次元上昇のきっかけ215 此の道が進みますと、みみ(御身)から聞こえてきます

次元上昇のきっかけ

岩戸は既に開いていますので、此の道に進んでいる方は増えてきてはいますが、
その一つの現れは、みみ(御身)から、心の声が聞こえだしているか、です。

この現象が現れてゐる方は順調に、此の道を進み、大峠を乗り越える事ができる流れになってきています。

天の声は内から聞こえて来る。人間の言葉は外から聞こえて来る。霊耳と申すのは内からぞ。耳ふさいでも聞こえて来るのぢゃ。

天の声は、内から聞こえてきます。
心臓から、腹から、ここから、聴こえ始めますと、此の道に進めている、と見ます。

一方で頭の中でグルグル廻っている場合や、頭の中の声は、我、である危険性がありますので、注意が必要です。

ただ、まだ、殆どの方は、此の道に進めきれていません。
少なくとも、此の道一本となってから、1年半以上の経過が必要です。
まだまだ、11の囚われの為に、外からの声に囚われている方が殆どです。

世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢゃ。悪かみかかりに迷ふでないぞ。サニワせよ。外はウソが多いぞ。内の声ウソないぞ。

今現在、確かに世が迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来てゐるようですが、それは、これまでの殆どが霊かかりであった事、が判ってきます。人の我、基軸で、神の御心を無視した、そういった価値観です。

そこで、悪かみかかりに迷う方が多いのです。

外はウソが多いぞ、とありますが、実際、平面に囚われる導きが殆どですし、外に囚われている方、とても多いと思います。

今現在、内の声、を聞く時が来てゐます。
内の声は、ウソが無いのですが、今現在、この状況に向き合う時に来てゐます。
もう2024年は終わりに近づき、来年2025年は、更に開いていく時代に差し掛かる為です。

ですから、一刻も早く、この状況を体験して下さい。

今回は、内の声に関する記述を中心にお伝えしていきたい、と思います。

目次

1.みみ、に関わる文面につきまして

御神示には、「みみ」とは、耳だけでなく、御身、実身、身実、身々、三三、といった漢字で現わされています。もはや、耳、というよりは、「みみ」の方が本質的に伝えたい事である事も、行をしていき、また、文面を読めば判ってきます。

そして、御身(みみ)に聞かせていただく事で、体験していく事で判っていくようになっていきます。

Ⅰ.御神示に書けない事は、みみ、から知らせて頂けます。この境地を必ず通ります

元の大和魂にかへれと申すのは、今の臣民には無理ぢゃな、無理でも、神に心向ければ出来るのざぞ、どうしても今度は元のキの儘の魂にかへらんとならんのぞ、かんじんの神示むやみに見せるではないぞ。仕組こわれるぞ、今に神示に書けないことも知らさなならんから、みみから知らすから、肚から肚へと伝へて呉れよ。節分からははげしくなりて、はげしき神示はかかせんぞ。天明 神示の御用はこれでしばらく御用すみぞ、その代りみみ掃除しておいてくれよ。

元の大和魂にかへれ、と申すのは、今の臣民には、無理、です。
ですが、無理であっても、御自身がまず、行じ省み、我の洗濯、掃除、改心を進め、神様の申す通り素直になり変わっていけば、無理でなくなります。

御自身が、神の御用を次々していきますと、周囲の世界が次々変わるからです。
すると、無理なく、神の御用をする方が現れ始めます。

今度は、元のキのままの魂にかへらなならんのですが、人の我基軸、人の囚われ基軸では出来ない道なのです。

また、肝腎の御神示、むやみに見せた処で、解決する訳ではありません。
仕組がこわれます。

今に御神示にも書けないことも知らさなならないのです。
ですが、これは、御自身のみみ(御身)から知らせて頂けます。
周囲の現れそのものが、此の道の答えとなっていくのです。

