以前から、私が一番懸念していた事の一つに、私が、次々、行を進む程に、元に居た方々は離れるのではないか、と思ってゐたのですが、それは、決して間違いでは無かったようです。
それは、一度、死んで下されよ。という文面にその答えがありました。
実は、その文面そのものも、マンデラ・エフェクトも起こしており、この状況を詳細に記されていたのです。
この文面につきましては、既に、日月神示(ひふみ神示)、此の道一本から三年以上進んで判ってきた事、でも御伝えした所ですが、此の道に進む上では重要な内容のようですので、今回はこの事について御伝えしたいと思います。
1.マンデラ・エフェクトの様相そのものを現した文面
●喜び食し、喜び着、喜びを呼吸し、喜び語り合って、嬉し嬉しとなるのぞ。いらんものは形が変って来る。新しき生命 湧き出るのであるぞ。善が悪と、真が偽と変った時は死となるぞ。その死は新しき別の生命と現はれて、新しき形の、新しき世界の善となり真となるのぞ。善も悪もないのざと申してあらう。善悪はあるが無いのざと申してあること判りたか。自分自身、己の為の善は死し、善の為の善は弥栄えるぞ。死んだものは新しき形をとって生命するのであるぞ。
この事を現した文面、その1になります。
恐らくながら、半分以上が、マンデラ・エフェクトではないか、と思います。
喜び(四六九火)とは、あいうでは、しきまきや、無、くにつつみ、に入る、という事です。
喜び(二一、三五、三一、裏一一)、ひふみ、では、永劫の過去の裏の裏まで、二二の仕組みから始め、三が道を生み出し始める、という事です。
それは、食、衣、呼吸し、語り合って、嬉し嬉し(ウ〇四ウ〇四)となるのです。
しきまきや、から生み出す事の繰り返しなのです。
この時、いらんものは形が変わってきます。
新しき生命が生まれるのです。
善が悪と、真が偽となった時は死となります。
此の道の善とは、常に今の最善を尽くして行くのですが、前の段階が悪となり、それが、死となるのです。
真が偽となった時、喜びの偽となりますと、前の段階の真が死となっているという事です。
その死は、新しき別の生命と現はれて、新しき形の、新しき世界の善となり、真となるのです。
このようにして善は弥栄していきます。
前の段階となった悪は、死となりそれは、別の生命と現はれて、新しき形の、新しき世界の善となり真となるのです。
このように次々、悪となり、偽となり、死を迎えてば、別の生命と現はれて、新しき形の、善、真として現れる、を繰り返して行くのです。
ですから、善も悪もないのです。
善悪はあるのですが、ないという事が、お判り頂けましたでしょうか。
自分自身や、己の為の善は死んで、善の為の善は弥栄えるのです。
このようにして、死んだものは新しき形をとって生命するのです。
参考:善が悪と、心が偽と変わった時は死となり、死んだものは新しき形をとって生命します
2.立体に進み始めますと、チリヂリバラバラとなっていきます
Ⅰ.相手の思念を変える行を進めていきますと、周囲が次々変わっていく
このように、前世ヒーリングを始め、思念界を変える行を進めますと、同じ人が、以前と同じで無くなる現象が顕著になっていきます。
御自身の我の洗濯、掃除、改心を進めていく事によりまして、周囲が次々変わっていくのです。
そして、同じ人も、同じで無くなっていく、という現象が起こるのです。
それは、私自身が、親兄弟が、かなり変わった経験もありますし、セッションをされている方も多くの方から同じような話を沢山聞くこととなりました。
Ⅱ.同じ人が、全く別人となって再度現れた体験について
また、セッションを受けていたある方、が、ある時、同じ時空間から外れ、81の世界に進まれた実感がありました。
その方は、行のズレ、が大きく、我れ良しの道を進んでしまったからです。
この同一時空間から外れた、という感覚は、間違い無かった、と思っていました。
ですが、1年以上経過したある日、再度、セッションを受けられる事となりました。
81の世界に行ったはずのその方は、以前の同じ方では無かったのです。
当人は、そんな事気にも留めてもいませんし、実際、書き換わった記憶もある訳ではありません。
ですが、私から見ますと、大幅に変わっていたのです。
随分と前に離れたあの人は、今、この世には居ない、という事も間違っていないのです。
そして、その方が仮に居たとするのであれば、以前のその方とは全く別の存在、という事なのです。
これも、ビックリの一つだと思いますが、これは、行を進めていきますと、判って来ることになってきます。
Ⅲ.改心とは、カイ四ん、カイ死ん、です
改心は、生前から囚われて来た、また、騙されてきた、御自身の我を直して行く事にあるのですが、
それは、しきまきや、を起こしていく事で、心を変えていく事ができます。
しきまきや、は現世のみからでも不可能ではありませんが、人は、、そこまで、全てを現世から、生前の事から、また、現、神、幽、を網羅できる程、更には立体の理解ができる程、高度ではありませんから、前世からの理解、前世ヒーリングや、前世療法等が、基本的にはお勧め、となってきます。
例えば、前の段階の方、が恨みを持っていたとします。
そして、心の刺さる順で伝え、解決策も伝えていき、和していきますと、恨みが消える事が、私の前世ヒーリングでは普通に起こります。
ですが、この時、前の段階の御自身、恨んでゐた時の御自身は、死んだ、事になるのです。
●善が悪と、真が偽と変った時は死となるぞ。
一つ目の解釈として、行をしない方のケースは、前の段階に戻された場合、死となるぞ。という事があります。
ですが、二つ目の解釈として、此の道に進んでゐる人は、行じた前の段階が悪となっていきますから、その時の最善と思ってゐた事が、後から見ますと悪となっていくのです。
同時に、真と思っていた事も、此の道に進めば、喜びの偽、つまりマンデラ・エフェクトが起こりますから、このような流れでも、死となるのです。
