直近では、皆さんですが、御自身の上様(ハイヤーセルフさん)に向き合う時に来ています。
そういった時節になってきています。
この後、節分からは、
行を進めていく事の意味で、最も重要な行とは、
生前から騙され続けてきた、御自身の我の、洗濯、掃除、改心。にあります。
更に、生前から続いてきました悪い癖を直して行く事にあります。
これらは、確かに、行をしていかないと、判らないようになっています。
この後、節分より、三四五の世に向け、愈々、神様の規則通り、の動きとなり、容赦ない動きになります。
今現在、その前で、大きな分岐点です。
節分を前に、一旦、御自身の、我、に向き合う時が来ています。
今回は、此の事について御伝えしていきたい、と思います。
1.御自身の我、と御自身の上様(ハイヤーセルフさん)、のサニワが、此の道で進むには必要不可欠です
此(九)の道、一本に絞り、この3月~4月で丁度3年目を迎えます。
そこまでに、どういった変遷があったか、簡単に伝えます。
参考にして下さい。
Ⅰ.まず、この道一本になるまでにも、我の、洗濯、掃除、改心は大変です
まず、一番難しいのは、此(九)の道一本に絞れる段階になる事でしょう。
(ただし、仕事は、複数種類がある可能性はあります)
此の道一本に絞る迄、御自身の我、の浄化(洗濯、掃除、改心)、がまず求められます。
そして、覚悟が求められます。
私自身は、この道一本に絞る覚悟が持てるまでに、約10年間(9年5か月程)かかりました。
それまでは、自身の我、と、此の神様、大神様との戦だったと思います。
以前にもお伝えしましたが、多くの方が囚われている価値観は
お金、学、地位、名誉。他に、自己顕示欲。
といった辺りになります。
それは慾、なのです。
当初は、むしろ、これらを満たす為に、御神示を利用する方も多いです。
人の我、であれば、それで普通ですし、この事に該当する方々は、沢山見てきました。
また、御神示の通り、確かに、人集まる処には、マコト伝える者はいらっしゃいませんでした。
●表面(うわつら)飾りてまことのない教への所へは人集まるなれど、誠の道伝へる所へは臣民なかなか集まらんぞ、見て御座れよ、幾ら人少なくても見事なこと致して御目にかけるぞ、
そして、共通するのは、御自身の、我、基軸ですと、いつまでも平面世界で苦しむ事になるのです。
また、金(キン)は要らないのに、つまり、九次元世界、半霊半物高次元世界、に移行しようとし、多くの方々を導きこう、と宗教型に走る人は珍しくありません。それも、先述した、お金、学、地位、名誉。と重なるケースもあります。
多くの場合は、大体、我、によって、苦しむ事になります。
むしろ、人が集まりすぎますと、より苦しむ流れになるかもしれません。
このように、二股膏薬を無くし、この道一本に集中する為、という前でも、
これら、お金、学、地位、名誉、自己顕示欲。の浄化、サニワ、が求められます。
そして、ハイヤーセルフさんごと騙されていて、その事に気付いていない方も非常に多いです。
実は、この段階で、私自身も、ハイヤーセルフさんに騙され続けてきたから、苦しんできた一面もありました。ですが、その苦しむ原因は、どこまで行っても、御自身の我、なのです。
ちなみに、私は、御神示と出会ってから、お金、と此の道の二本で行こうとしていましたが、数ある神学によって、それは封じられてきました。
今から思えば、この約10年間苦しんだのは、まず、我によるお金は、此の道進むには邪魔になる事。
また、そのようなエネルギーのお金を一旦無くす事が大切、という事。神学を経験する為でした。
この事で、2021年4月5日、にキッパリと、その道を断つ事にしたのです。御神示と出会って、約9年5か月目の事です。
以降、流れが、大きく変わる事になります。
Ⅱ.この道、一本にしてから始まる事、此の道の為の出会い
この道、一本してから始まるのが、此の道に進む為の出会いです。
そして、それは、御自身の我の洗濯、掃除、改心、の為の出会いである事、が殆どです。
そこで出会った方々には、様々なお役割があります。
また、必ずしも、最後までやり取りを継続する訳でもありません。
道中、一旦離れる方もいますし、途中から時節に応じて、出会うようになっている方もいます。
特に離れていく方では、御自身の生前からのテーマについて、重要な方、になります。
(そのテーマは、後述します。)
また、継続していく方に共通していく事が、同じ人が同じで無くなっていく流れにもなっていきます。
着実に、カミヒトに進んでいる事が判ります。
実際、最後まで残られた七名の方とは、素直に御神示の行を継続してきた方、御神示通りの道に進んでいる方です。