そして、肚(八〇)から肚(八〇)へと伝えて下さい。神様を産み出し、伝えていくのです。
御自身の思念界のやり取りから、あなはち、しきまきや、くにつつみ、より、神々様を産み出し、伝えて下さい。という意味が一つあります。前世ヒーリングができる方はここから伝えても大丈夫です。

節分からは、はげしくなってきますが、はげしき御神示は欠かせない、という事もありますが、書かせてもらえなくもなっていく様です。

まさしく、御自身のみみ(御身)によって体感、体験していく事になっていきます。

天明、の方は、この段階に入りますと、節分からは御神示の御用は済む事になります。
確かに、私自身、来年2025年の節分からは、その流れになっていく可能性があると見てゐます。

その代わりですが、みみ、の掃除を次々進めて下さい。

Ⅱ.ひふみを、みみ、に知らせて頂けます、そして云ふ流れとなります

愈々神示一二三(ひふみ)となるぞ、一二三とは息吹ぞ、みみに知らすぞ、云はねばならぬから一二三として、息吹きとして知らすぞ。

愈々、御神示は、ひふみ、となっていきます。
ひふみとは息吹です。

これもそうですが、みみから知らせますので、体感、体験していかない事には解らないものです。

云はねばならぬから、という事ですので、確かに言葉で伝えていくのでしょう。
実際、今現在、セッションでは、私はその流れに入ってきています。

息吹として知らすようになります。

確かに、此の道に進みますと、御神示の事を一つ一つ実現していく流れになります。

Ⅲ.惟神のみみ、とは、人の身から、神の御身(みみ)になる事です

草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのであるぞ。種は残して育ててやらねばならんのざぞ、草木の身が動物虫けらの御身(みみ)となるのざぞ、出世するのざから嬉しいのざぞ、草木から動物虫けら生れると申してあろがな、人の身(み)神に捧げるのざぞ、神の御身(みみ)となること嬉しいであろがな、惟神のミミとはその事ぞ、神示よく読めば判るのざぞ、

草木の身が、動物虫けらの御身(みみ)となるから、出世するから嬉しくなるのです。
その際には、種(十根)は残して育てていく事が求められます。
出世の際には、神様の根を残して進むのです。

出世するから嬉しいのですが、このようにして、草木の身から、動物虫けらがうまれていきます。

同じく人間にとって、神様の身に進む事が出世する事です。
それが、神の御身(みみ)になる事であり、惟神のミミとは、その事です。

此の事は御神示を読めば判るのですが、それは、祈り、行じ、省みる事から、御自身の我を洗濯、掃除、改心を続けていく事にあります。その為には、思念界の行、あなはち、しきまきや、くにつつみ、から、思念界を変えて行く行をしていけば良いのです。この事で周囲の世界が変わっていきますし、此の事で、御身(みみ)に判るように知らせて頂けるようになります。

ちなみに惟神の道については、その後の記述にある通りです。

此の道は先に行く程 広く豊かに光り輝き嬉し嬉しの誠の惟神の道で御座るぞ、神示よく読めよ、何んな事でも人に教へてやれる様に知らしてあるのざぞ、いろはに戻すぞ、一二三(ひふみ)に返すぞ、一二三(ひふみ)が元ぞ、天からミロク様みづの御守護遊ばすなり、日の大神様は火の御守護なさるなり、此の事 魂までよくしみておらぬと御恩判らんのざぞ。

此の道とは、此(九)の道基軸で進む事です。
くにつつみ、初め、思念界を変える行、基軸、という事です。

此の事から、11の囚われは、徐々に変わりますが、その為には、御自身の慢心、我良し、を筆頭に、分け隔て、取違ひ、疑い、我、を直していく事が求められます。

確かに、段階が進む程に、広く豊かに光り輝き、嬉し嬉しの道となっていきます。

例えば、食べられなかったものが、食べられるようになったり、それが草木で現れ始めます。
他にも、社会全体ではインフレになっていても、御自身の周囲の世界では、デフレ傾向になったり、このように、生活が着実に、良き世界へと移行していく事になっていきます。

