した時、明智光秀はこの時より織田家の家臣になります。

で、その後、明智光秀が織田家に仕官後は1560年、桶狭間の戦いの提案ですとか、これも史実とそこそこ違っているのですが、結果的には東側ではかなりやっかいな存在、今川義元を倒すこととなります。

さらにその後は、東日本の領土拡大に明智光秀は大活躍なのです。特に1565年頃までには織田家は東日本中心の多くを直接支配。また間接支配もしました。織田信長公は、北陸では朝倉氏と友好関係、一応形上敵でありながらも実際には武田軍とも友好関係にありましたし、北の3大名、伊達家、最上家、南部家とも親しい仲にまでなり、全国的な間接的支配はかなり広範位だったのです。

1565年段階では、東側での実質の敵で残す所は上杉家と北条家くらいだったのですね。

ですから、織田信長と明智光秀は若い頃よりかなり密な関係だったのです。

明智光秀はそれこそ若い時の話が史実では殆ど残っていませんが、実はかなり重要な存在。その後もずっと重要な存在。だからこそ、歴史から消えているのです。

3.織田信長公との出会い、教えたこと

その中で、織田信長公は東の支配をある程度固めた後、ようやく西に動き出します。
1570年の姉川の戦い、1571年の延暦寺焼き討ちは、これは史実とある程度一致します。

で、その後1571年に上洛します。この時には足利幕府はほぼ終焉。明智光秀を介して、足利家は実質的に織田家の軍門に下ります。

この時ですね。細川藤孝は織田信長公と出会うことになります。

そこで、織田信長公に霊力の上げ方をどうも私は教えたようです。ただ、信長は

さらに独自の手法でバージョンアップし、最終的にはとてつもない力を身につけました。(ですから織田信長は、大軍団を造りながらも、普段からお供は殆ど付かずに生きていけたのです。)

織田信長は生まれながら先読み術に優れていましたが、当初それはせいぜい数時間程度。

しかし、上洛後、多くの占術師と交流を深め、実は相当な次元まで霊力を高めていました。
最終的には終末予言をする者(ノストラダムスや出口王仁三郎、他聖人君子達等)と同じように、世紀末から史実に無い古代まで全て見えるようなレベルとなっていたのです。

このように織田信長公は、専属の占術師を複数雇ったり、交流したりで霊力を高めていたのですね。

4.他にも霊力を上げていた大名、武将達

ちなみにこの技は私だけでなく、戦国乱世~安土桃山時代に身近に存在した武将や大名の一部には同様の事をしていたのです。

織田信長は勿論ですが、明智光秀もしかり、徳川家康もしかり。(ちなみに豊臣秀吉はここには入りません)
この他に同様の技を使ったのが意外にも島津義久島津義弘、後は流れは違うものの千利休ですしょうか。
(島津家と織田家はある所から極めて重要な関係となっていくのです。)
私を含めて直近の存在は6名。流れの違う者としては千利休の1名です。

霊力を上げて影響を与えたという意味では、上記の人物達が重要なのです。

上記の人物達は勿論普段から非常に仲の良い間柄です。(千利休を除く)

この特殊な技から格段に能力を上げた者を限定しますと、上記の7名に限られています。

この他に知っている者は、織田信長公で言えば、最終的に16名となった占術師達。と極僅かの側近達だけです。
(ちなみに大名、武将によってその占術師の数は違いますし、占術師が重複するケースもあれば、しないケースもあります)

ですからこの技自体、それ程広まっていません。

織田信長と親交が深かった大名では、武田家、伊達家、南部家、最上家、朝倉家(史実とは違いますが)、最終的には上杉家もそうですが、ここに該当する大名や武将にはこの技は伝えていません。

5.最終的な目標

先述した大名、武将は、同様に霊力を高めただけでなく、自分の前世も理解しており、さらに前世からの課題は自分自身の事も勿論あったのですが、前世の時代そのものが混乱で終わったが為に今度こそ、は良い世の中に戦国の世を変えようとしたのです。

それが安土桃山時代の愛の書き換えなのです。

本能寺の変。

史実では、明智光秀が織田信長に対し謀反を起こし、その後豊臣秀吉が軍団のトップに立ちそのまま日本統一した。ということですが、しかし実は、

本能寺の変とは、愛の書き換えのスタートでもあるのです。

これは織田信長公と明智光秀。他上記武将達の協力があって初めて成功できたのです。
・・・もうお判りですよね。織田信長も明智光秀も本能寺の変では二人とも生きていたのです。

詳細を語りだすと長くなりすぎますので、続きはまたの機会という事にしましょう。

ですから、安土桃山時代は史実とは大幅に違っているのですが、しかし、日本ならではといいますか、これは上記大名達による愛のある書き換えで平和に向っていた時代なのです。

特に安土桃山時代に入ってからは、実際には史実程人は亡くなっていません。ですからその後、平和な江戸元禄文化に繋がっていくのですね。前世の記憶から、過去の歴史について絞りますとかなり膨大な量になりますので、これはまた別の機会で紹介したいと思っております。

実は今世。
混乱と平和が混在している現代ですが。
あの時代の愛の書き換えを必要としていると思っているのです。

この概念は残念ながら現代では忘れら去られていましたが、まだまだごく一部だけでしか起きていません。

前世の事を調べていく内に、私はあの時代にあった良い部分を私は思い出しましたから、

是非現代に復活させなくては、

と心底思っているのです。

6.450年ずれで起きているイベント、重要な近未来

しかも、どうも面白い事にこの細川幽斎の前世でのイベントが、

今世では450年ずれで次々起きているのですね。

すでに起きている事が、

・2010年(1560年=細川ガラシアと出会う(細川藤孝の姪))
・2014年(1564年=明智光秀が織田信長の軍門に入って後、初めての再会)
・2018年(1568年=自身にとって重要な占術師と次々と出会い始めた年)

また、出会った占い師さん達も、この戦国時代に2名登場しているのです。

偶然としては少しできすぎなのですが、この450年ずれは、やはり意味がありますね。
確かに1550~1570年頃、これは戦国時代で混乱がピークに達していた時期。
今世で言えば2000年~2020年は実際に世の中は激動でしたし。
9.11に始まり、イラク戦争、リーマンショック、東北関東大震災、熊本大地震、世界的な天変地異。
本当は第3次世界大戦も起こりそうな型は何度もありましたが、これだけはなんとか防いでいます。

ですから、今後大きなイベントが起きそうなのが

2023年(信長公、公式的に上洛の年=1573年)
2032年(本能寺の変=1582年)
2041年(千利休打ち首事件=1591年)
2050年(関ケ原の戦い=1600年)
2053年(徳川幕府の始まり=1603年)

この辺りと見ているのですね。

前世の記憶からも重要だと思っているのが、2032年、2041年だと見ています。

その前にまず、2023年辺りに大きな動きが起こりそうだと見ています。

この記事を書いた時は、2019年11月であり、1570年姉川の戦い(大量死した戦国時代、最後の戦い)、1571年延暦寺焼き討ち事件(比叡山ごと焼き討ちした事件)がありました。

実際、2020年2月には、コロナウイルスが発生。
2021年は、4月以降、涌珍接種による死者増加、と言った出来事がありました。
それは、2022年以降も、ずっと強まっています。

2022年2月には、ウクライナ情勢が始まり、8月にはパキスタン洪水が始まりました。

ですが、これでも大難が小難で済んでいるのです。
2022年11月現在では、待った無しの所に来ています。

ですが、一方で、2022年辺りより光明が見えてきた事もありました。

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