Ⅲ.丁度丸1年を迎えて知ったこと。我、での限界、絶望
私の場合、此の道に入って、丁度丸1年を迎えた時に起こったのが、ウクライナ情勢でした。
そして、できる限りの事をしていきましたが、残念ながら、この時には、世界を変える、事ができない、自身の我、の限界を知らされる事となりました。
やはり、今から思えば、慢心、でした。この時は、まだ、一日十人分の行もできていない時期でしたから、当然かもしれません。
丁度1年間継続してきた際に思ったのが、苦しい時の神頼み、でした。
●あらしの中の捨小船と申してあるが、今その通りとなりて居ろうがな、何うすることも出来まいがな、船頭どの、苦しい時の神頼みでもよいぞ、神まつりて呉れよ、神にまつはりて呉れよ、神はそれを待ってゐるのざぞ、それでもせぬよりはましぞ、そこに光あらはれるぞ。
当初、此の道一本に絞る時にも、我を折る処もありましたが、思念界からの行での限界。
我、を折る最初の経験だったかもしれません。
ですが、この時、我、を折ったからこそ、そこに光を見い出す事になっていきます。
Ⅳ.1年3ヵ月程で、十人分の行を超えていく、同時に、御神示のマンデラ・エフェクトが始まる
1年3ヵ月程経過した際に、ズームを始めたのですが、この時に、初めて一日十人分の行を超えていく事になりました。
そして、この時期から御神示のマンデラ・エフェクトが始まっていく事になります。
今から思いますと、我、を折る経験をここまでに2度してきた事。
その上で、行を継続してきた為に、このような道を開く事ができた事がよく分りました。
Ⅴ.1年半年で、騙しの岩戸開き、を一旦する事に
此の道に進む上では、これと言った先達に出会わない場合、どうしても、騙しの岩戸開きをする可能性は高いです。実は、それは、生前からでも同じことを繰り返してきた、という事です。
この事をしますと、それを償うだけの事をしていく必要があります。
此の道では、王統が要らない事が、御神示のマンデラ・エフェクトで現れた事より、より明確になってきましたが、王統の世、テンショウコウダイジングウ様のカルマ、を蒔いてきた為、その解消をこの後していかないとならなくなります。
ですから、騙しの岩戸開きは、しないでよいならしない方がよいです。
いらぬ苦はしない方がよいです。
ただ、騙しの岩戸開き、も、後から判ってきますが、したならしたで、それが、重要な経験だった、という事も判ってきます。
むしろ、生前で多くの方を苦しめてきた分、その浄化を進めていく事で、大きな世界を産み出す元になる部分もあります。
この事で、実は、その後大きく進展していく元になります。
Ⅵ.2年目では、離婚。離婚は悪とも限らない、囚われの浄化
人によりますが、私の場合は、離婚をする事になりました。
私の主観ですが、妻、子、が急に別人となり、書き換わった事によって離婚が進み始めた感じでした。
どちらかと言えば、離婚、を後押ししてくれた感もありました。
ですが、お陰様で、此の行に集中できるきっかけ、にはなりました。
当時、御神示には、家族和合せねば、此の道の取次とは言えない、ともありましたし、離婚してはならない、という事に囚われていた所がありました。
そこで、離婚をしてでも、此の道を進むかどうかを試されたのです。
そして、戒律の輪、自己犠牲の輪、法律の輪、世間体の輪、といった囚われの輪から外れる事ができた事。
更には、我欲のお金と一旦決別した事。は、今から思えばありがたい、一面もありました
残された財産は、ほぼ、神の道で得たお金しかありませんでした。
神を神じよ。神と共に進む御自身を信じよ。
という事が求められていたタイミングでもありました。
この年齢でこの財産だけで、果たして大丈夫なのか。
ドキドキしていましたが、一応その後は、その額を下回る事なく今に至っています。
(ただ、後日この事実を親兄弟に伝えると、与えすぎ、ですとか、スッテンテンやな、とかさんざん言われました、笑)
この時判った事は、世間で言われる所の苦、悪、といったものは、この時には、離婚がそうなのだと思いますが、
此の道を進む観点から言えば、楽、善、という事もある事を改めて判る事ともなりました。
離婚している方、していない方、分け隔てなく、を意識する事もこの時は求められる事になったのです。
Ⅶ.3年目。最後に待っている行、が、分け隔て、と慢心の浄化
そして、この道、一本にしてから、三年経過して、ようやく解って来る事の大きなテーマ、とは、分け隔て、慢心、の浄化の2つです。
この2つは、誰もが問われる問題であり、最初にまず、分け隔てせずに進めるかどうか、が求められます。
