現在、3次元世界を絶対視する人、精神世界を絶対視する人、どちらもまだまだ多いです。
これは誰しもが通っている道ですし、私の前世でも、そういった過程を通ってきましたし、実際にも、古来より、ずっとあった対立関係なのですね。
そのエキスパート的な人と、私は直近で、どちらとも直面しています。
現在、3次元色が強い人から見れば、私の事を、精神世界の人、とも言いますし、一方で、精神世界が強い人からみれば、まだまだ3次元の人、とも言われました。
私の答えとしては、宇宙科学、宇宙の叡智と返していますが、それでも、この両者からは賛同が得られなかったのです。
当初は、両者から賛同を得られるかな、とも思ったのですが、残念ながら両者からは否定される事になりました。まさか、全否定を受けるとは、です。(笑)
実は、この対立関係、東西の某大聖人の世界観対立と同じ型なのです。
今回は、この事について書いて見ました。
1.精神世界の究極形の人とは
実は、精神世界の究極形の人、その基になったのが、ニーチェなのです。
ニヒリズムは、一面的真理ではあるのですが、あくまで一面的な問題なのですね。
この方の影響力はやっぱり凄まじく、ニーチェと似たような思考の方が、その後、たくさん出てきます。
そして、影響力を強く受けた人は、概ね自殺という流れになっています。
某作家さん、某歌手を初め、それはたくさんいますが、
何がカルマになるのかと言えば、3次元否定している部分なのです。
ですが、一面的には真理なので、その後、たくさんニーチェを追う者が出てきます。
そのカリスマが自殺する事で、さらに後追い自殺するという流れになるのです。
そして、ニーチェはその後、一休さんに転生します。
彼は、仏教は否定していませんが、特に当時の仏教が、戒律的な状況にあった事について相当の否定をしました。
実際、戒律は典型的な3次元の否定に近いですし。
彼は、この辺りから変わるのですね。
戒律という、ある意味精神世界の究極形に直面する事から、変わっていくのです。
そして、これらのカルマを解消しようとした存在が、仏、なのです。
2.3次元世界の究極形の人とは
3次元世界の究極形の人は、実は、基、です。
日本では江戸時代初期、踏絵が広まります。
何故、時代も1600年程経過しているのに、国策的に踏絵という流れとなり、多くの方に踏まれていったのか。
そのカルマとは、究極的な3次元的カルマを蒔いていたからなのです。
これに加えて、例えば、漫画「エヴァンゲリオン」でも、裏の意味では、一番言いたかった事とも関係しています。
ゼーレって何?碇ゲンドウって何者?
それは、ただの人だったのです。
これは、基、にとってもある意味かなり救われるのでは?とも思います。
このように、基、の事については、ちょっと詳細には書けません。どのような方もかなり婉曲に書いているのは、様々な理由があるのです。
ですが、3次元世界の究極形カルマの象徴が、基、という事だけは判ってください。
その結果が、処刑であったり、踏絵だったりするのです。
3.御神事の冒頭に、記載されている事とは
実は、御神事では、いきなり冒頭に書かれている事ですが、
仏、基、共にはっきり助かっていないというのです。
基、については、実際に命を落としているのでなんとなく判るのですが、仏が助かっていないという事。
ずっと「エッ、そうなん?ほんまかいな」と思っていましたし、救われてないようには視えていなかったのですが。
この事は、最近まで判りませんでした。
ですが、最近その原因がはっきり判りました。
3次元否定のカルマです。
彼は、その前世で一面的に正しくても、一面的にはカルマを蒔いていたのです。
これが一番の問題だったようです。
4.現代に求められている事
実は、3次元的なカルマ。
そしてやがては精神的カルマ。
誰しも、どちらも蒔くようになっています。
そして、どちらかに傾倒する転生、傾倒する時期があるのです。
現在という時空間では、そのどちらかに偏っている人もやはり多く、実際には、対立しているという事も多い状況なのですね。
ですが、3次元、精神世界、両方とも和合しなくてはならないのです。
創造主が求めている事は、現在、3次元、精神世界、両方の和合なのです。
でないと、次元上昇ができませんし、人類の存続が、いよいよ難しくなります。
5.まとめ
実は、現在、相反する存在との和合が多くの所で求められています。
3次元世界、精神世界との和合。
これが、多くの人のテーマにもなっています。
これは最近でもあらゆる場面で感じられます。
大体は、3次元を極端に否定する方、精神世界を極端に否定する方。
これまで、どちらかの事が多かったですし、現在でもそう変わっていません。
ですが、現在求められているのは、両方を満たしていく事なのです。
そこには、和合、という流れが求められています。
和合しますと、待っているのは、繁栄のみ、弥栄のみ、だと思っています。