いろはに戻し、ひふみに返し、ひふみ、が元となっていきます。

天からミロク様、みづの御守護となり、これは、水の御守護もありますが、自らの御守護もあり、御自身が、てんし様、そして、天千様、となっていく過程を現しています。

日の大神様は、火の御守護ですが、ひふみでの「ヒ」とは永劫の過去ですから、時間軸のお役割もありそうです。そして、永劫の過去から次々書き換え、生み出して行く事で、日の大神様も、その現れが変わっていきます。

此の事、魂まで染みておらんと、よく判らない事となっていきます。

その為には、早く、千人力の段階まで進んで下さい。
神様の申す通り、素直に行じますと、三年以内で到達可能です。(大体丸二年でその型が現れます)

Ⅳ.余り判らんでは、この後の世、通れなくなります

神は天からも地からも日も夜も九十(コト)で知らしてゐるのに、九十(コト)聞く身魂ないから、九十(コト)きく御身(みみ)曇りてゐるから、人民は判らんなれど、余り判らんでは通らんぞ、早う洗濯掃除せよと申してゐるのざ。人の十倍も今の仕事して其の上で神の御用するのが洗濯ぞ、掃除ぞと申して知らした事忘れたか、地に足つけよと申した事判らんのか、百姓になれ、大工になれと申した事判らんのか、(てん)の地もあるぞ、天の百姓、大工もあるのざぞ。善と悪と小さく臣民分けるから判らんのざぞ、大きく目ひらけよ。

神様は、天からも、地からも、日も夜も、九十(コト)で知らしてゐるのですが、九十(コト)聞く身魂ないので、九十(コト)きく御身(みみ)が曇りてゐるから、人民には、判らないようになっていますが、余り判らんでは、この後の世通らなくなります。

もう、次々、書き換えの連続でない事には、全生命体が持たない所に来てゐる為です。

ですから、早う、我の洗濯掃除せよ、と申されているのです。
11の囚われ、その原因となっている6つの慢心を直して行く事が只求められます。

このように、心の内を変えていき、外を変えていく連続なのですが、
その為には、人の十倍も今の仕事をした上で、其の上で神様の御用する事が求められるのです。

神の御用とは、神の五四ウ、です。しきまきや、から生み出して行く行です。

地に足つけよ、というのは、実際、大地に足を付ける過程もあるでしょうし、ですから、百姓にもなり、大工にもなる過程があるのです。(小さな型出しですが、私の場合は、いずれも2024年に経験しました。)

天の地、天の百姓、天の大工も体験していきます。

これは、神様の申す通り、素直に行を継続していかないと判らないようになっています。
善と悪と小さく臣民分けているから判らない、とありますが、それは平面に囚われているからであり、それが故に、器がどんどん小さくなり、そして、善と悪と対立関係にしていく流れとなっていくのです。

これは、新たな世界を産み出さず、現在の世界に囚われている為です。

新たな世界を産み出し続ける行、此の道一本の行(くれぐれもですが、仕事を一つにする、変えるという訳ではなく、九の行基軸という事です)から、三年もすれば、良きビックリを体験するようになってくるので、判って来るようになります。