ですが、此の道に進むにあたっては、無理なく、分け隔てを試されます。
分け隔てをしないとならない、せざるを得ない状況であれば、無理、をしているという事です。
ですが、此の道に進みますと、無理なく、分け隔てせずに済む道に進みます。
ちなみに、分け隔ては、このブログを開設して以降、全くせずに来れています。
これも不思議な話です。こういった仕事をしながら、分け隔てをせずに済んでゐる状況なのも、今から思っても、これも神学に思います。(勿論、逆に、分け隔てされる事は多々ありましたが、ただ、それは、メグリを取って貰っているのでありがたいことなのです。)
ただ、広く言えば、全ての元、は、慢心、という事です。
今現在、向き合うのは、実は、この慢心です。
これをあらゆる所に意識する必要があります。
Ⅷ.母の死をきっかけに、シナリオが急激に進み始める
母が亡くなったのは、此の道に入って丁度2年5か月位の頃です。
この時に知ったのは、できる限り、今の最善だけしていけば良い、という事でした。
無理させたり、無理をするのは、違う、という事です。
多くの方の価値観であれば、生きている内に周囲の方々を改心に導かねばならない、と思われると思いますが、実は、それこそ慢心、という事も判ってきました。
人の心とは、そう簡単に変わるものでもないのです。
だからこそ、三千年計画、なのです。
一応の目標として、母、を助けに行く、という事を思っています。
これを、神学、によって、助けに行こう、と思っているのですが、ただ、これも、その道は様々あるようです。
神の道は、生も死も無くなるのです。
永劫の観点であれば、必ず助けられる方法は存在している。
それだけは、ハッキリと分かってゐるのです。
私は、そもそも、御神示の言う所の、生き通し、が目標でしたし、ですから、コト(九十)に進む為に、マコトに進む為に、行をしているのですし、実際、そうでなければ、この後の81の世界、大峠を越せる事は不可能、と確信しています。
それは、誰もが同じです。
このまま、待ってゐれば、何とかなる。と思っている方が、私は、慢心に思っています。
後、並行して、清富になれよ、と仰っているので、この事は、ずっと興味を持ち続けていたのですが、今現在、その道に進む流れになってきています。
合わせて、何も心配無くなる境地。にも進んでいます。
2.以前から気になっていた事、永劫の愛について
Ⅰ.人は、永劫に人を愛することは、果たして可能なのか
人は、誰しも、永劫に愛されたいことを望んでいる、と思います。
ですが、人は、果たして、人を、永劫に愛する事はできるのか。
と言えば、正直な所、どのような方でも、それは、不可能。
と思っている所があります。
結婚式の際、永遠に愛する事を誓いますか。と誓いをさせられる事がありますが、
これこそ、まず、慢心、と見ています。させる側もそうですし、それを当たり前に思う方もそうです。
人を愛して当たり前。といった、このような事が言えるのも、まず、普段、安心して食べられ、生活に困らない。この事が満たされてこそ、できるようなところがあると思っています。
ですが、実際、震災を受けたり、戦争が始まったり、飢饉が始まったりしますと、このような事も、どこまで守れるか、果たして疑問です。
前世を見ている限り、重度の飢饉になりますと、自殺、はましな方で、略奪、人身売買、共喰い、が当たり前でした。ですが、これが、人の我の限界。であり、平面世界の限界だと思っています。
●今度は共喰となるから、共喰ならんから、今から心鍛へて食物大切にせよ、食物おろがむ所へ食物集まるのぢゃぞ。ひたすらに神にすがりてお詑びせよ、それより他に今は道なし。
この後、愈々、81の世界に進みますと、御神示にあります通り、共喰いの世界に行く事は間違いありません。
そういった世界であっても、人は、人を永劫に愛せるかどうか。
愛する、なんて、できない、と思っています。
スピリチュアルの世界では、ツインレイ、ツインソウルさん、絶対論も、世間では年々強くなってきていますが、それこそが、慢心、である事。一度、確認しておく必要もあります。
そうでなくても、相手が裏切っても、それでも、その人を愛せるかどうか。
このような段階であっても、難しいでしょうし、人の我、では無理、に思っています。
現段階では、私は、人が、人を愛する、という事には、まだ永劫性を感じていません。
それよりも、永劫の愛を感じるのは、大神様、です。
これは、ここまで御伝えした通り、此の道に進んで行きますと、理解、体験、と共に判って来るようになります。