改心、とは、(六七、二二、四、ん)、無からもう一段上の無と進む為に、二二の仕組みからしきまきや、を起こし、前の段階の御自身が死、を迎える事で、新たな世界を生み出す、という事なのです。
改心の解釈はかなり多岐に渡ると思いますが、しきまきや、を起こす事で産み出す事。そして、死を起こす事で、生み出して行く事。でもあるのです。
そして、この状況をもう少し詳しく御伝えしている文面が次の通りです。
3.一度死んで下されよ、とは、マンデラ・エフェクト、を周囲に起こし続けて下さい、という事です
●人民一度死んで下されよ、死なねば甦られん時となったのぞ、今迄の衣をぬいで下されと申してあろう、世がかわると申してあろう、地上界の総てが変るのぞ、人民のみこのままと言うわけには参らぬ、死んで生きて下されよ、タテカヘ、タテナホシ、過去と未来と同時に来て、同じところで一先づ交じり合うのであるから、人民にはガテンゆかん、新しき世となる終りのギリギリの仕上げの様相であるぞ。
この事を現した文面、その2、です。
人民、一度、死(四)んで下されよ、死(四)な(七)ねば、甦られない時になったのです。
今迄の衣をぬいで下され、と、申されているのは、これまでの、生前から囚われ続けてきた御自身を理解し、和してぬいでください。という事です。
此の事で、世が変わるのです。地上界の総てが変わるのです。
これが、マンデラ・エフェクト、です。
人民のみこのままと言う訳には参らぬ、と御伝えされています。
人民以外のものは、既に多大なマンデラ・エフェクトが起こっている事から、もう気付かれていると思います。
死んで生きて下されよ、というのは、そういった事なのです。
生前からの御自身を和して、統合し、死を一旦迎えて、そして、甦る事を繰り返して行くのです。
ですから、実際に、生命を落とす訳ではありません。生きていく事は大前提で、生前の御自身と和し、それまでの御自身が死を迎える、を繰り返すのです。
このように、タテカヘ、タテナホシ、過去と未来と同時に来て、同じところで一先づ交じり合うのですがこれが、前世ヒーリングでもあります。
過去の状況とは、未来の状況であり、それを解決していく事が目標となるのですが、この事で、周囲の世界が大きく変わっていきます。
その浄化の規模が大きなもの程、思念が大きく変わる内容になる程に、マンデラ・エフェクトも大きなものとなっていきます。
この連続によって、その規模もより大規模なものとなり、嬉しきビックリ、となっていきます。
それは、人民にはガテンゆかん、新しき世となる終りのギリギリの仕上げの様相であるぞ。
と伝えられています。
もう新しき世となる終わりのギリギリ、になってゐるのです。
この文面もマンデラ・エフェクトではないかと見てゐます。
参考:マンデラ・エフェクトの様相。一度死んで、甦るを繰り返します
ですから、猶予もありませんし、一刻も早く、行を進め、御自身の騙されている我を省み、改心を進めて下さい。
4.思念界の変化を起こして行くには
死んだ後、幽界とは、思念が似たよった者同士で集まる為、そこには、常態の変化しか判らない世界ですが、そこからでは、改心はしにくいのです。三次元世界の事が逆に理解されにくい事もあります。
そこで、前世ヒーリングを持って、死んだ直後辺りの方を中心に浄化していくのですが、これは、しきまきや、を最も有効に起こしやすいタイミングだからです。
前世ヒーリングでは、苦しんでゐる状態、もしくは、囚われている状態を浄化する事が多いのですが、このようにして、前世さんの苦しみを助け、この事から新たな世界を生み出し続けて頂ければ、と思います。
5.まとめ
喜び食し、着、呼吸し、語り合って、嬉し嬉しとなるのです。
いらんものは形が変わり、新しき生命、湧き出る事になります。
善が悪に、真が偽に変わった時は死となるのですが、これは生きている間にも実現可能です。
此の道に進みますと、最善を尽くしたはずの過去は悪となり、また、その時の真だった世界は、嬉しき偽となりマンデラ・エフェクトを起こす為です。
ですから、善も悪もないのです。善悪はありますが、ないのです。
自分自身や、己の為の善は死んで、善の為の善は弥栄えるのです。
このようにして、死んだものは新しき形をとって生命するのです。
これらは、前世ヒーリングで顕著に起こりますが、このようにして、同じ人が同じで無くなっていく事で、チリヂリバラバラ、と一旦は進むのです。
ですから、改心とは、カイ四ん、でもあり、カイ死ん、でもあるのです。
しきまきや、から生みだし、和合によって死を迎えては、甦るを繰り返して行くのです。
これを周囲にだけでなく、御自身も起こし続けて行く事で、此の後の大峠の越せる流れとなります。
一度死んで下されよ。というのは、死(四)な(七)ねば甦る事ができないのです。
しきまきや、から、もう一段上の無を起こさない事には、新たな世界を生み出せないのです。
この事により、世が変わり、地上界の総てが変わるのですが、このマンデラ・エフェクトの体験はもうお解りだと思います。
ただ、人間だけが改心が遅いので、そこで、死んで生きて下されよ。と伝えられるのです。
ですから、生きる事が前提で、生前の御自身と和す、を次々繰り返し、死んで、蘇るを繰り返して行きます。
過去と未来と同時に来て、同じところで一先づ交じり合うは、前世ヒーリングがそのまま当てはまりますが、今現在、人民にはガテンゆかん、新しき世となる終りのギリギリの仕上げの様相であるぞ。となっており、それ程、猶予が残されていない所に来てゐます。
是非、一刻も早く、死んで生きてくだされよ。を繰り返して下さい。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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