ただ、残念ながら、多くの方は、11の囚われ、つまり、6つの慢心から、生前からの悪い癖の改心をせず、放置する為、1年半までで、止めてしまう方、圧倒的多数です。

ですから、早う洗濯掃除せよ、と申されているのです。

これが、簡単なようで、簡単ではありませんし、人の我、程恐ろしいものはない事も、これも御神示でお伝えされている通りです。

Ⅴ.早う掃除が一番と伝えられています

神の実言(命)聞く身々(カミのミコトキくミミ) 早う掃除一番ぞ(ハヨうソージイチバンぞ)。

これは、これらの事を短文で判りやすくまとめています。

神の実言(ミコト)、聞く身々 (空白)から、早う掃除が一番なのです。

無から、次々産み出して下さい。

Ⅵ.みみに、ひふみ、聞かせる時節に入ってきています

三三(みみ)に一二三(ひふみ)聞かするぞ、愈々身実(みみ)に聞かす時ざぞ。それぞれ人に応じて時によって、口から耳に肚から肚に知らしてくれよ、

みみ、にひふみ、聞かする段階に入ってきています。

愈々、みみに聞かす時です。

それぞれ、人に応じて、時に応じて、口から耳から、肚から肚に知らせてくれよ、
とありますが、実際、この秋、2024年8月~12月にかけてのセッション、並びに三次元ではこの色合いが強かったと思います。

もはや、体験からでないと判らない段階に入ってきている為です。

行じない方、御神示を読まない方、また御神示を一回程度で軽う見ている方、は愈々此の道から離れ、此の世、三四五の世から離れていく事となってきています。

その先に待ってゐるのは、81の世界ですので、この大峠を越せるには、此の道に進む以外ありませんので、神の申す通り、素直に行を進めて下さい。

Ⅶ.大切なコトは、ミミに聞かしてあります

口で知らすこと判る人には、判るぞ。大切なことはミミに聞かしてあるぞ。天狗ざから、軽く見るから分らんのざぞ。

この事もあって、口で知らすこと、判る人には、判ります。
それは、コト(九十)の行をしているからです。

そして、コト(九十)の行をしていない事には解りません。

人の段階から、神の行はできるのです。これがカミヒト、なのです。
それは、ミミ、から判るようになっています。

ですが、天狗ですと、まず御神示読まなかったり、読んでも一回程度で軽う見る事になります。
実際、これが、99%以上です。そして、肝腎の御自身の我を省みる事もなく、行き詰り、御自身の我に騙され、平面世界を選び、苦しみの世界を自ら選ぶ事が殆どです。

また、人の我とは、囚われる事、苦しむ道、平面の道、を好んで進んでしまう所があります。

ですが、マコトの者千人に一人はいますので、それは、ミミから判るようになっていますから、新たな世界を産み出し続けていく所から、現れるようになります。

此の道一本に絞れば、まず、出会いが急速に変わる処から始まります。一年半、経過していれば、嬉しきビックリが起こり始めます。

それは、軽い心、行、ではできないようになっています。

また、気付いた事の一つに、大切なコト(九十)は、ミミに聞かせてもらえるようにもなっています。

それは、人の場合もあれば、草木の場合もあります。

2.耳、に関わる文面につきまして

耳、の文面ですが、以前より数が減ってきています。(全20件)変わって、みみ、が増えています。(全20件)

ですから、耳、の意味だけでなく、みみ(御身)、を現している文面が増えて来てゐるようです。
この事を元に理解していきますと、また更に御神示の内容が判っていくでしょう。

Ⅰ.掃除の程度に応じて、神がうつります

神に目を向ければ神がうつり、神に耳向ければ神がきこえ、神に心向ければ心にうつる、掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。掃除出来た方から神の姿うつるぞ、それだけにうつるぞ。

神様に目を向ければ、神様がうつります。
また、神様に耳向ければ、神様が聞こえます。

神様に心向ければ、心にうつるようになります。
それは、掃除の程度によります。

ですから、掃除、がまず大切です。

また、神様に、御身(みみ)向けますと、神様が聞こえます。
それは、心の内から聞こえてきます。

また、外では、人間もありますが、人間以外からの動きからも、様々知らせて頂けます。

全ての現れとは、御自身の内に応じるのです。

ですから、掃除出来た方から、神様の姿が、それだけに移る事になります。

Ⅱ.洗濯し、神かかれば、何もかも見通しになります。それで、洗濯、選択、と耳にたこ出来るほど、申されています

神祀るとはお祭りばかりでないぞ、神にまつらふことぞ、神にまつらふとは神にまつはりつくことぞ、神に従ふことぞ、神にまつはりつくとは、子が親にまつはることぞ、神に従ふことぞ、神にまつらふには洗濯せなならんぞ、洗濯すれば神かかるぞ、神かかれば何もかも見通しぞ、それで洗濯洗濯と、臣民 耳にたこ出来るほど申してゐるのざ。