その為には、掴める所から、信じれる所から、掴んで行けば大丈夫です。
ですが、それができるのも、大神様によって、コト達によって、日々、マンデラ・エフェクトを起こし続けて来てくれてきた事。無事平穏に、愛する話の是非、なんて言い合える事。更には、しきまきや、くにつつみ、といった、思念界から変える行をさせて頂いている事。
常々、守ってくれた事が、何よりも感謝の念を抱かずにいられないようになってきています。
Ⅱ.永劫に愛するよりは、永劫の愛を受け続ける方が簡単
御神示通りの事をしますと、確かに、この為に、導いて下さった。
という事が判ってきます。
着実に一歩一歩、御自身の我の、洗濯、掃除、改心、が進むと同時に、生活にも困らなくなってきます。
着る物、食べ物、住む処、相手側から、飛び込んでくる。
という事もよく分ります。
更には、人から、相手が、書き換わって、自身に飛び込んでくる、という事も判ってきます。
ですから、永劫の愛、を確かに受け続けている、という事が判ってきます。
その為には、御神示にあります通り、素直に行を継続していけば良いのです。
この道一本に絞ってから三年経ってきますと、此の事が判ってきます。
この道一本に進んで、この4月で、三年になりますが、
御自身が永劫に愛し続けて頂いている事が判って来るからこそ、
永劫に愛せる流れに変わっていく、という事が判ってきています。
Ⅲ.まずは、大神様に飛び込んで下さい
大神様、コト達は、分け隔てなく、どのような者達であっても愛し続けて頂いてゐます。
ですが、今の所、まだ私は、全ての人を永劫に愛し続ける、という事はできていません。
無理、と思っています。
むしろ、永劫に人を愛することができる、という事自体が、慢心、と思っています。
ですが、人は、我、基軸であれば、それで、普通なのではないでしょうか。
ただ、これも、状況が変わって、周囲の一切に、カミヒト、しかいない状況であれば、周囲の一切を永劫に愛する事はできるかもしれません。
その為には、できる所から、神様を掴んで行けば良いと思います。
人で無くても大丈夫です。ペット、動物、植物、野菜、自然。であってもよいのです。
そして、できる所より、思念界より、人だった時の前世に繋がり、苦しんでいる思念を、しきまきや、くにつつみ、あなはち、を起こし、浄化して行けば良いのです。
すると、確かに周囲が変わってきます。
同時に、確かに、御自身の内も変わっていくのです。
それが、また周囲に現れていくようになります。
永劫に愛するには、人を助け続けて行く道から生まれて来るのです。
そして、永劫の愛を、体験し、理解を進めて下さい。
無理なく、着実に進むようになります。
永劫の愛を受けられなかった原因、それは、御自身、の我、であった事に気付けるようになってきます。
Ⅳ.まずは、神様の喜び、驚きを体験をして下さい
●元の喜びは霊の食物を食ふことぞ。その大きな喜びを与へてあるのに、何故 手を出さんのぢゃ。その喜び、おどろきを何故に求めんのぢゃ。何故に神示を食べないのか。見るばかりではミにつかんぞ。よく噛みしめて味はひて喜びとせんのぢゃ。喜びが神であるぞ。
元の喜びとは、霊の食べ物を食ふ、事から始まります。
霊の食べ物、とは、キ、です。
それは、苦を苦でなくしていく、くにつつみ、であり、しきまきや、を起こして行く事で、食べる事ができます。
あなはち、から判ってきます。
そこで起こる変化とは、行が進む程に、時間が経過する程に驚く展開が次々生まれてきます。
それは、御神示を食べていけばよいのです。
御神示と共に、行をしていけばよいのです。
見るばかりでは、確かに、ミにつかないようになっています。
見ているだけでは、何年経っても、何百年経っても、平面世界でウロウロ、です。
よく(四九)噛みしめて、味はひて喜びとして下さい。
喜び、が神様なのです。
それは、くにつつみ、しきまきや、を起こしていけば良いのです。
Ⅴ.神様との結婚をしてください、永遠につづく結び、です。裏切る事はありません
●次には神との交わりぞ。交流ぞ。和ぞ。そこには且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れるぞ。神との結婚による絶対の大歓喜あるのぢゃ。神が霊となり花むことなるのぢゃ。人民は花よめとなるのぢゃ。判るであろうが。この花むこはいくら年を経ても花よめを捨てはせぬ。永遠につづく結びぢゃ。結婚ぢゃ。何ものにも比べることの出来ぬおどろきぞ。よろこびぞ。花むこどのが手をさしのべてゐるのに、何故に抱かれんのぢゃ。神は理屈では判らん。夫婦の交わりは説明出来まいがな。神が判っても交わらねば、神ととけ合はねば真理は判らん。なんとした結構なことかと人民びっくりする仕組ぞ。神と交流し結婚した大歓喜は、死を越えた永遠のものぞ。消えざる火の大歓喜ぞ。これがまことの信仰、神は花嫁を求めて御座るぞ。早う神のふところに抱かれて下されよ。