お祭り、という単語もマンデラ・エフェクトではないかと思っていますが、
神様にまつらふこと(九十)です。
そして、神様に従ふこと(九十)です。
あらゆる存在を上に見立てていく境地です。これが、継続的千人力の元です。

それは、子(九)が親(お八)にまつらうことです。
神に従ふこと、です。

神にまつらふには、洗濯せなならないのです。

洗濯すれば、神かかります。
神かかれば、何もかも見通しできます。

千人力、が普通に起こっていくようになります。

それで、洗濯洗濯と、耳にたこ出来る程に申してゐるのです。

その際、選択、も求められるでしょう。仕事、する、しない、優先順位。を求められます。
決断も求められるのです。

ですが、ここまで申しても、洗濯、掃除、改心、全くしない人の方が圧倒的多数です。これが人の我、です。
そして、多くの方々は、囚われの世界を選ぶ方が殆どです。その先は、81の世界なのは、言うまでもありません。

Ⅱ.外国魂ですと、生き神様の声は、耳には入らないようになってゐます

神の国の昔からの生神の声は、世に出てゐる守護人の耳には入らんぞ、世に出てゐる守護人は九分九厘迄 外国魂ざから、聞こえんのざぞ。

神様の国の昔からの生神様の声は、世に出てゐる守護任の耳には入らなくなっています。
それは、世に出てゐる守護人は九分九厘迄 外国魂だから聞こえないのです。

それが、11の囚われであり、その元は6つの慢心なのです。

Ⅲ.マコト申すと耳に逆らうのは、我に判らんメグリあるからです

誠申すと耳に逆らうであろが、其の耳 取り替へて了ふぞ、我れに判らんメグリあるぞ、

マコト申すと耳に逆らうのは、まだ、御自身の我が、洗濯、掃除、改心が終わっていないからです。

其の耳を取り替えますと、そ(五三体の大神様)のミミ(三三)、となるのです。
それには、洗濯、掃除、改心の連続です。

そして、我にわからんメグリ、あるのです。
これは、誰もが体験していく事になりますが、いつまでも、判らん状況ですと、より大変なことになっていきます。

無理の道、逆の道に進んでいく事になるので、苦しみが増えていきます。

これを解決していくには、此の道の行を、神様の申す通り進めていく以外ありません。

Ⅳ.天の教え、地の導き、よく耳すまして聞き取ってください

世界の説教をよく聞きてくれよ、天の教、地の導き、よく耳すまして聞きとれよ、神の心 段々に判りて来るぞ。

世界の説教とは、周囲の現れです。
天変地異、戦争が、まず筆頭ですし、他にも疫病、涌珍問題もあるでしょう。

天の教、地の導き、よく耳すまして聞きとりて下さい。
神様の心 段々に判りてきます。

現在の地球の惨状。人間文明基軸の、人の我のままでは、81の世界、滅亡の世界に進むのは判り切った事で、その段階を回避していく為、新たな世界を産み出そうとしている存在が、草木では増えて来てゐるのです。

ですが、まだまだ、今現在の人間基軸の世界では、いつ81の世界が実現してもおかしくはありません。
そして、神の御心の草木と、われよし慢心の人類と、いつ入れ替わっておかしくありません。

御神示にもある通りですが、一番改心遅れているのは人間で、ですが、皆がそうだからと言って、そのままですと、手遅れになってしまいます。

そこで、大峠を難なく超える方法は、何度もお伝えしている通り、まず、いち早く千人力に到達する事です

これは、この道を進んで行く体験と共に判ってきます。三年経過すれば、一通り判ります。

Ⅴ.霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは間違ひ多いです

目さめたら起き上がるのぞ。起き上がらずには居れまいが。神の命ずることは丁度そのやうに人間にうつるのぞ。霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは間違ひ多いぞ。心せよ。ものに対しては人間そのものが霊であるぞ。人間はこの世の神と申してあらうが。ものは人間の自由自在。偶像は排すべし。十像は拝すべし。悪に行く理(ミチ)はないぞ。理は善のみに通じてゐるぞ。理なきところ進むでないぞ。

目さめたら起き上がって下さい。
起き上がらずには居れないはずです。

神様の命ずることは丁度、そのように人間にうつるようになっています。

霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは間違ひ多いです。
それは、我の洗濯、掃除、改心がまだまだできていない為です。

ですから、心の内に聞いて下さい。

霊耳、よりも、心の内の声の方が間違いないのです。

心せよ。とかなり強くお伝えされています。

ものに対しては、人間そのものが霊です。
人間は、此の世の神様なので、ものは人間の自由自在なのです。

偶像は排してください。十像(十柱の神々様、十の光の神様等)を拝して下さい。

悪に行く理(ミチ)はないのです。
それは、前の段階、囚われの世界に進む道だからです。

理は善のみに通じています。善とは、新たな世界を産み出す事にあります。

それが、弥栄実践、です。
更には、祓ひ実践。
まつり実践。です。

理なきところ進まないようにして下さい。

留まったまま、囚われたまま、それは、6つの慢心が原因ですが、これは、悪に進む(戻る)道で、行き詰り、我良しの81の世界に進みますので、理なきところに進まないようにしてください。

Ⅵ.今度は、神が人民にうつりて、マコトの花を咲かす仕組です。マコト申しても耳に入らないのは、マコト足らないからです

今の人民はマコトが足らんから、マコトを申しても耳に入らんなれど、今度は神が人民にうつりて、又 人民となりてマコトの花を咲かす仕組、同じことを百年もづづけてクドウ申すと人民は申すなれど、判らんから申してゐるのであるぞ。

今の人民は、マコト(〇九十)が足りていません。
人の我では、11の囚われ、6つの慢心から、此の道の事は耳には入らないのです。

このように、マコトを申しても耳に入らないようになっていますが、今度は神様が、人民にうつりて、又 人民となりて マコトの花を咲かす仕組なのです。

同じこと百年もつづけてクドウ申す、と人民は申すなれど、判らんから申してある、と何度も伝えられています。

そして、百年は持ちませんから、持っても2041年。それも残すところ十五年を割りそうな所まで来てゐます。

Ⅶ.きく耳ないなら思ふようにやってみてよいのですが、グルグル廻ってはじめから出直しになります。それを試す時間はあまり残されていません

これまでに申してきかせても言ふこときかぬ人民多いぞ、きく耳ないならば思ふようにやって見なされ、グルグル廻って又はじめからぞ、人民は神の中にゐるのであるから、いくら頑張っても神の外には出られん。死んでも神の中にゐるのぞ、思ふさまやりて得心改心、われがわれがで苦しむのも薬と申すもの。

これまでに申しても、きかせても、言ふこときかぬ人民が圧倒的多数です。

きく耳ないならば、思ふようにやってみてよいのですが、グルグル廻って始めからやり直しです。

もうあまり時間ないのですが、グルグル廻って最初からやり直しを選択する方もとても多いです。

人民は神様の中にゐるので、いくら頑張っても外には出られないようになっているのです。

ですが、人は、われがわれが、で進む方、殆どです。

思ふさまやりて初めて、得心、改心する方が多いです。
ですが、その方法では時間はかかりますし、それ程時間残されていないのです。

われがわれがで苦しむの薬と申すもの、と言っても、殆ど時間が残されていない事は、忘れないようにして下さい。

最終的には2041年とは見てゐますが、そこから遡る事十五年としますと、残されている所、1年ちょっとです。

一刻も早く、行を進めて下さい。

3.神様は何故、直接耳から此の道を伝えないのか

神様は、何故、人に向けて、耳から此の道の事を伝えないかも、これは、実体験から判ってきました。
それは、囚われた人から見ますと、悪口となり、悪にしか聞こえない為です。