これも、行を継続しているからこそ、実感できるのですが、
大神様からは、永劫に、間断なく、喜びを与え続けて頂いてゐます。
それも、段階が進む毎に、時間の経過、と共に、ビックリが次々生まれてきます。
そこには、騙された神様の改心も進めて行く事が求められます。
御自身、の、ハイヤーセルフさんの浄化も求められます。
その神々様、ハイヤーセルフさんと和することで、新たに、和合した世界を順次生み出して行く事になるのです。
最後まで、裏切らない存在。それは、大神様、という事が判ってきます。
そして、周囲の存在が、裏切らない存在、へと変わってきます。
神が霊、となり、花むこ、となってくるのです。
人民は、花よめ、となるのです。
この事が判ってきます。
これは、経験しないと判りません。
そして、こ(九)の花むこは、いくら年を経ても花嫁を捨てない、という事も分かってきます。
永遠に続く、ムスビ、結婚。という事が判ってきます。
ですから、まずは、大神様との結婚を大切にして下さい。
何ものにも比べることのできぬ驚き、というのも分かってきます。
ですが、体験しないと、それは分からないようになっています。
花むこどのが手をさしのべていらっしゃるのに、何故に抱かれんのぢゃ、と仰っています。確かに、神様は、理屈では判らないようになっています。
神様が判っていても、交わらない事には、神様ととけ合はねば、真理は、分からないようになっています。
それは、確かに、なんとした結構なことか、と人民、びっくりする仕組みです。
周囲の世界が、寝て起きてゐれば、気付かない間に、別世界。
これが徐々に起こっていき、着実に喜びの世界へと、進んでいるのです。
ですが、それは、行を継続し、我の、洗濯、掃除、改心、を進めた者にしか判らないようになっているのです。
神様と交流し、結婚した大歓喜は、死を超えた永遠のもの、という事が判ります。
消えざる火の大歓喜、という事も判ります。
これがまこと(〇九十)の信仰(四ん九ウ)、であり、神様は花嫁を求めているのです。
早う、神様のふところ(二十九六)に抱かれて下さい。
もし、寂しくなれば、大神様を求めて下さい。
大神様は、一人でも助けたい為に、できる限り延ばして頂いていますし、此の道に進む方は、いつでも、守って頂いてゐます。
3.まとめ
愈々、この節分から、神の規則通りに動いていきます。
そこで、御自身の我、御自身の上様(ハイヤーセルフさん)と向き合う時が来ています。
まず、此の道一本に進むまでも、我、の掃除、洗濯、改心、が大変です。
それは、お金、学、名誉、地位、自己顕示欲、の浄化が求められますが、ここで時間がかかる事も多いです。
ですが、もう一刻の猶予もありません。この段階の方は、少しでも、早く、改心を進めて下さい。
その後、此の道一本進むに当たり、十人分を超えるまでに一度、我が、折られ、騙しの岩戸開き、が、慢心であった事。を経験していきます。(騙しの岩戸開きは、極力しない方がいいです)
離婚、結婚の囚われの浄化。
その上で、最後まで待ってゐるのが、分け隔て、慢心。の浄化です。
広くは、全ては、慢心から始まってゐますが、その前にも、様々な我の浄化を求めていく事が求められるのです。
そして、何よりも、人は、人を永劫に愛する事ができる。
そういった囚われ、慢心、がある事も忘れてはなりません。
ツインレイ、ツインソウルさん、絶対論も、慢心である事、一度確認しておく必要があります。
ですが、永劫の愛は、御自身で愛していくより、受け取る方が簡単です。
大神様、と結婚すれば良いのです。
そして、その驚きを、あなはち、しきまきや、くにつつみ、と共に行じ、体験して下さい。ですが、体験しないと分からないようになっているのです。
驚きは、段階が進む程に大きなものとなっていき、大神様から、常に愛されている事。守って頂いている事。経験させて頂いている事が判ってきます。
それは、今すぐからでもできるのです。
この節分から、愈々、神の規則通りに進んで行きますから、一刻も早く、行を進めて下さい。
そして、御自身の我、ハイヤーセルフさん、の浄化を進めて下さい。
この行を三年間継続していきますと、この事が判って来るようになってきます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。