囚われた方々であっても、その方の世界は尊重されます。
ですから、神様から見て、此の道を伝えても反感を招く事はカルマとなりますし、勿論、反感を持つ方もカルマになります。双方にとってカルマになるからこそ、神様は、此の道の事は、耳から直接は伝えないのです。

囚われた世界とは、理解しようとする事が止まっている世界です。
また、理解を拒絶したり、前の段階に戻っていく世界です。
それは、行き詰っていきますし、逆行く道ですから、無理の道なのです。

ですが、この選択をしてしまうのが、人の我、なのです。

更には、既存の善では、囚われた善では、新たに産み出す世界は悪に見えるのです。

ですから、高次の神様程、判らないようにして伝えます。
耳から伝えるのではなく、御身(みみ)から伝えます。

普通の方からは、判らないようにして伝えて下さります。
それは、むしろ、理解、体験からしか判らない世界です。

一刻も早く、この境地に来てください。
早く千人力、となってください。

この千人力を継続していくには、あらゆる存在を上に見立てられるようになる事が求められますが、それは、我の洗濯、掃除、改心を続けていく先にしかできない事です。それは、御神示と共にであって初めてできます。

千人力でないとこの後の大峠は越せません。

御神示を読まない方、一回程度で読まなくなる方、軽う見てゐる方は、此の世では99%以上ですが、この後の、大峠を越していく上では、もはや絶望的になります。

ですから、神様の申される通り、素直に、御神示と共に、千人力と共に、一刻も早く、此の道一本に絞って三年の行を進めて下さい

此の道一本に絞りますと、11の囚われが徐々に変わっていきます。
その際、御自身の我の洗濯、掃除、改心。が必ず求められますし、御自身の我の改心を進めない事には、一年半までで、挫折してしまう事は忘れないようにして下さい。

それは、また一からやり直しになります。
その猶予が残されている程、時間は残されていません。

まとめ

此の道を進んでいきますと、みみ(御身)から知らせて頂けます。

それは、心の内から、肚から聞こえてきます。

また、耳からは、此の道は聞かされないようです。
それは、此の道に進んでゐない人、11の囚われの段階の人、御神示を読まない人、軽う見てゐる人からしますと、悪口にしか聞こえない為のようです。

この為に、みみ、は御身、と解釈していく事で、多くの文面で、意味が判ってきます。

ですが、その為には、御自身の行と共に、洗濯、掃除、改心、が求められます。

更には、生前からの悪い癖を直して行く事が求められますし、悪いと思えばスクリと止め、良いと思えば、直ちに始める事が求められます。

此の道に入るには、このような流れが、次々求められますが、まずは、御自身の改心が最初になります。

ここを放置していますと、1年半までで、此の道を挫折する事となり、また一からやり直しになります。
実際、そのような方は、ここまで、何名かいらっしゃいます。

もう、2041年まで残すところ十五年程です。三年苦しみ、五年もがき、七年経ってやっと判る臣民、が多い。とありますから、最悪の解釈の場合は、十五年は見て置く必要があり、今現在、私は、それに向けての準備が始まっています。

直近ですが、前世の法則での発信ペースが遅れているのも、実は、みみに知らせる事への比率が高まってきている事もあるようです。正直な所、ブログで伝えていく時間も限りがある感じです。

そして、私自身、次の段階に向けての準備を進めている所です。詳細についてはセッションを受けられた方には伝えていきますが、近い内に、当ブログでもお伝えしていく予定です。ただ、恐らくながら、年明けになるのでは、と見てゐます。

是非とも、油断なく、今現在できるところより、行を一段一段進めて行って下さい。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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